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第6話「坂道を上る喧騒 (前編)」

 夜の影が道に長く伸び、一日の最後の名残をズルズルと飲み込んでいく。一つ、また一つと、黄色がかった街灯がチカチカと点滅し始め、竜斗の目の前の暗闇に途切れ途切れの光の道を描き出していた。いつもと同じ急な坂道、授業が終わると毎日繰り返される、彼だけの孤独な儀式だ。


 リュックの重さが肩にズシリと食い込む。冷たい山の風が、馴染みのある感触で顔を撫でるが、いつものような安らぎはもたらさない。ただの一日、彼の退屈な日常に溶けて消える、他のすべての日々と変わらないはずだった。だが今日、何かが違った。リュックが、どういうわけか鉛を詰め込まれたように重い。ストラップが爪のように鎖骨にグッと食い込み、鈍い痛みが一歩ごとに増していく。


 すねがジンジンと焼け付くようで、踵が悲鳴を上げていた。歩くという、脳が記録するまでもないほどありふれた行為が、今ではただただ苦痛でしかなかった。(なぜだ?)その思考が、彼の心の中で空しく響いた。


 太陽がようやく山々の稜線に沈む頃、いつもそうするように、竜斗は立ち止まって街の方を振り返った。右手を上げてリュックのストラップを持ち上げる仕草は自動的なものだ。以前は遠くの光を静かに眺めるためのものだったが、今は純粋な必要性から、圧迫感を和らげ、痛みの中に一瞬の安らぎを見出すための行為だった。


 しかし、普段なら心を落ち着かせてくれるその光景も、今日に限ってはその役目を果たせずにいた。黄昏にキラキラと輝き始める光の絨毯は、馴染みのある平穏をもたらさない。空気には緊張が張り詰め、彼の聖域は何かに乱されていた。なぜだろうと彼は自問するが、心の奥ではもう答えに気づいていた。それは単に、彼の潜在意識が真実から――この重さの本当の理由から、彼を守ろうとしているだけだった。


 結局のところ、その理由は彼の目の前で、歩いているというより、むしろよろよろとつまずきながら進んでいた。


「……なんで……三浦くん家って……こんなに……遠いの……?」


 秋山真琴の疲れ切った、ハァハァと息の弾む声が静寂を破った。彼女はふらつきながら、残されたわずかな力で坂道を登っていた。


「それはこっちのセリフだ。なんで秋山さんがついてきてるんだ」と、彼は意志の欠片も感じさせない平坦な声で言った。


「え……なんでって……?」彼女は息を切らしながら問いかけ、彼の肩にポンと手を置いてバランスを取った。「……課題のためには……誰かが……君の家を……知らないと……」


「バス停まで迎えに行けば済む話だ」彼は顔を彼女に向けた。真琴はゼェゼェと苦しそうに呼吸をし、胸が不規則に上下している。息を吸うたびに、小さな助けを求める声のように聞こえた。「それに、秋山さん、こんな時間まで大丈夫なのか?もう帰った方がいいと思うが」


 ほとんど紳士的な気遣いに聞こえるだろう。ほとんど、だ。しかし、真実はもっと自己中心的だった。彼はただ、彼女を家に迎えたくなかった。今だけは。家には咲がいる。真琴の混沌としたエネルギーと妹のそれが混じり合えば、彼の言葉を借りれば、「とてつもなく面倒なことになる」のは目に見えていた。咲は、彼の不安に対する完璧な盾なのだ。


「ううん、大丈夫、大丈夫!」彼女は顔を上げ、まだ目を閉じたまま輝くような笑顔を無理やり作った。その仮面は、完全な疲労をほとんど隠せていない。冷たい風が二人を包んでいるにもかかわらず、小さな汗の粒が彼女の額をツーっと伝っていた。


