没落貴族の貴公子、性格の悪い令嬢から「馬車も持ってないなんて無様ね。この馬車に乗せてあげるわ」「上履きの中にダイヤを仕込んでおいたわ」などのイジメを受ける
リストン・グラフは男爵の跡取り息子だ。
しかし、父が事業に失敗したため没落、今ではかろうじて貴族という状態である。
自宅の大きさも庶民のそれとほぼ変わらない。
それでも両親もなんとか息子には貴族としての生活をしてもらいたいという思いがあり、入学金や授業料を捻出し貴族学園には通えている。
何も塗られていない食パン一枚というおよそ貴族らしからぬ朝食を取り、リストンは家を出る。
「行ってきまーす!」
グラフ家には馬車などないので、もちろん徒歩だ。
仮にも爵位を持つ令息がする生活ではないが、リストンはこんな生活が嫌いではなかった。貧しいなりに誇り高く生きようと心掛けていた。
すると――
リストンの後ろから馬車がやってきた。
「オーッホッホッホ!」
「この声は!?」
「今日もいじめて差し上げますわ、リストン!」
「レベッカさん……!」
金髪の少女が馬車の窓から身を乗り出す。
彼女はレベッカ・アーリア。伯爵令嬢だ。
「あら、相変わらず徒歩で通学しているのね、リストン」
「はい……」
「これは私とあなたの格の違いを見せつけるチャンス! あまりにも無様だから馬車に乗せてあげますわ!」
リストンにもプライドはある。そんな辱めは受けないと首を振る。
「いえ、僕は徒歩で行くので……」
「あら……伯爵の娘の誘いを断るというの?」
「そういうわけでは……」
地位を持ち出されてしまうと、リストンとしても何も言えない。
「いいから乗りなさい!」
「ありがとうございます……」
「ふん、お礼なんて必要ないですわ!」
馬車に乗るリストン。クッションが柔らかく、乗り心地は抜群である。その気持ちよさに思わず吐息を漏らしてしまう。
「オーッホッホッホ! どぉう? 馬車に乗る気分は? 自分が惨めになるでしょう?」
「いつも助かってます」
学校までは遠く徒歩で行くとかなりの時間を要するので、本心でもあった。
「まぁっ、心にもないことを!」
今度はレベッカがスペースを詰めてきた。じりじりと体を寄せてくる。
「レベッカさん……?」
「優雅な通学なんてさせませんわよ! 窮屈さを味わわせてあげますわ! 覚悟なさい!」
ついに体が触れ合ってしまう。
レベッカの柔らかさや匂いを堪能してしまうリストン。いい匂いだ、と恍惚としてしまいそうなのを必死に抑える。
「オーッホッホッホ! 窮屈でしょう!?」
「きゅ、窮屈です……」
「オーホッホッホ、ざまあないですわね!」
顔を真っ赤にするリストン。
「あら、苦しいの? さらに圧迫してあげますわ!」
レベッカがさらに体を寄せるので、リストンは変な声を出しそうになる。
顔がさらに赤くなる。圧迫されて苦しいからではない。
と、ここで馬車が大きく揺れる。
「きゃっ!」
リストンに抱きつくレベッカ。
「レ、レベッカさん……」
「もっと注意深く手綱を操作なさい、ミゲル!」
「申し訳ありません、お嬢様」
御者を務める執事ミゲルに注意する。
「まったく困ったものねえ。ねえリストン?」
「は、はいっ!」
上目遣いで見つめてくるレベッカに、リストンは動けなくなってしまった。
馬車が学園に到着する。
「どうだった? 私の馬車は? 惨めな気分だったでしょ?」
「え、ええ、まあ」
いい匂いでしたとはとても言えないリストン。
「オーッホッホッホッホ! ざまあないですわね!」
昇降口に向かうリストンを見送ると、執事と二人きりになる。
レベッカはミゲルにウインクする。
「さっきはよくやったわ、ミゲル! タイミングバッチリ! おかげでリストンに抱きつけたもの!」
「はい、お嬢様」
喜ぶレベッカの姿に執事ミゲルもにっこりと微笑むのだった。
***
学園の昇降口。
この学園では、屋内用の靴に履き替える決まりになっている。
リストンはいつものように上履きに履き替えようとする。
