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黒嵐戦記  作者:


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アダマンテ大陸統一戦争編 終章

前回のあらすじ

王都防衛壁城アトランティスを攻略し、終戦まであとわずかとなった。しかし、王国側の抵抗は弱まるどころか、謎の塔の出現などという奇妙な抵抗を見せていく。

大陸中の傭兵と王国民すら戦場に動員し、まさに「総力戦」を仕掛けてくる王国。ゼロスたちは何とかこれを突破し、王城の守りを固める謎の塔へと足を踏み入れた。


誤字脱字等 ご容赦ください。

「……私はお前の父親だ」

 

 セリアは拳を握りしめる。目の前に立つ男、腰の曲がった老人だと思っていた男はピンと背筋を伸ばし、セリアを見つめている。あれは芝居だったのだろう。

 

「つまらない嘘はやめろ」

 

「何をもって嘘だと?俺はお前のことを覚えているぞ。お前の誕生日、扱う魔法、父である俺を追い越し家督に付いた忌々しい記念日。そのすべてを覚えている!」

 

 怒りの赴くまま、握りしめていた杖を地面に突き立てる。年齢のせいか、少し声を荒らげただけで息を切らしていた。そんな彼を目の当たりにして、セリアは昔を思い出していた。


 魔法の才がなく、曽祖父に見限られた父。曽祖父を見返すことだけを理由に魔法の研究を始めた父。そこまでは風の噂で聞いていた。しかしまさか、自分の代わりに王国の将となって自分の目の前に立ちはだかるとは微塵も予想していなかった。彼女に言わせれば「つまらない嘘」に変わりない。アベルは地面に突き立てていた杖をセリアに向ける。

 

「陛下は寛大かつ、賢明なお方だ。何故私が『影の一族』の研究を始めたのか、覚えておいでだ。……あの方は私に復讐の機会をくださった。……セリア、魔導の才に恵まれた忌々しい我が娘よ。貴様がいなければ、祖父は私を家督に選ばざるを得なかった。……貴様さえいなければ」

 

 アベルは一瞬にして姿を消す。セリアは地中に眠る根に呼びかけ、アベルの居場所を探るが、根だけでなく周囲の木や葉でさえ、彼の居場所を示さない。姿を消したのではなく、存在ごとこの場から消え失せたということになる。……果たしてそんなことが可能なのだろうか、セリアは立ち上がりながら周囲を見回す。その時。

 

「隙あり!」

 

「はっ!」

 

 セリアの背後からアベルが姿を現し、杖をセリアに突き立てる。手製の杖は鋭くなっており、人の肌程度なら簡単に引き裂ける。……セリアはとっさに身をよじって躱すが、間に合わない。右肩部を貫かれ、血が噴き出る。アベルはセリアの背中を蹴りながら杖を引き抜くと、血を流しながら地面に倒れる彼女を見下ろす。

 

「あ、ああ、ああああ!」

 

「セリア!貴様だけは、生かしておけん。今ここで死ね!」

 

「……舐めるなぁ!」

 

 セリアは蔓を鞭のようにしならせてアベルを叩く。容赦なく放たれた鞭撃は彼の手に握られていた杖を力強く叩き落とした。蔓はそのままアベルの身体に巻き付き、彼を宙で大の字に釣り上げた。

 

「……私が登った塔は何だ?何のために作られた?」

 

 アベルは答えずにまたもや姿を消す。彼を縛り上げていた蔓は力なく垂れ下がった。姿を消し、敵の意表を突く卑怯な魔法。セリアは自らの父が扱う魔法をそう捉えていた。しかし。……空にひびが入る。まるでステンドグラスが叩き割られるように空に穴が開く。穴の向こうでは黒い何かが渦巻いている。そして、赤く光った。その途端。

 

「……『次元技・異界の焔』!」

 

 アベルが穴のすぐ近くに姿を現し、セリアに向けて手をかざす。それを合図に空に空いた穴からは黒い炎が噴き出した。地面を焦がしながらセリアへと向かっていく炎。彼女はまたもや木の根で壁を作り上げたが、アベルはそれをあざ笑う。

 

「ハッ!愚かだな、我が娘よ!木の根ごとき、この炎が焼き払うぞ!」

 

 炎は地面に生えている自然を燃やし尽くしながら突き進む。彼女が作った壁の目前まで迫り、ついにぶつかった。瞬く間に火が燃え広がり、大きな焚火へと変わる。アベルはあまりのあっけなさに高笑いをしていた。

 

「ハハハハハ!所詮はこの程度かセリア!……植物を操る魔法など時代遅れにすぎん!この私こそが、タルボニカ家の家督を継ぐにふさわしい男だ!」

 

 高笑いをしているアベルのもとに、何かが忍び寄る。彼の足元からセリアの魔力を受けた木の根が飛び出した。彼は知っていたとばかりに飛びのいて躱す。だが、それすらセリアは見通していた。

 

「……『棘雨』!」

 

 周囲に生えている木から一斉に棘が降り出し、アベルを襲う。彼は頭上に手をかざして、ひび割れた空と同じような穴を作ると、自らの頭上に降り注ぐ棘を飲み込ませた。

 

「知っていたぞ。貴様は卑怯だ。生まれ持った才能だけでこの俺を絶望に追いやった、卑怯者だ。奇襲など貴様の最も得意とする行為だろうな。だが、俺にはそんなもの」

 

「その年になって、まだ己が身に降りかかった事象を他人のせいにしているのか。……やはり、あなたは私の父だ。すべてを棚に上げて、逃げて、嗤う。幼い私の記憶に確かに残っている、恥ずべき情けない父の姿と全く同じだ」

 

 黒い煙の中から姿を現したセリアは、顔を脂汗でびっしょりと濡らしていながらもアベルを侮辱する。あまりにもわかりやすい見え透いた挑発だが、アベルには十分だった。一度目を見開き、自らに向けて放たれた言葉を頭の中で咀嚼する。ゆっくり時間をかけ、ようやく言葉の意味を理解し、全身に熱がほとばしる。眼が血走り、顔の筋肉が怒りでひきつっている。しかしそれでも、彼は余裕を装う。

 

「……それでこそ、我が娘だ。恥も外聞もなく、目の前にいる相手を侮辱する。……お前はこの世に生まれ落ちた時から、そうして俺を苛んだのだ。今は烈風騎士団なんぞにその身を落ち着けているようだが、いずれ貴様は孤独になる。生まれ持った邪悪が、貴様を孤独にする。……この俺の子である限り。つまり、永遠にな!」

 

 空が割れ、黒い渦が姿を現す。その渦は次第に穴から這い出るようにこちら側の世界に姿を見せていた。まるで巨大な蛇のように黒い渦はうねる。

 

「さあ、黒渦に呑まれるがいい。お前の死が、この私を慰める。……生まれて初めての親孝行だ、父さんに殺されなさい」

 

「……私に、父親なんかいない!」

 

 地面から肥大化した木の根が飛び出る。それはまっすぐにアベルに向かっていくが、這い出た黒渦が行く手を阻む。渦とぶつかった木の根は音もたてずに消えていく。それならばと、アベルの足元から棘を一息に突き立て、串刺しにしようとする。同時に蔓も操り、アベルの動きを押さえつけようとしている。しかし、彼はまた姿を消した。セリア以外いないはずの森の中にアベルの声が響く。

 

「いい加減学習しなさい、セリア。私の魔法は『次元魔法』。異なる次元を繋げ、常人には及ばぬ行為を可能にする。草木を操る程度の魔法しか扱えぬお前では、決して触れられぬ領域だ」

 

 黒渦は次第にセリアに迫っている。逃げ場は十分にあるが、永遠に追いかけてくるものと追いかけっこなど正気ではない。どうにかしてこの追いかけっこを終わらせなければならない。セリアは身体から力が抜けていくように地面に膝と両手をついた。……アベルはそれを土下座だと判断した。その結果、彼は愚かにもセリアの前に姿を見せてしまった。その手には異次元のどこかから拾ってきたらしい剣が握られている。

 

「……死を前に神妙にする。その意気やよし!お前の罪、死して償え!」

 

 油断の末か、黒渦はすでに収まっていた。アベルはセリアの頭目掛けて剣を思いきり振りかぶる。その瞬間、セリアが顔をあげた。アベルの足元から鋭く尖った木の根が飛び出す。完全にアベルの不意を突いた一撃。しかし、彼はそれをあざ笑う。

 

「馬鹿は死ななければ治らない!来世に期待しろ、セリア!」

 

 アベルは瞬間移動を行い、セリアの背後に回る。剣はすでに振りかぶっている。あとは振り下ろすだけ。……しかし、剣は振られなかった。アベルの腹を、木の根が背後から貫いている。アベルはせき込みながら血を吐き、握りしめていた剣を手放した。

 

「ば、馬鹿な……。この私の魔法が……『痣』を使って手に入れた魔法が……」

 

 アベルの腹を貫いた木の根はいくつにも割けて分かれ、彼の身体に巻き付いていく。セリアはゆっくりと立ち上がると、彼に向き直った。

 

「……あなたは、本当に愚かだ。一度通用した手段を何度も繰り返す。……『騎士に同じ技は二度も通じない』。冥途の土産に覚えておけ」

 

 セリアはけがをした右腕をかばうように歩き、父が落とした剣を拾い上げる。アベルは自分の運命を受け入れたのか、全く動かない。セリアは父の方へ向き直り、剣を振り上げた。

 

「……終わりだ!」

 

 セリアは一気に剣を振り下ろす。しかし、彼女が斬ったのは木の根だけだった。アベルは瞬間移動で逃げ出し、少し離れたところの地面に這いつくばっている。

 

「終わりだと?ふざけるな……。私は、まだ、終わってなどいない……。お前さえ死ねば、俺は……!」

 

 アベルの感情の高ぶりに呼応するように、彼が発する魔力もまた勢いを増していく。死の間際、人は並外れた力を手にすることがある。遥か遠い地では「火事場の馬鹿力」と評されているものだ。……腹を貫かれているはずの人間が発する魔力とは到底思えない。セリアの碌に手当てしていない右肩は常に鈍い痛みにさらされている。剣を握りしめるのが精いっぱいだった。……アベルは姿を消したかと思えば、すぐに上空に姿を現す。

 

「これこそが!この私が手に入れた次元魔法の真髄!天をも支配し得る力だ!」

 

 またもや空がひび割れる。しかし、その先に広がっているのは黒い渦ではない。真っ暗な闇と、ほのかに輝く星々。……宇宙だ。アベルは次元魔法を用いて、遥か遠くにあるはずの宇宙を目と鼻の先に呼び出したのだ。星がきらめいたかと思えば、その光は次第に強くなってくる。光が空の穴から出てくる瞬間、セリアは理解した。

 

「……隕石!」

 

「ハハハハハ!終わるのはお前だ!この私こそが勝者だ!ハハハハハ!」

 

 穴のそばで大きな笑い声をあげるアベル。しかし、彼の指先が光の粒となって消えていく。それに気づくこともなく、彼はさらに魔力を発露させる。巨大な光の先に、もう一つ、光が見える。二つ目の隕石を呼んだのだ。四肢は消え失せている。ここで彼はようやくそのことに気づいた。

 

「……こ、これは!『生命返還』……!」

 

 魔導士はそれぞれ、体内に魔力の器を有している。その器の大きさにより、その者がどれほどハイレベルな魔法が扱えるか決まっているのだが、その限界は超えることができる。それが「生命返還」である。読んで字のごとく、自らの命を魔力に変換することで、許容量を超えた魔力を発露することができる。大抵は寿命を消費することで使用されるが、寿命が残り少ない場合、身体そのものを魔力に変換していく。……その危険性から国際法で「生命返還」はあらゆる状況下での使用を禁止されている。……腹を貫かれ、大量の血を流したアベル。彼の体内にある魔臓器が「この体の寿命は残り僅かである」と判断したのだ。彼は消えてゆく自らの身体に悲鳴を上げる。

 

「ふ、ふざけるな!私はそんなことを頼んだ覚えなどない!私は……私は……。い、嫌だ、死にたくない!死にたくな……」

 

 空に開けられた穴がふさがっていく。穴の管理者であるアベルが消滅したため、穴の維持に必要な魔力が供給されなくなったからだ。セリアは何が起きたかわからないまま空を見上げていた。しかし、ふさがっていく穴に消えていく光の粒が、アベルの身に何が起きたかを雄弁に物語る。彼女は握っていた剣を地面に突き立てた。……彼の矮小な自尊心のせいだろうか、その刀身には「アベル」と刻まれていた。


 


 魔都コーネッテス、薄氷の塔。

 

「……やはり、あなたのようですわね。私の前に立ちはだかるのは」

 

 彼女が今立っているのは、アダマンテ大陸北東部、バステア山にほど近い街、アルカニであった。一年を通して太陽の光がさすのは計一週間のみというかなり厳しい環境にある街だ。しかし、近海で行われている漁や外国との交易が盛んであるため、そこで暮らす者は多く、雨が降っていようが活気に満ちていた。


 エリシアの前に立つ男は、全身を黒い鎧に包み、顔も兜で隠している。声でかろうじて男だと判断できるだけだ。音がこもっているせいか、判断材料の声すらもはっきりしていないのだが。

 

「我ら同郷の戦士。因縁はこの地より始まったといっても過言ではなかろう」

 

 彼は血に濡れた剣を隠そうともしない。……あえて見せつけているのではないか、そう思えてしまうほどだ。その血は一体誰の物なのか、エリシアには察しがついていた。……活気に満ちているはずの街に人気を全く感じない。完璧に再現されたハリボテの街である可能性もあるが、そちらの方が信じ難いものだ。

 

「……因縁……。あなたはどこの誰かしら。リーデンなどという名前にも聞き覚えはありませんし、声も知りません。判断材料になりそうな顔もそうやって隠されていては、思い出すこともままなりませんわ」

 

「その偉そうな態度。さすがスノーベル家のご令嬢、生まれつきで人を見下している。……いいだろう、見せてやる。だが、そうしたところで、貴様は思い出すまい」

 

 リーデンは兜を脱ぐ。現れたのはぼさぼさの白髪と、深くしわが刻まれた顔。眼に宿る光はまだ生気を失ってはいないが、ほぼ死人と変わらぬような相貌であった。エリシアは驚く素振りもなくその顔を見据える。

 

「……知りませんわ。あなたは、一体誰なのです?」

 

「来い。貴様に思い出させてやる」

 

 リーデンはエリシアに背を見せ、アルカニの街を歩きだす。雨に濡れた石畳は水が飛び跳ねるような音を立てる。エリシアは彼に黙ってついていくが、そのうち、彼の目的地がどこかを察した。


 しばらくして、彼はある廃屋の前で立ち止まる。風化によって崩れたのではなく、何者かの手によって破壊された家。そこは、エリシアの古巣であった。場所、家の大きさ、がれきの中に紛れる家具がそう確信させる。しかし、まだわからない。彼は一体誰なのだろうか。その疑問がエリシアの頭を支配する。

 

「……今より昔、スノーベル家の前にある乞食が現れた。その乞食は先の戦でひどい手傷を負い、鍬すら握れなくなった男だった。……当時のスノーベル家の当主、貴様の父親はその乞食に施しを与えた。服を与え、飯を与え、住処を与えた。……男は大層感謝し、恩返しのために死に物狂いで働いた。だが、奴はまた乞食に戻った。働けぬ男の居場所などどこにもない。明日食う飯にも困った男は、また頼った。貴様の父親は、また答えた。それを何度か繰り返した。……それからほどなく、貴様の父親は死んだ。覚えているだろう、あの日に起こった出来事を」

 

 エリシアはリーデンにそう言われ、自らの父親が死んだあの日を思い出す。エリシアの父は病気を患っていたわけではなかった。だが、病人と変わらぬほど、身体がか弱かった。だからこそ、彼女の父親は。

 

――――――

 

「エリシア様。こちらに。フリード様の旅立ちに、新たな当主としてのご立派なお姿を」

 

「はい、もちろんです」

 

 エリシア・スノーベル、当時25歳。母はエリシアが王国騎士団に入団した翌年に病死している。残った家族は父だけだったのだが、ついに父をも失ってしまった。行われる葬式にはすでに多くの弔問客が家の前に列をなしている。執事に案内され葬式場へと向かうエリシア。そんな彼女のもとに、ある男が詰め寄った。

 

「なあ、フリード様が亡くなったっていうのは本当なのか?あんたここの家の人間だろ?頼む、教えてくれ。あの人は俺の……」

 

 何やら尋常ではない様子。エリシアは足を止め、その男の言葉を待った。しかし。

 

「何者だ貴様は!お前のような小汚い男、フリード様がご存知だったわけがないだろう!大方、葬式に忍び込んで、高値で売れそうなものを盗みに来ただけだろう?……その服装が何よりの証拠。そもそも葬式に参列したいのならば、それなりに身なりを整えるのが道理だ。それすら出来ぬ男を葬式に入れる訳にはいかん!」

 

 スノーベル家が雇っていた召使が男の肩を突き飛ばす。エリシアは召使の行いを咎め、石畳の上に倒れた男に手を差し伸べた。しかし、エリシアの先を歩いていた執事がそれに気づき、彼女の腕を引く。

 

「あのようなものに関わってはいけません!さ、お早く。フリード様のために集まっていただいた皆様がお待ちです」

 

 そうして、執事はエリシアの言葉を聞くことなく、葬式場へと入っていった。男がその後どうなったか、召使たちに尋ねても「あなたが気にすることではない」と返される。その上、紅蓮騎士団の副団長に抜擢されたため、彼女はアルカニを離れて王都で暮らすことになった。訓練と家督の仕事に明け暮れているうちに、その男のことなどすっかり忘れていた。

 

――――――

 

「……あなたは……」

 

 エリシアは震える口を手で隠す。血に濡れた剣を握りしめていた男は、一度剣を振るって血を落とすと、エリシアに向き直る。

 

「思い出したな、俺のことを。……俺はあの日、貴様らに見捨てられた、哀れな男だ。あの日からずっと、毎日、俺はフリードに会いに行った。死んでいるとはわかっていた。だが、せめて礼だけでも。……貴様らはそれすら許さなかった!雨に降られ、雪に凍えさせられ……。俺はついに道に倒れた。誰一人として俺を助けない。……そんな時、ある男が俺を見つけた。奴は俺を研究室に連れて行き、俺に実験を施した。それが『痣』だ。俺は奴の手足となることを約し、貴様に復讐を誓った。……エリシア・スノーベル。貴様は……」

 

 リーデンは剣を突きつける。しかし、エリシアは動揺するわけでもなく、リーデンを見つめていた。その眼に、リーデンが見覚えがあった。あの時、突き飛ばされたリーデンを起こそうと手を差し伸べてくれたエリシアの眼。哀れなものに向ける、慈悲がこもった眼。それと全く同じだったのだ。

 

「……謝ることも無意味ですわね、こうなってしまえば。私を殺すこと、それでしかあなたは救われない」

 

「よくわかっているではないか。ならば……」

 

 彼は腕を引き、剣を地面と水平になるように構える。エリシアは右手を掲げると、指を鳴らした。降り続いていた雨は一瞬で雪の結晶へと変わる。

 

「ですが、だからと言ってやすやすと敵の手にかかるつもりはありません。……もともと敵だった私を、こころよく迎えてくれた仲間がいるのです。その方たちのためにも、私は生きて戻らねばならない。……それこそが、スノーベル家の当主としての覚悟ですわ」

 

「下らん戯言を……。では!その覚悟とやら、俺に見せてみるがいい!」

 

