95話 悲しくて切ない歌声はこの心にしっかりと届きました
楽しいいつもの食事の時間は、あっという間に終わり、現実に引き戻された。
少し休憩してから再びゲートをくぐり、改めて空を見上げると星空がとても綺麗で、
そこに流れ星がひとつ流れたのを見て、思わず「無事に帰れますように」と祈った。
この辺りは、歌声の噂が原因で夜に人が出歩かなくなったらしい。
俺たちの足音と、風と虫の声しか聞こえない中、教会の前に辿り着き、恐る恐る鍵を開けた。
ガチャ―
「お邪魔しまぁす…ちょ、ロウキ押さないでよ!」
「早く入れ、馬鹿者!」
「もう!じゃあロウキが先頭行ってよ!」
「はぁ…仕方のない奴め…」
鍵を開けたものの、中に入るのを躊躇していると、ロウキが鼻先で俺の背中を押してきた。
そんなロウキに先頭を任せて、その後に続いて中へと入った。
「わぁ…月明かりに照らされて、ステンドグラスがめっちゃ綺麗じゃん。」
「本当だな!」
「クロ、大丈夫?浄化されない?!」
「されないって!俺、強いんだから!主を置いていなくなるわけないだろー!」
「そうだけど、心配なの!」
教会の中は静まり返っていて、月明かりに照らされたステンドグラスが、昼間見た時よりも一層色とりどりに輝いていた。
この空間はとても神聖な気がして、思わずクロを呼び寄せて「大丈夫か」と訊くと、
「俺は強いから大丈夫」と翼を羽ばたかせていた。
「そうだ、気配感知…」
「我もやっているが、何も感知せぬな…やはり霊が関係しているのか?」
「霊は無理!クロでもユキでも誰でもいいから俺のところ来て!」
「あるじさま、僕がいますから大丈夫ですよ。」
「あああ、ありがとうユキ。ちょっとこっち!」
ひとまず気配感知をしてみたものの、やっぱり何も引っかからず。
ロウキも同じく何も感じないようで、ますます怖くなってきた俺は、側に来てくれたユキを抱き上げた。
そのままゆっくりと祭壇の方まで進んだけれど、辺りは静かなまま。
俺はホッとして、近くにあった椅子に腰を下ろした。
「何も聞こえないなー?」
「ああ。だが、妙な冷気を感じないか?」
「ええ?寒い?!」
「そうではない。霊的なやつだ…。どこだ…?」
「ボス、ここ、たぶん、ここ!」
「ん?」
椅子に座ってユキを下ろしたあと、ガクッと肩の力が抜けてその場から動けずにいると、
ロウキが「冷気がする」と言い始めた。
この暑い中で?と思っていると、「霊的なものを感じる」と言って辺りを見回した。
するとミルがロウキを呼び寄せ、地面を指さして「ここだ」と言った。
地面ってどういうことだ?ここはただの石材の床だけど…。
そう思いながら見回してみたけど、やっぱりただの石材だよな?
もしかして、地下室があったりして?
なんて軽い気持ちで、ロウキに伝えてみた。
「ここの下に地下に続く道があったらすごいよな?」
「それだ!ヨシヒロ。どこかに必ず入り口がある。皆、探すのだ。
神父は何も言っていなかったが…
我らに伝えていなかったことが、まずおかしい。」
「ええ?冗談のつもりだったんだけど…」
ほんの冗談のつもりだったのに、ロウキは「絶対に地下に続く扉がある」と言い、皆に探させ始めた。
仕方なく俺も探してみたものの、どこにも隠し扉なんてないぞ?
そう思いながら探していると、ラピスとユキが正面奥の祭壇へ続く、深紅の絨毯の下が怪しいと言い出したので、祭壇のすぐそばに、全員が集まった。
「ここです、ヨシヒロ様!」
「…これ、剥がしても怒られないかな?」
祭壇の目の前から敷かれている絨毯を、そっとゆっくりと剥がす。
あとで怒られたらどうしよう…と思いながら。
剥がしてみたけれど、そこにはただの石材の床があるだけで、地下に続く扉は見当たらなかった。
やっぱり勘違いだったのかな?と思いながら、試しに俺は手を床に置いて「開け」と念じてみた。
すると突然、石材の一部の周囲が青く光りはじめ、思わず全員がその場を離れた。
「ヨシヒロ、お前何をしたのだ?」
「いや、何となく“開け”って念じただけなんだけど…」
「これは…」
青い光が石材の周囲を一周すると、スウッとゆっくり消えていき、そこから地下へと続く階段が姿を現した。
明らかに怪しいよな…。絶対にこの場所、秘密にされてたやつだよ…。
「でかした、ヨシヒロ。皆の者、行くぞ!」
「おー!主、行くよ!」
「ええ?!少しは怪しんでよ!」
絶対に何かあると思った俺は、すぐに中に入ることができずにいた。
それなのにロウキたちは、何の躊躇もなく階段に足を踏み入れていく。
怖いとか、不安とかないのかよ!
