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黒嵐戦記  作者:


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アダマンテ大陸統一戦争編 第六章

前回のあらすじ

バステア山での戦いを経て、クバルを一度は捕えたゼロスたち。しかし、帝都に輸送するさなか、王国の将、ガルディアによりクバルが逃げ出してしまう。事態の収拾に向かった紅蓮騎士団だが、ガルディア達が有する「痣」の魔力に押され、成すすべがなかった。その時、ゼロスたち烈風騎士団の助けが間に合い、何とか全員を無事に助け出すことができた。

そのころ、王都ではキースが王位を狙っていた。王族リチャードを殺害し、王位簒奪に成功する。キースは新たな王を名乗り、リチャードの葬儀のため、一か月の停戦協定を提案し、締結された。

いきなり一か月の休暇を手にしたゼロスたちは、海に行くことにした。


誤字脱字等、ご容赦ください。

 コンテッド王国、王城内玉座の間。そこにふんぞり返るのは新たな国王であるキース。彼は今、ガルディアから計画の進捗状況を聞いていた。

「キース様。命令の通り傭兵共へのお触れは出しておきました。ひとまず、今の段階でできることはこの程度かと」

「うむ、ご苦労。……そう言えば、大臣連中の様子はどうだね?」

「二名はすでに死亡。残りの七名は未だ存命ですが、内三名が『影』に呑まれ意思疎通が不可能になりました」

「まあ良い。奴らを鎮静剤で眠らせ、特注の鎧をこしらえてやれ。意思疎通は取れなくとも、戦うことぐらいはできるだろう」

「はっ。承知いたしました」

 ガルディアは頭を下げ、キースの前から去る。廊下の途中、クバルが彼を待ち構えていた。

「……報告だ。また一人死んだ。ずっと動かなかったが、自分の手首をかみちぎってな。……使えるのはあと三人ぐらいだろう」

 実験に使った王国の大臣がまた一人死んだ。その報告を聞いたガルディアは表情を崩さず言う。

「構いません。『シャーディンの痣』の力に耐えられぬのなら、この国の民たる資格はありませんので。……それに、そのうち実験台が大勢ここに来ますから。一人死のうがどうということはありません」

「……そうか。そう言うことならそれでいい。……で、一か月間本当に停戦協定を守るつもりなのか、あいつは」

「さあ、どうでしょう。私にはどうでもいいことです」

 ガルディアはそう冷たく言い放つと、足早にクバルから離れて行った。

「急ぐ用事など何もないくせに。……何を企んでいるかは知らないが、俺には関係ないか」

 それを見送ったクバルもまた、足早に自らの部屋へと向かっていった。王都は悪意に包まれ始めている。


 一方、チューン城城下街。王都の事態を知る由もない烈風騎士団の彼らは、昨日ノクスが計画を立てた水着新調のため、新たにできたという商店街に向かっていた。商店街はチューン城城門前の噴水広場から、北門へとまっすぐ抜ける大通りを改装したもので、町中に散らばっていた店が一挙に集まっている。戦続きで長い間城を開けていたエリオットたちはこんなものが出来ていたことを知らず、感心の声をあげる。

「話には聞いてたが、随分立派だな。いつからこんなものを作る話が出てたんだ?」

 彼らの先頭を行くノクスがその問いに答える。

「だいぶ前から計画自体は出ていたみたいなんだけど、悉く頓挫していたんだ。まあ、ここは帝国と王国の双方から狙われていた土地だったからね、何度も降りかかった戦火が、計画を遅らせていたんだ。だけど、俺たちがようやくチューン城周辺の治安を安定させたから、計画も早足で進んだんだ。完成したのはつい一週間前とかだったかな」

 商店街は人で溢れかえっている。左右から飛び交うお買い得の売り文句に惹かれ、大きな人波が揺らめいている。もはやまともに歩く隙間もないほどだ。ノクスは一度振り返った。彼自身を入れて九人の大所帯。はぐれるのは必至だろう。そこで、ノクスはある提案をした。

「みんな、ここからは自由行動にしないか?こんな人ごみの中を固まって歩くのは無理だろうし、周りの邪魔にもなってしまう。何人かのグループに分かれるなりは勝手にしていいから、用事を済ませて……。午後一時になったら、またここに集合しよう。いいかい?」

 異議を唱える者はいない。彼らは親しいものと共に、商店街の人ごみに消えて行った。ゼロスは一人で行こうとしたが、アイリーンに呼び止められた。

「待ってください。私と一緒に行きませんか?」

「コルニッツォと一緒に行けば……。あいついねえな」

「ええ。いつの間にか先に行ってしまったようで。ここに残ったのは私たちだけなんです。……一人で行くのは、ちょっと……」

 アイリーンはそう言って胸の前で指先をつつき合わせる。まるで菓子をねだる子供のようなしぐさに、ゼロスはヴァイス園の子供たちを思い出していた。

「わかった。……どこに何があるかは分からないが、それでもいいなら」

「ありがとうございます!……それじゃ、行きましょうか」

 アイリーンはそう言うと、ゼロスの右手を取り、自らの体を寄せた。いきなり体を近づけたことに彼は怪訝な顔を浮かべたが、「人混みが多いので、はぐれないようにするためです」という言い分に納得し、特段何かを言うことはしなかった。

 商店街の中は八百屋はもちろん、魚屋、肉屋。菓子を扱う店や、ペンや紙などの雑貨を扱う店もあり、まさに多種多様。ひとまずの彼らの目的としては新たな水着の用意だったが、この中にはどうやら服屋が三つほどあるようだ。もとより服にあまり興味のないゼロスはそれをアイリーンから聞かされた時「そんなにいらないだろ」と言いかけたが、何とか抑え込み「……服もいろいろあるんだな」と当たり障りのない感想を述べた。

「とりあえずここにしましょうか」

 アイリーンが指を指す。噴水広場側から商店街に入って一番目に見つけられる服屋だ。安さが売りのようで、かなりにぎわっている。店員はにぎわいに反しかなりけだるげで、レジのあたりから動こうともせず、新たな客が店に入ってきても「いらっしゃいませ」の一言もない。無駄に構われない分、気楽と言える。

「ゼロスさん、これとか似合いそうですね」

 アイリーンはそこらへんに大量にかけられている服を適当に引っ張り出し、ゼロスの身体に合わせていく。そうして上下とあくせまでそろえたところで「試着してみてください!」と試着室に叩きこまれてしまった。今までに感じたことのない力強さに、彼はただ従うしかなかった。試着を終え、外にいるアイリーンに声をかける。

「とりあえず着てみたんだが、どうだろうか?」

 普段緊張とは全く無縁だと自分で思っていたようだが、彼は今確かに緊張している。選んでもらった服が似合っていなければどうしよう、自分に合う服などあるのだろうかと、手のひらに汗をかいていた。しかし、彼の不安は杞憂に終わる。

「とっても良く似合ってますよ。鏡を見れば自分でも驚くはずです」

 彼が身に着けたのは首元が大きく開いた無地のシャツに、ジャストフィットするベージュのパンツ。アクセントとして銀色の腕輪をつけている。彼は鏡で自分の姿を眺めていたが、背中がそわそわして落ち着かない。そして、自分が先ほどまでまとっていた外套を手に取り、羽織る。彼は満足げな顔を浮かべた。一度すべて脱ぎ、買い物かごに入れる。

「これは、私服によさそうだ」

「そうでしょう?……あと二セットぐらいは買いませんか?一セットだけだと洗濯したら外に出れなくなってしまいますし。お金がないようだったら、私が出しますから」

「金は出さなくていい。……その代わり、俺に似合いそうな服を選んでくれないか?」

「ええ、任せてください!」

 それから約一時間、ゼロスはアイリーンの着せ替え人形となった。服のイロハを知らず、なんでも言われたままに文句を垂れず着る。着せ替え甲斐のある男だ。買い物かごを一つ一杯にしたところで、ようやく彼女も落ち着いたようだ。満足げな顔を浮かべるアイリーンに対し、ゼロスはなんだか浮かない顔をしている。

「……すまない。俺の服のために一時間も。アイリーンも見たいものがあっただろう?」

「いえ、私は楽しかったですから」

 アイリーンが「気にしないで」というが、ゼロスの顔が晴れることはない。その時、ある事を思いついた。

「なら、ゼロスさんも選んでくれませんか。私に似合いそうな服を。それでおあいこです」

「……俺は服のこと、何もわからんぞ」

「でも、私のことはわかりますよね。なら、きっと大丈夫です」

 アイリーンは試着室に入り、カーテンを閉めた。

「ゼロスさんが選んでくれた服を着るまで、ここから出ませんから」

 ゼロスは観念したように「わかった」とつぶやき、試着室の前から離れた。陳列された服を眺めていても、ピンとくるものはない。「おすすめ」と銘打たれたワンピースを手に取ったところで、首をかしげるだけだった。そもそも今日のアイリーンの格好も似たようなものだ。似たものを渡してはつまらないだろう。ゼロスは手に取ったワンピースをもとの位置に戻し、また店の中をさまよい始める。そして、十分近くたったころ、ようやく自らの手で選んだものを試着室で待つアイリーンのもとへと届けた。カーテンの隙間から中へと入れると「こういうのが好きなんですか?」と彼女のからかう声が聞こえてくる。ゼロスはそれに答えず「早く着替えてくれ」とだけ答えた。

「……お待たせしました」

 アイリーンが身に着けたものは、黒い長そでのトップスと淡いピンクのフレアスカート。スカートのウエスト部分にはリボンがついており、彼女の印象がより華やぐだろう。

「まさかこんなにいいものを選んでくるとは思っていませんでした。とってもいいセンスかと」

「……そう言ってもらえれば、俺も選んだ甲斐があるというものだ。……じゃあ、早くそこから出てきてくれ」

「ああ、はい。わかりました。着替えますので、少々お待ちを」

 かくして、アイリーンの小さなわがままをどうにかやり過ごしたゼロスは、カーテンの前で疲れ切った顔をさらすのだった。会計を済ませて外に出ると、ノクスとエリシアが待ち伏せていた。

「……ようやく出てきましたわね。相当待たされましたわよ。そうですわよね、ノクスさん?」

「うん。しかも、邪魔しちゃいけないような雰囲気を出し始めるから、それにも困ってね。話しかけにく過ぎて、諦めてここで待つ方を選んだからね」

 二人から投げられる小言を完全に無視し、ゼロスが本題を問いただした。

「そうか。そんなことより何の用だ。わざわざ待っていたのなら、それなりの用事があるのだろう?」

「……何か問題でもありましたか?」

 緊急事態を想像し、心配げな顔を浮かべるアイリーン。しかし、ノクスたちが待っていた用事はそこまで大したものでもない。

「ただ、お昼ご飯の話をしに来ただけだよ。エリオット達にも聞いてきたんだけど、『なんでもいい』ってさ。……あんまりこういうの言いたくはないけど、つまらないよね。で、お二人は何か食べたいもの、ある?」

 そう言われた途端、ゼロスとアイリーンの二人は、互いの顔を見る。おそらく考えていることは同じだろう。

「何か食べたいものはないか?」

「何か食べたいものあります?」

 全く同じタイミングで、互いにそう言った。そして、互いに驚く。それを真正面で見ていたノクスたちは吹き出していた。

「フッ……。いつの間にか、随分と仲良くなったみたいだね。それで、結局どうするの?」

 ノクスはそう聞くが、問題の二人はそれを無視して二人で言い合いを始めていた。

「ステーキにしませんか?ゼロスさんお好きだったでしょう?」

「それは何時でも食える。アイリーンが好きなパエリアにしないか。大皿だし、みんなで食える」

「パエリアはバラキアに行ってからの方がいいですよ。あそこは海の幸が有名なので。だから今日はお肉にしませんか?」

「……わかった。今日はそうしよう」

「ノクスさん、決まりました。今日お昼はお肉を頂きたいです」

 ノクスはいつ終わるかわからない痴話げんかを前に上の空になっていたが、名前を呼ばれ意識を取り戻した。

「あ、ああ。わかった。こっちで探しておく。……じゃあ、またあとでな」

 それだけ言い捨てると、ノクスはそそくさと人ごみの中に消えて行った。ともに行動するはずのエリシアはアイリーンに「頑張って」とささやきその後を追って、同じく人ごみへと消えて行った。

 それから、彼らは目的である水着の購入を済ませた。ゼロスはアロハシャツと海パンという無難な組み合わせを。アイリーンは水着を選ぶ前にゼロスを店先に追いやっているので、ゼロスは彼女が何を購入したかは知らない。そのまま商店街の観光を続け、時刻は約束の午後一時。噴水広場にはすでにゼロスとアイリーン以外の全員がそろっていた。二人を見つけ様、エリオットが茶化す。

