アダマンテ大陸統一戦争編 第八章
前回のあらすじ
バラキアでの休暇を終え、チューン城へと戻るゼロスたち。白へ戻ると団員の一人、アイリーンのもとに里帰りを催促する手紙が届く。彼女はゼロスを用心棒として里帰りに同行するよう頼み、彼はそれを受け入れた。しかし、彼女の実家に帰るとなぜかアイリーンとの婚約をかけた闘技大会に参加させられてしまう。アイリーンはゼロスにこの大会で優勝してもらうことを望み、彼もまたそれに応えた。
アイリーンの一件がどうにか片付きチューン城へと帰ると、帝都から次の仕事の話が届いていた。王国側がなぜかリバーニア近郊で陣地を形成しているとのこと。ゼロスたちは他騎士団と協力し、王国陣地破壊作戦へと挑んだ。
誤字脱字等、ご容赦ください。
「リーデン様。戦況報告です。……北、対蒼穹騎士団はおおよそ不利。もうじき押し切られてしまうでしょう。南の迅雷騎士団も同様です。正面の烈風騎士団に関しましても、いささか懸念が。第一陣を排され、奴らの本隊が接近しています。もうじき見張りが姿を視認するかと思われます」
王国陣地、中央テント内。地図を広げた机をはさんで、リーデンが部下から戦況を聞き出していた。苦しい状況であるというのに、彼は表情一つ変えない。隣に立っていたフォーラが一歩前に出る。
「俺が出ましょうか。帝国騎士団程度、相手にもなりません。軽く弄んできましょう」
「……逸るなフォーラ。我らの務め、忘れたわけではあるまい。……残りの奴をすべて放ち、我らは引き上げる。疾く支度をせよ」
「了解」
部下はテントを出て行く。戦う機会を奪われたフォーラは不服そうに机の上の地図を指さした。
「いいんですか?ここから引き上げて。せめてリバーニアだけでも取っておけば後が楽ですよ」
「楽かどうかはどうでもよい。我らに宿りしこの力さえあれば、帝国何するものぞ。今は一時でも早く、実験の成果を報告せねばな」
「……了解」
フォーラもテントを出て行く。一人残されたリーデンは腰に下げていた剣を抜くと、机に突き立てた。
「此度の勝負は預ける。勝利の余韻に浸るがいい、帝国の手先共」
陣幕に火が移る。ゼロスたちは火を恐れず陣容へと突撃した。不気味なほど静まり返っていた王国陣内には、もはや人影はなかった。開け放たれたいくつもの檻と、その中に潜んで唸り声をあげる獣だけが残されていた。奴らがゼロスたちを見つけると、得物をとらえるがごとくとびかかる。
「邪魔だ!」
一太刀のもとに同胞が伏せられてもなお、奴らは襲い掛かるのをやめない。先ほどはすぐに逃げて行ったというのに、この差は一体何なのだろうか。
「うわああ!」「やめろ、来るな!」
仲間たちの悲鳴が響き渡る。ひときわ大きな図体をした獣は、その口で団員の腕をかみちぎり、足を喰らっていた。ゼロスが剣を振るうが、異常に筋肉が肥大した体には、刃が通らない。元が人であることすら疑わしいほどの力で、ゼロスも振り払われてしまう。
「……クソッ!こんな奴までいるのか!」
ゼロスと共に突撃した三番隊のメンバーはほとんどが地面に転がっている。生きているかはまだわからない。エリオット達はまだこちらには来ていない。
「ウオオオオオオオ!」
まさに獣たちの親玉と言った所だ。奴が一度雄たけびを上げるだけで、周りにいた獣たちが攻撃性を増し、より苛烈になる。おそらくこれのせいで、エリオット達も苦戦を強いられているのだろう。ゼロスを狙って襲い掛かってきた獣たちを簡単にあしらい、目の前の親玉を睨みつける。
「……こいつをどうにかするしかない」
ゼロスは剣を構えなおす。眼の前にいる親玉は、敵意を見抜いたのかまたひときわ大きく吠えた。そして、その場から駆け出し、人の頭よりも大きい拳を叩きつける。……鈍い鉄の音があたりに響いた。ゼロスはその一撃を剣で受け止めたが、足が地面にめり込んでいる。やはりというべきか、並外れた力であることは間違いない。奴は攻撃が防がれたと知ると、大きく跳び退いた。そこから四つ足で走り出すと、両腕を軸にしたスピードが乗った回し蹴りを放った。あまりの速さに反応しきれず、その場から動けないままもう一度剣で受け止める。
「クッ……。クソ……、ふざけたパワーしやがって。今度はこっちの番だ。逃げんじゃねえぞ!」
ゼロスは地面にめり込んでいた足を引きずり出し、剣を構えると地面を蹴った。まるで居合のように、眼にもとまらぬ一撃。斬ったのは足だ。傷口は浅いが、血が流れ出ている。奴は痛みを感じているのか、怒りの雄たけびを上げ、ゼロスを目でとらえようとする。しかし、それよりも早くゼロスは剣を振るう。奴を囲むように、円を描くように移動しながら剣戟を放ち続ける。次第に加速していくそれは風を起こし、血しぶきを巻き上げ嵐となる。……『凄嵐』。この技を見た、三番隊の生き残りがそう名付けた。
嵐がやむ。ゼロスは地面に剣を立て、肩で息をしていた。動きが単純な一方で、その運動量は尋常なものではない。ゼロスはもうそこから一歩歩く体力すら残っていなかった。しかし、その甲斐あってか親玉もまた、その場に血みどろで立ち尽くしていた。背中や腹は斬り裂かれ、臓物がその場に零れ落ちている。ピクリとも動かないが、ゼロスの背中側から、少しだけ風が吹いた。未だ燻る火種の匂いを運んできた風を受け、親玉が地面に倒れる。その音を聞きつけ、エリオット達がゼロスのもとへとやってきた。
「大丈夫か!?……こいつか。さっきの咆哮の正体は。ゼロス、怪我は?」
「……わからん。どこかの骨が折れてるかもな」
「オルコス、運んでやってくれ」
オルコスの「わかった」という声と共に、ゼロスの肩が担ぎ上げられる。日頃全く見られない満身創痍のゼロスを前に、皆も珍しそうに見ていた。
「見世物じゃないんだ。ほら、残党がいないか捜してきてくれ」
エリオットが人払いをすると、代わりのように誰かが近づいてくる。
「……お前たちが、烈風騎士団か?」
「ああ、そうだ。……お前は?」
「蒼穹騎士団団長、ウォルハス・オリッド。ウォルハスと呼んでくれればいい。……こいつが、敵の首魁か?」
ウォルハスは地面に仰向けで倒れているデカブツを指さして言う。その眼には好奇と軽蔑が浮かんでいた。
「……そうだ。なかなか頑丈でな、少々手こずった」
「そうか。……おい、荷車を持ってこい!」
彼は近くに控えていた部下にそう呼びかける。それから間もなく、彼の部下たちが荷車を引いて戻ってきた。
「こいつは研究材料として帝都に提出する。原因不明の凶暴化に筋組織の肥大化。研究する価値は大いにある。……異論はないな」
「……いや、ある。そいつは持っていくな。帝国にこのことは黙ってろ」
オルコスの肩を借りながらも、ゼロスの威圧感は少しも衰えることがない。ないと決めつけていた異論が出てきたことに驚いたのか、ウォルハスが目を丸くしている。そしてすぐに「何故だ」と当然の疑問を口にした。
「こいつらがここまで暴れているのは、『影の一族の痣』が原因だ。そいつの首筋をよく見てみろ」
ゼロスの言葉の通り、地面に転がる巨大な亡骸の首筋には黒い痣がある。ウォルハスは顎に手を添えた。何かを考えこんでいる。
「何故、滅びたはずの一族の痣がこいつに……。何か知っているのか?」
「詳しくはわからん。……だが、どこぞの誰かが人為的にその『痣』を生み出すことに成功した。それを生きている人体に『移植』した結果がそれだ」
「……なるほど。いまいち現実感がないが、ひとまずはいいだろう。だが問題はそこではない。何故、それを帝国に秘する必要がある」
「あいつらも、その実験に手を出してる。……こんな行い、許されていいはずがない。あいつらはまだ実験の成果を出していないが、これらの情報が実験成功の鍵になってしまうかもしれん。……悪の行いを止めると思え」
ウォルハスはしばらく何か考えていたようだが、一度小さく息を吐くと、部下の一人に火を放つよう命じた。獣たちの親玉の死体が燃え上がる。
「これでいいんだろう?」
彼は去り際、そう言った。
「さて、俺たちもそろそろ陣地に戻るとするか。ゼロスの治療もしなくちゃなんねえからな。みんなもそろそろ戻ってくるころだろうし」
ウォルハスを見送った後、エリオット達はゼロスが休める場所を探し、簡易的なテントの下に寝かせていた。エリオットの予想通り、残党の捜索に出ていた皆もぞろぞろと戻ってきている。ゼロスも少し休んで回復したのか、自分で起き上がれる程度には体力を取り戻していた。そんな時。
「エリオット!帝都からの書簡だ!」
カリンがそう言って走ってくる。その手には薄い封が握られていた。
「何?こんな時に?」
「内容はまだ見てない。私が向こうで皆の治療に専念しているとき、帝都から早馬が飛んできてな。何やら急ぎの用事だったみたいだが……」
「見てみよう。……冗談だろ?」
エリオットが封を開いた。中には紙が一枚入っている。そこには「ダリア平原を制圧せよ」とだけ書かれていた。ともに書簡を呼んだオルコスとカリンも自身の目を疑っている。
「……何を考えているんだ!?こっちが片付いたばかりだっていうのに、もう次の場所だと!?」
「いや、帝都の者達はそこまで考えていない。私がこれを受け取ったとき、まだ戦いは終わっていなかった。謎の咆哮が聞こえてきていたからな。……この戦いの結果に関わらず、この命令を下すつもりだったんだろう」
「……俺たちに消えてほしいのか?」
エリオットが苦悶に顔を歪ませる。ただ何の変哲もない紙に書かれている言葉に、エリオットは追い詰められていた。当然、これは勅命であるため逆らう訳にはいかない。……だが、烈風騎士団はもはや戦える状態ではなくなっていた。団員のおよそ三割が命を散らし、何とか一命をとりとめたものでさえ、腕や足を欠損している。それに、無理な行軍と一週間続いた野営も確実に彼らの体力を奪っていた。今回生き残れた者も、次の戦いでは命を落とすかもしれない。……だが、エリオットに選ぶ権利などなかった。
「……今すぐ陣地に戻って支度を始めよう。幸いというべきか、ここからダリアはそこまで遠くない。……それに、少し崩れてはいるが、ここを陣地として使いまわすこともできる。……厳しい戦いになるな」
カリンは黙って下がっていった。そして、残党の捜索に出ていた皆をかき集め、陣地へと戻っていく。皆、不服を申し立てる気力すらないのか静かなものだった。
「……厄介ですわね」
エリオットの背後からそう声が聞こえる。この声はエリシアだ。彼が振り向くと隣にノクスもいた。
「皇帝陛下からのご命令なら従うほかないですが……。今の私たちでどれほど戦えるか。もしダリアにガルディアかクバルがいれば、こちらもただでは済まないでしょうね」
「とりあえず、すでに何人か斥候を放っておいた。ダリア平原には小さな城があるから、そこを制圧するのが目的になるね」
夜が明け、太陽が地平線の向こう側から顔を出し始めた。荒れた陣内に光が差し込む。それと同時に、騎士団陣地の片付けに行っていたカリンたちも戻ってきた。皆すでにカリンから話は聞いていたはずだが、どうにも信じられていないといった様子だ。しかし、エリオットが問題の書簡を見せると、皆納得したように項垂れた。
完全に日が昇ったころ、ゼロスは医療用のテントに移動していた。先ほどよりは清潔であろうベッドの上に寝かされ、アイリーンからの治療を受けている。彼の見立てではどこかの骨が折れているかもしれないということだったが、どうやらヒビが入る程度で済んだようだ。痛み止めの軟膏を塗り、添え木で腕を固定する。アイリーンの手際のよい処置を受け、あとは安静にするだけとなったゼロスは、アイリーンに礼を告げた。
「助かった、アイリーン。ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでですから。……それより、あの無謀な突撃は一体何だったのですか?」
アイリーンはムッとする。ゼロスは先刻の突出を咎められていた。ともに突撃した団員はそれぞれ重傷を負い、同じテント内に寝かされている。
「すまない。どうしても、『痣』の移植実験をした者の姿を見たくてな。……前に、孤児院が襲われたことがあっただろう?」
ゼロスは一言謝ると、少し前に起きた出来事を覚えているかアイリーンに尋ねる。彼女は小さくうなずいて答えた。
