頑陋至愚のアルチュール
今回もうまくいかないなぁ、と俺はため息をついた。
現代日本で死に、異世界に転生を繰り返して始めてからどれくらいの月日が過ぎたことだろう。回数さえ覚えていないのに、こういう生き方をするようになってからの正確な年数など覚えているはずもない。いくら前世の記憶を引き継げるようになったからといって、何もかも覚えていられるほど脳に余裕があるわけでもないのだから。
最近の異世界転生は、ちっとも望むハッピーエンドに到達できない。異世界転生のお約束とやらを、まったく世界が守ってくれないのだ。転生させられた可哀相な主人公は神様にチート能力を貰って、異世界で悪役相手に無双したり、可愛い女の子達に主人公補正でモテモテになったり、誰にも邪魔されないスローライフを実現したりして現代では叶わなかったウハウハな生活を謳歌する。それがお約束であり、自分の物語を見ているのであろう“誰か”の望みであるはずなのである。
今回の異世界転生は、最初から雲行きが怪しかった。神様とやらがくれたチート能力があまりにもショボかったのだ。納得ができないと何度もごねて交渉したか不可能だった。何なのだ、ちょっとした竜巻を起こすだけの能力って。いくら魔法がない世界だからといって、そんな程度の力でできることなどたかが知れている。大きなドラゴン等が相手では、竜巻程度でびくともしないということくらいは予想ができるのに。
それでも巨大な魔獣を倒して先代に認められ、アズーリア帝国の皇帝に着任したのはいい。
そこで、先代皇帝に引き続きたくさんの妃を囲って、この巨大な帝国をわが物にしたまではいいだろう。問題は――その中で一番の美人である妃が、俺のことをまったく見ないということである。要するに、誘っても誘ってもつっぱねてくるのだ。妃という名目であるのに、未だに彼女とは同衾どころか、手に触れたことさえないというのはどういう了見だろう。
『そもそも、何で皇帝の誘いを妃が断れわれるんだ!妃どもは全部俺のモノだろう!?そんな法律変えてしまえ、皇帝の誘いを断った女は拷問でも死罪でも文句言えないってな!』
本当に美女を殺してしまっては勿体ない。だが、そういう法律があるだけで連中が恐れおののき、自分の言うことを聴くようになる可能性は高いと見込んでいた。だが。最悪なことに、この帝国では法律を皇帝の一存だけで決定することができないのである。皇帝にできるのは、法律の案の一つを議会に提出して審議させたり、議会に案として挙がってきた法律に眼を通し、あまりにも無茶なものであった場合拒否するとして突っぱねることだけだ。
その拒否権さえも、拒否理由が正当ではないと司法で判断された場合は却下されてしまう。皇帝であるのに法律の一つも独断で決められない、嫌いな人間を好きなようにクビにしたり処刑することもできないなんてあまりにもおかしなことではないか。自分が現代日本にいた時に見てきたラノベやアニメとはあまりにも違う。俺は憤慨せざるをえなかった。
『陛下。……お忘れではありませんか』
家臣の一人が、俺のことをそう諌めてきた。
『確かに、この国の頂点に座するは陛下でございます。この国は陛下のもの。ですが……この国の民の命は、あくまで民本人のもの。陛下といえど、他の誰かにどうこうできるものではありませぬ。妃もそれは同じ。……妃を一人の人間として扱うこともできぬ王に、民がついてくるとお思いか』
何故、そこまで言われなければいけないのか。自分はこの国の皇帝だ、神にも等しい存在と言われて先代から地位を譲り受けたというのに。
そもそも、自分は妃を人間扱いしなかったことなど一度もない。綺麗な服を着せて、ご馳走を毎日食べさせて、綺麗な部屋も布団も用意して養ってやっているではないか。それならその報酬として、妻としての務めを果たすのが筋だろう。たとえ皇帝が代わったからといって、それを拒否する権利など彼女らに与えられていいはずがないというのに。
俺はムカついて、その家臣を降格にした。本当はその場で首を撥ねてやりたかったが、そんなことをしたら皇帝でさえ罪に問われてしまうのがこの国の法律である。追放さえもできないなんて、なんとも理不尽な世界だろうか。皇帝に着任する前に法律を学んでおけばと思わなくもなかったが、現代日本にいた頃から勉強など大嫌いな人間である。異世界転生してまで、勉強なんぞしたくはない。ましてや楽しく楽に暮らすつもりでいるというのに、誰かのために奉仕するなんてまっぴらごめんだった。
――あーあーあー。女どもの顔面偏差値高いし、この世界こそ楽しく過ごせると思ってたのによお。
中庭で月を見上げて、俺はため息をついた。
まあ、以前の世界で得た“チート大魔術師”の莫大な魔力と魔法も引き継ぐことができず、あまつさえ竜巻を起こすだけの力しかもらえなかった時点で怪しいと思うべきだったのかもしれない。皇帝の地位さえ手に入れれば、今までの不遇が全て解消されるとばかり思っていたのに、実際は毎日仕事しろ仕事しろと家臣どもにドヤされ、ちょっと本気を出して“こういう法律を作れ”と言えば軒並み議会に家臣や議会に却下される日々。
