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黒嵐戦記  作者:
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アダマンテ大陸統一戦争編 第二章

前回のあらすじ

惑星アルスの一角、アダマンテ大陸。そこで傭兵稼業で命を繋ぐ『嵐』の異名を持った男、ゼロスがいた。彼は旋風傭兵団の団長であるエリオットに気に入られて勧誘を受け、それに応じる。その後、ゼロスが戦災孤児のために戦っていることを知ったエリオットは、なぜそこまでするのかを彼に問いかけていた。


誤字脱字等、ご容赦ください。

「あれは、十五年前のことだった」

――――――

 王国領シバル村、ゼロスが少年時代に暮らしていた村だ。ある日、王都から派遣された兵士の一人が、村の長と話していた。

「陛下からのお達しだ。来月より作物の納入下限値を、現在の二倍とする。これは決定事項だ」

「む、無理です。ただでさえ戦争で人手が減っているというのに。……それに、最近は雨が降らない影響で作物がろくに育たないというのに……」

「知ったことではない。作物を収めるのはお前たちの仕事だ。自分たちで何とかするんだな」

「そ、そんな……。ど、どうか猶予を!せめて来年に……」

「ならん!今、王国の民のため選ばれた精鋭が死地で全力をふるっている!そうだというのに、貴様は助けにならないというのか?」

「いえ、そうではありません。今の天気ではまともに作物が育ちはしないから、少し待ってほしいという話で……。再来月からでもよいのです。少しでも雨が降れば……」

 兵士は足に縋る村長を蹴飛ばし、腰に差していた剣を抜いた。

「黙れ!これ以上は王国に叛意ありとみなし、国家転覆罪として王都へ連行するぞ!ろくに裁判もされず、死刑を免れることもない。それに、お前の家族にも王に背いた血筋という烙印が押されるぞ?……もう少し、賢くなるんだな」

 兵士は荒々しく足音を鳴らし、村長の家から出ていき馬車へ乗って村から出ていった。村長は悩みに悩んだが、人の手では天候をどうすることもできない。結局、納めなければならない作物は用意できなかった。納入日、奴は複数の部下と大量の荷車を連れて村へ来た。

「村長よ。用意はできたか?」

 村長は危機感に駆られていた。納める作物はどこにもなく、それを素直に言えば国家転覆罪は免れない。いずれにしろ、もう村に未来などなかった。ある一つの手段を除いて。

「はい、用意できております。作物は村の倉庫に。……こちらへ」

 村長は兵士長を倉庫へと連れて行った。そして、すぐに叫び声が聞こえて来た。村長が兵士長を殺した。村長はもはや狂っていた。こいつさえいなければ納入を迫る者もいなくなると思っていたのだ。その後、どうなるかは全く考えずに。……叫び声を聞いて、部下の兵士たちが倉庫に集まった。すぐに兵士長の殺しはバ暴かれた。兵士たちは村長を取り押さえ、その場で反逆の意思ありとして首を落とし、彼らは何も取らず王都へと戻っていった。翌日、村は火に包まれた。王国が判決を下したのだ。……『シバル村に王国への叛意あり。王国法に基づき、極刑とする』と。……ゼロスはただの子供だった。当時はおそらく五歳ほどだっただろう。母が彼に水をかけて、父が水で濡らしたベッドシーツでくるんでクローゼットに入れた。……当時のゼロスは何が起きてるか全く理解していなかった。それからどれほど経っただろうか、空腹に耐えきれなくなったゼロスはクローゼットから出た。

――――――

「……みんな死んでたよ。父も、母も。友達だって。俺はあっという間に独りになっちまった。飯は、焼け跡から見つかったジャガイモなんかを食ってたんだ。そんな時、とある人が村に来てな」

――――――

「君、ここにシバル村って言うのがあったと思うんだが……。火事でもあったのか?」

「……王国に燃やされたんだ」

「……家族は?」

「みんな、燃やされた」

「独りか?」

「……うん」

「……一緒に来ないか?いつまでもここにいたって危険だ。いつまた王国の奴らが戻ってくるかわからない」

「で、でも……。お父さんとお母さんが……」

「……わかった。後で俺が何とかする。だから、今は一緒に来い。な?」

「……うん」

――――――

「そうして、俺は孤児院の院長であり、新しい父親でもあるグランバルトに拾われたんだ。……グランバルトは約束通り、あの焼け跡の中から父と母の死体を見つけ出して、弔ってくれた。そして、グランバルトは俺に剣を教えてくれたんだ」

「……孤児院出身だったのか。それも、救われた形で」

「ああ。グランバルトは、今の俺みたいなことをしていてな。傭兵稼業でみんなを食わせてたんだ。そしてみんなに身を守る術として剣を教えていた。……俺は剣の才能があったのか、めきめき上達してな。いつしかマンツーマンで教えてもらうまでになっていた。……俺はグランバルトに救われた。だから、グランバルトの跡を継いで孤児院の運営を始めたんだ。今でもまだ戦争は続いている。そのせいで、親を失う子供も増えている。そんな子供を少しでも減らすため。……ただの真似事かもしれないけどな」

エリオットとアイリーンはうつむいたまま何も言おうとはしない。何を言うべきかわからないのだろう。しかし、いつまでも黙っているのも、それはそれで気まずいというものだ。

「……あー。その、なんて言ったらいいのか……」

「そんなに気負わないでくれ。もう割り切ってるんだ。確かに両親や友人を殺された恨みはある。犯人を見つけたらどうにかしたい気持ちだってあるさ。だけど、今はそんなことより、子供たちの明日が大事なんだ。……グランバルトもそう言ってた」

「……グランバルトさんは今どちらに?」

「墓の下だ。……五年前、酒の飲みすぎで内臓をやってな。葬式と相続を済ませて俺が孤児院の院長を継いだんだ。……さて、俺の話はここまでだ」

 ゼロスはそう言うと、テーブルに置かれていたナイフとフォークに手を伸ばす。話に夢中になっていたせいで、まだアイリーンが焼いたステーキには手を付けていなかったのだ。

「いただきます。……辛っ!」

 ゼロスは場の雰囲気を変えるため、何とかおどけて見せている。他の二人にもその意識が通じたのか、一息に酒をあおり、仕切り直したようだ。

「……じゃあ、俺もパスタ食うか。いただきまーす……。あっ駄目だ、辛すぎ。ちょっと粉チーズくれ」

「そんなに辛いですか?これでも普段よりは香辛料を抑えているんですよ」

「普段が辛すぎるんだよな。前、魚食ったけどあれは相当だったぞ。これで何とかぎりぎりって感じだ」

 彼らは先ほどまでの暗い雰囲気をかき消すように、わざとらしく談笑にのめりこむ。そんな彼らをシャーディンの末裔を名乗る男がじっと見つめていた。


 翌日、チューン城内。エリオットは大事な話があるとのことで、団員を召集した。皆、昨日あまりにも盛り上がったせいかほとんどが二日酔いになっており、立っているだけでも非常に苦しそうだ。エリオットはそれを見て、早めに話を始めた。

「先日、皇帝陛下に認めてもらったおかげで、俺たちは帝国直属の騎士団になれた。そんな俺たちに最初に任された仕事はチューン城の防衛だ。だが、周りを見てみろ。今、この城を守れるのは俺たちしかいない。……あまりに少なすぎるんだ。だからこそ、俺は兵力増強のため、チューン城の支配地域内で徴兵令を発令する。とはいっても、ただ募集で兵を集めるだけだ。お前らには、集まった奴らの教育を頼みたい。できるか?」

 副団長であるカリンがすかさず返す。

「もちろんだ。皆、それなりに場数を踏んでいる。教えることもそれなりにはできるだろう」

「ああ、期待しているぞ。……そしてもう一つ。この兵力確保がうまく行った場合、いくつかの小隊に分けておかないと後で必ず混乱するはずだ。だから今のうちに三つの隊に分ける。隊長と副隊長も今ここで伝える。まず、一番隊。カリン、任せていいか?」

「任せてくれ。栄誉ある一番隊隊長、務め切って見せよう」

 部屋には拍手と歓声が響いた。ようやく騎士団らしさが出て来たということもあるだろう。

「ありがとう。頼もしい限りだな。それで、副隊長なんだが……。アイオス。やってくれるか?」

「……えっ。俺が?副隊長を?」

「ああ。アイオスはこの中でも特に古参で、戦いにも慣れている。それに、今でも殿を買って出るほど責任感があるだろ?なら。ピッタリじゃないか?」

「……本当に俺でいいんですか?」

「もちろんだ。……他の団員もお前がいいって言ってたぜ」

 アイオスが団員の方を振り返ると、皆期待に満ちたまなざしを返した。アイオスはそれを受け取り、決意したようだ。

「わかりました。一番隊副隊長、このアイオスが引き受けます」

 部屋の中は歓声に包まれる。これだけで、アイオスがいかに慕われているかということがわかるだろう。

「よし。それじゃ、次。二番隊の隊長と副隊長は、ノクスとコルニッツォだ。やってくれるな?」

「もちろん、任せてよ。隊長という名誉ある仕事、なかなか荷が重そうだけどね」

「……精一杯努めよう」

 普段飄々としているノクスにとって責任ある仕事は合わないのかもしれないが、堅物であるコルニッツォがうまく補佐してくれるだろうとエリオットは予想していた。

「よし。じゃあ、最後の三番隊。隊長はアイリーン。副隊長はゼロスだ。できるな?」

「……ああ、任せてくれ」

 ゼロスはそこまで気負っていないようだが、アイリーンはそうでもないようだった。

「だ、団長?なぜ私が隊長を?私よりゼロスさんの方が強いですし、迷わないでしょうし。ゼロスさんの方が隊長にふさわしいかと……」

 アイリーンは全く自信がないようだ。しかし、それはエリオットの予想の範疇でもある。

「いや?ゼロスは全然隊長に向いてないぞ?なあゼロス」

「……ああ。俺は大抵なんでも一人で片づけようとする。それも力尽くでだ。……それはリーダーにふさわしい姿か?」

「……違うと思います」

「ああ。俺もそう思う。……今こうして、はっきりと違うものは違うといえる芯の強さを持っていることを証明した。なら、アイリーンの方が隊長にふさわしいよ。……大丈夫だ、何も全部一人でやるわけじゃない」

「で、でも。失敗したりしたら……」

「仲間がどうにかするさ。俺もな。……戦場なら、大抵のことはどうにかできる。だからそんな心配するな。な?」

「……わかりました。三番隊隊長の席、私が座ります」

 エリオットは深くうなずいた。そして、ゼロスに向け、目くばせで礼を言う。

「じゃあ、今日の集まりはここまでだ。今日はこの後、休みにする。酒を抜いて来い。明日から訓練再開だ」

 エリオットの号令で招集は解散となった。皆ぞろぞろと部屋を出て、宿舎へと向かう。皆、今日は寝て過ごすのだろう。ゼロスは一人、訓練場へと向かい、シャーディンの末裔がその後を追う。エリオットとカリンは徴兵令発令の手続きのため、執務室へと向かった。部屋に残ったのはノクスとコルニッツォ、そしてアイリーンである。

「……なんでゼロスさんはあんなに私に優しくしてくれるのでしょうか」

「さあね。カリンと話してるところは何回か見たけど、そこまで気を遣った話し方はしてなかったかな」

「……ねえ、コル。何か知らない?」

「……俺が、頼んだ」

「え?頼んだってどういうこと?」

「……ゼロスが来た日、姉さんはゼロスの手を取っただろう」

「え、ええ。でも、それがどうしたの?」

「……ああやって何かを手に取る動作は、姉さんの癖だ。気に入ったものを見つけた時のな。子供の頃のぬいぐるみだって、小さなイヤリングだってそうだった」

 アイリーンはうつむき、顔を真っ赤に染めている。

「確か、姉さんは母の服もそうしていた覚えがある。それに……」

「コルニッツォ、もうやめてやれ。姉をいじめるのが趣味なのか?」

「……すまない、姉さん」

「う、ううん。だい、大丈夫よ、コル。……そ、それでどうしてあの人に?」

「……姉さんのお転婆は俺一人じゃ手に余る。だが、団長もカリンも忙しいし、ノクスはお守りをやるようなタマじゃない」

「よくわかってるね、俺のこと」

「だから、ゼロスに頼んだ。姉さんのことを見ていてくれと。……どうやらゼロスは約束を守る男らしい」

「へえ……。けなげなもんだな、ゼロスも。ちょっとは信用してもいいかもな」

 アイリーンは何も言わなかった。いや、何も言えなかったのだ。初めて会った人間の頼みを聞き入れ、そこまで親しくもなっていない者を見守るという彼の優しさに甘え切っていた自分がふがいなかったから。騎士になるのを嫌だと思った時も、さっきの隊長に任命されたときも。あってまだ一か月と経っていないのに。……アイリーンは部屋を飛び出した。