「あの時、王国の鎧に身を包んだ奴らは、『実験材料を確保するために襲った』と言っていた。……その実験は『痣』の移植のことなんだろう」
彼女は両手で口元を抑える。言葉にすることすらはばかられるほど所業、想像することもまたかなりの心労を呼び起こしている。
「あの事件の首謀者はキースだ。王国軍部大臣のキース・スタリー。……俺が王国との契約を断った腹いせに孤児院を襲うよう命令していたんだろう。奴がその実験に関わっている可能性が高い。主導者かどうかはまだわからないがな。だが、昨日見たあの獣。奴の首筋にはあの『痣』が入っていた。……もしかすると、実験の首謀者が……キースがそこにいるかもしれない。そう考えた結果、逸ってしまった」
ゼロスは一息に話すと、大きくため息をついて目を瞑る。いくら自分にとって大切な存在である孤児院の子供たちが危険な目に合わされたとはいえ、それを理由に戦場で冷静さを失い、部下を危険にさらしていい理由にはなり得ない。それをわかっていたからこそ、自分のふがいなさをかみしめるために、目を瞑った。すると瞼の上に温かい何かと、少しの重みを感じる。眼が開けられない。何かで覆われているのか、払いのけようと動かせるほうの手でつかんだ時、それが何かを理解した。
「アイリーン、これは……」
「今はゆっくり休んでください。部下たちも何とか無事でしたし、彼らも戦場がこういう物だとはわかっているはずです。……次、こんなことが起こらないよう、今のうちにゆっくり心と身体を休めてください」
アイリーンの手を払いのけようとした左手を、ゼロスは何もせずに下ろした。そして、彼女の手から伝わる温かさに身をゆだねた。五分もしないうちに、彼は寝息を立てていた。アイリーンは少しだけ名残惜しそうにしていたが、ゼロスの瞼に重ねていた手をどけた。隣のテントではダリア城攻略の会議が行われている。三番隊の隊長として参加せねばならない。テントを出る間際、一度振り返ってゼロスが寝ていることを見届けると、隣のテントへと急いだ。
騎士団陣地、会議用テント内。
「斥候によれば、城内に敵将の姿はないらしい。一応領主はガルディアのようなんだが、彼はずっと王都にとどまっている。そこから早馬を出して、部下に命令を届けているみたいだ。斥候達にはその連絡用の道路を占領するように命令しておいた。そのうち、奴らのやり取りの内容が分かるようになる。攻城に移るのはそれからでもいいんじゃないかな」
「……今の俺たちは戦力が欠けている状態だ。慎重に慎重を重ねて動く。今のところはノクスの案で行こう」
大まかな方針が決まったころ、けが人の手当てに専念していたアイリーンが遅れてテントの入り口をくぐる。
「ごめんなさい、遅れました」
「いや、構わない。そこまで細かい話はしてなかったからな。今はとりあえず相手の様子を見ようということで決まったところだ」
「……いいんですか?帝国の大臣たちは気が短いのでは?」
「一応、意見書は出してみたんだけど、どんな返事が返ってくるかはまだわからないんだよね」
ノクスが肩をすくめながらそう言う。彼はあまり帝国大臣たちが好きではないようだ。これらの行いを考えれば当然ともいえるが。
「物事には万が一ということもある。様子見が却下されたときのために、ダリアをどう攻めるかも今のうちに考えていた方がいい」
オルコスの言葉で、会議の緊張感は一気に引き戻される。皆、机の上に広げられていた地図に目を向けた。すでにこちらの陣地の大まかな範囲が書き込まれている。ここからダリア城まではおおよそ二日近くはかかる距離だろう。
「ダリア城に秀でた防衛機能は何もない。ただ、防衛を務める領主が実力者であることと、王都防衛壁城アトランティスに近いということが、ダリア平原を難攻不落たらしめていた。かつては国王親衛隊の常駐地でもあったのだが、今はそうではないようだ」
王国の事情に詳しいのか、ダリア城の大まかな情報をセリアが話す。彼女からの情報の通りだと、ダリア城内の戦力の少なさはそれほど嬉しい情報ではないようだ。オルコスも彼女の言葉に頷いて続ける。
「王国の将兵たちの間じゃあ、ちょっとした名誉みたいなもんだった。激戦地になるダリアへの駐屯を命じられるってことは、それだけ頼りにされてるってことだからな。……まあ、俺には縁がなかったが、エリシアは少しの間そこにいたことがあるんじゃなかったか?」
自分に話が振られると思っていなかったのか、「あら」とエリシアが小さく声をあげた。
「よくご存じで。……そうですわね、紅玉騎士団の時に一か月ほど。それからすぐにチューンに向かいましたから、それだけですわね。セリアも言っていた通り、あそこは王国の要地でありながら、守りは将兵の力に頼っている。アトランティスとの連携さえ阻止できれば、今の私たちでも十分勝機はあるかと。……問題は、アトランティスの方ですが」
アダマンテ大陸を南北に縦断する巨大な壁城、アトランティス。常に見張りの目があり、リバーニアまでを監視範囲としている。ダリア城は当然範囲内だ。多少距離はあるが、ダリア城の異変に感づかれて大量の援軍を送られる可能性がある。制圧のためにはダリア城に居座る必要があるが、その間王国の本隊とやり合わねばならないと考えるだけで気が引けていた。
「現在、王国がどれだけ戦力を蓄えているかは依然未知数。リチャード国王の葬儀と同時期に傭兵招集のお触れを出していたこともある。……正直な所、あまりこちらから打って出るというようなことはしたくないな。それに、打って出るとしても策はほぼ使えない」
ダリア城は平原にある。そのため森林や丘のように姿を隠せるものが全くない。少し近づくだけで、ダリア城内にもアトランティスにもすぐに気づかれるだろう。それから援軍が来ないうちにダリア城へとたどり着き、城内の敵を殲滅し援軍を迎え撃つ。やらねばならないことは比較的単純ではあるが、その難度は計り知れない。会議に参加していた皆は唸り声をあげるほかなかった。その中でノクスが苦し紛れに会議の進行を促す。
「……一番可能性がありそうな策は、分担することだ。城攻めを行う者と、援軍を退ける者。援軍をどうにか退けている間に、城を制圧し迎え撃つ用意を固める。ここからだとダリアまでに距離がありすぎる。向かっている間に、アトランティスからの監視にとらえられてしまうだろうね。そうなれば、ダリア城の兵とアトランティスからの兵に挟み撃ちにされて……勝ちの目は完璧になくなる」
「それはただの囮役じゃないか。そんなことをさせる訳には……」
「……他に良い策が思いつかないんだ。当然、俺が囮を引き受けるよ。言いだしたのは俺だ」
「待て。駄目だ。仲間にそんな危険な役目を押し付ける訳にはいかない。俺が……」
「それこそ駄目だ。団長がそんな危険な役目を負う必要はない。ここは元王国将の俺に任せてくれ」
仲間を危険にさらしたくない。その一心で皆は「自分が囮をやる」と言い出し、会議は宙に浮く。次第に熱も入り、声を荒らげる者も少なくなかった。そんな時。
「一体何の騒ぎだ?」
「……ゼロス、身体はもうなんともないのか?」
隣のテントで寝ていたはずのゼロスが起きて、入り口の柱に寄りかかりながら会議中のエリオット達を眺めていた。あまりの騒がしさについに我慢できなくなり、口をはさんだようだ。寝起きが悪かったせいか、眉間には皺が寄っている。
「まだ少し痛むが、おおよそ問題ない。それより何の騒ぎだ。隣のテントにまで聞こえてきて煩くてかなわん」
少しためらっていたが、エリオットはこの場で話し合われたことをすべてゼロスへと伝えた。その後ゼロスは、エリオットが躊躇った原因となる言葉を口にする。
「……囮は俺に任せろ」
エリオットが事情を話すのをためらった理由はこれだ。彼自身の圧倒的な力と、それに付随する自信。そして、やり方はあまりうまくないとはいえ、仲間を気遣う心をも持ち合わせている。そんな男に「誰が囮になるかで揉めていた」と話せば、どうなるかは目に見えていた。
「無茶だ。怪我だってまだ治ってない。それに、奴らがどれだけ兵をよこすのかもわからないんだ」
「だからこそ、俺を囮にしろ。生半可な敵じゃ、俺に傷の一つでもつけられん。不測の事態に対処するのなら、何よりも大事なのは力。そうだろう?」
「……しかし」
「なら、俺も一緒に行く。もとより囮は一人って決まってるわけじゃねえしな」
オルコスが、そう声をあげた。それに続き、セリアとエリシアも声をあげる。
「元王国の将が相手となれば、彼らも多少は戦い辛いはず、その隙をつけばよいだろう」
「もとより私たちは拾われた身。危険な仕事でも、喜んで従いますわ。それが、拾ってもらったことへの恩返しというものではないかしら」
エリオットは頭を下げ、机に手をつく。しばらく考え込んでいたようで、机についていた手はいつの間にか握りこぶしに変わっていた。そして。
「ゼロス、オルコス、セリア、そしてエリシア。アトランティスより来る王国援軍を、退けてくれ」
彼らの返答は決まっていた。
「了解」
会議終了より五時間後、帝都から書簡が届けられた。内容はただ一言、「却下」とだけ書かれていた。様子見はするなということだ。戦争の勝利を前に急いているのだろうか。戦場に出る彼らにとっては、大臣共の焦りなどいかなる価値もないというのに、それに従わねばならないとは、帝国騎士というのは何とも不自由な存在である。書簡到着の翌日、午前八時。出立の用意を済ませた彼らは馬に乗り、団長の号令を待っていた。
「我らの目的は、ダリア城の制圧。さすれば、帝国の勝利はもはや目前!……いざ、帝国の勝利のために!」
皆、意気をあげる。ダリア制圧の話が出た当初は、信じられないといった様子で項垂れていたが、すっかり切り替えていたようだ。城攻めに向かう部隊が北へ向かっていくのを見送ると、囮部隊の者達はわざと道を外れるように北東へと向かった。
リバーニアの北上、アトランティスの前方に広がるのは、荒れた土地だ。かつてアトランティスを築城する際に石や鉄などを手に入れるため、そこらの地面を適当に掘り返していたようだ。そのため、アトランティスの周辺は穴だらけの地形になっており、それがかえって兵が身をひそめる場所となっている。そこより少し西側が、ゼロスたちの目的地である、イダン村である。ダリア平原の南東端に位置した村で、アトランティスに一番近い村でもある。そのためイダン村は村というよりも、兵士の駐屯地としての意味合いが強い。住民などもほとんど住んでおらず、兵士以外は商人が出入りする程度のようだ。ゼロスたちはそこを戦場に選んだ。村というだけあり、土地は比較的平らで戦いやすい。その上、家屋などの身を潜められる場所や、食料類なども確保しやすく、援軍を迎え撃つためには絶好の場所であった。その分警備も厳しいだろうが、それすら突破できぬようでは囮の役目は務められない。先導するゼロスに対し、オルコスが口を開いた。
「……ゼロス。怪我の具合はどうだ」
「問題ない。アイリーンからの手厚い介抱もあったからな。そのうち完全に癒えるだろう」
怪我をした腕を振り、大事ないことをアピールする。しかしそれでも彼らが抱えている不安は解消されない。
「あまり無茶なことをされても困る。アイリーンからも『危ないことをしないよう見張っておいてほしい』と頼まれているからな。私たちの目が届く限り、力任せな行動は控えてもらう」
「……アイリーンの奴。そんなに俺が危なっかしく見えてるのか?」
「ええ。後から仲間になった私から見ても、ダリウスやクバルなんかは相当危ない橋を渡っていたのでは?あとから聞いた話では、オルコスとも限界ギリギリまでやり合ったそうですわね。……危なっかしいったらありませんわ」
ゼロスは何も言わず、ただ肩をすくめて納得いかないといった様子を見せた。しかし、そうしたところで他の三人が彼の監視を解くわけでもない。そのうち観念し、監視が付きまとうことに対する不満を言うことはなくなっていた。
リバーニアの郊外から出立して丸一日が過ぎた。途中幾度か休憩をはさみながら行軍を続け、ゼロスたちはようやく目的地であるイダン村を視界にとらえていた。村全体が柵で囲われているため、中の様子はわからない。入り口は大きな門となっており、複数の兵士が見張りに立っている。双眼鏡で村の様子を窺っていたオルコスは、一度村から目を離しゼロスたちの方へと振り向くと首を横に振った。警備が厳しく、気づかれずに近づくことすら難しい。