「いたっ!」
リストンの右足に痛みが走った。
「何か入ってる……?」
入っていたのは――
「ダイヤモンド……!?」
「オーッホッホッホ、いかがだったかしら」
「レベッカさんの仕業ですか!」
うなずくレベッカ。
「そうよ、画鋲じゃつまらないからダイヤを入れましたの」
リストンに痛みを味わわせるため、ダイヤを入れるイタズラをしたようだ。
「じゃあ、これお返しします」
ダイヤを差し出すリストンに、レベッカは首を振る。
「いらないわ。あなたに差し上げます」
「こんな高価なもの、受け取れませんよ」
「いじめでやったことですもの。お返しなど不要ですわ」
「いえ、受け取れません!」
強い口調で言われたレベッカ。気が動転してしまう。
「えっ、あの……ご、ごめんなさい」
「すみません、僕も強く言い過ぎました。ダイヤはお返ししますね」
ダイヤはレベッカの手に返却されることになった。
***
リストンが教室に行くと、
「これは……!?」
机が黄金製になっていた。
「オーッホッホッホ! どぉう? 100%純金のデスク!」
高笑いするレベッカ。彼女の仕業のようだ。
「すごく……キラキラしてますね」
「これぞアーリア流いじめ、“ゴールデンデスク”ですわー!」
「はぁ……」
いじめに流派があるのだろうかと、困惑するリストン。
「このキラキラした黄金のせいで、あなたの集中力が乱れることは間違いなしですわ!」
「な、なるほど……」
「だけどどうしてもというなら、机を戻してもよくってよ。その場合、黄金は溶かして加工してあなたに差し上げます」
「できれば机は戻して下さい。みんなに注目されてるんで。あと、黄金はいらないです」
「わ、分かりましたわ!」
黄金をあげるという提案は断られ、ゴールデンデスク作戦もなんとも微妙な結果に終わった。
……
授業が始まり、教師が生徒の誰かに問題を答えさせようとする。
「ではこの問題をリストン・グラフ。答えてみろ」
指名されるリストン。
なかなか厄介な数学の問題で、リストンは答えられない。
「オーッホッホッホ!」
そんなリストンをレベッカが高笑いする。
「こんな問題も答えられないなんて、やはり没落貴族ですわね!」
しかしその一方、レベッカは両手をそれぞれチョキとパーにする。それをリストンに向けて必死にアピールする。
二本指と五本指、これらを足すと――
「……7?」
リストンのつぶやきに教師が唸る。
「正解だ、リストン。これは難問だったのによく答えられたな!」
褒められて照れるリストン。
レベッカを向いて、「教えてくれてありがとう」という意味で微笑む。
「まぁっ、リストンったら! 授業中だというのにはしたない!」
赤面してしまうレベッカであった。
……
昼休みになった。
生徒たちもそれぞれ食堂に向かったり、持参した弁当を食べたりする。もちろん、貴族たちが食べる食事は例外なく高級品である。
そんな中、リストンは一つだけ持ってきたパンを袋から出して細々と食事する。
今グラフ家は再起のためにお金を貯めている。食費はなるべく切り詰めねばならないのだ。
そこへ――
「オーッホッホッホ、リストン! 寂しいお食事ですわね!」
「レベッカさん……」
「大の男がお昼にパン一個だなんて、そんなに小食なのかしら?」
「え、ええ、まあ。これで十分なんです」
これはリストンの強がりである。足りないに決まっている。
「だったらそんな小食なあなたに、ごちそうを用意しましたわ!」
レベッカが弁当箱を出す。
蓋を開けると、中には色とりどりのおかずが入っていた。
「こ、これは……! 肉や野菜、穀物といった料理がバランスよく配置されている! なんて美しい弁当なんだ!」
「お世辞はいらないわ。さあ、食べなさい! 苦しめてあげますわ!」
唾を飲み込むリストン。
「いえ、もらうわけには……」
「私の弁当が食べられないというの!?」
伯爵令嬢からの命令。
