アダマンテ大陸統一戦争編 第五章
前回のあらすじ
帝国からの命を受け、港街リバーニアへと赴いたゼロスたち烈風騎士団。すでに現地にいた迅雷騎士団と協力し、帝国最強の戦士、クバル擁する王国軍を退ける。しかし、一度退いた彼らはすぐに標的をバステア山に変更し、再度侵攻を開始した。烈風騎士団は、紅蓮騎士団と協力し彼らを退ける備えを取っている。開戦は近い。
誤字脱字等 ご容赦ください。
バステア山の麓より東、ダリア平原との中間地に、ゼロスたちはいた。王国側の先鋒隊を退け、敵の本軍が顔を出すのを、雨の中待っている。
「……雨が強くなってきたな」
雨は視界を奪うほど強く降りしきっている。白んでいく空を眺めていたゼロスは、そうぼやいた。
「そうですね。……なんだか、荒れそうです」
アイリーンもそう返す。雨に濡れる彼女を見て、ゼロスは何か思いついたようだ。いきなり背負っていた剣を引き抜くと、斜めに地面へと突き立てた。
「……冷えるだろう。入ると良い」
ゼロスは自らの剣で雨除けを作った。人の背丈より大きい剣を持つゼロスだからこそできることだ。アイリーンは遠慮していたが、「第三隊長が風邪をひいて動けなくなるのは困る」というゼロスの説得に折れ、剣で作られた屋根の下に入った。そうしているうちにノクス達、烈風騎士団の主力隊が到着した。
「すまない、待たせたかな。……クバルはまだ出てきてないようだね」
「ああ。これはただの先鋒隊、主将なんかがいる訳ねえさ。俺たちはクバルが出てくると思って、ここで待機してた」
「助かるよ。いろいろ用意してきたものがあるからね。……じゃあ、エリシア、頼むよ」
ノクスは振り返ってエリシアを呼ぶ。彼女はそれに「よろしくてよ」と答えた。その途端、周囲が冷気に包まれる。彼女の右手には氷の結晶のようなものが揺らめいていた。それを空へと放り投げると、雨は瞬く間に凍り付き、雹へと変わる。
「……それでは、宣戦布告と、行きましょうか!」
まるで風が吹いているような角度をつけ、空に浮いている雹が敵陣を目掛けて降り注ぐ。どうやらこれもエリシアの魔法の一環らしい。自らで凍らせたのは統制下におけるのだとか。事情を知らぬものが見れば天候を操っているとも勘違いしかねない。
「……これで、奴らは動くのか?」
「もちろんだとも。今の状況、籠城中に火矢を射かけられていることに変わりはない。いくら守りを固めたとはいえ、いつか限界はくる。そうなれば彼らの負けだ。疲れ切ったところに俺たちが攻め込むんだからね、彼らとしてもそれは避けたいだろう。……だからこそ、彼らは動く。いや、動かなければいけない状況なんだ」
ノクスは雄弁に語る。まるで戦場の流れがつかめているかのように。アイリーンはそれに少しの違和感を感じ、すぐに尋ねる。
「ノクスさん、どこかでお勉強でもされましたか?なんだか前より作戦がしっかりしているような……」
その答えはエリシアが語った。
「それは、わたくしの英才教育の賜物でしてよ」
「英才教育?いったい何をしたんですか?」
もったいぶって大げさに話そうとするエリシアを押しのけ、ノクスが簡単に話す。
「そんな大層なことじゃないよ。ただ、みんながリバーニアに行っている間に、勉強しただけさ。詳しい話は、この戦いが無事に終わった後にでもするよ。戦場でするような話でもないしね」
自らの成果を自慢したいエリシアを差し置き、ノクスは話を後回しにした。彼の言うとおり、ここは戦場だ。昔話に興じている場合ではないだろう。それを思い出させるように、高台に上がっていたオルコスが声をあげる。
「……全員構えろ!そろそろお出ましだ」
エリシアのおかげでもう雨の音は聞こえない。その代わりのように馬の蹄と、兵士の雄たけびが響き渡っていた。ゼロスは地面に刺していた剣を抜く。
「アイリーン、そろそろ時間だ」
「ええ。……生き残りましょう」
敵の先陣を切るのは、双剣を持った男だ。雄たけびを上げ突撃してくる。それに続くように、部下たちも一斉に向かってきている。しかし、ゼロスの前では雑兵のようなものだった。一歩踏み出し、剣を横一線に振りぬく。……『将を射んとする者はまず馬を射よ』ということわざがある。馬に罪はないのだが、戦場ではそうも言ってはいられない。
ゼロスの剣は突撃してきた馬を真っ二つにした。乗っていた兵士は勢いそのまま投げ出されて宙を舞い、突然の出来事に対処する暇もなく、地面へと激突した。間一髪ゼロスの斬撃から逃れた者も、オルコスなどに馬上から叩き落とされている。
「……衛兵隊はこの程度なのか。こんな奴らに国を守らせてたなんて、冗談きついぜ」
敵兵を殴り倒しながらオルコスは言う。元王国騎士としてはどこか思う所があるらしく、それはエリシアも同様だった。
「話になりませんわね。この程度の戦いでは、魔法の修練にもなりません。はっきり言って時間の無駄ですわね。……さっさと、終わらせるとしましょうか!『氷嵐』!」
エリシアが手のひらに氷の結晶を作り上げたかと思えば、それを握りしめ、割ってしまった。その握りこぶしを中心として、氷の粒が渦巻き始める。その渦を彼女が空へと放り投げた。その途端、小さい渦は一瞬で嵐へと変わり、周囲一帯を凍り付かせていく。先ほどまで雨が降っていたこともあり、濡れた地面はすぐに凍り付き、氷の床へと変わっていく。振り付ける氷の粒も次第に雹へ変わり、ついには大きな氷柱が降り注ぐにまで至った。それらは兵士や馬へと突き刺さり、敵に甚大な被害を与えている。エリシア以外は危険すぎて見ていることしかできなかった。
「……エリシア。ちょっとやりすぎじゃあないか?」
さすがに見かねたのか、オルコスがたしなめる。しかし、彼女は氷の魔導士らしく冷たく突っぱねた。
「敵に情けは無用です。……それとも、わざわざ一人ずつ殴り倒したいとでも?」
「別にそういう訳じゃない。ただ、やたらに命を奪うのはやめろって言ってるんだ」
「あら。別に私も殺したくてやってるわけではありませんわよ。もしそうなら、さっさと全員凍り付かせればよろしいのですから。……ご覧になって」
エリシアが指を指した先には、氷柱が墓標となった兵士が大勢いた。しかし、先ほどの大軍と比べると圧倒的に数が少ない。
「目の前で人が死ねば、それに驚くのが人間というものです。ましてやそれが一斉に起きれば、それ以上の恐怖を感じるでしょう。……そうなったとき、人はどうするか。もちろん、お分かりになりますわよね、オルコスさん?」
「……逃げるのか」
「ええ、そうです。……それが悪いことだとは言いません。誰しも自分の命が大事ですから。ですが、戦場においては最も恥ずべき行為となることでしょう。……部下の小さな不備で噴火のごとく怒り狂うクバルがこれを知ったら、どうなるでしょうね」
その答えはオルコスの口から語られるのを待つよりも、実際の彼の行動に着目した方が早いだろう。……今までとは違う、荒々しい蹄の音が聞こえて来た。普通の馬より二倍以上の大きさを持ち、三日で大陸を横断できる脚力を持つ品種である『剛馬』特有の足音だ。その頑健な足は凍った地面を踏み砕くことで、いつもと変わらぬ速さと安定感をもたらし、氷の床の上をものすごい速さで駆けている。その馬に乗るのはやはりクバルだった。片手がない今、右手のみで器用に手綱を操り、乗りこなすのが難しいと言われる剛馬を乗りこなしている。
「ゼロス!失った左腕の恨み、今こそ晴らしてくれようぞ!」
クバルは手綱から手を放し、右手で背負っていた薙刀を掴むと、力任せに振りぬいた。
「今度はお前の右腕も落としてやるよ、クバル!」
ゼロスもそれに応じるように剣をふりぬき、クバルの一撃を受け止め、弾く。クバルはすぐに薙刀を持ち替え、馬上から突きを放った。
「俺は、貴様の、せいで!」
一言何かを話すたびに、突きや払いを繰り出し、ゼロスを追い詰める。
「後がないのだ!……貴様ごときのせいでな!」
技術も何もない、感情だけの一撃。ゼロスは薙刀の刃を踏みつけて抑えこみ、剛馬に一閃を放った。斬られた馬が悲鳴を上げて倒れこむ。馬上にいたクバルもそれに伴い地面へと投げ出された。
「がぁっ!……貴様、どこまでもこの俺を、コケにする気かぁ!」
地面へと転がること、それはクバルの逆鱗に触れることだったようだ。泥まみれになった外套を脱ぎ捨て、吠える。
「……血の一滴たりとも、この世には残さんぞ……。今ここで死ねい!」
クバルが飛び込んで突きを放つ。ゼロスは飛び退いて躱すと、クバルに背を向けた。
「貴様!何のつもりだ!」
ゼロスは答えることなく走り出す。まるでついて来いとでも言わんばかりだとクバルは感じたのか、すぐに後を追った。周りにいたアイリーンたちには一切目もくれていない。
「……ゼロスは作戦通りに動いてくれるみたいだな。……俺たちも、作戦通りに頑張るとしようか」
彼らのもとには王国衛兵隊の第二陣が迫っている。クバルはあそこから一人で先走ったようだ。
「私たちの作戦は、あれらをここで食い止めること。……そうですよね、ノクスさん」
「うん。……おそらく兵力は三倍近い。個々の力が試される時だ。……全力で行こう」
彼らが衛兵隊の第二陣と接敵しようという時、ゼロスは山に向けてひたすらに走っていた。
「貴様!何のつもりだ!止まれ!止まらんか!」
後ろからクバルの怒声が聞こえてくるが、彼にとっては何の意味も持たない。ゼロスは逐一後ろを振り返り、一定の距離を保って走り続けた。そうしているうちに、烈風騎士団の陣地が見えてくる。
「……そうか!仲間に助けを求めるのか!情けない男だ!敵前逃亡したあげく助けを求めるとは!」
「その『情けない男』に左腕を落とされた男の方が、もっと情けないだろうけどな」
「貴様!この俺を侮辱するか!」
もうクバルに冷静な判断力というものは欠片も残っていない。彼の頭にあるのはゼロスの首を落とすという衝動のみだ。それ故、ゼロスを追って烈風騎士団の陣地に足を踏み入れたとしても、それらには全く目もくれず、ゼロスの後を追っている。陣地には誰かがいるかもしれない上に、休ませている馬も大勢いる。それらをすべて無視してまでゼロスを追いかけているのだ。彼はためらいもなく、ゼロスを追ってバステア山へと入った。それを茂みの中から見ていた者は、急いで山を登った。ゼロスは少し開けたところに出ると、逃げるのをやめ、振り返った。
「……いい加減、観念したようだな。ゼロスよ」
「他の奴らに邪魔されないようにするためだ。……お前だって、俺の首を取る楽しみをフイにされたくはないだろう。違うか?」
「フフフフ……。どうやら強者同士、考えることは似るようだな。……いいだろう、ここを貴様の墓地としてくれようぞ。……安心しろ。毎年、墓参りはしてやる。ここを墓地とした俺のせめてもの責務だろう」
クバルは全身に魔力をみなぎらせていく。それを眺めていたゼロスは、先ほどノクスに言われたことを思い出していた。それは、オルコスとエリシアが言い合いをしていたころまでさかのぼる。
――――――
「ゼロス。クバルをうまい具合に引き込めたら、一度山中で適当に戦ってくれ」
「……何の意味があるんだ?」
「クバルに狙いを気づかせないためさ。いくら頭に血が上っているとはいえ、ずっと逃げ続けられればさすがに怪しむだろう?だから、適当なところで一度戦って、傷を負わせるんだ。ああいう手合いは顔に切り傷一つ入れられれば十分だろう。冷静になった頭をもう一度怒りで染め上げるんだ」
「……一体どんな勉強をしたか、あとで必ず教えてもらうからな」
――――――
ゼロスは剣を抜かなかった。ここは山の中で、周りには木が多い。人の背丈を超すほどの大剣は扱いづらい。それに、ここでクバルを殺すようなことがあってはならないのだから、手加減できる格闘術がちょうどいいという判断なのだ。ゼロスは左腕を前に出すファイティングポーズをとり、クバルを手で挑発する。
「来いよ。左手がねえお前なんぞ、これだけで十分だ」
「その余裕、後悔させてくれよう!……死ね!」
クバルは怒りに任せた突きを繰り出す。凄まじい速さではあるが、芯をとらえてはいない。ゼロスは左手で刃をいなすと、右手で腹に一発ねじ込んだ。
「……大したことないな。この程度か、王国衛兵隊っていうのは」
腹を押さえてうずくまるクバルを見下しながら毒づく。これは、ゼロスの本心ではない。ノクスに言われた通り、挑発を続けているだけだ。