「よお、随分遅かったな。二人きりのデート、満喫したか?」

 アイリーンはしどろもどろに弁明しようとしたが、それよりも早くゼロスが否定した。

「下らん冗談はやめろ。アイリーンだって嫌だろう」

 その言葉を聞いたアイリーンは少しむくれていたが、ゼロスがそれに気づくことはない。それよりも、昼食の話の方が彼にとっては大事だからだ。

「そんなことより、ノクス。昼飯の目星はついたんだろうな」

「ああ、任せてくれ。こっちだ」

 自信満々に彼が案内した先は、烈風騎士団の団員たちがいつも利用している酒場だった。呆れる皆を前に、ノクスが言い訳に走る。

「しょうがないじゃないか。みんな食べ物の好みがばらばらなんだから。それに、なんでもいいとか言ってただろう?なら、文句言わないでほしいな」

「わかった。なんでもいいとか言った俺たちが悪かったよ。……腹も減ったし、早く入ろうぜ」

 昼ということもあり、酒場は意外とすいていた。彼らは一番奥の席に陣取ると、各々好きなものを注文していく。料理を待つ間、話題は休暇中にやることについてだった。

「バラキア旅行の予定ってどうなってるんだい?」

「出発が二日後。そこから二週間の滞在だ。さすがに一か月丸々は長すぎるからな」

「いや、二週間でも十分長いよ。それに、里帰りしようと思っていたし、その位がちょうどいいかな」

 バラキアから帰ってきた後の二週間、どうやらノクスは里帰りをするらしい。昨日の話では、確か彼は漁村の生まれだったはずだ。

「……そういや、バラキアの近くなんじゃなかったか?それならついでに里帰りを済ませれば……」

「バラキアの中心地からだいぶ離れたところだからね。馬車なら移動だけでも一日以上かかっちゃうんだ。それに、あそこはかなり排他的だからね。一人で行った方がいいのさ」

 ノクスが懐かしそうに故郷の話をしているとき、ちょうど料理が運ばれてきた。皆手を合わせ、食材への感謝を伝え、食事会が始まった。話題は皆の故郷の話へと移っている。もともと王国の将だったセリア達には厳しい話かとも思ったが、そう言う訳でもないようだ。

「私の故郷は山奥でな。私の曽祖父が山の周囲一帯を治める領主だったのだ。タルボニカ家では代々、植物を操る魔法を扱える者が次期領主となるという掟があってな。私が生まれるまで約七十年近くか。その間一度も次期領主が生まれず、曽祖父は相当頭を悩ませていた。私が生まれた時は大喜びしたという話も聞いたし、私の名前の候補だけで手帳を埋めたという嘘かわからない話も聞いたことがある。……まあ、私が負けたことにより家は取り潰されたがな」

「……悪い」

「ゼロス、謝るな。負けたのは私だ。……それに、その時には曽祖父も亡くなっていたし、すでに祖父が領主の座を継いでいた。掟を破ったんだ。そのせいかは分からないが、領主としての統治にも影が差していたどころか、吞まれていたといっても過言ではない。……家が取り潰されたのち、借用書が見つかったのだ。祖父はどうやら相当借金をしていたようでな、私の戦いの顛末がどうなろうとも、遅かれ早かれ潰れていただろうさ」

「……それは、なんといえばいいのか……」

「笑ってくれていい。これで面倒な領主などという仕事をしなくても済むのだからな。……山奥とは言ったが、相当なものでな。行商もめったに来なければ、特産や産業などもない。ただ小さな畑で、皆その日を暮らすだけ。植物を操る魔法は、たまに行われる祭事に必要な獣を借るためにしか使わん。その上、ノクスの所と同じように排他的でな。領主がどれだけ賢君だったとしても、滅びの運命からは逃れられなかっただろうな」

 彼女は注文していたビーフシチューにパンをつけながらそう締めくくった。顔はどこか晴れやかに見える。過去のしがらみから解き放たれて清々しているといったところか。しかし、他の皆はそういう訳でもなかった。笑ってくれていいと言われたところで、「はいそうですか」と手放しに人の過去を笑えるほど人としての欠陥があるわけではない。話の当人がすぐさま話題を変えてくれたのがもはや救いだったといえよう。

「エリオットはどうなんだ?烈風騎士団の団長として立派にやっているが、もとからそういう家の出だったりするのか?」

 パスタを食べていたエリオットは首を横に振り、「そうではない」と意思表示する。そして、口の中にあったものを飲み込んだ後、自らの故郷について話し始めた。

「俺はただの農家の息子、三人兄弟の次男坊さ。親父が死んで俺の兄貴が跡取りになったときにな、食い扶持を減らすために俺から家を出た。戦争で畑も滅茶苦茶で、碌に畑仕事なんてできねえ。……弟は応援してくれたんだが、兄貴は最後まで反対しててな。結局喧嘩別れのまま出てきちまった」

「なら、今がちょうどいいころだな。里帰りして、顔を見せてやると良い」

「……そうだな。あんまり気が乗らないんだが、そうした方がいいかもな」

 エリオットが話し終えた時、皆すでに食事を終えていた。席を立ち会計を済ませる。

「歩き回って疲れたから、今日はここで解散にしないかい?」

 ノクスが伸びをしながら言う。先ほどまでの話題は彼の中で、あまり触れないようにしようと判断したのだろう。

「ああ。人ごみにもまれたから、俺も疲れたぜ」

 オルコスもそれに賛成する。エリシアは何も言わなかったが、しきりに足を気にしている。ヒールで石畳の上を歩くのはかなり疲れるものなのだろう。

「俺は先に戻るぜ。いくら休暇だからって言っても、やらなきゃいけない仕事はあるからな。……じゃ、お先」

 領主としての責務を果たすため、エリオットは一足先に城へと戻っていった。カリンも「あいつの仕事を手伝ってやらねばな」と言い、彼の後を追っていった。

「……疲れた。少し寝る」

 端的にそう言い残して、コルニッツォもその場から去っていった。その場に残った者達も、これ以上の用事があるわけでもない。ぞろぞろと城へ帰るのだった。城門をくぐり、それぞれの部屋へと戻っていく。その途中、ゼロスはアイリーンに呼び止められた。

「すいません。……ちょっといいですか?」

「ああ。構わない。何かあったか?」

「……ここでは話せません。部屋に来てもらえませんか?」

「……わかった、いいだろう」

 何やら真剣な眼をしていたアイリーンの頼みを受け、ゼロスは彼女の部屋へと足を踏み入れることになった。内装はほぼどの部屋も統一されているようで、目立った違いはない。強いてあげるとすればローテーブルの上に置かれた小さな花瓶程度だろう。「お好きなところにどうぞ」と言われ、ソファに腰を下ろした。

「コーヒーでもお飲みになりますか?」

「……水がいい。水を頼む」

 アイリーンは氷水が入ったグラスをゼロスの前に置くと、彼の正面のソファに腰を下ろした。自らで入れた紅茶を一口すすり、大きく息を吐く。

「……コーヒー、お嫌いですか?」

「ああ。苦くて飲めん」

 ゼロスはグラスの水を半分ほど喉に流し込むと、アイリーンを見つめた。両手で紅茶の入ったカップを支える彼女の顔は、差し込む日の光のせいか、どこか影があるように見える。おそらく何か悩んでいるのだろう、彼はそう考えた。ソファに深く座り直し、彼女が話し始めるのを待つ。

「……いつもみたいに、『早く本題に入れ』って急かさないんですね」

「何か大事な悩みなんだろう、だからわざわざ俺を部屋に呼んだ。……時間はある。好きな時に話すといい」

「ありがとうございます。……実は、父から手紙が届きまして。そのことで……」

「エリオット達の話で思い出したか」

「はい、そうです。……父からの手紙には、『お前ももういい年齢だ。いつまでも血腥いことをしていないで、次期当主としての自覚を持て。お前に合う縁談がいくつも来ている、速やかに家に帰ってくること』と、書かれていました」

 アイリーンは手に持っていたカップを置くと、深くため息をついた。その様子を見れば誰でも彼女の思うことがわかるだろう。

「……帰るのが嫌なのか」

「ええ。……両親ともに、私のことを優秀な跡取りとしか思っていないようで。……確かに、両親は私のことを大事にしてくれたとは思います。けれど、その情は子供に向けるものではなく、『作品』に向けるものでした。……私は、そんな両親が嫌で……」

 そう言いかけた時、アイリーンはハッと顔をあげた。目の前にはゼロスがいる。ただ真摯に話を聞いているだけだ。だが、彼は家族を失った者だ。そんな者の前で家族の話をすることなど、怒りを買うには十分な行為だ。彼の目は揺らがない。アイリーンはおそるおそる口を開いた。

「……ごめんなさい。その、そんなつもりではなくて……」

「気にするな。今はアイリーンの話をするときだろう。……で、俺には何をして欲しいんだ?」

 アイリーンは大きく深呼吸をして、心を落ち着かせる。そして意を決したように口を開いたが、結局かなり言いよどんでしまった。

「……その。わ、私と一緒に……。里帰り、してほしいんです。……ボディーガードとして」

 自分が何を言っているか客観的に見てしまい、とっさに言い訳をしながら目線を伏せる。彼女には今まともにゼロスの顔を見られるだけの精神力がない。

「わかった。引き受けよう」

「……え?いいんですか?」

 半ば諦めていたお願い。それが思っていたよりも快諾されたことに驚き、伏せていた目線をあげる。ゼロスは、少しだけ微笑んでいた。

「少し前、俺の里帰りにも付き合ってくれただろう。なら、今度は俺が付き合う番だ」

「で、でも。あれは私が無理を言って……」

 快諾を受けて気が引けたのか、遠慮がちになってしまうアイリーン。それを見ていたゼロスは簡単な芝居を打つことにした。

「……アイリーン、里帰りするんだってな」

「え?今話した通りですけど……」

「俺も行ってみたいんだが、いいか?」

「で、でも、迷惑になるかも……」

「ああ、構わない。貴族の家っていうのがどんなものなのか、一度見て見たくてな。……頼む」

 ゼロスはそう言って頭を下げた。ここまですれば、もともと心優しいアイリーンから選択肢を奪うことができる。彼女ができる選択は1つしかない。

「……わかりました。一緒に行きましょうか」

 アイリーンは観念したように、眉を吊り下げた。困ったように笑う彼女の顔には、もう影は差していない。

「……ゼロスさん、その……。ごめ」

 ゼロスに気を遣わせたことに謝ろうとするアイリーン。しかし、彼はそれを食い気味に遮る。

「謝るな。……謝ってほしくてやったわけじゃない」

「……ありがとうございます、ゼロスさん」

「ああ。……それじゃ、俺はもう行く。遅くまでアイリーンの部屋にいたと知られれば、エリオットあたりにからかわれるだろうな」

 ゼロスはソファから立ち上がり、ドアへと向かった。アイリーンもその後を追う。

「じゃ、また夕食の時に」

「はい。ありがとうございました」

 ゼロスは後ろ手に手を振って、それに応えた。音が出ないようドアを閉めたアイリーンは、しばらくそのドアノブを握りしめたままだった。


 夕闇が訪れ始めたコンテッド王城。城下街はいつも通りの喧騒にあふれていた。王が死んだとはいえ、すぐに国民に影響が出る訳ではない。それに、新たな国王はすでに即位している。傭兵に対する優遇策なども、民にとってはいち早く戦争を終わらせるための策に見えていた。だからこそ、特別な反対は何もなく、いつも通りを過ごしていたのだ。……しかし、それは一変する。王城内から突如、黒衣の兵隊が列をなして出て来た。全員が兜をかぶっており、素性は定かではない。その上、もともと王国兵の鎧は銀を主体にして、赤色を差したシンプルなデザインであり、光を呑むほどの黒は見たことがなかった。それ故、それらを見た民たちは違和感と、忌避感を抱いた。……「これに関わってはいけない」。皆、同じように考えただろう。それは、すぐに真実となった。

「聞け!王国の民よ!」

 黒衣の兵隊の先頭に立っていた男が叫ぶ。彼は黒い鎧の上に黒いマントを羽織っており、それが隊長の証ということだろう。黄昏の中では、見分けられるはずもない。彼は一歩前に出ると、兜のせいで籠ったような声で話し始めた。

「新国王、キース・コンテッド様即位の祝宴を執り行う。……貴賤は問わぬ」

 城門が重く響く音を立てて、開いていく。民たちは呆気に取られていたが、すぐに事態を理解した。これから新国王の即位を祝ったパーティーが行われるのだ。その上、参加は自由となれば、断る者などいない。新たな国王を一度目にしたいと思う者、面白半分で行く者。パーティーの食事を目当てにする者。皆、理由はどうあれ、足は王城へと向いていた。