「駄目だ。常に四人以上の見張りがいる。交代の時も監視の目は途切れねえ。面倒な事を引き受けちまったか?」
「もとよりそれも承知の上、突撃以外あるまい」
オルコスの報告に、セリアは血気盛んな答えを返す。エリシアもそれに乗り気のようだったが、ゼロスは話し合いをよそに、村の周りを見渡していた。
「ゼロス、何を見てるんだ?あそこらへんは開けた土地、奇襲なんてできやしねえ」
彼らは現在、村近くの伐採所の木陰に姿を隠している。今日はもう仕事を終えているのか、木こりの姿はどこにもない。そのため比較的腰を落ち着けていられた。話しかけられたゼロスは何も言わず、ある一点を指さす。そこは先ほどオルコスが見ていた入り口であった。しかし、先ほどとは様子が違う。彼も「なんだありゃ」ともう一度双眼鏡を覗いた。そして。
「……あれは旅商人の一座だな。何を話しているかはわからねえが、中に入っていったな……。まさか」
「ああ。あれを利用しよう」
「おいおい、変装の道具なんてどこにもねえぞ。あいつらを襲うのか?」
「違う、そうじゃない。イダン村がどんな村か忘れたのか?」
ゼロスが何を言わんとしているか理解できずオルコスは頭をひねる。それに呆れたように一度ため息をつくと、エリシアが代わりに話し出した。
「イダン村は王国兵しか入れない村。ただし、見張りに許可を取ればその限りではないわ。だから、先ほどの旅商人たちも村の中に入っていった。……けれど許可証は発行していないから、いちいちその手続きをしなくてはならない。門の前で見張りと何か話していたのはそれが原因でしょう」
「……つまり、どういうことだ?」
「奴らが手続きをしている瞬間を狙う。兵士たちが戦いに慣れていようとも、商人たちはそうもいかない。驚いて逃げ回るだろう。兵士たちとしても、商人をみすみす見殺しにするわけには行くまい。足手まといをかばいながら戦うのは厳しいはずだ」
「……ゼロス、お前意外とワルだな。だが、この状況下でなら一番の上策だ。みんなも、それでいいな?」
最後まで作戦を理解していなかったオルコスが音頭を取ることに皆はいささか首をかしげていたが、三人はそろって頷いた。
先ほど入っていった商人たちが出て行ってからわずか四時間後。なぜか彼らはイダン村にとんぼ返りしてきた。理由は全くわからないが、これは好機だ。四人はすぐさま動き出し、彼らが向かっている入り口にゆっくりと近づいた。商人たちは先ほどと同じように兵士に話しかけているが、何やら様子が違う。いつの間にか手にしていた紙を広げて見せているのだ。すると、すぐさま村の入り口の門が開いていく。ゼロスが真っ先に駆けだし、三人がその後を追って飛び出した。
「ムッ!何奴!ここは通さんぞ!」
「どけぇ!」
怪我をしているのは嘘であるかのように、鋭く素早い一振り。槍を構えていた見張りの兵士たちを一瞬でなぎ倒し、その余波で村を囲っていた壁の一部すら切り裂いていた。当然、村内にいた兵士たちがすぐに駆け付ける。わらわらと集まった兵士たちはおよそ王国本隊の五分の一に相当する数である。ゼロスは静かに剣を構えなおし、他の三人は集まった兵士たちへの感想を抱いていた。
「滅多にねえぞ、これだけの奴らとやり合うってのはな。囮役も存外悪くはねえ」
「……数だけだ。名のある将の姿がどこにも見えない。時間の無駄じゃないか?」
「いいえ、何事も一度は勉強しておくべきでしてよ、セリア。……『雑魚の効率的な散らし方』は、これからもそれなりに入用でしょうから」
「……おしゃべりはここまでだ。来るぞ」
兵士たちがそれぞれの武器を抜き、ゼロスたちを睨みつけている。先ほどの商人はすでに姿を消していたが、あれはどうでもいい。そして、一人が踏み出した。……ゼロスの一振りが、その者を躯へと変える。そこからはただの蹂躙だった。ゼロスが剣を振るうたびに肉が舞い、血が降り注ぐ。兵士たちは次第にそれに恐怖を覚えるが、ゼロス以外の三人も彼に劣らぬほどの実力者である。その上、名も顔も知っているとあれば、武器を握る手が震えるのも致し方のないことであった。
「オルコス将軍!なぜ我らに敵意を向けるのです!我らは同胞、ともに王国に忠誠を誓った身ではありませんか!?」
「俺は帝国に命を救われ、奴らの捕虜と化した。もはやかつての将軍としての栄光など俺にはない。その名で呼ぶな。……構えろ。お前の目の前にいるのは、敵だ」
「……う、うおおおおお!」
「……『鋼技・涙雨』!」
人の急所だけを狙って鉄の槍で貫く。身体に四つほどの穴をあけ、オルコスに向かった兵士は地面へと倒れた。返り血を浴びた彼は小さくため息をつくと全身を「鋼化」させていく。
「かつての同胞たちよ。……我らはもはや相容れぬ。戦場とはそういう物だ。……『鋼化・鉄鬼羅刹』。逃げたくば逃げろ。追いはしない」
目にもとまらぬ速さで振り下ろされる手刀。それは空気をも裂く斬撃となり、彼らに襲い掛かる。立ち向かう者がいたとしても、命ごと抵抗の意思を折っていく。もはやすべてを斬り裂けると見紛うほどの斬撃を二、三度繰り出した時にはすでにオルコスに立ち向かう兵士の姿はなくなっていた。血に染まった地面を見つめた彼は「鋼化」を解き、かつての同胞の亡骸へと歩み寄る。そして、一瞥だけを送ると逃げるようにその場から離れて行った。
彼とは違う場所では、セリアがある一人の兵士に詰められていた。
「一時はクバルなんぞに憧れ、随分と粗暴な態度で周りを困らせていましたが、今や帝国の先鋒になり果てましたか。……やはり、神はいる。こんなところで知ることになるとは思いもしませんでしたがね。今のあなたが何をしているかに興味はありませんが、私たちはあなたが立っていた場所を追い越しました。『王国正規兵』として、イダン村を守るよう新たな国王から仰せつかっているのです。王都より遠く離れた辺鄙な岩場を守ることに躍起になっていたあなたとは、圧倒的にレベルが異なっているのですよ。……あなたでは私たちの足元にも遠く及ばない。今までのように『クバル隊長に言いつけて』みてはいかかですかな?」
「アダール。『つまらない戯言を話す癖を直せ』と言ったはずだが、まだ直していないのか。……その長話は致命傷になると、何度も伝えたはずだがな」
「……面白い。私に負けた暁には王都で道化でもやってもらいましょうか。あなたにはそちらの方が似合ッ!」
にやにやと汚らしい笑みを浮かべていたアダールの身体を、背後から鋭い木の根っこが貫いた。根はすぐに彼の全身を覆っていく。
「どこかの国の言葉だ。……『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』。お前は愚者だ。……死をもってようやく学ぶとは、愚かにもほどがある」
アダールは何か叫んでいるが、全身を覆われた状態で何を叫ぼうとも音がくぐもっているため良く聞こえない。彼を覆っている根はゆらゆらと動き、少しずつ地面へと埋まっていく。根っことして本来あるべきところに戻ろうとしているだけだ。……彼女の周りには根っこで作られた繭がいくつも揺らめいていた。それらは次第に地面へと消え、セリアの周りには兵士の死体すら残らなかった。彼女は小さくため息をつくと、その場を後にした。
「エリシア。どうか心を強く持つんだ。帝国の者どもに心細さを付け込まれ、催眠魔法で操られているのだろう。けど、あの魔法は心さえ強く保つことができれば、すぐにでも振り払える魔法だ。どうか、この私の……。『許嫁』であるこのジョルベンの声を聞いて、かつてのあなたを取り戻して……」
「目を覚ますのはあなたですわ。三分も持たずに私に氷漬けにされたくせに、許嫁を名乗るなど笑止千万。未だうだつの上がらぬただの兵卒である男と、武家の名門スノーベル家の婚姻など不釣り合いにもほどがあります。……もう一度言いますわ、目を覚ますのはあなたの方です」
エリシアは氷のごとき冷たさと鋭さで、目の前に立つ男を睨みつける。ジョルベンは一度エリシアの婿候補になったこともあり、家柄としてはそこまで悪くはないのだが、問題は本人の実力であった。話にならぬほど弱い。炎魔法を扱えるのだが、鍛錬を怠っているせいか生半可な威力の物しか扱えない。彼は「私には才能があるのだから、努力の必要はない」と嘯いていたが、その生ぬるい考えをエリシアに凍り付かされてたはずだ。だというのに、彼は大勢の部下らしき兵士を引き連れ、まるでそれが自分の実力であるとでも言うように胸を張っている。
「操られているというのに変わらないな、あなたの冷たい物言いは。……けれど、今回ばかりは諦められない。目の前で誰かが苦しんでいるというのに、それを無視してはエリシアの許嫁として不適格だ。……操られている者の精神を取り戻す方法として確実なのは、一度意識を失わせること。心は痛むが、これはエリシアのためだ。話せばきっと君もわかってくれる。……さあ、私に付き従う者達よ。エリシアの意識を取り戻してあげるんだ!」
それを号令として、彼の背後にずらりと並んでいた者達が一斉にエリシアへと向かう。彼女は何も言わずただ右手を少しだけ前に出した。そして、中指と親指を使って音を鳴らす。その瞬間、冷気が彼らを包み込んで氷像に変えてしまう。彼女がもう一度指を鳴らすと、それを合図に氷像たちはその場で砕けていった。……まさに一瞬。ジョルベンが引き連れていた兵士たちは砕けた氷と化し、少しずつ溶けて地面へとしみ込んでいく。当のジョルベンは彼女が放つ冷気に当てられたのか、すっかり顔が青ざめている。
「頭は冷えました?ジョルベン。この程度で震えあがるあなたが私の許嫁だなんて、片腹痛いですわ。……それに、私は操られてなどいません。あなたの妄想癖には困ったものです」
「そ、そんな……。では、自分の意思で私に歯向かっていると。あなたはそう言いたいのですか!?」
全く信じられないといった様子でジョルダンが叫ぶが、彼女は努めて冷静に返した。
「もちろん。私が操られたことなど一度もありませんし、これからもありませんわ」
エリシアははっきりとそう言った。しかし、ジョルダンはまだそれを信じられないのか、「嘘だ、嘘だ」とブツブツ繰り返している。それを哀れに思ったエリシアは彼に向かって手をかざした。
「ま、待っ……」
彼が許しを請う前に、一つの矮小な氷像が出来上がった。……今日は良く晴れている。彼女はその氷像がどうなるかを確かめもせず、足早にそこから去っていった。
ゼロスは東門に背を向け、彼へと立ち向かう兵士たちと切り結んでいた。あまりの兵士の多さにとっさに分担を選び、ゼロスは一息に置くまで切り込んでいたのだ。ゼロスが剣を振るうと、周りの民家に血しぶきがこびりつく。兵士たちは立ち向かうことよりもすぐにアトランティスまで駆け込み、救援を呼びたかったのだが東門は彼が抑えてしまっている。他にもあと三つ門はあるが、それぞれオルコスたちが抑えてしまっているのではないかと彼らは考えていた。そのため、彼らはかつての上司と戦うことよりも、『嵐』のそばを切り抜けることを選んでいた。『前門の虎後門の狼』とは、まさにこのことである。
「……次はどうした?もう終わりか?お前らはこの程度か?」
ゼロスは挑発の手を緩めない。……戦士の中には自らの実力を軽んじられることこそが一番の屈辱だと思っている者も少なからずいる。彼らはゼロスの挑発にまんまとつられ、蛮勇の咎を身をもって知ることになるのだ。さらに、目の前で無数の躯が積み上げられていれば、その原因に近づこうとするものは次第に少なくなっていく。……今この場はゼロスによって支配されているといっても過言ではない。
「手が震えているぞ。王国の兵士ともあろうお前たちが、たった一人の男を前におびえているのか?王国も落ちぶれて当然だな。……リチャードも失望の最中で死んでいったことだろう。自らの剣がすべてなまくらなのだからな」
ついにゼロスの挑発に異を唱えるものはいなくなった。自ら、または王国が侮辱されていることよりも彼に立ち向かうことの方が耐えられないのだ。かろうじて剣や槍を構えてはいるが、寒さに耐えているかのごとく震え、目も恐怖で濁りきっている。今の彼らにはゼロスが巨大な悪魔にでも見えているのだろうか。