「……ふざけるな!」
クバルはゼロスの足を狙って薙刀を地面に水平に振るが、ゼロスはそれをいともたやすくかわす。クバルはその隙に薙刀を杖のように使って立ち上がると、刃を地面にこすりつけながら振り上げ、土埃を起こしてゼロスの視界を奪いにかかった。
「チッ!」
ゼロスはすぐに腕を構え、防御の体勢を取る。ゼロスの視界を奪った土埃を払うように、クバルの薙刀が襲い掛かる。ゼロスは一度それを受け止めたのだが、衝撃をおさえきれず、弾き飛ばされてしまう。地面に爪を立てることで何とか持ちこたえたゼロスは、ある疑問を抱いていた。
「さっさとくたばれ!」
クバルが薙刀を振り下ろす。ゼロスは薙刀の柄を掴んで受け止め、相手の腹へと蹴りを見舞った。痛みに唸るクバルを前に、ゼロスは先ほどから抱いていた疑問を口にする。
「……なぜ、魔法を使わない?」
ゼロスが抱いていた疑問はそれだった。平原で刃を交えた時から今に至るまで、魔法を一度も使っていない。……だが、この言葉はクバルの逆鱗に触れた。
「貴様のせいに決まっているだろう!……お前のような半端な魔導士は知らんだろうが、重力魔法というものは、特に力の制御が必要になる。失敗すれば自らをも巻き込んでしまうからな。だからこそ、制御のために両手を使う必要があるのだ。力の均衡を保つためにな。……それが、貴様のせいで台無しだ!俺は片手を失い、重力魔法の制御すらできなくなった!俺は貴様に魔法すら奪われたのだ!……生かしてはおかぬぞ、ゼロス!」
怒りのまま振るわれる刃に、命を奪う鋭さはない。荒々しく、ぶれた太刀筋では動かなくなった屍すら斬り捨てることは叶わないだろう。
「……もう十分だ」
クバルの攻撃をことごとく躱し、もう一度山の中へと走り出す。
「貴様!また逃げるのか!戦士としての恥はないのか!?……待て!待たんか!」
クバルは吠えるが、ゼロスにそれが届くことはない。 ひとしきり恨み言を言うと、奥へと消えて行ったゼロスを追った。山はどんどん険しさを増し、生える木々も鬱蒼としてきている。クバルの前を行くゼロスは一切迷うことなく、森の中を突き進んでいる。クバルは必死にその後を追っているが、ついに見失ってしまった。
「……どこだ。どこへ消えた!?」
もはや八つ当たりのように薙刀を振るい、自らの邪魔となる木々を切り倒していく。片手だけの力だけで木を切り倒せるのは、王国最強の証明というものだろうか。
「どこを見ている。俺はこっちだ」
ゼロスが木陰から姿を現す。クバルはにやりと口角を釣り上げ、笑った。
「フハハハハ!馬鹿め!わざわざ自ら姿をさらすとは、とんだ愚か者よな、ゼロス!その愚かさに免じて、一太刀で息の根を止めてくれようぞ!」
木陰から無防備に体をさらけ出したゼロス。クバルはそれを狙って、渾身の袈裟切りを放つ。しかし、それは不発に終わった。
「……今だ!魔封牢、起動!」
エリオットの指示で魔封牢の柵が降りていく。植物の中に巧妙に隠されていたそれに、クバルは気づけなかった。前がふさがれ、左右もふさがれる。引き返そうかと振り返ったときには後ろも封じられており、唯一の出口であった上も閉まった。
「……これは……!謀ったな、ゼロス!」
柵を握りしめ吠えるクバル。いくら強大な魔導士であろうとも、牢の中に入ってしまえば大したことはないと、ゼロスは冷めた目で眺めていた。力自慢の団員に運搬を任せ、ゼロスはエリオットとセリアと共に、一足先に山を下りた。
ゼロスたちが陣地へと戻ると、すでにアイリーンたちがそこにいた。どうやら衛兵隊の方は、エリシアが作った氷の墓標のせいで戦意を喪失し、すぐに撤退してしまったらしい。それを牢の中で聞いていたクバルは、ピクリと眉を動かしたが何かを言うことはなかった。
「……よし、じゃあ帝都に早馬を出してくれ。クバルをとらえた報告をしないとな。ついでに連れ帰ってもらおう」
エリオットの提案で、クバルは帝国の使いが来るまで烈風騎士団で預かることになった。陣地を片付け、城へとクバルを連れ帰った。それから三日後、エリオットの報告を受け、帝国の使いがやってきた。彼らはあのクバルをとらえたという功績を称え、エリオットに会いたいと言い出した。どうやら相当偉い人物らしく、無下にするのも気が引ける。自らの居城ではないところで人と会うのもはばかられるが、致し方なかった。彼らの要求をのみ、会議室へと通す。彼らはエリオットに会うと開口一番、偉そうに賛辞を投げた。
「やるではないか烈風騎士団。まさかあのクバルを、生け捕りにしてしまうとはなあ。……薄汚い傭兵と王国を裏切った敗将の集まりだと思っていたが、認識を改めねばならぬようだな」
「陛下よりもお褒めの言葉を賜っておる。……『その働き、筆舌に尽くしがたい』とな。ありがたく思え」
「……わざわざクバルを捕まえてやったってのに、これだけか?報酬の一つもないのか?」
あまりにも偉そうな物言いの彼らに嫌気がさしたのか、オルコスが小声で愚痴を垂れる。しかし、彼らの耳は地獄耳だったようだ。
「なんだね?王国の裏切り者が一丁前に意見か?」
「……てめえ。やる気かよ」
オルコスが握り拳を固めた時、ノクスが仲裁に入った。
「申し訳ありません。無礼をお許しください。……ですが、この者が言うのも事実です。約十年以上、クバルに頭を悩まされたのでしょう?だからこそ、今回の戦いでわざわざ私たちをバステア山の防衛にあてた。違いますか?」
「……その通りだが」
「であれば私どもは、あなた方の『我儘』に付き合ったことになる。それなら、御礼の一つや二つ、あってしかるべきではないですか?」
「だからこうして我らがわざわざ足を運んでいるのではないか。それでは足りぬと言いたいわけか」
帝国からの使いは苛立ちを隠さないが、ノクスもついに取り繕うことをやめた。
「当然です。あなた方の不細工な顔を見たところで傷口がふさがるわけもありません。私どもは、医療品なり金品といった『役に立つ』報酬を望んでいるのです」
帝国の使いは苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべたが、言い返すべき言葉はなかった。
「……いいだろう。無事にクバルを帝国まで輸送出来れば、私が陛下に口添えしてやる。それでいいのだろう?」
「ええ。賢い選択に、感謝いたします」
ノクスはわざとらしさを見せつけるように頭を下げる。そこまでされては、彼らも引き下がるしかない。一度大きく舌打ちをすると「クバルを連れてこい!」と喚いた。牢から出されたクバルは一度も暴れようとはしなかった。誰に何を言われても喋らず、じっとしている。使いの者は手錠を取り出し、クバルの腕へと取りつけた。
「おや、片腕がないようだな。これでは手錠の意味がないではないか」
「……」
「何とか言ったらどうだね。……惨めなものだな。あれだけ武勇を誇った男がこうして、戦いを生業にしないものに頭を垂れるとは。……いやはや、なんとも痛快よ。……来い!」
男はクバルの手首に取り付けた手錠を引っ張り、輸送用の馬車へ乗るよう急かす。馬車の周りはそれなりに戦えそうな者達が固めている。彼らが護衛を務めるのだろう。クバルを引っ張っていった男は意気揚々と馬車に乗り込み、こちらを睨みつけるだけで何も言わず馬車を走らせた。
「……貴族というのはいけ好かないものだね」
馬車を見送るノクスはそうぼやく。隣にいたオルコスもそれに同調する。
「あの男、軍部大臣のゴロニズか。……俺たちはあいつの部下ってわけだ。嫌になるぜ」
文句を垂れる二人をいさめるように、彼らの背後から声が投げかけられた。
「まあまあ、そう悪く言うもんじゃねえ。ああいうのだって普段は大変かもしれないぜ?」
二人に声をかけたのはエリオットだ。いつまでも外から戻ってこない二人を心配して出てきたようだ。
「俺たちもそろそろチューン城に帰るぞ。カリンたちが心配してるだろう。紅蓮騎士団も戻ってくるらしいし、挨拶してからだな。……支度は済ませとけよ」
「いやあ、それにしてもあのクバルがこんな状態で目の前にいるとは。……借りてきた猫というのはまさにこのことなんでしょうかね」
クバルを輸送中の馬車の中。ゴロニズと部下の男がクバルについて話していた。
「……あの連中、烈風騎士団とか言ったか。皇帝陛下が目をかけているだけあって、実力は間違いなさそうだな」
「そうですね。……そうだ、一度彼らの言葉に乗ってみては?」
「……どういうつもりだ」
「確認になりますが、ゴロニズ様は彼らの特別報酬をお与えになる気はございますか?」
つい先ほど、ゴロニズはそう約していたはずだ。だが、その答えは違うものだった。
「あるわけがなかろう。なぜこの私が奴らのために働かねばならんのだ」
先ほどの約束は嘘だった。面倒な手合いをごまかすにはこれがちょうどいい。そもそも彼らに、ゴロニズが真面目に特別報酬の件を掛け合ったかどうかを確かめるすべなどない。もし何もなくてもゴロニズから「掛け合ったが取り下げられた」というだけで事が済むのだ。しかし、部下の男はそのつもりではないようだ。
「……そうだと思いました。ですが、彼らの実力はなかなかのものです。クバルをこのようにできたのは彼らの力あってのものですから」
「ふむ……。それで?」
「恩を売っておくのです。『一度は取り下げられたが、何とか説得してこぎつけた』と、見栄を張り、苦労を押し付けるのです。そうなれば、彼らは一度だけなんでも私どもの言うことを聞くでしょう。……使いどころは、おいおい。いかがでしょう?」
ゴロニズは噛み殺すように笑い声をあげた。
「グフフフフ……。その案、乗った。……いやはや、お前も随分政治がうまくなったものだな。師としては名が高いわ」
「お褒めにあずかり光栄でございます。……それにしても、なんだか外が騒がしくなってまいりましたね」
部下の男が言うとおり、馬車の外が何やら騒がしい。カーテンを開け外を覗くと、護衛の騎士が誰かと戦っている。
「ゴロニズ様!敵襲でございます!」
そう言った瞬間、馬車が揺れた。護衛の騎士の防御網を抜け、馬車に攻撃が仕掛けられている。
「まさか、クバルを取り返しに来たとでもいうのか!?ええい、何をしている!貴様らそれでも護衛か!」
憤ったところで、彼らが奮戦できるわけでもない。彼らはすぐに制圧され、馬車も止められてしまった。敵襲を率いたリーダーらしき男が、外から声をかける。
「クバル・ダーケイン卿。お助けに参上いたしました。もうしばらく、辛抱願います」
何もしていないのに、いきなり馬車の中が冷えだした。よく見るとドアの隙間から冷気が流れ込んでいる。ゴロニズたちは寒さに震え、ついに我慢できずに外へと飛び出した。
「おや、自分からドアを開けるとは。ありがたい限りですよ、我々も殺しは出来る限りしたくないのですから」
リーダーの男は舌の根の乾かぬ内に、部下の男を氷塊へと変えた。
「お、お前は……。何者だ!」
「……あなた方ならご存じのはず。……アストル家の正当後継者、ガルディア・アストルですよ」
「な、なんだと!アストル家には、あの男が……」
ゴロニズもまた、驚いた顔のまま、氷像へと変えられてしまった。
「……助けを呼んだ覚えはない。勝手なことを」
クバルはガルディアの行いを余計なものと断じ、差し伸べられた手を払った。馬車の一番奥に頑として居座り、てこでも動く気配はない。しかし、それすらガルディアの予想通りだったのか、ある提案を投げかけた。
「ゼロスを殺したくはありませんか?」
うつむいていたクバルの顔が上がる。
「あなたの左腕を落とし、無様な姿をさらすきっかけになったゼロスを、あなたの手で、殺したくはありませんか?」
「……それは無理だ。片腕ではまともに魔法を制御できん。その上、薙刀を十全に扱うことも出来ぬのだ。今さら俺に何ができるというのだ。……俺のことは放っておいてくれ。俺は、負けたのだ。敗者は敗者らしく、生殺与奪の権を預けるしかない」
クバルの決意は固かった。ガルディアは諦めず説得を続ける。
「……あなたの左腕が戻れば、あなたはもう一度戦場に立つはずです。さあ、これをどうぞ」
ガルディアは部下に大きな箱を持ってこさせる。中には大量の氷と、一本の腕が入っていた。腕には揺らめいているような黒い痣がついている。取り合わないつもりだったクバルも、さすがに無視できるものではなかった。