 コンテッドの民たちが通されたのは大広間だった。絢爛の限りを尽くされた内装に、皆は目を奪われている。柱一本の装飾を見ても、二時間は飽きないだろう。大広間の前方には、玉座の間へと続く扉がある。あの先に、新たな国王がいるのだ。いつの間にか大広間の中は王城城下街で暮らしていた民でいっぱいになっていた。身動きする余裕もあまりなく、ただ立っていることしかできない。そしてそのうち、こんな状態ではパーティーなどできないことに気づく。苦しさのあまり、体調を崩す者も現れ始めた。入ってきた扉から出ようとするが、何かに押さえつけられており、開かない。いつの間にか玉座の間へと続く階段は先ほどの黒衣の兵隊が塞いでいた。だから余計に窮屈なのだろう。民たちは必死に扉が開かないということを説明するが、彼らは聞く耳を持たない。耳元で叫んだところで、反応はない。ついにしびれを切らした男が、兵隊の一人につかみかかった。その瞬間、その男の手首が飛び、血しぶきをあげた。兵士は自らの剣に付いた血を布でふき取っている。大広間は一瞬で恐怖の坩堝となった。皆この場から逃げ出そうとするが、扉は開くことなどない。悲鳴はさらなる絶叫を呼び、こだまする。それが最高潮に達したとき、ついに玉座の間へと続く扉が開かれた。

「国王陛下の御成りであるぞ!静まれ!」

 隊長が剣を床に叩きつける。皆、恐怖に顔を引きつらせながら、扉の先を見た。代々王家に伝わる杖を持ち、キースが大広間へと入ってきた。彼は室内を一瞥すると、ただ一言「宴の支度をせよ」とだけ言い残し、また玉座の間へと消えて行った。隊長はその言葉に従い、また声をあげる。

「聞け、王国の民たちよ。……宴はもうすぐだ」

 その言葉の通り、王城で働いている召使たちがぞろぞろと中に入ってきては、布をかぶせたテーブルを大広間の中に運び込んでいく。その布を取り除けば、絶品の何かが待っていると、彼らは楽観的に考えられなかった。一人の手首が切り落とされているのだ。ここで楽観的になれる方が異常だろう。召使の一人が、隊長に何かを手渡した。

「……『宴』の始まりだ!」

 隊長は手に持っていたものを床に叩きつけた。それはただのガラス玉だったようで、耳をつんざくような音が響く。その瞬間、テーブルに掛けられていた布が意思を持ったように暴れ始めた。それを合図として、兵士たちがかぶせていた布を取り払う。そこにあったのは、蠢く肉塊だった。遠目からでも脈動しているのが見える。手のひらに収まる大きさの肉塊はいたるところから針のついた触手を伸ばし、民を襲い始める。最初に捕らえられたのは、まだ年端の行かぬ子供だった。左腕に針を刺され、肉塊がそこへ飛びつく。泣きわめく子のため、親らしき二人がそれを引きはがそうとするが、彼らもまた肉塊の餌食となった。子は物言わぬ躯と化した。母は子を殺された怒りに支配され、人をやめ、獣へと変わった。父は獣に変わった女の前に立ちはだかり、自ら体を引き裂かれ死んだ。

 そこは、地獄に変わっていた。床は血で染まり、壁には飛び散った肉片がこびりついている。……蠢く肉塊はキースの実験により生み出されたものだった。『シャーディンの痣』の移植を一斉に行い、適性のある者を探し出すために。黒衣の兵隊は適性者のみで構成されている。『シャーディア・センチュリオン』は小規模ながらもすでに完成しているのだ。キースはその規模を拡大すべく、非人道的な実験を強行した。

「……これで満足か?我が協力者、アベルよ」

「さて、それはどうでしょう。適性のある者が見つかれば、満足なのですがね」

「お前の話では、適性に何かしらの法則はないということだったな」

「ええ。……今まで何人かに『痣』を移植しましたが、三割が死亡。四割が凶暴化。そして残りの三割が適性ありとの結果になっています。……しかし、面白いことに彼らの身体的特徴などはあまり適性に関係がないのです。若く健康的な男が死ぬかと思えば、皮と骨だけの老人が、今や黒衣の兵隊の長を務めている。魔臓器などの機能もおそらく関係はないでしょう」

「では、何が適性を決めるのだ?」

「……『天』。それ以外にないかと」

「馬鹿なことを。神頼みだとでも言いたいのか?」

「はい。……今まで何百人も実験台にしてきましたが、こればかりはさっぱり」

「……まあよい。いずれにしろ、適合したものは歴戦の猛者をも凌ぐ兵と化す。誰が適合しようが、気にするようなことではないか」

 二人が話しているところへ、黒衣の隊長が入ってくる。

「失礼します。『宴』が終わりました」

「うむ。俺自ら、実験の成果を確かめてやらねばな」

 キースはアベルを伴い、玉座の間を出る。血肉で床が埋められ、カーペットのようになった大広間には死体と、ただ涙を流しながら吠える者。そして、感情を失ったようにその場に立ち尽くす者がいた。

「リーデン。獣は始末しろ」

 黒衣の隊長、リーデンはキースの指示に従い、兵隊を動かす。兵士たちは誰一人として剣を抜くさまを見られないほどの素早い剣戟を繰り出し、吠えて暴れまわる獣を始末した。その場に立ち尽くす者は目の前で友人や家族が殺されていようとも、眉一つ動かさない。

「……なぜ、奴らは意思を失っている」

 キースはそれが不気味で仕方なかった。彼が手掛けたガルディアやクバルは意識を残したまま、『痣』によって力を増幅している。しかし、アベルの作り出した肉塊に『痣』を埋め込まれたものは、残らず自我を失っていた。

「肉塊にある命令を埋め込んだのです。……『脳に至れ』と。脳の指示系統、あれを肉塊の支配下に置いたのです。兵として使うには、そちらの方が有用でしょう。敵に恐怖することもなければ、情けをかけることもない。何があっても戦い続けるでしょうね。手足がちぎれようとも、体が上下で別れようとも。……あの『嵐』でさえ、こいつらには勝てません」

 その言葉を聞いた途端、ある男が姿を見せた。彼は怒りを露わにして、アベルのもとへ詰め寄る。

「聞き捨てならんな。……『嵐』は俺の得物だ。貴様と、薄気味悪い兵隊なんぞに渡さんぞ」

「おやクバル殿。これは失敬。あなたのゼロスへの想いは、しかと存じております。先ほどのはただの戯れだと思っていただければ……」

「ふん、喰えん男よな。……いいだろう、此度は免じてやる。だが、次。俺の得物をかすめ取ろうなどとのたまえば、その首跳ね跳ぶと、しかと身に刻め」

 クバルは言うだけ言って、不機嫌そうに部屋を出て行った。アベルはまだへらへら笑っている。

「あれが、王国最強と謳われた男の末路ですか。いや、なかなかですな。魔力は相当。しかし、少々人格が……」

「アベル。下らん推察はやめよ。こ奴らを疾く研究室にでも連れて行け」

 アベルはキースに一度礼をすると、すぐにリーデンを呼び、適合したものを自らの研究室へと運ばせた。キースは涙の跡が残る死体の顔を蹴り飛ばし、そばにいた者に大広間の掃除を命じた。


 翌日、チューン城。午前六時。ゼロスは訓練所で剣を振るっていた。グランバルトから剣を教わってから、動ける日は一日も欠かしたことのない日課。筋力と体力を鍛えるだけでなく、一度剣を振るごとに、雑念をも振り払う。誰も来ないだろうと決めつけているせいか、彼は麻のズボンをだけを身に着けた、半裸の状態で日課に臨んでいた。体中から流れ出した汗は地面を湿らせる。視界も汗で滲んでいたが、それでも構うことなく剣を振るい続けた。

「……九十八、九十九、百。……ふう」

 真剣に日課に励むゼロスを、入り口から眺めている者がいた。その者はゼロスが休憩に入った時を見計らって話しかける。

「……精が出ますね、ゼロス園長」

「シエラか。どうした、何かあったか」

 入り口から様子を窺っていたのは、ヴァイス園の実質的なトップであるシエラだった。わざわざここまで来るということは何かがあったのではないか。ゼロスはそう考えていた。

「いえ、特に何も。歳を取ると早くに目が覚めてしまいますから。この時間なら園長が素振りでもしていらっしゃるかと思いまして」

「様子を見に来ただけか。まあいい」

「そういう訳でもないのです。少々お願いしたいことがありまして」

 ゼロスはシエラを見つめた。彼女が何かを頼むということはめったにない。年長者としての責務なのか、それとも生来の世話焼きなのかは定かではないが。そんな彼女が頼みごとがあると言い出せば、気にならないわけがなかった。

「これから、長い間お休みなのですよね?」

「ああ。王国側がどう出るかはわからないが、少なくとも帝国側はそのつもりらしいな」

「本日のご予定は?」

「特に何もないが」

「では、朝食のあとヴァイス園にお越しください」

「俺に何をさせるつもりだ?」

「それは、向こうでお話いたします。では、わたくしはこれで。そろそろ皆も起きてくるころでしょう」

 シエラが壁に掛けられた時計に視線を飛ばす。それにつられてゼロスも顔をあげると、時計の針は六時半をさしていた。城内でも、そろそろ皆が目覚め、朝食の時間になるだろう。ゼロスはその前に汗を流さねばならない。風呂場に行こうと訓練所の入り口に目線を向けた時、シエラはすでにいなくなっていた。まさに神出鬼没だ。すでにそれに慣れていたゼロスは、特に何を言うでもなく、急いで風呂場へと向かった。

 朝七時。食堂には皆が集まっていた。皆思い思いの朝食を、親しい間柄と共にしている。ゼロスもいつもの通り注文を終え、渡されたトレイをもって食堂内を歩き回っていた。食堂内は騎士団の面々だけでなく、城内で職務に励む者もいるため想像以上に人が多く、開いている座席は見つからない。いっそのことこのまま自室に食事を持ち帰ろうかと考え始めた頃、ゼロスを呼ぶ声が聞こえた。

「おはよう、ゼロス。俺はもう行くから、この席使ってくれ。じゃな」

 あわただしく席を立ったのはエリオットだ。明日からの旅行に備えて今のうちにできるだけ書類を片付けておこうと考えているのだろう。足早に歩いて行く彼の背中をカリンが追いかけて行った。ゼロスはエリオットが空けてくれた席に座り、食事を前に手を合わせた。もくもくと食べ進めていると、彼の正面に人影が止まった。顔をあげると、ノクスがいた。

「ここの席、いいかい?」

「ああ。好きにしろ」

「じゃあ、失礼させてもらうよ。……朝から結構食べるんだね」

 ノクスは自分が持っていたトレイと、ゼロスのトレイを比べている。ゼロスが頼んだのは20㎝ほどの大きさのコッペパン三つ。目玉焼きも三つ。厚切りのベーコンが六枚。そしてサラダボウルと、コーンスープ。さらに、生のまま食べられるチーズが数種類、木のボウルに入れられている。

「……それだけで足りるのか。兵士は体が資本だぞ」

 ゼロスが苦言を呈するほどのノクスの朝食は、コーンスープとコッペパン。そして目玉焼きが一つだけだった。ゼロス自身からしてみれば、かなり小食に見えるのだろう。

「まあ、朝からそんなに食べられる人はそこまで多くないからね。それに、ここは戦場でもないし無理に食べなくてもいいかなって」

「……確かにな。……戦場で思い出した。ノクス、エリシアに何を仕込まれた?」

 ゼロスが思い出したのはバステア山防衛の時のことだった。今まで戦略のせの字すらなかった烈風騎士団に突如として、ノクスが策士として名乗りを上げていた。あの時はエリシアが何かを言いかけていたが、ノクスが遮っていたはずだ。戦いが終わって、時間がある今。聞くには絶好の機会だろう。

「別にそこまで複雑な話でもないよ。彼女が沢山の本を持っていてね。『皆がリバーニアにいる間、これで勉強しなさい』って兵法書なんかを押し付けられただけさ」

「……そんなことが。あいつ、どこでそんな本を?」

「私の蔵書です」

 二人の背が伸びる。エリシアがつかつかと足音を立てながらゼロスたちのもとへと近づいてきた。

「ここ、失礼しますわよ。……あの本は私の家が取り潰される前、召使たちに運び出させたものです。あのような知識は失われてはなりませんからね」

 ごく自然な流れでノクスの隣に座ったエリシアは、本の出所を話し始めた。だが、ゼロスはそれよりも気になっていることがある。

「なんでノクスを選んだ。他の奴は……」

 エリシアは深くため息をつくと、ゼロスを強く指さした。

「まず、あなた。あなたに軍略は無理です。すべて自分の戦闘能力だけで解決しようとする。策も何もあったものではないでしょう。そして、団長と副団長。彼らは団の前に立ち、皆を鼓舞することが仕事です。頭を使うことが仕事ではありません。さらに、アイリーンさん。彼女には覇気が足りません。敵を殺すための策を考えられるほど、冷酷になり切れないでしょう。最後に、コルニッツォさん。……口下手では作戦の伝達は難しいですわね」