「……リハビリはもう十分だろう。無茶もするなと言われているし、いい加減終わりにする時だ。……『テンペスター』!」
ゼロスはその場から大きく飛び上がると、持っていた剣を思いきり彼らに向けて投げつけた。石畳を粉々に打ち砕くほどの衝撃波を生み、剣は地面へと突き刺さる。しかし、まだ終わりではない。剣が突き刺さった場所に飛び上がっていたゼロスが着地し、剣を抜く。そして力の限りその場で剣を振り回し、渦を作り上げる。剣が突き刺さったときに生まれていた衝撃波は渦に巻き込まれ、力の奔流を生み出す。それは天まで届く巨大な嵐となる。その嵐がやんだ後、その場にはすべてを赤に染め上げるほどの紅の雨が降り注いだ。
村にいた兵士たちをすべて片付けたゼロスたちは、村中央にある周りより少し大きい建物を目印として集まっていた。兵士の駐屯地というだけあり、中央の建物は司令塔のような役割を担っていたらしい。そのため、兵士たちが普段使っているであろう剣や鎧を手入れするための道具や食料などがしまい込まれていた。先のその場に到着していたオルコス達はゼロスの到着を待っている。彼らはその場でゼロスの激しい一撃を目の当たりにしていた。
「……派手にやるな」
「アイリーンの心配も当然だ。監視しておかねばなんでもやりかねんな」
「向こうもそろそろ片付くでしょうし、作戦会議の用意でもしておきましょう」
エリシアは一足先に建物へと入っていく。セリアはその後を追い、オルコスはゼロスを心配に思い、迎えに行った。彼の心配は杞憂には終わらず、嵐の中心地にいたゼロスは剣を支えにしてその場に立ち尽くしていた。顔からは血の気が引いており、その代わりとでも言うように脂汗がにじみ出ていた。
「……オルコスか。こっちは無事に片付いた。そっちはどうだ?」
「俺たちの心配はいい。……誰かにやられたか?」
「……前のデカブツだ。剣で受け止めた時、腕だけじゃなくて足もやっていたみたいでな。ひどく痛む」
「しょうがないな、俺が運んでやるよ。こっちはもう全部片付いてる。……行くぞ」
オルコスはゼロスに肩を貸し、歩き始める。申し訳なく思っているのかゼロスも何とか自分の足で歩こうとしているが、左足を一歩地面につける度、痛みに顔を歪ませる。それでも何とか一度も止まることなく、エリシア達がいる建物、「中央拠点」へとたどり着いた。玄関をくぐるとセリアが二人を出迎える。
「ゼロス、無事だっ……、いや、無事ではなさそうだな。すぐに手当てしよう。オルコス、そこに座らせてくれ」
「足の怪我がぶり返してるみたいだ。痛み止めはどこかにあったか?」
セリアはゼロスの足にゆっくりと手を伸ばし、慎重に触れる。
「……腫れている。だが、骨に問題はなさそうだ。ひとまず冷やして様子を見るべきだな」
三人がいつまでたっても部屋に入ってこないことが気になったのか、エリシアが顔を出す。セリアは「ちょうどいいタイミングだ」と目を光らせた。
「一体そこで何を……。あら、怪我でもしたのかしら?よかったら私の魔法で冷やして差し上げても良くてよ。まあ、じょうだ……」
「頼む。今ここに患部を冷やすための冷水や氷などはない。この部分を覆うように凍らせてくれ」
「……よろしいですか?ゼロスさん」
自分の冗談が真に受けられ、エリシアは少し戸惑いがちにゼロスの確認を求めた。ゼロスは黙ってうなずき、左脚を差し出す。セリアが本気で言っているということを理解したエリシアは「少々お待ちを」と言いながらゼロスの脚に手をかざす。すると、彼の脚がゆっくりと氷に覆われていく。
「今までこんな使い方をしたことなんてありませんから、調整には神経を使うものですわね。……はい、これでいかがでしょうか」
「助かった、エリシア。礼を言う」
ゼロスの顔に浮かんでいた苦痛の表情はいくらか和らいでいるように見えた。オルコスがまた担ぎ上げると、会議室へと運んでいく。ここがもともと兵士の駐屯地であったためか、周辺地図などは苦も無く手に入った。それを机の上に広げて四人がそれを覗き込んだ。
「ちゃんとアトランティスまで地図に載ってるな。……こんな城作りやがって。今となっちゃあ邪魔でしかねえ」
「私たちがこんなことになるとはだれも予想していませんでしたから、仕方ないと言えば仕方ありませんわね。……先ほど少し上の望遠鏡で覗いてきたのですが、まだ兵隊の大きな動きは確認できませんでした。ですが、監視の目は常にあります。すでにこちらの動向は気づかれていると考えるべきですわね。彼らがこちらへ向けて出兵するのも時間の問題かしら」
「……では、『根』を張ってくるとしよう。足止め程度にはなるはずだ」
セリアはそう言って会議室を出て行った。残された三人は再び地図に目を向ける。
「全くもって歯がゆいことですが、今の私たちには王国が有している戦力がいかほどなのかちっともわかりません。もしかすると、大陸中の傭兵をかき集めているかも知れませんわね」
「そうなると、ここにどれだけの戦力が雪崩れ込んでくるのやら。俺たち四人でどうにかできるのか?」
「……どうにかならなかったときは死ぬだけだ。ここを墓場にしたくないなら、どうにかして踏ん張るしかないな」
「根性論か。あんまり好きじゃないが、四の五の言ってられんな」
「戻ったぞ。『根』を張ってきた。一部隊程度ならあれで片づけられる」
「助かりますわ、感謝します。……ひとまず、奴らがどう出てくるか。それを見ないことには対策も立てられませんわね」
エリシアが地図から顔をあげた。それに続くように皆も顔をあげる。ここでもう話し合えることはない。ゼロスがゆっくりと立ち上がった。
「ゼロス、どうした?」
「戦いの前の腹ごしらえと行こうか。余裕があるうちに食べておくべきだろう」
皆は何も言わず席から立ち上がった。言葉にはしていないがその行動自体が賛成の証である。
同刻、王都防衛壁城アトランティス内にて。
「異常事態を確認!イダン駐屯地にて戦闘が行われている模様!」
兵士の一人が望遠鏡に目を向けたまま大声をあげる。それを聞きつけた上司らしき兵士が駆け寄り、状況を聞き出す。
「攻めて来た奴らの姿は確認できたか?」
「いえ。とてつもない少人数のため、四人組の帝国騎士ということまでしか……」
「一人だけ確認できました!『嵐』です!『嵐』がイダン駐屯地にいます!」
別の兵士が望遠鏡を覗きながら言う。上司の目にはすでに小さくゼロスが起こした嵐が見えていた。彼は大きな声をあげる。
「今すぐ王都に報告せよ!『イダンに敵影あり』と。……『嵐』がいるのなら、我々だけで対応に向かったところで意味もない。クバル様かガルディア様に出陣を要請せねば」
「しかし、それでは遅すぎるのでは……。奴らがどう動くかわかりません。早急に対応するべきです」
「……『嵐』がいるとなれば、奴ら四人は烈風騎士団の面々であることは間違いない。その上、オルコス将軍やらセリア団長やら、もともと王国の兵であった者達もその騎士団に所属していると聞く。……我らだけでは勝てるまい。疾く文を出せ、あて先は王都だ」
「了解しま……」
「その必要はない」
王都への文を出すため、兵士の一人が走ろうとしたところ、何者かに呼び止められる。上司は声の方に振り返ると嬉しそうに「おお!」と声をあげた。
「リーデン殿!それに、フォーラ殿まで!なぜこちらに?王都で陛下の警護をなさっていたのでは?」
「……陛下のおそばにはクバル殿とアベル殿がいらっしゃる。わざわざ私がおそばにいる必要もない。私がすべきことは露払いのみよ。……して、話は聞かせてもらった。今すぐ出るぞ。指揮は私が取る。……フォーラ、先鋒を務めよ」
「了解いたしました。それでは、一足先に失礼しますよ」
前のリバーニア郊外の戦いでは満足に戦えなかったせいか、フォーラの気が逸っている。リーデンから命じられた途端、踵を返して部屋から出て行った。
「ともに行きたいものは私に続くと良い。半刻後、出立である」
リーデンはそう言い残して、フォーラの後を追うように部屋を出て行った。部屋に残った兵士は伝声管を手に取り、口を開く。
「緊急!緊急!イダン駐屯地において敵影あり。各員戦闘用意の上、アトランティス西門前に集うべし。繰り返す……」
アトランティス内はやにわに色めき立つ。リーデンの指定した半刻後、西門前にはイダンにいた兵士の約半数ほどが集った。
「フォーラ、先に行け。……すべて片付けてしまっても構わん」
「……せっかくこんなに集まってくれたのに、無駄になってしまいますよ?……まあ、俺としては知ったこっちゃないんですが。では、お先に。……行くぞ」
フォーラは選りすぐりの者を五人ほど伴って、アトランティスから出発した。その背中が見えなくなるまで見送った後、リーデンが号令を叫び本隊も動き出した。
腹ごしらえを終えたゼロスたちは交代で見張りに当たっていた。今はエリシアが見張りに立っている。
「……碌に休めないな」
「ああ。けど仕方ねえよ。あいつらがいつ動き出すかこっちからじゃ全然わからねえからな。どうしても気が張っちまう」
「……クバルかガルディアか。出てくるとしてどちらだろうか。あまり考えたくないが……」
見張り塔の下、会議室で話しているゼロスたち。彼らのもとについにあれがやってきた。
「敵襲!皆さん、警戒を!」
上からエリシアの声が降り注ぐ。ついにこの時が来てしまった。皆はすぐに戦いの準備を済ませ、中央拠点から外に出る。東門近くの櫓に上がり、敵が来るであろう方向を睨みつける。たった六人ほどの少数部隊がイダン村に近づいてきている。だが、門の前にはセリアが張っていた『根』がある。いともたやすく突破されるとは思えない。その予想の通り、彼らが『根』が張られている場所に踏み込んだ瞬間、地中に埋まっていた根が姿を現して彼らを襲っている。たった六人、この程度でいともたやすく片付くだろうと高をくくっていたが、ただ一人先頭にいた男が馬を乗り捨てゼロスたちへと跳躍していた。人には決してできるはずのないあまりの跳躍力に、ゼロスたちはそろって奴を目で追い天を仰いでいた。その男はちょうどゼロスたちの目の前に着地した。
「……お前らか。たった四人でイダンに攻めこんだっていう規格外な馬鹿どもは。……と思ったら『嵐』にセリア、エリシアに……オルコスと来た。そりゃ、お前らほどの実力者なら、ただの兵士共は相手にならねえな。けど、俺は違う。……俺は『影』に適合した、『シャーディア・センチュリオン』の副団長、フォーラ。……お前らの命運はここで尽きる」
左脚を大きく前に出し、深く腰を下ろした体勢を取っている。両手はまるで爪が生えた猛獣のように怪しく揺らめいている。彼らがにらみ合う中、オルコスが一歩前に出た。
「……フォーラ。王都を騒がせた連続強盗殺人事件の犯人。……俺が捕らえてやったはずだが、なぜここにいる」
事件の名を聞いた途端セリアとエリシアも思い出したのか、ぽっかりと口を開け、フォーラを見つめている。記憶の中にいる彼と今目の前にいる彼は結びついていないようだ。
「俺もあんたをよく覚えてるよ。……よくも捕まえてくれたなあ、オルコスさんよお。俺はあんたのせいで王都の地下牢に何年も閉じ込められてたんだ。その間、不味い飯を食って死にそうなほど働かされて汚い寝床で眠るしかなかった」
「自業自得だ。お前はあの時に七人もの命を奪った。……お前は二度と日の目を見られないはずだった。なぜここにいる?」
「簡単なことだ。新しい国王様が牢から出してくれた。……『痣』の実験台としてな!」
彼はそう言って自分が着ていたコートを脱ぎ捨てた。『影』に適合したと先ほど自分で言っていた通り、彼の顎から首にかけては黒い痣がついていた。
「この『痣』は碌なもんじゃねえ。死ぬか、それとも人じゃなくなるか。それとも人を超えた力を手に入れるか。……大抵は死ぬ。生き残ってもほとんど獣みたいなもんだ。だが、たった少しの確率で、『痣』に適合できる奴がいる。……それが俺だったのさ。だから陛下は俺の罪を許し、今はこうして軍団の副団長を務めるにまでなったんだ。……血が湧いてるぜ。『復讐を果たせ』ってな。俺を地獄に突き落とした奴を、今度は俺が地獄に送ってやる!」
構えを取っていたフォーラは一段大きく吠えた。その背後、はるか遠くから大地を踏みならす蹄の音が聞こえる。どうやらフォーラはただの先鋒で、本隊はこれからやってくるようだ。それに気づいたオルコスは三人に向かって言う。