「……なんだ、これは……!?」
「腕でございます。クバル様が失った腕の代わりを、ご用意いたしました」
ガルディアは見たままを話す。しかし、クバルは感情をあらわにして食って掛かる。
「違う!この腕からあふれる魔力は何だと聞いている!……この禍々しい魔力、一度も感じた事などない……。なんだ、これは」
クバルが焦る姿という滅多に見られないものを見たからか、ガルディアは大きな声をあげてひとしきり笑った。そして、自分が羽織っていた外套を脱ぎ、首元を見せびらかす。彼の右顎から首にかけて、黒い痣がついていた。
「どうです?何か思いだす者はいませんか?」
「……シャーディン。……なぜ、『影の一族』の痣がお前に?お前はアストル家の……」
「移植です。とある方から提案されまして。『今以上の力を得られるようにする代わりに、私の計画に協力しろ』と。……それがまさか『影の一族』の力を宿すことだとは思いませんでしたが……」
ガルディアはにやつきながら言った。クバルはそれには目もくれず、箱に入った腕を見つめていた。彼はそれに気づき、話を進める。
「……あの方は、クバル様がこのような仕打ちにあっていることを御存知だったようです。そこで私に、『クバルを助けてやれ』と言ってこの腕を預けてくれたのです。ちょうどよく助け出せそうな機会がなく、遅くなってしまいましたが、まだ間に合うはずです。どうか、あの方……。キース・スタリー様に協力していただけませんか?」
「……一つだけ聞かせろ。キースは何をする気だ?」
「新たな『王国』を、築き上げるおつもりです」
クバルは、もう何も言わなかった。ただ無言で箱に入っている腕を手に取った。そして、自らが失った左手の傷跡へと、腕を繋げる。その瞬間、腕から触手が飛び出て、クバルの肩へと伸びていく。それらは肩へと巻き付いたのち、針を突き刺し、何かを流し込んでいく。
「ぐああああ!……ぐううぅ……!……こ、これは……」
クバルは激痛を訴えているが、ガルディアは見守るだけだ。触手たちが何かを流し終えたのか、その場で枯れて腕からはがれていく。腕にあった痣はいつの間にか消えていて、その代わりのようにクバルの右顎下に新たに痣がついていた。痛みが収まったころ、クバルは全身から汗を出し、びっしょりと濡れていた。しかし、その顔はどこか全能感に満ちた誇らしげなものだった。
「……これが、かつて惑星をも支配したという一族の力……」
「ええ。ですが、今はまだ試験段階ですので、これが全力という訳ではありません。まだ、強くなれます」
「……いらぬ」
「はい?」
「これ以上の力などいらぬ!……ゼロスを殺すには、これだけでも十分だ」
クバルは全身から魔力をほとばしらせる。その魔力は先に『シャーディンの痣』と適合したガルディアをも凌ぐものだった。ガルディアは満足そうに話しかける。
「では、ゼロスを殺した暁には、キース様にご協力してくださいますね?」
「ああ、いいだろう。……ひとまずは、こいつで慣らしと行くか」
クバルは重力魔法を発動させ、ゴロニズの氷像を押しつぶした。いつもの感覚では地面が少し凹むだけ。クバルはそう考えていたようだが、『シャーディンの痣』がもたらした力は想像以上のものだった。一度氷像がきしんだかと思えば、その場で爆散したのだ。
「おお……。何という力だ……。素晴らしい!礼を言うぞ、ガルディア。俺はこの力で、必ずやゼロスを殺して見せよう!……フハハハハハ!」
クバルが高笑いをしたとき、何者かが壊れた馬車の影から走り出した。護衛の騎士の一人が生き残っていたようで、馬を駆って逃げ出したのだ。ガルディアはすぐさま後を追おうとしたが、クバルがそれを制止した。
「放っておけ。あの方面、バステアであろう。ならばこそ、奴は……。ゼロスは必ず来る。俺はここで奴を迎え撃つ。……ガルディア、貴様は好きにしろ」
もはや力に飲まれてしまったと疑うほどの人格変化。影に飲まれたクバルの物言いに、ガルディアは刺激しないよう下手に出るしかなかった。
「……承知いたしました」
「さあ来いゼロスよ。この俺が、影の力を得た俺が、今度こそ貴様を殺してくれよう!……フフフ、ハハハハハ!」
同刻、バステア城。エリオット達は出立のあいさつをするため、レオン達紅蓮騎士団が集まっているという会議室へと出向いていた。
「ああ、エリオット。よくぞバステアを守り切った。この地の民を代表して、俺から礼を言う。ありがとう」
「いえ、騎士として帝国民を守るのは当然のことですから。……それより、ゲラニットの方の首尾はいかがでしたか?」
ゲラニットでの戦果を聞いた途端、レオンはバツが悪いような表情を浮かべた。納得していないような、釈然としないような顔である。
「うむ……。そのことなんだが……。実は、敵兵が姿を現さなかったのだ」
「え?そんなことがあるんですか?」
「……今回はそうだったようだ。敵の陣地はあったのだが、何時まで経っても蹄の音が聞こえぬのでな。おかしいと思って調べてみれば、その陣地はもぬけの殻。敵兵の行き先もわからずじまいなのだ」
「では、もしかすると敵兵がまだどこかに潜んでいるかもしれないと?」
「うむ……。ふがいない話よな。帝国最強と謳われた紅蓮騎士団が敵の姿すら見逃すとは。……儂も引き時か。まあ、とにかく。若い騎士であるお前たちが無事ならばそれでいい。……これから帰るのだろう?十分に用心しろ。敵がどこに潜んでいるかわからん。……情けない話だがな」
レオンは自嘲気味に笑った。エリオットは何も言えなかったが、これ以上ここにいては帰りが遅くなってしまう。チューン城で待つカリンとコルニッツォも心配していることだろう。
「……それでは、私たちはこれで失礼いたします。短い間ですが、お世話になりました」
当たり障りのない挨拶で会話をしめ、会議室のドアに手をかけた時だった。
「失礼いたします!どなたかおりませんか!」
帝国の紋章が刻まれた兵士が、会議室へ転がり込んできた。鎧は血に塗れており、碌に手当てもしていないことが分かる。レオンが床に倒れる兵士の身体を支え、治療用のベッドへと運ぶ。鎧を脱がせ、血止めと手当を施し兵士を落ち着かせた。
「どうした、一体何があったのだ?」
「申し訳、ありません。……クバルを、逃がしてしまいました」
「なんだと!?」
レオンが驚きのあまり、大きな声をあげる。エリオットも少なからず驚いたものの、声をあげることはなかった。その代わりのように兵士へと詰め寄る。
「どういうことだ。誰かに襲われでもしたのか?」
「……その通りです。王国の奴らがいきなり襲い掛かってきて……。我々護衛騎士が何とか守り切ろうとしたのですが、敵の膨大な魔力に手も足も出ず……。生き残ったのは、私一人だけです。……敵は、ガルディアと名乗っていました」
「ガルディア……。クソッ、そういうことか!」
レオンが一人で何かに納得したようだ。何のことかわからないエリオットは説明を求める。
「レオンさん、いったいどういうことなんです?」
「ガルディアは、本来俺たちがゲラニットで戦うはずだった敵将の名だ。……何処ぞに姿を消したと思っていたが、こんなところで名を聞くとはな。総員、出立の用意をせよ!これよりガルディアの征伐とクバルの再捕縛を行う!」
「レオンさん、俺たちも手伝います。護衛騎士がやられるのならば、敵は相当の手練れのはず。紅蓮騎士団だけでは……」
「……もとよりガルディアはわしらが相手すべきだった。それをみすみす逃がしておきながら、人の手を頼るなど戦士の誇りが廃れるというものよ。……お前たちは気にせずチューンに帰るのだ。向こうで、今か今かと帰りを待っている者がいるのだろう」
「しかし、クバルを救出されたとなれば、奴の脅威も考えねばなりません」
今の言葉が癪に障ったのか、レオンは声を荒らげた。
「見くびるな!わしが何年戦士として生きて来たと思って居る。……今の言葉の真意など読み取れる。『お前じゃクバルに勝てないから、俺たちに任せろ』……。そう言いたいのであろう。……後先短い老いぼれから、錦を飾る機会を奪わんでくれ。頼む」
荒らげられた声から始まったレオンの言葉は、しぼむようなか細い声で締められた。つい先ほどまで目の前に立っていた歴戦の勇士の背が丸くなっているのを見たエリオットに出せる言葉など一つしかなかった。
「……わかりました。我々はチューン城へと帰ります」
「ああ。……次に会うのは何時になるだろうか。その時を楽しみにしておこう」
エリオットはレオンの表情を見ずに会議室を出た。それを見てしまえば、無理にでも彼らに同行しようとしてしまっていただろう。城下に控えさせていた仲間たちのもとへ戻ると、先ほど駆け込んできた兵士を見ていたのか、皆エリオットへと詰め寄った。
「……さっきのは何だったんだい?だいぶ大慌てしていたみたいだけれども」
「なんでもない。早く城に帰ろう。みんな待ちくたびれてるだろうさ」
何でもないわけないということは、この一言で気づいていた。だが、何も言えなかった。エリオットが首を突っ込まないということは、自分にはどうしようもないことだと痛感しているときだ。ならば、もうどうしようもない。いくら説得したところで、彼の考えは変わらない。長い間一緒にいるノクスとアイリーンはすぐにそう理解した。他の皆も、聞いてはいけない雰囲気を察し、何も言わずに馬に乗った。エリオットは一度バステア城を名残惜しそうに振り返り、馬を走らせた。烈風騎士団がバステア城を出てから、30分後。紅蓮騎士団はガルディア征伐を掲げ、城から出立した。
「あの騎士から聞いた話では、もうすぐだな」
ダゴン山岳地帯より西、チューン城からは北に位置するアーサ平原。ここから、帝国の中心地である帝都の一部を望むことができる。護衛騎士の話ではこの平原の街道を通っているときに襲われたのだという。多少の起伏はあるが、見通しを邪魔するほどではない。まだ昼ということもあり、心地よい風が平原を吹きわたっていた。しかし、レオンはその風に何やらよくないものを感じていたのだった。
「……むう。これは……」
「おじい様、いかがしましたか?」
レオンの隣にいるのはレオンの孫であるルトガーだ。訝し気な表情を浮かべる祖父のことを案じている。
「……うむ。これは、わしの勘なのだが……。風が変だ。何やらよくないことの前触れである気がしてならん」
「それは、一体どのような……」
「それは分からん。……だが……。ルトガーよ。何か予想だにしないことが起きた場合、お前が……」
何か遺言らしきものを残そうとするレオン。しかし、ルトガーはそれを遮った。
「おじい様!縁起でもないことを言うのはおやめください!予想だにしないことが起きようとも、我々ならいくらでも対処できるはずです。私たちは、帝国最強の騎士団で、おじい様はその騎士団の団長なのですよ」
「……うむ。すまない、ルトガー。年のせいか随分と弱腰になっていたようだ。我らは猛き帝国の騎士。いかなるものも恐れたりなどしない!……皆、意気をあげよ!」
レオンの一声で騎士団全体の士気が上がる。頼もしい仲間たちの姿を確かめたレオンは、先ほどの嫌な予感を気のせいだと心の奥にしまい込んだ。少しすると、彼らは空に立ち上る一筋の煙を見つける。
「あれは……馬車です!周りには何人か人の姿が確認できます!鎧から見るに王国の者かと」
ひときわ目がいい団員が様子を確かめる。どうやら護衛騎士たちが襲われた地点は、あの辺りのようだ。しかし、目的地がはっきりし、あとは彼らを追い払うだけであるというのに、レオンの表情は曇っていくばかりだった。
「団長、どうなさいました?」
「……どうも気になってな。何故奴らはあの場に残っているのだろうか。奴らの目的はクバルの救出であろう。護衛騎士があれだけ手ひどくやられたのなら、その目的は達せられたはず……」
「どのような理由があれ、捕えれば何かしらの情報を聞き出せるはずです。……今は悩んでいる場合ではないかと」
「……そのようだ。全員、突撃準備!……容赦はいらぬ、全員突撃!」
レオンの号令で、紅蓮騎士団の面々が一斉に緩やかな坂を駆け下りる。壊れた馬車の周りにいる者達はちっとも焦るそぶりを見せていない。それどころか、そのうちの一人が突撃する彼らの前へと飛び出した。
