episode.01②〜sideフィリオ〜
フィリオは、自分の行いをこれほど悔いた事はない。強がってカッコつけて気丈に振る舞ったまま生徒会室を後にしたが、冷静になると嫌悪感に苛まれる。
未遂とは言え、あれ程までの激情に駆られ衝動的に動いた事が生まれて初めてだった。とは言え、
「断りもなくキスだなんて……」
とても紳士的とは言えない。
だけど彼女にだって悪いところはある。
学園長の無茶苦茶な依頼を簡単に引き受けた事、その上で相手はフィリオに限らないと言わんばかりの素っ気ない態度、芯を貫いたような、それでいて全てを諦めているかのようなあの表情…。
学園長の言い分が正しいかどうか、正直分からない。いくら生徒会とは言え、引き受ける義理も無かっただろう。けれどフィリオがやらなければ他の誰かがやる事になっていたはずだ。
例え気持ちの伴わない行為だとしても、彼女が他の誰かに汚されるのは、どうしても許せない。でも、ルーラはフィリオに対してそうだったように、相手が誰であれそういう事を許容していたのだろう。
彼女は無垢だから知らないのだ。同世代の男どもが普段どんな事を考えているのか。ルーラに対してどんな視線を向けているのか。
自分以外のだれかとなんて、想像しただけで怒りのような感情が湧き出てくる。
だから、フィリオは学園長の無茶苦茶を利用する事にした。そもそも、ルーラが引き受けた以上、フィリオに断るという選択肢は無かった。
例えそれが偽りだとしても、ルーラが他の誰かと交際する事を許せるはずがないのだから。
ルーラとフィリオの交際は学園長公認の為、すぐに学園中に広まるだろう。恋人として振る舞う為という口実をつければ、生徒会以外にルーラと顔を合わせる機会を増やす事も出来る。
残念ながら、どうやらルーラには全く好かれていないどころか少々避けられている事にも気づいていたが、だからといって簡単に諦められもしない。
この状況を最大限に活用してルーラに本当に好きになって貰えば良い。そう思っていた矢先にこの失態…。
嘘でも付き合うに至った事で浮かれるあまり理性を失っていた。
謝ってやり直すべきだ。考えてみれば、まだ彼女に告白すらしていない。告白なんて必要ないかもしれないが、やっぱりこのまま軽い男だと思われるのも部が悪い。
入学前、ルーラと出会ったあの日からフィリオの心は彼女にずっと捕らわれていると言うのに、彼女は全く気づいていないだろう。
フィリオがルーラに心を奪われたのは入学よりも以前、入学試験の時だった。
名門たるクリミア学園の入学試験は不正行為が行われないよう厳正な規則の元執り行われる。試験会場に持ち込めるものは己の身体と1本のペンのみ。途中退室はいかなる理由があろうとも再入場は許されておらずその時点で試験終了とみなされる。体調管理や物の管理も試験のうちと言っていい。
余裕を持って望んでいた試験中、フィリオはまさかの事態に見舞われ冷や汗をかいていた。
5教科中4教科目の試験中、自身が持ち込んだペンのインクが切れてしまったのだ。一度退室すれば再び試験を受けることは出来ず、かと言って試験監に助けを求めた所で管理不足とみなされ救いは得られないだろう。
何か打開策は無いかと頭を抱えていた時、フィリオの斜め前の席に座っていた女子生徒がスッと右手を上げた。
「どうした?」
「体調が悪いので退室したいのですが」
「一度退室するとその時点で試験終了なのは分かっているな?」
「分かっています」
彼女の顔色はこの場所からは確認出来ないが、声色だけを聞くと体調不良とは思えないほどハッキリとした口調だった。
ライバルが減るのは良いのだが、かと言ってフィリオの状況は変わらず悪いままだ。このまま会場にいた所でペンがなければ答案を書けない。ならば諦めて彼女のように退室する手もあるが、そうなれば残り教科の試験を受けないとなると合格はかなり厳しくなるだろう。
どうすればいいのかと頭を悩ませていると、ガサガサと椅子を引く音が聞こえてくる。女子生徒は退室をえらんだらしい。そんな事には目もくれず頭を悩ませていたフィリオだったが、次の瞬間、ガタガタと音を立てながら少女がフィリオの机に倒れ込んできていた。
一瞬辺りがザワザワと騒がしくなる。驚いて声を出す事も出来ず固まっていると、試験監が慌てて駆け声をかける。
「静粛に!無駄な私語は不正行為とみなすぞ」
その一言で周囲は我に帰ったかのように、再び試験に取り組み始めたのだが、フィリオだけは、未だ目の前で自分の机に寄りかかっている少女から目を離せずにいた。
「大丈夫か?立てないようなら救護を呼ぶぞ」
「…いえ。少し立ちくらみがしてしまっただけです。すみません」
そう言って少女はスッと立ち上がると、しっかりした足取りで試験会場を後にし、フィリオは彼女の姿が見えなくなる最後の時まで彼女から目を離せなかった。
少しして落ち着きを取り戻したフィリオは自分が置かれている現状を思い出し、どうしようかと再び頭を抱えたその時。
「…………?」
ふと、視線の先にペンが一本写り込んだのだが、その違和感にはすぐに気づくことが出来た。色も形も違う。そこにあったのはフィリオのものでは無かった。上質なペンには『R』の文字が刻まれている。
すぐにこれが先程退室した彼女のものだと分かった。先程倒れ込んできた時に取り違えたのだと。
悪いとは思いつつ、フィリオはそのペンを使って残りの試験を解く事が出来、主席合格で入学を果たしたが、すぐにその座はルーラに譲る事になった。それもそのはずだ。彼女はあの時仮病を使い、わざとペンを取り違えて退室したのだから。
入学以来、事あるごとに窮地を救ってくれた彼女の姿を探し、その姿を目で追ってしまっている自分のこの気持ちの正体をフィリオは知っていた。孤高と称される彼女を何としても手に入れたかった。
その為なら何でも利用すると決めたのだ。落ち込んでいる暇はない。
フィリオは真剣な面持ちのまま、その優秀な頭脳で今後の算段をつけ始めたのだった。