しかもダイヤや黄金と違い、弁当は食べなければ無駄になってしまう。
なによりリストンは食欲を刺激されまくっていた。今すぐこの弁当を食べたい。むさぼりたい。
断る理由はなかった。
「わ、分かりました、食べます!」
リストンは弁当を食べ始めた。
「おいしい……!」
ほっぺたが落ちるという表現を体現したかのような顔のリストンに、満足そうに微笑むレベッカ。
「これレベッカさんが作ったんですか?」
「ええ」
「そうだったんですか……!」
ここで慌ててレベッカは否定する。
「ち、違いますわ! 伯爵令嬢の私が料理などするわけないでしょう!」
「す、すみません!」
謝りつつ、弁当を食べるリストン。
「でも、本当においしいです!」
「そう、よかった」
弁当を食べたリストン、食べさせたレベッカ、共に笑顔になった昼休みであった。
……
帰りも一緒の馬車で帰る二人。朝のようにレベッカは体で圧迫する。
「どぉう、窮屈でしょう?」
「きゅ、窮屈です……!」
自宅まで送り届けられたリストン。
「レベッカさん、ありがとうございました」
「オーッホッホッホ! 礼などいりませんわ! あなたにみじめさを突きつけるために送迎してあげているのですから!」
お辞儀をするリストン。
リストンを降ろし、馬車に一人になったレベッカに執事ミゲルが言う。
「お嬢様」
「なあに?」
「素直になればよろしいのに」
「素直ってどういう意味かしら?」
動揺するレベッカ。
「お嬢様はリストン様のことを……」
「おやめなさい!」
「は。失礼いたしました」
そしてレベッカはため息をつく。
「いいのよ、このままで。もし私が彼に想いを伝えて、断られたらきっと立ち直れないわ。このまま彼をイジメ続けて、彼も困り続ける……そんな間柄のままでいいのよ。少なくとも彼と一緒にいられるもの」
「……承知しました」
ミゲルは手綱を操り、馬車の速度を上げた。
***
それからもレベッカはこんな調子でリストンをイジメ続けた。
「オーッホッホッホ、リストン! 今日は石を投げつけてあげますわ!」
「石を……!?」
身構えるリストン。
「えいっ!」
小さな石がリストンの体にぶつかる。
「これ……宝石じゃないですか」
「あら、そうだったの。でも投げつけたんだからもうあなたのものよ」
「いえ、受け取れません」
「いいじゃないの。もらっておけば」
「受け取れません!」
ぴしゃりと断られ、シュンとするレベッカ。
「す、すみません……。でも、わけもなく高価なものはもらえませんから……」
「いえ、私の方こそ……」
奇妙なすれ違いで気まずくなる二人。
ミゲルはそんな二人を少し離れた場所からじっと見つめていた。
***
休日の公園。
リストンが散歩に来ていると、レベッカがいた。
「あ、レベッカさん。こんにちは」
「まあ、リストン! せっかくの休日にあなたと出会ってしまうなんて、全く不運ですわね」
「アハハ……」
苦笑いするリストン。
もちろん、リストンが公園に来るのが分かっていて、レベッカが待ち伏せしていたのは言うまでもない。
休みの日でもレベッカのいじめは行われる。
「さあ、ビンタしてあげますわ!」
「ビンタはちょっと……!」
「えいっ!」
なんと札束ビンタ。しかも威力は大したことはない。
「オッホッホ、どぉう痛いでしょ?」
「は、はい……」
「じゃあ治療費にこれをあげます」と札束を差し出す。
「もらえませんよ! こんな大金!」
相変わらず妙なイジメでの愛情表現しかできないレベッカ。
リストンもリアクションに困ってしまい、ぎくしゃくした空気が流れる。
すると、そこへ――
「おうおうおう、お熱いねえ!」
サングラスをかけ、シャツを乱雑に着た男がやってきた。
髪型はオールバックで、見るからにチンピラといった風貌だ。
「なんなの、あなた!?」
「てめえは……レベッカ嬢だな?」
「なぜ私の名前を……」
「名門アーリア家の娘なんて、みんな知ってるに決まってるじゃねえか! ヒャハハァ!」
「それは光栄ですわね」