 ぐうの音も出ないとは、まさにこのことだった。端的に、そして確実にノクス以外が軍師に向いていない理由を並べ立てる。しかし、オルコス達なら。その言葉よりも前に、エリシアが否定した。

「オルコスとセリアも駄目ですわね。あれはもともと一騎士団の将ですのよ。策を考える役目ではなかったでしょう」

「……なら、エリシア自身はどうだ。そんな本を山ほど持っていたなら自分で……」

「もともと敵だったものが立てた策なんかが、信用に値するとでも?……甘い考えですわよ」

「……裏切るつもりなんてないだろう」

「それが甘いと言っているのです。……だからこそ、私はノクスさんに本を託しました。本は嘘をつきません。それから得られた知識が人を助けるか、それとも殺すか。それは知識を得た人自身に寄るのです。……失礼」

 エリシアはそう言い切ると、席を立った。いつの間にか食事を終えていたらしい。背中まで届く銀色の髪を揺らめかせながら、食堂から出て行った。

 

 朝食を済ませたゼロスはヴァイス園に向かっていた。シエラが言っていた用事とは何なのか。園に着くとアメリアがゼロスを出迎えた。

「あら、園長先生。おはようございます。何かご用事でも?」

「ああ。シエラから用事があると言われてな。朝飯を済ませたら来てほしいと言われたんだ」

「わかりました。では、お部屋でお待ちください。シエラさんを呼んできますので」

 ゼロスは久しぶりに園にある自室へと足を踏み入れた。前の孤児院に家具をほとんど置いてきたため、部屋はすっきりしている。一人掛け用のソファに沈み込んで、シエラを待ち始めた。すると、一分もしないうちにドアがノックされる。ゼロスはいつも通り「開いている。入っていいぞ」と声をかけた。ドアが少し開いたかと思えば、その隙間から小さな影が飛び出し、ゼロスのもとへ飛び込んだ。

「先生、おはよう!あそぼ!」

 この園で暮らす子供たちだった。先ほどのアメリアとのやり取りを見られていたのだろう。

「待て、今日は用事があるらしいんだ。シエラと話してからだ」

「じゃあ、お話が終わったら遊んでくれるってこと?」

「話の内容によるな。用事がすぐ片付くなら、遊んでやるさ」

「ほんと!?約束だよ!」

「ああ、わかってる」

 ソファに座るゼロスは、自分の膝上に座る子供の頭をなでながらそう言った。その時、またドアがノックされる。外からは「シエラです」と声が聞こえて来た。

「ああ、入ってくれ」

 ゆっくりとドアが開き、静かにシエラが入ってくる。そして、ゼロスの周りに集まった子供たちを見て「おや」と声をあげた。

「あなたたち、いつの間にこの部屋に……。まあいいわ。それよりも、今から園長先生と大事なお話をしなきゃいけないから、お部屋から出てくれるかしら?」

 子供たちは特に嫌がるようなこともなく、素直に部屋の外で待つアメリアのもとへと駆けて行った。それを見届けたシエラは、部屋の外に誰もいないことを確認しドアのカギを閉めた。シエラは何やら真剣そうな顔をしている。

「早速、本題に参りましょう。……近頃、アーサ平原付近に盗賊が姿を見せているようなのです。奴らはチューン城にまで足を伸ばしているようで、商人の馬車を何台も襲っているとか。そのせいで、商店もほとんどが休業中になってしまい、このままでは明日の食事すら怪しくなってしまうのです」

「で、それを俺にどうにかしてほしいってことか。……で、なんで俺に直接?騎士団への正式な依頼じゃ駄目なのか?」

「奴らの根城は、かつてのバルト園なのです。……私たちの古巣が、賊が私腹を肥やすための居城となっています。そんなこと、許していいわけがありません」

「……わかった。今すぐ出よう」

 ゼロスはソファから立ち上がり、ドアのカギを開けた。シエラは「よろしくお願いします」と頭を下げていた。廊下の途中、ゼロスと遊ぶのを心待ちにしていた子供たちが彼の足元に抱き着く。ゼロスはそのまま子供たちの頭をなでながら謝った。

「ごめんな。今日は遊べそうにない。これから外に行かなきゃいけないんだ」

「……わかった。明日なら、遊んでくれるよね?」

「ああ。約束な」

「うん!……行ってらっしゃい、先生」

「ああ、行ってきます」

 ゼロスは一度城内の自室に戻り、いつもの鎧を身に纏い剣を背負った。賊が相手ならそれなりの用意が必要だ。馬屋へと向かい、調子のよさそうな馬を選ぶ。おそらく今日は長い間走りどおしになることだろう。労うために体を軽く撫でた。鞍を取り付け、背中に飛び乗る。そして、バルト園へと向け、馬を走らせた。……彼の背中が小さくなって見えなくなるまで、見送っていた者がいたことに、ゼロスは気づいていない。


 バルト園までの道を急ぐゼロスは、道の途中にいくつも馬車の残骸が転がっているのを見つけた。そのいずれもが焼け焦げており、死体までもがまだその場に残っている。アーサ平原なら処理担当は帝都の者が行うはずだが、別件で忙しいのだろうか。焼け残った木材と乾ききった血が放置された時間を思わせる。ゼロスは少しだけ手を合わせ、問題の解決を急ぎバルト園への道を急いだ。

 バルト園まであと半分程度まで来た頃だろうか、ゼロスは丘の上で商人団が集まっているのを見つけた。近頃、ここは危険だ。少しばかり忠告するべきだろう。そう判断したゼロスは声をかけながら近づいた。

「よう、景気はどうだ?」

「……ん?ああ。まあ、悪くねえよ。あんた、一体何もんだ?」

「俺のことはどうでもいい。……近頃、ここらへんで盗賊団が暴れまわっているって話だ。その荷物たちも気を付けた方がいい」

「……ご忠告どうも。でも、俺たちは狙われねえかもな」

 商人たちは目を合わせ、にやつきだす。

「ずいぶんな自信だが、何を根拠に?」

「……俺がいるからな」

 木の陰にいたのだろうか、かなり大柄な男が姿を現した。人よりも頭一つ背が高いゼロスよりも、はるかに高い。2m以上は確実だろう。男は殺意にも近い警戒心を隠すこともないが、ゼロスもそれに臆さない。

「俺が用心棒としている限りこの馬車は襲われない。お前の心配は杞憂だ」

「……ならいい。だが、盗賊相手だと舐めるなよ。いくつも死体が転がっている。奴らは手段を選ぶ気はないだろうな」

「盗賊相手に後れを取るほど、俺は軟弱ではない。……失せろ、素性も明かさぬ男。今すぐお前を取り押さえてやってもいいんだぞ」

 男は警戒心をさらに強めるが、ゼロスは意に介さない。

「忠告はした。あとは知らん」

 そう言って、商人団のもとから発った。もともと彼の目的はバルト園にいるという盗賊の征伐。商人どもには忠告したのだからそれで十分だった。

 チューン城を出てから一時間ほどが経った。バルト園が視界に入っている川の近くで、ゼロスは馬を休ませていた。ほぼ走り通しだっただけに疲労がたまっているだろう。

「お疲れ様だな。ここで休んで待っててくれよ。すぐに片づけてくる」

 ゼロスは馬の身体をなで、労をねぎらう。そして馬をそこにおき、一人で盗賊の巣窟となっているらしい孤児院跡へ向かった。キースの手下に襲われてから一か月近く経っている。人が住まなくなった家というのは、想像を超える速度で壊れていくらしいのだが、ここはそうではなかった。確かに寂れた雰囲気を漂わせてはいるものの、雨風などで風化したような形跡がない。おそらく誰かが手入れを行っている可能性が高い。盗賊がそこまでするかは怪しいが、せっかく見つけた住処を失いたくないが故の行動と考えればそこまで不思議でもなかった。

 ゼロスは特に隠れるようなことはせず、正面から堂々と玄関に向かっていく。すると、背後から「待ちなされ」と呼び止められた。振り返ると、腰の曲がった老人が一人立っている。フードをかぶっており、顔は良く見えない。彼の周りには何もなく、まさに突然姿を現したと言わんばかりだろう。ゼロスは警戒しながら口を開く。

「何か用か?」

「お前さん、どこに行くつもりじゃ?まさかあの廃墟に行こうとしてるのではないじゃろうな?」

「そのまさかだ。あそこは盗賊共の住処になったみたいでな。商人どもが相当困らされてる。だから片付けに来た」

「……ならぬ」

「何?」

「奴らに関わるな。関われば必ず死に至るぞ。……盗賊を捕らえるため、何人もの帝国騎士がやってきたが、誰一人として廃墟の中から出なんだ」

「そうか。……なら、違う方法をとるとしよう。……離れてろ」

「何をする気だ?」

 ゼロスは謎の老人の言葉に答えることはなく、背中に背負っていた剣を手に取り、魔力を高めていく。

「うおおおおお……」

 そして、渾身の一閃を放った。

「こうするんだよ!……『壊刀嵐魔』!」

 横一文字に振りぬかれた剣は衝撃波を生み、吹き荒れる嵐となって孤児院跡を襲う。ただの木造建築なら、この一撃で破壊できる。屋根がはがれ、壁が崩れ、柱がへし折れていく。中にいたであろう盗賊たちも、嵐に呑まれ巻き上げられていた。……嵐が収まったときには、孤児院跡は土台と少しの壁や柱を残して崩壊していた。盗賊立ちも誰一人として生き残っていなかった。しかし、土台の下、地下室から獣のごとき声が聞こえてくる。

「……しまいじゃ。悪魔を起こしたようじゃな」

 フードをかぶっている老人は、冷静にそう告げた。

「悪魔だと?どういうことだ」

「一週間ほど前、とある男が盗賊団を訪ねた。その男は盗賊団の頭領にある取引を持ちかけた。……『五年は遊んで暮らせる金品をくれてやる。その代わり、お前を実験台にさせてくれ』とな。頭領はその取引を聞き入れた。……その結果があれよ。奴は身に魔を宿した」

 鉄の棒が地下から飛び出し、地面へと突き刺さった。獣らしき咆哮はさらに勢いを増している。

「そんなバカげた話、ある訳……。いや、案外そうでもねえかもな」

 ゼロスはクバルとガルディアのことを思い出していた。『シャーディンの痣』を取り込み、飛躍的な魔力強化を遂げた二人。その代償としてか少々人格に難があるようになってしまっていたが。……おそらくだが、その頭領の男も『痣』を移植したのだろう。しかし、何かしらの原因により、人としての理性を失ってしまったといったところか。ゼロスは呆れたようにため息をつくと、剣を構えなおした。

「……戦うつもりかね。あの化け物と」

 おそらく孤児院跡の地下は牢屋に改造されていたのだろう。破壊された鉄柵の残骸がいくつも飛び出している。

「もうすぐであれはあそこから出てくる。あんなバケモン放っておくほうが危ないだろう」

「死ぬやもしれんぞ。何人もの帝国騎士がすでに躯と化しているのだからな」

「なら、あんたは遠くに逃げると良い。……こんな奴を放っておけば、何人もの罪の無い人が殺される。それだけは御免だ」

 ついに牢が破られた。地下から飛び出したのは一人の人間だった。しかし、眼はぎらついていて理性のかけらもなく、四つん這いでゼロスの様子を窺っている。喉奥から唸り声をあげており、まさに狂った獣という比喩が正しい。

「ウウウ……。ウオアアア!」

 獣がゼロスへと飛びかかった。獣は鋭く伸びた爪で、ゼロスの皮膚を引き裂こうとしているのだ。

「ふっ!」

 すかさず、ゼロスが裏拳を獣の顔面に打ち込む。獣はまるでゴムまりのように跳ね、がれきへと体を打ち付けていた。

「ガアア!……ウウオオアア!」

 しかし、奴にダメージはなく、怒りを買っているだけに過ぎなかった。その場から走り出し、また宙に飛ぶ。また同じ攻撃かと思われたが、今度は両手にいつの間にか短剣を握りしめていた。

「アッ!」

 奴は空中で短剣を投げつける。ゼロスはいともたやすく手ではじくが、奴は手に持っていたもう一本の短剣でゼロスの懐にもぐりこんでいた。

「グアア!」

 力いっぱいに振りぬかれた短剣を間一髪飛びのいて躱し、もう一度顔面に右のブロウを叩き込んだ。

「……できることなら捕らえた方がいいかもしれないが、無理だな。……片付けてやる」

 クバルやガルディアなど,『痣』に呑まれた者が敵として存在し、なおかつ奴らはまだ仲間を増やそうとしている。ならば少しでもそれに対抗するため、研究材料の一つぐらいは捕らえるべきだろう。そのために、ゼロスは手加減をしていた。しかし、奴に痛覚はないのか、ダメージを負っている様子はなく、それどころかなおのこと怒りを燃やしている。これ以上行くと手を付けられなくなってしまう可能性もある。余計な被害が出ないうちに、ゼロスは奴を始末すると決めた。