 雪がちらつく街が黒く染まっていく。いたるところに存在していた影が意思を持っているように動き出し、エリシアが立っている石畳、周りにある民家、さらに空をも影で覆ってしまった。真っ暗な闇から白い雪が舞う。リーデンはその雪が気に入らなかったのか舌打ちをしていたが、すぐにエリシアに向き直った。剣を構え、走り出す。エリシアはそれを迎え撃つため、氷で剣を作り上げた。両者の刃が交差する。鍔迫り合いはエリシアの優勢に見えた。しかし。

 

「……くっ!」

 

 足元の影から何かが飛び出した。エリシアはそれに反応できず、左脇腹を斬られてしまう。傷は浅く血はほとんど出ていないが、次は身体を貫かれるやもしれない。……彼女の不安を現実のものにするためか、彼女の足元に波が立ち始める。揺らめいていた影は間欠泉のようにエリシアに向かって吹き出した。まるで水しぶきのように思えたそれはすべて鋭く尖った影の刃であり、とっさに身を守ったものの、腕や足、腹などに無数の細かい傷がついていく。いずれも致命傷にはなり得ないが、このままこの技を受け続けていれば、身体中をズタズタに引き裂かれてしまうことだろう。その上、足元がリーデンの支配下にあるせいか、もがこうとしても満足に動けない。まるで沼に足を取られたようだ。足に力を入れて精いっぱい踏み込んでいるはずだが、足にその感覚は伝わらない。どこまでも沈んでいく。

 

「これは……。少々不味いですわね……」

 

「このまま影の奥底に閉じ込めてくれよう。未来永劫を闇に生き、俺がこの身に受けた絶望の一端を味わうがいい」

 

 リーデンはさらに攻勢を強め、沈んでいくエリシアに対し、自らの剣で斬りかかる。太刀筋自体は幾年も前の古臭い剣術で、凌ぐことなど造作もない。しかし、今エリシアの周りはすべて敵なのだ。リーデンか、彼が呼び出した影か。どちらかの攻撃を防げば、もう片方からの攻撃を受ける。急所だけは必死に守り抜いているが、鎧はほとんど壊されていた。リーデンは露わになったエリシアの肌を目掛け、剣を突き出す。しかし。

 

「……お遊びはそろそろ仕舞と致しましょうか。いい加減付き合いきれません」

 

 エリシアがとっさに作り出した氷塊がリーデンの剣を受け止めている。……彼女は、わざと鎧を壊させたのだ。肌が見えるということは、そこにもう鎧などの身を守るものはないということだ。ならば、敵は絶対にそこを狙う。エリシアはそれを待っていた。「肉を切らせて骨を断つ」とはまさにこのことだろう。リーデンの剣を受け止めた氷塊は次第に大きくなり、あふれ出した冷気は彼の身体へとまとわりついていく。

 

「小賢しい真似を……。だが、甘い!」

 

 リーデンは氷塊から力任せに剣を引き抜き、その勢いを殺さぬように一度その場で円を描きながら、エリシアに剣を振り下ろした。しかし、それもまた先ほどの氷塊に叩きつけるだけになってしまう。

 

「ええい、忌々しい!……これならどうだ!」

 

 またもや影が吹き出す……かと思われたが、そうはならなかった。影は波立つことすらなく、静寂を保っている。

 

「こ、これは……。何が起こっている……。エリシア、貴様何をした!?」

 

 エリシアは何も言わず、影を使って踵を鳴らす。しかし、音はならない。雪を踏んだ時のような、くぐもった音しか聞こえなかった。……リーデンはようやく気付く。自分の靴が濡れている。いつの間にか、雪が積もっていたのだ。

 

「……足元の影さえなくなれば、あなたは大したことありませんわ。古臭い剣術を扱う、年寄りにすぎません!」

 

 剣を受け止めていた氷塊を目の前で砕き、破片を叩きつける。リーデンがそれにひるむと、すぐに氷で剣を作り上げ、仕返しとばかりに斬りかかった。二人の頭上には雪が舞っている。鍔迫り合いの中、さんざん影の魔法に苦しめられたエリシアはここぞとばかりに種を明かす。

 

「最初から、疑問でしたの。……『周囲すべてが影で覆われているのに、なぜ足元ばかりから攻撃が来るのか』。この雪のせい、ですわね。……雪自体は見えなくとも、そこに確かに存在している。あなたが操れるのは影のみ。……不規則に降り続ける雪を避けて影だけを操ることが、あなたにはできなかった。だからあなたは、ただの雪にあれだけ怒りを見せた」

 

 苦しそうなうめき声をあげるリーデンは、顔中に脂汗をにじませるのみでエリシアの言葉にはこたえない。エリシアが力まかせに押しのけると、足を滑らせて地面に転がった。雪に塗れているリーデンは何とか立ち上がろうと腕に力を込めようとするが、できない。地面に転がる剣すら、拾うことができなかった。肩で息をつき、右腕は震えている。二人を覆っていた影のドームにひびが入り、次第に光が取り戻されていく。リーデンは空を見上げた。そこにはアルカニでは一年にわずかしか見られない太陽があった。

 

「……殺せ」

 

「負けを認めたのでしょう?それならば、私にあなたを殺す理由はありませんわ」

 

「……ここから、王都までどれほどかかると思っている。アベル殿の次元魔法は格別だ。どちらかが死ねば、塔の最上階に戻れるようになっている」

 

「ですが、そのためだけに……」

 

「俺は、お前の父を、お前の家を、そしてお前自身を冒涜した。……戦士ならば、自らの手で汚名を雪ぐべきだとは思わんか?」

 

「帝国に降った者の家名に付いた泥など、落とすべきではありません。……ですが、死者への冒涜は許されるべきものではありません」

 

 エリシアは氷の剣を握りしめ、リーデンに向かって歩き出す。青く透き通った剣が、男の身体を裂いた。……影に生きた男は、ようやく眠る場所を見つけられた。


 


 魔都コーネッテス、鋼鉄の塔。

 

「はあっ!」

 

 黒い竜の拳が叩き込まれる。オルコスは鋼化をもって何とか受けきるが、骨がきしむ。力の差は圧倒的だ。

 

「無駄な抵抗はよせ、オルコス。いくら貴様に恨みがあるとはいえ、『弱い者いじめ』は気が引ける。地に伏せ、首を垂れるがいい。一瞬で終わらせてやろうではないか」

 

 イダンで戦った時よりも、フォーラの竜化は進行していた。以前は顔周りに鱗が生えておらず、人肌がもろに出ていた。そのため、それに気づいたオルコスの手により顎下を突き刺されていたのだが、今は違う。人の原型すらとどめないほどに変化が進み、顔はトカゲのような形になり、とげとげしさが増している。以前弱点となっていた『痣』もしっかりと鱗に覆われており、隙がない。フォーラは苛立ちを表すかのように、自分の尾を地面に叩きつける。

 

「早くしろ!お前を片付けた後、王都中に蔓延る貴様らの同胞を焼き尽くさねばならんのだ。……俺は暇ではないのだよ」

 

「……なら、なおさら頭を下げる訳にはいかねえな。来いよフォーラ。あの時みてえに、地面にその身体叩きつけてやるよ」

 

 彼らが今いるのは、魔都の北端、迅雷騎士団と豪波騎士団の手が届いていないところである。そのため、誰にも邪魔されることはないだろう。……理由はそれだけではないが。「あの時」という言葉にフォーラは瞼をひくつかせる。高ぶる感情を抑えるための歯ぎしりでは、歯の隙間から火種のようなものがちらついていた。

 

「貴様はそうやって、明日を望んだ者から明日を奪っていったのだ!」

 

 フォーラが怒りに任せて地面を蹴り、拳を突き出す。オルコスは超鋼化をもって何とか受け止めた。

 

「……お前は、戦う覚悟もなければ罪もない人間から、命を奪った!お前に、被害者ぶる資格はない!」

 

 鋼の身体にひびが入っているが、オルコスは引き下がらない。受け止めた拳を掴みとり、振り回して民家に叩きつけた。フォーラにほとんどダメージはないようだが、オルコスの言葉が癪に障ったのか、「竜闘気」で民家ごとオルコスを弾き飛ばした。先ほどの自分のように壁に埋まるオルコスを前に、フォーラは質問を投げかける。

 

「オルコスよ。社会の本質は何だと思う?」

 

「それは、お前を倒すことに関係があることなのか?そうでないなら、どうでもいい」

 

 瓦礫から這い出たオルコスはわざと彼の癇に障るような物言いをする。フォーラは怒りを抑えようともせずにオルコスにとびかかり、頭を掴んで地面に叩きつけた。

 

「搾取こそが、社会の本質だ。強き者が弱き者が奪う。それで世界は成り立っている。……俺の行いも、同じだとは思わんか?あいつらは残念だが、俺より弱かった。だからこそ俺に殺され、奪われた」

 

「……な、なら……。俺が、お前から明日を奪ったのも……。俺が強かったからか……?」

 

「忌々しくて仕方ないが、その通りだ。……だからこそ、俺はお前を殺す。かつて奪われたものが、復讐を遂げる。別にありふれたことだろう?」

 

 フォーラは地面に押さえつける力を強くする。オルコスは頭も鋼化しているが、竜化したフォーラの力の前ではいともたやすく砕かれてしまう。……鉄がひずむような音が響く。竜が嗤った。しかし。

 

「……『鉄葬』!」

 

 地面から無数の鉄槍が飛び出る。槍は完璧にフォーラの身体をとらえ、宙に浮かべた。ようやく頭が解放されたオルコスはすぐに起き上がり、その場を離れる。鉄槍に貫かれた竜の姿はなく、はるか上空で羽ばたいていた。

 

「一発芸としてはまあまあと言ったところか。だが、この程度の威力では、この俺の竜鱗を砕くことなどできん。……できなければ、貴様の負けだがな。フハハハハ!」

 

 悠々と空を舞う黒い竜人を見上げ、オルコスは頭を悩ませる。空にいる者をどうやって引きずりおろすか、どうやってあの鱗を砕くのか。……オルコスが動かないのをいいことに、フォーラが口から炎をあふれさせる。

 

「まずはこれからだ。『竜炎』!」

 

 黒い炎が街を焼く。圧倒的な高温の炎はオルコスの鋼と化した身体であっても、焼き尽くせてしまうほどだ。彼は魔力を振り絞り、鋼化を保ち続ける。鋼化が途切れれば、一瞬で灰になってしまうだろう。満足したのか、「竜炎」が止まった。フォーラは上空から一気に落下し、右手を握りしめる。重力や体重を乗せた一撃。ただの一撃でさえひびが入るほどであるなら、この一撃は一体どれほどの威力になっているのだろうか。唯一わかるのは、「決して受けてはいけない」ということだけだ。

 

「フハハハハハ!これで仕舞よ!」

 

 意気揚々と打ち込まれた拳を、オルコスはぎりぎりでかわす。そして、両手と背中から生やした鋼の腕をすべて刃に変化させた。

 

「うおおお!『鋼刃連舞・黒鉄』!」

 

 必死で打ち込まれる攻撃に、フォーラは笑みを返した。胸を開き、全身でオルコスの攻撃を受け止める。黒い鱗がパラパラと飛び散るが、一切ダメージになっていない。雄たけびを上げていたオルコスの気迫が徐々に弱まっていく。一心不乱に叩きつけられていた刃がすべて刃こぼれを起こし、もはや拳で殴りかかっているのと変わらない状態になっていた。そしてその拳すら、竜鱗によってボロボロになっていたのである。棘のある鱗が腕や手に刺さり、苦痛は尋常ではないはずだが、オルコスは手を止めない。……しかし、フォーラがその拳を手のひらで受け止めた。

 

「やめろ。これ以上は無駄だ。確かに、俺の鱗を少しずつではあるが、破壊できているようだな。……同じところを集中的に狙い、突破の確率をあげる。それもいいだろう、効率的ではある。だがな。……お前には無理だ。どうだ?3分かけて、俺の鱗はどれだけはがせた?」

 

 彼の胸部分に少しだけ傷がついていることが分かる。3分間、一度も手を休めず放ち続けた技は、鱗の表面だけを削り取るのみだった。

 

「諦めないのはいいことだが、俺の肌に届くまで、あと何年かかるだろうか。……お前は俺に勝てん。潔く諦めろ、成仏できんぞ?」

 

 フォーラは受け止めていたオルコスの手を放す。彼の手はだらりと垂れ下がった。

 

「……今ここで葬ってやる。火葬も済ませてやろう。『竜炎』!」

 

 オルコスの目の前で黒い炎が放たれる。すべてを一瞬で灰に変えてしまうほどの高温を受けているのだが、オルコスは声をあげることすらしなかった。ただじっと耐えている。燃え盛る炎の前に立つフォーラはそれにまだ気づいていない。そんな彼に、不意打ちの一撃が放たれる。先ほどまでの「鋼刃連舞」と同じだが、何かが違う。たった一撃だけで、3分間かけて作り上げた傷よりも大きな傷を刻んでいる。フォーラは傷跡を震える指でなぞる。

 

「な、なにが起きている……。オルコス!貴様、往生際が……」

 

 またもや一撃が叩き込まれた。堅牢であるはずの竜鱗が一撃で剥がれ、地面に落ちる。すると、オルコスを包む炎から手が伸びた。それは地に落ちた鱗を掴んで炎の中に腕をひっこめる。得体の知れない行動に危機を感じたフォーラはすぐさま空に飛びたち、翼で生み出した風で「竜炎」を払った。そこには。

 

「感謝するぜ、フォーラ。『超鋼化・鋼竜人』」

 

 彼の身体を覆っていた鋼が黒く染まっている。フォーラとほぼ同じ、黒い竜の姿だ。空にいたフォーラはオルコスと目が合う。

 

「俺の、真似事をするなぁ!」

 

「来い、フォーラ!」

 

 空からオルコス目掛けて一直線に降下するフォーラ。オルコスは地面に何本もの「鉄杭」を打ち込んで待ち構える。そして、先ほどと同じように、フォーラの一撃が、今度は躱されることなくオルコスへと叩き込まれた。しかし、すぐに異変に気付く。彼は片腕だけで黒い竜の一撃を受け止めている。ひびなども入っていない。フォーラは一瞬動揺を見せたが、それが命取りになった。

 

「もう空は飛ばせねえぞ。『鉄杭・磔』!」

 

 受け止めたフォーラの拳を掴み取り、地面に叩きつける。それと同時に地面に打ち込んでいた鉄杭が飛び出し、フォーラの翼を突き破ると、鉄杭はすぐに地面に埋まりなおした。フォーラは両翼を地面に打ち付けられ、起き上がることすらできなくなってしまった。

 

「……貴様、一体何を……。この俺の身体に、お前ごときの技で傷がつくなど、絶対にあり得ん……!」

 

 オルコスはまるで当てつけのようにフォーラの身体に一撃を加える。無防備な腹には深い横一文字の傷が刻まれた。

 

「てめえの魔法を利用させてもらった。……『竜炎』を受けた時、思いついた。俺の鋼化すら溶かすほどの高温、『鉄を打ち直すにはちょうどいい』と思ってな。お前の防御の要である竜鱗の欠片を取り込んで、あの炎の中で自分を『鍛錬』したのさ。……そのあとはお前も知っての通りだ」

 

「ふざけた真似を……!」

 

 起き上がろうとするフォーラの頭を、オルコスは全力で殴りつける。地面が抉れ、フォーラの頭は埋まっている。

 

「お前のような『痣』に魅入られた者を、生かしておくわけにはいかねえ。……罪を償え。『鉄葬』」

 

 フォーラの腹あたりが持ち上がる。彼は思いつく限りの罵詈雑言を叫んだが、「鉄葬」は止まらなかった。……明日を求めて奪い続けた男の一生が、ここで終わった。


 


 魔都コーネッテス、破砕の塔。コルニッツォは輝くクリスタルを背もたれにしていた女と鉢合わせていた。彼女は侵入者が自らの眼の前まで来たと知るや、勢いをつけて身を起こし、コルニッツォを見据える。コルニッツォは騎士団の中でも1、2を争うほどの高身長ゆえ、その女からの視線は下から向けられていたのだが、今までに感じたことのない殺気をひしひしと感じていた。

 

「来ちゃったんだ、ここまで。……しょうがない、言われた通りやりますか。……私はヴィズ。アベルに選ばれた五影将の一人で激影将って名前をもらってる。あんたは、コルニッツォでしょ?烈風騎士団の」

 

「……どこで俺を知った?」

 

「アベルがいつの間にか調査してたみたい。それでこんな手の込んだ塔を作り上げたってわけ。私の仲間がね、あんたの仲間にこっぴどくやられてたらしいの。だからもう『1対1のリベンジをさせろ』ってうるさいのなんの。……私としては誰でもよかったから、適当にあなたを選んだってわけ。……ごめんね?適当で」

 

 そう言って胸の前で両手を合わせ、軽く首を横に倒す。大層な二つ名をもらっておきながら、敵対心という物がみじんも感じられない。先ほどまで感じられていた殺気もどこかに消え失せてしまっている。コルニッツォは罠であることを考えながらも、一歩踏み出す。

 

「……そこをどいてくれ。俺はクリスタルに用がある」

 

「知ってる。王城の結界を破るためにはこれを壊さなきゃいけないからね。……でも、そんな簡単にやらせるわけにはいかないの。アベルからの頼みってことはどうでもいいんだけど……。この戦いが、私の生きる理由を見つけてくれるかもしれないから。……だから、諦めてくれない?」

 

 空気が変わった。先ほどまでどこかおちゃらけてたような、不真面目な眼をしていたヴィズは殺気に満ちた眼を取り戻した。……コルニッツォは大きく足を開き、右足を後ろに引いて右手を顎の横に、左手を胸の前に構えた。

 

「駄目?……しょうがないな。文句はなしにしてよ!『紫毒針』!」

 

 ヴィズは何かを下手で投げた。クリスタルに照らされたそれは鋭く尖った針だった。コルニッツォは素早く身を右に滑らせ、飛んできた針を躱す。壁となっている石材に突き刺さった針は、たちまち煙を上げ、小さな穴をいくつも作り上げた。脇目でそれを見届けた彼は、ヴィズを正面に見て構えなおす。

 

「……毒か」

 

「ご名答。私が使うのは毒魔法。なんでも溶かす溶解液も出せるし、人間を一瞬で殺せる劇毒も出せる。超刺激的じゃない?だから『激影将』って名前なんだ」

 

 まるでクイズの正解を導き出したかのように、嬉しそうに話すヴィズ。どこかずれたような彼女の物言いに、コルニッツォは得も言われぬ恐怖感を抱いていた。

 

「どうしたの?ビビった?じゃあ、諦めて帰ってくれる?あんたあんまり面白くなさそうだし」

 

「……『烈波』!」

 

 抱いた恐怖心を振り切るように、拳をふりぬく。空を切るほどの速さで突き出された拳は衝撃波を生み出し、それはコルニッツォの魔力によってさらに強化される。加速度的に広がっていく衝撃波は塔内部だけでなく、ヴィズやクリスタルをも襲う。四方からの衝撃波から身を守り切れず、ヴィズは全身を打ちのめされている。クリスタルにも衝撃波が伝わっているはずだが、びくともしていない。どうやら相当頑丈なシロモノのようだ。油断せず構えを取るコルニッツォを睨みつけながら、ヴィズが立ち上がる。

 

「……面白くなさそうって言われて、頭に来たの?……それならちょうどいいわ、私も頭に来たところだから!私を怒らせたこと、死ぬ寸前まで後悔させてあげる!『ヴェノム・スワンプ』!」

 