それに加えて、恐らくこの世界でメインヒロインに設定されているであろう美女――晴嵐にはセックスどころか触れることさえ拒否られるとくれば。そりゃあ、俺がやる気をなくすのも無理からぬことではなかろうか。
「あーやめたやめた!もういいや、こんな世界どうにでもなっちまえば!」
俺がヤケっぱちになって池に小石を投げ込んだ、その時だった。
「そんな男だから、誰も貴方についていかない。何故それがわからないのですか」
「!」
鈴が鳴るような美しい声がした。いつからそこにいたのだろう、廊下にあでやかな赤い着物の美女が立っている。件のヒロインこと、晴嵐だった。
「なんだ、お前。妃のくせに皇帝の俺に逆らうってのか、あ?」
俺はずかずかと晴嵐の前に歩み寄った。怒りでわなわなと手が震える。
最初に現代日本でトラックに轢かれて死んでから、俺は記憶を保持したまま幾度となく異世界転生を繰り返してきた。
最初の世界はほどほどに楽しかったのだ。神様にチートな魔法を貰った勇者として、世界が手をこまねいていた魔王をあっけなく倒し、世界中の美女に囲まれて楽しいスローライフ生活を過ごした。だが、それもつかの間、酔っぱらって氷が張った湖に落ち、齢三十二歳の若さで死亡。俺は悔しくて、死の間際に願ったのである。今度こそ、チート無双の果てに美女に囲まれ、長生きできる世界に行きたい――と。
そして、再び記憶を保持したまま異世界転生。しかし、今度の世界はよりにもよって俺が魔王のポジションだった。確かにチートはできたし世界征服も悪くはなかったが、この俺が悪役というのがいただけない。何より手に入れた美女たちが軒並み俺に懐くどころか怯えるというのが腹立たしい。俺は連中を懐柔するのが面倒で自害した。確信があったからだ、死ねば再びランダムでどこかの異世界に転生できるということが。
しかし。次の世界も、その次の世界も。転生するたび、どこかしらが俺の望みとは違ったものになっていく。チート能力がショボかったり、世界が自分の思い通りにならなかったり、遊んで暮らせるほどの金銭的余裕がなかったり、転生者だというのに現代日本のオフィスワークとさほど変わらない仕事をやらされたり。最初の世界を超えるような素晴らしい世界に、ちっとも巡り合える気がしないのである。まあ、自分の望みが一つでも叶わないとみるや、さっさと自害してリセットを繰り返してきたのは確かだが。
――それでも、今回の世界は何年もかけて、ショボい竜巻能力だけで頑張ったってのによ!
何で、念願の皇帝につけた後まで仕事しなければいけないのか。美女が自分の虜にならないのか。俺がイライラしながら詰め寄ると、晴嵐は心底呆れたようにため息をついて言った。
「以前、あなたは仰っていましたね。自分には前世までの記憶がある。何度も異世界転生を繰り返して今に至る、と」
「だからなんだってんだ、あ?」
「気に食わないことが一つでもあったら全部消してしまえばいいや。何もかも捨てて新しい異世界に行けばいいや。……所詮そのように思ってらっしゃるのでしょう?自分が努力する必要はない。自分が努力などしなくても楽をさせてくれる、夢を叶えてくれる異世界に到達できるまで転生を繰り返せばいい、と」
「それがどうした、何か間違ってるってのか!?」
何が言いたいのだ、この女は。俺はイライラと足を踏み鳴らす。
「俺は現代日本でな、社畜として死ぬほど会社に貢献して、頑張って頑張って生きてきたんだよ!自分より年下の上司に頭下げて、屈辱的な仕事もたくさんやって、俺の容姿を見下す女どもに物笑いにされながら必死で、必死で……!そんだけ頑張った俺なんだぞ、転生先でご褒美があるのが当たり前だろうが!来世で楽して、モテモテで、チートで、スローライフして……そんな生活したいと思って何がいけないんだ!」
「そんなこと」
その時、晴嵐は初めて笑みを浮かべた。心の底から見下げるような、嘲り以外の何物でもない笑みを。
「そんなこと。この世界だけで生きるわたくし達に、一つで関係があるとお思いで?あなたの前世がどうであったかなど知ったことではありません。前世がどうだったとしても、この世界でそのツケを清算しようとするあなたを受け入れられる人間などどこにいるとお思いで?」
「――っ!」
「努力したくない。働きたくない。気に食わなければ全て捨てればいい。そう思っているからこそ、あなたはわたくし達妃のことも、民のことも、自分を装飾する道具のようにしか思っていない。あなたに媚びを売るのは、あなたの権力や地位に魅かれて甘い汁を吸いたいものばかり。この世界のものを何一つ大切にしようとしないあなたを、一体誰が愛するというのですか?……わたくしは絶対に、あなたのような自己愛しかない身勝手な男を愛さない。愛することなどない……けっして!」
最初はツンデレだと思っていた。
最後は俺と結ばれて、俺をめいっぱい愛して甘やかしてくれる存在になるとばかり思っていた――メインヒロインだったかもしれない女は。憎悪にも近い色をその瞳に浮かべて、拒絶を伝えてきたのだった。
