ニート、時が戻る?
「ぎゃああぁぁ~~~!!」
とある中学校の授業中。
一年生の教室に男子の悲鳴が響き渡る。
その男子は椅子から滑り落ちると床を転がり、体中を叩いて悲鳴を上げ続けていた。
「井上……井上? どうした??」
「火! 火~! 熱い! 燃えてる~!!」
その行動を見た男性教員は、怒るでもなく優しく声を掛けた。
男子が真に迫ったような熱がり方をしていたから、少し怖くなったのかもしれない。
クラスメイトも引いている。
「井上? お前は燃えてないぞ??」
「燃えてるって! い、息が。死ぬぅぅ!!」
「もう一度言うぞ? お前は燃えてない。どんな夢を見たらそんな生々しい演技ができるんだ??」
「ガソリンを頭から被って火をつけたからだ! ……ん??」
教員が何度も話し掛けると、やっと男子は目を開けて周りを見た。
そこには、ドン引きの少年少女の顔。
教員も呆れた顔で腕を組んでいる。
「こ、ここはどこ?」
「教室だ。お前は井上隆志。名前は忘れてないよな?」
「あ、はい……名前は……え? オッサンが学校の教室で何してんだ??」
「オッサンって、先生に言ったのか?」
「え? 自分の事だけど……」
「ダメだこりゃ。まだ夢の中にいるな。もういい。授業の邪魔だ。誰か保健室に連れて行ってくれ」
男子が寝惚けているのだと受け取った教員は、会話が面倒になったのでクラスメイトに押し付ける。
クラスメイトも誰が行くかと周りを見ていたら、隣の席の女子が立候補してくれた。
男子はまだ呆けていたので女子は一言二言告げて腕を取り、立たせて教室から連れ出す。
「井上君。急にどうしたん?」
教室を出てしばらく歩いた所で女子の質問が来たが、男子は答えを持ち合わせていない。
「いや、何がなんだか……」
「私の名前はわかる?」
「……全然わかりません」
「ええ~。ウソ~ん」
女子はショックを受けたのか頬を膨らませ、数歩前に進んで振り返った。
「福原睦実。一年三組で隣の席になった福原睦実。部活は女バス。井上君と出会ったのは中学から。覚えてるよね?」
「フクハラ、ムツミ……」
男子は女子をじっくり見る。
背が低く髪はセミロング。
目は切れ長でキツネっぽい顔。
男子はハッとした顔の後に急に目を逸らしたので、女子はそちらに顔を持って行った。
「思い出した?」
「ああ……確か、一年の時に転校したような……あとで俺に気があったような事を聞いた事がある……」
「はい? 誰のこと言ってるん??」
「フクハラムツミ……福原睦実!?」
女子は顔が赤くなっているが男子は慌てて窓に張り付き、校庭を見て驚く。
「第一中学校……第一中学校のグラウンドだ……制服!?」
「井上君?」
「ちょ、ちょっとトイレ!!」
「えぇ~……やっぱり覚えてるやん」
男子は血相変えてトイレに一直線に走って行ったので、睦実はさっきまでの言動は演技だったのだと受け取ったのであった。
トイレに駆け込んだ男子は鏡で自分の顔を見ていた。
「俺だ……いや、中一の俺だ。いやいや、自信ないけど……こんな顔だったような気がする……」
何やらブツブツと呟き、顔を一通り揉んだり叩いたりした男子は自分の名前を口にする。
「井上隆志……中一の井上隆志だ」
そう。この男子は、井上隆志。
「え? これってタイムリープ? スリップ? どっちでもいいけど、時が戻ってる……」
そう。2025年の国会議事堂前で焼身自殺をした、あの井上隆志だ。
「ああ~……夢だなコレ。体は病院で、死の間際なんだ。全身火だるまになったのに生きてるって、どんだけ生命力強いねん。あ~あ。アレで人生リセットできたと思ったのにな~……まさか持ち直すなんてないよな?」
隆志は夢だと気付いてからは、愚痴ばかり。
やれブラック企業で働いていただとか、精神的に病んで辞めたとか、なんとか治療が終わって働こうとしたら母親の介護が必要になったとか、父親も高齢で頼れなかったから自分がやるしかなかっただとか。
母親が亡くなってからは何度も面接に落ちたとか、10年以上も働いていなかった事がネックになったとか、人生どうでもいいようになってしまっただとか……
そんな事を呟いていたらチャイムの音が鳴り響いたので我に返る。
「あ、授業が終わった? しかしリアルな夢だな。走馬燈のような物かな??」
ひとまず隆志は夢の流れに身を任せる事にしてトイレを出たら、睦実が待っていた。
「もう大丈夫そう?」
「う、う~ん。なんとか? 夢を見ていたみたいな??」
「フフ。そうやんな。でも、本当に記憶喪失になったのかと思ってんで」
「なんかすんません」
隆志が適当な言い訳をしただけで、この話はおしまい。
二人で教室に戻ると、隆志が入った所で三人の男子が駆け寄って来た。
「隆志、大丈夫か?」
「ま、まあ……なんとか」
「それやったらええんやけど。ちなみに俺の名前は?」
「オマエのナマエ……」
「なんでカタコトやねん。え? ホンマに言ってんのか??」