「……愚かな。我らの意気に吞まれたか」
坂の上から眺めていたレオンがそうつぶやいた時、異変が起こった。いきなり凄まじい衝撃音と、土煙が巻き起こったのだ。そして、それが晴れていくと、突撃していった団員たちが地面に埋められているのが見えた。
「……何が起こった。奴は何者だ!」
突撃する彼らの前に飛び出した者。奴だけが無事だった。奴が団員たちを埋めたのであろうか、その証拠と言わんばかりに高笑いが聞こえてくる。レオンはこの声に聞き覚えがあった。
「……クバル。まだ逃げていなかったのか。……だが、奴は左腕を失っていた。重力魔法など碌に扱えないはずだ。……一体何がどうなっている……」
「父上!今は考えている場合ではありません!アレがクバルだと分かった以上、捕えなおさねばなりますまい」
「……うむ。その通りだ。行くぞ!我らの力を、帝国の威をここに示す!」
クバルを逃がさないため、レオンたちが続く。近づくにつれ、クバルの表情がよく見える。奴は、笑っていた。地面へと叩き潰した彼らではなく、レオンたちに向けて。……新たな犠牲者が増えることを喜んで。
「クバル!絶対に逃がさぬぞ!」
「フフフフハハハハハ!俺はもう逃げも隠れもせぬ!……ゼロスではないのは残念だが、ウォーミングアップと行かせてもらおう!……『重圧』!」
クバルが両手を前にかざす。その瞬間、またもや土埃が起こった。まるで体を突き刺すような重力。今まで以上の魔力であることは、皆すぐに理解した。しかし、だからと言ってやられっぱなしという訳ではない。
「……なかなかの魔力だが、儂を跪かせるには程遠いな。……『壊炎拳』!」
レオンがクバルの重力下で立ち上がった。そして、右手に炎を宿し、殴りかかる。クバルは一切避けようとはしなかった。ただ胸を張り、左の頬を差し出した。『殴ってみろ』と言わんばかりの振る舞いに、レオンも罠を疑ったが、重力に押しつぶされて苦しむ団員たちをそのままには出来なかった。
拳がクバルの顔に叩きこまれる。レオンの『壊炎拳』は城門を貫き、船の底にすら穴をあけるほどの威力を持つ。人がまともに喰らえば、命の危険は避けられない。だがしかし、クバルは例外になってしまったようだ。少しも後ずさりすることなく、レオンの拳を左頬で受け止めている。痛みを我慢しているそぶりはない。ただ、ニヤニヤと嗤っている。
「……一発は一発。次はこっちの番だな」
そう言うよりも早く、クバルはレオンの右手首を掴み、引き寄せた。バランスを崩したレオンの腹に、重い一撃を叩き込む。
「がはっ……」
レオンは胃液を吐き、その場に崩れ落ちてしまう。しかし、いくら老人とはいえレオンは歴戦の勇士。この程度で音を上げるような男ではない。すぐさま立ち上がり、構えなおす。彼の目にはまだ闘志が浮かんでいる。
「……さすが、帝国最強の騎士団を率いる男。『炎獣王』の名は伊達ではないということか。ウォーミングアップ程度と決めていたが、ここからは少々ペースアップと行くか!」
「何を世迷言を……。幾度拳を交え、ついにつけられなかった決着、今ここでつけてくれようぞ!……『壊炎脚』!」
右足に炎を宿し、鋭い回し蹴り上げを放つ。的確にクバルの顎へと命中したはずだったのだが、彼はレオンの一撃を首の関節を鳴らして嗤っている。
「ならば……。これならどうだ!『壊炎連撃』!」
全身に炎をまとい、相手の懐へと飛び込む。そこからパンチやキックなどを乱雑に繰り出す。一撃一撃の破壊力は先ほどまでと比べると劣っているが、その代わりに相手の守りすら突き崩すほどの連撃を可能にしている。これなら、先ほどまで余裕ぶっていたクバルの慢心を砕くことができると、レオンは考えていた。だが。
「……マッサージにはちょうどいいが、俺は今そんなものを望んだ覚えはない。……やめろ」
クバルが右の手のひらを前にかざす。そこから重力が放たれ、レオンはあえなく吹き飛ばされた。そして、自分たちが駆け下りた坂へと叩きつけられ、体が地面にめり込んでしまっている。
「……所詮は老人。よく戦った方だ、褒めてやる。だが、足りぬな。やはり、ゼロスでなければならぬか……」
「クバル様、早くとどめを刺してはいかがでしょう……?」
馬車の陰から顔を出した誰かが、クバルに提案している。だが、彼はその提案を払いのけた。
「黙れ!貴様ごときが俺に指図するでない。……貴様がとどめを刺せばよかろう。それとも、奴らが生きていては困ることがあるのか?」
「いえ、そう言う訳ではありませんが……。不安の芽は摘んでおく方がよろしいかと……」
「ならば、なおさら貴様がやれ。俺は奴らに不安など感じぬ。……父への復讐を企てる割には、随分と卑怯者よな。なあ、ガルディア」
馬車の陰から顔を出していた男、ガルディアは観念したように姿を現した。そして、レオンのもとへと近づいてくる。
「まさか『シャーディンの痣』に性格を変えてしまう効果があるとは。後でキース様に話しておかなければ。……そうだ、こいつも連れて帰って……」
「何を、ごちゃごちゃ話している……。シャーディンだと?そんな碌でもないものを、どうするつもりだ」
ガルディアはレオンの問いに取り合わない。寸前まで近づき、レオンの手を握ると、そこから冷気を流し込み始めた。鋭い激痛と共に、レオンの手が凍っていく。体の芯もなんだか冷えてきている。レオンはすぐに炎を手に宿そうとしたが、体が言うことを聞かない。その様子を見ていたガルディアは自慢げに話す。
「無駄だ、お前はもう魔法を使えん。……感じただろう、体の奥底が冷えるのを。お前の魔臓器は凍った、もう動くことはない。いかなる医療をもってしても、治ることはないだろう」
あまりの衝撃に、レオンは言葉を失った。あまりにも信じがたい言葉だが、ガルディアの言うとおりレオンは今、魔法を使えない。いくら魔力を燃やそうとも、凍り付いた魔臓器を溶かせるほどの熱を生み出せない。次第に、レオンは抵抗をやめた。打ちのめされた体ではどうすることもできない上に、右手から始まった氷の侵食は右肩に及んでいた。体を突き刺すような痛みはすでに消え失せている。氷の冷たさは体の熱どころか、感覚すらも奪っていた。もはや右腕は何も感じられない。今すぐ切り落とされたとて、痛みに叫ぶこともないだろう。
「……貴様らは……。何をするつもりだ……?」
意識すら消えゆく中、震える口でレオンはそうつぶやいた。それを聞いたガルディアは右眉を吊り上げる。
「まだ意識があるとは。素晴らしい被験者になりそうだ。……どうせ貴様はこれから意識を失うことになる。せめてもの慈悲だ、教えてやろう。……貴様ら紅蓮騎士団の面々に、とある手術を施す。『痣の移植』だ。……知っているだろう、『影の一族の痣』を」
ガルディアは得意げに話し続ける。誰かに話したいという子供心か、それともレオンがここから逃げられないと確信したうえでの慢心か。いずれかは定かではないが、包み隠さず話し続けた。
「あれは大層危険な代物でな。まだまだ発展途上の技術なのだ。俺は運よく適合したが、他の者が皆そうだとはいかないだろう。……だから、お前らで実験するのだよ。……そして、『シャーディンの痣』を持った者だけの軍隊を作り、この大陸を手に入れ、ゆくゆくはこの星すべてをこの手に……。フフフフフ……」
「……愚かな。歴史を繰り返す気か」
「俺たちは人間、学習する生き物だ。過去の失敗から学び、反乱の芽はすぐに摘む。恐怖ですべてを従える。逆らう者には死を、忠誠を誓う者には富を。……これで十分だ。わざわざ逆らおうなんて馬鹿はいなくなる」
「……世界を手に入れて、どうする気だ?」
「なんだと?」
「……そんな荒唐無稽な絵空事、年端も行かぬ幼子ですら思いつくまい。今さらそんな子供じみた幻想に取り憑かれて、一体何の意味がある?」
レオンは、ガルディアの背中の先を見ていた。彼らの長話に飽き、あくびを立てるクバル。そして、埋められた地面から何とかはい出ようとする紅蓮騎士団の団員たち。どうやら皆、死んでしまったという訳ではないようだ。彼らが無事にここから逃げ出すまで、レオンは時間稼ぎを始めたのだ。
「……無論、すべてを支配する全能感を味わうために決まっている。お前も考えたことはないか?すべてが自らの想い通りになる世界を。すべての人間を顎で使い、あらゆるものが自らの所有物となる心地よさを」
「下らんな。何かを支配したい欲でもあるのなら、ジオラマでも作って遊んでいろ。……他人を巻き込むな、一人で勝手にやれ」
レオンは地面から起き上がったルトガーと目が合った。すぐさま、まだ動く左手で撤退のジェスチャーを出す。しかし、ルトガーは首を横に振った。クバルは居眠りを始めた。起きる気配はない。
「あいにくだが、ジオラマの中の物は動かないのでな。物足りんのだよ、だからこうして、世界を手に入れようとしているわけだ。……ご理解いただけたかな?まあ、老人の古臭い頭では難しいことだというのは重々承知している。……だが、それも『痣の移植』によって、無理やりにでも理解させてやる」
その言葉と同時に、氷の侵食が速度を増す。肩から首、そして顔へと氷が至り、もうすぐ口が塞がれてしまう。その時、ガルディアの後ろに影が迫った。
「おじい様から、離れろ!」
ガルディアが弾き飛ばされた。ルトガー渾身の一撃が炸裂したのだ。ガルディアは「ぐっ」と声を漏らし、地面を転がる。ルトガーはその隙に、レオンの身体を包んでいた氷を溶かし始めた。
「……ルトガー。なぜ、団長である儂の指示に従わなんだ……」
「あなたは、偉大な騎士団の団長である前に、大切な私の祖父なのです。……祖父を見捨てて逃げ出す孫など、どこにおりましょうか」
「……すまない、ルトガー……」
レオンはその場で涙を流した。孫の勇気とやさしさに、それに甘えることしかできない己の老いとふがいなさに。ルトガーは危険な体温の低さをしていたレオンを何とか温め、担ぎ上げる。そして、レオンに代わり、撤退の指示を出した。
「この……。なめるなよ、雑魚共が!」
ついに、ガルディアのまとっていた薄氷がごとき余裕が剥がれ落ちた。目は血走り、怒りの赴くまま、魔力を垂れ流してあたりを凍てつかせている。ルトガーは全くそれに取り合わず、撤退の準備を進める。とはいっても、馬はすべて地面の中で埋まったままで、掘り起こすにはそれなりの時間を要してしまう。そんなことをしていれば、この平原に氷像が立ち並ぶことになる。ルトガーは父の身体を部下に任せ、ガルディアへと対峙した。
「このまま全員凍り付かせてやる!俺にひれ伏さなかったこと、地獄で後悔するがいい!『氷獄門』!」
ガルディアの身体から冷気があふれている。空はいつの間にか黒い雲で覆われ、雪がちらつき始めていた。しかし、それ以外に何かしらの変化は見られない。拍子抜けを喰らったルトガーは、怪訝な顔を浮かべていた。
「何が氷獄だ。雪が降ってきただけじゃないか」
「……慌てるな。地獄の始まりは、今、ここからだ!ハアア!」
ガルディアは叫び、地面へと両手をついた。その瞬間、大地に大きな穴が開かれる。穴の中は白銀に包まれており、中に何があるかは一切把握できない。ルトガーが身構えたその時、穴から風が吹き出した。それは雪を舞い上げる穏やかな風のように見えたが、それはほんのわずかの出来事だった。次第に風は強さを増し、渦を巻いていく。空にも暗雲が立ち込め、雪がちらつき始めていた。
「まだだ、もっとだ!ここに地獄を、氷獄を作り出せ!」
穴から漏れだした冷機は地面を凍てつかせていく。振り始めていた雪はいつの間にか雹へと変わり、地面に降り注いでいた。
「不味い……。全員、早くここから離れろ!巻き込まれたら終わりだ!」
吹雪は彼らを吞み込まんと意思をもって動き出していた。降りしきる雪は足を奪い、熱を奪う。そして雹が体力と意識を奪おうとしていた。
「フハハハハハ!逃げ惑え!無様な姿を俺に見せてくれ!……なあレオン。お前、さっき俺に説教したよな。でも、今のお前はどうだ?無様にくたびれて人の背の上だ。……そんな情けない野郎が人様に説教しようとしてんじゃねえぞ!老いぼれ!……てめえもだ、おいぼれの孫。俺の邪魔をしやがって……。俺は邪魔をされるのが何よりも嫌いなんだよ!……てめえの命で償え。お前の犯した罪に比べれば、お前の命なんぞ足元にも及ばないけどな!」
