第36話「付き合ってない。だから…」第二部
ミーン、ミーン、ミーン……
外では蝉の大合唱が響き渡り、迫り来る夏の訪れを告げる終わりのないサウンドトラックを奏でていた。教室の中、空気は重く、淀み、動かない。
ジワリ……
生徒たちの額には脂汗が滲む。それは猛烈な暑さのせいでもあり、張り詰めた緊張のせいでもあった。
カツ、カツ、カツ、カツ……
シャーペンが木の机を叩くリズミカルな音。それが、深い溜息や、どこからか聞こえる神への祈りと混ざり合う。
運命の最終週。期末テストの真っ最中だ。
三浦竜斗は、目の前の答案用紙を見つめていた。その虚ろな瞳には数式が映っているが、意識は周囲の雑音をただ吸収していた。彼は肺から空気を吐き出し、左手で怠惰に頬杖をつきながら、指先でシャーペンを回す。
クルクル……
視線を上げると、前方に座る、燃えるような髪色の少女の背中が目に入った。彼女の姿勢は硬直している。強張った肩が、テストに対する凄まじい不安を物語っていた。
ガチガチ……
それを見て、竜斗の口元に小さな笑みが浮かぶ。彼は、自分でも気づかないほど微かな鼻笑いを漏らした。
フッ……
◇ ◇ ◇
「おわったぁぁぁーーッ!!」
ガタッ!
オレンジ色の髪を持つ少女の、魂の叫びが教室に木霊した。夏川由美は机に座ったまま、両腕を天井に向かって突き上げ、背中を反らせる。
グゥゥゥーン……
最後のテストが終了した。授業も終わり。あとは結果を待つという拷問が残るのみ。
「もう……海の匂いがする……」
真琴は手を合わせ、祈るようなポーズで呟いた。その瞳は、まだ見ぬビーチへの期待でキラキラと輝いている。
「ま、あんたが赤点じゃなければね」
由美が意地悪く茶化す。その唇には小悪魔的な笑みが浮かんでいた。
「わ、私は受かるもん!」
バッ!
真琴は即座に反論した。「三浦くんが勉強手伝ってくれたんだから!絶対大丈夫だもん!」
「へえ、それはそれは……」由美は両手で頬を包み、ニヤニヤとした笑みを崩さずに視線を左へと流した。
真琴もその視線を追う。そこでは、竜斗が南とテストについて話していた。竜斗はいつものように生気のない、疲れ切った表情をしている。対照的に、南はまるで叙事詩的な戦いから勝利して帰還したかのように、身振り手振りを交えて興奮気味に話していた。
「ちゃんと誘うのよ……」由美は言葉を区切り、まるで小さなナイフで突き刺すように激励した。「き・ち・ん・と・ね♡」
カァァァッ……
真琴の顔が一瞬にして朱に染まり、顎が微かに震える。ミッションは、単に彼をグループでの海旅行に誘うだけではない。もう一つの重要な詳細があった。今日、初めて二人きりで教室の掃除当番をすることになっていたのだ。
二人きりで。
◇ ◇ ◇
シーン……
数分が経過した。チャイムが鳴り、生徒の波はすでに去っていた。外の蝉時雨を除けば、聞こえるのは廊下を歩く遠い足音の残響だけ。
教室は完全な静寂に沈んでいた。
ガタ、ゴト……
竜斗が机を整列させ、真琴が床を掃く。
サッサ、サッサ……
二人きりになることは、彼らにとってすでに日常となっていた。だが、今日は何かが違った。その空気には重みがあった。真琴には明確な目的がある。夏休みに何か一緒にしようと誘うこと。海への旅行がメインプランだが、何でもいい。駅前でアイスを食べるだけでもいいのだ。
しかし、その問いを口にすることは、S級難易度のミッションに思えた。
ギュッ……
箒の柄を強く握りしめすぎて、指が白くなる。頭の中で言葉をリハーサルするだけで顔が熱い。手が震え、せっかく集めた埃がまた散らばってしまう。
彼女は肩越しに振り返り、机を雑巾で拭いている無気力な少年を見た。
(あたしが、やらなきゃ!)
「ね、ねえ……み、三浦くん……」
喉が張り付き、声が掠れる。竜斗が顔を彼女の方へ向けた。真琴は背を向けたまま、自分の表情を隠している。
「ん?」
「三浦くんは……三浦くん……み、みっ――」
「どうしたの?」彼は彼女の吃音を遮って尋ねた。「大丈夫?」
スタッ
心配そうに、彼が一歩近づく。
「来ないでッ!!」
ブンッ!