そう思いながら、仕方なく俺も皆のあとに続いて階段を降りていくしかなかった。
この場所は、ずっと使われていなかったのか、薄暗くてとても埃っぽい。
いかにも“何か出そう”という空気が漂いすぎている。
そんな中、階段を降りていくと、辿り着いたのは一つの扉。
ミルがその扉を開けてみたけれど、暗くて何も見えない。
そこで俺は、以前ロウキに教えてもらった光魔法を唱えた。
「ルーメンスッ!」
ルーメンスを唱えると、部屋の中が一気に明るくなり、教会より少し広い面積の空間が広がった。
その部屋の中央には、消えかけていたけど古びた魔法陣のようなものが描かれていて、
側には溶けかけた蝋燭が何本も立てられていた。
ただ、それは最近のものではなく、随分と前に使用されたような気がした。
そして部屋の奥にはもう一つ扉があったけれど、まずはこの部屋を調べた方が良さそうだ。
「…ロウキ、ここって何だと思う?」
「秘密裏に行われていた儀式の間…といったところだろうな。」
「だよね…魔法陣とか、絶対何かの儀式で使ったよね?!」
「主、この系統の魔法陣は、命を捧げる時に使う魔法陣だぜ?」
「え…」
俺がロウキにこの部屋について訊ねると、彼は俺の予想通り、儀式に使用された部屋だと答えた。
そして、魔法陣を見たクロは、それが“命を捧げるための魔法陣”だと告げた。
「この魔法陣の上に、生贄とか人柱になる者を乗せて祈りを捧げると、
悪魔と契約できたり、その命を使ってこの地を護ってって神様に捧げたりするんだよ。
この魔法陣だと…多分、人柱の方かな?悪魔契約用のとは、少し文字が違う気がする。」
「マジで?だってここ、教会だよ?」
「まぁ…教会だからこそ、ということもあり得る。
ここが何年前のものかは知らぬが、この地を護ってもらいたくて人柱を捧げる。
神聖光教団の教義は表面こそ清らかだが、古い時代にはこういった“闇の信仰”を必要悪として取り込んだ歴史もある。よくある話だ。」
「嘘だろ…?そんな迷信、信じるのかよ…」
クロから聞かされたのは、生贄や人柱に使われる魔法陣だった。
教会なのにおかしいと思っていると、今度はロウキから俺の知らない古の教えを告げられ、絶句した。
人柱を捧げたところで良くなるなんて…そんな迷信を信じていたなんて。
思わずそう言うと、ルーナが静かに答えた。
「昔は、そういう生き方をしていたんですのよ、ヨシヒロ様。
この地に住まう人々が、自分たちの命を守るために、誰かの命を差し出す契約の形。
そして、この世界の教会というものは、いつだって“大義”の名のもとに、最も醜いことをする…
その痕跡が、この部屋ですわ。」
「いやいや…ダメだろ、普通に…」
「それが、この世界のやり方なのだ。お前には到底理解できないやり方だろうがな。」
「……」
ルーナは、まるでこの教会のシスターのように、俺に語りかけた。
そして、それに拒否反応を示す俺に対して、ロウキは静かに「それがこの世界のやり方だ」と答えた。
人柱…確かに、日本でもそういう話があったんじゃないかということは聞いたことがあったけど…。
実際にその痕跡を目の前にすると、恐ろしいっていう感情が湧いてくるな。
そう思い、とても重たい気持ちになっていた時、
静かだったはずの空間から、何かが聴こえたような気がした。
俺は思わず、その場で羽ばたいていたクロをギュッと抱き寄せ、もう一度耳を澄ませた。
【心美しき神たち その手は癒しのために
この身を捧げ行く 導きの世界へ】
「ひいいっ!や、やっぱり何か聴こえてる…!」
「主、痛いよー!怖がりすぎ!大丈夫だって!」
「これは…女性の声でしょうか?」
「ヨシヒロ様。あの奥の部屋から聴こえてきますね。」
「おれ、いってみる。」
「だあああっ!ミル!待って!開けないで!怖いから!」
「だいじょうぶ、おれが、まもってあげるから。」
「根性見せぬか、ヨシヒロ。」
「ううううっ…」
声が耳に届いた瞬間、ゾワゾワッと鳥肌が立ち、抱いていたクロをさらにギュッと抱きしめた。