「アイリーン、どこに行くんだ。……ああ、行っちまった。足速いな」

「……大方、謝りにでも行くんだろう。姉さんの性格を考えれば予想はつく」


 チューン城内、訓練所。ゼロスは一人で剣を振るっていた。ただ無心で素振りを続ける。目を閉じ、精神を落ちつける。これが、ゼロスのルーティンだった。グランバルトに剣を教わってから、一日たりとも欠かしていない。ノルマを終え、眼を開けると入り口付近にシャーディンの末裔が立っている。どうやら彼はゼロスの訓練を眺めていたようだ。

「……何か用か?」

「ああ。……お前のその力の根源、確かめたくてな。『嵐』とたたえられたその剣術、生半可なものではないだろう。……教えろ、お間が使う魔法は何だ?」

「ただの『身体強化』だよ。何も隠しちゃいない」

「……嘘だな。たかが『身体強化』ごときで、あれほどの戦いをできる訳がない。……もしや、二重器か?」

 二重器。本来魔法というものは、一人につき一種類というのが原則である。それは、人の体内にある魔法を発露するための器官、『魔臓器』が一つだけのためなのだが、まれにそれが二つある者が生まれる。それが二重器なのである。二重器として生まれたものは生まれつき、膨大な魔力と二種類の魔法を扱えるという特徴を持って生まれるが、有り余る魔力が体内で暴走してしまうのか、大抵は子供のうちに死んでしまう。そのため、成人まで生きられるのはほんの一握りだという。シャーディンの末裔はゼロスをそれだと疑っているのだ。

「あいにくだが、俺は二重器じゃない。生まれた時、ちゃんと調べてもらったからな」

「でまかせなら、なんとでもいえよう。……調べさせろ」

 魔臓器は常に魔力を宿している。そのため、それなりに訓練を積んだ魔導士なら、体内に流れる魔力を探ることもできる。シャーディンの末裔はゼロスの腹あたりに手をかざし、ゆっくりと動かしている。そして「……馬鹿な!」と大きな声をあげ、ゼロスから離れた。

「二重器ではないのか!?では、なぜあれほどまでに戦える!?」

「さあな。日々の訓練のたまもの、とでも言っておくよ」

 彼はもうゼロスの言葉を聞いていない。ぶつぶつと「ありえない」「そんなバカな」とつぶやきながら、訓練所を出ていこうとしている。ゼロスは好き勝手されたあげく、礼も言わず去る彼を引き留めた。

「ちょっと待てよ。せっかく調べさせてやったってのに、礼もなしか?……そもそも、お前の名前は何だ?」

「……ギルベルト・シャーディン。かつて世界を恐怖で統治した王の末裔よ」

「……落ちこぼれのくせによくしゃべるな。負け犬の名前がそんなに大事か?」

「いずれ、世界は影に満ちる。……よく覚えておくことだ。逃れるすべはないぞ」

 ギルベルトは何やら脅迫じみたことを言い捨て、訓練所から去っていった。ようやく一人になれたゼロスが思うのもつかの間、ギルベルトと入れ替わるようにアイリーンが入ってきた。

「ゼロスさん、少しいいかしら?」

「ああ。何か用か?」

「ええ。……その、コルからすべて聞きました。……その……」

 アイリーンは言葉に悩む。自分の今の感情を整理して言葉にするには時間がかかるだろうが、それよりも先にゼロスが動いた。

「……気分を悪くしたか。……すまなかった」

 ゼロスはそう言って頭を下げる。その時の表情を見た瞬間、アイリーンの中で迷い続けていた言葉はすべて消えた。

「違うんです!……謝るのは私の方です。会ってまだ一日とも経たないうちにコルに頼みごとをされたあげく、それを受け入れてくださって。私が悩んでいるときには必ず、背中を押してくださって……。あなたの優しさに甘えてしまってごめんなさい。これからは……」

「……やっぱり嫌だったか」

「いえ、そうじゃないんです。うれしかったです。でも、申し訳なくって……」

「なら、やめる必要もないだろう」

「で、でも。迷惑じゃ……」

「迷惑だなんて思ったことはない。……子供相手で、こういうのは慣れてるんだ」

「……子供扱いですか!?」

「……悪い。……まあ、大人も子供も悩みごとの根っこの部分は変わらないってことで、許してくれ」

「わかりました、許してあげます。……これで、お互い様ですね」

 ゼロスは一度呆気にとられたような顔をしたが、すぐに顔をほころばせた。アイリーンもそれにつられて笑う。訓練所の入り口には二人の様子を見に来たノクスとコルニッツォがいた。

「……ずいぶんといい感じじゃないか。……いいのかいコルニッツォ。お姉さんが取られてしまうよ」

「……そっちの方がありがたい」


 翌日。エリオット達が仕事を終え、チューン城近辺で兵の募集が行われた。合格すれば騎士団に入ることができるということもあり、かなり大勢の応募者がチューン城に集まった。その大勢を前にして、団長であるエリオットは、激励を送る。

「皆、よく集まってくれた。騎士への選抜試験はそれほど甘いものではないが、合格者の制限はない。皆、奮闘し望む結果を出せれば必ず合格できる。……頑張ってくれ!」

 会場であるチューン城の中庭は一斉に沸き立った。皆、やる気は十分のようだ。彼らは全員そろって、順番に1から4までの試験をこなす。一つ目の試験は、基本的な戦闘力を図るもので、試験監督はカリンだ。具体的な試験内容は、カリンが用意したデコイ兵を指定時間内に破壊できるか否かというものである。時刻は午前九時、ついに最初の試験が始まった。

「……俺たちは見てるだけか」

「……ああ。俺たちが動くときは何か不正があったときだ。……例えば、他の誰かを妨害したり、制限時間が終わってもまだ続けようとしていたりとかだな」

 ゼロスとコルニッツォは監視員を務めていた。コルニッツォは無口さが、ゼロスは常人離れした戦闘力が、試験監督を務めるうえで障害になったのだ。だが、彼ら応募者は真剣そのもので、彼らの出番は特にないだろう。そう決めつけ、ゼロスが大きくあくびをしたとき、会場から大きな声が聞こえて来た。二人は驚いて顔を見合わせたが、すぐに切り替えて会場へ向かう。

「てめえ、邪魔しやがったな!お前のせいで、時間までにできなかったじゃねえか!」

「知らねえよ。そもそもこんなもんに十分もかける方が悪いだろ。そもそも落ちこぼれのくせに、人のせいにしようとしてんじゃねえ」

「なんだと!?」

 もはや一触即発といった雰囲気だが、二人は意に介することなく割って入る。

「落ち着け、何の騒ぎだ」

「こいつが俺の試験邪魔しやがったんだ。馬鹿みてえに剣振り回して、俺が持ってた剣をはじきやがった。そのせいで、試験時間に間に合わなくなったんだ」

「そいつは嘘ついてるぜ。馬鹿みてえに剣を振り回してたのはそいつだ。で、俺の剣にぶち当たって、力負けして剣をどっかにやっちまったんだ。それが恥ずかしいから、俺のせいにしようとしてるんだ」

 何の証拠もない水掛け論だ。こういう時の対処法はすでに決まっている。

「……選べ。トラブルを起こした責任を取ってここで帰るか、救済措置用の試験を受けるか」

「も、もちろん試験受けるに決まってる。こんなところで終わりたくないからな」

「……そうか。で、お前は?」

「はあ!?俺もかよ!?俺は試験クリアしたんだぞ!」

「……わかった、脱落だな。人の話も碌に聞けねえようじゃ組織としてやっていけないだろう」

「わかった、俺もその試験受けてやるよ。それでいいんだろ?」

「じゃあ、ついて来い」

 ゼロスは場の収拾をコルニッツォに任せ、トラブルを起こした二人を専用の会場である訓練所に連れて行った。

「ここで何の試験をやるんだ?こいつを殺せばいいのか?」

「……いきり立つな。説明してやる。今から一人ずつ、俺の相手をしてもらう。俺に勝てとは言わん。……五分間だ。五分間俺とやり合って立っていられた奴はさっきの試験を合格にしてやる。どっちからやるかは、お前らが決めろ」

 ゼロスは訓練所の中央に立ち、相手が来るのを待つ。……だが、彼らはどちらが先に試験を受けるか揉めてばかりで、一向に決まらない。ついにしびれを切らしたゼロスは右手で剣を握ると、声を荒らげた。

「もういい。お前ら二人、同時に来い。お前ら程度なら、十人束になろうが変わらん。……早く構えろ」

 ゼロスは背中に背負っていた剣を抜いた。それに呼応するように彼らも剣を抜き、訓練所に飛び込む。彼らの顔を見て、ゼロスが思い出したかのように呟いた。

「そういえば、名前を聞いていなかったな。……名前は?」

「カインだ」

 試験を邪魔されたと主張する男はカインと名乗った。もう一人の男は名を名乗ったカインを睨みつけてから名乗る。

「ウィル・ハーゲン。……貴族だ、言葉遣いには気をつけろ」

 それは、カインに対してか、はたまたゼロスに対してか。苛立ちを隠すこともなく、そう吐き捨てたものの、誰も意に介していない。

「カイン、ウィル。これから特別試験の開始だ。五分間、『嵐』から生き残って見せろ。……では、行くぞ」

 ゼロスはゆっくりと剣を構える。二人はゼロスの剣の動きに注視しているが、互いに相手を貶めようとする思考も持ち合わせている。彼らはまだ『嵐』相手に余計なことを考えてはいけないということを理解していない。ゼロスが地面を蹴り、前に出た。彼らはそれぞれ防御の体勢を取るが無駄なことだった。ゼロスは剣の切っ先を地面にこすりつけながら二人に向かい、まだ彼らに剣が届いていないところで、剣を振り上げ宙に半円を描いた。その衝撃が訓練所内に吹き荒れ、カインとウィルの二人を吹き飛ばす。

「……何だ、今の!?」

「『嵐』がいるって噂は本当だったのか……」

 かつてない衝撃を受け、未だ地に付したままの彼らを見下し、ゼロスは言葉をかける。

「もう闘う気は失せたか?もしもうやる気がないようだったら、出て行っても止めはしない」

 わかりやすい挑発だ。ゼロスはこれで、彼らの精神を試しているのだ。そして期待通り、彼らは屈することなく立ち上がる。

「まだ、一分どころか三十秒も経ってねえ。初歩中の初歩じゃねえか。……絶対にあきらめないからな。俺は、これで成りあがるんだ」

「……俺だって、諦めはしない。家を、建て直すんだ。こんなところで、あきらめたりなんか……」

「では、続けるぞ。……構えろ」

 ゼロスの声と共に、二人は立ち上がり、もう一度構える。ゼロスは剣を構えなおした。左斜め下から、右上に切り上げる構えだ。今度は剣を当てるつもりなのか、それともまた衝撃波のみなのか、剣をふるまでは分からない。カインとウィルの二人は、先ほど受けた衝撃の感触を覚えている。生半可な防御では、碌にダメージを軽減することはできない。できることは、相手が剣を振ることを止めることのみ。

「ウィル、手を貸せ!」

「何様のつもりだ。俺は家名持ちだぞ。それに比べてお前は……」

「今はそんなことどうでもいいだろ!……次、あれをまともに受けたら碌に動けなくなる。俺たちの技量じゃどう頑張っても防ぎきれない!」

「何が言いたい!?」

「……だから、俺たちで協力してあの剣を止めるんだ。あの凄絶な一振りを鈍らせるだけでもいい。……協力してくれ、出なきゃ俺たちはここで終わりだ!」

「……相談は終わったか?お前らの協力とやらを見せてみろ」

 カインはゼロスの左に向けて走り出した。ゼロスが構える剣を受け止めるつもりなのか。

「うおおっ!」

 カインはそのままゼロスへと切りかかる。ゼロスは素早く後ろに下がってそれを躱し、そのままの体勢で剣をふるため、踏み込んだ。

「……そこだっ!」

 ウィルはゼロスの足元へ、素早く突きを繰り出した。カインからの攻撃を避けたため、ゼロスの足は、普通に構えているときより少し大きく開いており、多少バランスが悪くなっている。ウィルはそれを狙ったのだ。これをまた回避しようとすればこれ以上に体勢を崩すうえ、かなりの重量を誇る大剣に振り回され、もしかするとゼロスが転ぶかもしれない。そうなれば、あの衝撃波を回避できるどころか、あの『嵐』に一太刀あてたと誇ることもできるだろう。ただ、それは、普通の戦士を相手にして初めて成立する戦略だった。相手はあの『嵐』である。

