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笑顔の条件

作者: たけのこ

 人の涙は蜜の味がする。

 

 俺は目の前で泣いている女子生徒を神妙な顔で見つめながら、そんなことを考えていた。

 

 割と女子に人気のある方だという自信はある。別にそのために努力をした覚えはないので、まあ、単純に顔が良いのだろう。自分で言うのもどうかと思うが。

 そんなわけで、告白されたことなど枚挙に暇がない。基本的に来る者は拒まないし去る者は追わないので、とりあえず付き合ってみるしとりあえず別れてみる。


 ……いや、嘘をついた。

 

 とりあえず付き合うのは本当だが、とりあえず別れたことは無い。

 

 何故なら俺は、いつも計算して別れているからだ。

 

 相手との日々を積み上げて、数々の思い出を作らせて、二人にとって今が最も幸せだという瞬間を作り上げ、相手がより俺という存在に夢中になったところで、一方的に別れを告げる。

 するとまあ、大抵の女は泣き出す。ボロボロ涙を零しながら、どうして、だの嫌だ、だの勝手なことを言ってくる。

 今回もそうだった。

 割と長く付き合ってやったこともあり、目の前の女子生徒は涙どころか鼻水まで流しながら俺に別れの理由を問いただしてくる。

 

 そう言われても、こっちとしては困ってしまう。

 だって俺は、この瞬間のために付き合っていただけなのだから。

 相手の顔が涙に歪むところを見たかっただけなのだから。

 それを見て、心から笑いたかっただけなのだから。

 

 これはなんというか……俺の趣味なのだ。

 

***


 最初にそれを自覚したのは、小学生の時だった。

 

 教育実習で俺のクラスに一人の大学生がやってきたのだ。

 

 そいつは明るく、気さくで親しみを持てる性格をしていたから、すぐにクラスの人気者になった。

 これが同年代だとどんなに良い奴でも必ずどこかにそいつを嫌う奴が現れるんだろうが、一回り以上年が上の大学生というのは、純粋に尊敬の対象になり得る。

 クラスメイトの全員がそいつのことが好きだったし、俺もそうだった。

 

 だが、いくら人気が出ようとも所詮は教育実習生である。

 いつまでも一緒にいられるわけではない。

 

 やがてそいつが去る日が訪れた。       

 お別れ会は、それはそれは楽しいものになった。

 その大学生を交えていくつもゲームをやり、皆で最後の思い出を刻んだ。

 

 そして、会も終わりに近づき、大学生が話す番になった。

 そいつはこのクラスで過ごした日々はかけがえのないものだったこと、学校を去っても俺たちのことは忘れないということ、将来自分が教師になったらこの学校に赴任してもう一度俺たちと会いたいと思っていること、などを訥々と語った。

 

 そのスピーチの最中である。

 クラスメイトの一人が涙をこぼした。それまでじっと耐えていたのだろう、しかし一度決壊すればあとは脆く、嗚咽をあげてわんわんと泣き出した。

 

 知っての通り、涙というのは伝染するものだ。

 

 そいつがきっかけとなって、狭い教室の中に涙の大合唱が巻き起こった。

 大学生も目を潤ませてハンカチを当てていた。

 

 そして俺はというと…………その渦の中で、一人笑いをこらえるのに必死だった。

 

 周りの目を気にしないで大声で泣き上げるクラスメイトたちの姿が、滑稽で愉快で仕方なかったのだ。自分でも割と最低だなとは思うが、笑ってはいけないという状況が笑いを引き起こす状態というのは、誰しも覚えがあるのでは無いだろうか。

 

 途中で耐え切れずに鼻水吹き出してしまい、慌てて口元を隠してさも悲しくて泣いているかのように見せかけなければならないスリリングな場面もあって、あれは本当に楽しい思い出として俺の記憶に刻まれている。

 

 その時からだ。

 俺は人の泣き顔を見ることで、快感を覚えるようになった。

 性的なものではなく、もっとレベルの高い、精神の深いところに直接響くような快感だ。

 

 それを感じた時、俺は心から笑うことができる。

 

 『笑い』は人生で最も重要なことの一つだ。苦しむために生きるより、楽しむために生きていたい。

 

 だから俺は、他人の泣き顔を『作り出す』ことを生き甲斐にするようになった。

 

 さて、次はどんな泣き顔を見ようかな?