「アアア!ウアアアアア!」

 魔に飲まれた獣は吠える。『痣』が体を蝕むのか、それともゼロスの攻撃が効き始めたのか。怒りは留まるところを知らず、かろうじて人だったことを証明していた顔すら、異常な筋肉の発達により皮膚が裂けている。その痛みが、奴をまた怒りに染め上げる。いくら盗賊として罪を重ねたとはいえ、このような有様は罰とは言い難い。

「来い。……終わらせてやる」

 ゼロスは剣を構えた。それにこたえるように、獣も駆け出す。短剣を握りしめ大きく振りかぶった。ゼロスはがら空きになった胴に袈裟切りを放った。獣は二つに分かれ、地面に転がる。これで終わったと、ゼロスは剣を背負った。しかし、上半身だけになってもなお、奴は執念深く彼の首を狙い、動き出した。

「……何っ!?」

「ガアッ!」

 不意を突かれ、ゼロスは右足を切りつけられてしまった。しっかり鎧で防護していたはずだが、あまりの力強さに鎧ごと切り裂かれたようだ。一瞬ひるんだが、すぐに剣を握りなおす。

「ふん!」

 奴が二撃目を放つよりも前に、剣を振り下ろした。頭から真っ二つにしたことで、獣はようやく動きを止めた。ゼロスが死体を調べる。予想通り、右顎の下から首にかけて『痣』がついていた。この男もクバル達と同じような手術を受けたことは間違いないだろう。しかし、一体だれが『痣』を移植する手術を提案したのか。ゼロスには見当もつかない。ゼロスは自らの剣に付いた血を拭っていた時、後ろから声をかけられた。

「終わったのか」

「……まだいたのか。どこかに行ったと思っていたが」

 それは、謎の老人だった。この場は危なくなるとゼロスは忠告していたはずだったが、どうやら近場で様子を窺っていたらしい。事が片付いた今、また姿を現したのだ。

「……ふむ。『痣』の影響か。顔の形状までもが、獣へと近づいている。いやはや、なんとも……」

「なあ、誰がこいつに『痣』の手術をしたか知らないか?」

「知らぬな。……だが、こやつが閉じ込められていたであろうあの地下に、何かが残っているやも知れぬな」

 ゼロスは野ざらしとなったバルト園を見つめる。今思えば、ここを離れたのもキースによる何かの実験台として子供がさらわれかけたからだった。もしやその実験も『痣』に関するものだったのだろうか。もしそうなら、この孤児院は『影の一族』に魅入られた者によって破壊されたということになるか。ゼロスは深くため息をつき、地下室へと向かった。

 地下へと続く階段は、ゼロスの見知らぬものとなっていた。階段の出入り口に鉄の扉が追加され、より厳重さを増している。先ほど奴が飛び出したせいか、中央には穴があけられているが。地下への階段を下り、もともとは金庫としていた空間にたどり着いた。予想通り中は牢屋に改造されていた。縦横に張り巡らされた鉄柵が、中に閉じ込められていた者をどれだけ恐れていたかを表している。壊れたドアを通って、牢屋の中へと入る。壁にはろうそくが備え付けられており、部屋をぼんやりと照らしていた。床には乾いた血がそこら中に飛び散っている。そして、部屋の隅に置かれた壺の中には、いくつもの白骨が入れられていた。頭蓋骨の分だけでもおそらく三十人近く。盗賊団を捕縛するために派遣されてきた帝国騎士たちで間違いないだろう。誰一人アレに勝てず、逆に血肉になったということか。盗賊団が金品ではなく食料品ばかりを狙っていたのも、これが原因なのだろう。『痣』に呑まれたことによる暴走が、異常な食欲を呼び起こした。人格の変化があり得るのだから、不思議という訳でもない。……帝国騎士の彼らは、供養する必要があるだろう。壺は三つほどだったが、ゼロスはそれを一つずつ運び出し始めた。一つ目の壺を地上に出した時、あることに気づいた。老人がいないのだ。そして、盗賊の頭領の死体もなくなっている。

「……どこに行った。死体を持っていったのか?」

 杖をついて歩く老人がバラバラになった死体をすべて運んでいけるだろうか。もしかすると、どこかに協力者でもいたのかもしれないが、今になってはもう知る由もない。あの老人のことは忘れ、壺を運び出すことに集中した。少々時間はかかったが、三つとも運び出し終えられた。しかし、これらを運んで帰るためのものがここにはない。馬車はいくつかあったようだが、バルト園を破壊するときに巻き込んでいたせいで、どれも使い物にならない。どうしたものかと途方に暮れていた時、遠くからゼロスを呼ぶ声が聞こえてくる。

「おーい、ゼロスさーん」

「……アイリーン?なぜここに……?」

 アイリーンは馬車の御者台に座り、ゼロスに向け手を振っている。ゼロスは彼女のもとへ駆け寄った。

「なんでここにいる?何をしに来た?」

「私、ゼロスさんが城を出るところを見たんです。それで、理由が気になっていろんな人に聞いて回ってみたら、シエラさんが頼みごとをしたと教えてくれまして。心配になってあとをつけたんです」

「……そうか。で、そのでかい馬車は何だ?……まるで商人用の代物みたいだが」

「ああ、これですか。実は、ここに来る途中、賊に襲われまして。返り討ちにしてこれをもらってきたんです」

――――――

 アーサ平原。アイリーンはゼロスの後を追って、馬を走らせていた。道中、いくつもの馬車の残骸を見つけ、そのたびに胸が痛む。今回の盗賊達は手段を選ばない残酷な者達が集まっている。彼女は胸が痛むとの同時に、それを一人で相手するゼロスのことを心配していた。彼は強い。並みの人間なら片手でどうにかできるだろう。だが、相手は人を出し抜くことを生業とする者達である。万が一がないとは限らない。……アイリーンは、足を速めた。

 その途中、そこそこの大きさの商人団と鉢合わせた。用心棒らしき屈強な男もいる。盗賊団の影響はやはり計り知れない。アイリーンがそのまま通り過ぎようとすると、彼らは声をかけて来た。

「やあ、お嬢さん。今日はいい天気ですな」

「……ええ、そうですね」

「どうです?私たちとお食事にでも行きませんか?」

 往来の最中、馬車の荷台から顔をのぞかせた男は、アイリーンを口説き始める。しかし、もともと貴族の令嬢としてそのような手合いには慣れているアイリーン。端的に、冷たく突き放した。

「いいえ、結構です。私、急いでいますので」

 しかし、男たちはしつこい。用心棒の男がすぐに回り込み、彼女の行く手を遮る。

「何のつもりですか?人の道をふさぐなど、非常識では?」

「非常識なのはお嬢さんだ。せっかく俺が誘ってやったのに恥かかせやがって……。舐めんじゃねえ!」

 その言葉が合図となったのか、馬車からぞろぞろと男たちが降りてくる。そのいずれもが短剣を持ち合わせ、同じ刺繍が入ったスカーフを手首に巻き付けていた。

「……あなたたちが盗賊団でしたか」

「ああ。一部だがな。残りは根城にいる。ひとっ走りして援軍を呼べば、ここにいる奴らの三倍の人数が出張ってくるぜ」

 十五人ほどが、アイリーンを取り囲む。そのいずれもが「へへへ……」と下衆な笑い声をあげていることに、アイリーンはため息をついていた。

「おっと。おとなしくしろよ。俺たちゃ泣く子も黙るスパーダ盗賊団。レディの扱いなんざ誰にも習ってねえ。……まあ、悪いようにはしねえさ。おとなしくしてたらな」

 馬車の中から顔を出している男も右手で短剣を器用に振り回し、アイリーンを脅しにかかる。今まで彼らはこうして、罪のない民を食い物にしてきたのだ。

「久しぶりの上玉だ。団長も喜ぶだろうぜ?……くへへへ……」

「……最期の言葉はそれでよろしいですか?」

「……は?」

 その瞬間、舌を出して笑っていた男の舌が切り落とされた。男は言葉にもならぬ叫び声をあげ、馬車の中で転げまわっている。アイリーンを取り囲んでいた彼らは、一体何が起きたかを理解するのに時間がかかっている。その隙をつかれ、また一人胸を貫かれる。アイリーンがどこからともなく呼び出した剣で、一瞬のうちに二人を始末したのだ。彼らはそれに二人の死をもってようやく気付いたが、あまりに遅すぎたと言わざるを得ない。馬上から飛び上がったアイリーンはその場で回転し、滑るように剣を振るう。まるで舞がごときの剣戟に湧くように、彼らの首が宙を舞った。噴き出す血は万雷の喝采のごとくである。

「なっ……。このアマ!」

 盗賊ごときにもそれなりに情というものがあるのか、仲間を殺され激昂する盗賊たち。しかし、アイリーンは意に介さない。

「『剣技・乱れ華』!」

 素早く移動し、一瞬で敵の懐にもぐりこむ。そして、一突きで相手を絶命させ得る急所を貫く。それを何度も繰り返し、噴き出す血が華のように見えることから名づけられた、アイリーン自身で編み出した技である。生半可な相手では、アイリーンが動く速さを見切ることができず、なすすべもなくやられるだけである。しかし、ある程度以上の鍛錬を積んでいる者ならば、この動きを見切ることができる。それからは簡単だ。攻撃は急所への一突き、楽に防ぐことができる。

「くっ……」

 アイリーンの剣が止められる。止めた男は用心棒役の屈強な男だった。

「……なかなかだな、『戦姫』アイリーン。噂にたがわぬ実力だ」

「私を知っているとは、あなたももとはどこぞに仕える兵だったようですね」

「ああ。まあ俺が仕えていたところは、領主も死んで後継ぎも姿を消したせいで取り潰しになったがな。そのせいで俺は食いっぱぐれてんだよ。今は盗賊稼業が、俺の生命線……。こんなところで、正義ぶった女に殺されてたまるかよ!おらっ!」

 男は受け止めたアイリーンの剣を、彼女の身体ごと弾き飛ばす。並外れた体躯であるぶん、膂力も人一倍だ。

「……久しぶりだ。互いの命がかかったやり取りは。……我、『激震』のブロード!いざ、尋常に!」

 ブロードが剣を振り下ろす。アイリーンを狙っているとは思えない、雑な太刀筋。案の定彼女をとらえることはなく、剣は地面へと叩きつけられた。その瞬間、地面にひびが入り、震える。

「……なるほど。『激震』の名の通りという訳ですか」

「おうとも。俺の魔法は地面を伝い、敵に衝撃を与える。……人というのは、地面からは逃れられん。一時、空に跳ぶことは出来よう。しかし、いつまでも空にいられるものなどいない!つまり、俺の魔法から逃れられるものもいないということだ!……今のは、小手調べだ。次からは本気で行くぞ。覚悟しろ!……ウオオオオ!」

 ブロードはまた剣を振り上げる。今度は先ほどよりも高く、大きく振りかぶっている。彼自らも剣の切っ先を見上げ、これから訪れるであろう自らの勝利を妄想していた。しかし、それは鋭い痛みと共に霧散する。

「ガラ空きです」

「……は?」

 アイリーンがブロードの腹へゆっくり剣を埋めていた。彼は言葉の代わりに血を吐く。彼女が腹を貫いた剣を引き抜くと、刃を追うように血が噴き出す。彼はそれを必死に手で押さえるが、出血は止められない。次第に膝をつき、ついには地面へと倒れこんだ。

「う……お……」

 何かを口にしているが、口にたまった血が言葉を濁す。結局はっきりとしたことは言えぬまま、アイリーンに伸ばしていた腕がだらりと血の海に沈んだ。

「……さて。まだやりますか?」

 アイリーンは振り返る。そこには馬車の御者台に座っていた男たちが互いに身を寄せ合っていた。どうやら彼らに戦うつもりはないようである。彼女は彼らにゆっくりと近づき、見逃してほしいと懇願する彼らを無視して、剣の柄で頭を殴りつけた。アイリーンは心底渋い顔をしていたが、一度深呼吸をして切り替えると、馬車の中にあった縄で気絶させた彼らを縛り上げ、馬車の荷台へ積んだ。そして、自らが乗ってきた馬と馬車を繋ぎ、ゼロスのもとへと改めて出発した。

――――――

 アイリーンは馬車から降りると、荷台の垂れ幕を開いた。そこには先ほどゼロスが忠告した商人たちが縛られていた。どうやら、彼らは商人のふりをしていた賊だったようである。