ルトガーは彼の言葉を気にも留めなかった。自らの祖父に必要以上に害をなした者の言葉を聞く価値はないと、自分で決めていたためである。殿に立ち、皆を励ましながら吹雪の中を歩き続ける姿は、レオンが望んだ次期紅蓮騎士団団長の姿であり、ガルディアの怒りをさらに買うことになる。
「……飽きた。小細工はここまでだ。……おい、おいぼれの孫!仲間を逃がしたいだろう?その望み、叶えてやらんこともない。……どうだ、興味を……」
持たなかった。ルトガーは吹雪がやんだことを幸いとして、団員を引き連れて走り出していたのだ。……ガルディアが一番嫌いなことは邪魔をされることだ。そして、二番目は無視されることだった。
「……そうか。お前はそう言う人間か。なるほどな、よくわかった。……殺す。殺してやる!」
感情にコントロールされているガルディアは、ルトガーへの殺意をあらわにし、それを実現するべくその場から駆け出した。地面を凍らせ、その上を滑っていくことで、走るルトガーよりも高速で移動している。
「フハハハハハ!必死に走って、無様なものじゃないか!……フン!」
ガルディアは一息で彼らの行く手を阻む氷の壁を作り上げた。彼らはすぐに破壊へと取り掛かりたかったのだが、この近さでガルディアに背中を見せる訳にもいかず、ついにルトガーがガルディアの呼びかけに応じた。
「……一体何の用だ、卑怯者」
「その戯言は不問にしてやる。……仲間を無事にここから逃がしたいだろう?それに、お前の父のことも」
一時危機を脱したとはいえ、レオンの身体は急速な冷凍のせいで衰弱しており、今すぐにここではできない治療が必要だ。そのためにも、ルトガーは撤退を急いでいた。
「……お前でいい。お前ひとりが、この俺にひれ伏し、生涯にわたって忠誠を誓うのなら、奴らは逃がしてやる。どうだ?お前ひとりの命で他の全員を救える。最良の選択肢だと思わないか?」
ルトガーの後ろにいた団員たちが騒ぎ出す。彼らはそろって「そんなことをする必要はない」といった。ルトガーがいかに団員たちから慕われているかがわかるが、ガルディアにとってはそれも怒りの源にしかなり得なかった。
「黙れ!お前らなんぞに問いかけているわけではない!」
ガルディアは騒がしかった団員たちを氷像へと変えた。そして、何度も深呼吸を繰り返し冷静さを取り戻そうとしている。
「……ふう。ついカッとなってしまったが、まあこちらの方が分かりやすいか。……ルトガー。お前が『忠誠を誓う』と一言いえば、奴らを解放してやる。……さあ、よく考えろ。あの中にはお前の父もいるぞ。これ以上は危ないのではないかな?」
ガルディアは今までの人生の中で、今が一番楽しいとすら感じていた。自らという絶対的な存在の下で、人の命という大切なものがないがしろに扱われている。普通であれば、決して許されない行為だ。これが許されるのは今のガルディアと、かつてのガルディーンだろう。……ガルディアは顔をあげた。いつの間にか物思いにふけっていたようだ。それなりに時間は経った。ガルディアはルトガーの答えを聞くため、口を開く。
「さあ、そろそろ時間だ。答えを聞かせてもらおう。……俺にひれ伏すか、それとも仲間を見殺しにするか」
「俺の答えは……。これだ!」
ルトガーは自らの武具である斧を握りしめ、ガルディアへと立ち向かった。第三の選択肢をもぎ取るという勇気ある選択を前に、彼はため息をつくだけであった。自らも氷で斧を作り上げ、正面から迎え撃った。鉄と氷。本来ならば鉄が硬度を上回る。だが、『シャーディンの痣』により強化された魔法で練り上げられたものに、常識が通用するはずもない。
「残念だが……。その答えは、不正解だ!」
斧の刃が正面からぶつかり合う。鍔迫り合いをする間もなく、斧にひびが入り、刃が欠ける。しかし彼は諦めない。とっさに持ち替え、もう片方の刃を相手に向け、振りぬく。しかし、それがとどめとなった。またもや深くひびが入り、刃が欠けるどころか、斧自体が砕け散ってしまう。勇気ある者の手に残されたのは、斧の持ち手だけだった。
「フフフフフハハハハハ……。愚かだな、ルトガー。それが蛮勇の代償というものだ。……さて、お前の遊びに付き合ってやったのだ。その分の代金は支払ってもらわねばな。眠れ。次に目が醒める時は、世界が俺の物になった後だ」
ルトガーの足元が凍っていく。父から教わった魔法である炎魔法を使って氷を溶かそうとしても、それ以上の速さで凍っていく。ルトガーは最後の悪足掻きと言わんばかりに、右手に握りしめていた斧の持ち手を投げつけた。ガルディアはもうルトガーに反撃の意思がないと決めつけていたらしく、予想外の攻撃にひどく驚いた。攻撃は命中しなかったが、ルトガーを覆う氷の侵食が止まった。
「……お前は、どうしても死にたいようだな。いいだろう。その愚かさに免じて実験台にするのはやめてやる。その代わり、今ここで死ね!」
「……死ぬのはてめえだ!」
その瞬間、黒い影が二人の間に突如として現れ、ガルディアを重い一撃で吹き飛ばした。ルトガーは突然現れた助けに目を丸くしている。一方のガルディアは吹き飛ばされた衝撃で、何度も地面を転がっていた。
「あ、あなたは……一体……?」
「……ゼロス。烈風騎士団の団員だ」
「な、なぜここに?烈風騎士団はチューン城へと帰ったはずでは……?」
「大したことじゃない。ウチの団長の調子が悪くてな、原因を聞きだしたってだけだ」
ゼロスが話し終わるのと同時に、数多の蹄の音が聞こえてくる。掲げられた旗には烈風騎士団の紋章が描かれていた。先頭を走るのは、団長であるエリオットだ。団員達は近くで馬を降り、すぐに氷を砕きにかかった。エリオットら幹部はゼロスのもとへと集まる。
「間に合ったか!?」
「ああ。皆無事とは言い難いが……。最後のアレのおかげだ。斧の持ち手を投げつけたおかげで、俺が間に合った」
「団長!こちらも全員救助完了しました!」
剣の柄頭などで地道に氷を砕いていたようだが、人数が多いおかげで手早く片付いたようだ。
「よし、すぐに馬車へと乗せるんだ。すぐにここを離れる!……オルコス、砕いてくれ」
「ああ、任せてくれ」
オルコスは右手を鉄に変え、ルトガーを捕らえていた氷を一撃で砕いた。彼は相当氷に体力を奪われていたらしく、解放されるとすぐにその場に崩れ落ちてしまった。オルコスは彼を急いで抱え上げ、馬車のもとへと運んだ。
「これで全員か?」
エリオットは周りを見渡す。紅蓮騎士団の鎧を身に着けている者はもう見当たらない。助けられるものは全員助けただろう。すぐに撤退の指示を出した。
「よし、全員撤退!バステア城まで急げ!」
団員たちが続々と馬車を守りながらバステアへと向かっていく。エリオットとゼロスは後ろからそれを見守っていたが、あることが気がかりだった。先ほど弾き飛ばしたガルディアが、全く行動を起こさないのだ。いつの間にか姿を消しており、行方は分からない。またどこかで奇襲されるかもしれないと、二人は警戒している。ある意味、彼らの期待通り動きがあった。しかし、それは彼らが考えていたこととは全く違うものだった。
時は少し前、ガルディアがゼロスに吹き飛ばされた時にまでさかのぼる。地面を転がっていたガルディアは、馬車の残骸に背中を打ち付けることでようやく止まることができた。その揺れのせいか、それとも単純に騒がしかったからか。地面に仰向けで寝ていたクバルがようやく目を覚ました。
「……。騒がしい。ガルディアよ、何をしている。地面に転がり土と草まみれになるのがお前の趣味だとでもいうつもりか?」
「ちょうど良いタイミングでお目覚めになりましたね、クバル様。……少々邪魔が入りまして。ゼロスが姿を現したのです」
その名前を聞いた途端、クバルは目を輝かせ、跳び起きる。
「何!?ゼロスだと!?来ているのか、ここに!」
「はい。私も手ひどくやられました」
ガルディアはそう言って、自らの身体を見せつける。あの時、とっさに氷の盾で剣の一撃自体は防いだものの、たった一太刀で盾は砕かれた。その上、放たれた衝撃波から身をかばうようにしていたところ、地面に叩きつけられ右腕を折ってしまっていた。ガルディアは額に汗を浮かべながら言う。
「奴らは紅蓮騎士団を助け、ここから逃げようとしています。どうか、奴らを……」
「そんなものに興味はない。……だが、ゼロスか。面白くなってきたな」
クバルは柄にもなく、浮足立っていた。『シャーディンの痣』による人格変化の影響は相当強いようだ。目的はどうあれ、頼んだ通りに動いてくれそうなクバルの背中を見送ったガルディアは、自らの腕の治療に専念するのだった。
姿を現したかと思えば、いきなりの攻撃。速さを生かした奇襲のつもりだったようだが、ゼロスには造作もなかった。
「……クバル。負け足りないのか?」
「いや、敗者の味は十分味わった。もう必要ない。……お前はどうだ?敗者の屈辱を、感じたことはあるか?感じたくはないか?」
鍔迫り合いの最中、クバルはしゃべり続ける。目は淀んでおり、焦点があっていないようにも感じられる。ゼロスはこの時点で何かしら怪しいものを感じていた。
「お断りだ!」
クバルの薙刀を弾き上げ、距離を取る。そして近くにいたエリオットにすかさず指示を出した。
「こいつは俺に任せて、さっさと撤退しろ!」
「……わかった。必ず生きて戻れよ、団長命令だ」
クバルはエリオットの撤退を見逃した。はなからどうでもよかったのだ。ゼロスを殺せさえすれば、なんでもよかった。自分が初めての敗北を喫した男、それさえ殺せれば、他の自分を害するものはいなくなる。そうすれば、改めて『最強』を名乗ることができる。……クバルはその称号に固執し始めていた。『痣』を得るまでは心の底に沈んでいて、自分でも知らなかった欲望。それを自覚した今、クバルは前よりもずっと生気に満ちていた。たとえそれが破滅の兆候だったとしても。
「……見逃すのか。何が目的だ?」
「言ったはずだ。お前に敗北を教えてやろうとな。あんな奴、いようがいまいが関係ない。……いや、水を差されないのだから、いない方がありがたい」
クバルがあらわにした余裕に、ゼロスは今までの戦場では一度も感じなかったプレッシャーを感じていた。いかなる者をも縛り上げ、押しつぶす支配者の覇気。今の彼に、王への忠誠心は感じられない。荒々しく、そして忠実だった王の騎士は、今や王の威光に唾棄する反逆者となり果てていた。クバルから放たれる異様なプレッシャーに圧倒されていたゼロスは、その出処をたどった。そして、ついに気づく。
「お前、その左腕は何だ?誰かに手術でもしてもらったのか?」
「……気づいたか、いい眼だ。これぞ、覇者の腕。『シャーディンの痣』を宿していた腕だ!俺はこの腕を移植し、『影の一族』の力を手に入れたのだ!ハハハハハハハハハハ!」
クバルは意気揚々と左腕を見せびらかす。すでに世界を手に入れたと錯覚するほどの喜びようだが、片やゼロスは冷めた目を向け、構えていた剣を背負いなおした。考えていなかった行動に、クバルも驚きを隠せず、躍起になって問い詰める。
「ゼロス!何のつもりだ!剣を抜き、俺と戦え!」
「俺に負けた腹いせに、眉唾物に縋るとは。……随分と落ちぶれたものだな、クバル。そんな者を斬っては俺の剣も鈍る。……失せろ、お前には斬る価値すらない」
ゼロスは言葉だけでは飽き足らず、背を向け、馬に乗ろうとしている。どうやら彼は本当に戦うつもりがないらしい。しかしクバルも、「はいそうですか、わかりました」と言って引き下がるほど聞き分けの良い男ではなくなってしまった。背を向けるゼロスに対し、必死に言葉を投げかける。
「逃げるのか!この俺という脅威を目の前にして、恐怖したのか!……そうだろう!答えよ、ゼロス!」
「……仔犬はなぜ吠えるのか。大抵、自分の縄張りを冒されたときだろう。なら、さっさとその場から離れてやるのが吉だ」
「負け惜しみだろう?俺に勝つ未来が見えないから、言葉で俺を惑わそうとしている。そうだな、『そうだ』と答えろ!」
「なら、クバルお得意の重力魔法で俺の足止めでもしてみるといい。何の足止めにもならないだろうけどな」
「舐めるな!お望み通り、その減らず口に土を詰め込んでくれようぞ!……『過重圧』!」
馬に乗ろうとしていたゼロスの周りに、重力場が展開される。馬は耐えきれず地面に埋め込まれてしまった。だがしかし、ゼロスに別状はない。馬が使えなくなったとすぐに割り切り、自らの足でバステア城を目指し始めた。