「こいつは俺に任せてくれないか。こいつも、俺が相手じゃないと納得しないだろうしな」
「……わかった。どうせあいつらはほとんどが雑兵だろう。向こうは俺たちがやる。……二人もそれでいいな?」
セリア達はうなずいて返し、フォーラの横を通り過ぎて東門から外へと出て行った。村の中にはオルコスとフォーラの二人だけが残っている。
「襲わなくてよかったのか?」
「……何の話だ」
村の中で二人きりになると、オルコスが疑問を投げかける。それに対しフォーラは素直に返答した。
「さっきの三人だ。お前の横を通り過ぎた時、あいつらは無防備だった。……お前の目的は『イダン村を取り戻す』ことなんじゃないのか?」
「……アトランティスを出た時はそうだった。……だがな、お前の顔を見たら目的が変わった。お前を殺す。……村は本隊の奴らに任せる。……さあ、殺してやるよ」
彼らの前に姿を現してから、一度も構えを解くことのなかったフォーラがついに動き出した。その場から高く跳躍したかと思えば、急に彼の身体が光に包まれる。彼はその光をまとったまま、オルコスへと突撃した。
「フンッ!」
両腕を交差させ鋼鉄化し、防御の構えを取るオルコス。まるでそこが目印になっているかのように、フォーラはそこに拳を打ち付けた。……オルコスはフォーラの力を見くびっていた。何年か前にフォーラをとらえた時、彼は魔法を扱っていなかった。仮に彼が『痣』の影響で何らかの魔法を新たに身に着けていたとしても、それは大したものではない。……そう思っていた。だが、それは腕に走った激痛と共に間違っていると思い知らされる。
「脆い!」
鋼鉄化したオルコスの腕に亀裂が入る。彼はとっさにフォーラの身体を弾き飛ばして距離を取ったが、あのまま二度か三度拳を打ち込まれていれば腕が砕けていたかもしれない。規格外の力に彼は異様な雰囲気を感じ取る。正面を見ると、ついに彼の身体をまとっていた光が晴れた。現れたのは、黒い竜であった。全身を黒い鱗が覆い、背中にはたくましい両翼が生え、鱗に包まれた太い尾が苛立ちを表すように何度も地面を叩いている。顔の周りも鱗に覆われていたが、あの『痣』だけははっきりと見えていた。
「驚いたか?……驚くよなあ。なめてかかった相手がこんな魔法を隠していれば驚くのも無理はない。……それにしても、貴様の鋼はたいして硬くないな。もうすぐで砕けそうだったではないか」
思考すらも竜に変わってしまっているのか、鷹揚とした不遜な話し方をする。オルコスはそんなことよりも、目の前にいる幻想生物に意識を奪われていた。
「竜だと?……人が竜に変わる魔法がこの世に存在するというのか?」
「驚いているところ申し訳ないが……。この魔法は未完成だ。今はまだ『竜人』にしかなり得ぬ。しかしいずれ俺の魔力がさらに高まれば『真竜』へと至ることも難しいことではない。……その瞬間が訪れる時、貴様はすでにこの世にはいないが、残念に思うなよ。俺と今、相対した時点で貴様は死んでいるも同然なのだからな!」
竜人はその場で強く羽ばたき、砂埃を巻き上げる。そして地面を蹴りだしオルコスへと一気に距離を詰める。
「竜拳!」
ただのパンチではあるが、その威力は先ほど身体で受けた通りだ。真正面から受け止めるのは得策ではない。オルコスはフォーラをぎりぎりまでひきつけてから躱す。地面を転がって体勢を整えなおした彼のもとに、竜の脚が襲い掛かる。
「竜脚!」
空を切った蹴りは衝撃波すら生み出す。それにより少し押しのけられるが、風程度ではオルコスにダメージは与えられない。しかし、凄まじい威力であることは間違いなく、蹴りも決して喰らってはならないだろう。まだ拳を一撃受けたのみだというのに、オルコスはすでに追い詰められていた。
「……こんなところで本気を出すしかねえとはな!行くぞフォーラ!次は地下牢じゃねえ、墓の下だ!……『超鋼化・鬼人』!そして、『鋼刃連舞・黒鉄』!」
腕二本、それに加え背中に生やした鉄の腕四本の腕、計六本の腕がすべて鉄の刃へと変わり、一斉にフォーラへと襲い掛かる。黒い鱗の欠片が周囲に飛び散っている。
「うおおおおおっ!」
オルコスは攻撃の手を緩めない。今ここで全力を使い果たそうとも、目の前にいる男を止めねばならない。そう決意していたが、その思いごとフォーラに打ち砕かれる。
「いい加減鬱陶しいな。……『竜闘波』!」
「……クソッ!」
彼の全身から放たれた魔力が、オルコスの鉄の刃を粉々に砕く。超鋼化自体を砕くには至らなかったが、彼はすでに勝ちを確信していた。
「……それで全力なのだろう。もう十分戦ったのではないかね。幻想生物である竜を前に果敢に戦った、それを地獄で誇ればいい。……今死ね!」
フォーラの全身から先ほどとは比べ物にならないほどの魔力があふれ出す。そして一歩ずつゆっくりとオルコスのもとへと近づいていく。
「逃げても構わんぞ。背を向けた瞬間殺す」
「……来いよ。そんな鱗がボロボロの竜なんてみっともないったりゃありゃしねえ。それに、てめえの弱点はもうわかった。俺がお前を殺してやる」
オルコスも負けじと魔力をたぎらせ、フォーラを挑発する。彼は右の目じりがピクリと動いたようだが、何も言い返さなかった。しかし、その代わりのようにさらに魔力をたぎらせていく。ついに彼らは互いの拳が相手に届く距離にまで近づいた。フォーラは右の拳を握りしめ力をこめる。オルコスもまた右手を鉄の槍へと変え、機を窺っていた。双方が同時に振りかぶり、にらみ合う。
「死ねぃ!」
「おらぁ!」
フォーラが拳を突き出し、オルコスが槍を突き出す。とっさに作り上げた鉄の盾で拳を防ぐが、その程度の防御では防ぎきれないことは先ほどの竜拳ですでに分かっている。フォーラはオルコスの愚かな選択を嗤っていたが、吊り上がった口角はすぐに怒りで歪むことになる。……突如、フォーラの首元に激痛が走る。オルコスの『鋼刃連舞・黒鉄』を受けてもなお砕けない強固な鱗を身にまとっているはずだというのに、血が流れ出ている。思いがけない痛みに、鉄の盾を砕いたフォーラの手は、オルコスへと届くことはなく血が噴き出る箇所を震える手でなぞっていた。そして、血で濡れた手を信じられない目で見る。
「な、何故だ……。俺には竜鱗があるはず。貴様ごときの魔法で、傷つくわけが……」
血に濡れた両手を震わせ、フォーラは後ずさりする。貫かれた首元には『痣』に大きな穴が開いていた。
「……お前は、自分の竜化が不完全だと言っていたが、まさにその通りだった。首元という致命的な弱点を『痣』のせいで覆えなくなっていた。……調子に乗ったな」
「ク、クソ……。この俺が、竜の力を手に入れたこの俺がぁ!」
「お前は面倒だ。ここで片づける!……『鉄杭』!」
フォーラが立っている地面から無数の鉄杭が飛び出し、彼の動きを制限する。彼自身は自らが傷ついたという動揺の中動けずにいた。
「……『竜殺し』をするのなら、それ相応の得物が必要だな。……『竜殺剣・バルムンク』!」
右手を握りしめ、左手は右手を包むように合わせて魔力を込める。そして、その魔力が最高潮まで高まったとき、左手から剣を抜く。オルコス自身ですら見たことがないほどの輝きを放つ『バルムンク』は、その名にたがわぬ覇気をまとっていた。
「……!やめろ!それを俺に近づけるな!」
竜と化していたフォーラは、竜の本能すらも感じ取れるようになったのか、『バルムンク』がまとう覇気に圧倒され、普段の彼なら決してしないであろう命乞いを始める。だが、オルコスは止まらなかった。
「フォーラ!お前の負けだ!」
「やめろおおお!」
その瞬間、先ほどよりも圧倒的な『竜闘波』が放たれる。命の危機に際して、フォーラ自身の魔力がさらなる限界を超えてしまったのだろうか。鉄杭による拘束も打ち破っている。オルコスもあおりを受け少し後ずさる。その隙を盗み、フォーラは両翼を力強くはためかせ、天へと逃げた。
「フォーラ!お前、逃げる気か!」
「……俺はこんなところで死ぬ人間じゃない。お前を殺すまで、死ねるものか!……『竜炎』!」
上空からオルコス目掛けて黒炎を吐く。オルコスは横に飛びのいて躱し、砕かれた鉄杭を手に取り、投げつけた。燃え盛る炎を切り裂き、杭が飛んでいく。しかし、オルコスが狙った場所にはすでにフォーラの姿はなかった。彼は『竜炎』を目くらましにして、すでに遠くへ飛び去っていた。今はあの黒く大きな両翼が小さく見えるだけであった。
同刻、イダン村東方。村に迫る王国軍を迎え撃つため、ゼロスたち三人は村の外へと出ていた。馬が巻き上げる砂埃が次第に大きくなっていく。ゼロスはそれを黙って睨みつけていた。
「……予想通りと言うべきか、規格外の大軍だな。こんな小さな村一つのためにあれほどの兵士を動かすのは少し理にかなっていない気もするが」
「メンツの問題でしょう。敵を迎え撃つことが目的である壁城の目の前で敵が無事なら、壁城の意味がないじゃありませんか。……倒れた兵士の敵を討つため、取られた領地を取り戻すためという理由ももちろんあるはずです。ですが、あるいはそれよりも優先して、メンツを保つためにあれほど必死になっているかも知れませんわね」
大地を埋め尽くすほどの大軍を前に感嘆するセリアと、そんな彼らをどこか冷めたような眼で見るエリシア。国丸ごと一つが動いているといっても過言ではないほどの軍勢を前に、余裕のある会話を繰り広げている。どこか緊張感が欠けているような二人を前に、ゼロスは「集中しろ」とあきれたように小言を言った。王国からの軍勢はそんな彼らを踏み潰さんとばかりに勢いを増す。
「我らを迎え撃たんとするは蛮勇!その咎、身をもって贖うがいい!」
先陣を切っている兵士の一人が、そう声をあげた。まだ刃を振るってもいないというのに、すでに勝利を確信しているようだ。そんな甘えた者に戦場は容赦なく牙をむく。
「……雑兵どもが」
ゼロスが剣を振るう。地面と水平に振られた剣はあっという間に衝撃波を生み出し、彼らが乗っていた馬の大半を両断した。いきなりバランスを崩してしまい、兵士たちは地面に転げ落ちる。その隙にゼロスは天高く跳躍すると、彼らが集まっているところへ剣を思いきり投げつけた。特別な魔力をまとっているわけではない。ただ、全力で剣を投げつけているだけだ。ただそれだけでも、彼らにとっては脅威であることに変わりはない。『嵐』からの攻撃はすべて脅威とみなされているのだ。地面に突き刺さった剣がまたもや衝撃波を巻き起こす。ゼロスは突き刺さった剣を素早く抜き、周りにいた兵士たちを一太刀でバラバラにしていく。ようやく剣戟が収まったころ、嵐の中心にいたゼロスは、涼しい顔をしながらも血に塗れたままその場に立っていた。
「……これは、敵も恐れて当然だな」
「ええ。鬼神か何かと勘違いされても不思議ではないかと。あれだけ激しく動いて、まだ息が上がっていないなんて」
「セリア、エリシア。お前らも見てないで手伝え。それともオルコスの手伝いでもしに行くか?」
「それもいいですが、こちらにも人手は必要ですわよね。……こんなのはまだ序の口でしょうし」
エリシアの言うとおり、今ゼロスが相手をしたのは王国軍の先鋒隊だ。とはいえ烈風騎士団の五倍ほどの人数はいたのだが。ここから少し離れたところから、王国軍の本隊がゼロスたちを睨んでいる。奴らは先鋒隊が壊滅したのを確認したのか、ゆっくりと動き始めた。
「ここからが本番ということか」
「まずは私から行かせてもらおう。……『王樹の罰』!」
セリアが右手に込めた緑色の光を地面へと叩きつける。それは波紋のように広がっていき、何も起きることなく消えて行った。見る限りでは地面に罠を仕掛けたようだ。彼らからすれば『嵐』やかつての王国将などは自らよりも圧倒的に強者であることは百も承知である。しかし、リーデンという心強い指揮官と、類を見ないほどの大軍勢が彼らの感覚を鈍らせ、警戒という言葉を頭から抜け落ちさせていた。その結果、彼らは無残にも『王樹の領域』に無断に立ち入ってしまう。……当然、『王樹』から罰が下される。
「……今だ!貫け!」