毅然とした態度を取るレベッカ。しかし、チンピラは離れようとしない。
「まだ何か用ですの?」
「ああ、用がある」ニヤリと笑うチンピラ。
「一体どのような?」
「お前を誘拐するのさ! たんまりと身代金をもらえるはずだからな!」
この言葉にさすがに怯むレベッカ。
「ミゲル……!」
護衛を兼ねるミゲルを呼ぼうとするも、リストンと二人きりになるため公園外に待機してもらっている。
まさか、公園内でこんな輩と出くわすとは思わなかった。
「助けなんか来ねえよ! 観念しろ!」
近づいてくるチンピラ改め誘拐犯、怯えるレベッカ。
「やめろ!」
リストンが怒鳴りつける。
「なんだ、お前?」
「僕はリストン・グラフ。男爵家の息子だ」
「グラフ……グラフ家ね。ああ、聞いたことあるぜ。確か落ちぶれた貴族だったよな」
これにレベッカが憤慨する。
「リストンは落ちぶれてなんかいません! 立派な貴族ですわ!」
「ケッ、その立派な貴族に札束ビンタかましてたのはどこの誰だよ!」
「うぐ……」
まさしくその通りで、何も言えなくなるレベッカ。
「いじめを受けてた奴がお前を助ける義理もねえだろうし、悠々と誘拐させてもらうぜ!」
「やめて……!」
レベッカの手をつかむ誘拐犯。
「やめろおおおおっ!!!」
誘拐犯にタックルをお見舞いするリストン。
「いでえ……! なにしやがる!」
「レベッカさんを連れて行かせはしない!」
リストンが誘拐犯を睨みつける。
「くそっ、なぜそこまで必死になる? さっきだっていじめられてたじゃねえか!」
「それは……」
「それは?」
「レベッカさんのことが好きだからだぁっ!」
大声で叫ぶリストン。
「僕はレベッカさんが好きで、でもまだまだ釣り合う男とはいえない。だけど好きだから、僕は全力でレベッカさんを守るんだ! お前なんかに誘拐させはしない!」
これを聞いた誘拐犯、うっすらと笑みを浮かべる。
「ちっ、そこまで言うとはな……。分かったぜ、誘拐は諦め――」
「今ですわ!」
捕まっていたレベッカが誘拐犯の顔面をひっかく。
「いででぇっ!?」
「さあリストン、二人でこの男を倒しましょう!」
「うん!」
頷き合う二人。
「ちょ、ちょっと待っ……!」
二人は呼吸を合わせ、豪快に体当たりをする。よろめく誘拐犯。
「ち、ちくしょう! 覚えてやがれ!」
捨て台詞を吐いて逃げていく。
ひとまずの危機は去り、見つめ合う二人。
「リストン……」
「レベッカさん……」
先ほど「レベッカが好き」と言ったことを思い出し、焦るリストン。
「さっきのはですね。あの、その……なんというか……勢いで……」
「私もっ!」
大声で叫ぶレベッカ。
「私もリストン、あなたが好きですわ!」
「レベッカさん……!」
「好きだったけど、素直になれなくて、言うのが怖くて、今まで変なことばかりして……ごめんなさい!」
リストンに頭を下げるレベッカ。二人の身分を考えると本来あり得ないことだ。
「いいんですよ、レベッカさん……」
リストンも微笑む。
二人は視線を合わせた。付き合い自体は長いが、ようやく心と心が繋がり合ったような気がした。
そんな二人の元にミゲルがやってくる。
「おやお嬢様、リストン様、今日はずいぶん仲良くなっていますね」
「ええ、まあ。色々ありまして……」はにかむリストン。
「聞いてミゲル! 私たち付き合うことになったの! オーッホッホッホ!」
高笑いするレベッカ。ミゲルもそんな二人を丁寧に祝福する。
「それはようございました」
「だけど……」
レベッカがミゲルをじろじろと眺める。
「あなた、怪我をなさってますわね。お顔に湿布なんか貼って……」
「あ、本当だ! 何かあったんですか!?」リストンも心配する。
ミゲルは慌ててこう答えた。
「えーと、これは……執事としての名誉の負傷というやつですよ」
おわり
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