 彼女の足元から紫色の波紋を発した。コルニッツォは防御の構えを取ったが、特にダメージはない。自分の身にも変化は起きていないし、周りに何かが起こっているわけでもない。ところどころ壁が崩れているが、それは先ほどのコルニッツォの一撃によるものだ。

 

「……何をした?」

 

「教えたら面白くないでしょ?ほら、考えて考えて。……『紫毒針』!」

 

 彼女は一度見切られた技を何の工夫もなく放つ。一定以上の実力を持つ者なら、一度受けた技は二度受けることはない。コルニッツォはまた身体を右に滑らせて躱した。だが。……右足が沈む。床も石材だったはずだが、何かに足を取られている。彼はとっさに足を引き抜いた。身に着けていた脛当てが溶けてボロボロになっている。驚くコルニッツォを前に、ヴィズは笑い声をあげた。

 

「アハハハハ!引っ掛かった!……そう、これが『ヴェノム・スワンプ』の恐ろしさ!眼に見えない毒沼がそこら中にあるの!何処に死に至る沼があるかわからない中、私と戦えるかしら」

 

 コルニッツォの顔に汗が浮かぶ。恐ろしい魔法に追い詰められたこともあるが、右足からすでに毒が身体に入り込んでしまったのか、常に痛みが襲ってくる。彼は攻撃を繰り出すため、右足を踏み込んだ。しかし。

 

「くっ……」

 

 彼の身体に耐えがたい苦痛が走り、込めたはずの力が抜けていく。コルニッツォがそうしている間にも、ヴィズは攻撃の手を緩めない。

 

「次はこれでどう?『蛇毒牙』!」

 

 彼女の右手から魔力で練り上げられた「蛇」が解き放たれる。それはまっすぐに宙を飛び、コルニッツォの身体を狙った。彼は満足に動かない身体で「蛇」を払いのけたが、ヴィズはさらに「蛇」を増やす。そしてついにコルニッツォは「蛇」を払いのけることができず、左腕を噛まれてしまった。

 

「ぐっ……。お、おお……」

 

 ドクン、ドクンと何かが自分の身体の中に流しこまれていくのを、コルニッツォは感じていた。流し込まれてくる感覚は次第に苦痛に変わっていく。

 

「……くっ。はぁ、はぁ……」

 

 コルニッツォは浅い呼吸を繰り返す。額に浮かんでいた汗は顔全体に広がっており、顔色も悪い。……しかし、彼は拳を握りしめる。左腕が使えなくともまだ右腕がある。心の中でそう言い聞かせ、ヴィズを睨みつける。先ほどまで楽しそうな笑い声をあげていた彼女は、打って変わって苛立ちを見せていた。

 

「なんで、叫ばないの?あんたの身体に流し込まれた毒は、人の命を奪うにはもう十分なほどのはずよ。……まあ、あんたは図体がでかいから、毒の回りが遅いんでしょうけど……。でも、身体を走り回る苦痛は尋常じゃないはずよ。痛みに叫んで、床をのたうちまわって、私に助けを求める!……なんであんたはそうしないの?面白くない!」

 

――――――

 

 15年前。ヴィズが魔法に目覚めた時。彼女の家は代々その街の領主に仕える騎士を輩出していた、それなりに知られた家だった。だが長男、そして長女ともに魔法の才がなく、五歳を過ぎてもなお、魔法に目覚めることはなかった。普通の家ならば厳しく言われることもないが、ヴィズの家は違った。五歳を過ぎるまでに魔法に目覚めなければ、「役立たず」と評されるような家だった。そんな家に次女として生まれたヴィズは両親からの過剰な期待、そして兄や姉からの妬み嫉みを受け、性格に変調をきたした。


 彼女が魔法に目覚めた時、彼女は自分の手で野良猫を殺していた。毒で苦しみ悶える野良猫の首を鷲掴み、両親の前に突き出したのだ。「私は魔法に目覚めた」と。……それから5年が経ち、彼女は王国領の街を治める領主の騎士として務めを始めた。普段は真面目に仕事に取り組むが、捕虜などを捕らえると率先して拷問などを行った。その様は領主の口から「邪悪」と称され、騎士となってから三年後に彼女はついに騎士の任を解かれる。


 家に戻った彼女を出迎えたのは、失望であった。両親からはありとあらゆる罵詈雑言を吐かれ、兄弟姉妹からは嘲笑される。その末に、彼女は父親から絶縁を言い渡された。……ひびが入っていた彼女の心の器は完全に崩壊した。その晩に一家7人を全員殺害し逃亡していた。

 

――――――

 

 ヴィズの心を満たすのは、死に近づいていく者の断末魔に他ならない。逃亡中の彼女は同じ指名手配中の犯罪者を捕えては、常人が目をそむけたくなるほどの死に様を目に焼き付けて悦んでいた。悶え、叫び、怒ったかと思えば、すぐに謝る。今まで人の命をないがしろにしてきた者達が「自分は助けてほしい」と夢見がちなことを言うのが面白くて仕方なかった。……だが。目の前にいる男はどうだ。「ヴェノム・スワンプ」に足を突っ込み、「蛇毒牙」に噛まれてもなお膝をつくことすらなく、意識がはっきりとしている眼で、ヴィズを見つめている。そして、震える口を開いた。

 

「……叫んだところで、痛みが和らぐわけでもない。……それに、お前の思うつぼになるなんて、まっぴらごめんだ」

 

「……そう言うこと言うんだ。そっかぁ……。じゃあ、仕方ないよねぇ……。殺そっか」


 特段珍しいことでもないような物言いで、ひどく冷たい声で、ヴィズはそう言った。先ほどまでの感情の高ぶりは一切感じられない。静かに、けれども確実に魔力が高まっている。……これからが、彼女の本気ということなのだろうか。

 

「もう、面白いとかどうでもいい。あんたが気に食わない。殺す。……『ヴェノム・ストーム』!」

 

 床一面に張り巡らされた毒沼が一斉に姿を現す。沼にたまっていた毒が一気に噴き出し、渦を巻く。毒のしぶきがあたり一面に飛び散っていく。

 

「アハハハハ!どうする!?このままじゃ、この部屋が毒であふれかえっちゃうよ!」

 

「……」

 

 確かにヴィズの言うとおりだ。毒の嵐はしぶきをまき散らし、周囲にまで毒の効力を及ばせている。その上、気化した毒は空気に混ざり、それを吸い込めば内臓までやられてしまうこと間違いない。コルニッツォはそれを危惧して口元を抑えたが、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 

「……『貫壊』!」

 

 右手に込めていた魔力をまっすぐ解き放つ。それは矢のようにまっすぐ飛び、毒の嵐をも貫いて進んでいく。危機を察してとっさに防御態勢を取ったヴィズだったが、あえなく突き飛ばされクリスタルに身体を叩きつけられた。意識が一瞬揺らいだせいか、毒の嵐は鳴りを潜めている。

 

「げほっ!……まだ戦えんの?なんでそこまでして戦うの?帝国にそれほど入れ込む理由でもあるの?」

 

 自分が攻撃を受けたことを信じられないのか、コルニッツォに質問攻めをするヴィズ。彼はしばらく悩んだのち、口を開いた。

 

「帝国はどうでもいい。ただ、仲間のため、家族のため。俺がここで倒れれば、あいつらが歩む道が途絶える。……あいつらは、このくだらない戦争を終わらせることを望んでいる。ならば、俺はそれに応えられるよう全力を尽くす。……ただ、それだけだ」

 

「仲間、家族ね……。それってそんなにいいものなの?私にはわからないわ」

 

「……そのうちわかるようになる。……『崩滅』!」

 

 コルニッツォは身体に残っていた魔力をすべて右手に集める。そして、覚束ない足で走り出し、ヴィズへと向かう。

 

「そんな攻撃……、私に当たるわけがない!『毒霧』!」

 

 ヴィズは握りしめていた何かを地面に叩きつける。それは地面に付いた瞬間爆発を起こし、霧状の毒をまき散らす。彼女はその中に身を潜め、「蛇毒牙」を練り上げた。彼が立ち止まり、自分を探し始めた瞬間、これまで以上の毒を流し込んでやろうと。……しかし、彼は止まらない。躊躇なく霧へと立ち入ったコルニッツォは迷いなく進み続ける。ヴィズはすぐに察した。クリスタルの光は、「毒霧」すら照らしている。彼は今、あの光を手掛かりに進んでいるのだ。毒に置かされている彼の足取りは重い。すぐに前に立ちはだかることができた。

 

「ずいぶんと舐めた真似をしてくれるわね!でも、あんたの思い通りにはいかない!」

 

 ヴィズは用意していた「蛇毒牙」をいくつもコルニッツォの身体に放つ。彼は一切躱そうともせず、全身でそれを受け止めた。いたるところから毒を流し込まれ、普通ならクジラですらすでに死んでいるはずである。彼の目に光はもうないが、それでも足は止まらなかった。せき込むたびに血を吐く。牙が差し込まれた跡から血が流れ出る。それでも。

 

「……なんなのよ。あんた、一体……」

 

 ヴィズは腰を抜かした。コルニッツォの執念にも近い歩みに恐怖を覚えたのだ。……ついに彼はクリスタルを目の前にとらえた。正面に立つと眼を瞑りたくなるほどのまぶしさだが、彼は眼を瞑らない。ゆっくりと右腕を振り上げ、身体全体で倒れこむように殴りかかった。……クリスタルは砕けた。はじかれるほどの閃光と、鼓膜を破るほどの音を立てて砕けていく。それどころか、塔全体が揺れ、崩壊していく。

 

「……あっ!」

 

 床が抜け、ヴィズが穴に落ちかける。これも天罰かと諦めて眼を瞑ろうとした彼女が見たのは、手を伸ばすコルニッツォの姿だった。


 


 魔都コーネッテス、戦技の塔。アイリーンは暗く狭い塔を上っていた。頭の中では、他の塔に上っていった仲間たちの安否が気になってしょうがない。その上、まるで上ってこれる人間を選ぶかのような見えない壁。罠の可能性が十二分に考えられる。だからこそ、歩みも慎重なものになっていた。彼女がゆっくりと階段を上がっていくと、上から何かの衝撃音が聞こえてくる。上に誰かいるのだろうか。何もわからない中、一筋の手がかりを求めて、彼女は足を速めた。

 

 上に上がっていくにつれ、周囲は明るさを増していく。すべてを拒絶するようなとげとげしい光。眼が痛くなるほどだ。最上階付近では、もはや前を向けないほどだった。腕で眼のあたりを覆い、下を向くことで何とか進んでいる。床となっている石材を踏みしめ、最上階に足を踏み入れた瞬間、踏みしめていた石材は土に変わっていた。

 

「……え!?これは……」

 

 アイリーンはとっさに顔をあげる。周囲は暗く狭い塔の景色ではない。穏やかな風が吹き渡る広々とした草原だ。どこかで見たような景色だが、こんな景色は大陸内ならいくらでもあるはずだ。……そう自分を納得させようとしたが、ある人物がそれを邪魔する。

 

「久しいな、戦姫アイリーン」

 

「……あなたは……」

 

 アイリーンよりも一回りも二回りも巨大な体躯。そして、見覚えのある悪人面。少し考えたのち、彼女は彼の名前を口にした。

 

「激震のブロード……。何故ここに?あの時、私が……」

 

「『殺したはず』。そう言いたいんだろう。ああ、確かに俺はあの時お前に腹を貫かれて死にかけた。だがな、アベル様が俺を救ってくれたのだ!……血だまりの中で倒れる俺を救い、『影の一族』としての力を与えてくださった。さらに!貴様への復讐の機会も用意してくださった!俺はそのご恩に報わねばならんのだ。……震影将ブロード。いざ、尋常に」

 

 彼は背中に背負っていた二振りの剣を抜く。そのいずれもが血にさびたまま、手入れすらされていないものだった。剣を扱う者として、決してあるまじき行い。……アイリーンはそれを侮辱と取った。「お前の相手など、錆びたなまくらで十分だ」。ブロードはそう言っていると判断したのだ。彼女は虚空から剣を召喚し、鎧も付け替える。「ヴァーミア家の剣」と「ヴァーミア家の鎧」。手加減など一切ない、アイリーンは本気だ。彼女は剣を構え、すぐに飛び出した。

 

「はっ!」

 

 あの時と同じように、一撃で急所を仕留めようと敵の懐に飛び込む。しかし、ブロードはあの時のことをよく覚えていたようで、二振りの剣を交差させて攻撃を防いだ。剣が弾かれる音が甲高く響く。防がれて二歩ほど下がったアイリーンのもとに、ブロードの攻撃が襲い掛かる。

 

「まずは手始め!……『崩震閃』!」

 

 交差させた剣をそのままに、十字を切るように振りぬく。彼が斬ったのはアイリーンではなく地面。叩き切るような一閃が地面に刻まれ、大地が揺れてひび割れていく。そしてそのひび割れから、大地に秘められていたエネルギーがあふれ出して来た。あふれ出した魔力の奔流は質量を伴い、アイリーンの身体を打ちのめした。

 

「……この魔法は……」

 

 かろうじて凌ぎ切ったアイリーンは、少し呼吸を乱しながらも地面に膝はつかない。ブロードはその様子を満足そうに眺めていた。

 

「よくぞ生き残った。だが、先ほども言った通りこれは手始めに過ぎない。この程度でくたばってもらっても困る。……次だ。『滅震……」

 

「次は私の番です!『剣技・散華』!」

 

 ブロードが両剣を振り上げた瞬間、アイリーンが地面を蹴る。彼が剣を振り下ろすよりも早く懐に飛び込み、無差別に敵の身体に風穴を開ける。たとえそこが鎧に守られていようとも、それすら貫き通すだけだ。ブロードがとっさに防御の姿勢を取るよりも早く、敵の身体を突く。しかし。

 

「ふん!……どけっ!」

 

「きゃっ!」

 

 突き出された腹に身体をはじかれ、剣の柄頭で殴り飛ばされるアイリーン。確かにブロードの身体を剣で突いていたはずだ、彼の身体には風穴がいくつも開いている。しかし、ブロードはまるでそれが何でもないかのように、地面に転がるアイリーンを見下ろしていた。

 

「くっ……。何故……」

 

 ブロードの身体からは血が流れ出ている。幻という訳でも、作り物という訳でもなさそうだ。ブロードは彼女がポツリとこぼした疑問を嗤った。

 

「フハハハハハ!当たり前だろう!これしきの攻撃、苦痛にすらなり得ぬわ。……忘れたか?俺は一度、貴様に殺された。あれは痛かったなぁ。……だが、おかげさまで俺は痛みを克服した。この程度、痛みにすら思わん!……さて、貴様が邪魔してくれたせいで途中だったが……。受けてみるがいい!『滅震撃』!」

 

 振り上げられた二振りの剣が、力強く地面に叩きつけられる。剣から発せられた衝撃波がひび割れとなって地面を走り、大きな地割れへと変わっていく。まるで惑星全体が揺らめいているとでも錯覚しそうなほどの攻撃。アイリーンはいくつにも地割れした地面の内、小さな塊の上に取り残されるようにしがみついていた。地割れの先は全くの闇。落ちれば最後、死が待っているだけだ。

 

「ハハハハハ!どうした戦姫!必死に地面にしがみついて、みっともないな!」

 

「……あまり、人を舐めないことです!」

 

 アイリーンは激しく揺れる地面の上で立ち上がると、安全圏にいるブロード目掛けて地面を蹴りだした。まさかここまで来るとは全く思っていなかったのか、ブロードは度肝を抜かれたような顔を浮かべ、とっさに二振りの剣を交差させて防御の構えを取る。しかし、交差された剣にぶつかったのはアイリーンの剣ではなく、彼女の足だった。勢いをそのまま蹴りに使い、ブロードをよろめかせる。そして着地と同時に剣を横に払い、その剣先は彼の脛をとらえた。

 

「……チィッ!」

 

 よろけ様だったブロードは防御どころか躱すことすらできず、脛に横一文字の深い傷跡を刻まれる。骨が見えるほど深く刻まれた傷であっても、彼は苦痛と思っていないようだが、「傷をつけられた」という事実にいらだっているようだった。アイリーンは手を休めず、剣を左斜め上に向かって振り上げる。次はブロードの左腕をなぞるように切りつけた。とどめとして彼女が放った一閃は二振りの剣に阻まれたが、ブロードはかなりの手傷を負った。彼の足元には、今までにつけられた傷の分だけ、血だまりの色が濃くなっていた。

 

「いくら『痣』の力で強さを手に入れていたとしても、所詮は盗賊の用心棒。たかが知れています」

 

 剣に付いた血を払いながらアイリーンは言う。ブロードは一度大きく息を吸い込むと、大きな笑い声をあげた。

 

「未だ、俺に致命傷を与えられぬくせに、よくほざく。……いいだろう、貴様のその言葉に免じ、『本気』というものを見せてやる。後悔は地獄ですると良い。『烈震殺』!」

 

 ブロードはその場で二振りの剣を無造作に振り回す。自身を取り囲むように描かれた剣の軌跡は宙にひび割れとなって残る。そして「喰らえぃ!」の一言と共に双剣が突き出され、ひび割れを突き破る。それが最後の一押しとなったのか、ひび割れは爆発を起こし、衝撃波となって周囲を薙ぎ払う。アイリーンは前面に剣を構えたものの、剣一本で凌ぐことができる規模の技ではない。衝撃波に押され、身体がのけぞる。ブロードはそれを見逃さなかった。

 

「そこ!」

 

 右斜め上に剣を振り上げるブロード。アイリーンは幸いにして防御姿勢のままだったが、恐るべき剛力に剣を握っていた手が痺れて動かなくなるほどの一撃を受けてしまう。彼女は感覚がなくなりかけた腕をつかみ、痺れを何とか抑え込もうとしたが、それは敵前で行うべき行動ではない。ブロードは剣を二振り持っている。左手に握られていた錆びた剣が、アイリーンの胴をとらえた。どうしようもないほど錆びているおかげで剣としての切れ味は全くなく、もはや棍棒のようなものだ。剣を胴に叩きこまれたアイリーンは胃液を吐き、その勢いのまま地面に叩きつけられて転がっていく。ブロードはさらに、剣を地面に突き立てて先ほどのように地割れを起こす。地面を隆起させて壁を作り、転がっていくアイリーンをその壁にぶつけさせた。岩壁には彼女の身体が激しくぶつかった跡が残っている。

 

「あっ!……くっ、うぅ……」

 

 背中全体をぶつけ、胴には鉄の塊を叩きつけられている。痛みにこらえながらもなんとか立ち上がるが、彼はそれすら許さない。ゆっくりと立ち上がったアイリーンの首目掛けて剣を振り下ろす。それは彼女の首に届くことはなく、隆起させた岩の壁に阻まれた。しかしブロードはそれでも笑っている。

 

「いくらなまくらだろうが、女の細い首程度なら力尽くで叩き斬れる。……おら!」

 

 左手に握られていた剣を突き出す。アイリーンは剣で受け流し、かろうじて致命傷になりかねない一撃を躱した。ブロードの放った突きは岩壁に深く突き刺さる。人間の身体程度ならいともたやすく、鎧ごと貫いてしまうだろう。ブロードは岩に刺さった剣から手を離すと、アイリーンの腹部に手を当てた。

 

「……ここだ。お前が俺の身体に穴をあけたのは。……動くなよ。これはあの時の仕返しだ」

 

「汚らわしい手で、触らないでいただけますか。それに、次は私の番です!」

 

「……戦いに順番なんかねえ!甘えんな!」

 