「ねえ、皇帝陛下。あなたこの世界で……いいえ、その前の世界でも、それより前の世界でも。たった一度でも、誰かに“ありがとう”と心からお礼を言ったことがおありですか?自分を生かしてくれるその世界のあらゆる存在に、感謝を抱いたことがあるのですか?」
その軽蔑の眼に。俺は凍り付いたように、身動きすることができなかった。怒りが沸点を遥かに通り越して、さらにその先までぶっ飛んでしまっていたからなのかもしれない。
「わたくしが予言いたしましょう。その意味がわからない限り……あなたは何度転生しても、誰からも愛されない、と」
***
気に食わない世界なら、死んでリセットすればいい。俺にとって、異世界とはただただそういう場所でしかなかった。
現代日本で苦しい思いをして生きてきた自分に対する、これはご褒美のようなものに違いない。もう一切頑張らなくていい、働かなくていい、何もしなくても無双できて愛される権利を神様が保障してくれたのだと、当たり前のようにそう信じていたのである。
だから。現代日本で自分という存在を生み出した世界にも、転生先の異世界にも感謝など一度もしたことはなかった。自分は当然の権利を行使しているだけ。好き勝手にしようが誰にも咎められることはなく、素晴らしいチート能力を持った自分が転生してきて“くれた”ことに世界の方こそ感謝するのが筋とさえ思っていたのである。
ゆえに。この時の晴嵐の言葉も、まったく俺の心には響かなかったのだ。
俺は怒りのまま彼女を殴り、乱暴し、その美しい顔がぐちゃぐちゃになるまで切り刻んだ後。怒りのまま竜巻の力で宮殿や町を散々破壊したあとで――自害した。何人、何十人、何百人――否、何十万人くらいは軽く死んだだろうがどうでもいい。こんなクソくだらない世界なんぞではない、もっと自分に相応しい世界があるはずだと信じてやまなかった。今度こそ、そんな世界が用意されているはずだと思い込んでいたのである。
そう、次の世界がやってくるまでは。
目覚めた俺は、今までのように神様と一対一で対峙しているという状況ではなかった。チート能力を貰うこともできないまま、次の世界に転生してしまったのである。しかも。
――何だよ、これ!何でだよ、俺、何で声が出ねえんだよ!なんで動けないんだ、何もできないんだ、なんでなんでなんで!
そこは。俺が最初にいた現代に、そっくりな世界だった。どこかのボロボロのアパートらしき場所。住んでいる住民達の肌の色が皆濃いことからして、日本ではないアジアかアフリカか、まあとにかくそこらへんの別の国っぽい世界である。
俺は、人間ではなかった。
そのアパートらしき場所の、壁の一部になっていたのだ。動けない、話せない。それでも眼は見えて音は聞こえる。何もできない俺の前に毎朝住人らしき男達が並び、ぶつぶつと何かを唱えてナイフを振り上げるのだ。
「カミサマ。ドンザレルのカミサマ。あなたが人柱となってくださったおかげで、我々は今日も平穏に過ごすことができます。ありがとうございます、ありがとうございます」
――や、やめてくれ。
「感謝の言葉を。アンザレア」
――やめろおおおおお!
俺は。かつて生きたまま壁に埋め込まれることになって、この村の“神様”になった男という設定らしかった。だから壁から動けない、何もできない。それなのに。
――ひ、ぎいいいいいいいいいいいいいいいいい!
ざくり、とナイフが振り下ろされる。俺の脚のあたりに激痛が走り、じわりと壁に赤いものが滲む。上がる男達の歓声。ナイフは、後ろに並んでいた別のものに渡される。そして、同じように祝詞と儀式を繰り返すのだ。
ああ、何故痛みだけあるのだろう。何もできないのに。動けないのに。何故、自分はこんな目に遭わなければいけないのか。
――ふ、ふざけるなふざけるなふざけるな!何で俺がこんな目に!俺は天下の異世界転生者だぞ、クラビアの世界では勇者で、ナナシの世界では魔王で、アズーリア帝国では皇帝だった男だぞ!こんなことが、こんなことが赦されるとでも……!
確かに。確かに自分は、神様に等しい力が欲しいと願った。
今のこの俺の存在は、村の住人達にはまさに神様なのだろう。
そして今度の世界では働かなくてもいい。仕事をしろとも言われない。何もしていないのに人々に愛され、感謝される存在。それは望んだ通りかもしれない。でもこれは。こんな形では。自分が欲しかったものは、こんなものではなく。
『わたくしが予言いたしましょう。その意味がわからない限り……あなたは何度転生しても、誰からも愛されない、と』
誰にも見られることのない涙が滲み、晴嵐の言葉とともに溶けていった。
身動きできず、自害もできず、リセットして再転生することもかなわない俺の自我が壊れるまであとどれくらいかかるのだろうか。そして長い月日の果てに俺が“死ねた”時、俺は今度こそもっとマシな世界に転生しなおせるのだろうか。
残念ながら。それを保障してくれる“カミサマ”は、視界のどこを探しても見つけられそうになかった。