しゅに染めて
ふと、人気を感じ、繰は目を覚ました。
鉄格子の向こうに目を遣ると、闇から浮かび上がるように尚黒い人影が、繰を見下ろしていた。糸のように細い眼が、蒼く冷たい光を湛えている。
影は領鎖城だった。
「赤いな」
泣き濡れ眼を腫らしたのかと労わるような言葉とは裏腹に、領鎖城の声には一欠けらの感情も含まれていなかった。
繰は獄の床に胡坐をかいたままで、領鎖城に声を返す。
「眼か?」
領鎖城は答えない。
「俺の眼が赤いか、そうか――」
鉄格子の向こうの領鎖城の、更に先、闇の奥に語りかけるように、独り言ちたるように、繰は言葉を繰り続ける。
「――おれの眼が赤いなら……、いや、おれの眼が朱いのは、いずれ朱に染まることになる貴様らの姿を映しているのだろうよ」
今が晩夏なのか初秋なのか、繰には定かではないが、いまだ暑さが残る季節のはずだった。にも関わらず、尻の下の床が、背を凭れた壁が、冷たかった。
「朱に染まる? 何を言っている」
どういうことか、と領鎖城が訊いた。
「やがて血の色に、赤に染まろうよ」
「貴様らのようにか? ならば、貴様の眼の赤さは――」
領鎖城は、貴様の眼の赤さは、貴様の一党の血に染まった姿を映しているのだろうと言葉を続けようとしたが、繰の射すくめるような視線に気圧されてか、言葉を飲み込んだ。
「同胞がな――」
「貴様はここで死ぬ。一党は根絶やしにした。血は絶える」
「親も兄弟も目の前でな……」
――首を刎ねられた。
遠く祖を同じにしていた二つの党は、繰と領鎖城の代になって決定的に割れた。
方や賊軍となり、方や官軍となった――。
血で血を洗う争いの後、領鎖城の一党が繰の一党を滅ぼし、遠い昔とは別の形で、一党に収まった。
――繰を除いて。
「だが、領鎖城よ、貴様がいよう」
「……何?」
「貴様の親が、兄弟が、子が孫が子孫が、我が同胞だ。我が血族は死に絶えよう。が、我が同胞は栄えようよ。貴様がためにな」
「何故、貴様に与する? 血の結びつきは何よりも強かろう。我が一党は我が同胞。」
「なるほど、我が一党の「血」は絶えよう。同胞とは血の繋がりだけか? 貴様は血の赤さに魅入られている。血の朱さに縛られている」
血を分けた同族たる我らを鏖しにした貴様が、血の繋がりの結びつきを言うのかと、繰は言いかけてやめた。
「何が言いたい?」
「お前には分らんさ」
繰は、領鎖城を見上げたまま首を振った。
――言葉の持つ赤さを知らんのだ。朱さを。
――朱を、呪を!
――血の赤さと朱さしか知らんのだ。血の朱しかしらん、地の主しか知らんのだ。
――血の繋がりは、言葉の広がりに及ばないことに考えが及ばんのだ。
同胞という共同幻想を構築するのは共通言語だ。
血の繋がりというのも共同幻想だ。
「何が言いたい?」
領鎖城の言葉が感情に揺れた。
領鎖城の言葉に恐れの色が見える。
繰の口から唄が零れる。
――うさぎ
――うさぎ
――なにみて
――はねる。
――じゅうごや
――おつきさま
――みて
――はねる。
「童歌がどうした」
領鎖城が問うたが、繰は答えない。
繰の口からは、返答の代わりに呪詛が零れる。
――うさぎ|(繰(くろ「う」)と領鎖城(しら「さぎ」)の物語である。)
――うさぎ|(繰(くろ「う」)の一党と領鎖城(しら「さぎ」)の一党の物語である。)
――なにみて|(その一党の「名」の下に)
――はねる。|(首を刎ねた物語)
――じゅうごや|(銃後の女や子供の、)
――おつきさま|(その魂の「緒」が尽きる様子を)
――みて|(見ようとして)
――はねる。|(首を刎ねたのだ。)
「止めよ」
繰の声を不快に感じたか、領鎖城が唄を制す。
が、唄はやまない。
――うさぎ|(繰(くろ「う」)を領鎖城(しら「さぎ」)が、)
――うさぎ|(繰(くろ「う」)の一党を領鎖城(しら「さぎ」)が、)
――なにみて|(その一党の「名」の下に)
――はねる。|(首を刎ねた物語)
――じゅうごや|(獣小屋の如き獄の中で、)
――おつきさま|(尾を生やした獣の様に)
――みて|(虜囚を看做して)
――はねる。|(首を刎ねたのだ。)
「止めよ」
領鎖城の声を無視して、繰は呪詛を重ねる。
――うさぎ|(繰(くろ「う」)が領鎖城(しら「さぎ」)を、)
――うさぎ|(繰(くろ「う」)の同胞が、今度は領鎖城(しら「さぎ」)の一党を、)
――なにみて|(汝に満て……貴様らの内に蘇って)
――はねる。|(刎ねるために跳ねる。)
――じゅうごや|(領鎖城の血を引く子孫でありながらも、滅びた繰の一党の呪に共感を覚える、 二重の意味の子らよ)
――おつきさま|(月が)
――みて|(満て。欠けるところも無い夜に、)
――はねる。|(首を刎ねるため、街に跳ねるのだ。)
「領鎖城よ」
唄い終えた繰が領鎖城に訊く。
「何故?」
「今更だな」
「今わの際故に」
「冥途の土産か」
いいだろうと、領鎖城は頷いた。
「主は貴様らが怖いのさ」
「我らの忠節を疑うのか。我らは主のために、血を流した、身を焦がした」
繰の声が怒りに震えた。
「度が過ぎたのだろうよ」
領鎖城の声は無感動に復した。
主の命に従い、仇を葬り続けた繰の一党の激しさを、命を惜しまず血を惜しまず肉の盾となった繰の一党の激しさを、主は恐れたのだと領鎖城は言う――。
主の命令は、呪であった。繰たちは呪いに縛られ行動した。
生命が、血が、軽かった。
「俺の勝だな」
繰が腰を上げた。
鉄格子を挟み、繰は領鎖城と対峙する。
「日の目を見ることもなく、月すら目にすることがなくなって二月ほど経ったか。正気を失うには十分だな」
領鎖城の声には、繰を憐れむ響きをもたなかった。
「この名が尽きようと、我が唄は末裔まで響き続けよう。」
繰が呪詛を吐いたのが九月。
――名が尽き……。
九月の異名が「長月」と称されることになった所以である。
分類不明