四
歴史資料館は山から車で15分ほどの所にあるらしく、片平は孝介の車の助手席に乗せてもらって移動している。
今から行くんですか?と驚かれはしたが、孝介は快く了承してくれた。
「孝介君は、今何の仕事してるの?」
片平は軽口を叩きながら、観察するような目で運転する孝介を見つめた。
「今から行く資料館に勤めています」
「まじか」
「まじです。今日は休みで、キノコでも採りに行こうと思っていたんですが」
「そりゃ悪かったな。休みの日に職場に行くと、休んだ気がしないよな」
「確かにそうですね。でも、別に構いませんよ」
和やかに話す孝介を見て、片平は場の雰囲気を壊す事を申し訳なく思いながらも本題に突っ込む。
「……俺な、相模宗介の大学の先輩だったんだ。孝介君から見て『宗介』ってどんな奴だった?」
孝介はきょとんとしたが、『紳士の皮を被った悪魔』などと言われている事を思い出したのか「……あぁ」と悲しく笑った。
「優秀な兄でしたよ。優しそうに見えますけど結構厳しくて、けど教え方もすごく上手くて。だから褒めてもらえたら尚更嬉しかったです。大学受験の勉強も宗介兄さんが見てくれました。まぁ……俺が進学したのは地方の大学ですけど。少しでも早くあの家から出たくて」
孝介は懐かしそうに目を細める。
「家、嫌いだったのか?」
「はい。俺の家系って異常に頭良い人多いんです。だから『トップクラスの学校に進学するのが当たり前』みたいな風潮があって。けど、俺だけ普通で……高校までは必死に勉強して進学校の上位30人あたりにいましたけど、両親はそれでは満足してくれませんでした。高校に入っても毎日勉強漬けで、やってみたかったんですけど『部活』なんてとてもじゃないけど出来なくて……『失望される眼差し』と『勉強』と『やりたい事が出来ないストレス』で気が狂いそうになっている俺を気にかけてくれたのは、宗介兄さんだけでしたね」
失礼だが、確かに孝介は器用そうには見えない。
「地方の大学への進学を勧めてくれたのも、宗介兄さんなんですよ。『このままじゃ親の希望する大学に行けない、見捨てられる』ってプレッシャーと不安感に押し潰されそうになっていた俺に『お前の希望する学科は、叔父さんの家の近くにもある。そもそも、うちの家は異常なんだ。精神的に壊れてまで、親の言う大学に行く必要はない、お前は逃げろ』って」
『逃げろ』という言葉に、片平は反応する。
「うちの家が異常だっていうのは、薄々感じていました。『勉強であれ芸事であれ、優秀なのは当たり前』なんて無茶苦茶でしょう……でも、それを指摘する勇気も反発する勇気もなくて……思いきって両親に『地方の大学に進学したい』って言ったら、『お前はすこぶる出来が悪い。何も期待していないから勝手にしろ』と冷めた目で言われました……」
苦笑していた孝介から、ふと笑顔が消える。
「……『逃げろ』って、こういう意味だったのかな……」
家にいれば、殺さなくてはならなくなる。
遺体の刺し傷の量から、恐らく恨んでいたのは敬介だけで、両親は道連れだったのだろう。
「大学ではどうでしたか?」
信号が赤になり、車を止めた孝介が穏やかに微笑んで片平を見た。
その微笑みに、片平は目を見開く。
(本当に、宗介の事好きだったんだな……)
「……優秀で、誰に対しても親切に接する温厚な奴だった。あいつを慕う奴はめちゃくちゃいた」
「ははっ猫かぶってるなぁー……あなたから見た兄さんは、どうでした?」
「さっき言っただろ」
聞こえなかったはずはないだろ、と片平は顔をしかめる。
「今のは、大学の人の総合的な判断でしょう?あなた個人から見た兄さんは、どうでした?」
宗介よりも頭は良くないのだろうが、勘が良い。
片平は、観念したように長いため息をつく。
「……確かに表面上は温厚だ……ただ、他人を信用してないように見えたし、何でか分からないけど『いつか何かやらかすんじゃないか』と、初めて会った時から警戒していた。まさか殺人とはな」
「刑事さん、勘が良いですね」
「孝介君もな」
もしかしたら、宗介が家族を殺害したのは孝介のためなのだろうか。
しかし、孝介を地方の大学に逃がす事が出来たのだから殺害までする必要はないように思う。
やはり、宗介個人の都合なのだろうか。
(……ん?)
『孝介を気にかけていたのは宗介だけだった』という事は、敬介はどうだったのだろうか。
「敬介君は?」
「……え?」
孝介の顔が強張った。
「敬介君は、どういう奴だったんだ?」
孝介はハンドルを握る手に力が入り、「……敬介……兄さんは……」と声が上擦る。
敬介には、恐怖心を抱いているようだ。
「……いや、やっぱりいいや。すまん」
「いえ……良い人……でしたよ。表向きは……」
これが精一杯の皮肉なのか、孝介はそれ以上を語ろうとはしなかった。
どうやら夢の中で感じた敬介への警戒心は、間違いではなかったようだ。
(そもそもあれは、本当に夢だったのか……?)
夜、布団で寝ている時には見た事がない。
あの夢を見る時は、必ず登山道のあの石で休んでいる時だ。
「着きましたよ」
駐車場に車を止め、二人は歴史資料館へ向かう。
平日のためか、駐車場に孝介以外の車はなく、客はいそうにない。
館長である叔父・相模洋一が受付の窓口から穏やかに顔を出した。
「孝介、どうした?今日は休みだろう?」
「叔父さん、お疲れ様。こちらの刑事さんが『歴史資料館を見てみたい』って言うからお連れしたんだ」
「初めまして。警視庁の片平です」
片平は、内ポケットから警察手帳を取り出して見せる。
「刑事さん……?もしかして、宗介の事件の……?」
洋一は、顔を強張らせて片平を見る。
「まぁ、それもありますけど……単純に興味本位でもありますね。俺、宗介と同じ大学で剣道サークルの先輩なんですよ。昔、あいつから一度だけ『先祖は武家だったらしい』って聞いた事がありまして。でも歴史資料館まであるなんて初めて知りました」
片平はへらへらと笑いながら入館料を支払う。
「そうですか……どうぞ、ご覧になってください」
まるで家宅捜索でもされるかのように、洋一は緊張した顔で館内へ促した。
館内は広くはないが、相模家の武士が使用したとされる鎧兜や家財道具、書状などが展示されている。
壁には相模家の歴史を説明したパネルが掛けられていた。
『相模家は、戦国時代から江戸時代にかけて清水家に仕えた一族である。』
説明を流して読んでいた片平は、とある一文に目が釘付けになった。
『江戸時代初期、五代目当主・信介は長男・敬介、次男・宗介を相次いで亡くし、三男・孝介が家督を継いだ。』
(江戸時代……)
「そんな事あるか……?」
「え?」
怪訝な表情で呟いた片平に、よく聞き取れなかった孝介は問い返す。
「あ……いや、何でもない。孝介君たちと名前が一緒だなーと思って」
片平がパネルを指差してごまかすように笑うと、孝介もパネルを覗き込んだ。
「──本当だ。まぁ、偶然だと思いますけどね」
真に受けずに笑う孝介に対して、片平は「だよなぁ」と引きつった笑みを浮かべる。
(まさか……あれは本当に江戸時代の事なのか……?)
架空の人物達です。