 アイリーンが何かを仕掛けてくる。ブロードはとっさにそう判断し、岩壁に刺した剣を両方とも引き抜いた。そのまま交差させるように剣を振り下ろし、眼前の女の首を跳ね飛ばそうとしていたのだろう。しかしその瞬間、胴はがら空きになる。

 

「あなたは、他人を舐めすぎです。……馬鹿は、一度死んでも治らないようですね」

 

 ブロードの口から血が吐き出される。彼は両手を振り上げたまま、ゆっくりと視線を彼女の首から、自分の胸元へと移した。胸当てが砕かれ、心臓を貫かれている。胸に突き立てられていた剣が抜かれる。栓を失った心臓は、身体の外にも血を送り始めた。ドクドクと、命の鼓動がはっきり聞こえる。そしてそれは、次第に弱まっていく。両腕をだらりと下げ、なまくらを手放す。崩れるように膝をつき、右手で胸をなぞる。手に付いた血の温かさが、ようやく彼自身に状況を理解させた。

 

「……なぜだ……。身体が、動かん……。俺の身体は、痛みを、克服したはずだ……。だというのに、なぜ……」

 

 アイリーンは剣をしまった。眼の前にいる男はすぐにでも死ぬだろう。もはや自分で手を下す必要もないと判断した。しかし、それが彼の最期の力を呼び起こした。彼の視界からアイリーンが握っていた剣が消えた。……ブロードは手放していた剣をすぐに拾い上げ、突きを繰り出す。

 

「俺を……憐れむな!」

 

 しかし、その剣はアイリーンには届かなかった。彼女が再度取り出した剣に弾かれ、むなしく岩壁に亀裂を刻み込むだけとなったのだ。彼女はいかなる感情も読み取れそうにない冷たい眼でブロードを見下ろす。彼は、突き立てた剣に縋るように息絶えていた。……仕えるべき主を失い、一度はその命すら失った悲しき戦士。邪悪に見初められ、自らも邪悪に染まった哀れな戦士。戦士は、二度目の眠りについた。もう二度と目覚めることはないだろう。


 

 

 魔都コーネッテス、蒼波の塔。最上階まで上ったノクスを待っていたのは、彼にとって懐かしい光景だった。バラキア郊外の小さな漁村。しかし、彼の記憶とは違い、村は静けさに包まれていた。

 

「……これは、転移魔法か。……しかし、一体どうしてここに……」

 

 自分にゆかりのある土地を前に困惑するノクス。そんな彼の背後から忍び寄るものがいた。

 

「……光輝教の教義は、ご存知でしょうか?」

 

 あらゆるものを包み込んで癒すような、甘ったるい声。幼子をなだめる時のような物言いに、ノクスは鳥肌を立てる。急いで振り返ると、そこには黒い修道服に身を包んだ。白髪の女性が立っていた。彼女はノクスの動揺を気に留めることもなく、質問を続ける。

 

「シャーディンは、果たして本当に悪なのでしょうか?彼らは悪政を施しましたが、それは乱れた世に恐怖という名の秩序をもたらしたのです。……従うものは善、逆らえば悪。実に明快ではありませんか?」

 

「……さっきから何を……。お前は誰なんだ?」

 

「……そう言えば、まだ自己紹介をしていませんでしたね、申し訳ありません。わたくし、キース陛下直属、『五影将』が一人。光影将フェリアと申します。お見知りおきを」

 

 ノクスはとっさに飛びのき距離を取る。彼はキースの名を知っていた。王国の軍部大臣、キース・スタリー。確か少し前に失踪していたはずだが、陛下と呼ばれているということは、奴は王国を転覆させ、王位簒奪を成し遂げたということだろう。そんな男の部下ということは……彼女は敵に違いない。手のひらで水球を作り上げ、戦いの構えを取るノクス。しかし目の前にいるシスターは全く戦う気配を見せない。

 

「……どうでしょう?シャーディンは悪だと思われますか?」

 

「何の話をしているんだ。……悪に決まっている。あいつらのせいで、いったいどれだけの人間が命を落としたと……」

 

「しかし、それはシャーディンに逆らった者達の亡骸です。逆らうことさえなければ、彼らが死ぬことはなかった。違いますか?」

 

「……さっきから何の話をしているんだ。そもそも、お前のその服装は光輝教の物じゃないか。何故光輝教のシスターが、シャーディンを庇うような物言いをするんだ」

 

「光輝教のシスターだからです。長年この教えに従って生きてきた私は、今までその教えを疑うことはありませんでした。しかし。……ある日、アベル様が私どもの教会にやってきたのです。彼は凄まじい魔力で私たちを捕らえると、次々と『痣』の実験台にしていきました。……『痣』がもたらす苦痛の中、私は光に陰りを見たのです。しかし、その陰りは純然たるものでした。光のように弱まることもなく、すべてを染め上げていく。光は照らすことしかできない、そして照らせば影が生まれる。影は、影すら呑み込んでいく。……それに気づいた時、私は生まれ変わったのです」

 

 彼女は修道服の首元を右手でつかみ、首元を露出させるように引っ張る。彼女の首筋から右顎下にかけて、大きな『痣』がついていた。ノクスは顔をしかめ、身体を強張らせる。フェリアはゆっくりとその場から歩き出し、まるで演説のように大仰に話し始めた。

 

「この世界は今、光に包まれています。……しかし、争いは絶えず、血を流す人は日に日に増えていくばかり。光輝教の教義では、誰一人として救えない。そもそも、教えを覚えている者など一人もいない。……この村の民のように」

 

 彼女はそう言うと、近くにあった民家の扉を開け放つ。中には、手のひらに大きな穴をあけられた状態で死んでいる村人がいた。うつぶせのため顔は見えないが、その面影にノクスは見覚えがあった。頭に熱が上っていくのを感じられる。……フェリアは気に留めることなく歩き続け、別の民家の扉も開けていく。まるで当然とでも言うように、同じように倒れる村人が何人もいた。

 

「……このっ!」

 

 ついに怒りを抑えきれず、ノクスが水の槍を作り上げ、フェリア目掛けて投げつけた。彼女はゆっくりと手のひらを差し出すと、視力を一瞬で奪ってしまえるほどの光を放つ。ノクスはとっさに眼を覆い難を逃れられたが、彼が放った水の槍は煙のように消えていた。

 

「この魔法は……光魔法か」

 

 光に眼をやられたのか、片眼をおさえながらフェリアのいる方を向くノクス。彼女は余裕そうな素振りを崩すことすらない。

 

「『影の一族の痣』で手に入れた魔法が光だなんて、なんと皮肉なことでしょうか。……ああ、教祖様。あなたが生きているのなら……。この魔法であなたの眼に闇をもたらすことができたのに」

 

「何を訳の分からないことを……。大勢の無実な村人を殺しておいて、ふざけたことを言うな!『水流斬』!」

 

 ノクスはひるむことなく立ち向かうが、突如放たれる閃光に視界を奪われる。ぎゅっと目を瞑った瞬間、右肩に鋭い焼け付くような痛みが走る。まぶしさの中、「外しましたか」という声だけが聞こえる。ノクスは目を瞑ったまま、自身の周りを水で覆った。水の中に逃げ込んだノクスはゆっくりと目を開ける。彼の目がフェリアをとらえた瞬間、彼女の人差し指から一筋の光が放たれた。確実にノクスの頭を狙って放たれた光は、彼を包んでいた水により屈折し、顔のぎりぎりをかすめた。

 

「あら。天はあなたに味方するのでしょうか?」

 

「……そう言うことみたいだな。似非シスター。……『アクア・ストリーム』!飲み込まれろ!」

 

 ノクスは自らを包み込んでいた水を操り、渦を作り出す。そして渦を両腕にまとわせ、さらに魔力を込めて勢いを増していく。魔力が限界まで高まったとき、両腕を正面に突き出し、それぞれの渦を合体させより大きな水流の渦を作り出し、相手に向けて放つ。周りにあった家がいともたやすく崩壊していく様を見てもなお、フェリアは余裕そうな表情を変えない。彼女はひときわ輝いたかと思えば、いつの間にかノクスの背後に移動し、彼の脇腹を光線で貫いた。

 

「……グッ!」

 

「今からでも遅くはありません。新しく生まれ変わった光輝教にあなたも入信するのです。光は過ちを赦しませんが、影はその過ちすら選り好みすることなく呑み込みます。……さあ、あなたも『影』を受け入れるのです」

 

 フェリアは懐から得体の知れないものを取り出す。それは肉塊だった。まるで生きているように脈動し、ノクスの存在を嗅ぎつけているのか、塊から触手をノクスの方へと伸ばしている。

 

「怖がることはありません。『影』はもともと、あなたのすぐそばにずっといたのです。今まではそれから目を背けていただけ。……さあ、受け入れるのです」

 

「断る!『水流斬』!」

 

 右手から放たれた水しぶきが刃の形を取り、フェリア目掛けて飛んでいく。肉塊から伸びていた触手を簡単に断ち切り、その先にいるフェリアの首をとらえた。しかし、彼女はまた光に包まれ、ノクスの背後を取った。

 

「……面倒だな」

 

「それはこちらのセリフです。せっかく信徒を増やせると思っていたのに、あなたは尽く断ってしまう。……このままでは、あなたを殺すしかありませんが……」

 

「こっちは最初からそのつもりだ」

 

「……そうですか。では……。神の御告げを聞きなさい!」

 

 フェリアの人差し指に光が集まり、無数の光線となって発射される。フェリアが動作した瞬間に身をそらしていたためか、左半身にいくつもの小さな穴をあけられる程度で済んだ。だが、それは最悪の事態から何とか逃げられただけで、彼の身体を襲う苦痛は並大抵のものではなかった。

 

「……うっ、うう、ああ……。はぁ、はぁ……」

 

 地面に這いつくばり、全身から汗を流すノクス。フェリアは彼の眼前に膝をつき、祈るように手を合わせた。

 

「なんと悲しき命でしょうか。己が過ちを改められることなく、終を迎えてしまうとは。……苦しいでしょう、今すぐその苦しみ終わらせて差し上げます。これこそが、新たな光輝教の教え、新たな教祖である私の慈悲というものです……」

 

 彼女は右腕を突き出し、人差し指に光を集める。左手は右手首を支えるように添え、これが殺戮ではなく慈悲の施しであるということを嫌というほど示している。光はノクスの頭を狙っている。わずかな一筋ですら身体を貫ける光が頭を貫くことなど造作もないことだ。ノクスはわずかな抵抗の意思を見せ起き上がろうとするが、集められた光から分けられた一撃が、手や足などを貫き身体から力を奪っていく。しかしノクスは諦めようとせず、何とか一矢を報いようと身体を起こそうとする。それを哀れに思ったのか、フェリアはため息をついた。

 

「……終わりです。神の威光をここに!」

 

「……まだだ!」

 

 ノクスの声に答えるように水が沸き上がる。それは大波のようにフェリアに立ちはだかり、彼女を飲み込もうと襲い掛かる。フェリアの姿が水に映りこむ。しかし、それよりも早くフェリアの人差し指が光った。だが、光はあたりを照らすことなく、ノクスの身体を貫くこともなかった。……血しぶきが宙を舞う。ノクスの身体は地面に倒れているが、フェリアも同様に地面に仰向けになっていた。何が起きたかわかっていない彼女は軽くせき込んで血を吐き出しながら、空を見上げる。彼女の右腕が身体と分かたれて地面に転がった。

 

「これは、何が……」

 

「……反射したのさ、お前の光を」

 

 ノクスはゆっくりと立ち上がる。彼の右手には水が渦を巻いていた。それは磨き上げられた鏡のように輝き、地面に倒れるフェリアを映す。フェリアは自分が何をされたか理解し、ゆっくりと目を閉じた。……遥か古代。船の道標となる灯台は、炎を燃やしその明かりを鏡に反射させることで、遠くまで明かりを届けていた。ノクスはそれをとっさに思い出し、自らの魔法で鏡を作り上げたのだ。その鏡はフェリアが放った光を反射し、彼女へと光を突き返したのだ。

 

「私は、負けたのですね……。ああ、世界が白んでいく……」

 

 光輝教の教えを棄てたシスターは、最期、棄てたはずの光が自らを包んでいくのを感じていた。


 


 魔都コーネッテス、紅炎の塔。最上階から漂う冷気に混ざった殺気が、そこに誰がいるのかを強くカリンに教えていた。一方的に因縁をつけられているだけで、彼女自身はガルディアにいかなる感情をも抱いてはいないが、放っておくことも難しい。アーサ平原で見た、ガルディアの変貌。彼のわずかな魔力を目の当たりにしただけではあったが、帝国最強と謳われた紅蓮騎士団をたった一人で圧倒していた様は記憶に新しい。王城の結界を破るためだけではなく、ガルディアを野放しにしないためにも、彼女は「自分がガルディアをどうにかしなければいけない」と気負っていた。リバーニアで彼を見逃したことを責任に感じているからこそ、彼女はただならぬ殺気にひるむことなく階段を上り続けている。最上階に足を踏み入れた時、「ようこそ」という言葉と共に景色が変わる。……気が付いた時、彼女はあの時の場所にいた。リバーニア北部。ガルディアと初めて相対したあの場所である。

 

「待っていたよ、お前のことを。……あの日、お前に敗北を喫してから、俺は生きる意味を見失っていた。渇望してきた父への復讐、それはお前という得体の知れない女一人の手によって台無しにされたのだからな!」

 

「くだらない。お前が弱いのが悪いだけだ。私のせいにするのはやめてもらおう」

 

「……ふん、忌々しい女だ。だが、礼を言っておこう。お前が俺に敗北の味を教えてくれたおかげで、俺はこの力を手に入れたのだ。絶望を知り、歴史に埋もれた深淵に触れた。その結果、俺は……。五影将が一人にして頭領。氷影将ガルディアとして生まれ変わったのだ」

 

 彼の身体を中心として、猛吹雪が巻き上がる。リバーニアの街並みは一瞬にして凍り付き、氷像群となってしまった。……カリンはその中に、人の形を見た。

 

「あれは……。貴様!罪のない民に手を……」

 

「罪のない?……違うな。王国に……。いや、この俺に逆らうことすなわちそれが罪!なればこそ氷漬けの刑罰など甘んじて受けるべきなのだ!……お前には特別に氷の棺をくれてやろう。あの時のように逃げ出すなよ。『氷棺』!」

 

 ガルディアは腕をまっすぐ天に向けて伸ばす。冷気はその腕にまとわりつくように集まり、周囲の気温を下げていく。カリンの吐く息が白へと変わった。それが合図となったのか、ガルディアは口角を釣り上げると天高く伸ばしていた腕をカリンへと向けた。冷気は形を成し、まるで雪崩のようにカリンへと襲い掛かる。カリンの視界が真っ白に染まり、次の瞬間大きな氷塊が出来上がった。両手で顔を覆った姿勢のままカリンは氷にとらわれている。復讐を果たしたガルディアは大きな笑い声をあげると同時にどこか肩透かしを食らったような気持ちでいた。

 

「ハハハハハ!随分とあっけないなあ、カリン!これが『痣』を身に刻んだ俺の力だ!ハハハハハ!……はあ、つまらんな。もう少し歯ごたえがあると思っていたが、まさかここまであっけないとはな。自分の強さが嫌になってくるな。まあいい、このままこいつが死んでいくさまを見届けるとするか」

 

 ガルディアは氷の棺に手を当てると、さらなる冷気を流し込む。人肌で少し溶けた氷が形を取り戻し、さらに彼女の身体にまとわりついていく。透き通る氷の向こう側、彼女の身体には霜が降り始めていた。段々と白く染まっていくカリンの身体を見て、ガルディアはにやにやと下品な笑みを浮かべる。……そんな時、彼が目を見開いた。棺に当てていた手から熱を感じる。まるで心臓の鼓動のように、炎が脈を打っている。彼は表情を崩すことなくそれを見守った。待っていたのだ、カリンがあの時のように棺から脱出することを。彼にとってはこの戦い、まだ前座にすら至っていない。そんな中で死なれても彼は困るのだ。父に向けて抱いていた復讐心は、カリンへの嗜虐心へと変わり果てていた。次第に彼女が発する熱が音頭を高めていく。そこらの民家よりも巨大な氷塊はゆっくりと溶け始め、加速度的にその膨大な質量が水蒸気へと変わっていった。彼女を包むものがもはや薄氷へと変わったとき、ガルディアは喜びを露わにしていた。

 

「そうだ!そうでなくてはならない!この俺に一度膝をつかせた者が、あえなく敗れるなどあってはならないのだ!この俺と死闘を繰り広げ、その末に俺の前に敗れる。それこそが……」

 

 倒すべき敵を前に余裕ぶった物言いをするガルディア。自分に酔うことに夢中になり、カリンが薄氷を抜け出したことに気づかなかった。

 

「……『炎壊拳』!」

 

 その結果、「氷棺」から抜け出したカリンからの一撃をもろに顔に受け、地面を転がる。氷塊から這い出るカリンと、地面から起き上がるガルディア。2人の視線がぶつかり合い、拳もぶつかり合った。片や炎、片や氷。互いに苦手とする属性同士の魔法がぶつかり合う。互いに一歩も譲らない競り合いは、カリンが起こした「炎熱爆」によって中断された。互いに大きく飛びのき、爆発から距離を取る。

 

「クハハハ……。ここからだ、ここからが真の戦いの始まりだ、カリン!」

 

「……くだらん遊びに付き合うつもりはない!『炎爆雷』!」

 

 カリンが地面を思いきり殴りつけ、手を地面にめり込ませる。そしてそこから熱を流し込んだ。眼に見えずとも静かに広がっていった熱はすぐに爆発を起こし、あちこちで火柱を立て始める。その結果、先ほどまでガルディアの魔法により極寒の地と化していたリバーニアは、気温だけではあるが一時的に平穏を取り戻した。彼が呼んだ黒雲にいくつもの穴が開き、青空がのぞいている。カリンは一度呼吸を整える。白い靄はもう出ない。

 

「さっさと終わらせてやる。……『炎剣』!」

 

 カリンは腰に下げていた剣を抜くと、刀身に炎をまとわせる。炎で赤く照らされた彼女の眼は真剣そのものだ。ガルディアはそれをまねするように、手のひらに冷気を集め、それを剣の形に練り上げる。

 

「ならばこちらは……『氷剣』だ。切り刻んでくれる」

 

 ガルディアは、勝利の仕方にこだわり始めていた。相手が得意とする領分で戦い、徹底的に踏みにじる。……かつて父に否定されたときに付いた心の傷が「痣」によって思考に影響を及ぼすようになったのだ。2人はにらみ合い、同じタイミングで石畳を蹴って駆け出す。

 

「はああ!」

 

「ハハハハハ!」

 

 そして互いに大きく振りかぶり、剣と剣がぶつかり合った。ガルディアは余裕ぶるために片手のみで剣を振るっているが、カリンと対等に渡り合っている。乱暴な力押しにカリンは防戦一方になるが、一瞬の隙をつき形勢を逆転させる。まさに力と技のぶつかり合い。ガルディアは力で押し返し、カリンは技で押し返す。

 

「ふん!」

 

 蹴り上げられた石畳に驚いたカリンへ、ガルディアが渾身の一撃を振り下ろす。彼女はとっさに防御の構えを取るものの、不安定な姿勢では防ぎきれない。カリンは勢いそのままに地面に叩きつけられた。にやにやと嬉しそうにガルディアはカリンを見下す。しかし、彼女もただではやられない。叩きつけられた姿勢のまま足払いを放ち、ガルディアを転ばせる。さらにその勢いを利用しながら一気に立ち上がり、流れのままに斬り上げを放つ。転ぶ最中のガルディアは身をよじることしかできず、背中に一閃を刻まれた。その傷跡はカリンの「炎剣」により、炎に焼かれる。肉が焼けただれる苦痛に、彼は石畳の上を転がりまわり何とか背中を焼く炎を鎮火した。