「怪我はしてないか?」

「ええ。賊程度に遅れはとりません」

「そうか。ならよかった。……この馬車、借りていくか」

 ゼロスは荷台に乗せられていた賊を隅に寄せると、開いた隙間に壺を積んだ。

「この壺は何です?」

「賊どもが手にかけた奴らの骨が入ってる。あまり見ない方がいい。……よし、帰るか。悪いな、とんぼ返りになっちまって」

「いえ、元はと言えば勝手についてきた私が悪いので」

「そう言うな。馬車を引いてきてくれただけでありがたい。……さあ、行こうか」

 ゼロスは乗ってきた馬を馬車につなぎ、廃墟と化したバルト園を後にした。時刻は昼、日は高く昇り、強く照っている。アイリーンは手綱を握るゼロスに、あることを尋ねた。

「そう言えば、盗賊の頭はどうしました?あれを逃がしてしまうと、またどこかで別の盗賊団を組織されるかもしれませんね」

「……殺した。だが、死体はどこかに消えた」

「え?死体が消えた?どういうことです?」

「俺がバルト園に着いた時、フードをかぶった爺が話しかけてきたんだ。何やらこいつらの事情に詳しそうだったが、話すだけ話してどこかに消えやがった。おそらくだが、死体はその爺が持っていったんだろうな」

 ゼロスは親指で荷台に寝転がっている賊を指さしながら答える。しかし、その回答は新たな疑問を生むだけに過ぎない。

「わざわざ死体を……。一体、何のために?」

 ゼロスは「他の奴には話すなよ」と前置きし、あの場で起きていた出来事を話し始めた。

「消えた爺曰く、盗賊団の頭は金と引き換えにある手術に協力した」

「ある実験……。まさか、それは……」

「おそらくそれが正解だ。……『シャーディンの痣』の移植手術。およそ常人を超越した力を手に入れられる手術だが、その代償は計り知れない。……奴は、その代償に呑まれた。人をやめ、獣と化した」

「……それで、殺したと」

「ああ。捕らえられる気配すらなかった。あいつの頭には、殺すか殺されるか。その二択しか存在していなかったんだろう」

 仕方なかった。そう言葉にせずとも、ゼロスが何を言おうとしているかは分かりきっていた。アイリーンはそのことには何も言わず、話を変える。

「そうでしたか。……ところで、その消えたご老人についてなのですが。その方が手術を施した張本人とは考えられませんか?」

「何?」

 ゼロスにとっては突拍子もない考えだったのだろうか。手綱を握っているというのに、驚きのあまりアイリーンの方を向いている。彼女は気にすることなく続ける。

「あれだけ盗賊団の事情に詳しかったのも、死体を持って帰ったのも、その方が張本人と考えればしっくりくるはずです。盗賊の頭と話したから事情に詳しい、被験者の死体は回収して研究材料にする。……どうでしょう?」

「……だが、なぜ奴は俺にそのことを話した。奴が首謀者だとして、それを隠さない理由なんて……」

「逃げる手段をすでに用意していたのかもしれません。そもそも老人の姿というのも本当がどうか怪しいですし」

 ゼロスは黙った。自分の中で考えを整理している。そして、ある一つの結論を導き出した。

「……逃がしたのはミスだったか」

「まあ、もともとの目的である盗賊の征伐に関しては滞りなく完了しましたし、そこまで気にしなくてもいいのではありませんか?」

 ゼロスは自らの顎を撫でた。

「……もし、奴が本当に『痣』の実験の首謀者だったとして、放っておいていいのか?……だが、俺には奴を追うだけの材料がない。今は諦めるしかないか」

「そうですね。また奴らが何か行動を起こさない限り、私たちはどうすることもできませんね」

 ゼロスは短く息を吐くと、「仕方ないか」と言って改めて前を向いた。道の途中にはまだ盗賊たちに襲われた者の残骸が残っているが、これらも次第に片付けられるだろう。これで、盗賊団の一件は解決するはずだ。だが、その解決はまた新たな火種をくすぶらせていた。

 城へと戻ったゼロスはシエラに簡単な報告を済ませると、すぐにヴァイス園内の自らの仕事部屋に向かった。運び出した三つの壺と、捕らえた盗賊の残党を帝都に送るための書簡をしたためるためだった。使い込まれたペンを握り、よどみなく文字を書いていく。アイリーンはそれが意外だったのか、目を丸くしていた。視線に気づいたゼロスが、字を書きながら話す。

「意外だったか?俺が字を書くのは」

 ゼロスがそう言うのも無理はない。他の大陸がどのような教育体系か定かではないが、アダマンテ大陸において『字を書くこと』は『貴族の特権』なのだ。かつては万人に平等な教育が施されていたようだったのだが、時が経つにつれ貴族たちが金で教師を雇う、いわゆる家庭教師が流行り始めた。自分たちの好きな時間で、好きな方法で、満足いくまで。融通の利かない学校という組織はすぐに貴族に見放された。結果、貴族の出資に頼っていた学校組織はすべて崩壊し、一般家庭の子供たちは教育を受ける機会を失った。家庭教師を雇おうにも、異常なほどに値が張る。もとは貴族用のものだから仕方ないとしか言えない。そのため、今でもアダマンテ大陸に住む一般人の、およそ七割は字を書けないと言われている。その上、ゼロスは戦災孤児。まともな教育を受ける機会は並の子供以下だろう。だからこそ、アイリーンは驚いていたのだ。

「……ごめんなさい。でも、そんなつもりは……」

「気に病むな。……これは、シエラに教えてもらったんだ。俺が園長をやるって決まったときにな、『字が書けないと困りますよ』って言ってな。それから一年、徹底的に叩きこまれたんだ」

 ゼロスはペンを滑るように動かす。彼が書く字は、貴族の中でも類を見ないほどの流麗な字であった。これも、アイリーンを驚かせる要因だったといえよう。

「……綺麗な字を書くんですね」

「ああ。園長になってから取引用の書類を書く機会が多くてな。……汚い字じゃ相手になめられる。取引もある意味勝負だ。どっちが上に立つかのな。だから、俺は使えるものは何でも使う。……ただ、それだけのことだ」

「そうやって……。子供たちを守ってきたんですね」

「ああ。……『仕事しすぎ!』って叱られるような情けない園長だけどな」

 そう言うゼロスの顔は嬉しそうにほころぶ。理由はどうあれ、彼は子供たちに慕われている。彼はそれをかみしめているのだ。それを見ていたアイリーンもつられて微笑んだ。ここまで穏やかな気分は久しぶりかもしれない。書簡を書き終えたゼロスが立ち上がる。アイリーンは緩んでいた頬を引き戻し、平静を装った。見られて不味いものでもないが、尋ねられれば少々困る。

「どうした?」

「いえ、なんでもありません。本当に、なんでもないです」

「……そうか。じゃあ、俺はこの書簡を渡しに行ってくる。……アイリーン、今日は助かった。ありがとう」

「いえ、私はそんな……」

 アイリーンが何かを言いきる前に、ゼロスは部屋を出て行った。一人ゼロスの仕事部屋に残されたアイリーンは、先ほどまで彼が座って書き物をしていた椅子をじっと見つめたのち、子供たちに会いに行った。

 ゼロスはチューン城西門前に来ていた。ここには帝都とのやり取りを行うため、早馬を出してくれる事務所がある。戦いが終わった後、エリオットがしたためた戦果報告書はすべてここから帝都に送られ、その後しかるべき報酬が支払われているのだ。

「よお、いるか?」

 ゼロスは事務所の窓口に声をかける。受付に人はいないが、大抵奥でさぼっているだけだ。そもそも、帝都とのやり取りをするのは烈風騎士団ぐらいなのだから、普段は暇なのである。ぼさぼさの頭で奥の部屋から出てきたのはメイア。事務所の受付を担当している。

「は~い、何か御用ですか~?……って、あれ?ゼロスさんが来るのは珍しいですね。一体どんなご用事で?」

「最近ここらを荒らしてた盗賊を始末したんだが、盗賊の残党と帝国騎士の亡骸と思しきものを見つけてな。帝都に引き取ってもらおうと書簡を書いた」

「なるほど~。お疲れ様ですね。じゃあ、何時までに帝都に届けます?」

「できるだけ早めに頼む。亡骸は早く家族に返してやった方がいいだろう」

「……了解です。後で兄に渡しておきますね」

 メイアには兄のオーファンがいる。彼が帝都まで馬を走らせ、書簡を届ける役割を担っている。彼はもともと帝国の騎士だったようだが、負傷を理由に今は前線を退いているようだった。

「ああ。頼んだぞ。……ところで、最近飯はちゃんと食ってるか?」

「ええ、もちろん。あれだけ騒がせましたからね、反省してますよ」

 というのも、帝都へ書簡を届ける仕事というのは先ほども言った通り、普段は暇なのである。そのため、稼ぎで言えばあまりたいしたものではなく、一時期彼らは明日食う飯にすら困っていたことがあった。それを書簡を届ける依頼をしに来たエリオットに見つかってからは、逐次こうした確認を取っている。そのほか、先月からは烈風騎士団の稼ぎから、彼らへの給料を支払うようになっていた。

「まあ、困ってないならそれでいい。……じゃあ、書簡のこと、頼んだぞ」

「は~い、お任せください。それではまた」

 目尻が垂れる緩やかな笑みを浮かべて、メイアはゼロスを見送った。あの緩やかな表情が人気なのか、騎士団の間では彼女に会うためいち早くエリオットの書き終えた書簡を代わりに届けようとする者達がおり、どれだけ顔を合わせたかと競い合っているようだった。

 書簡を任せたゼロスはもう一度ヴァイス園へと向かった。もうすぐ日が沈んでしまうが、子供たちと遊ぶという約束をした手前、少しでも時間があるならその通りにしたいという気持ちがあったのだ。園の入り口にはシエラが立っている。彼女はゼロスの姿を見るなり、手を招いて呼び寄せ、耳を向けるように言ってきた。どうやら周りに聞かせたくない話があるようだ。

「なんだ?また厄介事か?」

「いえ、そう言う訳ではありませんが……。実は、アイリーンさんが先ほどまで子供たちと遊んでいてくださいまして。それまでは良かったのですが、いつの間にかあの方と園長との関係の話になってしまい……」

「あー……。なるほどな」

 子供というのは大抵夢見がちなものである。その上、幼少期というのは特にませている。親しい大人の男女を見れば、すぐにそう言う話に発展するのも致し方のないことなのか。その上、今までその話題の中心だったのはゼロス自身だったのだが、傭兵時代中はそんな浮ついた話などない。そのような話を求めている彼らからすれば、つまらないことこの上ないだろう。そこへ、アイリーンという大人の女性、しかゼロスと親し気な女性というのが現れてしまった。彼らに言わせれば『絶好のおもちゃ』だ。手放すはずがない。

「そんな話をしている途中に園長が姿を現わせば、どのようなことになってしまうのか。想像に難くありません。……ですので、申し訳ありませんが今日は……」

 具体的に何を聞かれているかはゼロスには分からないが、わざわざシエラが見張りに立つということは相当刺激的な話をしているのだろう。そんな中足を踏み入れれば、アイリーンはパニックになってしまうに違いない。ゼロスは肩をすくめ、来た道を戻ることにした。ゼロスはその後、アイリーンと夕食時に城内の食堂で顔を合わせたのだが、何を聞いても「なんでもありません」としか返ってこず、あの場で何を話していたか聞き出すのは諦めざるを得なかった。


「いささか不用意ではなかったか、アベルよ」

 コンテッド王国、王城内玉座の間。頬杖をつくキースは目の前にいるアベルを問い詰めていた。

「確かに、『痣』の経過観察は貴様の急務。私も、そう命じた。だが、それをよりにもよって『嵐』に見られたあげく、生かして帰すとは何事か」

 キースもすっかり『痣』の魔力に吞まれたのか、横暴かつ傲慢な態度が身についてきている。一国の主として不足ない威圧感を前に、アベルは平然と反論する。

「では、お言葉ですがキース様。……この大陸内において、『嵐』を破ることができる者はどれほどいるのでしょう?その内に、私の名は挙がりますか?」

「……ふむ。貴様の言葉の通りのようだ、訂正しよう。……やはり、誰かを護衛として連れて行くべきだったのではないか?」

「お判りいただければ十分です。……ですが、私には、危険な場から逃げ出す魔法の才がありますので」

 その証拠と言わんばかりに、アベルは瞬く間に姿を消した。と思えばいつの間にかキースの隣に姿を現している。この瞬間移動が『痣』で手に入れたアベルの魔法だった。

「……皮肉よな。家督を継ぐ才に恵まれなかったお前が得たのは、すべてから逃げ出すための魔法とは」

 アベルは一瞬だけ、苛立ちを顔に映した。しかし、それをすぐに取り繕い、次の話題へと移る。

「私の過去はお忘れください。……それよりも、五影将の編成についてですが。目途が立ちましたことを、ここにご報告いたします」

 五影将。その名を聞いた途端、キースはやにわに表情を明るくする。彼にとっては待ち望んでいたことだったようだ。

「『痣』に適合した者の中からさらに選りすぐりの者を集めた組織。それこそが五影将。すでに二つの席は埋まっているが、残りの三つも埋まるのか」

「ええ。実験として死にかけの身体に『痣』を埋め込んでみたところ、普通に適合するよりも大幅な魔力の飛躍を遂げた者もいまして。……現在、彼らは自らの力を十全に操るための調整期間に入っております。おそらく、あと一週間ほどでキース様にご挨拶できるかと」

