9部員たち
改めて数度咳払いをした渡木くんが私たちを見回す。脱線を続けていた話は、ようやく部誌発行に戻った。
「期限は創立記念日の二週間前だよ。最低でもそこまでに部誌の発行依頼をしないといけないんだ」
「……本気?二……いや、三週間なんて無茶苦茶だと思うけど……」
「そうでもないと思うぞ。だってすでに書いているものを推敲すればいいんだ。むしろ一日二日あればいけるんじゃないか?」
「……普段書いているやつって、ご都合主義満載の主人公最強小説のこと?」
「お前の頭お花畑な、角砂糖にはちみつとオリゴ糖をたっぷりかけたような恋愛小説に比べれば、俺の小説の方が百倍ましだろ」
「な、何なの⁉努力もせずに手に入れた力を振りかざすだけで惚れるような、頭お花畑なヒロインばかり書いているのはあんたでしょ」
「ああ゛?登場する男子全員が超美形、セレブ、あるいは権力者だとかそっちの方がよっぽど頭がわいてるだろ」
本日三度目。にらみ合う二人を止めるべく、私は勢いよく柏手を打った。手がひりひりと痛み、そしてかつてないほど大きいパァンという乾いた音が図書館に響き渡った。
きゃ、と小さく悲鳴を上げた恵理ちゃんが肩を跳ねさせた。
「河野さん、図書館ではお静かにお願いしますね」
ひょいと棚の先から顔をのぞかせた斎藤先輩は、あろうことか私に注意をしてきた。二人が黙り、同時に雨音と部活動の掛け声、廊下を走る集団の足音が図書館に広がっていく。
うるさいのは渡木くんと晴美だっただろうに。いや、二人にどれだけ注意しても暖簾に腕押しであることを知っているからこそ、斎藤先輩は私に注意したのだろうか。その言葉には、有無を言わせぬ響きがあった。二人に引っ張られて図書館で騒がしくしないように私が自分を律し、そして二人を制御することを先輩は求めているのではないだろうか。
無理だ。斎藤先輩ですら矯正できなったいがみ合う二人をどうにかすることなど私にはできない。
視線を感じた。斎藤先輩が顔を出した通路の一つ隣へと視線を向ければ、そこには恐る恐るこちらを窺う先ほどの男子生徒がいた。
先輩だろうに、彼はおびえたウサギのように震えていた。私と目が合うと、先輩はさっと棚の奥に隠れ、けれど怖いもの見たさゆえか、再び顔を出すも、視線が合うと棚の陰に消えた。
はぁ。図書館利用者に迷惑をかけているようではいずれこの場所を追い出されるかもしれない。早く別の活動場所を見つけるべきだろうか。正直、部員が五人しかいないのだし、特に持ち物も必要ないわけで、普通の教室を二週間に一回ほどのペースで借りることにすればいいかもしれない。
これまで部活の日に図書館の利用者がいたことは稀だったから、気遣いが足りなかった。
「……ほら、二人とも。他の人の迷惑にならないように少し声を抑えて」
「えぇ?怒られたのは梓でしょ?」
本気で言っているあたり質が悪い。そして、悪びれないのは晴美だけじゃなくて渡木くんもだった。
「俺より先にこいつを黙らせてくれよ」
「あんたもうるさいのよ」
顔を見合わせた二人は、ふんとそっぽを向く。晴美のトレードマークのポニーテールが大きく揺れた。
「……はぁ」
ひどく疲れて、私は机に伏して溜息を吐いた。ただでさえ体が重いのに、これ以上の気苦労はいらない。
その時、図書館の入り口の方から足音が聞こえて、私はゆっくりと顔を上げた。視線の先、まだこちらをうかがっていた先輩が姿を隠す。
それとほぼ同時に、別の通路からひょっこり――という表現が不適当なくらいがっしりとした体つきの男子生徒が姿を現した。
スリッパの赤色からわかるように、彼は一年生。そして私が登場を待ち望んでいた文芸部の部員の最後の一人でもある。
渡木くんが先輩風を吹かせて晴美とのいさかいを回避するために欠かせない深谷くんが、後頭部を掻きながら頭を下げた。