彼女は叫び、防御武器のように箒を彼に向けて構えた。その唐突な動作、真っ赤に染まった顔、そして今の呼び方を見て、竜斗の脳裏に理解が閃いた。
ポッ……
彼自身の頬にも、熱が生まれ始める。彼は慌てて背を向け、誤魔化すように再び机を拭き始めた。
キュッ、キュッ……
「なんだよ……秋山さん……」急に弱気になった声で、彼は呟く。
真琴は再び床を掃き始めたが、その動きはロボットのようにぎこちない。
「な、夏休み……三浦くんは……」彼女は手を止め、勇気を振り絞るために大きく息を吸い込んだ。
「……あたしと、出かけたい……?」
ピタッ。
竜斗の手が止まった。目が大きく見開かれ、胸が締め付けられる。世界が、耳元で鳴り響く蝉の声だけに縮小していくようだった。
「……行きたい」
彼は答えた。低い声で。
パッ
真琴が顔を上げる。驚きと安堵が入り混じった表情が浮かぶ。
「本当に!?」彼女は箒を胸に抱きしめ、踵を返して少年に詰め寄った。「本当に!?」
グイッ
竜斗が振り返ると、彼女はすでにパーソナルスペースを侵略していた。彼はタジタジと後退し、後ろの机に背中がぶつかるまで下がった。
「う、うん……」
ジッ……
二人は見つめ合う。顔の距離は数センチ。物理的な近さはすでに馴染み深いものだった。羞恥心など、とうの昔に捨て去っていたはずだ。
彼女は嬉しそうに微笑んだ。彼は視線を逸らし、いつもの「疲れと虚無」の仮面を取り戻そうとする。
だが、彼らの関係は最初の出会いから大きく進化していた。
竜斗は再び彼女を見た。その視線が、彼女の翠の瞳を捉える。その時、真琴は変化に気づいた。彼の眼差しが違う。鋭く、どこか自信に満ちている。
ドクンッ
その強烈な視線に、彼女の心臓が跳ねた。
「じゃあ――」何か言おうとして、顔の火照りを冷ますために距離を取ろうとしたが、足が裏切った。
カクッ
「あ」
バランスが崩れ、体が後ろへ傾く。竜斗は反射的に彼女を支えようと手を伸ばしたが、勢いは二人とも止められなかった。
ガタンッ!
「いった……」
床に倒れ込んだ真琴が小さく呻く。すぐに、彼女は自分を包み込む熱に気づいた。目を開けると、竜斗が自分の上に覆いかぶさっている。
ハァ、ハァ……
彼は腕で自分の体重を支え、彼女を押し潰さないようにしていた。竜斗の右腕は彼女の背中にしっかりと回され、衝撃から守っていた。
二人の瞳が、ミリ単位の距離で交差する。
『じゃあ、あんたたち何やってんの?』
由美と山田先輩の声が、二人の脳内で同時に響いた。
(僕たちは……/あたしたちは……)
(何なんだ……?)
思考がシンクロする。互いにロックされた視線は、逸らされることを拒否していた。
ドクン、ドクン、ドクン……
肋骨を叩く激しい鼓動。背中に感じる彼の手の強さ。自分の体を覆う彼の体温。重く熱い呼吸が、顔と顔の隙間で溶け合う。
『恋人』というラベルはまだない。だが、『友達』という定義では、もうこの現象を説明できない。
(僕たちは……何だ?)
スッ……
真琴の手が上がり、彼の胸に触れる。そして、独自の引力に導かれるように、二人の顔が近づいていく。
(いいよね……あたしが、そうしても、いいよね?)
吐息の熱さ。唇の間から漏れる息。瞼が重くなる。
キスは、不可避だった。
ガララッ!!
「もう終わったかー?竜斗」
教室のドアが勢いよく開き、武の能天気な声が空気を切り裂いた。
!?
混沌が訪れる。
ガバッ!!
ズサッ!!
竜斗と真琴は無言のパニックの中で左右に転がった。武は瞬きをし、困惑してその奇妙な光景を見つめる。真琴は狂ったように机の上を箒で掃き、竜斗は雑巾を持ったまま素手で床を磨いていた。
「お前ら……何してんの……?」武が疑念たっぷりの声で尋ねる。「練習始まるぞ。監督が呼んでこいってうるさいんだよ。お前が遅いから」
「す、すぐ行く……それは、その……」竜斗の声が裏返る。
「今日はすごく汚れてたのッ!!」真琴が叫んだ。アリバイを作るために竜斗の言葉を力技で踏み潰す。
「ふーん……」武は眉をひそめ、肩をすくめた。「ま、いいけど。早くしろよ……」
パタン
彼が去り、ドアが閉まる音がした瞬間、静寂が戻ってきた。
フゥゥゥ……
竜斗は深い溜息をつき、肩の力を抜いた。
ヘナヘナ……
真琴はその場に崩れ落ちるように正座し、両手で顔を覆った。体全体から湯気が出そうだ。
「秋山さん、ごめん……僕……」彼は一歩、彼女に近づく。
真琴は顔を覆ったまま、不器用に彼の方へ向き直った。指の隙間から、潤んだ翠の瞳だけを覗かせる。
「……もう一回」彼女は蚊の鳴くような声で呟いた。
「え?」
「言わせないでよッ!」絞り出すような叫び声。
「が、学校で?」
「もうしちゃったでしょ!学校で!」
「……確かに」
スッ
彼は彼女の前に跪いた。恥ずかしさで守られたその顔を、彼の手が優しく包み込む。真琴は観念して手を下ろした。竜斗の右手が彼女の頬に触れ、左手が彼女の手に重ねられる。
「……いくよ」
「……どうぞ」
彼は身を乗り出し、距離をゼロにする。誰もいない教室の静寂の中で、彼らは『二度目のキス』を交わした。
チュッ……
「やっぱりな……」
!?
ドアの向こうから声が貫通してきた。
「「うわああああっ!!」」
ビクゥッ!!
二人は悲鳴を上げ、飛び上がった。ドアのガラス越しに、武の勝利を確信した油断ならない瞳が、じっと二人を覗き込んでいた。
おはようございます、こんにちは、こんばんは、わるです!
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