目の前の男子は、背が低めで少し横に広い体。
隆志は記憶を振り絞って正解を探した。
「保育園から一緒の~……前沢章夫」
「正解! でも、焦らせんなや~」
「おお~。覚えてるもんやな~。最後に会ったの、確か大学生やったのに」
「なんで大学生? 俺らまだ中坊やで??」
「な、なんでもない……」
隆志は失言したと頭を掻いていたら、残りの2人も名前を言えとリクエストしていた。
「ええ~と……ベッチはわかるねん。お前は誰だ??」
「竹田! なんで俺だけ忘れてるねん!!」
「あ、冗談冗談。相撲部の竹田やな」
「バレー部や! 体型見ておちょくってるやろ!?」
「……マジでバレー部??」
「相撲部自体がないわ!!」
「「「「「アハハハハ」」」」」
隆志は本当に竹田の事は記憶に無かったけど、皆はボケたのだと思って笑いが起こる。
席に戻ってからもクラスメイトがやって来て名前を言わそうとしていたらチャイムが鳴り、担任の先生が入って来たので隆志は胸を撫で下ろした。
まったく記憶にない人だらけだったからだ。
「井上~? なんか頭がおかしくなったとか聞いたけど、大丈夫か?」
「あ、はい。元々おかしいので大丈夫です」
「「「「「ブッ! アハハハハ」」」」」
担任は心配したような感じだったが言葉遣いがおかしく感じたから、隆志はボケで返してやったらクラスメイトが大笑いだ。
しかし、担任は何か引っ掛かる事があるみたいだ。
「井上ってそんなこと言うヤツだったか?」
中学生の隆志と46歳の隆志では、キャラが違うからだ。
「いや~。寝惚けてやらかしてしまったから、もう猫被るのやめようと思って。これからは犬被って行きます」
「それはおもんない。授業始めるぞ~」
「ええ~……誰も笑ってない!?」
「「「「「アハハハハ」」」」」
「井上、うるさい」
「俺だけ!?」
「「「「「アハハハハ」」」」」
担任との会話は、笑いで乗り切った隆志。
クラスメイトが笑う中、担任がさっさと授業を始めると、隆志はキョロキョロと教室中を見ていた。
(え~っと……中一と言う事は、13歳だから33年前の1992年か。日付は5月7日。日直はどいつだ?)
黒板から情報を仕入れた隆志は左の席から順番に顔を見て名前を思い出そうと頑張る。
(ダメだ……あいうえお順に並んでいるはずなのに、全然名前が出て来ない。いいとこ2割? てか、夢の中だから正確に再現されているワケないか。顔も覚えてないし)
隆志が無駄な努力をしたと諦めた頃に、睦実からノートを取らないのかと指摘されたので、いまさらノートを開いて鉛筆を持った。
ただ、やる気は起きないので鉛筆を回し、クラスメイトの女子は誰が一番かわいかっただとか、昔の記憶を思い出す事に没頭する隆志であった。
「おかしい……」
隆志が夢の中にやって来たと気付いてから一週間。
この間、未来では取り壊された昔の実家と学校を行き来し、中学校生活を満喫していた隆志であったが、全然夢から目覚めないからさすがに変だと考え出した。
「妙にリアルなんだよな~……コケたら痛いし、オカンの料理はあんまり旨くないし、給食もマズイ。ガキ共はうるさいし、ヤンキーも絡んで来るし……まったく俺の思う通りにいかない」
隆志はゴロンと転がって枕に顔を埋める。
「苦しっ! ハァハァ……」
息を止めても苦しいのなら、隆志も認識を変えるしかない。
「コレって夢じゃない? 死に戻りか??」
別の可能性をだ。
「マジか~。確かに戻りたいと思っていたけど、中学生か~。もっと前がよかったんだけどな~。保育園とか……絶対音感欲しかったし」
隆志は喜ぶよりも不満があるみたい。
大学時代にライブバンドに嵌まっていたから、自分もバンドマンになりたかったのだろう。
人には言えない特殊な性癖とかは関係ないはずだ。
「まぁ今からギター始めれば、バンドマンにはなれるか。歌詞とかパクれば印税もガッポリだろうし……行く行くは若手女優と結婚とかできちゃうかも? グフフ」
卑猥な顔をする隆志は輝かしい未来を思い描き、翌日も普通に登校する。
「中間テスト?」
「うん。ノートの提出もあるんだって」
そこで睦実から告げられた現実。
隆志もノートを全然取っていなかった事を思い出して、いまさら慌てて睦実のノートを写させて貰って事無きを得る。
そして家に帰ってから、未来図も変更だ。
「そうやん。勉強や。財務省に入って、官僚と政治家の不正を流出しまくればいいやん!」
そう。隆志は焼身自殺までして社会に物申した人物。
与党と財務省に並々ならぬ怒りを持っていたのだ。
「よし! 勉強や! でも、俺は初めての中間で一桁連発したんだよな~……ま、その時は勉強の仕方を知らなかっただけだ。大学は我流の勉強で二流大学に入れたんだから、頑張ればいける! 竜桜の学習方法も覚えてるから、東大法学部を目指すぞ~!!」
斯くして隆志は財務省に入るには一番いいルート、東京大学法学部を目指して勉強尽くめとなるのであった……