「甘い!」

 ゼロスは剣を振るった勢いそのまま、ウィルが繰り出した剣を躱すため、跳んだ。カインとウィルは呆気にとられ、宙を見る。そこには剣を頭の上、上段で構えるゼロスがいた。彼はそのまま着地するとともに、剣を地面へと叩きつけようとする。二人は急いでそれを止めようと剣を突き出すが、ゼロスの膂力はとっさに構えた剣程度で止められるほど、甘くはなかった。彼らがゼロスの剣を止めるため突き出した剣はたやすく折られ、ゼロスの剣は地面に届いてしまった。その瞬間、訓練所内にとてつもない衝撃が走る。それは訓練所全体に伝わり、まるで地震のように建物を揺らしている。……後日、エリオットから文句を言われるほどの揺れが収まると、そこにはゼロスが立っていた。剣を地面に突き立て、腕を組み仁王立ちしている。カインとウィルは衝撃に耐えることができず、それぞれ壁に叩きつけられ、意識を失っていた。

 彼らが目を覚ました時、最初に見たものは訓練所の天井だった。目覚めた当初は何が起きたか理解していなかったようだが、すぐに自分たちが試験の途中だったことを思い出し、急いで起き上がる。彼らの目の前にはゼロスが立っていた。

「目が覚めたか」

 彼らは痛感した。自分は負けたのだと。五分耐えれば合格と言われ、楽勝だと調子に乗っていたがそれはあまりにも甘い見込みだった。

「……制限時間五分の内、お前らが戦えた時間は57秒。目標の五分の一だな」

 彼らは何も言うことはなく、ただうつむくばかりである。誰のせいにもできなかった。精一杯できることをした結果が、57秒という事実なのだ。彼らはそれを噛みしめているからこそ、何も言わないのだ。だが、この後の言葉は彼らが予想していなかったものだった。

「だが、土壇場で見せた協力の姿勢。カインの勇気ある突撃、ウィルの相手の隙を狙う正確さは評価する。……よってカイン、ウィル両名を烈風騎士団三番隊副隊長ゼロスの権限をもって合格とする。……これからは、仲良くやってくれ」

 彼らはまた、何も言わない。しかし、これは失意によって生まれた静寂ではない。二人とも、ゼロスが言ったことをまだ理解しきれていないのだ。じっくりと時間をかけて、それぞれの頭の中で言われた言葉を反芻する。そしてようやく、二人は理解し、はじかれるように立ち上がった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。五分間耐えられたら合格だろ?俺たちは、できなかったじゃないか」

「耐えられなかったら不合格とは言ってないぞ。……俺はあまり人を試すようなことはしたくないんだが、これも仕事なんでな。悪く思うなよ。……要するに、お前らの戦いにおいての素質を、さっきの戦いで見たんだ。俺を相手にして五分耐えられる奴なんか、そこら中にいる訳がない。そんな奴はすでにこの戦乱の世で名をあげているさ」

「じゃあ、さっきの試験は……」

「一発目は耐久力チェック。これで意識が飛ぶようじゃ話にならん。二発目は、一発目を受けた後、どう動くかを見るための物だった。そこでお前らは協力して相手の攻撃を止めるという案を出し、実行に移した。……十分、騎士団の一員として戦えるだろう」

「じ、じゃあ、ほんとに、俺たちは合格なのか?」

「ああ。……おめでとう、カイン。ウィル」

 二人は諸手をあげて喜んだ。彼らが抱く目標に向けて、大きく前進した喜びはこの程度では表しきれぬだろう。それでも、彼らは今、全身を地面に投げ出し大声をあげて喜んでいた。


 二人には用意された宿舎に戻っていいことを伝え、ゼロスは二人の合格者が出たことをエリオットに報告する。

「そいつらは、戦えるか?」

 エリオットが問いただすのは騎士団としては当然の質問だ。ゼロスはこともなげに答える。

「ああ。俺がこの剣で確かめた。……あいつらは、俺の部隊に入れてほしいんだが、構わないか?」

「ああ、別にいいぜ。何だ、面倒見たいのか?」

「……合格をくれてやったんだ、面倒は自分の目で見るさ」

 そう告げると、ゼロスは「報告は終わりだ。俺は監視員の仕事に戻る」と言ってエリオットの前から去った。試験会場ではすでに第二試験が始まっていた。第二試験は、座学である。傭兵に必要な知識であるアダマンテ大陸の地理や、有名な戦術や剣術。脅威となる魔法などを問うものである。これはノクスが考えた試験のようだ。

「腕っぷしだけじゃ、傭兵はやっていけない。それなりに、頭を使えなきゃな」

 そう話すのはこの試験を考えたノクスだ。彼は前線に出る傍ら、戦略家としてこれまでの傭兵団の戦いを支えてきたようだ。ゼロスからしてみると、まだそのような片鱗は見えていない。前のチューン城奪還戦は、作戦を立てる余地があまりなかったのだから、仕方ないとするしかない。監視員室でノクスとコルニッツォ、そしてゼロスの三人でおしゃべりをしていると、あっという間に試験終了の時間となった。今日の試験はこれまでだ。ノクスが作ったテストを採点する時間が必要なため、採用試験は二日かけて行われる。明日に行われる試験は、アイリーンが考えた協調性を問うものと、エリオットが考えた騎士団としての資質を問うものらしい。今日の試験を終えた応募者たちは、用意された宿舎へと向かっている。ゼロスたちも一日慣れない仕事を終え、早めに床に就いた。

 翌日、ゼロスたちはカリンに叩き起こされることとなった。

「今朝、帝都から早馬が来たんだ。……『ここより北東、ダゴン山岳地帯の防衛についていた豪波騎士団が敗走。周辺地域一帯は王国側に占領された。ダゴン山岳地帯は、良質な鉱石が多く取れるため、鉄資源の確保としては非常に重要である。そのため、烈風騎士団には早急にダゴン山岳地帯を取り戻してもらう。作戦の開始は三日後とする』とのことだ。……我々は現在騎士団員増強のため、試験を行っており奪還作戦への参加は難しいと返事を送ったが、あまり期待はできないな」

 エリオットもこれにはかなり渋い表情を見せている。今、彼らの急務は団員を一人でも増やし、騎士団としてまともに戦えるようにすること。今の十人程度しかいない状態ではお世辞にも騎士団とは言えない。帝国側もその状況は知っているはずである。

「……彼らは相当、俺たちのことが嫌いみたいだね」

 ノクスが呆れるように言った。彼らとは、帝国の上層部、議会を牛耳る大臣たちのことであろう。もとより、烈風騎士団の結成にも、彼らは消極的だった。皇帝陛下の一存によってなし崩し的に決まったが、彼らは心の中では恨み言を言っていたに違いない。

「しかし、これは勅命という形で私たちに渡っている。これを無視すれば、皇帝の影に潜む者の怒りを買うことは間違いないだろうな。それに、私が先ほど出した嘆願書も陛下に読まれることなく破り捨てられるだろう」

「……騎士団を三つに分ける。アイリーン、コルニッツォ。お前らは試験監督として残ってくれ。カリン、ゼロス。お前らは残りの団員を連れてダゴンに向かってくれ。その間、指揮権はカリンに預ける。試験が終わり次第、俺たちもダゴンへ向かう。ノクスとオルコスは、チューン城に残って防衛に努める。……これしかないか」

「わかった、すぐに出る用意をしよう。作戦は三日後だろう?ここからダゴンまで二日はかかるだろうな。……ゼロス、戦支度だ」

「……ああ。ダゴンはひとまず俺たちに任せてくれ」

 ゼロスとカリンは部屋を出て行った。それに続いてノクスとオルコスも、「防衛の用意をしなければ」とのことで部屋から出て行った。そうしているうちに、試験開始の時間が刻々と迫っていた。ダゴンへと向かう二人が心配だったが、エリオットに今できるのは採用試験を素早く終わらせることだった。

 午前九時半、チューン城北門。ゼロスとカリンは必要最低限の戦力である騎士団員五名を連れ、城を出立した。天候は穏やかで、行軍に支障はない。それでもカリンの心境は曇天のようだった。出立前、帝都に出した早馬が嘆願書への答えを積んで戻ってきたのだ。ただ一言、「作戦を遂行せよ」とだけ書かれていた。その命に従って、ダゴンへと向かっているのは計七名。もはや異常そのものだ。

「……こんな戦いがあるか?もはや貴族のため、玉砕するだけではないか」

「玉砕するかどうかはまだ決まってねえ。俺たちだけでも勝てばいいのさ」

「……ふん、無謀なことを。お前はそれができると思ってるのか?」

「ああ、当たり前だ。何せ、二日生き残ればいいんだからな。……そうすれば、エリオット達の援軍が来る。それからが本番だ。それまで生き残れば、俺たちの勝ちだ。だから、戦う前からそんな負けたような顔をするんじゃねえ」

「……それが、『嵐』としての矜持だとでも?」

「いいや、『戦士』としての心持さ」

「……ずいぶん、口が達者だな。……だが、気が紛れた。礼を言っておく」

 カリンはそれ以降何も言うことはなかった。それでも表情を見る限りでは、先ほどよりはずいぶんとマシだった。彼らは無言のまま、行軍を続けた。道中、休憩を何度か繰り返し、予定よりも早くダゴン山岳地帯へとたどり着くことができた。山岳地帯というだけあって、高低差や鬱蒼とした森林などが視界を遮っている。彼らは森の中にある泉付近に陣を敷き、作戦会議を始めた。

「まずは、ここの地域一帯がどうなっているか、把握する必要がある。この地図を見てくれ」

 カリンが懐から地図を取り出し、地面に置いた。

「私たちがいるのはここ、ダゴニア森林の最南端だ。ここの泉周辺に敵の姿はなかったことから、ここらは安全とみていいだろう。何かあったらまずはここに逃げ込むということを覚えておいてくれ」

「わかった。で、敵はどこにいるんだ?」

「……おそらく、ここだろう」

 ゼロスからの問いにカリンが指さしたのは、地図の中心。鉱山地帯だ。

「ここの価値は鉱石資源に尽きる。奴らは何としてもそれを回収しようとしているだろう。……聞いた話では、とらえられた捕虜たちが掘削作業を行っているとか何とか。それを監視するため、鉱山地域一帯に散らばっていると考えるべきだ。……だが、敵の規模は不明。豪波騎士団がどれだけ捕虜になったのかも不明。それに、私たちの戦力は現在これだけ、決して派手に動いてはいけない。いいな?」

 カリンの呼びかけに、皆はうなずいて答える。皆、決意は十分だ。残るは、作戦だけ。

「それで、俺たちはどうやって動く?」

 残る作戦を立てるため、ゼロスはカリンに問いかけた。

「……まず、私たちがここで何をできるかを考えるべきだな。それから、どう動くかが判断できるだろう。皆、何か案はないか?」

 カリンの提案に団員たちがそれぞれの案を差し出す。

「できること……。奇襲はどうでしょう?視界が悪い中、敵兵士を一人ずつ仕留めるんです。少しでも敵の戦力を削ぐことができれば、いざ我々に気づかれてもどうにかなるかもしれません」

「いや、それよりもいるかもしれない捕虜の救出を優先すべきじゃないですか?もし救出することが出来れば、貴重な戦力になりますよ」

「いやいや、それよりも、火を放つなどして彼らを山に孤立させる方がよいのでは?ここの価値は鉱石資源だけですし、森が燃えたところで痛手ではないでしょう」

「……火は論外だ。環境破壊にもなるし、私たちも危険な状況になりうる。それと、捕虜の救出も無理だろうな。捕虜がいるところには必ず兵士もいる。敵の戦力が分からない中、敵陣の真ん中に飛び出すというのは無謀だろう。やはり、奇襲作戦がもっとも現実的だろうな。私は一人で行く。ゼロスも一人でいいな?」

「ああ、構わん」

「アイオス、ネリアと組め。エル、マッシュ、ヴェント。お前らは三人で行け。……では、作戦開始だ。それぞれ散り、中央を目指しながら敵兵を排除していけ」

「了解」

 彼らは装備を整え、森の中に消えていった。ゼロスは一人、陣を敷いていたところから真反対の北端を目指して移動している。鬱蒼とした森は隠密行動には最適だが、ゼロスにとっては苦しいものでもある。背中に背負った剣を満足に振るえないのだ。今の所敵兵の姿を確認してはいないが、もし見つけてしまった場合は、ゼロスがあまり好まない方法で敵を無力化することになる。ゼロスは、一人森を進んでいく。茂った森のせいで日光すら遮られ、視界は非常に悪い。その時、ゼロスが立ち止まった。あたりをじっくりと見回している。そして、とある方向で視線が止まった。何やら草を踏みしめる音が聞こえる。敵か、それとも味方なのか。ゼロスは木の影に体を隠し、様子を窺った。足音は二つだ。次第に近づいてくるそれは、何かを話しているらしい。それが聞こえてくるころ、音の主が誰かも判明した。