「貴様!なぜ沈まない!?今までよりも格段に魔力は増しているというのに……」
「……覇者だろうが何だろうが知ったことではないが、俺はそこまで暇ではない。……失せろ、俺に負けたあげく下らんものに手を出した雑魚が」
「失せるのは貴様だ!今すぐにでもこの手で貴様を……」
クバルの殺意は留まるところを知らない。力を込めた握り拳からは血が流れ、眼も血走っている。薙刀を構え、今すぐにでも戦いを始めようとしていたその時、ガルディアがクバルを止めた。
「お待ちください、クバル様。奴らは……、紅蓮騎士団共はどうなさったのです?」
「知らぬ。俺の目的はゼロスのみよ。他の者など眼中にないわ」
「まさか、逃がしたと!?」
「だから何だ!俺の目的はゼロスだけと言ったはずだ。わざわざあんな雑魚共を気にしておく必要などあるものか!」
二人の言い合いの最中、ゼロスはいつの間にか姿を消していた。それにあとから気づいたクバルはガルディアに対し、怒りを爆発させる。
「ええい、邪魔をするな!お前が余計な口をはさんだせいで、ゼロスまでも逃がしてしまったではないか!どうしてくれる!?」
「……我々も、一度ここから離れましょう。王国陥落を急ぐのです」
「何!?ならば、ゼロスはどうするのだ!?」
「奴は烈風騎士団の一員。なればこそ大陸統一を狙う帝国の指揮で戦うことは明白。……新たに我々のものとなった王国で迎え撃つのです。そこでなら、誰の邪魔も入らないでしょうし、奴も逃げるようなことはしないでしょう。そこでなら、存分にゼロスと死合いができるかと」
クバルは唸り声をあげていたようだったが、先ほどまでの満足に戦えなかった経験を思い出し、自らを納得させた。
「……いいだろう。それならば、絶対に邪魔は入らぬのだな?」
「ええ。ですから、今は私とキース様にご協力をお願いいたします」
「うむ、いいだろう。……では、さっさとこんなところから離れるとするか」
クバルたちは部下を伴ってダゴン方面へと進んだ。その場に残されたのは馬車の残骸と、護衛騎士の死体。そして、いくつもの地面が凹んだ後であった。
一時間後、無事にバステアへと戻っていたエリオット達は、紅蓮騎士団の面々を医務室に運び終えていた。皆、体が冷え切っており、死んでいるかのように冷たい。すぐに治療が行われ、どうやら全員命に別条がないことが分かった。しかし、全員五体満足という訳にもいかず、レオンは魔法が使えなくなるという後遺症を抱える羽目になっていた。エリオットはあの場で何が行われたかを知るため、唯一話せる状態のルトガーのもとにいた。彼はベッドに寝ている状態だが、意識は安定している。
「奴らは、『シャーディア・センチュリオン』を復活させるつもりのようです」
シャーディア・センチュリオン。はるか昔、シャーディン一族が惑星アルスを統治していた際、反乱軍の対処や奴隷の統制などを行っていた武力組織である。その実力は本物で、反乱軍を約200年にわたり防戦に徹しさせ続けたほどであった。しかし、それ以外の記録が一切残っておらず、反乱軍がどうやってシャーディア・センチュリオンを打破したかは今でも歴史学者の間で議論が行われている。現在有力とされている学説は「シャーディア・センチュリオンにスパイが紛れ込み、内部から崩壊させた」という説である。つまり、正面からの撃破はほぼ不可能ということだ。そんなものが現代に復活しようとしていると、ルトガーは言う。
「……馬鹿な。人をよみがえらせる魔法でも開発したというのか?」
「いえ、そう言う訳ではありません。……『シャーディンの痣』。奴らは、あれを人工的に作り出している。そして、それを人体に移植して類まれなる魔力を得ているのです」
エリオットは「そんな話があるわけがない」と言いかけた。しかし、アーサ平原でみた光景はそうでなければ説明のつかないものだった。カリンにすら勝てなかったガルディアが、たった数日の間に帝国最強の男を命の危機まで追い詰めるのはあり得ないとしか言いようがない。ならば、やはり彼の言葉は真実なのだろう。
そう納得するエリオットの頭にある出来事が思い起こされる。一週間以上前、ゼロスが運営していた孤児院に誘拐の魔の手が及んだことがあった。その時はちょうど居合わせたゼロスとアイリーンによって未然に防がれていた。その後、孤児院で暮らしていた彼らはチューン城へと身を寄せていた。確かその時、ゼロスは誘拐犯から子供をさらう理由を聞いていたはずだ。……確か、「実験素材が欲しい」という理由だったはずだ。つまり、奴らは少なくともその段階で『痣』の実験を始めていたということだろう。
「……どうかされましたか?」
エリオットがハッと顔をあげる。どうやらずいぶん考え込んでルトガーを心配させたようだ。「なんでもない」と首を振る。子供の誘拐未遂という、解決した問題を話して、余計な混乱を招きたくはなかった。それに、今彼らが義憤に駆られたところで、勝てる相手ではない。今は対策を考える段階であって、打って出る段階ではない。
「そう言えば、あの時私を助けてくれた、あの黒い鎧の御仁はどこに……?」
ルトガーが心配そうにそう切り出す。ゼロスのことだ。ガルディアとクバル、護衛騎士が襲われたという話から他にも部下連中がいるだろう。そんな手合いを相手にして、ゼロスは無事に戻ってくるのだろうか。怪我程度で済むなら運がいい方だろう。最悪の場合、戻ってこないということも考えていなければならない。普段なら、絶対の自信をもって「そのうち戻ってくる」と言えるのだが、今回はその限りではない。
『シャーディンの痣』。それがいかほどの戦闘力の向上をもたらすか、エリオットは知らないのだ。かすかに見たガルディアのあの氷魔法でさえ、片鱗である可能性は捨てきれない。……エリオットは、ルトガーの質問に答えることができなかった。その代わりのように、ある人物がルトガーに答えた。
「私たちを逃がすため、まだあの平原にいるはずです。ですが、必ず戻ってきます。……あの人は、約束を破ったことがないそうですから」
――――――
チューン城、ヴァイス園。アイリーンは暇な時があれば顔を出すようにしていた。その日は日課の訓練を終え、特別な会議などもなかったため、いつものように園へと足を運んでいた。園へ近づくにつれ、子供たちの遊んでいる声は大きくなる。塀の外から様子を窺うと、ゼロスが子供たちを追い回していた。どうやら鬼ごっこで遊んでいるらしい。戦場で見せる冷徹な姿は鳴りを潜め、笑顔で子供に振り回されている。
「あら、アイリーンさん。ごきげんよう。またいらしてくれたんですね」
そのまま様子を見ていると、アイリーンに気づいたシエラが声をかけて来た。アイリーンは「こんにちは」とあいさつを返す。
「あまり見たことはありませんか?ゼロス園長がああやって遊びの相手をするのは」
「ええ。彼、いつも自分の訓練と部下の訓練教官もこなしたあげく、城外警備にも出てるみたいで、いつも忙しそうですから」
「……園長は、いつも根を詰めすぎるんです。それで、ある日に糸が切れたみたいに倒れてしまう。一回そんなことをやったときは私たち以上に子供たちが泣いて怒りましてね。『無理しないで!』って。……あれから、園長を遊びに誘うようになったんです。少しの間でも仕事忘れてほしいという子供たちなりの方法なのでしょうね。園長も子供たちを泣かせたのが相当響いたようで、一度も約束を破らずに、子供たちに付き合っているんですよ。その間にできそうな仕事は、私たちが片付けているんです」
「……そうだったんですか。私、全然そんなこと知りませんでした」
「あの人はそういう人です。自分で解決できそうなことは全部自分でやる。誰にも話そうとしない。……だから、あなたが気にかけてあげてください。あの人、あなたには他の人以上に心を開いているように見えますから」
――――――
「約束したんです。無事に戻ってくるって。だから、大丈夫です」
アイリーンははっきりと言い切った。ただ縋るように信じているわけではなく、確かな信頼というものが垣間見えた。
「……ですが、相手はシャーディンの力を得ています。いくら彼が修羅場をくぐっていようとも、シャーディンは想像のはるか上を行くでしょう。あれは、戦うための魔法ではありません。……殺すための魔法です。申し訳ないですが、そのような者が相手では……」
ルトガーはベッドシーツを握りしめている。助けてもらった礼もできぬまま恩人を失うというのは、想像しがたい悔しさなのだろう。アイリーンは「そんなはずはない」と騒ぎ立てるも、すでに諦めたような雰囲気を変えることはできなかった。皆が項垂れていく中、ついにアイリーンも椅子に腰を下ろし、皆と同じように項垂れてしまう。心では、ゼロスが無事であると願っている。しかし頭では歴史に悪名を残したシャーディンの凄惨さが呼び起こされ、最悪のシナリオを描かずにはいられなかった。膝の上で拳を握り、感情をこらえる。……そして、ついに耐えきれず一言「……ゼロスさん」とつぶやいた。その時だった。
「……ゼロス、ただいま帰還した」
ゼロスが医務室の扉を開けて入ってきたのだ。皆、顔をあげゼロスの顔を見る。どうにも信じられないといった様子で、彼はその不思議な雰囲気を感じ取り、「何かあったか?」と怪訝な顔を浮かべた。
「ゼ、ゼロスさん……。無事だったんですか?怪我は?」
「ああ、特には何も。碌に戦ってすらないからな。……あれは駄目だ。俺一人じゃ何とかできそうにない。だからさっさと逃げて来た」
その瞬間、椅子に座っていたアイリーンが飛び出し、ゼロスへと飛びついた。一目もはばからず泣き声をあげ、ゼロスが身に着けている鎧の胸当て部分を何度もたたく。
「この……!私が一体どれだけ心配したか、わかっていますか!?」
「……いや、悪かった。でも、俺は無事に……」
「そう言うことじゃないんです!……私、もしかしたら、あなたが戻ってこないかもって、考えてしまって……」
「……悪かった。それも俺のせいだ。俺がもっと強ければ、余計な心配をかけずに済んだ……」
「やっぱり、シエラさんの言うとおりでした。……あなたは何でも一人で解決しようとする」
「そんなことを言っていたのか。……まあ、その通りだろうな」
「……旋風傭兵団の、ルールを覚えていますか?」
「……すまない。思い出せない。だが、今それが何の……」
「『一人で解決しようとしないこと』。旋風傭兵団のたった一つのルールです。……それは、騎士団になって失われたとは、私は思っていません。共に戦う仲間がいる限り、これは守るべきものです。ですから……」
「わかった。もう自分だけでどうにかしようとするのはやめるよ。……心配かけてすまなかった」
「いえ……。無事で、よかったです」
アイリーンの涙もどうにか収まり、彼らの間にあった蟠りのようなものもすっかり解きほぐされた。事の収束を見計らっていたエリオットはすぐに立ち上がり、「俺たちも、そろそろ帰ろうか」と提案する。誰も強く声をあげることはなかった。皆、黙って従いぞろぞろと医務室を出て行く。烈風騎士団の面々がほどんど出て行った時、ベッドに寝ていたルトガーがゼロスを呼んだ。
「……恩人を前に寝たきりで申し訳ありません。助けてくださってありがとうございます」
「命に別条がないそうだな。助けた甲斐があったというものだ。……で、何の用だ」
「……随分と察しがよろしいようですね。戦場で生き抜くためのコツでしょうか?」
「ほとんどが出て行った後に呼ばれれば、何かしらの話があると考えるのは至極当然だと思うがな。……それで、何の話だ?」
「……クバルについてです。理由は分かりませんが、奴はひどくあなたに執着していました。『痣』によって規格外の力を手に入れた今、奴がどのような行動に出るかは全く想像できません。くれぐれも、お気を付けください」
「忠告、感謝する。……お大事にな」
ゼロスは後ろ手に手を振って医務室を出て行った。その背中を見送ったルトガーは、一刻も早く怪我を治すため療養に努めるのだった。