 竜斗は口を開き、「大丈夫か?」という言葉が出かかった。だが、彼がそれを口にする前に、真琴は向きを変え、その視線は風景に吸い込まれていった。


 眼下に広がる光の景色は、催眠術のように魅力的だった。空は完璧なグラデーションを描き、深い藍色が、沈む太陽が残した深紅の色合いに溶け込んでいく。


「そっか……三浦くんは、毎日この景色を見てるんだ」


 彼女はじっと動かず、その問いはいつもの元気をなくし、宙に漂っていた。その声には、純粋な感嘆の響きがあった。風が彼女の背後を通り過ぎ、赤く染められた茶髪をさらさらと揺らす。風の口笛と彼女の柔らかな言葉だけが、その瞬間のBGMだった。


「ああ」彼も向きを変え、彼女の視線を追った。「奇妙に惹かれるんだ。大したものじゃないんだけど……」


 真琴は彼を横目で見ていた。竜斗の虚ろな表情、ぼんやりとした視線、そして風に揺れる短い黒髪。彼の無気力な壁がそれを押しとどめる前に、言葉が漏れ出た。


「……見ずにはいられないんだ」


 彼女はさっと右を向き、唇に浮かんだ微かな笑みを隠した。


「そっか……」


(大したことじゃない)と彼は思った。背筋をゾクッと駆け上るパニックを感じながら。(ただの景色だ。ここに家があるのは僕だけじゃない。他の奴らも毎日見てる。特別なことなんて何もない)


(なのに……なんでこんな気持ちに?この緊張は?彼女に変に思われることへの恐怖は?なんで?なんで僕は、彼女がどう思うかなんて気にしているんだ?)


「おい、秋山―」


「わーっ!」彼女の突然の叫び声が、彼の言葉を途中で遮った。「あそこから学校が見える!」真琴は、太陽はとうに沈んでいるというのに、目を覆うように手をかざして叫んだ。


「あ……ああ」と、再び感情の抜け落ちた声で彼は答えた。


「でも、ここから見るとそんなに遠くなさそうなのに……なんであんなに時間かかったんだろ?」彼女の困惑した視線が、今や彼にじっと注がれている。


「バスに乗らなかったからだ」彼は、報告書でも読み上げるかのような客観性で答えた。


 沈黙。


「は?」彼女は、皮肉っぽく危険な笑みを浮かべながら言った。差し迫る怒りを抑えるかのように、目は閉じたままだ。「バスで来れたの?」


「ああ」


「えぇーっ」


「普段、僕は歩いて四十分くらいだ」


「えぇぇーっ……」


「だが、秋山さんと一緒だったから一時間以上かかった」竜斗は、わざとらしく顎に手を当てて考え込むポーズをとった。


「えぇぇぇぇーっ……」


「バスなら十五分もかからない」


「ええええええええええええええええええっ!」


 真琴は彼の両肩をガシッと掴んだ。顔はまだ皮肉な笑みに歪み、怒りが漏れ出さないように目は固く閉じられている。


「……すまん」


「今、あたしの命を預かったって分かってるよね?」


「ああ……」


◇ ◇ ◇


 街の夜景を眺めたのは坂のほぼ頂上だったが、二人が竜斗の家に着くまでにはさらに数分かかった。道は平らになり、敷地を囲む森の静けさの中にすうっと消えていく。


 秋山はまだふらふらと歩いており、一歩一歩が疲労との小さな戦いだった。一方、竜斗はいつもの無気力な様子で歩いている。足の痛みと不快感は常にあり、彼が慣れきってしまった背景雑音のようなものだ。