「……ったくよぉ、こんなところ見回りなんかしなくたっていいじゃねえか。こんな森の中に誰がいるってんだ?……セリア団長の完璧主義には参るぜ」

「そうはいったって、仕方ねえだろ。お上の命令だ、従わなきゃな」

「はー、めんどくせえ。それで団長は陣地で捕虜の監視だろ?人に面倒なことやらせといて、自分だけ楽をするってのはいかがなもんかねえ。そもそも……」

 どうやら、敵兵だったようだ。ゼロスは拳を握る。そして、彼らが最も近づいた瞬間、素早く飛び出し渾身のパンチを放つ。それは、文句を言っていた方の兵の顔面に見事命中し、凄まじい衝撃に顔面が抉れてしまっている。

「な、なにしやがる!誰だてめえ!」

「……こいつ、帝国兵だ!殺せ!」

 殴られていない方が剣を抜くが、一手遅い。すでにゼロスの拳は奴の顔面目掛けて振りぬかれていたのだ。彼は殴られた衝撃のまま木に頭を打ち、気を失ったようだ。ゼロスは彼が手放した剣を握る。刃渡りは60センチほどの小ぶりな剣で、少し短い代わりに軽量で取り回しがしやすく、王国兵の標準装備となっている。ただ、ゼロスにはどうにもいまいちだったようで、少し首を傾げてはいたが、今の彼に武器を選んでいる余裕はない。顔面を抉られながらも果敢に立ち向かってくる者の首を瞬く間に跳ね飛ばし、気を失っている者の首も落とす。ゼロスは彼らの死体で剣に付いた血を拭い、その場を後にした。跳ね飛ばされた頭は木の枝に刺さり、血を垂れ流している。

 今の所、周辺で大きな騒ぎは起きていない。騎士団の皆はまだ誰もしくじってはいないようだ。ゼロスはあれから十人以上片付けたが、剣が彼に合わないのか、二人ほど斬るたびに剣を取り換えねばならなかった。その彼は今、王国陣地に接近していた。陣地と採掘拠点を併用しているようで、おそらくこの場でもっとも偉いであろう女が「そこ、手を抜くんじゃない」と叱咤している。採掘をしているのは、予想通り豪波騎士団の捕虜たちだ。そこには、団長のアズンの姿もあった。団長が捕虜となるとは、豪波騎士団とはよほど情けない団なのだろう。王国兵たちは皆そう思っており、鉱石の採掘から日々の雑用までも押し付けているようだった。その証拠に、王国兵の洗濯物を洗う捕虜がいる。他にも、料理の用意だったり、馬の世話だったりと面倒事のほぼすべてを捕虜に任せているようだった。ゼロスはこのことにいかなる感情も巻き起こることはなかった。彼の頭にあったのは、ここから誰を殺せるかということだけである。少しでも戦力を削るということを考えているのだ。そうして木の影から陣地を見渡していた時、近くの森から誰かが出て来た。

「団長、侵入者ですぜ」

 それは、王国兵とエルたちだった。彼らは王国兵に連れられ、団長と呼ばれた女のもとへ連れて行かれている。エルたちはかなり手ひどい怪我をしてはいるが、ほとんどが切り傷などで、骨を折られたという様子はない。捕虜を働かせるため、動けないようにはしないということだろう。

「所属は吐かせたか?」

「いえ、それがさっぱりで。何聞いてもだんまりでさあ。まあ、身に着けてる装備を見るに統一感がありますし、どこぞの騎士団か傭兵団、または身の程を知らない盗賊でしょう」

「……盗賊はない」

 団長はそう言ってエルの顎を持ち上げる。

「かなり身だしなみに気を遣っている。髪にも艶があるしな。……盗賊にそんな余裕があると思うか?おそらく、帝国所属の騎士団といったところだろう。おおかた豪波騎士団の敵討ちをしに来たのだろう?」

 団長はエルにそう問いかけるが、エルはにらみつけるばかりで答えようとしない。

「まあいい、手当をしておけ。怪我が治り次第、こいつらも作業に参加させろ」

「了解!」

 王国兵は三人を引っ張り、テントへと連れて行った。ゼロスは様子を探るため、森を迂回しテントの裏へ回る。

「殺されないだけありがたく思ってくれ。セリア団長はまだ優しい方だ。前任のクバル団長なんか、気に入らない捕虜は全部殺しちまったんだぜ。それを国王陛下の前に持ってって、『敵兵の首を落としてまいりました』なんて、自慢しに行ったんだ。それが気に入られて、今では大出世。王国衛兵隊長にまでなりあがっちまった。……とにかく、セリア団長は多少なりともクバル前団長にあこがれてる部分があるから、機嫌を損ねるようなことはするなよ。俺だって、捕虜の首を斬るのは嫌なんだ。戦場でもないのに、人を殺すなんて御免だ」

 聞こえてきたのは、治療してくれている兵士の愚痴にも近い忠告だった。あまり敵味方を区別しない彼の話し方には、戦いは嫌だという本音が透けて見える。

「……よし、これで治療は終わりだ。あとはベッドで寝て安静にしていろよ。俺は、団長に報告してくる。余計なことをしなければ、安全だからな。変なことを考えるなよ」

 彼は再三の忠告を残して、テントを出て行った。おそらく、今テントに敵の姿はない。今が彼らを助け出すチャンスだ。ゼロスは慎重にテントへ近づき、中へと滑り込んだ。

「……あ、ゼロスさん!」

 エルはゼロスを見つけ、助けが来た喜びで声をあげてしまう。ゼロスは口に人差し指を立てて当て、静かにするようにジェスチャーをする。エルはハッとした顔をして、口をつぐんだ。ゼロスは小声で話しかける。

「お前ら、無事のようだな」

「はい、捕まってしまいましたが手当をしてもらいましたので」

「ここから逃げるぞ、動けるな?」

「はい、問題ありません」

「よし。ゆっくり行くから、焦らずついて来い」

 ゼロスが彼らを連れ、テントを出ようとしたその時、セリア団長と呼ばれていたものがテントの入り口をめくった。その結果、ゼロスとセリアは鉢合わせることになってしまった。

「……貴様!何者だ、先ほどとらえた捕虜ではあるまい。名乗れ!」

 ゼロスは答えることなく、拳を構える。この狭いテント内では剣を振るうことはできない。

「……言わぬか、なら力尽くで吐かせてやろう!」

 セリアはレイピアを抜き、鋭い突きを繰り出した。ゼロスはそれを左手ではじき、開いた相手の身体に右の拳を叩き込む。拳は鳩尾付近に当たり、セリアは2メートル程、後ろに吹き飛ばされ、殴られた鳩尾をおさえて蹲っている。ゼロスはその隙を見逃さず、セリアの顔に回し蹴りを決め、セリアの頭をテントの柱に叩きつけ気絶させた。本当はここでとどめを刺したかったが、騒ぎを聞きつけ続々と兵士が集まってきている。今は逃げるほかない。

「お前ら、できるだけ全力で走れ!」

 ゼロスはエルたち三人を先に行かせ、自らが殿を務める。追いついてきた者は二、三度ほど殴れば少しの間気絶する。時間さえ稼げればそれで十分だ。逃亡者を探すため、森全体が騒がしくなる。セリアがやられたこともあり、相当躍起になっているようだ。ゼロスは自軍陣地へと帰る途中、治療を受けたばかりの彼らを休息させていた。すぐにこんな激しい動きをさせると、傷が開いてしまう可能性が高い。捜索の手もゼロスがいるところまでは伸びていないようで、比較的落ち着いた休息をとることができた。

「お前ら、傷の具合はどうだ?」

「だ、大丈夫です。何とか、陣地までは戻れそうです」

 そう言ったマッシュの顔には汗がにじんでいる。相当無理をしたようだ。これでは碌に動けそうもない。回復を待っていても、それより先に追手がゼロスたちを探し出してしまう可能性が高い。中度の怪我を負った三人をかばいながら戦うのはさすがに厳しい。それに、見通しも悪いこの森の中では敵の手がどこから伸びてくるかもわかりづらく、かばいきる難易度は計り知れない。そうしているうちに、草を踏みしめる音が近づいてきている。ゼロスは三人に「声を出すなよ」と言い、木の影に身を隠して足音の主を探す。方角は彼らが走ってきた方だ。やはり敵兵か、ゼロスは構えを取った。だが、その構えは無駄だった。足音の主はカリンとアイオス、ネリアの三人だったのだ。

「ゼロス!無事だったか。……エルたちはどこだ!?」

「こっちだ、あいにく無事とは言えんがな」

 ゼロスはすぐ近くにいたエルたちのもとへカリンたちを案内する。エルたちはカリンの顔を見るなり謝りだした。

「すいません、カリン副団長!私がしくじりました。一人仕留め損ねたせいで、応援を呼ばれてしまって……」

「いえ、悪いのは俺です。エルが仕留め損ねた原因は二人が他の敵兵を仕留めている間に、俺が他の奴に姿を見られたせいで。二人が急いで助けてくれたんです。申し訳ありません、カリン副団長」

「それなら、悪いのは僕です。助けに入ったのにも関わらず、仕留め損ねたあげく敵につかまってしまったんですから。申し訳ない、副団長」

 カリンは彼らを叱るようなことはしなかった。

「……戦場では不測の事態というものはいつでもありうる。求められるのは、それにいかに対応するかだ。……今はこんなことどうでもいい。お前たちが無事でよかった」

 罪悪感にさいなまれていた彼らをなだめ落ち着かせると、カリンはゼロスの方へと向き直った。

「ゼロス、こいつらを助けてくれてありがとう。相当無茶をしたんじゃないか?」

「……そうでもない。擦り傷一つもないからな」

「ふ……。そうか、よかった。……よし、それでは私たちがこれからどう動くべきか考えるとしよう」

 カリンはゼロスの無事を確認すると、一転切り替え、この場からどう脱出するか思案し始めた。

「奴らはまだここまで迫ってきていない。私たちの方でもそれなりに敵兵を黙らせてきていてな、彼らはそれらの治療に専念している可能性もある」

「死体の回収もしたいだろうしな」

「うむ。……ならばこのままゆっくりと陣地へ戻るのが最適だろう。エルたちの怪我はそれなりにひどいだろうし、早急な治療が必要だな」

「……申し訳ありません」

「謝るな。生き残っただけで十分だ。……カリン、俺が殿をやる。いいか?」

「……任せていいのか?」

「……左腕の包帯に血がにじんでいるぞ。それでは利き腕ではないとはいえ、無理は禁物だ。アイオスとネリアも、動けないわけではなさそうだがそれなりに傷ついている。唯一万全なのは俺だ。なら、俺が危険な仕事をすべきだろう」

「……すまない」

「そこは、ありがとうと言ってくれ」

「……わかった。ありがとう、ゼロス」

 ゼロスは小さく「ああ」とだけ言うと、木に寄りかかり皆の出立を待った。

「よし、陣地へと戻るぞ。なるべく急ぐが、皆を置いて行ったりはしない」

 カリンは先頭に立ち、特に怪我がひどいマッシュに肩を貸しながら歩き始めた。後に続くアイオス、ネリアもそれぞれヴェント、エルに肩を貸しながらである。仕方ないとはいえ、歩みは遅い。ただでさえ視界の悪い森の中、足元もおぼつかず、山岳地帯なだけあって微妙な起伏が体力を確実に削っていく。追手の気配はまだ感じられないが、それよりも彼らの体力が尽きてしまうことをゼロスは心配していた。


「捜索隊!発見報告はまだか!」

 一方、ダゴン山岳地帯・王国陣地では。

「申し訳ありません。思っていたよりも負傷兵や、殺害された兵士が多く、彼らの回収に手間取っていまして捜索にはそこまで人手を割けていないのです」

 部下の報告に対し、セリアは強く机をたたいて怒りを露わにした。

「泣き言はやめよ!負傷兵でも動ける者は捜索に回せ。何としても、奴を見つけるのだ!」

 先ほどいともたやすく気絶させられた恨みからか、セリアはあの黒衣の戦士を探し出すことに躍起になっていた。頭には包帯が巻かれ、身に着けていた鎧は胸の下あたりが砕かれている。

「あの男、決して逃がさぬぞ。奴は必ず……」

 そう何かつぶやいているが、目の前で跪いている部下にその声は届かない。セリアはどうにも怒りが収まらないのか、目の前にいた部下を怒鳴りつけた。

「ええい、お前も早く探しに行け!今度は情けない報告は許さんぞ!」

「は、はい。それでは行ってまいります」

 怒鳴りつけられた兵士は逃げるようにセリアのテントから飛び出し、彼女がいるテントの幕に向け小さく恨み言を吐き散らかすと、しぶしぶ森の中へと入っていった。すでにあの男がセリアを気絶させてから一時間近く経っている。いくら怪我人を連れて移動しているからとはいえ、さすがに近場にはいないだろう。そうなら捜索範囲をもっと広げねばならないが、この森の中、食事もせず捜索というのは無理がある。結局そんなこともあり、王国兵たちも同僚などの回収には真剣だったが、侵入者を探すということに関してはあまり乗り気ではなかった。