王城内、会議室。王国を取り仕切る大臣たちは、相次ぐ敗戦の報に青ざめた顔で会議へと臨んでいた。バステアはどうなったのか、ゲラニットはどうなったのか。あれから三日ほど経っており、そろそろ戦果が届くころだと見計らっての会議である。会議室へ入った彼らを出迎えたのは、険しい顔を浮かべた国王だった。国王は彼らの到着を確かめ、すぐさま会議の開始を宣言するのだった。
「……およそ十分前、伝令が戦果を届けに来た。……バステアは落とせず、ゲラニットは取られてしまった。そして、王国親衛隊の隊長を務めるクバル・ダーケインは捕虜となり、ゲラニットの防衛を任せたガルディアも半数の部下を連れ失踪。残りの半数は死亡していた。……此度も負けのようだな」
室内はどよめきに包まれた。クバルとガルディアがいなくなってしまえば、王国内に戦いの統率者はいなくなってしまう。信じがたい話ではあったが、彼らが三日経っても戻らないということが何よりの証拠だった。国王は顔に刻まれた皺を深くする。
「……負け、であろうな。兵を失い、将を失い。……もはやこの国には何も残されてはおらぬ。潔く降伏せねばなるまいな」
「それだけはなりませぬ!奴ら、どうせ王国の民を見せしめに殺しまわるつもりですぞ!我々も最後まで戦い抜くべきです!」
「しかし、兵も将もおらぬ。一体どうするつもりなのだ?」
その時、会議室の外から彼らにとって聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「兵も将も、私が持っている!」
ドアが乱暴に開かれる。姿を現したのは長い間失踪していた、元軍部大臣のキース・スタリーだった。ぼろい布切れを外套のようにまとっている。皆は呆気に取られていたようだったが、国王だけがすぐさま「どこで何をしていた?」とキースを問いただした。
「……我が秘密の別荘でしばしの研究を。その結果、如何なる者でさえも兵士と変える術を編み出しました」
室内は歓声に包まれる。一気に問題が解決するのなら、それに越したことはない。彼らはすぐさま詳細を求めた。
「それで、その術とは、いったい何なのだ!?」
「……その前に。陛下、こちらへ来ていただけますか?」
場の雰囲気が変わった。戦場に出ていないものでも、この違和感には気づくだろう。キースから、殺気が放たれているのだ。彼は殺気を隠そうともせず、部屋全体に殺気を行き渡らせていく。
「……一体、何のつもりだ?」
「陛下が私の元までいらっしゃるなら、私が編み出した秘術。お教えいたしましょう」
国王は唸った。どう考えても、キースは怪しい。しかし、あれに従わなければ、王国は敗北を一途をたどる。その上、大臣連中も「陛下!キースに従うべきです!」とヤジを飛ばしている。もはや選択肢はなかった。国王は玉座から立ち上がると、ゆっくりと歩き出した。付き人らしき者も共に行こうとするが、「陛下だけだ。お前はお呼びじゃない」とキースに止められてしまう。彼自身はそんな指示に従うつもりはなかったが、国王からの「指示に従え。国のためだ」という言葉に、歩みを止めるほかなかった。
「そうです。さあ、こちらへ」
国王はキースの正面に立った。腕をまっすぐ伸ばさずとも届く距離にまで近づいている。キースは国王の耳に口を寄せ、小声でつぶやいた。
「……お前が兵士になるんだよ」
「な……!?」
その瞬間、キースが国王の身体を刺した。何で刺したのかは、国王自身の身体のせいで、他の者には見えない。
「グ……!キース、貴様……」国王はキースの胸倉を掴んだかと思えば、力尽きたようにその場へと崩れ落ちた。異変を察知した付き人はすぐに国王のもとへ駆けつけようとするが、キースから制止が入る。
「動くな!……全員、俺が「良い」というまで絶対に動くなよ。……そして、よく見ろ。今からこいつは兵に変わる。あらゆるものに恐怖しない狂戦士、あるいは感情を失う殺戮者。……もしかするとまた別の者に変わるかもしれないがな」
キースは床にうずくまる国王を見下す。彼は何かに苦しみ悶え、もがいている。そして、天井を仰ぎ、ひとしきり叫んだあと血を吐いて動かなくなってしまった。一部始終を見届けたキースは深いため息をつく。
「はあ……。国王だから特別に適合したりするのかと考えていたが、無駄だったな。所詮は人、他の者と変わらないか。やはり最低条件として一定数値以上の身体の丈夫さは外せないな。老人の身体では『痣』がもたらす体の変異によって生じる苦痛に耐えられん」
そして、何かしら記録のようなものを取り始めた。血を吐いて倒れる人間を前にしてするべき行動ではない。皆が呆気にとられる中、国王の付き人だったものが激昂する。
「貴様!一体何をした!陛下は、どうなってしまわれたのだ!答えよ!」
「見ればわかるだろ、死んだんだよ。……こいつは、体が弱すぎて適合できなかったんだ。だから死んだ。それだけだ」
「何ということを……。自分が何をやったかわかっているのか!?これは立派な反逆罪だ!証人も大勢いる!今すぐに裁判を……」
その時、付き人の男が壁に叩きつけられた。会議室の入り口にはいつの間にかクバルが立っていた。
「これでいいのか?うるさい奴は黙らせたが……」
「ああ、上出来だ。……さて、他の大臣諸君。ああなりたいか?」
キースはそう言って、壁に叩きつけられ絶命した男を指さした。皆、一斉に首を横に振る。誰しもあのように無様な死にざまは御免だろう。一瞬でこの場の支配権を手に入れたキースは自分の足元で死んでいる国王だったものが目に留まった。そして、それがかぶっている王冠を取り上げ、自らの頭の上にかぶせる。
「今、この瞬間をもって!コンテッド王国の国王はこの俺となった!……者ども平伏し、俺を仰ぎ見るがいい!」
この日、王国と帝国の間で一か月間の停戦協定が結ばれた。理由は前国王であるリチャード・コンテッドが崩御したため、国内での葬儀を行うためとされている。また、この同日コンテッド王国は傭兵たちに「特別な仕事」と称して一人50万カンドの仕事を提示していたようだが、前国王の死亡との関連性は不明である。
チューン城、エリオットの仕事部屋。前回の戦場であったバステア山での戦果報告書を書き終え、ひと時の休憩中、珍しい来客が部屋のドアを叩いた。
「ああ、開いてるぞ」
ノックの主は「入るぞ」の声と共に、ドアを開ける。入ってきたのはゼロスだった。普段エリオットの仕事部屋には来ず、食堂などで顔を合わせた時に用件を伝えるのがお決まりだった。わざわざ部屋を訪ねてくるということは何かしらの緊急事態ということだろう。休憩中だったエリオットの気が引き締まる。
「どうした?わざわざここまで来て。珍しいこともあるじゃないか」
「まあ、個人的な話だ。……その前に、コレ。お届け物だ」
ゼロスはそう言って書簡を差し出す。書簡には帝国の印が押してある。また何か仕事の話だろうか。いくら戦果を挙げているからとはいえ、最近はあまり休みもないまま戦い続けている。嫌な顔をして書簡の封を切り、書かれている字を読みだした。
「何々……。『帝国と王国の一時停戦協定締結に伴い、一か月の休暇を与える』!?……本当か!?コレ」
「信じ難いが、本当のことだ。……その書簡を運んできた奴に聞いたんだが、どうやら向こうの王様が死んだようでな。葬儀だなんだで忙しいらしい。で、戦争なんかしている暇はないから、一時停戦してくれっていう話みたいだ」
「最近忙しかったし、停戦は有難い話だな。……わざわざこれを伝えに来たのか?」
「そんなわけないだろ。城門前で受け取って、代わりに持ってきただけだ。俺の用事は別にある。……戦果報告書、どこまで書いた?」
エリオットは疑問符を浮かべた。戦果報告書の出来を気にしていたのは今までカリンだけだった。今さらゼロスがそんなことを気にしだすとは到底思えない。エリオットの疑問を感じ取ったのか、ゼロスが先に理由を話し始めた。
「ガルディアとの一件で、『影の一族』の話が出て来ただろう?……あれは書かない方がいい。もし、もう書いた後だったら、それは処分しろ。新しいのは俺が書き直す」
「なんでそんなことを気にするんだよ。あいつらがどう動くかわからないなら、報告はしておくべきだろ?」
「駄目だ。……帝国も、『影の一族』を作り出そうとしているからな」
ゼロスはそこで、自分が旋風傭兵団に入る前のことを語った。バランが失態を犯したこと、それを理由に軍法会議が開かれていたこと。そして、彼への処罰は『影の一族』を生み出すことに関係しているらしいこと。
「俺が議場を出たあと、悪口を言われていたようでな。それをネタに報奨金を釣り上げようかと聞き耳を立てていたんだが、『影の一族』を生み出すとか言い出してな。俺はその時でたらめだと気にも留めなかったが、ガルディアやクバルみたいな実例を見たあとだと、そうとも言い切れない。帝国上層部の研究がどこまで進んでいるかはわからないが、情報は与えるべきじゃないだろうな」
「……理由は分かった。けど、それに関しては紅蓮騎士団の奴らもわかってるんじゃないか?もしかしたらあいつらが書いちまうかも……」
「さあ、どうだろうな。馬鹿正直に書いちまうか、それとも隠すか。……自分たちがコテンパンにやられたところまで正直に書けるんなら書くんじゃないか?」
「……まあ、とにかく。『影の一族』に関しては秘密ってことにしておくよ。……それより、俺たちの目下の問題は、一か月の休暇だな」
ゼロスは目を丸くする。予想だにしていなかった言葉に驚いているのだ。
「何かあるのか?」
その言葉を待っていた。そう言わんばかりにエリオットが目を輝かせる。
「何もない!……しばらく傭兵業で忙しかったし、騎士団になってからもずっと戦ってるか療養のどっちかだったからな。せっかくの休暇だ、どこか気分転換にでも行きたいところだが……。ゼロスはどうだ、予定とかあるか?」
エリオットは駄目元だった。戦い一辺倒の男が余暇を人並みに過ごせるわけがない。どうせいつもより長く訓練するとかその程度だろうと、たかをくくっていた。しかし、ゼロスの返答は予想だにしないものだった。
「ああ。ヴァイス園のみんなを連れてバラキアにでも遊びに行ってくるかな。……あいつら、海を見たことがないみたいだし、ちょうどいいだろ」
「嘘だろ!?予定あるのかよ。しかも海か。羨ましいな。俺も久しぶりに海行きたいな」
「なら、お前も一緒に来るか。どうせ暇だろう。ついでに子守を手伝ってくれ」
「何!?いいのか?それなら俺も……」
着々と予定が決まっていく中、またもや仕事部屋のドアがノックされる。エリオットが「開いてるぞ」と声をかけると、返ってきたのはカリンの声だった。
「エリオット、お客様をお連れした。入るぞ」
そうしてカリンと一緒に入ってきたのは、ルトガーとレオンだった。二人とも歩けるほどまで回復したらしい。ゼロスは二人にソファを譲り、壁に寄りかかる。
「レオンさん、それにルトガーも。一体どうしてここまで?」
「礼を言いに来たのだよ。烈風騎士団が助けてくれなければ、わしらはあそこで死んでいたに違いない。皆、命を落とさずに済んだのは間違いなく烈風騎士団の力があってこそだった。……改めて、礼を言う。助けてくれてありがとう」
レオンが頭を下げると、ルトガーも「ありがとうございます」と続いて頭を下げた。エリオットは何とか二人の頭をあげさせたが、会話のネタがない。仕事部屋に静寂が訪れた後、エリオットは決心したように口を開いた。
「そ、そう言えば一時停戦のおかげで一か月ほど休暇がもらえるそうですが、何かご予定は?」
「ほお、そんな話が。わしらの所にはまだ書簡が届いておらぬゆえ、今ここで初めて知ったわ。……ふむ、予定と言われてもな。急に言われても思いつくまい。君たちはどうだね?何かあるのか?」
「ええ、実はバラキアに遊びに行こうかと。今の季節なら海もちょうどいいでしょうし、気分転換にはばっちりかなと思っておりまして」
レオンは「ほお」と関心の声をあげ、ルトガーは「いいですねえ」とつぶやいている。しかし、カリンがそれに疑問を呈した。
「待て。誰が行くんだ?」
「え?俺とゼロス。あとはヴァイス園の人たちまでは決まってるが。何だ?カリンも一緒に行きたいのか?」
「戦場に出る訳でもないのに、領主が長い間城を空けていいわけないだろ。その間、仕事はどうするんだ?そもそも今まで戦い続きだったせいで仕事は山積みだろう」