「ここだ」彼は、家を囲む低く不揃いな石垣の前で立ち止まって言った。シンプルな木製の門が、砂利道への入り口を守っている。


「……やっと……なんで……よりによって……一番奥なの……?」真琴は石垣に両手をつき、ぐったりと頭を垂れて呟いた。


「親父の仕事のせいだ。街の中に住んでると、都合が悪い」


「……何に……?」彼女は、石に顔を押し付けたまま、くぐもった声で尋ねた。


「出動にだ」


「出動?」彼女はぱっと顔を上げた。疲労が蒸発したかのようだ。「お父さん、何してる人?ヒーロー的な?」どういうわけか、彼女の生命力は完全に回復していた。


「いや……多分違う……」竜斗は、本気で考え込んでいるようだった。「森林警備隊員なんだ。熊とか、地滑り、火事……そういうのに備えてないといけない」


「マジで?すごいじゃん!」真琴は、門の弱い光の下で目をキラキラと輝かせて言った。荒ぶる自然に立ち向かう男のイメージが、完全に彼女の想像力を掻き立てたようだ。


「一日中家にいなくて、飯食って寝るために帰ってくるだけだけどな。だから、家のことは全部僕がやらないといけない」その言葉はいつもの調子で、単なる事実の陳述として発せられた。しかし、真琴の輝きは一瞬で消え去った。その表情は感心から、好奇心に満ちた、ほとんど臨床的な分析へと変わる。彼女の顔が、痛々しいほどはっきりとその思考を物語っていた。(ああ、だから彼はこんなに変なんだ……一人で育ったんだ)


 竜斗は気づいた。その視線は、学校で向けられる軽蔑の視線よりも酷かった。それは憐れみの視線、彼を研究対象の標本に変える視線だった。


「そういうわけじゃない……」彼の目は細められ、声には意志がなかったが、そこには以前はなかった冷たさが混じっていた。街の景色について話した時に半開きにした扉は、バタンと力強く閉められた。


「あ、うん、ごめん」


 竜斗は彼女を無視して門に向き直り、リュックのポケットに手を入れて鍵を探した。だが、すっかり回復した真琴は、石垣の上から中を覗き込んでいた。彼女には家が見えた。伝統的な様式の家屋、黒い屋根に木製の窓、そこから暖かく心地よさそうな光が漏れている。「ねえ、三浦くん」


「ん?」


「お父さん、一日中家にいないんでしょ?」


 鍵が錠前でカチャリと回る金属音が、静寂を満たした。「ああ」


「じゃあ、今家にいるのって誰?お母さん?」彼女は、好奇心に満ちた視線を彼に向けた。


「いや。妹だ」竜斗は門をギィと静かに鳴らしながら押し開けた。彼が彼女を招き入れようと振り返ると、真琴はすでに彼の目の前に立ちはだかり、道を塞いでいた。彼女の目は再び輝いていたが、今度は奇妙で一点に集中した興奮に満ちていた。


「三浦くん、妹いるの?」彼女はフンッと期待に満ちた鼻息を漏らした。


「ああ……」彼は、思わず一歩後ずさった。


「何年生?」鼻息が、フンッフンッとさらに荒くなる。


「まだ小学生だ」


「小学生まだ!!??」鼻から三本の蒸気でも噴出しているかのようだった。彼女は一歩前に踏み出し、完全に彼のパーソナルスペースを侵犯した。「会いたい!見たい!絶対に見たい!」


「そして僕は、今すぐお前を彼女から可能な限り遠ざけたい……」と、竜斗はつぶやいた。彼の最後の聖域が、秋山真琴という名の自然の力によって、まさに侵略されようとしていた。


◇ ◇ ◇


 家の中の空気は、ナイフで切り裂けそうなほどシンと張り詰めていた。その空気は、玄関で繰り広げられる光景に完全に固まってしまった小学生の女の子が漏らす、ひっくひっくという引きつった呻き声だけで震えている。


 目の前では、一人の女子高生が鋭い、猫のような視線で彼女をじーっと見つめ、興奮を抑えた息遣いが、歯の間からフンスフンスと漏れている。その音は、まるで離陸寸前のジェットエンジンのようだ。彼女が、その小さくて愛らしい生き物に飛びかかりたいという原始的な欲求を全力で抑えつけているのが見て取れた。


 そしてその隣には、このハリケーンのような人間を家の敷居を跨がせてしまったことを、髪の毛の一本一本に至るまで後悔している、いつも通りの虚ろで無気力な目をした高校生の男子がいた。


「だ、だ、だ、だ、だ、だ、だ」、咲は奇妙な角度に体を反らし、半ば上げた腕をぷるぷると震わせながら、どうにか言葉を紡ごうとしていた。まるでパニックに陥った小さな彫像だ。