「団長は相当頭にきてるな。……まあそりゃ頭蹴られて気絶なんて情けないザマさせられれば、嫌でもくるだろうけどな」

 彼はそう言って、森の中を歩き回る。もはや適当だった。偶然見つけられたりしないかといった、怠惰の領域に片足を突っ込んでいる。最初からそんな心持だったせいか、剣を持ち歩くのを忘れている。手ぶらで陣地を高台から眺めているだけだった。その時、彼は重大な失態に気づいた。彼は急いで陣地へと戻る。

「まずいまずいまずい!このままだと、俺たちも……」

 だが、彼の気づきは遅かった。陣地内では捕虜としていた豪波騎士団の団員たちが、王国兵たちが保管していた剣を手に取り、逃げ出そうとしていたのだった。彼らは陣地の出入り口へとまっすぐに向かっている。今ここに戦える者はあまりいない。彼はすぐに剣を抜こうとした。そして、また遅れて気づいた。

「剣、忘れちまった!」

 彼の剣は保管庫に仕舞われている。今から取りに行くと彼らを止められない。だが、剣持ち相手に素手で戦えるわけがなかった。どうもできずその場に立ち尽くした時、いくつもの鋭い何かが豪波騎士団の団員たちの身体を貫いた。彼らは瞬く間に絶命し、その場に倒れこむ。彼らが倒れたその後ろにはセリア団長の姿があった。

「……脱走兵には死を。当然の報いだ。……鉱石の採掘は滞るが仕方あるまい、王都あてに言い訳の書簡を書かねばな」

 セリアはそう言うとまた自らのテントへと戻っていく。その場に残された彼は、セリア団長の冷徹さにかつてのクバル団長を思い出した。


 ダゴニア森林最南端、烈風騎士団陣地。追跡の手が思っていたよりもぬるかったおかげでゼロスたちは何事もなく陣地へと戻ることができた。早急にエルたちの手当てを済ませ、テントの中で寝かせる。外ではカリンたちがこれからどうするかを話し合っていた。

「……とりあえず、エルたちが無事でよかった。長く戦場に身を置いても、仲間を失うことには慣れん。……これから、どうするか。ゼロス、王国の追っ手は?」

「さっぱりだ。……何か罠がはられているかもしれん、慎重になるべきだな」

「副団長、俺たちよりも不味いのは豪波騎士団の奴らでは?」

「確かに、私たちの奇襲を受け何やら八つ当たりじみた報復をしていることも考えられるな。私たちが蒔いた種だ、できることなら助けに行きたいが……」

「戦えるのは我々四人だけです。それに、奴らの戦力の全貌が把握できていない以上……」

 カリンは分かっていた。今ここで奴らと闘うという選択を取ることがどれほど危険なことか。最良の策はエリオット達の到着を待つこと、それだけである。だが、彼らの追跡の手がいつここまで伸びるかは定かではない。攻め込まれてしまえばあっという間に蹂躙されてしまう。カリンは決断した。

「こちらから出るぞ。我々だけで、ダゴンを落とす」

「……無茶です副団長!それが可能に思えるのですか!?」

「いや、今は無茶を押し通す時だ。……エリオット達がこちらへ着くよりも、奴らが私たちを見つける方が早いだろう。ただでさえ奴らの方が数は多いんだ、その上奇襲までされれば勝ち目が薄くなる。今、私たちが勝つためにできることは、こちらから打って出ることだけだ」

「……わかりました、やるしかなさそうですな」

「……エルたちには、どう話せばいいものか」

 アイオスが頭を抱えた時、テントの中から声が聞こえて来た。

「……聞いていました。副団長、あと一日ください。それまでに怪我を治しますから」

「すま……。いや、ありがとう」

 こうしてカリンたちは、明日の夜に王国陣地へと攻め込むことを決めた。


 翌日、エルたちの怪我は思っていたよりも早く快方している。王国の医療テントで受けた治療が効果的だったのだろう。

「驚いたな、もうこんなに傷がふさがっている。……痛みはどうだ?」

「もうほとんどありません。もう少し休めばいつも通り動けそうです」

「よし。ではエルたちの怪我が完治し次第、すぐにここを発つぞ。準備をしておけ」

 動けるものは広げていた陣幕を片付け、泉のほとりで休んでいる馬に荷物番を任せた。彼らが支度を整えた頃、エルたちも怪我を治したようで、鎧を身に着けた状態でテントから出て来た。戦う気力は十分だ。彼らが寝ていたテントも片づけると、ついに彼らは王国陣地へと向けて出立した。昨日から変わらず、森は静かなままだ。罠がはられている可能性を考えていたが、どうやら杞憂だったらしい。森の中に緊張感は漂っていない。病み上がりたちの体調に配慮し、ゆっくりと歩みを進める。もとより夜の奇襲を考えていたため、都合も良かった。そのまま歩みを進め、一時間後。彼らはダゴン山岳地帯の中腹に差し掛かっていた。ここを超えれば彼らがいる陣地までもうすぐだ。本来はもっと楽なルートがあるのだが、あまりにも見通しが良すぎるため見張られている可能性を考え、森の中を強行している。

「皆、頑張るんだ。ここを超えればもうすぐだぞ」

「……はい!」

 普段訓練を積んでいるとはいえ、鎧を身に着けて山を登るというのは体にかなりの負担がかかる。しかし、誰も弱音を吐くことはない。皆、真剣に一歩づつ前進している。そしてついに、彼らは山を登り切った。そこまで標高が高いわけではないが、疲れというものは少なからずある。彼らはここで一度休息をとることにした。ここからなら、王国陣地の様子が少しだけ覗ける。

「……あいつらはだいぶ痛手を負ったようだな。カリン、あれを見ろ」

 ゼロスはそう言って、陣地奥のテントを指さす。カリンは指さされたテントを眺めていたが、ゼロスが言わんとしていることがあまりわからず首をかしげるばかりだった。

「ああ、あのテントか。……あれがどうした?確かに人の出入りは多いが、何かあったのか?」

「あれは医療テントだ。エルたちも昨日、あれにお世話になっていたんだ。そのテントにあれだけの人の出入りがあると考えると、相当数の怪我人がいるらしいな」

「ふむ……。それが全体の何割かはわからないが、とにかく、奴らの戦力は削がれた状態だということか」

「ああ。かなりのチャンスだ。この機会をものにしよう」

「うむ。……そろそろ休憩も終わりだ、移動を再開するぞ」

 カリンの号令で皆は素早く立ち上がり、今度は山を下り始めた。先ほどよりも楽とはいえ、傾斜を降りるというのはそれなりに危険なものだ。躓いて転べば止まらずにどこまでも転がって行ってしまう。鎧などを身に着けていれば固い部分が体に当たり、余計な痛みを引き起こすこと必定だろう。それ故、彼らが山を下る速度は登る時の速度とそう変わりはしなかった。安全を重視し、敵に気づかれないよう細心の注意を払う。その結果、緊張感が幸いしたのか敵に気づかれることなく、敵陣寸前まで迫ることができた。時刻は午後六時。王国の陣地からは、食事中なのかにぎやかな声が聞こえる。カリンは聞き耳を立てて敵陣の様子を探ると、小声で皆に指示を出した。

「よし、まだ気づかれてはいないようだ。全員、ゆっくりと近づけ」

 声を抑えるため、団員はうなずいて返事をする。王国兵の視界に入らぬよう、敵陣への入り口を探す。彼らの声が近づいている。テントの影から顔を出すと、彼らが火を囲んで食事しているのが見えた。皆帯刀しているものの、酒を飲んでいるせいでまともに戦えそうは見えない。今が絶好の好機だ。

「皆、構えろ。これより、戦闘を開始する。……皆、私に続け!」

 カリンの号令を幕切れとして、七人全員が食事中の王国兵たちのもとへと突っ込む。不意を突かれた彼らは急いで剣を手に取るが、一手遅い。アイオスたちは敵兵の腕を切りつけ、カリンは炎の魔法で敵の身体を焼く。そしてゼロスが余った敵兵を一薙ぎで躯へと変えた。

「……おかしい。あっけなさすぎる。豪波傭兵団は、こんな者達にやられたとでもいうのか?」

 あまりに順調に事が運んでしまい、カリンは疑念に駆られる。そして、その疑念は正しいと言わんばかりに、彼女の後方から鋭き一撃が襲来した。

「ふっ!」

 一足先に気づいたゼロスが飛んできた何かを剣ではじく。空に舞ったのは一枚の葉であった。この場にいた皆が空を舞う葉を見上げる。その隙を縫って敵は攻撃を仕掛けて来た。

「戦場でよそ見とは、その程度では私を殺せんぞ!」

 声の主はセリアだった。後方には彼女の部下と思しき者達が一斉にこちらへと向かってきている。セリアの付きだしたレイピアがカリンをとらえようとしたその時、凄まじい反射速度でゼロスがレイピアの刃を握った。

「戦場で目立ちたがるとは、その程度の考えでは誰も殺せんぞ」

「……!貴様、戻ってきたのか。命が惜しくないと見える!」

 セリアはゼロスを見るやいなや激昂する。しかし、彼女のレイピアはゼロスに握りしめられたままだ。女の力ではゼロスからレイピアを取り戻すことは難しい。

「ええい、お前たちも戦え!」

 セリアが部下にそう命令すると、それを待っていたかのように彼らは剣を構え、こちらへにじり寄ってくる。セリアは自らのレイピアを取り戻すため、渾身の蹴りを放った。しかし、それはゼロスの開いていた右手に簡単に受け止められてしまう。

「この……。手を放せ、汚らわしい!」

「……わかった、放してやろう」

 ゼロスはそう言うと、蹴りを受け止めた右手を放し彼女の足を解放する。そのまま素早く握りこぶしを作ると、左手で握りしめていたレイピア目掛けて拳を見舞った。

「貴様!何を……」

 セリアが止めるよりも早く、ゼロスの拳はレイピアを砕いた。ゼロスは砕けた切っ先を地面に投げ捨て、鼻で笑う。セリアの怒りはついに頂点へと達した。

「お前たち!早くこの男を殺せ!他の者はどうでもいい!こいつだけは何としても殺せ!」

 しかし、それは無駄な命令だった。十人が束となってゼロスへと立ち向かう。そして十人は、二十の塊に分かたれた。もう、ゼロスに立ち向かえるものはいない。

「く、調子に乗りおって……。私は逃げる!お前たち、こいつらをどうにかしておけ!」

 セリアはそう言うと敵を目の前にして森へと逃げ込んでしまった。先ほどまでの言動とは違い、あまりの情けなさに呆気に取られてしまう。しかし、その場に残された兵士たちはなおも闘志を燃やし、こちらへと向かってきていた。

「ゼロス!あいつを任せていいか?」

「構わないが、ここは平気か?」

「ああ。この程度の雑兵どもにたやすくやられるほど、やわではない。……あいつは任せたぞ」

「わかった。……お前ら、生き残れよ」

 ゼロスはその場に残す団員たちへ言葉を残し、セリアを追って森へと消えていった。すると敵はそれをまるで計画の内であるかのように、にやつき始める。

「……何がおかしい」

「いや?何も。……しいて言えば、結構やばそうなやつが消えてくれてうれしいってところかな?」

「……私を女だと舐めているようだな。いいだろう、『烈火』と称された私の力、見せてやる」

 敵はカリンのすごみを鼻で笑う。その眼には下衆な考えがにじみ出ていた。

「いいぜ、見せてくれよ。そのあとで、てめえを俺のおもちゃにしてやろうかな」

「……そう言っていられるのも今の内だ。貴様のような下衆など、取るに足らん。……『燃え盛れ』!」

 カリンが虚空に向けて手をかざす。その瞬間、奴の足元から凄まじい勢いの火柱が立ち上った。それはその場だけでなく、熱だけで周りのテントなどにも飛び火している。彼女の一撃によって、戦場は瞬く間に火に包まれた。奴は何とか回避したとはいえ、周りを火に包むほどの熱を近くで浴びて無事なわけがない。身に着けていた鎧は溶け、皮膚もところどころやけどを負っている。

「皆、今だ!混乱に乗じ、優勢をとれ!」

 炎を操り、剣にも炎を宿して戦うさまはまさに烈火と称されるべきものだろう。

「温い!」

 大柄な相手でも物怖じすることなく、果敢に立ち向かう。振り下ろされた巨大な斧を剣で受け止める構えを取った。そして受け止める寸前、剣に絶妙な角度をつけることで、斧の一振りを受け流し、その勢いを乗せ、敵の腹を横一文字に裂いた。その瞬間、刻まれた傷口から炎があふれ出す。傷は焼け焦げ、さらなる苦痛を呼ぶ。これがカリンの強さの由来だった。少ない手で確実に相手を戦えなくする。そうして戦場を駆け回る姿は敵にとっては地獄の業火そのものと言えよう。