 

「……まさか、この俺に一矢を報いるとは。さすがだ、カリン。この俺が執着するだけはある」

 

「私はお前のことなどどうでもいいんだが。……あの時お前を見逃してしまった責任を果たすためだけに、わざわざお前と戦っているだけだ」

 

「……つれないことを言う。殺し合いの最中、冷めるような物言いはやめてもらいたいものだ」

 

「なら、お前はその魔法を使うことをやめることだ。この場を一番冷やしているのはお前だろう?」

 

「ならば、貴様が温めてくれ!」

 

 ガルディアはまたもや斬りかかる。カリンは剣を上段に構えると、深く腰を下ろして彼の一撃を待ち構える。ガルディアは立ち向かってこないカリンの思惑に気づくこともなく、また力の限りを込めた一撃を振り下ろした。カリンは上段に構えたまま、氷剣の一撃を刃で受け止めた、と思えば、振り下ろした勢いがあまり、絶妙な角度がつけられたカリンの剣をなぞるように滑っていく。受け流された氷剣は地面にぶつかり、ガルディアは大きな隙をさらした。その隙を見逃さず、カリンは彼の腹を斬り抜ける。刻まれた傷跡に炎が焼きつく。ガルディアはすぐさま自身の魔法で傷口を凍らせ、鎮火と止血を施した。2人の立ち位置が入れ替わり、ガルディアは敵に背をさらしている。カリンは流れるような太刀筋で振り返りながら彼の背を斬った。一段大きな焔が立ち上り、ガルディアの身体を焼く。しかし、彼は自身の身体を氷に包み、焔を一瞬で消した。

 

「お前なんぞに使う時間はもったいない。そろそろ終わらせてやる!」

 

「……同感だ!俺もいい加減、貴様に対する怒りが抑えきれんのでな!」

 

 氷塊の中にいるガルディアが吠える。その氷塊の元には大きな穴が開き、どんどんとその穴に埋もれていく。

 

「ハハ、ハハハ、ハハハハハ!この穴は『氷獄門』!『氷獄』へと繋がる、死の門!開いたが最後、この俺に仇なすものは何人たりとも生きては逃れられん!」

 

 ガルディアを包んでいた氷塊がゆっくりと細かく砕け、穴から吹き出す冷たい風に乗り空へと舞いあがる。カリンが黒雲に開けた穴がふさがり、雪がちらつき始める。続いて、風が出て来た。氷極からあふれ出した風は次第に吹き荒れだし、空を舞う雪を巻き込んで吹雪と化していく。……そしてそれは、雹へと変わった。打ち付ける氷の塊は、それだけで相応の破壊力を有する。より早く降り注ぎ、より大きい雹が降り注げば、破壊力はさらに増す。カリンは自らの周りを火で覆い、降り注ぐ氷の塊を何とかしのいでいるが、それだけではこの事態は好転しない。


「吹き荒れろ吹雪よ!この世すべてを凍てつかせろ氷獄!この世を銀白なる清純な世界へ!」

 

 ガルディアは人の形を失っていた。黒い角が2本頭に生え、爪は獣のように鋭く、手足は黒く染まり始めている。……まさに悪魔だ。「影の一族の痣」の力により、ガルディアは「氷獄の主」へと姿を変えたのだ。

 

「屍をさらせカリン!我が氷獄で永遠に弄んでやろう!」

 

 視界は白に染まり、手を伸ばした先ですら何も見えない。しかし、カリンは落ち着いていた。その身に炎を宿し、氷獄の中を歩いている。ゆっくりだが、確実な歩み。一歩進むと同時に、ガルディアだったものが嗤う。

 

「人を越えたこの我に近づこうとは、なんとも愚かなことだ。……無駄である、やめよ!」

 

「……無駄かどうかは私が決める。悪魔の囁きなどに惑わされる私ではない」

 

「貴様は愚かだ!氷獄の主たるこの我に逆らうとは。……その咎、高くつくぞ!」

 

「結構だ」

 

 ついにカリンはガルディアの正面に立った。これ以上は彼の足元に開いている穴のせいで近づけないが、剣は届く。カリンは剣に炎をまとわせ、突きの構えを取る。ガルディアは身の危険を感じたのか、いくつもの氷壁を作り上げ身を守る。身体は縮み、先ほどまで握っていた剣すら握れなくなっていた彼にとっては、これが最大の抵抗だった。カリンが剣を一振りするたびに氷壁が割れる。ガルディアはすぐさま新たな氷壁を作り上げるが、これではいたちごっこに過ぎない。今、ガルディアができるのは氷壁を作ることか、吹雪を強めてカリンを凍死させることだ。……つまり、目の前にいる女が死ぬのを待つしかない。


 確かに人の姿を捨てたことで魔力は並外れたものとなったが、ガルディアはそれを持て余していた。才能におぼれ、一度もまともな修練をしなかったため、有り余る魔力に振り回され、吹雪を吹かせることしかできなくなっているのだ。……彼は次第に焦りを覚え始めた。カリンに今の所、死の気配は感じ取れない。このまま待てば死にはするだろうが、それはいつになるのか。氷壁を作り上げるペースも間に合わなくなってきている。このままでは、先に自分が殺されてしまう。

 

「早く……。早く死ね!カリン!」

 

「……愚かだな。人を越えたと言っておきながらその程度か。……あの時もそうだった。己が慢心が、その身を滅ぼしている。学ばなかったな」

 

 最後の氷壁が砕かれ、炎をまとった刃が、悪魔の身体に深く突き刺さる。醜く縮んだ悪魔は痛みに震え、叫び声をあげる。あまりにも滑稽な醜態に、カリンは思わず目をそらした。「氷獄門」はいつの間にかふさがっており、荒れていた天候もおさまって、青空が見え始めていた。積もった雪が解け、濡れた地面の上に、この世の存在とは思えない、醜く焦げた死体が転がった。己が才能だけを信じて生きて来た者は、己が虚栄心に殺されることとなった。


 


 魔都コーネッテス、烈風の塔。最上階まで上ったエリオットを待っていたのは、彼にとって懐かしい人物であった。……チューン城南西、海際。かつてエリオットが暮らしていた家は、廃墟となってたたずんでいる。彼ともう一人の男は、互いに睨み合っていた。

 

「懐かしいなぁ……。覚えているか、エリオット。俺たちはここで育った。……お前は故郷を捨てたがな」

 

「……兄貴。生きていたのか」

 

「ああ。リハンを殺して食い扶持を減らし、何とか貯めた食料をもって家を出たのさ。……あのままあそこにいれば、俺も野垂れ死んでいた」

 

 エリオットの兄、アルテオスは悪びれもせずに、弟リハンを殺したと話す。エリオットは怒りを抑えられず、弟殺しに食って掛かった。

 

「俺が家を出るって決めた時、あんたは最後まで反対したよな!そのくせ自分はリハンを殺して家を出たのかよ。……あんたは最低だ」

 

「……黙れ!お前に何がわかる!早々に家と畑を捨て、剣を握ったお前に何が……」

 

 アルテオスは魔力を発露させる。彼の周りの地面が揺れ、小石が宙に浮く。エリオットは細剣を抜き正面に構えるが、彼の目には動揺が浮かんでいた。

 

「どこで魔法を覚えたんだ?兄貴は魔法なんか……」

 

「今は便利な世の中でな。……これを見ろ」

 

 アルテオスはそう言って服の首元を引っ張る。そこにはエリオットの記憶にも新しいあの「痣」が黒く残っていた。彼は擦れですべてを理解し、眼から迷いを消す。代わりに浮かべたのは「殺意」だった。アルテオスはそれを感じ取ったのか、高らかに笑い声をあげた。

 

「そうだ、その眼だ!……あの日、リハンを殺した後、返り血を洗うために風呂場に向かった時。不意に目に入った鏡は血に染まった俺を映していた。眼には、今のお前のように殺意が浮かんでいたんだ。……やはり、俺たちは兄弟だ!」

 

「……兄貴。俺はあんたを殺す。リハンのためにも」

 

「『リハンのためにも』?……ふざけるな!お前はリハンのために一体何をした!?早々に家を捨て、戦場で人を殺しまわって金をもらっていたお前に、リハンの……。俺の悲しみが、わかってたまるものか!ウオオオオオオオ!」

 

 アルテオスが発する魔力はさらに勢いを増していく。大地はひび割れ、宙に浮かぶ小石はいつの間にか大岩に変わっていた。

 

「お前の屍など見たくもない!岩に潰されて死ね!『轟岩墜』!」

 

 地面から無造作に切り出された大岩がふわりと宙に浮いたかと思えば、エリオットに向かって降り注ぐ。エリオットは潰されまいと走って逃げ、何とか岩の下敷きにはならずに済んだが、息をつく間もなく第二第三の岩が降り注ぐ。必死に逃げまどうが、アルテオスはそれすら予知していたとでも言うように、エリオットを誘導していた。地面に降り注いだ岩が大きな壁となり、エリオットの行く手を次第に塞いでいく。そしてついに四方を岩に囲まれ、彼は逃げ場を失った。

 

「これで終わりだエリオット!リハンと同じ場所で死ねること、この俺に感謝すると良い!」

 

 鋭く尖った岩が降ってくる。エリオットに逃げ場はない。……彼は剣を空に向けた。それが目印となったのか、草原を吹きわたっていた風の向きが変わり、剣を中心として渦を巻き始める。アルテオスはいきなり変わった風向きと風の強さに顔を覆い、わずかに開けた隙間から行く末を見届けようとした。……剣に集まっていく風の渦は強さを増し、竜巻へと変わった。その竜巻が大岩を支え、宙に浮かばせている。……エリオットはその隙に風魔法で自らの体を浮かせ、岩の壁を乗り越えていた。竜巻が収まり、大岩が地面へと突き刺さる。凄まじい衝撃と音をあたり一帯に響かせた。

 

「随分と姑息な手を使うものだな、エリオット!お前はそうやってあらゆる事柄から逃げ回ってきたんだ!」

 

「さっきから言わせておけば適当ばかり……!俺が傭兵になったことが、なんでそんなに気に食わないんだ!?」

 

「……わからないのか!?これだからお前は……」

 

 アルテオスがそう言いかけた時、騒ぎを聞きつけた者が駆けつけた。その人物は2人にとって、恩人のような人物だった。

 

「なんだこれは!?いったい何の……。お前は、アルテオス!なぜここに?」

 

「……アルゲス。どうしてここに……」

 

 それはアルゲスだった。エリオット達が子供のころに優しくしてくれていたおしゃべり好きの老人。エリオットが傭兵に出てからは、不作に苦しむアルテオスとリハンを何度か助けてくれたこともあった。

 

「どうしたもこうしたもあるか!お前たちの家の近くが騒がしくなったのを聞きつけたのだよ。……お前、どこに行ったと思っていたが、生きていたとは」

 

「じいさん、そいつから離れろ!」

 

 エリオットは遠くから呼びかけた。しかし、それよりも早く「轟岩墜」が降り注いだ。……エリオットは目をそらす。つい先ほどまでアルゲスが立っていた場所には大岩が鎮座している。

 

「じいさん!」

 

 エリオットは大岩に駆け寄る。アルゲスは大岩の勢いに驚き転んでいたおかげで、間一髪で潰されずに済んでいた。かつての恩人が無事であることに安堵したエリオットの心には、アルテオスに対する怒りがさらに燃え上っていく。

 

「……兄貴!お前何やってんだ!?」

 

「俺たちの戦いに首を突っ込むからだ。邪魔者は排除するまでだ」

 

 大岩に姿が隠れているせいでアルテオスの表情は分からないが、その声は背筋が震えるほど冷静だった。エリオットはアルテオスの冷酷さに驚き、そして怒りを覚える。今一度剣を強く握りしめると、アルゲスの制止を振り切ってその場から駆け出した。大岩をかいくぐってアルテオスに近づき、鎧の隙間を狙って細剣を突き出す。しかし、彼は恐るべき反射神経で、細剣をつかみ取った。

 

「……てめえ、何考えてんだ」

 

 エリオットは力の限り剣を押し込むが、アルテオスもまた力の限り押し返している。力は完全に拮抗していた。

 

「さっきも言ったはずだ、邪魔者は排除すると。……何がおかしい」

 

「畑が不作だった時、助けてくれたんじゃなかったのかよ!?それなのに、お前は……」

 

「だからなんだ。結果として俺はリハンを殺し、『痣』を身に宿した。アルゲスの助けなど、何の役にも立たなかったんだ。……なら、邪魔者でしかない!」

 

「……恩知らずが!」

 

 アルテオスの手から剣をようやく引き抜いた。引き抜いた時に斬ったのか、彼の手のひらには小さな切り傷がつき、わずかながら血が流れだしている。彼は血がにじんだ手のひらを睨みつけ、舌打ちをする。その大きな隙をエリオットは見逃さなかった。細剣を掬い上げるように振り上げ、鎧の隙間から腹を狙う。細剣は脂肪と筋肉、そして内臓を貫いた。剣を引き抜くと血と油がこびりついている。アルテオスの鎧の下からは血が滝のように流れ出し、彼は手で腹を押さえながら地面に膝をつく。エリオットは細剣に付いた血と油を振るって落とすと、アルテオスの頭に突きつけた。

 

「……兄貴」

 

「エリオット……。俺は、お前を……」

 

「もう終わりにしよう、兄貴。もう戦えないだろ?」

 

 アルテオスの呼吸が荒くなり、肩が上下している。しかし、それでも彼はまだ戦おうとした。ゆっくりと立ち上がり、「まだだ」とつぶやく。目の前に立っていたエリオットを払いのけると、アルテオスはあるところをめざして駈け出した。エリオットは後を追うが、すぐに彼がどこに向かっているかを理解した。……海がよく見える小高い丘。そこには、彼らの弟であるリハンの墓が立てられている。エリオットは、リハンの墓の前で立ち尽くすアルテオスを見つけた。

 

「兄貴、何のつもりだ?」

 

「……親父が死んだあと、お前は家を出て行った。俺は、3人で生きていくと思っていた。大変だけど、協力して生きていける。それで十分だった。……だが!お前は1人、家を捨てた!」

 

 アルテオスは吠える。感情の高ぶりに応えるように、彼の腹から流れ出る血の量も増えていく。

 

「まだそんなことを……。俺が家を出れば食い扶持が減って楽になるって何回も言っただろ!?何が納得いかないんだよ!」

 

「……俺だって!お前みたいに家を出たかったさ!アルゲスのじいさんに聞かされた冒険話!俺だって……。でも、俺にはそれは出来ねえ。家が、畑がある。親父から受け継いだものがな。だから……」

 

「俺のことが羨ましかったのか、兄貴」

 

 アルテオスは図星を指されたようにうつむく。彼の目にはリハンの墓が映されていた。

 

「……リハンを殺した後、俺は当てもなく旅を続けた。世界をめぐり、様々な景色を見た。……俺の心には、罪悪感がなかった。それよりも、喜びで満ちていたんだ。……『やっと自由になれた』ってな。俺にとってリハンは、かわいい弟で、足枷だった。……そんな自分が許せなかった。だから俺は、死ぬために『痣』を受け入れた。体を蝕む苦痛の中、お前の顔を思い出した。傭兵になると言って出て行ってから、一度も顔を見なかった。生きているのか、死んでいるのかさえ分からなかった。……アベルから聞いたよ、今じゃ帝国の騎士団で団長をやってるんだってな?……兄として、誇らしいよ」

 

 アルテオスは地面に崩れ落ちていく。体を支えるため、リハンの墓に寄りかかり、空を仰ぐ。

 

「俺の人生は、中途半端だった。親の期待にも応えきれず、お前と殺し合うこともできない。……挙句の果て、『痣』なんぞに手を出したってのに、碌に戦えねえとはな。まあ、俺にはちょうどいい最期かもな。……お前もいるし、願ってもないことだ」

 

 アルテオスは最期、そう言ってエリオットに向けて笑みを見せた。怒りからくる相手をさげすむような笑みでもなければ、相手の苦痛を喜ぶ愉悦の笑みでもない。親愛の笑み。エリオットは意を決したように、一歩踏み出す。彼はすぐに弟の真意を知り、右手で制止した。

 

「やめろ。……お前のこれからを、俺で縛りたくはない。……俺に介錯はいらん。『岩槍』」

 

 地面から突き出た岩の槍が、アルテオスを貫き地面へと消えていく。その場には、胸に大きな穴をあけた男が残った。崩れ行く兄の身体を、弟が抱きかかえる。何度弟が呼びかけても、兄が答えることはない。……弟は兄を寝かせ、身体に残った痣を切り取り、海へと投げ捨てた。それがせめてもの、弟ができる兄への手向けだった。


 


 魔都コーネッテス、覇剣の塔。

 

「ふん!」

 

「はっ!」

 

 大剣と薙刀が交差する。片や下品な笑みを、もう片方は下品な笑みを浮かべる男を強くにらみつけている。

 

「……待っていたぞ、この時を!この手で、お前を殺す時を!ゼロス!」

 

 ゼロスの一撃を受け止め、はじき返す屈強な男。かつて王国衛兵隊の隊長を務めていたのだが、その面影はどこにもない。

 

「俺もだ……。いい加減、お前にはうんざりだ!クバル!」

 

 ゼロスもまた本気で打ち込み、何度も自分の前に立ちはだかってきた男の首を狙う。……彼らが刃を交えているのは塔の最上階。クバルがゼロスの姿を見つけた途端にクリスタルを破壊し、驚くゼロスに斬りかかったのだ。暗い部屋は未だ淡い輝きを残したクリスタルの破片によって照らされている。ゼロスの膂力に押しのけられたクバルは、懐かしそうにひと息ついた。

 

「……さすがだ、ゼロス。古より伝わりし『影の一族』の力を得たこの俺を相手取ってなお、勇猛果敢に挑むとは。……やはり、グランバルトを思い出す」

 

「リバーニアの時もそんなことを言っていたな。……お前はあの人の何を知っている?」

 

 自分を救い、剣を教えてくれた恩人の名をよりにもよってクバルから聞き、ゼロスは苛立ちを隠せないでいる。クバルはこれ幸いと言わんばかりに、昔話を始めた。

 

「いやなに……。奴とは同郷であり、ともに騎士の夢を見た友よ。奴は強かった。度々、稽古で剣を交えたが、あれほどの剣の使い手はいなかった。結局、奴に1度も勝てぬまま、勝ち逃げをさせてしまった。……だが、強かったグランバルトはあの時すでに死んでいた。戦災孤児なんぞに身を削り、あまつさえ王国騎士の身分を捨ててまで、孤児を助けることに奔走するとは。……奴は、俺に負けるのが怖かったのだろう。だからこそ、孤児などという『弱者』を囲った!自らが最強であるという矮小な自尊心を、それにふさわしい小さな箱庭で満たしていたのだ!……貴様も同じよ、その荒々しい太刀筋。グランバルトの教えがよく見える。……雑魚の剣技だ、俺にその刃は届かん」

 

「……その雑魚の剣技で片腕を叩っ斬られたのはどこの誰だ?」

 

「貴様ッ!」

 

 ゼロスからの問いかけを侮辱と受け取ったクバルは大きく踏み込み、素直に薙刀を振り下ろす。ゼロスは逃げることなくそれを受け止め、自慢の力でいともたやすく押し返す。クバルは彼の抵抗を面白がっているのか、にやりと口角を吊り上げた。