セリアの号令と共に、地面から一斉に鋭く尖った木の根が飛び出す。兵士たちが抵抗する間もなく体を貫き、串刺しにしてしまう。……『王樹』への罪は、命で償うしかない。あたり一帯に血に塗れた墓標が出来上がり、後に続いていた兵死体はこの光景を見て足を止めている。すると、彼らの中か全く違う鎧をまとった男が馬に乗ったまま歩み出て来た。全身を黒い鎧に包み、左右に流れるように生えた角が特徴的な兜をかぶっている。彼は腰に差していた剣を抜くと、何も言わずに一閃を振るった。哀れな姿をさらしている彼らを貫いている木の根を一瞬ですべて刈り取り、彼らの死体を辱めから解き放った。
「……報告に聞いていた通りではあるが、よもやここまでとは。帝国軍もあまり侮れぬな」
「誰だお前は?」
「死にゆくものに名乗るべき名前などない。……『影の軍団長』とでも覚えていればいい。地獄に落ちればそれだけでも十分伝わるだろうな」
どこか浮世離れしたような話し方で、いまいち要領を得ない。はっきりしない態度にゼロスは腹を立てた。
「……『影の軍団長』って墓標に書くのか?馬鹿みたいだな」
「好きに言っていろ。私は人の遺言を邪魔する趣味を持っているわけではない。……選べ。今すぐここから失せるか、それともこの私に殺されるか」
ゼロスは黙って剣を構える。セリア達も、この男の人並み外れた魔力を感じとり、戦う構えを取った。
「それがお前たちの答えか。……いいだろう、存分に殺してくれるとしようか!」
鎧の男は剣を指揮棒のように、あるいは釣り竿のように振るっている。彼が思いきり剣を振り上げると、まるでそれに釣り上げられたように地面が隆起する。得体の知れない危険を感じたゼロスたちはすぐにその場を離れた。隆起した地面はまるで火山のように震え、今すぐにでも何かがあふれ出しそうになっている。そしてついに、隆起した地面のてっぺんが破れ、あふれ出しそうになっていた何かが姿を現した。それは『影』だった。あふれ出した途端に周囲を呑み込みだし、明るかった空すらいつの間にか暗くなっていた。それはゼロスたちの足元も黒く染め上げていたが、彼ら自身には大した影響を与えない。彼らからしてみれば、「いきなり周りが暗くなってきた」程度のことである。まるで浅瀬に足を取られているような、微妙な動きづらさ。それ以外に感じることなどない。しかし、本番はここからだった。目の前にいたはずの鎧の男はいつの間にか姿を消していた。奴の姿を探さなければと一歩踏み出した途端、ゼロスは強烈な違和感を感じた。足音が自分の物しかない。振り返ると誰の姿もなかった。それどころか、先ほどまで自分が見ていた景色すらどこにもない。ただ真っ暗な中、ゼロスが一人で立っているだけだ。
「……どういうことだ。何がどうなってる……」
一体何が起こっているのか、それを理解するためにもゼロスはセリア達を探すために歩き始めた。イダン村の周りは草原だったはずだが、足に感じるのは水のような感触のみであった。自分だけが別の空間に存在しているような、疎外感がひしひしと感じられる。ゼロスは目に魔力を込める。『身体強化魔法』の範囲は目にも及ぶ。目を強化すれば暗闇でも普段と変わらぬほどに見ることができるようになる、はずだった。しかしいくら魔力を込めようと目に映るのは無限に広がり続ける闇だけだ。ゼロスに焦りが見え始めた。何もない暗闇の中で何をどうすればここから出られるのか。きっかけらしきものが全くもって存在していない。もしや、死ぬまでこのままなのではないかと、額に冷や汗が滲み始める。その時、ゼロスの頭上から声が響き始めた。
「気分はいかがかな?『嵐』よ」
その声の主は先ほどまで相対していた黒い鎧の男だった。姿はどこにも見えないが、声だけは聞こえてきている。
「最悪の気分だ。さっさとここから出せ」
「……ここは影の奥底。ここに来るのは私に歯向かった愚か者だけだ。そしてその者は、死ぬまでの時をこの場で過ごすことになる。残念だったな、ここから出る方法はない。この私に歯向かったことを悔やみ、ここで飢えて死んでいくがいい。……フフフ、ハハハハハ!」
笑い声が闇にこだませず消えていく。それきり、ゼロスがいくら問いかけても彼から何か言葉が返ってくることはなかった。ゼロスは「出口はない」という言葉を信じず、また歩き始める。セリアやエリシアはどうなったのだろうか。フォーラを相手にしたオルコスは無事だろうか。先のない暗闇を歩いているうち、心には次第に不安が立ち込める。ダリアに向かったエリオット達のことも心配でしょうがない。次第に足取りが重くなっていく。浅瀬に立っていたはずだが、いつの間にか水が満ち始めていたようで、ひざ下のあたりまで水に浸っている。
「仲間のことが気になるのか?」
いきなり、あの男の声が聞こえて来た。ゼロスは苛立ちを含んだ声で返す。
「当たり前だ。俺をこんなところに閉じ込める卑怯者が何をしでかすかわかったものじゃないからな」
「ずいぶんと手厳しい。……だが、安心しろ。お前の仲間はすでに皆処分した。……このようにな」
彼がそう言った途端、虚空から何かがゼロスの前に落ちてくる。水面に落ち、しぶきと音をあげる。ゼロスは手探りで拾い上げる。表面は柔らかく、しかし弾力のようなものも感じられる。何かで切られたのか、綺麗な切断面がある。そして、それの先端には手と指があった。
「それが何かわかるか?セリアの右腕だ。かなり手ごわかったが、何とか片付いたのでな。記念に貴様にくれてやるとする。……そうだ、他の者もくれてやろう。仲間が大事ならありがたく受け取るがいい」
彼がそう言うと、無数の何かが次々に水の中へと落ちていく。ゼロスはそれらを何とか拾い上げてはそれが仲間の一部であるということに打ちひしがれていた。自分がこんなところでうろうろしている間に、仲間が殺されてしまった。ゼロスはそう考えてしまった。まるでそれを感じ取っているかのように、足元に浸っていた水はどんどんと増えていく。いつの間にか下半身すべてが水に浸かるどころか、胸の少し下あたりまで水が押し寄せていた。……無駄な時をさまよって過ごした後悔が募っていく中、ゼロスはあることに気づく。彼が握りしめているのはセリアの右腕のはず。切断面もあることから、血が流れ出ているのは確実。しかし、血の匂いがしないのだ。それに、殺されたばかりならばまだ体温というのは残っているはずだが、それすら感じられず自身の熱を奪っていくような冷たさしか感じられない。……何かがおかしい。ゼロスは目ではなく鼻に魔力を集中させた。一部の動物においては、嗅覚で手に入れられる情報量は資格や聴覚をはるかにしのぐとも言われる。嗅覚は目が使えない中で情報を手に入れるためには必要不可欠となる感覚であると言えよう。……鼻に魔力が集中すると、今まで何もなかった闇の空間に、一筋の空気の流れができたように感じられる。どこかから漂ってくる匂いは、死と血をまとっていた。ゼロスにとっては嗅ぎなれた匂いではあるが、彼はその中に古臭さを感じていた。しかし、今はそんなことはどうでもいい。何もなかった空間に初めて生まれた何かしらの手がかりだ。絶対に無駄にするわけにはいかない。ゼロスは急いでその匂いをたどり始めた。……胸元まで浸すほどに満ちていた水はどこかに流れて行ったのか、もはや足を奪うほどの水量もない。匂いは次第に強くなっていく。そしてついに、においの出所へとたどり着いた。まるで隙間風のように、ゼロスの目の前から匂いが流れ込んできている。手で触れようとしても何もないため、背中に背負っていた剣に手を伸ばした。匂いが流れ込んでくる隙間をなぞるように剣を振り下ろす。何が起きるのかさっぱりわからないが、今のゼロスに考えている余裕はなかった。隙間が切り裂かれ、真っ暗な影の世界に、無数の白いひびが走っていく。そして、脆くなったガラスのように、影の奥底は崩壊した。
同刻、イダン村東方。ゼロスが影の奥底にとらわれた時。残されたセリアとエリシアは、迫りくる王国軍の本隊と戦っていた。
「……『王樹の憤怒』!」
地中から現れたいくつもの巨大な根が地面を鞭のように荒々しく叩き、王国兵を何人も叩き潰している。
「ずいぶんと派手ですこと。……私も、少し本気でいかせてもらおうかしら。……『氷獄』!」
彼女から発された凍気は瞬く間に広がっていき、彼女に歯向かおうとした者すべてを氷像へと変えた。黒い鎧の男はそれをただ彼の目の前にある黒い球体を見守るばかりで、部下が手ひどくやられているというのに、少しも動こうとしない。兵士の中でも不信感が募り始めているのか、二割ほど戦力を失った時、兵士の一人が鎧の男へと詰め寄っていた。
「リーデン殿!一体何をなさっているのです!我らの同胞が無残に散る中、そんなものを見ていて何になるのです。お暇なら奴らの足止めをするなり……」
「……情けない。女二人にいいようにやられて、私に泣きつくとは。それでも栄えある王国の勇士なのか?『実験台』になりたくなければ、お前たちの力でどうにかしてみせるのだな。……そもそも私は指揮官だ。戦うためにここに来たのではない。……疾く戦え。これは指揮官の命なるぞ。歯向かうなら、叛意ありとみなす」
「あなたは、一体何の目的でここに」
「……『燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや』。お前ごときが理解する必要はない」
王国軍の動きが止まっている。少し離れたところにいるセリア達は何が起きているのか把握しきれず、戸惑いの声をあげていた。
「どうしたことだ。動きが止まった」
「……私たちにおびえて向かってこれなくなった。というのは少々自惚れすぎかしら。……ですがそれよりも、ゼロスさんをどうやって助け出すかを考えましょうか」
先ほど、地面から影があふれ出した時。流れ出た影は三人の中で先頭に立っていたゼロスを包み込んだのだ。リーデンはそれを自らの前にまで引き寄せて、ずっとそれを眺めている。ゼロスが今どうなっているのか、二人にはわからない。
「……あの鎧の男をどうにかするしかなさそうだが」
「先ほどの魔法を見るに、相当の手練れでしょうね。私たち二人だけでどうにかなる相手かしら。……もしかすると、『痣』の移植手術を受けた者かもしれません」
「しかし、傍観しているわけにも行かん。幸いというべきか、あの大軍はほぼすべてが雑兵の集まりで、取るに足らない。……私が目を引く。その間にどうにかしてあいつの動きを止めてくれ」
エリシアが了解を口にする前にセリアは駆け出していた。左脚をブレーキにしながら地面を滑り、爪を地面に突き立てて抉っていく。抉られた跡からは次々と蔓が生え、意思を持って揺らめいている。蔓は際限なく伸び続け、足を止めていた王国兵士たちへと向かっていく。
「な、なんだこれは!斬り払え!近寄らせるな!」
リーデンと話していた兵士が、剣を振り上げる。頭上で揺らめいている蔓は、まるで彼らを狙っているかのようだ。蔓たちは一度仲間が切られるとまるで感情を持っているかのように怒り狂い、動きを早く荒々しくしていく。そしてついに、兵士の一人が蔓に首をからめとられてしまった。両手の爪を蔓に食い込ませどうにか引きちぎろうとしているが、剣でようやく叩き切れる程度の硬さの蔓を素手でちぎるのは無理というものだ。宙につられた兵士は足をばたつかせて必死に抵抗していたが、次第に動きがゆっくりになっていく。ついにはだらりと両腕を投げ出し、ピクリとも動かなくなってしまっていた。蔓はしなりを効かせて締め上げていた兵士を遠くに放り投げると、次の得物を狙ってまた彼らの頭上でゆらゆらとし始めた。
「リーデン殿!お助けください!このままでは、我々王国軍が壊滅してしまいます!」
「……ええい、軟弱者どもめ。女一人にいいようにされおって。その上助けを呼ぶとは、いったいどれほど恥を重ねれば気が済むのだ。……まあよい。いい加減奴らに調子づかせるのも飽きてきたところだ。私も少しばかり、手助けしてやらねばな。……『覇影剣』!」
リーデンが腰に下げていた剣を抜き、水平に振りぬく。三日月形の斬撃となって放たれた巨大な一撃は、空を覆うほどに生え茂り揺らめいていた蔓たちを一掃した。斬られた蔓は液体のようなものをまき散らしながらあたりに崩れ落ちていく。根本はまだ生きているのか動きを止めていなかったが、首を巻き取れたりするほどの長さはない。脅威ではなくなってしまった。
「全軍進め!自らの恥は自らで雪ぐが戦士の矜持である!」