 だが、決してアイオスたちも見ているわけではない。二人、または三人でチームを組み、確実に敵を倒していく。戦場で役立つ魔法などを遣えるわけではないが、それでも戦うという選択をしただけあって、彼らの戦闘能力は目を見張るものである。エル、マッシュ、ヴェントは協力し、一人の剣が受け止められれば、残りの二人が剣を振るう戦い方を取っていた。アイオス、ネリアの二人はそれぞれに背中を預け、互いに隙を補い合っている。戦場が火に包まれていることも彼らにとっては追い風だった。彼らは今までの傭兵経験で、カリンが作り出した火の海の中で戦ったことが何度もある。そのおかげで、今この場で混乱することもなく、火におびえることもなく戦えている。カリンの意図しない援護によるものと言われれば、彼らは否定しないだろう。しかし、戦場では結果がすべてだ。今まで生き残ってこられた以上、彼らの戦いざまは決して、味方だよりではない。

 カリンに下衆な眼を向けていた男は、あまりの劣勢に冷や汗を流す。武器を握る手は震え、眼には負けることへの恐怖が滲んでいた。カリンはそれを見逃さず追い詰める。

「先ほどまでの威勢はどうした?子供ではあるまい、まさか火を見て怖気づいたとでも?」

 男はあからさまな虚勢を張る。

「馬鹿言ってんじゃねえ。レディーファーストってやつだ、先に調子に乗らせてやったのさ。次はこっちの番だ。ビビんじゃねえぞぉ」

 男はそう言って、自らの得物である大槌を振り上げる。奴が両手をあげ、胴が留守になったその瞬間。男が大槌を振り下ろすよりも早く、カリンの剣が男の身体を突き刺した。剣を引き抜くと傷口から血と共に炎があふれ出す。その炎は傷口から、男の体内すらをも焼いている。男は傷口をおさえながら吠える。

「このアバズレがぁ!せっかく俺がおもちゃにしてやろうってのに、それが嫌だとでも言いてえのか!」

「当然だろう。それに、戦場で馬鹿みたいな構えを取って、狙われないわけがない。お前ごときが上の立場に立てるとは、王国もずいぶんと人材不足らしいな」

「……ごちゃごちゃとうるせえんだよ!この……。死にやがれ!」

 地面に這いつくばっていた男は渾身の力を振り絞り、片手のみで大槌を水平に振りぬいた。カリンは後ろに跳んで躱す。着地の勢いをそのまま前進に使い、炎をまとった剣で袈裟切りを放った。その一撃は、大槌を振り切った奴の肩に命中する。腕を切り飛ばすとまではいかなかったが、切り傷に炎が這いまわる。それは肩から腕を焼き、その炎は指まで届いた。大槌を握りしめていた奴の手は灰と化した。カリンは灰を蹴散らして、地面に転がっている男の背中目掛け、剣を突き刺した。

「ぐあああ!」

 男は痛みに悶え、絶叫する。突き立てた剣からは炎が噴き出し、男の身体全体を焼き始めている。全身に炎がまわり、男も動きを止めた頃、ようやくカリンは剣を鞘にしまった。

「……なかなかしぶとかったな。腐ってもいっぱしの兵卒ということか」

 どうやらこの男が最後だったらしい。カリンが男を倒すと、アイオスたちがカリンのもとへと寄ってきた。

「副団長、ご無事ですか?」

「ああ。存外他愛なかった。エリオットにもいい報告ができるだろう。そちらはどうだ、怪我はしてないか?」

「はい、我々五人、いずれも重傷を負ってはいません。何とか自分の足で帰れるほどです。すでに応急処置は済ませています」

「わかった。……では、我々はすぐに豪波騎士団の捜索を開始する。見つけた場合はすぐに知らせてくれ」

「はい。……ゼロスさんは無事でしょうか?確かセリアとかいうここの団長らしき者を追いかけて行ったんですよね」

「……お前たちは、豪波騎士団の捜索に入ってくれ。私は今すぐに奴の援護へと向かおう」

 そう言ってカリンが、ゼロスたちが消えていった方に振り向いた時、そこから何者かの声が聞こえて来た。それは彼らにとって聞きなじみが出てきた声でもあった。

「援護は必要ない。……もう片付けた」

 声の主はゼロスだった。気絶しているのか動かないセリアを肩に担ぎ、こちらへ悠々と歩いてくる。鎧はところどころ砕かれ、そこから見えた素肌には細かい無数の切り傷がついていた。

「まさか、セリアを連れて帰るとは。……一体何があった?」

「わかった、休憩がてら話してやる」

 ゼロスがなぜセリアをとらえて戻ってこれたのか、なぜ体には無数の傷がついているのか。その答えは半刻ほど、カリンが王国陣地を火に包んだころまでさかのぼる。


 半刻前。

「あいつ、どこまで逃げたんだ?」

 ゼロスはセリアを追い、ダゴニア森林へと足を踏み入れていた。日が暮れた森はなお暗さを増し、視界は一メートルもない。この中では人を捜そうなどというのは無理難題というものであった。だが、団長らしきセリアを逃がせば後々大軍隊を連れて戻ってくる可能性もないわけではない。それに、二日後にはエリオット達がここへ来る手筈になっている。森に潜まれ、奇襲をされでもすれば壊滅はあり得ないが大打撃を受けることは間違いなかった。

「……夜に紛れるとでも思ったか」

 ゼロスは魔力を目に込めた。『身体強化』は目にも及ぶ。目を強化すれば視力の向上に加え、夜目が効くようにもなる。森の闇を克服したゼロスは目を開いた。昼と変わらぬ森の景色に一つ、異物が混ざっている。それは目を強化したゼロスでなければ捉えられないほどの速さであった。ゼロスは首を傾けることにより、なんなくそれを躱す。それを見られていたのか、木の上から声が聞こえて来た。

「よく躱せたな。随分と勘がいいようだ」

「……一度俺に負けたくせに、随分と余裕そうだな」

 セリアは木の上にとどまったまま話を続ける。

「あれは無効だ。医療テントの中など、私の戦う場ではない」

「なら、ここがお前のための場所だとでも?」

 セリアは答えない。その代わり、地面が答えた。ゼロスの足元から一斉に棘が飛び出す。ゼロスは間一髪飛びのいて躱した。だが、飛び出した棘はそれだけでは終わらない。まるで意思を持っているかのようにゼロスを襲うのだ。ゼロスは必要最低限の動きでかわし、手足で飛んでくる棘をはじいた。セリアは非常に感心しているようである。

「ふむ……。この暗い中で、よくこれが見える。勘だけで戦っているわけではなさそうだ。……貴様、名前は?」

「……ゼロス」

「ゼロス?単名か?この私と渡り合う単名がいるとは驚きだ」

「お前の名は?」

「私は、セリア・タルボニカ。誇り高きタルボニカ家の長女にして、次期当主。そして、翠玉騎士団の団長でもある。冥途の土産に覚えておくと良い」

「タルボニカ……。どこかで聞いた名だと思ったが、確か王国の文官の名だな。文官が騎士団の団長か?」

 ゼロスにとっては些細な質問に過ぎなかった。だが、セリアにとって家というものは逆鱗そのものだった。セリアの思考は一瞬で怒りに支配され、彼女に呼応するかのように、森が揺れる。そしてまた、地面から一撃で命を奪い得る攻撃が繰り出される。先ほどよりも勢いはあるが、確実に仕留めようとする正確さが欠けている。先ほどよりも少ない動きで鎮圧するゼロスを見て、セリアはより怒りを燃え上がらせていく。

「貴様、今私を侮辱したか?文官の娘はそれらしくしていろとでも言いたいのか?」

 セリアの攻撃の手は止まない。地面から生える棘だけでなく、木からも鋭い刃物のようなものが降ってきている。ゼロスはそれを苦にすることもなくかわしている。まるでセリアを挑発でもしているかのように。

「貴様、なぜ仕掛けてこない!私を文官の出だと舐めているのか!?」

 セリアは地面に降り立ち、さらなる攻撃を繰り出す。彼女が手をかざすと、突風が吹き荒れる。それがゼロスの身体を吹き抜けたかと思えば、ゼロスの鎧はズタズタに引き裂かれ、ところどころに細かい切り傷を作っていた。だが、ゼロスはそれに構うことなく地面を蹴り、セリアとの距離を詰める。彼女はとっさに手で顔を覆い、森がそれに答えるように地面から生えたものが彼女を守る。ゼロスにはこの程度の防御、ないも同然だった。

「はあっ!」

 背に背負っていた大剣を握り、力の限り振りぬく。セリアを守るために地面から生えていたものはいともたやすく破壊され、彼女を守るものはなくなった。ゼロスは剣を振り上げる。セリアは飛びのいて躱し、もう一度手をかざそうとした。しかし、それよりも早く、ゼロスが蹴りを放っていた。腹を蹴られたセリアは軽く宙を舞い、木に全身を叩きつけられ、ひどくせき込んでいる。ゼロスはそれを見て、右手に握っていた剣を背負うととある提案を持ち掛けた。

「……お前の魔法は、『植物を操る魔法』だな。森を戦場に選んだのもそれが理由だろう」

「……だから、なんだというんだ」

「……降れ。貴様では俺に勝てん、絶対にな。俺に切り傷をつけたことを誇れ。それだけでも十分だろう」

「はあ、はあ……。下らんことを、言うな。誰が、貴様なんぞに、屈するか」

「……そうか、わかった」

 ゼロスは一度だけ小さくため息をつく。木に手をつき、何とか立ち上がったセリアは両手を前に突き出し、構えを取った。

「先ほどの言葉、後悔させてやる。降るのは、貴様だ!喰らえ、『草木の嵐』!」

 セリアの声と共に、周りに生えている草木が一斉に宙を舞い始める。それは凄まじい渦を巻き、ゼロスの前に立ちはだかっている。

「……なるほど、嵐か。俺の目の前で嵐だとは、笑わせてくれる」

 ゼロスはにやりと口角をあげると、剣を引き抜いた。

「お前が呼ぶのが嵐なら、俺も見せてやろう。草木などという紛い物ではなく、真の『嵐』というものをな!」

 そう言うと同時にゼロスは地面に平行になるように、剣を構えると、一度その場で一回転しながら剣を振り上げた。ゼロスの剣が生み出した風がその場で舞い上がる。セリアはそれを見て、あざ笑った。

「フハハハ!それが貴様の言う、真の『嵐』とやらか!……来世はその技を使って、曲芸師として生きていくと良い!……はああ!」

 セリアは構えた両手を突き出した。それと同時に彼女の目の前で巻かれていた草木の渦は標的をゼロスと定め、周りの木々に決して治らないであろう傷をつけながら迫ってくる。ゼロスの目の前までそれが迫った時、ゼロスは天に掲げていた剣を振り下ろした。

「……『狂嵐怒濤』!」

 ゼロスが振り下ろした剣から、すべてを破壊せんとする『嵐』が吹き荒れる。セリアの技が木に傷をつける程度で収まっていたが、ゼロスは周りの木々をすべてなぎ倒している。それは彼女の『草木の嵐』も例外ではない。両方の嵐がぶつかり合った途端、『草木の嵐』は掻き消え、刃のごとき鋭さを持っていた草や葉はその場で散った。セリアはただ恐怖した。自らの全力がいともたやすく御されたうえ、奴は息をあげてすらいないのだ。自分はこんなに必死で戦って、今、出せる全力を絞り出しているのに、奴の足元にも及んでいない。奴はまだこちらを睨みつけている。

「……私の、負けだ」

 セリアは木に背を預け、地面に腰を下ろし目を瞑った。翠玉騎士団は完敗した。陣地を焦がす紅蓮がそれを嫌というほど示してくる。火に照らされたセリアの顔には、一筋の涙が浮かんでいた。戦闘の疲れと、痛み。そして諦めにより、彼女はその場で意識を手放した。もはや気力だけで立っていたようなものだったのだ。あの、人が繰り出したとは思えぬ技を喰らえば、痛みを感じる前に死ねるだろう。セリアはそう考えていたが、そうはならなかった。

「負けを認めたな。ならばむやみに命を取る必要もない」

 セリアが最後に聞いた声は、そう言っていた。


 半刻後。王国陣跡地。

「……という訳だ。そこまで怪我はさせられていないから手当はいらん」

 ゼロスはセリアを捕らえた理由をカリンに話していた。セリアは手当てを施され、特に縛られることもなく地面に寝かせられている。

「なるほど、事情は把握した。……で、お前はこいつをいったいどうするつもりだ?」

「わからん。こいつが起きてから考える」

「はあ?何も考えてなかったのか?」

「ああ。騎士団の仲間にでもできれば人手不足も解消できるだろうが、どうだろうな」

「……こいつが『解放しろ』と言ってきたらどうするつもりだ。まさか従うとでも?」

「……俺の上司に決めさせるよ。なあ、副団長?」

 カリンは心底呆れたというように深くため息をつく。それが原因かは分からないが、セリアが目覚めた。彼女はゆっくりと起き上がり、あたりを見回す。どうやらまだ自分が置かれた状況を理解しきれていないらしい。彼女がゼロスを見つけた瞬間、すべてを理解したのか勢いよく飛び起きた。ゼロスはそれに気づき、声をかける。