 

***

 

 ある日、映画館にやってきた。

 今話題の、泣ける映画とやらを見るためだ。

 

 別に、俺が泣きたくて見るわけじゃない。

 泣きたくて見る他の人間を眺めて楽しむために来たのだ。

 周りはカップル連れが多く、一人で来るのは中々勇気がいることだったが、何しろこの前まで付き合っていた女とは既に別れてしまっているのだから仕方ない。

 まあ、今日は一人の涙より集団の涙を見たい気分だったし、ちょうどいいだろう。

 

 席はなるべく後ろの方を選ぶ。

 前方だと、振り返れば泣いている人間の顔を見ることができるのだが、スクリーンの近くでそんなことをしていれば目立ちに目立つ。俺が言うのもなんだが、衆目に変な目で見られたくはないので、後方の席を選ぶのが無難だ。

 ただし、その場合も空席が多い場所は避ける。映画というより観客を見に来ているのだから、その数が少ないのでは意味がない。

 

 今回の場合は公開して間もないということもあり、単純に空席を探すのが大変という状況だったが、何とか列の真ん中を確保した。

 

 さて、実際に席についてみると、なかなかの好立地だ。

 右隣はいかにも流行に載せられて見に来ました、みたいなカップル。

 左隣は一人で来ているらしい、俺と同年代か少し年下くらいの女。

 

 俺としては左の女に期待が大きい。なぜなら、女というのは男に比べて感情表現が豊かな場合が多い……というより男が余計なプライドに邪魔されて素直に感情を表に出さない。ぶっちゃけ、男が泣く方が意外感と滑稽感があって笑えるのだが……。

 まあいい。とにかく、この女はマークしておこう。隣のカップルもうまくすると二人して涙の雨を降らせてくれるだろうし、動向を見逃せない。

 

 まあ、映画の出来が評判通りだった場合に限るが……。

 

 おっと、そろそろ上映時間のようだ。

 俺は照明が暗くなっていく中、シートの背もたれに深く寄りかかった。

 

 ***

 

 ……結論から言えば、一勝一敗といったところだ。

 

 まず映画の出来だが、これがまあ酷かった。

 こんなベタすぎる展開とちゃちな演出でどうやったら泣けるのか甚だ疑問だったが、それは右隣に座っていたカップルも同様だったらしく、両方とも終始無言の無表情だった。いや上映中なので無言なのは当たり前か。

 とにかく、求めていた集団での啜り泣きなどは望むべくもなく、そういう意味では当てが外れてしまった。

 

 しかし、俺にとって僥倖だったのは、左隣の女の存在だった。

 

 こいつは映画が始まって何やらもの悲しげなマイナーコードの旋律が流れ始めた瞬間に鼻をすすり出し、嗚咽を漏らし、そしてスタッフロールという戦犯リストが流れ終わった今、俺の隣で俯いて肩を震わせている。

 実に笑える光景だった。

 

 もう周りに観客はいない。入れ替えのため、俺もこの女も早くこの場を去らなければならないのだが、この女は未だ泣き止まないし、俺も心置きなく彼女の泣き声を楽しむために席に座ったままだ。

 

 とはいえ、流石にそろそろ映画館の人間に怒られる頃だろう。

 

「……君、大丈夫か? 