エリオットの顔には絶望が浮かんでいた。一か月の休暇がすべて領主としての仕事に追われることになるかもしれないからだ。これでは休暇である意味がない。しかし、彼がやらねばならない仕事というのは文句を言ったところで減るものではなかった。深くため息をつき、リゾート地への旅行を諦めかけたその時、思いがけない助け舟が現れた。
「なら、わしらが代わりにそれらを片付けておくとしよう。どうだね、エリオット」
「いや、しかし……。いいのですか?」
「君たちに命を救ってもらったことに比べたら、この程度恩返しにもならぬわ。……のう、ルトガー」
「はい。一か月の間、チューン城は我々にお任せください。あなたたちの代わりとして、精一杯努めます」
「しかし、それではバステアは大丈夫なのですか?」
「ああ、心配ない。実はな……。我々紅蓮騎士団と豪波騎士団での配置換えの話がまとまってな。……此度の失態、すべての責はこのわしにある。仲間にもずいぶんひどい思いをさせた。だから、わしは引退することにしてな、次期団長はルトガーに決まったのだが、団長としてはまだ歴が浅い。それ故、しばらく前線に出ることは避けたいと、正直に話したのだよ。帝国へはまだ報告をしていないが、おそらく問題はない」
「ですので、バステアには豪波騎士団が、ダゴンには我々がという形になるのです。ダゴンはもともとそれほど人手を必要としませんから、いくらかここにも人員を割けるかと。……どうでしょう?」
「いや、願ってもない話で有難い限りですが、本当によろしいので?皆さんにも休暇があるはずでは……」
「なに、敗将の休暇など訓練につぶれるのが当然よ。もとより、覚悟の上だ、なあルトガー」
「はい。ぜひとも、お任せください。完璧にとは言えませんが、できる限り最善を尽くしますので」
「……では、よろしくお願いします」
バステアへ帰っていくレオンたちを見送ったあと、エリオットは団員を訓練所に集めていた。
「……全員集まったかな。急に招集して済まない、帝国から書簡が届いてな」
もしや、また新しい仕事の話だろうか。そう考えた団員たちはどよめきを隠せない。しかし、彼らの予想は外れた。
「帝国と王国の一時停戦協定締結に伴い、一か月の休暇が与えられた。……久しぶりの休みだ」
訓練所内は大騒ぎだ。今までずっとどこかで戦ってばかりで、全くと言っていいほど休む暇がなかったが、ついに休暇がもらえたのだ。エリオットは彼らの騒ぎをなだめて話を続ける。
「それに関連して、皆に提案がある。……海に行かないか?」
先ほどよりも大きな騒ぎが訓練所を包み込んだ。今の季節にもちょうどいい、絵にかいたようなバカンスだ。嫌がる者はほとんどいないだろう。しかし、なぜ海なのだろうかという疑問は誰であっても抱くものだ。団員たちを代表し、カリンが手を挙げた。
「エリオット。なぜ海なんだ?」
「……それは、発案者に話してもらった方がいいかな。ゼロス、頼む」
「ああ」
場の空気が変わった。おそらくだが、皆一斉に「なんでゼロスが?」と思ったことだろう。しかし、彼が話した理由を聞けば、すぐさまその無神経さを恥じ入ることになった。
「別に、そんな大層な理由じゃない。……ヴァイス園で暮らしている子供たちに、海を見せようと思っただけだ。……ついでのようで悪いが、どうせなら騎士団のみんなも一緒にということになってな。……何か予定があるなら、そっちを優先すると良い。無理に参加しろとも言わん。まあ、暇な奴だけ参加してくれ」
「そういう訳だ。……じゃあ、今日は解散!参加したい奴は後で教えてくれ。名簿を作っておくから」
集会の解散が宣言されると同時に、団員が皆エリオットのもとへと詰め寄る。どうやら皆、参加する気満々のようだ。それを眺めていたゼロスは、相当の準備が必要だと考え、一足先に訓練所から出て行った。
「よう、久しぶりだな。ロン」
「ああ、ゼロス様。ご無沙汰しております。今日はどこまで?」
「いや、悪いが今日はどこかに行くわけじゃないんだ。実は……」
訓練所を出たゼロスが向かったのは、チューン城下街にある馬車屋だった。あれだけの大人数なら、移動手段は用意しておくに越したことはないだろうという考えのもとである。ゼロスに訳を説明されたロンは羨ましそうに声をあげた。
「いやあ、いい話ですなあ。一か月の休暇とは。しかもそれでバカンスに行くとは。羨ましい限りです。……それで、ウチには一体何の用で?」
「ああ。移動手段の馬車を用意してもらいたい。大人が大体三十人で、子供が六十人ぐらい乗る予定だ。できるか?」
「ええ、そりゃもちろん!なんたってウチは大陸一の馬車屋ですからね。ただ、相当費用はかさみますけど、構いませんか?」
「ああ、構わん。……そうだ。ついでにバラキアに行って一番大きな宿も取ってきてくれないか?俺からボーナスを出してやる」
ロンは「ええ!?」と大きな声をあげる。今まで何度もゼロスの依頼を受けて馬車を走らせていたが、彼は金払いが非常にいい。そんな男がいう『ボーナス』に、ロンはすっかり心奪われ、何度もうなずいた。
「ええ、ええ!お任せください!ばっちりご用意させていただきますよ!」
「助かる。……じゃあ、ちょっと待っててくれ。前金を持ってくる」
五分足らずで戻ってきたゼロスは両手にずっしりとした革袋を持っていた。
「前金で七十五万。仕事が終わって無事にチューン城まで帰れれば、残りの何十五万をやる。……あと、こっちはボーナスだ。受け取れ」
そう言われて渡された袋にはまたもや大量の硬貨が入っていた。ロンは今までに見たことのない大金に、すっかり言葉を失っている。
「こ、ここ、これは……?」
「五十万だ。どうだ、引き受けてくれるか?」
「当たり前ですよ!まさかこんな大金をいきなり二度も目にするとは思わなかっただけで……。いや、それにしても、少し多すぎやしませんか?お金は大事ですよ?何もそんなに……」
「お金が大事なら、その使い時はもっと大事だろう。自分の仕事でもない雑務を引き受けてくれるって言うんなら、それなりの金を出すのは人として当然の話だ。……黙って受け取っておけ。それじゃあ、馬車と宿の手配、頼んだぞ」
ゼロスは後ろ手に手を振り、去っていった。それを見送ったロンはすぐさま馬車の手配をするため、帝都に向けて発った。
ヴァイス園に戻ってきたゼロスは、すぐにシエラたちを呼び出していた。まだ彼女らにはバラキアに行くということは伝えていなかったのである。帝国からの書簡で一か月の休暇が与えられたこと、それを機に皆を海へ連れて行くことを話すと、皆嬉しそうに顔をほころばせるのだった。
「とってもいいと思います。子供たちも喜ぶでしょう」
「……しかし、どうやって行くのです?バラキアまではそれなりに距離が……」
「心配するな。すでに馬車と宿の手配は終わらせた。あとは荷造りだけ、頼む」
「承知しました。……子供たちにはいかがいたしましょう?」
「秘密で頼む。驚く顔を見たいからな」
「……よろしいかと。では、そのようにいたしますね」
「ああ、よろしく頼む」
シエラたちへの報告を済ませると、空はすっかり夕暮れに染まっていた。当番である城外警備の支度を済ませて外に出ると、ノクスたちが彼を待っていた。
「……お前ら、なんでここに?今日の当番は俺だろう?」
「明日の予定に誘おうとしたんだけど、どこにもいなくてね。そうしたらコルニッツォが『ここで待ってればそのうち来る』って言ったから、ここで待ってたのさ」
「明日の予定?何かするつもりか?」
ゼロスの問いに、ノクスは「察しが悪いな」とあきれた素振りだ。
「海に行くんだろう?なら、水着を用意しなくちゃいけないのは当然じゃないか?」
ノクスは人差し指を立てながら、ゼロスに詰め寄った。どうやら相当海が好きらしい。今までこんなにテンションが上がっているところなど、見た事がなかった。
「まあ、そう言うことらしい。俺たちも付き合わされるんだ、お前だけ逃がすってわけにはいかねえな」
ノクスの勢いに飲まれてしまったであろうオルコスはため息混じりにそう言った。それに続くようにコルニッツォもため息をつく。二人のため息を聞いたノクスは目くじらを立て、ムッとした。
「なんだい?海に行くっていうのに、水着を用意しないなんてことがあり得るのかい?もしそうなら、海に行って何をするんだ?」
「そりゃ、砂浜で……」
「それは、砂があればどこでもできることばかりじゃないか。それに、砂浜で普通の服なんて暑苦しくて着ていられないから、やめた方がいいよ」
「……やけに海に詳しいな。そっちの生まれか?」
海への弁舌を振るうノクスを少しでも落ち着かせるため、コルニッツォが話を逸らす。しかし、ノクスのおしゃべりは止まることがなかった。
「ああ、そうだとも。僕の生まれはバラキア郊外の小さな漁村でね。海はもはや生活の一部だったんだ。それに、ウチの村で行われていた祭りでは……」
「わかった。明日、俺も付き合う。だから落ち着け」
「……まだ話の途中なんだけどな。まあいいか。じゃあ、明日の午前十時。城門前で集合しよう。……じゃあ、城外警備、頑張ってね」
ようやく落ち着きを取り戻したノクスは一方的に約束を取り付け、オルコスとコルニッツォを伴って去っていった。残されたゼロスはひときわ大きなため息をつきそうになったが、またノクスの長話を聞かされるのは勘弁だと、ため息を押し殺した。
翌日、午前九時五十分。ゼロスは約束の通り、城門前に向かっていた。いつもは皆すでに訓練所で剣を振るっているであろう時刻だが、休暇ということもあり城内は静かだった。階段を降り、城門をくぐると外にはすでに何人か集まっている。そのうちの一人、ノクスがゼロスを見つけ手招きした。
「おはよう、ゼロス。まだ十分前だけど、律儀なものだね」
「ああ、おはよう。……なんでアイリーンたちがここにいるんだ?」
ノクスと一緒にいたのはアイリーンとセリアだった。休日のためか普段見ないような格好をしている。
「なんでって……。いちゃいけないんですか?」
アイリーンはわざとらしく目くじらを立てる。ただの怒っているふりだ。
「いや、そう言う訳じゃない。ノクスとの話だと、俺が誘われた時点でコルニッツォとオルコスしかいなくてな。男連中だけで行くのかと思ってただけだ」
ゼロスはアイリーンの怒っているふりを見抜けなかったのか、必死に弁明する。アイリーンはその必死さに、我慢できず吹き出してしまった。
「フフッ……。冗談ですよ、怒ってなんかいません。私たちもノクスさんに誘われただけですから。まだ来てないですけど、エリシアさんも来るらしいですよ」
「……あら、私の名前を呼んだかしら?」
この世には『呼ぶより譏れ』ということわざもあるが、まさにその通りだろう。エリシアの名を呼んだ瞬間、彼女自身が姿を現した。彼女も休日に即した格好をしているようだが、相当露出が多く、目のやり場に困る。先ほどゼロスがされたように、ノクスが出迎える。
「やあ、おはよう。まさか集合時間よりも早く来るとは思っていなかったよ」
「時間を守るのは人として当然でしてよ。……それにしても、この騎士団の男性諸君は、少々問題があるようですわね。恰好がイマイチなのが二人、レディを待たせるのが三人。……あとで、教育して差し上げましょうか。ねえ、ノクスさん?」
エリシアはノクスの胸あたりを指先でつつく。彼の格好は普段鎧の下に来ているいわゆるチュニックというもので、機能性は抜群だが、おしゃれさのかけらもない。ゼロスも似たようなものだが、上に外套を一枚羽織っているだけだ。
「ゼロスさん、暑くないですか?脱いでもいいんですよ?」
「羽織ってないと落ち着かなくてな。気にしないでもらえると助かる」
男性二人のファッションにあれこれ言っている間に、残りのメンバーも続々と到着した。約束した時間を過ぎたわけではないが、エリシアから「レディを待たせるのはいけないこと」とお叱りを受けている。その上、彼らの服装も目に余るようで小言は止まらない。このままではいつまでたっても出発できないため、ノクスが間に割って入った。
「まあまあ。とりあえず、全員そろったことだしそろそろ出発しようか」
エリシアの溜飲は何とか下がったようだ。ノクスが場を仕切り、先頭を歩く。最後尾に着いたゼロスは、傭兵時代には考えられなかった仲間との平和をかみしめていた。
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