「よお、起きたか。怪我はどうだ?」

「わ、私はなぜここに。ゼロス、貴様が連れて来たのか?」

「ああ。お前が負けを認めたからな、連れて来た」

「……私をどうするつもりだ。慰み者にでもするつもりか?」

「いや、そう言う訳じゃない。……それより、お前はどうする?俺が捕虜であるお前を解放したとして、行く当てはあるのか?」

「それは……」

 セリアは言葉を濁した。彼女の頭の中ではすでに分かりきったことだった。敗将に帰る家はない。たとえそれが家名持ちであったとしても、それは変わらない。戦士は勝つか、死ぬかしか望まれていない。そのどちらもが出来ぬ敗将に、価値などなかった。彼女はそれを知っていた。そして、これまでに何人もの敗将が国へと帰り、その後極秘作戦に参加し未だ帰ってきていないことも、知っていた。

「……ない。敗将に帰ることのできる家などない」

 ゼロスはその言葉を聞いて、用意していた言葉を口にした。

「なら、俺たちの仲間にならないか?」

 セリアは呆気にとられた顔をする。カリンは何も言わず黙っていた。

「わ、私が?貴様らの仲間に?……馬鹿なことを言うな。私は敵なのだぞ!」

「もう王国のために戦う理由もないだろ。なら、お前はもう敵じゃない」

「だ、だが……。何故私を仲間にしようとする。私は敗将だ、何の役にも立たん」

「……あの魔法、習得には随分と苦労したんじゃないか?植物すべてを武器とできるなんて、滅多にできるもんじゃない」

「それを、負かした者が言うのか」

 セリアは自嘲気味に笑った。ゼロスは話を続ける。

「俺が所属している騎士団は人手不足でな、お前のような強い戦士を求めているんだ。どうだ?俺たちを助けると思って……」

 セリアの自嘲気味だった笑いは徐々に朗らかな物へと変わっていく。

「何故、お前がそんなに頼み込むんだ。まるでお前が捕虜みたいだな」

「行く当てがない者をそこらに放っておけるものか。俺ができる提案の中ではまだお前に合ったものだと思うが」

「ほかには何があるんだ?」

「孤児院での子守」

「……それは御免だな。それならまだお前の仲間にでもなった方がマシかもしれん」

 その言葉を聞き、カリンが待っていたとばかりに口を開いた。

「セリア・タルボニカ。我が烈風騎士団の軍門に降るか?」

 セリアは迷うことなく答える。

「ああ。助けてもらった命だ、お前たちに預けよう」

 ちょうどその時、豪波騎士団を探していたアイオスたちも戻ってきた。カリンはすぐさま彼らに報告する。彼らは各々できる限り最大の驚きを表していたが。嫌がる者は一人もいなかった。特に、同姓であるネリアとエルは美容などの話で興味があるのかすぐさまセリアを囲み、談笑を始めた。カリンは捜索の報告をアイオスたちから聞いている。

「どこにもいない?」

「はい。豪波騎士団が身に着けていたであろう装備類は発見しましたが、彼ら自身はどこにも。もしや我々が戦っている隙に逃げ出したやも知れません」

「副団長、森を捜索しますか?」

「いや、それはやめておこう。今は深夜だ、森に入ったとて碌に先は見えないだろう。そんな中で人探しなどほぼ不可能だろうな」

 その話が耳に入ったセリアの表情は固まってしまっている。少し逡巡したのち、観念したように話を切り出した。

「……豪波騎士団についてだが、彼らは私が殺した。逃亡を図ったため、全員を殺したのだ」

 セリアは覚悟していた。必ずや罵詈雑言が浴びせられるだろうと。そして、騎士団入りはなかったことになり、今ここで殺されることになるかもしれない。けれど、仲間になるかもしれない人間に嘘をつくのだけは嫌だった。セリアは罪悪感から顔を伏せてしまう。だが、おびえた彼女に浴びせられたのは負の感情ではなかった。

「なんだ、そうだったの?」

「じゃあ、しょうがないですね」

 真っ先にそう言ったのはネリアとエル。セリアは顔をあげ、驚いた顔で二人を見る。嘘を言っているようにも、怒りをこらえているようにも見えない。

「お、怒らないのか?」

「ああ。別にあいつらのことは何とも思ってないからな」

 そう言うのはマッシュだ。ヴェントが続ける。

「戦場での生き死になんて普通さ。弱いから殺された、それだけだろ?」

 ヴェントの言葉にアイオスも続いた。

「それに、逃げた捕虜なんて何をしでかすかわかったもんじゃない。俺たちだって同じことをするだろうしな」

 セリアは彼らのあまりの淡白さに目を見開いている。その驚き方に、カリンは何か誤解を感じ、すぐさま訂正する。

「こいつらがこう言うのは、豪波騎士団のメンバーを名前でしか知らないからだ。顔も知らないし、人柄も知らない。ただ、名簿を受け取り、彼らのネームタグを探していただけだ」

 それに続き、ゼロスが話を変えるように締めくくった。

「そもそも、その程度でいちいち腹を立てるなら、セリアを仲間に誘ったりしねえよ」

「……そうか」

 セリアは許してもらったことよりも、彼らの命への淡白さに少々困惑していた。話にひと段落がついたことを確かめたカリンは、これからどうするかを話し始めた。

「もう夜も遅い。今日はここで夜を明かし、明日になったら陣地への帰還ということにしよう。明日になればエリオット達もこっちへ来るはずだ。それを出迎える形になるかもしれん」

 アイオスたちは「了解」というと、テントを二つ立てた。それぞれ男女に別れて、中で休む。女性陣がいるテントでは、セリアが話題の中心だった。

「セリア、今日ゼロスと戦っただろう。どうだった?」

「……正直に言うと。戦っている間、一度も勝てるビジョンが浮かばなかった」

「まあ、ゼロス副隊長相手は運が悪かっただけですよ」

「副隊長?あれでか?」

「ああ。彼はかなり新参者でな。いくら実力があるとはいえ、だからと言って隊長にでも抜擢すれば不和が生まれかねん。だから副隊長にとどめたんだ」

「でも、その程度でいちいち文句言う人は、ウチにはもういないんじゃないですか?」

「念には念をだ」

「……何というか、相当修羅場をくぐってきたんだな。私もまだまだだいぶ甘いな」

「いや、ゼロスがあれだけほめるんだ。相当実力はある。そこまで卑屈になるな」

「……どうしてそんなに、彼が強さの指標なんだ?」

「セリアは、『嵐』を知っているか。戦場を荒らす、一人の傭兵の話だ」

「ああ。噂では一人で一つの騎士団を殲滅したとか言われるあれだろう?だが、あれは嘘だろう。一人に負けた恥を覆い隠すため、災害の『嵐』にやられたといったのが真実だったはずだ」

「『嵐』は実在する。あのゼロスこそが『嵐』なんだ」

 その事実を告げられた途端、セリアは肩をすくめて笑った。

「……なるほど、私は相当運が悪かったようだ。『嵐』に出会うとはな」

「そう言うことだ。だから、あまり気に病むな」

「うむ。それがただの慰めでないということも、今ならよくわかる」

 その時、会話に参加していなかったエルがひときわ大きなあくびをした。

「……そろそろ寝るとしようか。明日は山を越えることになる、しっかり休んでおけ」

「わかった」

「はい」

「了解です」

 カリンの言葉に対し、三人それぞれの返事を返すと、皆寝袋へと潜っていく。皆、今日の戦いの疲労ですぐに眠りにつくことができた。


 翌日、王国陣地内。

「皆、昨日はよく眠れたか?」

「ああ。……だが、お前らは昨日、随分と話し込んでいたようだったが」

「……まあ、私の運が悪いという話だ。あまり気にしないでくれ」

「……わかった。それより、さっさと出発するか。エリオット達がいつこっちに着くかはわからん」

「そうだな。皆、用意はできたか?」

「問題ありません」

「よし、では出発!」

 こうして、カリンたちはセリア・タルボニカという新戦力を連れ、ダゴン山岳地帯を後にした。行きは敵を警戒していたため山を突っ切ったが、帰りは人の手によって整えられた道を歩くことができる。高低差のきつさは変わらないとはいえ、整備されている道というのは戦帰りの彼らにとっては非常にありがたいものだった。そのおかげであることは間違いなく、行きにかかった時間の半分足らずで陣地へと戻ることができた。泉の近くに置いて行った馬たちは律儀に主の帰りを待ち続けていた。特に馬をかわいがっていたヴェントは彼らを見つけるやいなや駆け寄り、「待っててくれてありがとうな」と首あたりをなでている。その光景を見ていたカリンはとあることに気づいた。

「そう言えば、馬が一頭足りないな」

 ここにいるのはセリアを入れて八人。だが、馬は七頭しかいない。誰かひとり余ってしまう。

「……私は歩く。もとより敗将、その程度の扱いで十分だ」

 セリアはそう言い切った。このままではセリアが何キロも歩くことになる。さすがにそれを馬に乗って眺めるのは気が引けるというものだ。

「いや、誰かと一緒に馬に乗ればいいんじゃないですか?」

 ネリアがそう提案する。もっともな意見だ。

「しかし、私は誰と一緒に乗ればいいんだ?」

「……ゼロス、乗せてやれ。お前の馬がおそらくあの中で一番頑丈だ。それに、セリアを誘ったのはお前だろう。これぐらいの責任はとれ」

「わかった。セリアもそれでいいか?」

「あ、ああ。私は構わんが……」

 セリアが誰の馬に乗るかも問題なく決まり、チューン城への帰路に着こうとしたとき、また小さな問題が起きてしまった。

「ゼロス、それじゃあお前の剣が邪魔じゃないか?」

「……確かに。どうするか」

 それは、ゼロスの剣についてであった。彼は人の背丈よりも大きな剣を持ち運ぶため、背中に背負っている。それは馬上であっても変わらない。だが、それではセリアが乗る場所を剣が埋めてしまっている。少し考えたのち、ゼロスは一度馬から降りた。

「セリア、お前が前に乗れ。俺が後ろから手綱を握る。これでいいか?」

「あ、ああ。わかった。そうしよう」

 こうして、セリアはゼロスに包まれる形で馬に乗ることとなった。周りではエルやネリアが黄色い声をあげているが、ゼロスはその理由がよくわかっていない。ただ、ここまで近い距離になってしまうことをセリアに謝るだけだった。

「すまない、セリア。こんな形になってしまって」

「い、いや。お前のせいじゃない。それに、私は助けてもらってる側だ。そんなに、気にするな」

 こうして何とか問題を解決し、改めてチューン城へと出発した。天気は良好で、適度に吹き付ける風が涼しくて気持ちがいい。皆それなりに怪我はしているが、そこまで重症というほどでもないし、治療などの処置は終えている。このままいけば今日中にはチューン城へと帰れるだろう。道中でエリオット達と出会えるはずだ。皆そう思っていたが、事は予想通りには運ばないものである。彼らがチューン城への帰路を急ぐ途中、前方からこちらへと向かってくる馬が二頭。それぞれに一人ずつ乗っている。彼らはこちらを見つけると大きく手を振って存在をアピールしている。遠くからではわからないが知り合いだろうか。気になったカリンたちは彼らのもとへと急ぐ。近づくにつれ、彼らが何者かを理解した。

「カイン、ウィル!どうしてここに?何かあったのか?」

 それはカインとウィルであった。ゼロスが直々にテストをし、合格を言い渡した有望な新入り。急いでいたせいなのか剣を腰に下げているのみで、鎧などは身に着けていない。

「伝令です!今すぐチューン城に戻ってください。王国の、紅玉騎士団がチューン城に攻め込んできました。現在団長らが応戦中ですが、戦況は芳しくありません」

「なんだと!?……皆、急ぐぞ!」

 カリンは伝令を聞き入れ、すぐにでも出発しようとする。平原の遠くにはいくつもの煙が上がっていた。それから彼らは馬を走らせ続けた。城へと近づくにつれ、空が戦火で赤く染まっていく。城までたどり着いた時には、城門前に大勢の死体が転がっていた。

「おい、援軍が来たぞ」

「……たかが十人ぐらいしかいねえ。団長への報告は後回しでもいいだろ、さっさと片付けるぞ」

 敵がこちらを見つけた。五人ほどが剣を構えこちらへと向かってくる。ゼロスは馬から飛び降り、一息で五人の首を跳ね飛ばした。

「……思っていたよりも、状況は良くないようだな。カリン、どうする?」

「二手に分かれて仲間を探すべきだ。ゼロス、指揮をとれ。アイオス、セリア、カインとウィルはゼロスと一緒に行け。あとは私と一緒に行くぞ」

 カリンたちは二手に分かれ、敵の手に落ちてしまったであろうチューン城へと足を踏み入れて行った。


 城下街は破壊の限りを尽くされていた。家は壊され火をつけられている。崩れたがれきが道をふさぎ、燃え盛る炎が視界と体力を奪っていく。その上、残兵を探してあたりを巡回している敵兵が数多くいる。ただし、ゼロスにとって彼らは障害にすらなり得ない。