リーデンが前方に向けて、手をかざす。ようやく指揮官らしい動きを始めてくれたリーデンに兵士の皆は安堵し、蔦の残骸の隙間を縫って進軍を始めた。セリアはその残骸に身を潜め、リーデンとエリシアがどう動くかを窺っている。エリシアもまた散らばった残骸の陰に身をひそめながら確実にリーデンのもとへと進んでいた。ゼロスがあの黒い球体内部にとらわれてからそろそろ一時間近くが経つのではないだろうか。あの中で何が起こっているかわからない以上、早く助けなければならない。自然と気が逸る。彼は少し高い丘の上に立ち、こちらを見下ろしているように見える。実際はあの黒い球体にかかりきりのはずだが、不意にエリシアの方へ視線を向けてくるかもしれない。……あと少しという所で、完全に足が止まってしまう。ここから先、視界を遮れるものはない。あの男と正面切って戦う必要が出てきてしまう。彼の実力がいかほどの物なのかエリシアはまだ知らないため、いつものように飛び出すことはできない。しかし、だからと言っていつまでも傍観を決め込んでいるわけにも行かない。いつもは、余裕にあふれ敵に冷ややかな笑顔を見せつける彼女であっても、今だけは焦りがにじみ出ていた。意を決して一歩踏み出した時、丘の上に立っていた男が彼女が踏み出した足を見咎めた。
「何者だ!……そこにいるのは分かっている。姿を現すつもりがないのなら、こちらから暴いてくれようぞ」
リーデンは緩慢な動作で剣を振り上げる。その動きにすら威圧感が現れていた。先ほどの一撃を見るに、暴きだすという彼の言葉に嘘はない。エリシアは平静を装い、彼に姿を見せた。
「……エリシア・スノーベル。王国領アルカニ港を統治していた名家、スノーベルの嫡子にして出来損ない。敗北を喫した後どこぞで野垂れ死んでいるのかと思っていたが、よもや帝国に寝返るとはな。……恥知らずめ、先代たちが墓で泣いておろう」
「私のことを、よく知っているようですわね。気味が悪いことこの上ありませんわ。……あなたは誰です?」
「……リーデン。貴様は知らぬだろうが、私もアルカニの出だ。……私はお前の悪事を知っている」
「私の過去に恥ずべき点はありません。ふざけた言いがかりはおやめになった方が身のためでしてよ」
これ以上の問答は不必要だ。そうとばかりにエリシアは体中から冷気を漂わせる。彼女の意を汲んだのか、リーデンも振り上げた剣を構えなおし、エリシアの出方を窺っている。双方ともに、じりじりと距離を詰め間合いを図る。そのせいか、黒い球体に浮かびあがった異変に誰も気づくことはなかった。
「……ここは、どこだ?」
影の奥底がひび割れた先、見覚えのある平原に、荒れた土地。彼の背後では黒い鎧の男とエリシアがにらみ合っていた。男は異変に気付き振り返ると、精いっぱい取り繕っていたであろう平静が崩れ始める。
「……馬鹿な!『影の奥底』に閉じ込められて生きて出られる者などいるはずもない!貴様!何者だ!」
「……『氷縛』!」
「ぬうっ!?」
リーデンがゼロスに詰め寄っている隙に、エリシアが彼の身体を氷に閉じ込め動きを封じる。そして、その男の先にいるゼロスに声をかけた。
「ゼロスさん、怪我は?」
「なんともない。何が起きているのかは全くわかっていないがな」
「それは今からこの男に聞くとしましょう」
彼女は手のひらで小さな氷のナイフを作り上げると、リーデンの兜を脱がせて顎下にあてがった。やはりというべきか、彼の右顎から首筋にかけて、あの『痣』がついていた。
「さて、私には情報が必要ですのよ。捕虜は捕虜らしく、私たちの言いなりになさい。……返事は?」
リーデンは目を瞑り、口を真一文字に結ぶ。口では何も言わずとも、その態度だけで彼が何を表しているのかはよく分かった。だからこそエリシアは容赦なく彼を追い詰める。
「……あなたは先ほど、私を知っていると言っていましたわね。……私が貴族の家の出だからと言って拷問の仕方を知らないとでも?」
彼女はナイフの刃を彼の額に軽く押し当てる。そして、ゆっくりと横に滑らせ始めながら話す。
「負傷というのは戦士にとっての名誉である。……ですが、これはどうでしょう。無防備な部分への、手加減された傷跡。これは、誇りになるのでしょうか。……このままでは二度と兜を脱げなくなってしまいますわよ。……『あなたの質問にはなんでも答える』と言えば、このナイフを止めて差し上げます。……さあ、もう肌が裂かれていくのを感じているのでは?このままでは朝起きて顔を洗うたびに自分自身が恥に苛まれることになりますわよ」
自分がまきこまれた事態の把握もままならぬまま、エリシアが目の前で拷問を開始した。彼は変わらず目を瞑って耐えてはいるが、額を薄く裂かれるというのは想像以上に苦痛を伴うものなのだろう。時折、眉間に少しだけ皺が寄っている。しかし、彼は口を開こうとしない。エリシアもその程度のことは想定済みだったようで、苛立つこともなくナイフの刃先を顎下にあてがった。
「……この『痣』、削り取って差し上げましょうか。あなたたちはどこかこの『痣』のことを自慢に思っているようですから。……何億という命を奪った一族の跡を継いでどうするというのです。代わりに罪を償うとでも言いたいのですか?」
「これは、誓いだ。……私たちは『シャーディン』のように弱者に敗北を喫することもなく、今度こそこの星のすべてをわが手中に収めることへのな。私たちは、『影の一族』を軽蔑しているのだよ。……『何と愚かで貧弱な一族だ』とな。私たちならば奴らのような失敗はしない。……此度はこれまでのようだ。イダンは貴様らにくれてやる」
「それはどういう……」
リーデンの発言の真意を確かめるため、エリシアが疑問を口にした瞬間、彼らの周りに何かが空から降り注いだ。撒きあがる土煙の中からいきなり火炎が噴き出る。ゼロスたちはとっさにそれを躱すが、リーデンのもとから離れてしまった。続けて氷が砕かれる音が聞こえる。
「逃がすか!」
ゼロスが素早く地面を踏み込み袈裟切りを放ったが、それは空振りに終わった。土煙を払い飛ばすように空へ舞いあがったのは黒い竜。顔は未だ人の形を保って入るものの、全身に生えた鱗と、背中から生えた両翼、さらに荒々しく揺れる尾はおよそ人の物ではない。竜人はその場で羽ばたき、ゼロスを見下ろしている。
「……次に会う時。それが貴様らの命日であるとよく覚えておくことだ」
竜人に抱えられたリーデンがそう言い捨てる。それを合図として竜人はゼロスたち目掛けて炎を吐き、彼らの追撃の手を遮った。炎をやり過ごした後には、遠くの空に小さく黒い竜の背中が見えるだけであった。
「……とりあえずは、何とかなったみたいだな」
イダン村、中央拠点。アトランティスからの軍を退けたゼロスたちは休息のためにここに集まっていた。左腕に包帯を巻いたオルコスがそう言いながら大きく息をつく。
「ああ。王国軍に関してはあまり心配もいらないだろう。……だが、問題はあの二人だ」
「フォーラにリーデン。……『痣』の力を手に入れていただけあってかなりの強さだ。もしあんな奴らが他にもいると考えると、それだけで面倒だな」
ゼロスは苦々しい表情を浮かべてため息をついた。……リーデン相手にいいようにやられてしまったからなのか、少しばかり苛立ちが感じ取れる。
「楽観的にはいられませんが、今はひとまず勝ったことを喜びましょうか。……『イダンは貴様らにくれてやる』とリーデンから負け惜しみも頂いたことですし、すぐには兵を連れて戻ってきたりはしないでしょう。……それよりも、問題は団長たちの方ですわ」
ダリア城の制圧に向かったエリオット達。無事に制圧が完了すれば、向こうが伝令兵を出すと言っていたが、まだその気配はない。
「うまくいっているのかいないのか。……俺たちにはさっぱりか。待つしかないっていうのは、嫌なものだな」
ゼロスは席から立ち上がりながらそう言う。セリアが「どこに行くんだ」と尋ねると彼は「訓練場」と答えて中央拠点から出ていった。
「この期に及んでまだ訓練か。どんだけ強くなれば気が済むんだか」
「……リーデンにいいようにやられたのが相当頭に来ているようだな。まあ、同じ立場なら私も同じことをするかもしれないがな」
「人を影の中に死ぬまで閉じ込める。単純かつ非常に効果的な魔法ですわね。かろうじて出られたからよかったものの、下手すればあの場でゼロスさんが死んでいたかもしれないと思うと、彼らの脅威は底知れぬものと再認識させられますわ」
そう言ってエリシアが立ち上がると、オルコスもセリアも立ち上がる。彼らが考えていることは同じだ。ゼロスの後を追って訓練場へと向かっていった。
一方、ダリア攻略に向かっていたエリオット達は。遠方よりその行軍をすでに見咎められ、ダリア城にいた兵士たちと交戦状態にあった。
「全軍進撃用意!目標、ダリア城!」
最前線を駆け回りながら、エリオットが剣を振り上げ声高く叫ぶ。
「ダリアを手に入れれば帝国の勝利はさらに確実なものになる!我ら帝国の勇士、今こそ奮い立つとき!」
騎士団の団員たちもエリオットに応えるように雄たけびを上げる。先の戦いのせいで万全の状態で戦えるものはそう多くはないが、その代わり仲間の分まで戦い抜くという気持ちが彼らの闘志を燃やす燃料になっていた。エリオットは乗っていた馬を躍らせるように軍の最前線に立ち止まると、剣をまっすぐ天に掲げる。そしてゆっくりと振り下ろし、ダリア城に剣の切っ先を向けた。
「全軍突撃!」
「おおおおお!」
思わず耳をふさぎたくなるほどの地鳴りが響き、烈風騎士団がダリア城への突撃を開始した。先陣を切るのはカリンとコルニッツォ。二人の勢いが敵陣を切り裂く。
「死にたくなければ道を開けろ!……『炎獣拳』!」
「どけ!……『衝撃拳』!」
二人はそれぞれ馬から身を乗り出し、地面をこすり上げるように拳の一撃を放つ。片やすべてを燃やし尽くさんばかりの炎、片やすべてを打ち砕くほどの衝撃を直接叩き込まれている。地面が抉られるほどの威力を目の当たりにした彼らは戦士としての誇りと命の尊さを天秤にかけ、道を譲ることを選んだ。
「無抵抗の者は殺すな!俺たちの目的は城だ!」
後方部隊に降伏した者達をひとまず捕虜としてとらえるよう通達し、エリオット達はさらにダリア城へと接近する。チューンやバラキアなどと比べると小規模な城だが、この城が失われてはいけないということは彼らもわかっているのか、それらと同等以上の兵が列をなし、エリオット達を睨みつけている。先ほどのは前座にすらなっていなかったということだ。エリオットが一度前に出て戦列を整える。ともに部隊の中央付近にいたノクスとアイリーンも前線へと配置し、改めて突撃の構えを取った。
「みんな!ここからが本番だ!気張っていくぞ!」
「おお!」
「全軍、突撃!」
ダリア城前に並んだ兵は遠目で見ても二百、あるいは三百人。はたまたそれ以上だろうか。対して烈風騎士団の団員は四十名ほどしかいない。最低でも一人で十人近く倒さねばならない計算になってしまうが、今の彼らにこんな細かいことを考えられる余裕などない。勝つか負けるか、それしかなかった。王国兵側もエリオット達が動き始めたことに応えるように兵を動かし始める。重装兵を前線に出し中央に歩兵。後方には魔導兵や狙撃兵などを配置した基本的な陣形である。大抵は前線から崩れるという教本通りの展開であるため、予想外の戦況というのが発生しづらいのが長所だ。しかし、それは戦力のバランスが均衡を保っている場合にのみ発生しうる長所である。
「……ここは俺に任せてくれ。……『喝破』!」
ゆっくりと前線を押し上げていく王国側に対し、エリオット達は馬の足の速さを利用し早々に交戦圏内に持ち込んだ。最前線に立っていたコルニッツォが馬から飛び降りると、左手を前に出し右手を顔のそばに添える。足は肩幅より少し広く開き、左脚を前に出して腰を落とす。その姿勢のまま魔力を高め続け、ある一点に達した瞬間、左脚を軸に右足を前方に強く踏み出す。足から放たれた衝撃波は地面を伝い、迫りくる王国兵へと向かっていく。彼らの足元にまで衝撃波が至った瞬間、地面が爆発を起こした。地面がひび割れ、コルニッツォが地面に押し込んだ魔力が間欠泉のように噴き出しているのだ。これではいくら正面からの攻撃に備えている重装兵でもひとたまりもない。その瞬間に生じた隙をつき、ノクスが追撃を仕掛ける。