「……良いぞ、大陸を我らが手中に収めるのは、もはや目前だ!……奴らには、あと一か月の時をくれてやろう。最期の安寧、邪魔をするほど我は無粋ではない……。フフフフフ、ハハハハハ……!」

 

 翌日、チューン城。日課の訓練を終えたゼロスは、早めに朝食を済ませ、外でロンと話していた。

「おはようございます、ゼロスさん。馬車と宿の手配、どちらも滞りなく」

「助かった、礼を言うぞロン。……あとは、皆がここに集まるだけだな」

 ゼロスの目の前には、ロンが勤めている会社から引っ張り出した大型の馬車が十台ならんでいた。武骨な作りだが、安全ならばそれでいい。ゼロスが荷台を確かめているうち、烈風騎士団の皆が集合場所出る馬車屋の前へと集まってきた。皆、並べられた馬車をみて感嘆の声をあげている。

「とんでもねえな。……ゼロス、コレ一人で用意したのか?」

 そう聞くのは一人だけ荷物が多いエリオット。紅蓮騎士団にチューン城のことは任せるつもりだが、良心の呵責が働いたのか、仕事の一部を持ち出しているようだった。

「俺は頼んだだけだ。礼ならこの、ロンに言ってくれ」

 ゼロスはそう言ってロンの背中を押し、皆の前へと押し出す。皆から一斉に思い思いの感謝を受けたロンは気恥ずかしさからか、顔を真っ赤にして「馬車の整備があるんで」と言って物陰に隠れてしまった。そうしているうちに、ヴァイス園の子供たちも、集合場所へと集まる。子供たちは皆、ゼロスの意向で今日何が行われるかを知らない。だが、これほどの用意を目の当たりにすれば、何が起きるかは一目瞭然というものだった。子供たちはやにわに色めき立つ。

「よし、みんな来たな。……何と!今日からみんなで、バラキアに行くぞ!」

 子供たちがそろったことを確かめたゼロスがネタを明かす。彼らは当初何を言っているか理解できていなかったようで、口をぽかんと開けたまま立ち尽くしていた。しかし、次第に状況を理解するにつれ、子供たちは歓声を上げる。嬉しさのあまりゼロスに抱き着く子もいた。何分かかけ、ようやく皆をそれなりに落ち着かせると、いよいよ出発の時だ。

「さあ、そろそろ出発の時間だ。みんな、先生たちの言うことをちゃんと守って馬車に乗るんだぞ、いいな?」

 子供たちは「はーい!」と元気よく返事をし、シエラたちに連れられ馬車へと乗り込んでいく。園長としての仕事をこなしたゼロスには、騎士団の皆から温かい目が注がれていた。

「……お前らもぼうっとしてないで。早く乗り込め。置いてくぞ」

 照れ隠しの一言でバカンスの機会が失われかける。皆はすぐさま荷物と共に荷台に乗り込んだ。大型である分、中も広く、一台およそ大人六人程度乗ることができる。子供たちは体も小さく、荷物はシエラたちがまとめているため、十二人ほどで馬車にのりこんだ。監督としてシエラたちも一緒に乗り込んでいるが、狭くはなさそうだ。ゼロスとアイリーンも、それぞれ監督として子供たちと共に乗り込み、用意が整った。最後にロンが全員乗ったことを確認し、ついに先頭の馬車がゆっくりと動き出した。

 

 ゆっくりとバラキアへ進む馬車の中、エリオットは同乗していたコルニッツォと話していた。

「なあ、コルニッツォは里帰りとかしないのか?」

 ともにその場にいたカリンも「特に用事がないなら今のうちにしておいた方がいいんじゃないか?」と続く。彼は少し考えるそぶりを見せたのち、首を横に振りながら答えた。

「……するつもりはない。俺が傭兵になると伝えた時、母はすでに病魔にむしばまれていた。幸い、父が貴族であることもあり側室だった母もそれなりの医療を受けた。だが、母は死んだ。ちょうど五か月前の、雪が降った冬だった。……覚えているだろう、大雪の中手紙を届けに来た男がいたことを」

「……ああ。確かにそんなこともあったな。そうか、その時の手紙が」

「……母の危篤を知らせる手紙だった。俺はすぐに母が治療を受けている病院へと急いだ。その病院に着いた時、母はまだ生きていた。『息子の顔を見るまで死ねない』。そう繰り返していたらしい。……母は、俺の手を握ると安心したようにそのまま眠りにつき、二度と目覚めなかった」

「……すまない、つらい話をさせてしまって」

「構わない。……それより、カリンはどうだ。エリオットは里帰りをすると前に言っていたが」

 コルニッツォは自分の話を終わらせ、カリンに話すよう促す。せっかくの楽しい旅行だというのに、自分の思い出で台無しにしたくはなかったのだろう。カリンは当初話辛そうにしていたが、観念したように一度息を吐いてから話し始めた。

「私もしないだろうな。団長が城にいない間、副団長まで城を開けてしまえば問題になろう。……それに、剣を取ると決めた日、父には勘当を言い渡されている。帰ったところで追い出されるだろうな」

「それは、カリンを大事に思ってのことじゃないのか?戦場じゃ何が起きるかわからない。特に女なんて辱めにされることも少なくないんだからな。なら、勘当を脅しに使って傭兵稼業を諦めさせようとしたとか」

 自分の父のことを苦々しく話すカリンを前に、エリオットは想像しうるだけのフォローを入れる。しかし、彼女はそれを笑い飛ばした。

「ハハハハ……。そんな気持ちでいてくれたらどれだけよかったことか。だが、父は違う。あれは前時代的な人間の象徴足りうる存在だ。『男は外で、女は中で』を地で行くタイプなんだ。私が剣を握ると決めた時も、『女なんかが剣を握るな』と大層怒ってな。結局私はそのまま家を飛び出したんだ」

「それはまた、なんといえばいいか……」

 エリオットも言葉を詰まらせる。ともに馬車に乗っていた団員たちも、適する言葉を見つけられず言いよどんでいたが、女性の団員は怒りを露わにしていた。

「ありえないですよソレ!副団長は家をでて正解です!」

 賛同する仲間を得てもなお、カリンの顔は晴れやかにはならなかった。

「しかしな、母は私の味方だったんだ。……今、どうしているか様子を見に行きたいが、どうせ父に追い返されるだろうな。……私がどれだけ気にしないように努めていたとしても、あの男は的確に私が傷つくであろう言葉を選ぶ。腹立たしいが、さすがは父親。私のことをよく見ている。忌々しいがな」

 カリンはそう言って話を終わらせた。結局のところ、この馬車の中では里帰りするのはエリオットだけらしい。他の団員にも聞いてみたものの、皆そのような予定はないのだという。そもそも傭兵という職自体、親からの理解は得られぬものである。彼らもその例に漏れず、多かれ少なかれもめ事を起こしながら出て来ている。今さらどんな顔をして帰ればいいのかわからない、というのが彼らの本音といったところだ。里帰りの予定を持つエリオットは複雑な顔で、彼らの故郷の話を聞いていた。

 

 一方、エリオット達の後ろについている馬車にはオルコスとセリアが乗っていた。両者とも、ゼロスに敗北の後烈風騎士団へと入団するという数奇な巡り合わせをしている。その上、彼らはもともと王国の将。兵卒の時代から互いを知り合っていたようだった。

「お前も、ゼロスに負けたのか」

「ああ。まさか俺の『鬼人化』すら打ち破るとは思わなかったが……。久々に本気でぶつかり合って気分がよかったな。セリアはどうだ?」

「私は駄目だ。コテンパンにやられてカリンたちから慰めてもらったよ。……騎士団の団長を務めておきながら、情けないことこの上ないな」

「でも、誘いに乗ったんだな」

「ああ。今ここで死ぬなら、一緒に戦おうと言われてな。……確かに、私はクバルのような国王に特別の忠誠を誓っている戦士ではなかった。それに、敗将がたどる結末など目に見えている。なればこそ、今度は戦争を終わらせるために力を振るう。そう決めたんだ」

「……お前は昔からそうだったな。実直で冗談が通じない。訓練生時代から有名だったぞ、『固根』のセリアって」

 懐かしい二つ名を言われた途端、セリアが顔を赤くする。彼女にとっては忘れたい思い出だったようだ。オルコスの胸倉を掴み上げ何度も揺さぶる。

「おい!それをどこで聞いた!忘れろ!昔の話だ、忘れろ!」

 オルコスは必死に何かを伝えようとするが、揺さぶられているせいでまともに言葉を話せない。ともに乗っていた団員が制止に入り、ようやくセリアが揺さぶるのを止めた。しかし、彼女はまだ肩で息をついている。まだ完全には落ち着いていない。

「……悪かった、もう言わない。忘れるよう、努力する」

「お前だって……。『文字通り筋金入り』とか言われていたのを、私は知っているぞ!」

 今度はセリア側からの暴露だ。彼女と同じようにオルコスもまたパニックになるのではないか。皆が身構えたが、彼はそれを恥ずかしそうに笑うだけだった。

「……まさか、そんな言葉をまだ覚えてる奴がいたとはな。今となっては懐かしい響きだ。これもな、さっきのセリアみたいに『馬鹿真面目』って意味で言われたんだよ」

 オルコスは事情を知らぬ周りの団員に、そう説明する。どうやら彼にとっては恥ずかしい思い出ではないようだ。そのことを意外に思ったのか、一人の団員が彼へと尋ねる。

「……あんまり、テンパったりしないんですね」

「まあ、まだ新人の頃の話だからな。あの時、俺とセリア、あとはガルディアか。この三人が特に優秀だと注目されてな。だから、俺はなおのこと必死に訓練に励んだ。周りの期待を裏切りたくない、母に認められたいってな。……で、騎士になった後に俺は各地に派遣され、着々と戦績を伸ばした。『鉄鬼』なんて二つ名ももらったりしてよ。で、自分が指揮を執ることになったバラキア侵攻戦でゼロスに負けた。あれが初めての敗北だった。せっかく武家の名門として押し上げた家名はすぐに没落。俺の出世金で贅沢三昧していた母は、収入が亡くなったのに贅沢を続けたあげく、借金を苦に首を吊った。……馬鹿みたいだろ?」

 そう言われて「そうですね」と返す者などどこにもいない。皆口を閉ざし、うつむいている。唯一すでにその話を知っていたセリアはオルコスに苦言を呈した。

「笑えんぞ、オルコス」

「……それもそうだな。悪いな、暗い話をして。今の話は『固根』と一緒に忘れてくれ」

「なっ!?……オルコス、お前!」

 セリアはまたしてもオルコスの胸倉を掴み上げ、今度は握りこぶしまで作っている。頭を殴れば記憶が飛ぶだろうとセリアは考えているのか。団員たちが必死に止めるが、その騒がしさは命のやり取りに慣れた彼らにとっては、まるで青春時代の安寧のようで心地よいのだろう。だが、御者台に座る御者に限っては、心地よくなどないはずだ。

 

「前の馬車、騒がしいですわね」

 オルコスたちが乗っている馬車に続くのはエリシア達だった。皆、彼女が用意した紅茶を片手に談笑していたが、前方の騒がしさに気を取られていた。

「相当盛り上がっているみたいだね。まあ、旅行に行くのは初めてだという人もいるんだろうし、仕方のないことだよ」

「それにしても、目に余るというものですわ。私たちは大人なのですから、あんな子供のようにはしゃぐのは……」

 彼女はそう言って荷台から後ろに続いている馬車たちを眺めるが、随分とおとなしかった。どうやら彼らは相当賢い子供たちのようだ。

「子供未満ですわね、あの人たちは。セリアもオルコスもいるというのに、いったい何をやっているというのでしょう……」

 エリシアの小言を話半分に聞いていたノクスは、彼女がなぜそれほど『大人』というものにこだわるのかが気になった。確かに、彼女は大人だ。烈風騎士団の中でも最高年齢であり、その振る舞いも『淑女』を体現したものだった。