「邪魔だ」

 そう言ってまた一人胴を切り離す。すると、二人が向かってくる。その二人をまた切り捨てる。しかし、次は三人こちらに向かってくる。キリがなかった。

「どうなってやがる、何人いるんだ、こいつらは!」

 ゼロスに苦戦している様子はなく、いつまでも足止めされることに腹を立てているようだ。愚痴混じりに出した問いに、セリアが答える。

「紅玉騎士団は王国内で最多の団員数を誇る騎士団。団長の意向で何よりも人海戦術を重要視した結果だ」

「なるほど、それはかなり効果的かもな。今、こうして足止めされてんのもそれのせいか」

 ゼロスはそう言いつつも、周りにいたであろう敵はすべて切り伏せていた。生存者を探しに行っていたアイオスたちが戻ってくると、セリアは改めて紅玉騎士団について話してくれた。

「団長はダリウス・シンカー。双槍を扱う炎の魔導士。当然と言えば当然だが、私よりもはるかに強い。どれほどの人が勝てるのかはさっぱりだ。クバル衛兵隊長なら勝てるだろうが、それほどの実力者などそこら中にいる訳がない。……どうしたものか」

「……とりあえず、悩むのは後だ。今、俺たちにできるのはここに攻め込んできた敵を一人でも多く始末すること、そして一人でも多くの一般人を助けること。今はそれだけ考えろ、ダリウスは後で俺が何とかする」

 セリアを励ますため、ゼロスは口から出まかせを言う。何の根拠もない、誰が聞いても嘘だとわかる言葉。だが、セリアの気を紛らわせることができれば何でもよかった。そしてその思惑通り、セリアは気を持ち直し、アイオスたちと共に生存者の捜索へと赴いた。普段は噴水が出ている広場の中心で、ゼロスは一人になった。その時、どこからともなく声が聞こえてくる。

「『ダリウスは後で俺が何とかする』、ね……。冗談とはいえ、蛮勇というものは見過ごすべきではない。それが、ウチの団長へ向けられたものだったら、なおさらな」

 声の主は大通りの裏路地から出てくると、ゆっくりとゼロスのもとへと近づいてくる。奴が持っているのは大きな槍だ。奴はそれを構えると、ゼロスへ向かって走り出した。奴はその構えから円を描くように槍を振り下ろし、ゼロスの脳天を狙う。しかしそれはゼロスの左手でいともたやすくつかみ取られた。

「ほう……。物怖じもせず我が槍をつかみ取るとは。大層度胸があるようだが……。その程度でダリウス団長に勝てるものか!」ゼロスと槍の男は宙を舞った。あまりの出来事にゼロスは一瞬意識を奪われる。その隙をつき、槍の柄でゼロスの脇腹を殴りつけ、空からはたき落とした。槍の男は足に竜巻の靴を履き、宙に浮いている。

「……なるほどな」

 奴が使っている魔法を理解した途端、ゼロスの身体は地面に叩きつけられた。槍の男は構えを解かない。

「この高さから落ちた程度では死なんだろう。あれほどの大言壮語、これほどで死なれては収まりがつかんぞ?」

 彼はそう言いながら槍に魔力を込める。先端には渦が巻き、魔力で生み出された風の刃が奴の身体を覆うように飛び回っていた。ゼロスが落ちた地面からは未だに土煙が上がっている。

「……鬱陶しいな、何をしているかもわからん。風の前ではごまかしがきかんということを教えてやろうか。……『風槍』!」

 奴は槍をその場で突き出した。槍の先端で渦巻いていた風が奴の身体の周りを渦巻いていた風の刃を伴い、吹き荒れる。それは土煙の中にいるであろうゼロスのもとへと降り注いでいた。

「……『荒嵐波』!」

 だが、ゼロスはその程度でやられるほど、やわではない。土煙の中でずっと魔力を高め、機を待っていたのだ。相手が油断して、適当な技を使うその時を。空から放たれた風と、大地から放たれた嵐。ぶつかり合った場合どちらが勝つなど、誰もがすぐに理解できよう。放たれた嵐は風を巻き込み、自らの力として、敵に向かっていく。だが、奴に焦りはない。向かってくる嵐に手をかざすといともたやすくかき消してしまった。

「この程度で地に伏すようでは、話にならん。……いいだろう、『風の主』と称えられたこの私、リカルド・ハーティの力を見せてやろう」

 リカルドと名乗ったその男は、まさに自分が風を支配するものとでも言わんばかりに、大仰に構える。対してゼロスは鬱陶しい者と出会ってしまったと言わんばかりに、大きなため息をついた。

「私は風と踊る。……貴様は、風に舞え」

 それが何かの詠唱だったのかは定かではない。だが、ゼロスの足元には確かに風が渦巻き始めていた。それは次第に強さを増していき、足を包んでいた風は脛、膝と包み込む範囲を着々と増やしていっている。ゼロスは全く気にせず、リカルドをにらみつけている。そのリカルドはというと、高らかな笑い声を出していた。

「なんだ、もう諦めたのか?『ダリウスは俺が倒す』と言っていた先ほどまでの威勢のいい男は一体どこへ行ってしまったんだろうなあ。フフフ……。フハハハハハ!」

 リカルドが笑っている間にもゼロスの身体はどんどん風に包まれていき、ついに下半身はすべて包まれてしまった。痛みは全くないのか顔色を変えることはない。そこへ騒ぎを聞きつけたアイオスたちが戻ってきてしまった。

「副隊長、こっちの方に生存者は……。副隊長!これは一体……。貴様、何者だ!」

 アイオスはゼロスの異変に気付き近寄ると、見たこともない男の存在を見つけた。

「アイオス!隠れてろ、他の奴らにも目を配れ。ここは危険だ、近寄るな」

「しかし、今の副隊長を置いていくわけには……」

「俺なら平気だ。……忘れたか?俺は『嵐』だ。この程度のそよ風、へでもない」

 一滴も汗を垂らすことなく、涼し気にゼロスは言う。リカルドはそれをハッタリだと思ったようで、顔に青筋を立てていた。

「……貴様、今何と言った?この俺の風をそよ風だと?……いいだろう。貴様は楽に死なせん。ここで、バラバラにしてくれる!」

 リカルドは持っていた槍を手放した。怒りのまま咆哮をあげる彼のもとに風が集っていく。それは次第に巨大な渦を巻き、あたり一帯のがれきや炎を巻き込んで大きな竜巻と化していた。

「フフフハハハハハ!これが、『風の主』たる俺の力だ!名も知らぬ愚かな男よ!己の蛮勇を悔やみながら竜巻に飲まれ、風の刃に四肢を切り刻まれると良い!……『厄災の竜巻』!」

 竜巻は形を成した。あらゆるものを取り込み、がらくた以下の細切れにして周囲にばらまいている。だが、ゼロスは動かなかった。アイオスたちはすでに遠くのがれきに身を隠し、戦いの行方を見守っている。竜巻がゼロスの目の前へと迫った。体がふわりと宙に浮く。足を取られ、ゼロスが眉を動かした途端、彼は竜巻に飲まれていった。アイオスたちがゼロスの名を叫ぶが、それすら竜巻は飲み込んでいく。リカルドはあっけなく飲み込まれたゼロスを思って笑っていた。

「フハハハハハ!この程度か!所詮は雑兵、多少俺の風をこらえたのもやせ我慢といったところか。気分はどうだ!?この風、やせ我慢をできるほどそよ風ではないだろう!」

 リカルドは慢心していた。聞こえるはずもない竜巻の中にいるゼロスに対し、勝ち誇ったように問いかける。当然答えは返ってこないが、彼はそれすら勝利に酔うための美酒とした。

「返事が返ってこないなあ。……いや、返ってくるはずもない!フハハハ!……次は貴様らだ、がれきの裏に隠れている雑兵ども。お前らもこいつのように……」

 リカルドが次の目標をアイオスたちに定めた時、竜巻から何かが飛び出した。それは、リカルドの身体を真正面から貫いた。痛みと疑問にとらわれるリカルドの目に映っていたのは、あまりにも冷たい目をしたゼロスだった。リカルドは貫かれた勢いそのままに地面に叩きつけられる。ゼロスが剣を抜くと傷口から大量の血があふれ出た。竜巻はすでに止んでいた。

「ば、馬鹿な……。俺の竜巻に飲み込まれて、どうして生きている……?」

「……お前の竜巻は周囲のがれきすら巻き込んだ。俺はそれを足場にして、竜巻の中で風の刃を躱し続けた。……お前が油断するその時まで。……『蛮勇は咎、その代償は身をもって知ることになる』……。この世界の常識だ」

「こ、この……。まだ、俺は負けていない!」

 リカルドは右手を掲げると先ほど手放した槍がその手に収まるように飛んでくる。しかし、それは奴の手に収まることはない。槍が飛んでくる最中、ゼロスがそれを掴み取ったのだ。ゼロスは右手に持っていた剣を背にしまうと、槍を手慣れた手つきで振り回す。まさに舞とすら言えるほど流麗な槍さばきであった。舞のしめに、ゼロスはリカルドの首へ槍を突きつける。そして二つの選択肢を提示した。

「選べ。自分の槍に貫かれて死ぬか、ダリウスがどこにいるか吐いて生き残るか」

 リカルドは不敵に笑い、選んだ。

「いや、三つ目だ。……貴様の手は借りん!」

 リカルドがそう吠えた瞬間、自らが作り上げた風の刃がリカルド自身の首をはねた。ゼロスは一度大きくため息をつくと、持っていた槍をリカルドの近くの地面に突き立てた。がれきの中のそれは、墓標のように見えた。


「おーい、みんな無事か?」

 カリンの声だ。声の方を振り向くと、二手に分かれた時のカリンたち五人に加えて、何人か団員を引き連れている。その中にはノクスの姿もあった。

「ああ、こっちは無事だ。けが人はいねえ。ただ生存者も今の所発見できていないが」

 カリンとノクスは噴水広場の惨状を呆気にとられた顔で眺めている。ここで戦いがあったことは隠しようがない。

「ゼロス、ここで誰と戦った?」

「リカルドと名乗っていた男だ。おそらく紅玉騎士団の一員で、それなりに階級は上の方なんだろうが、具体的には何もわからん」

「……私は知っている」

 おそるおそる、セリアが名乗りを上げた。ノクス含むカリンがチューン城下で助けて来た者達は当然彼女を知らず、困惑の表情を浮かべている。リカルドについて話そうとするセリアを前に、ついにノクスが切り出した。

「ちょっと待ってくれないか。君、知らない顔だね。どこの誰だい?」

「……私は……」

 ノクスの問いにセリアは言葉を詰まらせる。見かねたカリンはすかさず助け舟を出した。

「セリア・タルボニカ。新たな団員だ、仲良くしてやってくれ」

「……そうなのか?」

 ノクスは疑いを隠さない。ゼロスもセリアをかばう。

「俺が誘った。実力は信用できるだろう。……性格も、問題児じゃないからそこまで警戒するな」

「……わかったよ。セリアさん、でいいのかな?」

「……好きに呼んでくれて構わない。それより、リカルドについてだ」

 セリアについてはひと段落着いた。彼女は本題であるリカルドの情報を話し始める。

「リカルド・ハーティ。別名『風の主』。読んで字のごとく風魔法の使い手だ。紅玉騎士団の中では三番隊隊長の役職を務めており、強さは騎士団内で五本指に入るほどだ」

「なるほどね。……で、そいつはどうした?」

 ゼロスは言葉で答えず、親指で自らの背中方向を指さした。そこには地面に突き立てられた槍がある。カリンとノクスはそれで察したらしい。ノクスが話を続ける。

「こっちでも一般兵をいくらか始末して情報を聞き出そうとしたんだが、思ったよりも忠誠心がすごくてな。情報の聞き出しはほぼ不可能と思っていいだろう」

「……当然だ。紅玉騎士団は奴隷層の出身がほとんどだからな。全員団長のダリウスに拾ってもらって騎士団に入っている。皆、ダリウスを信頼しているんだろう」

 あまりに王国の内情に詳しいセリアを前に、ノクスはどこか怪しんでいるようだったが、カリンの号令がかかり、それどころではなくなった。

「……なら、やはり城内を目指すしかないか。街はほとんど捜索し終わった。エリオット達がいるとすれば城内だ、まだ生き残って戦い続けているかもしれない。今すぐにでも向かうぞ!」

「おお!」

 団員達の指揮は十分だ。噴水広場に集まった計十五名の騎士団員たちは、仲間を救うため未だ炎が燃え盛るチューン城へと向かった。

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