75話 彼女の話を静かに聞きました
「ヨシヒロ様、私は300年ほど前から存在していますの。」
「え?ずいぶん長生きな猫ちゃんなんだね、ルーナ。」
「ふふっ。普通の猫であれば、とっくに死んでいますわ。
私は・・・精霊種のケット・シーの血を引く存在なの。」
「ケット・シーって…え?猫ちゃんじゃなくて?」
「ええ。私はこの地に残された、最後のケット・シーとして生きてきましたの。
ケット・シーは“幸運を与える妖精種”とも呼ばれていましたが、
時に“命を吸い取る存在”として恐れられることもありました。
この地でもそれは同じ。一族は私を残して、去っていきましたの。」
「ルーナだけ残して…?」
森の木々がそよ風に揺れる中、ルーナは静かに自分のことを語り始めてくれた。
そこで驚かされたのは、ルーナがただの猫ちゃんではなく、
異世界ものやゲームでよく耳にする“ケット・シー”という妖精種だったということ。
この世界の猫だと思っていたのに、まさか妖精種だったなんて。
それに、ルーナ以外のケット・シーは迫害から逃れるためにこの地を離れたという。
なのに、なぜルーナだけが残されたのか。
その理由を聞かずにはいられなかった。
「この地でも、私たちを信仰し、愛してくださる人々はたくさんいました。
ですが、“死”に関する噂ばかりが先行して、人々は私たちの存在を消そうとしたのです。
だから、仕方なく別の地への移住を話し合い、この地を離れようとしたのですが…
私には、他のケット・シーが持っていない“感情”がありましたの。
それが原因で私は一族とは別の道を歩むことになりましたわ。」
「ケット・シーには、必要のない感情って…そんなのあるのか?」
「ええ。私たちは常に冷静に“生”と“死”を見つめる役目を担っていかなければなりません。
死が近い者を、希望通り“楽にしてあげる”なんてことは、本来あってはならない。
ケット・シーは“魂を盗む”と言われていますが、実際は“魂を安らかに導く”存在でしたの。
それ以外の行いは、本来すべきではないのです。
ですが私は…苦しむ仲間の命を吸い取ることで、その苦しみから解放してしまった。
それは、いわば“禁忌”とされる行為でした。
だから私は“異端”として扱われ、一族と共に行くことは許されなかったのです。」
「そんな…」
ルーナがこの地に残された理由を知ったとき、胸がギュッと締め付けられた。
そもそも、ケット・シーが“生と死を見つめる存在”だなんて知らなかったし、
命を終わらせる力を持っているという事実も初耳だった。
そして、ケット・シーは“生と死”に対して一切の感情を持ってはいけないということも初めて知り、
ルーナはその境界に敏感に触れてしまうほど、純粋な優しさを持った子なんだと分かった。
だけど、それゆえにルーナは一族から捨てられてしまった。
そう思うと、あまりにも切なすぎた。
「一族から離れても、私はどうしてもその行為を止められませんでしたわ。
苦しみから解放することで救われる命もあると…。
ですが、今となっては、私は“救っている”のか、
ただ自分の感情を優先して“殺している”のか、分からなくなりましたの…。
そんなことを続けていくうちに、体にも負担がかかり、瘴気をまとってしまいました。
命を故意に吸い取るという行為には、かなりのリスクが伴いますから…
ついに、私にも“死”がやってくるのだと思いましたわ。
それなのに、突然、私の体が浄化されて瘴気が消えていき…驚きました…。
ですが、浄化されたものの、体力までは戻らず…
ずっと岩陰に隠れて眠っていたのですが…助けを呼ぶ命の声が聞こえましたの。
私は体を引きずりながら、その声に向かい、捨てられた子供たちを救い出しました…。」
「子猫って…じゃあ、この子たちはルーナの子供じゃなかったのか。」
「ええ。実はそうなの。」
一族から離れたあとも、ルーナは自分の気持ちを変えることができず、
命を吸い取る行為を続けてきたと教えてくれた。
それが正しいのか分からないと、俯いて語るルーナ。
確かに、安易に「正しいことだよ」とは言えない行為。
だけど俺は、ルーナの心の優しさが伝わってくるから、その行為を責めることはできなかった。
それにしても、ルーナの体に瘴気がまとい、瀕死になっていたとき、
俺が偶然にも浄化を始めて、ルーナの体も浄化していたなんて思いもしなかった。
あのタイミングがずれていたら、もしかしたらルーナは瘴気に呑まれていたのかもしれない。
そう思うと、あの時の判断をした自分に、少しだけ感謝したくなった。
そう考えていた矢先、ルーナはまた衝撃的なことを告げた。