 

「俺は新たな力を手に入れているのだ!その力の一端、見せてくれよう。……『魔轟圧』!」

 

 突如、クバルの薙刀から身を裂くような圧が放たれる。彼らがいた塔はすでに悲鳴を上げており、外壁が崩れるような音がゼロスの耳に届いていた。足元も沈んでおり、いつ床が抜けてしまってもおかしくはない。ゼロスは薙刀をはじき上げて後ろに跳び退き、クバルから距離を取る。あの凄まじい重力下にいたせいか、まともに呼吸もできていなかったようだ。深く息を吸い、呼吸を整えている。

 

「地獄まで落としてやろうかと思ったが、思った通りには行かぬか。……そろそろ、面白くないな」

 

「俺はお前と戦って面白かった瞬間なんかほとんどないけどな。お前の左腕を斬り飛ばした時が唯一だ」

 

「……今の言葉が最期になるかもしれんぞ。もう少し考えてから口を開くことだな」

 

 クバルは薙刀の柄で床を叩く。塔はすでに限界を迎えていたようで、たったそれほどの衝撃だけでも大きな音を立て、崩れ始めてしまう。ゼロスはクバルの背を向け、窓から外に飛び降りようとした。瓦礫に巻き込まれるのを避けるためである。しかし、彼の身体はその場に固定されてしまう。全く動かないゼロスの身体に、クバルは高らかな笑い声をあげていた。

 

「ハハハハハ!どうした!?窓から逃げ出すのではないのかね!?」

 

「……『痣』のせいか?ずいぶんと性根が腐っているな」

 

「んん……。弱者からの嘲りほど、この身を高ぶらせるものもない……。貴様は我が魔法、『重圧壁』によって囚われている。諦めて瓦礫に呑まれると良い」

 

 ついに、塔は崩壊した。クバルはゼロスの身体を最下層に叩きつけ、瓦礫が散らばらないよう、重力を操る。ゼロスは碌に剣も振るえぬまま、大量の瓦礫に押しつぶされてしまった。……しかし、クバルの表情に油断は見えない。リバーニアでゼロスと戦った時にも同じような状況になっていたが、彼は死んでいなかった。……塔の残骸によって出来上がった瓦礫の山から、石材の破片が零れ落ちた。その瞬間瓦礫の山が吹き飛び、その中心にはゼロスが剣を握りしめて立っていた。クバルの口角はまた吊り上がる。しかし、その眼には少しばかりの畏怖が含まれていた。

 

「そうだ……。この程度で死なれては困る。まだ、俺は満足していない!……来い!」

 

 クバルは懐から小さなクリスタルを取り出すと、足元に叩きつけて割った。まるで目くらましのように強い光が放たれ、周囲一帯を照らしていく。まぶしさのあまり、ゼロスは目を覆った。


 次に目を開いた時、彼は王城の中にいた。おそらく大広間だろうか。100人ほどは詰め込めそうな広さに、等間隔で柱が立てられている。クバルはその柱の影から、ゼロスにとって聞き飽きた笑い声をあげた。

 

「クハハハハハ!ここがお前の死に場所だ」

 

「……王城の中か?結界があったはずだが……」

 

「ほう、知っていたか。……いや、王城を一目見れば馬鹿でもわかることだ。何が五影将だ、しくじりおって……。まあ、お前が気にすることではない。お前はここで死ぬのだからな!」

 

 滑るように柱の間を移動し、クバルは素早く距離を詰めてくる。そ捨て隙間を縫うように突きを繰り出して来た。ゼロスは剣で受け止めるが、反撃できるほどの隙は無い。剣を構えている間にクバルは姿を隠しているのだ。その上、等間隔に並べられた柱が邪魔をして、ゼロスは満足に剣を振るえないでいる。玉座の間へと続く扉の前は広くなっているが、いざそこへ向かおうとすると必ずクバルからの邪魔が入る。

 

「……チッ!卑怯な手を!」

 

「何とでも言うがいい。貴様を殺すためなら手段を選ばん!さあ、臓物をさらせ!」

 

「……」

 

 ゼロスは防御のために使っていた剣を背負った。クバルはその瞬間「意を決したか!」と柱の裏から躍り出て、袈裟切りを放った。ゼロスは左手で薙刀の柄をはじくと、クバルではなく柱へと向かった。素早く放たれた拳は柱へと打ち込まれる。たった一撃で大きなひびが入った。彼は続けざまに拳を突き出し、柱に刻まれたひびをより深く、大きくしていく。クバルはそこで、ゼロスの思惑を理解した。だが、それは遅すぎた。とどめとばかりに打ち込まれた拳。拳を柱から引き抜くと同時に、柱が揺らめいている。ゼロスが揺らめく柱を少しだけ手で押すと、大きな音を立てて倒れて行った。

 

「そこまでだ!」

 

 クバルはゼロスの背中を狙うが、彼の左回し蹴りにより薙刀があえなく弾かれてしまう。ゼロスは大きくため息をつくと、ようやくと言わんばかりに背中に背負っていた剣を抜いた。そして折られた柱の上に飛び乗り、その場で一回転するように剣を振るった。その衝撃は周りの柱に伝わり、柱がドミノのように倒れていく。巻き込まれないよう離れていたクバルは、その眼に焦りを浮かべていた。

 

「ククク……。まさかここまでとは。貴様の剣を封じることは叶わなかったか。だが、それも所詮はただの小細工にすぎん。仕切り直しと行こうか!」

 

 クバルは頭上で薙刀を回転させ、回転の勢いをつけた一撃を放とうとしている。折れた柱の上にいたゼロスは、床に転がる柱の残骸に視線を落とした。彼は残骸を踏み砕いて人の頭程度の大きさにする。そして、手を加えた残骸を蹴り上げると、自らの剣でそれを打ち出した。

 

「なっ!?」

 

 クバルはとっさに頭をそらして飛んできた残骸を躱す。しかし、ゼロスが打ち出す残骸はまるで霰のように飛んでくる。

 

「面白い手を使うものだ。だが……『グラビテーション』!」

 

 クバルが前方に手をかざすと、ゼロスが打ち出していた残骸がすべて床に叩きつけられる。さらに、それだけではとどまらず床そのものを凹ませた。ゼロスもそれに巻き込まれ、陥没した床の上で膝をついている。

 

「痛快!この俺の前で膝をつくゼロスが見られるとは、まこと痛快なことよ。……グランバルト、俺は貴様の剣を越えたぞ」

 

「……いや、まだだ」

 

 ゼロスは剣を杖のように使い立ち上がった。鎧には傷やほころび、土煙などがこびりついているが彼の身体を害するには至っていない。彼は正面に剣を構え、剣越しにクバルを見据えた。クバルもまたそれに応じ、仰々しく薙刀を振り回して構えなおす。両者がにらみ合う。まるで時が止まっているのかと錯覚するほど互いに動かなかったが、陥没した床の破片が重力に負けて落ち、「ぱら……」と小さな音を立てた。その瞬間、2人は同時に床を蹴って飛び出し、全霊をもって刃を振り下ろした。

 

「くうう……。いい加減、死ね!ゼロス!」

 

「それはこっちのセリフだ!お前には飽き飽きだ、クバル!」

 

 拮抗する力。クバルは魔力を解放し、制御すらかなぐり捨てた最大の重力を薙刀の刃から発した。途端、ゼロスの身体が床にめり込んでいく。王の偉大さを示すために使われた大理石はいともたやすく砕け、価値のない石の破片へと変わっていく。しかしゼロスは大理石よりも頑丈である。常人ならば体がちぎれてしまうほどの重力下だが、彼はそれに耐えるだけでなくクバルの刃を押し返している。

 

「うおおおお……!オラッ!」

 

 そしてついにクバルの薙刀を跳ね上げ渾身の横薙ぎを放った。クバルは薙刀を跳ね上げられていたせいで体勢を崩しており、両足を叩き切ろうとしたゼロスの剣は、クバルの右ひざを叩き切るだけにとどまった。しかし、それでも致命傷であることに変わりはない。

 

「ウオオオアアア!……グアア!……はあ、はあ」

 

 クバルは言葉を忘れた獣のように呻きながらも、立ち上がることをやめようとしない。しかし、右ひざより下を失った人間は両の足で立つことは叶わない。薙刀を杖のようにして立ち上がるが、痛みによろめきすぐに床に這いつくばっていた。ゼロスは陥没した床から這いあがり、血だまりの上でもがくクバルを見据える。彼もまた視線に気づき吠えた。

 

「ゼロスウウゥゥ!貴様アァ!」

 

 ゼロスは口を開かず、クバルのもとへ歩みを進める。その右手にはしっかりと大剣が握られていた。

 

「許さん!貴様だけは!死ね!死ねええぇぇ!」

 

 血だまりの上でうごめきながら、必死に薙刀を振り回すクバル。ゼロスは簡単に片手で握った剣だけでそれをいなし、とどめとばかりに弾き飛ばした。力の入らない姿勢のため、いともたやすく薙刀が彼の手を離れ床を滑っていく。ゼロスはクバルの身体の真上で剣を振り上げた。そして深くため息をつく。その瞬間、クバルがゼロスの足を掴んだ。

 

「油断したな!このままお前の足を握りつぶしてくれる!『超過重圧』!」

 

 ゼロスの足首を握ったクバルが魔力を発する。その両手に圧力が生まれ、ゼロスの足首をつぶそうとしている。しかしそれよりも早くゼロスが剣を振り下ろした。頭から背中までを一刀両断し、クバルは絶命した。……復讐にとらわれた人間の末路は、大抵目も当てられないものだ。

 

 ゼロスは足を振るってクバルからの拘束を解き、振り返る。その視線の先には玉座の間へと続く扉があった。きっとその先に、コンテッド王国の新たな国王がいる。国王さえ捕えられれば、この戦争は終わる。ゼロスが一歩踏み出した時、玉座の間へと続く扉が大きな木のきしむ音を立てて開いていく。扉の先、玉座の間にはある人物がいた。その男は拍手をしながらゼロスを睨みつけている。

 

「流石、この私に苦労をさせてくれただけはある……」

 

「……キース?なぜここにいる。王国は軍部大臣も剣を握るのか?」

 

「戯言も変わらぬようだな。忌々しくて仕方ないが、それも最後だと思えば味わい深いものよ。……お前たちのもとにも届いているはずだ、『コンテッド前王の崩御の知らせ』が。当然、王位は継承者のもとに移る」

 

「それが自分だとでも?お前はただの小金持ちの貴族にすぎん。王族の親戚ですらないというのに、お前に王位継承権などあるわけがない」

 

「……私が王位を簒奪したとすれば?」

 

 キースはそう言いながら首筋を見せつける。そこにはまるで当然とでも言うように「影の一族の痣」が刻まれていた。

 

「……堕ちるところまで堕ちていたか。恥知らずめ」

 

「貴様を殺すためなら、私はいくらでも恥辱に塗れよう」

 

 キースは左手に握りしめていた杖で一度強く床を叩く。「おしゃべりはここまでだ」ということだろう。彼の目は鋭く尖り、殺意が輝いていた。


 


「他のみんなはどうなった?」

 

 転移魔法の残り香により烈風の塔へと戻ってきていたエリオットは、皆の様子を確かめるために階段を駆け下りていた。外からは塔が崩れる音が2回ほど聞こえてきている。もしかすると誰かが危機に瀕しているかもしれない。そう考える度に、気持ちが逸った。最後の階段を飛ばしながら降り、地面を転がるように塔から出た。すぐに立ち上がり周りを見渡す。

 

「エリオット!こっちに来てくれ!」

 

 カリンの声だ。言われるがまま声の居場所をたどると、そこはコルニッツォが上っていったはずの塔が崩れた状態であった。オルコスとセリア、そしてカリンが瓦礫をどかしている。

 

「来たか、エリオット。……どうやら無事なようだな」

 

「ああ、俺の方はなんともないが……。まさか、コルニッツォは下敷きに……」

 

「その可能性がある。だからこうして瓦礫をどかしているんだ。手伝ってくれ」

 

「わかった」

 

 エリオットもすぐさま瓦礫除去に加わり、小さな竜巻で瓦礫を巻き上げ、運び出す。その最中彼はカリンに他の仲間のことを聞いた。

 

「カリン、他のみんなは見たか?」


「アイリーンだけは。今アイリーンはエリシアとノクス、ゼロスを迎えに行っている。……アイリーンは動ける程度の怪我で済んでいるようだが、エリシア達がどうなっているかはまだわからん」

 

「……そうか」

 

 ひとまず1人の無事を知ることができた。エリオットの心は多少落ち着きを取り戻したが、それでもまだ不安はぬぐい切れていない。そんな時。

 

「……すまない、少し休ませてくれ」

 

 セリアの右肩に巻かれた包帯が血で滲んでいる。応急処置はしたようだが、痛みが完全に引いたわけではないらしい。弱音を吐こうとしないがオルコスも調子が悪そうだ。汗をにじませ、息が荒い。

 

「オルコス、お前も少し休め。これ以上の無理は身体に響く」

 

「……悪い」

 

 オルコスはそう言うと瓦礫を脇に積み上げて出来上がった山に背中を預けて座り込んだ。と思ったのもつかの間、すぐに眠りに落ちたようだ。

 

「カリンもだ。楽な戦いじゃなかっただろう」

 

「私は大丈夫だ。エリオットこそ、少し休んでもいいんだぞ。あまり顔色がよくないみたいだしな」

 

「……これは、気にしないでくれ」

 

 どこか含みのあるエリオットの物言いに少し疑問が首をもたげたが、すぐに目の前の瓦礫撤去に意識を戻した。そうしていると、遠くから「みなさーん!」とアイリーンの声が聞こえてくる。振り向けば遠くから彼女と、ノクスとエリシアがこちらに向かってきていた。どうやら彼らも無事だったようだ。……ノクスは脇腹に血をにじませているし、エリシアも体中に細かい傷をつけていた。完全に無事とは言えないが、生き残っただけでも十分だ。

 

「良かった、お前らも無事だったか。応急処置は済ませたな。……ゼロスはどこだ?」

 

 エリオットが仲間の無事を喜んだのもつかの間、彼はすぐにゼロスの不在に気づく。カリンはノクス達を迎えに行っていたアイリーンに「どういうことだ」と説明を求めるように視線を向けた。彼女は自らの胸を両手で押さえながら言った。

 

「……いませんでした。彼が上って行った塔は崩壊していて、彼の技かあるいは敵の仕業かはわかりませんが瓦礫が方々に散っていました。ノクスさんとエリシアさんにも手伝ってもらいましたが、塔の周りにはいませんでした」

 

「なんだと!?……ゼロス、どこに行ったんだ」

 

「……これは、私の予想なのですが。1人で王城内に向かってしまったのではないでしょうか。『王の首を取ればこの戦いは終わる』と考えて」

 

 アイリーンが立てた予想を前に、エリオットは唸り声をあげる。彼の実力や考え方からすれば、十分あり得ることだった。一体彼がどれほどの手傷を追っているかは定かではないが、たった1人で敵陣のど真ん中に切り込むのは蛮勇以外の何物でもない。……エリオットが王城を見上げた時、カリンが声をあげた。

 

「コルニッツォ!生きてるか!?」

 

 下敷きになっていたコルニッツォの足がようやく姿を現した。急いで周りの瓦礫もどけていくと、コルニッツォが誰かを守るように抱きしめていた。エリオット達が呼びかけると、コルニッツォと抱きかかえられた女性はともに小さくうめき声をあげる。どうやら2人とも一命はとりとめているようだ。

 

「カリン。ここから南に向かって、紅蓮騎士団の補給地に向かってくれ。怪我人たちを運んでもらうんだ」

 

「わかった。……それで、エリオットはどうする気だ」

 

「王城に入る。中にはゼロスがいるかもしれない。あいつがどれだけ強かろうが敵陣のど真ん中で放っておいていい理由にはならねえ。……他に動けるのは……」

 

「私も行きます」

 

 コルニッツォの容態を確かめていたアイリーンが立ち上がった。彼女の鎧はボロボロに砕かれ、肌には擦り傷や切り傷がいくつもついているがそれでも行くつもりのようだ。

 

「……2人だけか。仕方ない。……じゃあ、カリン。頼んだぞ」

 

 エリオットとアイリーンが王城に向かおうとした途端、遠くから「ちょっと待て」と引き留めるような声が聞こえて来た。声の方を向けば数え切れぬほどの軍勢がこちらに向かってきている。もしや敵か、と動ける者達は臨戦態勢を取ったが、擦れはすぐに無駄だと分かった。掲げられていた旗に見覚えがあったのだ。それは迅雷騎士団のものだった。

 

「エリオット、それに他の奴らも。無事だったか」

 

「ガラード殿もご無事なようで」

 

「うむ。少々手こずったがな」

 

 迅雷騎士団はリバーニアで鹵獲した魔導戦艦を用いて、守りが薄いはずの王都東側から攻めていた。だが、予想よりも守りが分厚く、上陸戦に手こずったため王都侵入がだいぶ遅れてしまったようだった。エリオット達が王都に侵入したとき、王国兵と余り交戦せずに済んだのは彼らが派手に戦ってくれていたからかもしれない。

 

「俺たちは今から王城に乗り込みます。ガラード殿はいかに」

 

「……兵の消耗が激しくてな。1度補給地に戻るつもりだ」

 

「ならば、カリンたちも帯同させてもらえませんか?こちらも仲間の消耗が激しく、一刻を争うかもしれない者も……」

 

「……あい分かった。荷車で済まないが、我慢してくれ」

 

 エリオット達はガラードど協力し、重傷者たちを荷車に積んでいく。そして責任者としてカリンを帯同させ、補給地に向かっていく彼らを見送った。その場に残ったのは、エリオットとアイリーンの2人だけだ。

 

「……行こう」

 

「了解です」

 

 2人は一度大きく深呼吸をすると、それぞれの剣の柄をぎゅっと握りしめて、王城の入り口へと駆けて行った。



 

 黒い鎧を纏った男が宙を舞い、壁に叩きつけられる。男を吹き飛ばした冠をかぶった男は、得物である杖を手元でくるくると振り回している。鎧の男は崩れていく壁と同時に床に落ち、その上に瓦礫が降り積もる。だが、彼はすぐに瓦礫を吹き飛ばし、すぐに構えなおした。

 

「どうだゼロス、俺の魔法の威力は。自分と同じ魔法で打ちのめされるのは初めてだろう?」

 

 ゼロスは答えず、床を蹴って飛び出した。正面からの全力の一撃。キースは杖を振り上げてゼロスの剣を軽々と受け止めた。ゼロスは力を込めて剣を押し込むが、キースはピクリとも動かない。

 

「無駄だ。『痣』の力を手に入れた俺の力に貴様が勝てるわけがない。……諦めて殺されるんだな!」

 

 キースは受け止めていた剣を押し上げてゼロスの体勢を崩すと、左の脇腹を杖で思いきり殴りつけた。鎧は砕け、骨にも衝撃が伝わっている。まるで体重が感じられないほど強く殴り飛ばされ、大広間の柱にゼロスの身体の跡がはっきりと残った。床に転がった彼のもとへキースが飛び掛かり、杖で体を貫こうとした。だが間一髪でそれを避けたゼロスは、とっさの蹴り上げでキースが握っていた杖を弾き飛ばした。

 

「おっと……。『窮鼠猫を噛む』とはまさにこのことかね。……まあ、張り合ってくれなければ面白くないというものだ」

 

「……ふざけたことを。まるでこれが遊びだとでも言いたげだな」

 