「すみません。委員会の仕事で遅くなりました」
「美化委員だっけ。お疲れ。別にそんなに遅れたってわけでもないし、気にするなよ」
掃除で集まってきたゴミをまとめるなどの仕事がある美化委員の用事で遅れたという深谷くんが平謝りするのを止めて、さっそくとばかりに渡木くんが先ほどの説明を繰り返す。
すでに部誌の発行が決定事項とでも言いたげな様子の渡木くんの言葉に思うところはあったけれど、今は口をはさむ必要もないかと、先ほどよりは少し形が見えてきた説明を黙って聞いた。
「……つまり、三週間で部誌に載せる作品を完成させる必要があるということですね」
「ああ、その通りだ。これまでの作品を改稿するだけでいいんだ。簡単だろ?」
「そうですかね?創立記念30周年にかこつけて発行するわけですから、それなりに堅苦しい内容である必要があるのではないですか?そうでなくても、せめて作品の中で創立記念日だとか、この学校についてだとかが入っているような作品が一つは必要じゃないですか?」
うなる渡木くんが顎をさする。深谷くんにはぜひともこのまま渡木くんを論破して、部誌の発行を止めさせてほしい。というか、私たちに無茶ぶりをする顧問の先生は顔を出さないのだろうか。出さないのだろうな。だって、もう半年近く部活で先生の顔を見ていない。副顧問に任命された司書さんは帰りに顔を見せてくれるけれど。
そんなことを考えていると、顎をさする渡木くんが私たち女子三人を見まわし、私に焦点を合わせる。
目が合った。慌てて視線を逸らすも、閃いたといわんばかりに顔に気色を浮かべる渡木くんの表情が網膜に焼き付いていた。
「河野なら書けるんじゃないか?確か一時間で六千字くらい小説を書けるって前に話してたよな?」
「……タイピング速度はそれくらいだけれど、ネタがあるときだけだよ」
そう、タイピング速度は私の数少ない自慢だけれど、それも頭の中ですでに物語が形になっているときだけだ。そうでなければたとえ文字数を稼げても話が迷走する。特に主人公の一人称でその手の話を書けば、ぐるぐるとハムスターのように同じ思考を繰り返す優柔不断な人物が完成する。
だから無理だと、そう言ったつもりなのに。渡木くんは他人事のように「それなら大丈夫だろ」なんて言ってくる。一体どこが大丈夫なのだろうか。
「ネタならあるだろ?創立記念日にふさわしい、けれど同時に面白い、この学校を舞台にした話だよ。王道の部活動でもいいし、青春ものもありだし、SFジャンルを攻めるのもありじゃないか」
「……それはネタとは少し違わない?というか、渡木くんが書いたら?何か面白いアイデアでも浮かんでいるんじゃないの?」
「SFジャンルって違くないかな?やっぱりここは恋愛ものだと思うよ。というか、青春って何?青春(笑)って」
「は?青春は青春だろ」
「ほら。なんの説明にもなってない。とりあえず青春(笑)って言ってみたかっただけじゃないの?」
「……ぐ、いや、ほら、部活とかさ。汗を流してチームプレイ、とかそれっぽいだろ。運動部の熱血さが入れば創立を記念しての初の部誌に載せるに足る内容になるんじゃないか?」
ちらりと深谷くんの顔を盗み見た渡木くんは、眉間をひくつかせながらもなんとか晴美に対する怒りを抑えてみせた。
やっぱりこの部活には深谷くんの存在は欠かせない。
というか、深谷くんか理恵ちゃんが作品を書くのはどうだろうか。理恵ちゃんはヒューマンストーリー系の小説が上手いし、深谷くんが書く独特な言い回しは意外と癖になる。
私よりも才能がある二人が書けばいいのにと少しだけ思う。けれど、先輩を立てることに余念がない深谷くんと、引っ込み思案な恵理ちゃんの二人が、その提案を受け入れるとは全く思えなかった。