怖がっているのは俺だけで、皆は冷静沈着。
声のする方へ向かおうとミルが扉を開けようとしたので、慌てて止めようと叫んだけど、
ロウキには「根性見せろ」と意味不明なことを言われ、今にも泣きそうだった。
ガチャ―
【心美しき神たち その手は癒しのために
この身を捧げ行く 導きの世界へ】
【偽りの神たち その手に乗せた命を
己の欲のために 暗闇の世界へ】
【この目に映るは赤き命
神たちの手が赤く染まりゆく
そして我の命も消えゆく
この目に映りしものを消し去るため】
扉を開けると、歌声はさらに大きくなり、俺たちの耳にその内容がはっきりと届いた。
とても悲しく、恨みが滲むような歌声に、俺は何も言えず黙り込んだ。
この部屋だけ、なぜか石材ではなく黒く湿った土がむき出しになっていて、
中央には大きな石碑が一つだけ、静かに佇んでいた。
「この部屋は…一体…」
「石碑か…。ということは、この下に埋まっているのだな。声の主が。」
「えっ…」
石碑ということは、何か祈りを捧げていたのかと思った。
けれど、ロウキに「この場所に声の主の遺体が埋まっている」と言われ、背筋が凍った。
この声の主が、この石碑の下に眠っているって…どういうことだ?
そう思った瞬間、地面の柔らかい土に足を取られてよろけ、思わず石碑に手をついてしまった。
その瞬間、頭の中に流れ込んできた、この場所の記憶。
ズキンッと頭痛が走ったけど、見なくてはいけない気がして、痛みに耐えながらギュッと目を閉じた。
「これは…歌声の主?」
頭の中に映し出されたのは、一人の成人女性が教会で美しい歌声を響かせている場面。
その歌声に、人々は癒され、祈りを捧げていた。
きっとこの人が、今聴こえていた声の主。そう、瞬間的に感じた。
平和な時間は、ある夜に崩壊した。
その女性は、ある深夜、教会内で殺人を目撃してしまった。
犯人は間違いなく聖職者だと思う。聖職者が着るような服を身にまとっていたから。
彼女は咄嗟にその場から逃げようとしたが、聖職者たち数名に見つかり、口を塞がれて教会の奥へと引きずり込まれてしまった。
男たちは言っていた。「この土地の天災を鎮めるための儀式が必要だ」と。
それはただの口実。彼女が目撃した“真実”を消し去りたいという、醜い欲が見えていた。
彼女は泣きながら首を横に振ったが、先ほど見た魔法陣が描かれていた部屋へ、殺された男性と共に連れて行かれた。
その後、彼女は気絶させられた状態で、男性と共に魔法陣の中央に寝かされ、
男たちはよく分からない呪文を唱えたあと、一人の男が聖水をかけたナイフを抜き、
彼女の胸にためらいなく突き刺した。
彼女は、この世のものとは思えない激痛で一瞬目を覚ましたが、そのまま息を引き取った。
そして男たちは、隣の部屋に深い穴を掘り、男性と共に彼女を埋めたのち、石碑を建てた。
「うっ…ゲホッ!ゲホッ!」
「主?!」
「あるじさま!どうされたのですか?!」
「ヨシヒロ様?!」
俺は激しい吐き気に襲われ、冷たい土を強く踏みしめた。
体中から汗が噴き出している。
初めて見る殺人現場の記憶に、体が耐えられなかったらしい。
「見えたのか?この声の主の記憶が。」
「ああ…しっかりと見えたよ…。酷い話だった…」
ロウキは、俺が記憶を覗いたことを察したようで、
俺は皆に、先ほど見た記憶の内容を話した。
この子たちがどこまで感情を持っているのか、どう感じるかは分からなかったけれど、
俺にとってこの記憶は、辛くて、苦しくて。一生味わいたくない記憶だったと伝えた。
だから、彼女は聖職者による除霊に反応を示さなかったのだろう。
というより、拒絶していたのだと思う。
元々は眠っていた魂だったのだろうけど、何らかの形で目覚めてしまい、
その時の記憶が蘇って、気づいてほしい、訴えたいという気持ちが強くなったんじゃないだろうか。
俺は…そんな彼女に、どう向き合えばいいのだろうか。
そう、一人で静かに考え込んでいた-…。