「遊びだよ。貴様が、俺に殺されるのを楽しむのだ。……幼子とて反応のない虫では遊ばないだろう?それと同じでな、いたぶる相手が無抵抗だと面白くないのだ。……さあ、遊びはまだ始まったばかりだ」

 

 キースは自らのすぐ隣にあった柱を拳の一撃でへし折り、装飾として掘られた溝に指をかけ、柱を持ち上げるとその場で大きく振り回し始めた。周囲の柱を薙ぎ払いながら、ゼロスへと迫っていく。

 

「ハハハハハ!さあどうする!?受け止めてみるか!?」

 

 ゼロスは剣を握ると、その場から弾かれるように飛び出し、斧を叩きつけるように剣を振り下ろす。剣の切れ味は凄まじく、石で作られた柱を一刀両断した。キースはゼロスの技に驚きを見せていたが、彼はそれを隙だととらえ、舞い上がった土煙の中から飛び出し、キースの腹に向かって突きを繰り出した。キースはとっさに近くにあった瓦礫をつかみ取り、剣を側面から殴りつけて軌道をそらす。その甲斐もあり、キースは脇腹を少し裂かれる程度で済んだ。さらに彼はがら空きになったゼロスの胴に拳を打ち込む。拳はちょうど腹の真ん中に打ち込まれ、ゼロスはよろめきながらせき込み、いくらか胃液を吐いた。キースは勢いを緩めず、少し前かがみになったゼロスの背中に肘を落とす。ゼロスはやられるがまま肘を打ち込まれ、床に叩きつけられた。うずくまるゼロスの背中を、キースは踏みつける。踵を押し付け、ぐりぐりとめり込ませる。その顔は愉悦に包まれていた。

 

「ククククク……。良いものだな、『力』というものは。貴様もそう思うだろう?……だからこそ今の今まで生き残ってこれたのだから。鬱陶しい奴は力尽くで黙らせられる。こんなに心地のいいことはない……貴様と同じでな」

 

「……お前なんかと、一緒にするなよ。俺は、力を汚い方法では使わん」

 

 キースはゼロスの物言いが癪に障ったのか、踵をゼロスの背中に押し付けたまま蹴り上げる。肉が引きちぎれるような痛みと共に体が浮き、床を転がっていく。大広間に残っていた柱の根元に体を打ち付け、ゼロスは低くうめいた。

 

「どうした?もう終わりか?『嵐』の名が廃るな」

 

「……まだだ」

 

 柱の根本を支えにして、よろめきながらもゼロスは立ち上がる。キースに好き放題されながらも、剣だけは手放していなかった。身をかがめ、背負うように剣を構えた。

 

「まだ立ち上がるか。……よい、俺もまだ遊び足りなかったからな」

 

「……もう、お前の遊びには付き合ってやらん!」

 

 ゼロスは身を低くし、前傾姿勢のまま床を蹴る。キースはそばにあった折れた柱の一部を掴み上げた。ゼロスとキースの距離が近づく。キースはまた柱を横向きに振り回した。ゼロスはタイミングを見計らって柱に飛び乗ると、その上を走ってさらに距離を詰めていく。

 

「何っ!?」

 

 キースは柱を投げ捨てると近くに落ちていた瓦礫を拾い、槍のように構える。ゼロスは柱から跳躍し、全身全霊の力をもって剣を振り下ろした。キースは迎え撃つように瓦礫を突き出したが瓦礫は一瞬で砕け、刃はキースの右腕をとらえていた。鉄の塊は見事にキースの右腕を断ち切った。ぼたぼたと血が垂れる右肩をおさえながら、キースはなぜか嬉しそうに言った。

 

「……素晴らしい!それでこそだ。それでこそ、私が本気を出すのにふさわしいといえる」

 

 彼はそう言いながらなんともないような様子で歩き出し、切り落とされた右腕を拾い上げた。なめらかな切り口からは決して人体に存在してはならない触手がうねうねと姿を現した。それはキースの右高からも現れ、まるで右腕を迎え入れるようにうごめく。キースが腕を近づけると、それぞれの触手が絡みつき、切り離された腕と肩をつなげていく。耳をふさぎたくなるような気持の悪い水音が大広間に響き渡る。

 

「手品に興味はない!」

 

 何か嫌な気配を感じ取ったゼロスは横向きに振るうが、キースは右腕で剣戟を受け止めた。もはやそれは腕ではなく、異形そのものだった。彼の肩から生えた触手がゼロスの剣を包み込んだのだ。引き抜こうにもしっかりと絡めとられているためびくともしない。

 

「どウだ!コレこそが『痣』ト完全に融合シタ姿だ!この力、貴様テイドでは相手にスラならん!」

 

「……面白くない手品だ」

 

「ソウ言っていラレるのも今ノ内というモノだ。現ニ、貴様は俺ノ前で無様に隙ヲ晒シ続ケテイるではないか。……地獄に送ッテやろウ!」

 

 キースの触手がさらに伸び、ゼロスの腕や足、さらには身体までをも捕らえた。ゼロスは不快感を覚え、何とか引きちぎろうとしたその時、不意に重力を失った。彼の身体はキースによって剣ごと持ち上げられたのだ。キースは獣と思しき笑い声を高らかに上げると、右腕を強く振り下ろした。急激な動きに引っ張られるゼロスはされるがまま、あえなく地面に叩きつけられる。土煙が上がり、床には大きな穴まであけられた。……キースはゼロスの様子を確かめることをせず、何度も床や壁に腕を叩きつける。時にはおもちゃをもらった子供のように、大広間を走り回りながらゼロスを引きずりまわした。とどめとばかりに壁に投げつけられたゼロスは、小さな呼吸をするだけだった。かろうじて剣を握りしめているが、腕は全く上がる気配もない。

 

「……こコまでカ。随分ト遊ばセテ貰ッタが、形あルモのはいツか壊レると良ク言ウだロう。……セめてモノ情ケだ。貴様ヲ、我ガ糧トしてくレヨう」

 

 キースはまたもや右腕から触手を伸ばし、壁に埋まったゼロスの身体を引き抜くとその体に触手を張り巡らせていく。鎧が砕ける音が聞こえる。隙間から黒い破片が飛び散った。ボロボロになったゼロスの口から、小鳥の羽ばたきよりも小さなうめき声が漏れ出る。……彼は死期を悟った。傭兵稼業などいつ死んでもおかしくはない仕事ではある。孤児院の子供たちには金を遺しているし、シエラたちもいる。今や烈風騎士団の皆もたまにだが面倒を見てくれている。……心残りは、アイリーンだけだった。


 


 突如、破裂音が響いた。もちろんゼロスからではない。キースはもちろんゼロスでさえ音の出所を探る。そして、その眼でとらえた。自らに差し伸べられた救いの手を。

 

「ゼロス!無事か!?」

 

「ゼロスさん!助けに来ました!」

 

 エリオットとアイリーン。二人が大広間の扉をけ破り、絶体絶命の危機にあったゼロスの前に現れたのだ。彼らはすぐにキースという偉業の怪物の存在に、そしてその腕の先にゼロスが囚われていることに気づく。

 

「ゼロス!生きてるか!?」

 

「……なんとかな」

 

「今すぐ助けます!……『獅子の双牙』!」


 アイリーンは虚空からヴァーミア家に伝わる斧をつかみ取ると、地面を抉りながら振り上げる。ゼロスにまとわりついていた触手はぶちぶちと音を立ててちぎれて行き、拘束が緩む。そしてすぐに斧の二撃目の振り下ろしにより触手は完全に断ち切られ、ゼロスは宙に投げ出される。エリオットは彼を包み込むような風を生み出し、ゼロスを優しく受け止めた。

 

「ひどい怪我だ。……すまなかった、お前に一人で戦わせて」

 

「……謝るな。これは、ただの俺の独断だ。……謝らなきゃならんのは、むしろ俺の方だ。……勝手な真似をしてすまない」

 

「生きてるならそれでいい。……それより、あのバケモンは何だ?」

 

 エリオットとアイリーンという二人の邪魔者の手により、ゼロスは解放されてしまった。それがひどく気に食わないのか、もとより右腕が異業となり果てていたキースは、怒りに共鳴して増幅していく「痣」がもたらす魔力に身をゆだねていた。

 

「おオオおおおオおおオオ!邪魔ヲ、邪魔をスルなァァ!」

 

 奴の身体からあふれ出す黒い奔流は大広間の中で吹き荒れ、壁や床そして天井などにひびを入れていく。ゼロスとクバルの戦い、そして先ほど自らの手によって大広間の柱はほとんど破壊していた。このままでは、大広間どころか城全体が崩壊しかねない。

 

「……団長!一旦ここから離脱しましょう!これ以上は、ここにいることすら危険です!」

 

「わかった。ゼロスは俺が担いでいく!……立てるか?」

 

「……すまない」

 

「謝るのは手当てしてもらってからにしろ。……アイリーン、後ろは頼んだ」

 

「はい!」

 

 ゼロスと彼の剣を担ぎ上げ、エリオットは自分たちが入ってきた扉から脱出を急ぐ。しかし。

 

「逃ガスカァァ!」

 

 右腕だけでなく左腕からも触手を放つ。いつの間にか斧から剣に持ち替えていたアイリーンが、まるで舞っているかのような太刀筋で触手を切り落としていくが、彼女が一本切り落としている間に、触手は二本放たれている。そしてついに彼女の剣から逃れ、エリオット達の方へと触手が伸びて行ってしまう。アイリーンはすぐにこれを斬り落とそうとするが、自らをとらえようとする触手から逃れるだけで精いっぱいだった。

 

「団長!ゼロスさん!」

 

「何っ!」

 

 エリオットはとっさに剣を抜くが、背中にゼロスを背負ったままでは満足に剣を振るうことなどできない。いくらか触手を斬り落としたものの、右腕をからめとられ剣を封じられた。

 

「くっ……、離せ!」

 

 左腕で何とか引きちぎろうとするが、その左腕すらもからめとられてしまう。少し先を見ればアイリーンも動きを封じられてしまっている。

 

「逃ガスものカ!俺ノ邪魔ヲしたモノを……生カシておくカァぁァ!」

 

 触手にからめとられた二人の身体が振り上げられ、床に叩きつけられる。そのさなか、ゼロスも床に投げ出された。

 

「王タル我ノ……邪魔ヲシオッタナァァァ!」

 

 ついに意識が「痣」に完全に乗っ取られたのか、顔の筋肉が裂け始め、獣のような形に変わっていく。さらに、背中を突き破り無数の触手が翼のように生える。触手にとらえられた二人は渾身の力で締め上げられ、苦痛の声を漏らしていた。

 

「フハハハハハ!コレハ罰ダ!王タル我の行イニ水ヲ差シタ愚カ者ヘノナ!ハハハハハ!」

 

「……クソッ!なんだよこいつ……」

 

「ゼロスさん……逃げて……」

 

 アイリーンが床に転がるゼロスにそう呼びかけた。その言葉が聞こえたのか、床に転がっていたゼロスはピクリと右腕を震わせ反応を見せる。少しだけ腕を伸ばし、自分の剣をつかみ取った。そして突如発生する「嵐」のごとく猛烈な剣戟が二人を触手の拘束から解き放った。斬られた触手から体液をまき散らしながらキースが叫ぶ。宙から投げ出されたエリオットは風を操り何とか無事に降り立った。アイリーンも同様に落下したが、ゼロスが何とか抱きかかえ事なきを得る。彼女は信じられないといった様子でゼロスに問いかけた。

 

「ど、どうして……。これほど体力が残っていればここから逃げるなんて簡単なことでは……」

 

「……遅くなって悪い。やっと、覚悟が決まったんだ。……アイリーン。俺の隣にいてくれ。こんなところで死んでほしくない。……これが、俺の覚悟だ」

 

 全身が血に塗れたゼロスは、意識が朦朧としていながらもはっきりとそう言った。握っていた剣を床に突き立て、両手でアイリーンを抱きしめる。あの時よりも強く、自分の想いを伝えるために。

 

「……ええ、本当に遅いです。でも、あなたの言葉がうれしくて、そんなことどうでもいいって思えてしまいます。……ずっと、隣にいさせてください」

 

 一部始終を聞いたエリオットは驚きはしたものの声をあげることはしなかった。今、あの場は二人だけで十分だ。無粋なことはすべきではない。しかし。

 

「フフフフフ……?命ガ懸カッタ場面デ色恋トハ、随分ト余裕ソウデハナイカ。イイダロウ。貴様ノ愚カサニ免ジテ、コノ場デ全員殺シテクレル。愛ヲ誓ッタ者ト共ニ地獄ニ行ケルノダカラ、有難ク思ウガイイ!」

 

 ゼロスの再起に対して闘志を燃やすキースが声をあげる。背中の皮膚を突き破って生えて来た触手を床に突き刺し、その触手は壁や天井に伸びて行く。崩れかけた王城を支えるためだろうか、欠けた柱はすべてキースの触手によって修繕された。いつの間にか大広間から出るための扉も触手によって封鎖されている。

「……アイリーン、下がっててくれ」

 

「いえ、私も一緒に……」

 

「巻き込みたくない。……気にしていられるほど、余裕はなさそうだ」

 

 床に突き立てた剣を抜き、ゼロスが構える。キースは背中の触手をちぎりとり、何度か飛び跳ねて身軽さを確かめていた。……あの姿、どう見ても人ではない。獣か、あるいは悪魔か。

 

「身体ガ軽イ。コンナ気分ハ初メテダ!コレコソ、カツテ惑星アルスソノモノヲ支配シタトイウ『シャーディンノ一族』ノ力ニ他ナラナイ!マサニ、私ハ神ニナッタノダ!」

 

「……いい加減、お前のその愚かさにはうんざりだ!」

 

 ゼロスが床を蹴る。キースは緩慢な動きで、水面をなぞるように手を動かす。すると床に埋まっていた触手が隆起し、束となってゼロスを襲う。ゼロスはその場からジャンプし、触手の柱を足場にキースを目指す。キースは何度も触手を生み出しては道をふさぎ、ゼロスをとらえようとするが、一度の剣戟でそのたくらみ事粉々に打ち砕かれていた。キースは危機感を覚えたのか顔色を変える。そして、自らの腕のように動く二本の大きな触手を生み出し、それをもってゼロスとの勝負に臨んだ。


 まるで打ち出される拳のようにゼロスを突く触手。ゼロスは剣で受け止めるが、周りの触手がゼロスの足を取る。素早く切り飛ばし何とか事なきを得るが、正面からはすでに第二撃目が向かってきていた。一度目で失敗を悟ったゼロスは、剣で受け止めるのではなく立ち向かうことを選んだ。剣を垂直に立て、身をかがめながら前進した。大きな触手はゼロスの剣により真っ二つにされていく。

 

「……アイリーン、俺たちは出口の確保を急ごう。あの様子じゃ、キースはゼロスに任せるしかない」

 

 ゼロスとキースの戦いを遠巻きに見ていたエリオットは、触手によって封じられた出口の方を振り向いた。ゼロスは雄たけびを上げ、迫りくる触手を切り落としキースに迫っている。もはや目に映るものすべてが敵であるとでも思っているような気迫を目の当たりにして、その隣に並び立とうとする酔狂なものは滅多にいない。

 

「団長は出口をお願いします。……私は、ゼロスさんに加勢してきます」

 

「正気か!?巻き込まれるって言われただろ。それにあの様子じゃ連携なんか無理だ」

 

「私がゼロスさんに合わせます。……一人で任せるなんて私にはできません」

 

「……わかった。団長命令だ、生き残れよ」

 

「了解」

 

 エリオットは出口へと向かい、アイリーンは剣を握りなおす。そして一度深呼吸すると瓦礫の壁から飛び出した。床から生える触手を斬り捨て、ゼロスのもとへと近づく。……キースはそれを見逃さなかった。


 


 ゼロスの気迫は留まるところを知らなかった。もはや触手で作られた壁など紙よりも脆い。身体に一度深い傷を刻まれては、「痣」の力によって身体を修復するか、触手の奇襲でゼロスの攻撃をそらすのが関の山になっていた。しかしそれでも、キースには勝算があった。自らの身体を囮としてゼロスに釘付けにさせ、視界の外から触手を伸ばしていた。

 

「きゃっ!」

 

 短い悲鳴にゼロスが振り向く。アイリーンが触手にとらえられていた。それは素早くキースの元に戻ると、アイリーンの顎を掴む。

 

「愚カダナ。忠告ヲ聞キ入レズ、手柄欲シサニ飛ビ出ストハ。……ゼロスヨ、動クデナイゾ。貴様ガタッタ今、愛スルト決メタ女ノ亡骸ヲココデ見タクハナイダロウ」

 

「……アイリーン」

 

「ゼ、ゼロスさん……」

 

 ゼロスは剣を構えた。奴の脅しに屈することなく。キースは目を見開く。

 

「ホウ……?成程ナ。自分ノ言ウコトヲ聞カナイ女ナドイラナイト言ウノカ。ハハハハハ!ヤハリ、ソノ無慈悲サガ貴様ソノモノナノダ!」

 

 キースはアイリーンをより強く締め上げる。アイリーンはうめき声をあげるが、眼だけは綴じずにゼロスをずっと見つめていた。

 

「……ゼロスさん」

 

 アイリーンがそう口にしたとき、ゼロスが床を蹴った。キースはアイリーンを渾身の力で握りつぶそうとするが、それは徒労に終わった。触手からは体液があふれ出している。その先にいたはずのアイリーンは、ゼロスに抱えられていた。

 

「お転婆だな、アイリーン。……怪我はないな?」

 

「は、はい……。あの、ごめんなさ」

 

「怪我がないなら今はそれで十分だ。……弁明なら全部終わってから聞いてやる。……立てるな?」

 

 ゼロスは優しくアイリーンを下ろす。彼女は少し名残惜しそうにしていたが、すぐに気を取り直し剣を構える。その視線の先にいるキースだったものは今まで以上に殺気に満ちていた。

 

「ゼロスゼロスゼロスゼロスゼロスゥゥ!貴様ハドレダケコノ我ヲ侮辱スル気ダトイウノダ!ウオオオオオオ!」

 

 周りの触手は彼の感情に呼応するように暴れまわる。のたうち回って床や壁、天井、柱などを叩きまわる姿は駄々をこねる子供のようであった。あまりの気迫に後ずさるアイリーンの肩をゼロスが抱く。

 

「……ゼロスさん」

 

「俺が隣にいる。怯える必要はない」

 

「けれど、あの気迫……。それに、先ほどまでのゼロスさんの攻撃で、奴は一度もダメージを受けているようには……」

 

 何度ゼロスの剣戟を受けても、即座に触手を繋げることで体を修復していたキース。あれを目の当たりにしていたアイリーンは勝機を見失っているようだった。しかし。

 

「一つだけ、まだ試していないことがある。……右顎下。あの黒い部分だ」

 

 ゼロスは指を指す。確かにキースの右顎下から首筋の部分が真っ黒に染まっていた。

 

「あそこがどうかしたんですか?」

 

「キースの意図か、はたまた『痣』の生存本能か。……あの部分には一度も剣が届いていない」

 

「……では、あそこを狙えば……!」

 

「もしかするかもしれん」

 

 ゼロスは一歩踏み出し、剣を構える。

 

「……合わせられるな?」

 

「ええ、合わせてみせます!」

 

「俺が奴の気を引く。隙を見て……」

 

「『痣』を貫く。……了解です」

 

 アイリーンも覚悟が定まったようだ。眼に闘志を宿し、キースを見据える。彼の感情の高ぶりはようやく落ち着いたのか、肩で息をつきながらも獣のような目つきで二人を睨みつけていた。