少なくとも恵理ちゃんは逃げ出して、下手をすれば退部してしまうだろう。
涙目になって震えながら退部届を差し出す恵理ちゃんが想像できてしまって、私は苦々しく思いながら自分の提案を飲み込んだ。
そうしている間にも、渡木くんと晴美の議論――というか貶し合いは熱を帯びていっていた。
「青春イコール部活とか、枯れた人間の発想だと思うんだ」
「……そういうお前は青春物語って聞いて何を想像するんだよ」
「え?例えばさっき言った恋愛は青春の代名詞でしょう?」
「結局恋愛じゃねぇか……」
「あんたと違ってわたしにはほかにも発想があるんだから。例えばひそかにバイトをしている美形生徒会長を見つけてしまって口止めから始まる関係とか、恋心を隠しながら懸命に部活動を支えるマネジャーとエースとか」
やけに早口な晴美が熱をもって告げる。対照的に、渡木くんはひどく無関心な様子だった。耳の穴に指を突っ込み、ぐりぐりと掻いてから、渡木くんは晴美を鼻で笑った。
「恋愛話にしか聞こえないのは俺の耳が腐ってるからか?」
「あんたは頭も耳も目も全部腐ってるもんね」
「……は?陰でひっそりBLをたしなむお前に言われたくないんだけど?」
とうとう我慢の限界が来たらしく、音を立てて椅子から立ち上がった渡木くんと晴美が互いの襟元をつかむ。
おびえるようにぎゅっと目をつむった恵理ちゃんはぬいぐるみで顔を隠し、深谷くんは渡木くんにキラキラした視線を送った。多分「男らしい」とでも思っているのだろう。深谷くんはどうにも渡木くんに甘いのだ。
そのせいで時折有頂天になった渡木くんが盛大にやらかすのだけれど、それはまた別の話。
「ちょっと、落ち着いてって」
「梓は黙っていて」
「河野は黙ってろ」
息ぴったりな二人は、ギンと鋭い視線でにらみ合う。
ちらちらと時折視界に移る先輩の顔はおびえ一色だった。それなのに相変わらず私たちを見ているというのはやっぱり怖いもの見たさゆえだろうか。正直、どこかへ行くなら行ってほしい。無駄に視線を感じて辛い。
「図書室ではお静かにね?」
ひょっこりと棚の間から顔を出した斎藤先輩が、にこやかに、けれどその全身から怒気を放ちながら、極寒の冷気のこもった言葉を投げかけた。ついでに、斎藤先輩ににらまれたお男の先輩も、先ほど以上の速度で本棚の陰に引っ込んだ。まるで刺激を感じたカタツムリみたいに。
怒られた瞬間、渡木くんたち二人は凍り付いたように動きを止めた。
はぁ、と小さくため気を吐いて、何気なく窓の外を見つめた。結露がひどい窓の先には、いくつもの水たまりをたたえたグラウンドが見えた。
渡木くんの手の力が弱まる。「ふん」と鼻を鳴らした晴美が突き飛ばすようにして渡木くんの襟元から手を放す。
数歩後ろに後退した渡木君は、その奥にあった腰ほどの高さの棚に体をぶつけて小さくうめいた。
「痛ってぇな」
「自業自得だからね。あーあ、あんたのせいでしわくちゃになっちゃった」
「俺の襟が見えないのかよ」
「あんたはどうせいつもアイロンすらかけてないんだから気にならないよね?」
再び渡木くんと晴美の会話はヒートアップしていく。
「二人とも、お静かに、ね?」
戻っていこうとしていた斎藤先輩が、相変わらず顔に笑みを張り付け、今度は殺意を感じるほどの声で二人の動きを止めた。ついでに私たち傍観者の動きも止まった。
恵理ちゃんのしゃくりあげる音が硬直を溶かした。涙目の恵理ちゃんを深谷くんがなだめる。こうしていると二人は兄妹のようにも見える。凹凸コンビだけれど。
思考に恋愛フィルターがかかっている晴美には恋人関係に見えていたらしく、ころっと機嫌が直る。ニマニマと楽しそうに笑みを浮かべながら口元を手で隠して恵理ちゃんたちの観察を始めた。