「どうしてそこまで、大人であることにこだわるんだ?別にいいじゃないか、子供っぽくったって。誰かを困らせる訳でもあるまいし」

 エリシアは何も言わず、紅茶を一口、口に運んだ。そして、深くため息をつくと訳を話し始めた。

「……嫌だったの、子供でいるのが。最初は良かったわ、貴族の娘ということもあり、おそらく私は必要以上に誰かに守ってもらっていたのでしょうね。しかし、次第に年を重ねて私は外の世界を知った。年相応のあるべき振る舞いというのは、誰でもしたものでしょう。私もそのうちの一人です。……母は、そんな私を見て『くだらないことはやめなさい』と言い放った。続けて『あなたはまだ子供なのだから、大人びる必要はない』と。その時の私は、素直にその言葉を聞き入れていました。それも一理あると思っていたのです」

「だけど、違った」

「ええ。……私が成人したとき、母は見合いの話を私に持ってきました。確かに私はスノーベル家の長子。次代の家督として家を守る責を担うのは分かっていました。だからこそ、自らの婿となる男は自らの眼で選びたかった。……しかし母は、私の考えを踏みにじった。『あなたは子供なのだから、私の言うことを聞いていればいい』。……それから私は精神を成長させようと必死になりました。早く自他ともに認める『大人』となり、母の支配から免れる。……剣を握ったのも、それが理由でした。『自分より強い男としか結婚しない』。そう母に言い残し、家を出て騎士団に入りました。そう決めたのは成人してから二年。あれから五年経ちましたが、花婿候補は今の所ゼロスさんただ一人のようですわね」

 身の上話を終えたエリシアは乾いた喉を潤すため、もう一口、紅茶を啜って一息つく。

「もう、そんなことを気にしなくていいはずなのに、不意に気になってしまうのは嫌な癖ですわね。しかもそれを人に強制しようだなんて、淑女の風上にも置けませんわ」

「そんなことはないと思うよ。人生のほとんどを支配されて過ごしたんだ。そう簡単に全部解き放たれるわけじゃない。……幸い、ここはそれほど団長が厳しい人じゃないから、居心地はそれほど悪くはないんじゃないかな」

「そうですわね。……もともと敵だというのに、分け隔てなく仲良くしてくださる方ばかり。……私、王国内でもっとも冷酷な女と呼ばれ畏れられていたのですが」

 皆は紅茶を片手に肩をすくめるばかり。もはや彼女が冷酷だという話など誰も覚えてはいなかった。皆にとって彼女は的確なアドバイスをしてくれる頼れる年長者なのだ。……エリシアが少しだけ微笑み、またもや紅茶を口にする。すると彼女は何かを思い出したかのように口を開いた。

「そう言えば、ノクスさんの故郷はバラキアの近くだったかしら。そろそろ近いんじゃなくて?」

 チューン城を出てからそろそろ二時間が経っている。現在地はおそらくチューンとバラキアのちょうど中間あたりだろうか。ノクスは荷台から顔を出し、外の様子を窺う。どうやらこの辺りには土地勘があるようだ。

「……うん、そうだね。ここら辺の景色には見覚えがある。確か、もうちょっと行くと南へ進む曲がり角が出てくるはずだ。そこを南に行くと俺の故郷、シーマ村がある。……みんな元気かな」

「ノクスさんは、里帰りの予定がおありでしたわよね?シーマ村はどんなところか、少し教えてくださらない?」

「うん、もちろんだとも。……シーマ村は小さな漁村で、男と女で完全に役割を分担している村なんだ。男は海に出て魚を獲る、女は家を守るという風にね」

「意外と前時代的なのですね」

「そりゃあ、小さな村だからね。それに、みんな村の外に出ないし、余所者にはひどく厳しい。外の情報なんかめったに手に入らないんだ」

「では、なぜ傭兵に?戦争の話なんかも、聞かなかったのでは?」

「まあ、そうだね。でも帝国が海上に大きな戦艦を浮かべれば、誰でも嫌な予感は感じるものさ。……帝国と王国は百年間も戦争を続けているけど、海を戦場にしようとしたのは結構最近のことらしいね」

 彼は懐かしそうにぼやく。彼が話した大きな戦艦というのは魔導戦艦ブリガンダインのことだろう。帝国の技術の粋がつまった超巨大戦艦で、ワーセル海の支配権をほしいままにしていたのだが、バランの愚策により全焼し跡形もなくなった。ただ、その後リバーニアを占領した際にほぼ同型のギャラルホルンを鹵獲している。そのおかげで、ブリガンダインを失い怒りに狂っていた皇帝も、溜飲を下げたらしい。

「俺は、漁師としては三流未満でね。……船酔いするんだ、それもひどく。立っていられないほどに。……だから、何時まで経っても一人前にはなれなかった。でも、みんなは優しかった。仕方のないことだと慰めてくれるし、俺もそれにこたえるように他の仕事を頑張った。……そんな時に、戦艦が来たんだ。あれは海の環境を変えた。魚たちはおびえて姿を消し、漁に出ても魚は捕れなくなった。……俺の出番だと思った。普段、漁に出られない分、ここでみんなのためにあの船をどうにかするべきだと。……そうして俺は、村を出たんだ」

「……使命を、抱いたのですね」

 エリシアはノクスが剣を握った理由を使命だと評する。ノクスはこそばゆそうに笑った。

「いや、そんな大層な物じゃないよ。ただ、みんなの暮らしがままならなくなる、そう思っただけさ」

 そう締めくくったノクスはカップに入っている紅茶を飲みほし、エリシアにおかわりを頼む。エリシアは何も言わず、ただティーポッドを傾けた。


 チューン城を出て、約四時間後。日が空の頂点に上ったとき、彼ら一行はバラキアへと到着した。以前のバラキア防衛戦以来、ここは戦火に見舞われていない。そのおかげかバラキアは『戦争を忘れられる都市』と銘打ち、大陸有数のリゾート地へと名乗りを上げていた。馬車を降りた彼らはロンの案内に従い、これから二週間過ごすことになる宿へ向かう。その宿があるのは海の近くに建てられた宿だった。普段は行商人などを泊めている宿のようで、部屋は大部屋がほとんどだ。二段ベッドがずらりと並び、おそらく一部屋で十人近くは寝られるだろう。適当に男女で部屋を分け、それぞれ荷物を置く。そうすれば、これからは自由時間だ。水着に着替え、海へと駆けていく者。友人と街に向かう者。旅の疲れを癒すため、ベッドで眠る者などさまざまである。

「ゼロス、どこ行くつもりだ?」

 すでに水着へと着替えていたノクスはゼロスの外套を引っ張り足止めする。彼は城を出た時の恰好のまま着替えていない。

「腹が減った。どっかに昼飯を食いに行く」

「まずは、着替えだ。その暑苦しい外套は脱げ。ここは常夏のリゾート地っていう売り文句でやってるんだ。そんな真冬みたいな恰好してたらおかしいだろ?」

 確かに彼の言う通りかもしれない。皆がそれなりの薄着で過ごしている中、そんなものを羽織ってうろつけば訝しまれること間違いなしだ。ゼロスもノクスの説得を受け入れ着替えることにした。荷物の中から青いアロハシャツと海パンを引っ張り出し、着替える。これでいっぱしの観光客らしくなったのだが。

「……別に前は閉めなくてよくないか?暑いだろ。それに、筋肉のせいでパツパツで苦しいだろ」

 なぜかゼロスはシャツの前ボタンをしっかりと留めていた。しかし、普段から大剣を振るっているせいか、常人よりも筋肉量は比べようもなく多い。最大サイズであるにもかかわらず、少し動けば破けてしまいそうだと思えるほどにシャツが張りつめていた。

「……あまり、肌は出したくないんだ」

「なんだよ、日焼けしたくないのか?」

「違う。……傷だらけなんだ。人に見せられたものじゃない」

 ゼロスは証明とばかりに、シャツのボタンをはずし、素肌をあらわにする。彼の言葉の通り、素肌には無数の傷跡がついていた。剣で切られたであろう傷に、矢が刺さったような跡。前に戦ったダリウスにつけられた火傷の跡も、まだ完全に治ってはいない。「……こんな体、子供たちには見せられねえ」といいながら、ゼロスはうつむく。しかし、エリオットがゼロスの肩を叩いた。

「あんまり落ち込むなよ。慰めにはならないかもしれないが、俺だってこんなんだ。……名誉の負傷、そう思おうぜ。体についた傷の分だけ、何かを守ろうとした」

 そう言うエリオットの肌も、大小さまざまな傷がついていた。ノクスも、コルニッツォも、オルコスも。他の団員も、皆傷はついているがそれを隠そうとはしない。

「みんな同じだ。別に恥ずかしいことじゃない。……な?」

「……ああ。そうだな」

 ゼロスは背筋を伸ばした。そして「飯、食いに行かないか」と皆を誘った。


「エリシア、ソレは大胆過ぎないか?」

 困惑の声をあげたのはセリアだ。その眼の前にいるのはエリシア。彼女は光沢のある水色のビキニを身に着け、部屋を出ようとしていた。上に何かを羽織るというようなことはしていない。そう言うセリアは緑を主体としたワンピースタイプの水着を身に着け、パレオを腰に巻いている。

「隠すほどの物でもありませんから。……それより、あなたはいつになったら水着に着替えるのかしら?」

 エリシアから目をつけられたのはアイリーンだ。彼女は着替えが入っているであろう袋を握りしめたまま立ち尽くしていた。他の者はもうほとんど着替えを終えているというのに、彼女だけまだ城を出た時のままだ。

「……その、用意はしてきたのですが、改めてみると恥ずかしくなってしまいまして」

「どんな水着か見せてくださる?……まあ。普段からこういう物を?」

 そう言われた途端、アイリーンは顔を赤くしてうつむいてしまう。見かねたカリンが助け舟を出した。

「あまりいじめるな。……先に外で待っている。それでいいか?」

 彼女は赤を基調とした上下に分かれたフリルタイプの水着を身に着けている。普段の勇敢さが鳴りを潜め、エレガントな一面が顔を出している。アイリーンはカリンの提案に黙ってうなずいて返した。

「わかった。みんな、行くぞ。まずは昼食でも摂ろうか」

 皆、カリンの言葉に従い部屋を出て行く。それを見送り部屋に一人残ったアイリーンは、袋の口をあけながら呟いた。

「……どうして、こんなのを選んでしまったんでしょう……」


 バラキアはワーセル海に面した港町である。それ故、帝国領内では海戦の要ともされていた。しかし、リバーニアまで抑えた今、わざわざ王都に遠いところから船を出す必要はなく、それに伴い軍需産業もリバーニアへと移っていった。その代わりとして栄えたのが観光業である。もともと工場員が生活するための寮があったが、すべて宿屋へと改装された。工場跡地も、今では巨大な食事処として観光客の舌を満足させ続けている。さらに、もとより手つかずだったおかげで綺麗な砂浜は『パールビーチ』という名をつけられ、観光地として立派に地域に貢献していた。

 ビーチにほど近い、工場跡地。今では『バラキーズ・ブラッスリー』として大きなレストランになっている。腹をすかせた烈風騎士団の面々も、観光案内に従い、自然とその店の前に集まっていた。

「あれ、カリンたちもこっちに来たのか」

「観光案内に従ったのだが、その様子だとエリオット達も同じだな?」

「まあ、そんなところだ。……一緒に食うか」

 計三十名ほど。彼らが一度に予約なく店に立ち入っても店員は困ることなく、彼らを大人数用のテーブルへと案内する。どうやら予約さえすれば簡単な宴会も可能なようで、全員が席につける長いテーブルがいくつもある。彼らが席へ着いた頃、後を追うように子供たちもレストランへとやってきた。彼らもまた同じように長いテーブルへとつき、それぞれメニューを手に取る。

「まあ、観光地に来たんだったら、その土地のもんを食いたいよなあ」

「そうなると、やっぱり海産系だろうな。……これはどうだろう、『大人数のお客様おススメ!ご当地名物海産盛り合わせコース』というのは。どうやら中身は決まっているらしく、人数さえ伝えれば皆同じものを食べられるようだ」

「……確かに、初日ぐらいは豪勢にいってもいいな。みんなもそれでいいか?」

 皆に異議はないようだ。雰囲気だけで出来上がっているのか、声のボリュームがいつもより大きい者が多い。エリオットが店員を呼び、注文をする。少しも待っていないというのに、店員たちが料理を運んできた。コース料理とは聞いていたが、恐ろしく用意が早い。目の前に置かれたのは、エビとタコが入ったサラダ。どうやらフルコース通りには出てくるらしい。ただし、すでにテーブルに酒が並べられているのは違う点だろう。皆、グラスを手に取り、酒を注ぐ。そして、エリオットの号令を待った。

「……よし。みんな、よくここまで戦った。王都は目前、百年以上続いた戦争も終わりの時が近い。……最後まで誰一人欠けることなく戦い抜けることを祈って。……乾杯!」

 エリオットの乾杯に続き、皆も乾杯と声をあげる。彼らの休暇は、今この瞬間、始まったのだ。

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