「俺が続く!『アクア・ストリーム』!」
ノクスが生み出した巨大な渦は敵軍のほぼ全体を取り囲む。飲み込まれはしないものの、激しく流れ続ける水の勢いに人の身のままでは抗うことも難しい。王国兵たちはどんどんと体勢を崩して渦に身体を巻き込まれていく。魔導兵たちが必死に渦を収めようとそれぞれの魔法をぶつけてみてはいるが、今の所効果は出ていない。
「これでとどめだ!『神風ボレアス』!」
ノクスが生み出した大渦にかぶせるように、エリオットは巨大な竜巻を発生させる。右手を前方にかざし、左手は右手を鷲掴みにして竜巻の制御に集中している。天まで届くほどうねりをあげる巨大な竜巻に取り込まれてしまえば無事では済まない。空高く身を投げ出されたあげく、まともに着地できる道具もないまま真っ逆さまに地面へと叩きつけられる。接敵前から二割ほどの戦力を失った王国兵たちは竜巻を迂回してエリオット達へと近づいてくる。団員達もそれに応えて剣を抜き、白兵戦が始まった。王国側の戦力が多い分、戦況も彼らに有利に傾いている。団員たちは二人一組、または三人一組となって防戦を繰り広げている。
「せいっ!……次、かかってきなさい!『戦姫』アイリーン、手加減はしません!……はあっ!」
斧一閃を振るい、自らを取り囲む敵を一網打尽に仕留めている。一度に数人を蹴散らす凄まじさに足踏みしてしまうが、彼女を放っておけば戦況が一気に覆りかねない。彼女をこれ以上調子に乗らせないためにも、彼女へと向かっていく王国兵はゆっくりと数を増やしている。しかし、彼女に人手を割いてしまうと、他の所が手薄になってしまう。防戦一方であった団員たちも次第に勢いを取り戻し、少しばかりだか押し返し始めていた。
「……『崩拳』!」
敵軍の真っただ中に飛び込んだコルニッツォが手に魔力を込め、地面を渾身の力を込めて殴りつける。まるで地面が爆発したような衝撃波が生まれ、周りにいた者が一斉に空中に打ち上げられる。
「……『天覇』!」
コルニッツォがその場で鋭くアッパーを放つ。右手に込められた魔力が衝撃波を生み出し、空に打ち上げられた者達をさらに昇天させる。砕けた鎧や武器、縦などの残骸がばらばらと空から降り注ぎ、あとを追うように意識を失った者達も地面に転がっていく。コルニッツォは表情一つ変えず、一度大きく息を吐いて呼吸を整えて構えなおした。
「前線を押し上げろ!勝機は我らにある!」
王国軍と烈風騎士団が入り乱れる最前線、カリンが皆を率い、鼓舞して戦っていた。
「爆ぜろ!『炎王の大槍』!」
魔法の火で槍の形を作り上げ、敵陣目掛けて投げつける。敵の防御魔法が槍を受け止めたが、炎は一点に収束し大爆発を起こした。防御魔法はいともたやすく砕かれ、拡散する熱波は鎧を着こんだ敵を蒸し焼きにしていく。
「敵は怯んだ!一息にかかれ!」
「おおおおお!」
当初劣勢であった烈風騎士団はカリンたちの活躍により徐々に戦況を覆し、王国軍第一陣を勝利で収めた。ダリア城にはまだ半分以上王国兵が残っていたが、彼らは早々に勝ち目がないと判断し降伏。結果、烈風騎士団側は死者ゼロの勝利を収めたのだった。
ダリア城内、軍略の間。
「エリオット、負傷者はすべて治療を終えた。先の戦いではかなり手ひどくやられたが、幸い命に別条がある者はそこまで多くはなかったようだ」
「……そうか。ひとまずは安心だな」
カリンからの報告を聞いていたエリオットはずっと背負っていた荷をようやく降ろせたときのように、安心したようにため息をつき背もたれに身体を預ける。
「そうだ、伝令は出したか?」
「ああ。ここからだと半日程度で向こうに着くだろう。……確か、イダン村とか言ったか」
ノクスからの疑問に対し、カリンは壁に掛けられていた地図をなぞりながら答える。彼女が最後に指さしたイダン村がアトランティスの正面にあることを再度理解したコルニッツォは心配そうに口を開いた。
「……あいつらは、大丈夫なのか?」
「わからんが、おそらく無事だろうな。ここまで王国の援軍が足を伸ばしてこなかったことを考えると、ゼロスたちがうまくやってくれた可能性が高い。……それよりも、今は大量の捕虜をどうすべきか考えようじゃないか。なあ、エリオット」
「わかってるって。俺もさっきからそのことはずっと考えてた。……あわよくば団員にしたいんだが、どうだろうか」
エリオットは一度椅子に座り直し、姿勢を正す。そして真剣なまなざしでとらえた捕虜を騎士団に迎え入れると言い出した。
「悪くはない案だとは思う。だが、裏切られるかもしれないと考えると……」
「それならオルコスやセリアの時にだってそう言うべきだっただろう?」
「あいつらは『帰る場所がない』と言っていた。だから裏切ることもない。だが、あの捕虜たちはどうだ。将ではないのなら無事に国に戻れる可能性だってあるじゃないか。それに、捕虜の総数は私たちの仲間よりもはるかに多い。アイオスやエルなどの団員たちが先に襲われても抵抗しきれないだろう。それが心配なんだ」
捕虜たちをどうしても疑ってかかっているカリンを前に、ノクスが反論する。けれど彼女の疑いはどうしても晴れそうにはない。しかし、ずっと黙っていたアイリーンの言葉で、彼女は考えを改めることになる。
「……カリン。前の戦いを忘れたんですか?人の身でありながらも理性を失い、獣のように声をあげることしかできなくなっていた彼らを。今の王国に彼らを返せばあのような悲しい存在がさらに生み出されることになってしまうはずです。それならば、私たちの管理下に置いた方がよいのではないですか?……必要とあらば私が見張りを務めましょう」
「……わかった、いいだろう。ではエリオットの案通り、彼らを烈風騎士団の団員として迎え入れる」
その後、捕虜となっていた王国兵たちはすべて騎士団の新たな団員となった。帝国へのダリア制圧完了の書簡もすでに馬を走らせている。他に彼らにできることは、ゼロスたちの無事を祈ることだけだった。
イダン村、中央拠点見張り台。現在はゼロスが見張りを務めている。アトランティスはあれ以降全く動きを見せず静まり返っている。リーデンの『此度はこれまで』という言葉はやはり嘘ではなかったようだ。何も動きがない壁を見つめているのにも飽きた彼は、気まぐれに別の方向を眺めていた。南を見れば自分たちがたどってきた道が見え、北を見れば海が臨める。そして西を見ると何者達かがこちらへと近づいてきているのを見つけた。次第に近づいてくるその影に、ゼロスは見覚えがある。……カインとウィルだった。ゼロスはすぐに台から降り、オルコスたちを呼ぶ。
「伝令が来た。移動の準備だ」
三人はうなずき拠点から出て行く。誰もここに残るつもりはない。もともとイダン村を制圧する理由などなかった。もぬけの殻にしたところで支障はない。
「カイン!ウィル!伝令か?」
「はい!無事にダリアの制圧を完了しました。負傷者はいますが、死者はいません。副隊長の方はいかがでしたか?」
「それは移動中に話す。少し待っていてくれ。すぐにここを発とう」
それから五分もしないうちにゼロスたちは支度を整え、イダン村を後にした。アトランティスの望遠鏡から彼らの動向は逐一監視されていたが、誰一人としてその場を動く者はいなかった。
あれから六時間が経ち、日が沈み始めてきたころにゼロスたちはダリア城へと足を踏み入れた。エリオット達は彼らが無事だったことを喜んでいたが、その笑顔の裏にはどこか緊張感が見え隠れしていた。馬を休ませ、部下の案内のまま連れてこられたのはダリア城内の軍略の間。ゼロスたちはエリオット達からねぎらいの言葉を受け取る。
「お疲れ様。よく俺の無茶を聞いて生き残ってくれた。本当にありがとう」
「……仰々しいな。大したものじゃなかったんだ、そこまでかしこまらないでくれ」
「いや、そうはいかない。最悪の場合、俺は大事な仲間を失う羽目になっていたんだ。しかもそれを自分の口から頼んでいたなんて考えると、なおさらな」
「ここは戦場だ。不測の事態というのは常に起こりうる。私のような者の犠牲程度でいちいち立ち止まっているようでは、騎士団の長として……」
「お前たちが新入りだろうが元王国の将だろうが、俺には関係ないんだ。大事な仲間を切り捨てる覚悟を持つことが上に立つ者に必要な素養なら、俺は上に立てなくてもいい。……とにかく、みんなが無事でよかった。それだけだ」
「……ああ」
ゼロスが一言だけ返事をする。今この瞬間だけは言葉が要らない気がした。部屋の中を少しばかり静寂が包み込む。決して不快ではなかった静寂だったが、それはある一人の人物にかき消されることになる。
「伝令!伝令!団長殿!」
大声をあげながら誰かが廊下を走っている音が聞こえる。エリオットは仕方ないと言うように腰をあげ、部屋から顔を出した。
「どうした?こっちは今大事な話を……」
「あっ、団長!これをご覧ください!帝国からダリア制圧完了の返答が届きました。……『奮闘に感謝する。これより一週間後、王都防衛壁城アトランティスの攻略を開始する。それまでは休息期間とする』とのことです。伝令は以上です。それでは私はこれで失礼したします」
エリオットに紙を手渡し、騒がしい兵士は駆け足で消えて行った。彼はその場で手紙を開き、内容を読む。
「団長?また面倒事かい?」
話が聞こえていなかったのか、部屋の中からノクスが声をかける。エリオットは「たぶんそうじゃない」と前置きし、机の上に紙を広げ先ほどの兵士が話していた内容をそのまま伝えた。
「なるほど、そろそろ決戦ってところか。アトランティスを制圧した後は、そこで足並みをそろえて一気に王都に流れ込む。……そんなところかな」
「おそらくそうだろう。……だが、他の騎士団はどう動くんだ?我々だけでアトランティスを制圧するのは不可能だ、広すぎて人手が足りん」
「だから一週間という猶予があるんだろう。その間に、紅蓮なり迅雷なり、はたまた豪波が動くんじゃないのかな」
「とにかく。これから一週間はゆっくり休めるんだ。詳しいことは作戦開始の日が近づいてからにしよう。今日はみんな疲れているだろうしな。……解散!」
エリオットが手拍子を打ち、会議を無理やりに終わらせる。皆はまだ詳しくわからない作戦の内容について話したいようではあったが、これ以上ここで話していても意味がないということも頭のどこかで理解していたのだろう。誰も文句を言うこともなく軍略の間から出て行った。ゼロスも部屋から出ようとしたとき、アイリーンに呼び止められた。
「どうした?何か用か?」
アイリーンは何も言わずゼロスとの距離を詰める。部屋にはすでに誰もいない。少し手を伸ばせば触れ合えそうな距離まで近づいたというのに、彼女はまだ何も言わない。
「……どうした?黙っているだけじゃ……」
アイリーンがゼロスの胸に飛び込んだ。ゼロスは「おっ」と声をあげるが、難なく支える。
「……無事で、よかったです。私、ずっと心配で……」
「心配させてすまない。けど、あれは誰かがやらなきゃならないことだった」
「わかってます。わかってましたけど……。それでも……」
「……そんなに俺が信用できないか?」
アイリーンは驚いたように顔をあげる。その眼には少し涙が浮かんでいた。
「俺は誰にも負けない。ヴァイス園の子供たちもいるし、アイリーンもいる。……置いて行ったりはしないさ」
彼女は何も言わず頷き、自らの手で涙を拭う。そして。
「……わかりました。私、ゼロスさんを信じます。……きっと、これからどんな戦いになっても、必ず無事に戻ってきてくれると」
「ああ、約束するよ」
「では、これを……」
彼女はそう言って右手の小指を差し出す。ゼロスは少し呆気にとられたがすぐに理解し、彼女の子供っぽさに吹き出してしまった。恥ずかしさをごまかすように怒るアイリーンに対し、ゼロスも小指を差し出す。彼女ははにかみながら小指を絡め、少し嬉しそうに歌いだす。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます。指切った!」
照れ笑いをするアイリーンにつられ、ゼロスは笑ってしまう。夕焼けが差し込む部屋の中で、楽しそうな二人の笑い声がこだまし続けていた。
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