「秋山さんだ。クラスメイトだよ」と、竜斗は退屈な役所の新入職員を紹介するような口調で言った。


「秋山真琴です!はじめまして、三浦ちゃん!」マコトの声は元気いっぱいではあったし、丁寧にお辞儀までしてみせたが、その体はぎゅっと圧縮されたバネのようだった。猫のような視線は揺らがず、少女を抱きしめたいという衝動が鋼の意志で抑えられているのは明らかだった。


 竜斗は二人の奇妙なやり取りを無視した。自分のリュックを上がり框の隅にぽいっと放り投げると、マコトのリュックを驚くほど丁寧に小さな木製のテーブルの上に置いた。まだ年上の少女から目を離せずにいる妹の横を通り過ぎ、肩越しに彼の声が響いた。「学校の課題の話をしに来ただけだから、終わったらすぐ帰る。夕飯作るから。…それと、そんなにじろじろ見るなよ、咲」


 彼の感情の欠片もない宣言が空中に漂う中、彼は左手にある台所のドアの向こうへとすっと消えていった。咲は、まだショックを受けたまま、その背中を目で追った。竜斗の姿が視界から消えた瞬間、彼女は再びマコトに視線を戻したが、すでに年上の少女が、自分の顔にぴったりとくっつくほど近づいていることに気づいただけだった。


「うわあああああああ!」咲の純粋な恐怖と絶望の叫び声が、家中にわんわんと響き渡った。


「サキちゃんっていうんだね!」マコトも負けじと叫び返した。怒りからではなく、圧倒的な喜びから。猫のような眼光はこれまで以上に鋭く、鼻からは空気がシュッシュッと素早く噴出されている。


 咲の生存本能がついに作動した。彼女はぱっと後ろに飛びのき、本能的な戦闘態勢で着地した。腕は削岩機のようにがたがたと震えていたが、戦いのために高く掲げられている。「に、に、に、に、兄さんを、つ、つ、つ、連れて行かせないんだからっ!」咲は、かき集められる限りの勇気でそう宣言した。


 その宣言の後、絶対的な沈黙が訪れた。台所から、竜斗の頭がひょっこりと横から現れ、その疲れた視線で妹が自分の「縄張り」を守る光景を眺めた。彼は一瞬だけ思案し、無視するのが最善の選択だと判断した。そして、再び姿を消した。


 一方のマコトは、ぱちくりと瞬きをした。鋭い猫の視線が和らぐ。鼻息も止まった。彼女の頭脳は情報を処理し、突如として衝撃的な結論に達したが、それを自分の中だけに留めておくつもりは全くなかった。「サキちゃん、ブラコンなんだ!!」


 それだけで十分だった。彼女はもう耐えられなかった。喜びの雄叫びを上げて、マコトは咲に飛びかかり、少女をぎゅうううっと力任せのハグで包み込んだ。「なんて可愛いの!可愛すぎる!」


「いやっ!離して!お兄ちゃんを連れて行っちゃダメ!この泥棒猫!へへ…へへへ…」咲は抗議し、じたばたともがこうとしたが、彼女の体は彼女を裏切っていた。マコトの撫で回しと強い抱擁に、思わずくすくすと笑い声が漏れ始めた。


(お兄ちゃん、か…)竜斗は台所の中で、シンク下の棚から鍋を取り出しながら、ぽつりと呟いた。(咲が僕をそう呼ぶのを聞くのは、小学校以来だな)ほんの一瞬だけ、彼の声に懐かしむような色合いが混じった。


 外では、戦いが続いていた。


「お兄ちゃーーーん、なんとかしてよー!へへへへへ」咲は助けを求めて叫んでいたが、その笑い声が本心を物語っていた。口では否定していても、赤らんで笑顔になった彼女の顔は、その注目に完全にとろけていた。


 竜斗ははぁ…とため息をついた。その音は鍋のがちゃんがちゃんという金属音に紛れて消えた。


「いいのか悪いのか、早くはっきりしてくれ…」

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