ルーナの子供だと思っていた子猫たちは、実は“命の声”に気づいて拾い上げ、助けた存在だった。
ルーナらしいな、とは思うけど…それでも驚きだった。
「ルーナは…ルーナは優しいよ。異端なんかじゃない…」
「ありがとう、ヨシヒロ様…。
ヨシヒロ様たちが私を見つけてくれたあの日、弱った私に魔法を試し打ちして逃げていった人間がいました。
今まで自分がしてきたことを思い返すと、“天罰”だと思い、
ここで死ぬのだと覚悟を決めました。
ですが、クロちゃんとユキちゃんが私を見つけてくれて、
ヨシヒロ様が私を完璧に治してくださいました。
あの時は、すぐに逃げてしまいましたが…
冷静になったとき、あの人間の側にいたいと強く思いましたの。
だから私は、子猫を連れてヨシヒロ様たちの匂いを辿って、あのお城まで行きましたわ。」
「ルーナ…本当に君って子は…」
ルーナの人生のすべてを聞き終えたとき、俺はルーナを抱きしめずにはいられなかった。
この子は、俺が想像していたよりも何百倍も濃くて、重くて、
苦しい日々を歩いてきたんだと思うと、泣けてくる。
それでもルーナは諦めることなく、俺のところに来てくれて、
“生きること”を選んでくれた。俺は、それが嬉しかった。
「ヨシヒロ様…この先、どう生きていけばいいのか、正直分からないんですの…
このまま私が生きていていいのかも、分からない…」
「ルーナ…。
ルーナは、これまでたくさんの命と向き合ってきた。
それは、俺には想像もつかないような場面にも出くわしたと思う。
その度に、ルーナは傷ついたり、涙したりしてきたよね。
だから、疲れて何も考えられなくなるのも、無理はない。
それでも、ルーナは子猫の命の鼓動を聞きつけて助けてくれた。
そして、俺に助けを求めてくれた。
ルーナの心が“まだ生きたい”って叫んでるから、そんな行動に出たんだと思うんだ。
それに、子猫たちを護りたいっていうルーナの願いが、前に進ませてくれたんだと思う。
…今までは孤独に闘ってきたけど、今は違う。俺や他の家族がいる。
ルーナが辛いとき、泣きたいときは、必ず俺たちがそばにいるから。
だから、これからは俺たちと一緒に、ゆっくり生きていかない?
その人生の中で何か起きたら、その時は一緒に答えを考えよう。…ね?」
「ヨシヒロ様…」
俺はロウキやルーナみたいに、できた人間じゃないから、
何をどう伝えればルーナに思いが届くのか分からなかった。
だけど、今の自分の気持ちを全部伝えることで、
少しでもルーナの“生きる希望”につながればと思ったんだ。
俺の気持ちを伝えると、ルーナは尻尾をくるりと俺の腕に巻きつけて、
スリッと体を擦り寄せてくれた。
ちょっとだけでも、俺の気持ちが伝わったようで、安心した。
すると、ルーナは俺の腕から離れ、まっすぐに俺を見て言った。
「ヨシヒロ様。決めました。私、ヨシヒロ様の従魔になりますわ。
そして、この家族をこれから先、死ぬまで護り通してみせます。」
「ルーナ…いいのか?」
「ええ。もう決めましたの。契約を交わしてください。」
「分かった…。」
ルーナは覚悟を決めたように俺を見つめ、従魔になると力強く言った。
従魔にならなくても、今のままで十分だとは思っていたけど、
ルーナの瞳から本気度が伝わってきて、俺も従魔契約をする覚悟を決めた。
従魔契約を結べば、少しはルーナの負担軽減にもつながるかもしれない。
そう思い、ルーナに意識を集中させた。
「…我が眷属となりし者よ、この名を与える―…ルーナ。」
「ありがとう……ヨシヒロ様…」
「ルーナ、家族になってくれてありがとうな。
とりあえず、無理はしないこと。何か悩みができたら、誰かに相談すること。いい?」
「ええ。分かったわ、ヨシヒロ様。」
「それと、突然子供が増えちゃったけど、グリフォンのことよろしくね?」
「お任せください!ヨシヒロ様。立派なグリフォンに育ててみせますわ。」
「あはは、優しい性格に育つといいなぁ。」
「この環境で育つんですもの。きっと、心の優しい子に育ちますわ。」
「そうだと嬉しいなぁ。」
ルーナと従魔契約を結んだあと、無理はしないこと、何かあったら相談するように伝えた。
この子の性格からして、一人で抱え込んでしまいそうだったからな。
これからは、誰でもいいから頼ってくれたらと思う。
家族になった以上、俺は必ず手を差し伸べるから。
ここにいる皆も、きっと同じ気持ちだと思う。
誰かが困っていたら、きっとその手を差し伸べて、
一緒に前に進んでくれる、そう信じてる。
だから、誰一人として“孤独”だと思わせないように、大切にしていこうって。
そう思っていた―…。




