ニートの死
2025年春……
気温が上がり、過ごしやすい季節もそろそろ終わりが見えた頃、一人の中年男性が国会議事堂に向かう歩道を歩いていた。
その男はスーツ姿で小綺麗だった為、歩道で警備をしている警察もランチに出ていた職員が戻って来たと思って気にも掛けない。
そうして男が国会議事堂前に迫った辺りで、20人前後の観光客がガイドに連れられて歩いて来た。
観光客の目的は、国会議事堂をバックに写真を撮ること。
国会議事堂を守る衛視は何人かその様子を見ているが、前もって予定は頭に入っているからいつもの日常としか思っていなかった。
しかしその日常は、先程の男のせいで崩れる。
どういう訳か、男は鞄の中からステンレス製の水筒を取り出して頭から液体を被ったのだ。
衛視は「何をしてるのだ?」と思ったぐらいでまだ危機感はない。
観光客も何人か気付いたみたいだが「暑いのかな?」と、変わった人がいると見るだけ。
誰も男に近付かないままでいたら、水筒から流れ出る液体は止まった。
「みなさ~ん! ちゅうも~~~く!!」
それを合図に、ジットリと濡れた男は大声を張り上げた。
「これに、私の要望が書かれています。じゃんじゃんSNSにアップしちゃってください」
そして、カプセルトイに使われる丸いプラスチックケースを高く掲げると、鞄を大きく開いて勢いよく振った。
「では、さようなら。ニッポン! バンザ~~~イ!!」
カプセルトイのケースが散り散りに転がる中、男は万歳すると同時にオイルライターに火をつけてを頭に落とした。
「「「「「キャーーー!!」」」」」
次の瞬間には観光客の悲鳴。
男が一瞬にして炎に包まれたからだ。
「しょ……消火器! 誰でもいいから消火器持って来い! 急げ!!」
衛視は慌てて指示を出して男に駆け寄り、炎を鎮火しようと様々な方法を試みるのであった……
国会議事堂前で起こった事件は、第一報では「男が焼身自殺を試みた」との緊急速報で流れた。
次は夕方の報道番組で男の名前と目的が語られる。
男の名前は、自称「井上隆志」。
目的は日本政府に不満があったから命を持って抗議すること。
警察発表はここまでで、井上隆志の背後関係を調べているというニュースで締められた。
緊急速報で流れたニュースだったのにテレビの中ではさほど大きな事件として取り扱われなかったこの事件だが、SNSではまったく違う反応をしていた。
自称井上隆志が投げ散らかしたカプセルトイを拾った観光客が、警察に提出しないで持ち帰っていたのだ。
その内容はSNSに全文が掲載されて拡散されている。
1 少子化対策、経済対策、地方改革、財政改革に尽く失敗した与党議員は、責任を取って全員辞職されたし。
また、20年以上議員を続けている野党議員も同罪とし、全員辞職されたし。
2 強大な力を持つ財務省は、歳入庁と歳出庁に分割されたし。
官僚の天下り先、独立行政法人、公益法人、特殊法人等は廃止、資金を引き上げ、金輪際、税金の無駄遣いはやめるべし。
3 103万円の壁は憲法違反と認め、178万円に引き上げたし。
その際、社会保障費等の壁も178万円を基準に壁の移行をされたし。
税率は壁では無くなだらかな坂道になるように頭を使われたし。
4 消費税、暫定税率、環境税、二重課税の廃止。
社会保障費やNHK受信料等、国民から広く徴収する物は全て税として明記されたし。
5 現役世代を手厚く優遇されたし。
何度でもチャレンジできる社会を作り、氷河期世代も救われたし。
最後に……
『取るに足らないこの命 苦しむ日本国民の為に使えたならば 生かされた意味もあったのだろう 井上隆志』
この辞世の句のような言葉で、自称井上隆志の要望は締められていた。
その結果SNSの反応は、大炎上。
若者が思っていた事を代弁してくれたと、自称井上隆志を褒め称える声が大多数だ。
その声はすぐに大声になっているのだが、与党とオールドメディアには響かない。
同じ政策を掲げている野党は与党に詰め寄る場面はあるが、のらりくらりとかわされている。
その行為がまた国民の怒りに火をつけたが、オールドメディアでは違うニュースが流れ始めた。
「先日、国会議事堂前で自殺未遂をした男は、兵庫県に住む井上隆志さんだと確認が取れました。警察は井上隆志さんに、放火未遂の嫌疑で逮捕状を請求していると発表しました」
井上隆志の「自称」が取れたのだ。
そうなってはオールドメディアは早い。
井上隆志の素性を事細かく調べ、事件の背景を詳らかに全てを暴露した。
この井上隆志、年齢は46歳。
職業は無職。
10年以上も仕事をしていない、所謂、ニートと呼ばれる男だったのだ。
ここからのオールドメディアの報道は偏る。
井上隆志は親の年金を食い物にし、社会に不満を抱き、母親が亡くなってから破れかぶれになったのだとか。
挙げ句の果てには精神に異常を来していただとか、コメンテーターによってはテロリストとまで言い出した。
与党もこれに乗っかり、自分達の政策を正当化する。
井上隆志の生き様は自分が招いた結果だと、自己責任の言葉で断罪したのだ。
井上隆志の話は、与党とオールドメディアの中ではこれで早々の幕引きとなってしまうのであった……