 

「ハア、ハア、ハア……。クダラナイオ喋リハ済ンダヨウダナ。死ヌ用意ガ出来タト見エル!」

 

「死ぬのはお前だ!行くぞアイリーン!」

 

「はい!」

 

 ゼロスが先陣を切る。迫りくる触手の波を斬り払い、キースの懐にもぐりこんだ。そして右顎下の「痣」を狙った一撃を放つ。剣ではなく腕に触手が絡みつき、ゼロスの身体を振り上げては床に叩きつける。その隙をつきアイリーンが突きを繰り出したが、キースの裏拳に阻まれた。ゼロスは触手を噛み千切って腕の自由を取り戻すと、すぐにキースに斬りかかる。あまりの執念に呆気に取られてしまい、キースは脳天から真っ二つにされる。が、しかし。すぐに体を繋ぎ合わせて、押し寄せる触手の波で眼前の敵を飲み込む。ゼロスは剣を床と水平になるように構えたまま波に飲まれた。するとアイリーンがその剣を足場に波を乗り越え、キースの喉元を狙う。飛び上がってからの体重を乗せた一振り。キースはとっさに手で受け止めようとするが、彼女の一撃は奴の手ごと首を斬り裂いた。体液が噴き出る音が当たりに響き渡る。蠢いていた触手たちは一斉になりを潜め、まるで終を迎えた植物のようにしおれていく。

 

「オ、オオ、オオオオオオ……」

 

 キースの首は裂かれていた。まだかろうじて繋がってはいるが、「痣」を斬られたことにより再生できなくなったのか、頭が傾いた状態のまま治ることがない。

 

「……終わったか」

 

 憎たらしそうに手を伸ばすキースを見て、ゼロスはそう口にした。奴は哀れな存在になり果てた。もはや自分の敵ではない。そう判断し、剣を収める。哀れな男はうめき声をあげたまま床に倒れこんだ。

 

「……あっ、ごめんなさい」

 

 キースが倒れるのと同時にアイリーンも床に座り込んでしまう。極度の緊張状態から解放され、腰が抜けてしまったのだろう。ゼロスはそんな彼女を抱きかかえた。その時。

 

「おーい、出口が開いたぞ!」

 

 ちょうどエリオットも仕事を終えたようだ。扉の周りにはバラバラに切り刻まれた触手が散乱している。彼も彼なりに相当の奮戦をしたということだ。

 

「……さて。帰るか」

 

「はい!」

 

 ゼロスはアイリーンを抱きかかえたまま歩き出す。もうこんな場所に用はない。……はずだった。

 

「待テ」

 

 まるで地の底から響くような声がゼロスの足を止めた。アイリーンを下ろし、周囲を警戒する。周りにはエリオットとアイリーン。そして床に転がるキースしかいない。

 

「……マダダ。俺ハ、マダ満足シテナドイナイ……。貴様ラノ死ニ様ヲ見届ケルマデ、死ネヌノダ!」

 

 突如、キースの死体が黒い炎に包まれ、宙に浮きあがる。アイリーンの手によって裂かれた首はだらりと垂れ下がったままだが、キースの口元は快活に動いていた。執念で地の底から蘇ったとでも言うのだろうか。あふれ出す憎悪、悪意が魔力によって形を成し、すべてを押しのけていく。風船が膨れ上がるように増幅していく執念はついに大広間の天井に達し、さらに突き破ろうとしている。

 

「エリオット!すぐにここから離れろ!」

 

 ゼロスがそう口にした途端、大きなひび割れが走る。天井もいくらか砕け破片が降り注ぐ。もはや猶予はない。エリオットは二人を置き去りにすることに迷いが生じていたが、ゼロスに急かされ王城から離れた。彼が王城の正門を跨いだ瞬間、城自体が激しく揺れ動く。ひび割れからはいくつもの破片が飛び散り、みしみしと崩れ行く音を立てていた。そしてついに、ギリギリのところで保たれていたバランスが崩壊する。まるで底が抜けるように城全体が崩れていき、最後には瓦礫の山のみがそこに残った。

 

「ゼロス。アイリーン……。クソッ!」

 

 助けに戻ったところで、瓦礫の下敷きになっていたに違いない。だからと言って彼らを助けることもできず自分だけがおめおめと生き残るなど、団長としての矜持が許さなかった。瓦礫の山を前に項垂れるエリオットの背後から、聞きなれた声が聞こえてくる。

 

「おーい、エリオット!無事か!?」

 

「……カリン。それに、みんなも」

 

 一度、紅蓮騎士団の補給地に戻っていたカリンたちが応急処置を受けて戻ってきた。その中には塔の崩落に巻き込まれていたコルニッツォの姿もある。

 

「生きてたか、コルニッツォ」

 

「……ああ」

 

「相当危険な状態だった。詳しくは後で説明するが……。アイリーンとゼロスはどうした?」

 

 項垂れるエリオットに対し、カリンはそう問いかける。エリオットは何も言わずに、ただ視線を王城だった瓦礫の山へと向けた。

 

「エリオット……。まさか」

 

「……そのまさかだ」

 

 オルコスが駆けだす。ノクスもそれに続いた。コルニッツォも続こうとしたが、セリアとエリシアに押さえられる。病み上がりには無理という判断だろう。

 

「どこらへんだ!大体の場所でもいい!」

 

 二人が一気に瓦礫を片付けていく。エリオットが二人がいるであろう場所を指さした、その時。一つの瓦礫が宙に打ち出される。「自分はここにいる」。そう伝えるかのように。二人は安堵しながらそこへ向かったが、その顔はすぐに戦慄することになる。

 

「……クハハハハハ!俺ハマダ死ナン!」

 

 瓦礫を薙ぎ払いながら現れたのはキースだった。首が取れかかっているが、未だ絶命には至っていない。「痣」の魔力によるものか、それとも彼の執念によるものか。二人は戸惑うばかりだったが、エリオットの「離れろ!」という声ですぐに距離を取った。

 

「あれが今の国王だ。……すっかり『痣』に呑まれて、もう人はやめちまった。あれはただのバケモンだ」

 

 瓦礫を巻き込みながら宙に浮くキース。皆はそれを怪訝な表情で眺めていた。エリオットが剣に手を伸ばす。しかし、鞘から抜かれることはなかった。

 

「不敬デアル」

 

 そのたった一言で、エリオットの腕が止まってしまう。柄には手が届いている。だが震える手で剣を抜くことはできなかった。……キースの威圧感、それはもはや人知を超越した存在からの命令と言っても過言ではなかった。意識は必死に抗っているはずだったが、その震える手足はエリオットが恐怖に押さえつけられていることを示していた。そしてそれは他の者も例外ではなかった。戦いの構えを取る。だが、それだけだ。キースに危害を加えることができない。構えた拳が前に出ない。ただ、睨むことしかできない。

 

「くっ……」

 

「なんだ、これは……」

 

「……愚者共ヨ。己ガ罪ヲ認メヨ。我ガ裁イテクレヨウ」

 

 威圧感はさらに増していく。……だが、彼らは黙ってやられる者達ではなかった。恐怖を振り切るように、エリオットは剣を抜き放つ。そして雄叫びをあげてキースへと立ち向かった。彼は一度深くため息をつき、エリオットに向けて手をかざした。

 

「……エリオット!危ない!」

 

 カリンはそう叫んだが、すでにエリオットはキースが放つ黒い光に照らされていた。まさに「死」を思わせる光。皆とっさに手を伸ばすが、間に合う訳もない。カリンが恨めし気にキースを睨みつけた。その時。

 

「……邪魔だぁぁ!」

 

 キースの足元にあった瓦礫の山がはじけ飛び、巻き上がる。螺旋を描いて巻き上がっていく瓦礫はまさにあの災害を思わせた。……「嵐」のもとには、やはりあの男がいた。ゼロスだ。彼のそばには当然アイリーンもいる。二人ともどうにか生き延びていたようだ。

 

「……アイリーン!行け!」

 

「はい!」

 

 ゼロスの言葉を受け、アイリーンが嵐の中に飛び込んでいく。彼女は巻き上げられた瓦礫を足場に、嵐の中を縦横無尽に動き回り、何度もキースを斬りつけている。ゼロスも渾身の力で剣を振り回し、嵐の勢いを強めている。

 

「ウオオオオ!『合技・百華繚嵐』!」

 

 剣を振り回す勢いをそのままにゼロスはその場から飛び上がり、嵐に囚われていたキースを斬り上げ、上空へと運び出す。宙に放り出されたキースにゼロスは渾身の一撃を振り下ろす。その一撃を受けたキースはまるで流れ星のように空から地面に叩きつけられた。土煙が巻き上がり、地震のような衝撃が当たりに走る。ようやく土煙が晴れた時、そこには身体がバラバラになったキースと、地面に並んで寝転がる二人がいた。


 

 

 2週間後、帝都カイニル。ゼロスたちは初めて帝都に招かれていた。大陸統一戦争は帝国の勝利で終わった。戦後処理も粗方片付いたため、ようやく戦勝会と戦争の終結宣言が行われることになった。その立役者である彼らが呼ばれない理由はない。皇帝の居城、カイニル城内では大々的なパーティーが開かれる。ゼロスたちはそれに参加するため、今まさに帝都の門をくぐっていた。

 

「……やっと戦争が終わったんだな」

 

「ああ、俺たちが終わらせたんだ」

 

 豪華に彩られた馬車に乗り込み、エリオットは感慨深そうにつぶやく。隣に立っていたゼロスは彼の肩を軽く叩き、これが夢ではないことを確かめさせた。

 

「生きたまま戦争を終えられるとは思ってなかったな」

 

 エリオットに続き、オルコスもそうつぶやく。何年も続いた戦争だ、そう思っても不思議ではない。皆もしみじみとオルコスの言葉に同調するようにうなずいた。そんな中、一人の人物が声をあげる。

 

「……ねえ、私ここにいていいの?」

 

 それはヴィズだった。キースがかき集めた「五影将」のうちの一人、「激影将」と呼ばれた者だ。かつてコルニッツォと拳を交え、塔の崩落に巻き込まれる際には彼に命を救われている。彼女自身、流されるままこの場に来たようで、相当居心地が悪いようだ。身をかがめて馬車を見送る衆目に見つからないようにしている。

 

「何言ってんだ。コルニッツォのこと助けてくれただろ。それに、事後処理だって手伝ってくれたしな。ヴィズは立派な烈風騎士団の一員だ」

 

 エリオットがそういうのには理由があった。時は王城崩落前までさかのぼる。

 

――――――

 

 カリンたちは王城から離れ、迅雷騎士団に運んでもらい、南にある補給地に向かっていた。皆それなりに傷を負っているが致命傷には至っていない。……コルニッツォと謎の女性を除いて。双方ともに小さくうめき声を出していることから一命をとりとめてはいるのだろうが、呼びかけには応じない。その場でできる処置はすでに施しているが、特にコルニッツォの状態が芳しくない。身体全体が毒に蝕まれており、その場では治せない。数分後、何とか補給地に到着し処置を受けるが、あまりの毒の強さに解毒しきれない。強い効果がある薬なら解毒できるが、毒に蝕まれ続けて衰弱してしまった体では薬の副作用に耐えられないという。何とか彼が自力で意識を取り戻し、食事による栄養補給を行わねばならないと医療班は言う。

 

「本気で言ってるのか!」

 

 カリンは烈火のごとく怒る。しかし、医療班たちの悲しげな顔を前に、それ以上何かを言うことはできなかった。彼らとて分かっているのだ。自らの言葉が支離滅裂であることが。

 

「……もしくは、この毒を解毒できる魔導士がいれば……」

 

 そう医療班が口にした時、謎の女性が簡易ベッドから起き上がった。

 

「……ここは?」

 

「コーネッテスの南西、紅蓮騎士団が用意した補給地だ。……名は?」

 

「ヴィズ。……コルニッツォはどこ?」

 

「何故彼の名を知っている。お前は何者だ」

 

「……五影将っていえばわかる?」

 

 カリンたちの表情が変わる。彼らの前に立ちふさがったキースの手下。それぞれ「痣」の力を手に入れ、烈風騎士団にあらがった。カリンはとっさに剣を抜いたが、振り下ろすことはなかった。……コルニッツォが彼女を助けていたのだ。彼は瓦礫の中から、彼女をかばったような姿勢のまま見つかった。彼は何かを考え、彼女を助けたということなのだろう。

 

「私がコルニッツォのこと治してあげるからさ、その剣しまってくれない?」

 

 カリンはヴィズを見据える。彼女は敵である。だが……。

 

「……いいだろう。だが不審な動きを見せればすぐにその首を叩き斬る」

 

 カリンは構えていた剣を下ろした。彼女を信じてみることにしたのだ。彼女にどうにかしてもらわなければコルニッツォは死んでしまう。あまり悠長にしている場合ではない。

 

「じゃあ、失礼して」

 

 ヴィズはそう言いながら寝ているコルニッツォに近づいていく。皆は彼女の一挙手一投足を見逃さぬよう、見つめていた。彼女はコルニッツォの顔に自身の顔を近づけると小さく「ごめんね」とつぶやいた。そして、口づけをした。

 

「なっ……何を」

 

 カリンが驚いて問いかけるが、彼女は右手を突き出す。「待って」とでも言っているのだろう。それからどれほど経っただろうか。「……よし」と言いながらヴィズは顔をあげた。

 

「解毒は終わったわ。あとはこのまま安静にさせていれば、空腹で目を覚ますでしょ。……じゃあ、はい」

 

 彼女はそう言って両手で拳を作って差し出す。

 

「……何のつもりだ」

 

「何って、縛らないの?私は敗将。捕虜でしょ?」

 

「……縛らん。だが、監視はつけるぞ」

 

「そう、まあいいわ。……じゃ、寝させてもらうわね」

 

 彼女はそう言って先ほどまで自らが寝ていたベッドに寝転がり、すぐに寝息を立て始めた。

 

――――――

 

 彼女の処遇は戦後処理が終わるまで保留となり、その間は彼女を捕らえた烈風騎士団が監視を務めることになった。ヴィズは敵意を見せず、質問などにも素直に答える。その上、王国残党兵の殲滅戦にも出撃して自らの実力を証明した。帝国は彼女について「反抗の意思なし」と判断した。そして処遇を烈風騎士団に委ねた。

 

「……まだ慣れないわ」

 

 ヴィズはコルニッツォの背中に隠れた。……仲間と言われることが嫌なわけではない。ただ、恥ずかしいだけなのだ。その上、戦いにほとんど参加していないのに凱旋に参加しているというのも、どこか気まずいのだった。

 

「まあ、まだ入団してすぐだからな。そのうち慣れるさ」

 

 隠れてしまったヴィズに向けてそう言ったエリオットは、すぐに後ろに向き直った。進んできた道には民の笑顔があふれている。……信念があった戦いという訳ではなかった。悪に染められた世界を救うという訳でもなかった。奪った命はどれほどだろうか。それでも、今だけは、戦争を終えられた喜びをかみしめてもいいだろう。

 

「……やっと、終わったんだな」


 


 終結宣言から2週間が経った。国全体をあげた大きな祝い事も終わり、戦禍も癒えて新たな日常を皆が過ごし始めた頃。チューン城では別のお祝いが行われていた。

 

「……まさか、俺が身を固めることになるとはな」

 

「それも、いきなり貴族の仲間入りとはな。玉の輿にうまく乗ったな、ゼロス」

 

 ゼロスは白い礼服に身を包んでいた。エリオットはそんなゼロスの肩を軽く叩いて冗談を言う。

 

「結婚かあ。身近な人間の結婚式を見るのは初めてだよ。……何ていったらいいのか。兎に角、おめでとう」

 

「……これからどうするんだ?血腥い家業は嫁さんから嫌がられるだろ?」

 

 ノクスはありのまま思った言葉を、オルコスは新郎のこれからを心配するような言葉を投げかけた。

 

「ありがとうノクス。……仕事は、どうしたもんかな。なあ、エリオット」

 

 ゼロスはエリオットに話を振る。……戦争は終結した。それは喜ばしいことではあるが、戦いを生業としていた者達にとっては生活にかかわる問題であった。もちろん新たな戦争を望んでいるわけではない。ただ、新たな生活への不安を抱えているだけだ。……団長権限で何かおいしい仕事がもらえないか、ゼロスはそんな意味を込めてエリオットに話を振った。だが。

 

「……姉さんの仕事を手伝うと良い。……義兄さん」

 

 エリオットよりも早く、コルニッツォがそう答える。ゼロスは自らの新たな弟の言葉を真摯に受け止めた。

 

「……ああ、そうするよ」

 

 彼らの話がひと段落着いた時、まるで見計らったかのように使いの者が入ってくる。……ヴァーミア家で執事を務めていた初老の男だ。

 

「ゼロス様、そろそろお時間です。ご用意はできておりますか?」

 

「大丈夫だ。すぐにでも出られる」

 

「ではこちらに。……ご友人の皆さま方はあちらへ。席をご用意してございます」

 

 執事は廊下の先を指さした。その先にはチューン城の大広間があり、すでにかなりの長さの行列が作られていた。その中にはガラードやルトガー、ウォルハスと言った各騎士団の団長や団員たちの姿も見られた。

 

「……じゃ。俺たちは挨拶でもしてくるよ」

 

 エリオット達はゼロスをその場に残し、列に並ぶ顔見知りに声をかけに行った。ゼロスは執事の方を振り返り、一度頷く。

 

「では、参りましょうか」

 

 チューン城の大広間は結婚式のために飾り付けられ、大きな式場となっていた。いくつもの円形のテーブルが並び、招待客たちは今か今かと新郎新婦の入場を待っている。裏口から大広間の入り口へと回ってきたゼロスは、落ち着かない様子でその場でぐるぐると歩き回っていた。

 

「……ゼロスさん」

 

 背後から声が聞こえる。ゼロスはぴたりと動きを止め、油を指していないブリキ人形のようなぎこちない動きでゆっくりと振り返った。

 

「お待たせしてごめんなさい。……どうかしましたか?」

 

 アイリーンは振り返ったゼロスが全く動かないことに首を傾げた。……彼女は純白のドレスに身を包んでいた。ベールの隙間から見えた彼女の頬が少しだけ赤く染まっている。

 

「……何て言ったらいいのか……。言葉が出てこない」

 

「ゼロスさんでもそんなことあるんですね。いつも思ったことをはっきり言うのに。……皆さんを待たせるのもいけませんね」

 

 アイリーンはゼロスとの距離を詰め、右腕を抱く。二人の顔が近づいた。

 

「綺麗だ」

 

「……うれしい」

 

 アイリーンは自らの頭をゼロスの肩に乗せた。そして二人は何も言わず、ただそのままでいた。どれほど経っただろうか、執事が声をかける。

 

「申し訳ありませんが、そろそろ……」

 

「ええ、そうですね。……では、行きましょうか」

 

「……ああ」

 

 二人はそろって背筋を伸ばし、少しだけ目を合わせる。そして目の前にある扉を見据えた。どこかで合図を送っていたのか、大広間からは司会者の声が聞こえてくる。

 

「皆さま、大変長らくお待たせいたしました。……新郎新婦の入場です。盛大な拍手でお迎えください」

 

 そう言われた途端、万雷のごとき拍手が巻き起こる。ゼロスはそれに少しだけ驚き、アイリーンはそんな彼を見て少しだけ笑った。そして。

 

「行こうか」

 

「ええ」

 

 二人はそろって未来への一歩を踏み出した。

ここまで読んで頂きありがとうございました。「黒嵐戦記」は今回で最終回となります。応援してくださった皆様、ありがとうございました。

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