 そろそろ出ないとまずいと思うけど」

 

 俺は隣の女に声をかけた。

 すると、涙で顔をぐしゃぐしゃにした女がこちらを向く。

 

「す……すみまぜん……。

 で、でも、悲しくて、つらくて……う、うう……」

 

 こうまで泣いてもらえるならクソ映画の制作者も本望だろうか。

 だがやはりそろそろタイムリミットだ。

 シアター内を掃除しに来た映画館の従業員が、こちらを見つけて歩いてくる。

 

「とりあえず、ここからは出ようぜ。

 ほら、行こう」

 

 俺は必死で笑いをこらえながら女の手を握り、立ち上がらせた。

 

「は、はい……」

 

 さして抵抗する様子もなく俺に従う彼女を連れて、従業員に何か言われる前に二人でシアターの外に出た。

 

***


「……落ち着きました、ありがとうございます」


 映画館を出た通りにあるカフェ。

 泣き止まない女を誘って対面に座らせ、お茶をすることに成功した。

 ぶっちゃけナンパである。ちなみにこれが初めてだ。向こうから来るパターンばかりだったからな。

 だが俺は、この女にはこちらから攻勢を見せる価値があると判断した。

 失った水分を取り戻すかのように俺が注文して持って来させたコーヒーを飲む女は、相当に可愛らしい顔立ちをしている。十人いれば十人が同じ感想を抱くだろう。

 この綺麗な顔が涙に歪むのを、いつでも、そして簡単に見られるのだとしたら、それはどんなに楽しいことだろう……。

 

「……ところで、君、名前はなんて言うんだ?」

 

「優姫。中里優姫と言います」


「へえ。俺は秋山光一。

 そこの、坂ノ上高校の二年」


「それなら、私が一つ下ですね。

 私、花園の一年です」


「ふうん、花園か」


 区内にある有名な女子高だ。

 品行と規律に厳しく、そして学業にも力を注ぐ、絵に描いたようなお嬢様校。

 以前に付き合ってた女もそこ出身で、校則の多さを愚痴られた覚えがある。


「? 何かありました?」

 

「……ん? 

 いや、何でもない。

 それよりも……」


 適当にごまかし、その後は、ちょっとした話をしながら相手との距離を詰めていく。

 十分だと思ったタイミングで、俺はこの女を誘った理由でもある問いを口にした。

 

「……そういえばさ。

 せっかくだし、映画の感想聞かせてくれないか?」


 あれだけ簡単に泣く女なら。

 感想を話させるだけでも涙を流す可能性はある。

 つまり、俺にとっての『おかわり』が見込めると思ったのだ。


「えーと、そうですね……つまらなかったと思いますよ。かなり」


 しかし、彼女から予想外の答えが返ってきて、俺は首をひねった。

 

「……あんなに泣いてたのに、か?」


「……えっと、それには理由がありまして……なんというか私、感受性が鋭すぎるみたいなんです。

 今日のは、そうですね……最初に流れ出した音楽が、ダメでした。

 イントロの物悲しさが…………。……っ」

 

 途中で言葉を切って、彼女はまた涙を浮かべた。

 俺はその涙を見たことによって湧き上がってきた笑いの感情を、優しげな微笑みに偽装した。

 

「そうか……でも、俺は正直言って、君が羨ましいと思うよ。

『泣きたい』と思ってる人って、けっこう多いと思うんだ。

 それも、痛みとかじゃなくて、感動で。

 人間はどこかで、自分の心を揺さぶられる経験を求めている。

 でも、心に届くほどの経験っていうのは、そうあることじゃない。

 だから、君の感受性が豊かなことは、貴重なことだと俺は思うね。

 出来るなら、コツを教えてほしいくらい」


 俺が語りかける間、彼女はずっと黙ってそれを聞いていた。

 そして話し終えると、涙を拭って俺を見る。

 

「……そんなことを言われたのは、初めてです」


「へえ、君の話を聞いたら、こういうことを言う奴はけっこういそうだと思ったけどな」


「……そもそも、あまり自分のそういう性質を話すことなんて、ないじゃないですか」

 

「……それはそうだ」

 

 俺だって、自分が涙を笑いの糧に出来る人間だと言うことを、ペラペラと話したことはない。

 

「けど、君は話した。

 君が物事をどんな風に感じるか、俺は興味が湧いたよ。

 ……良かったら、もう少し話していかないか?」

 

「……いいですよ」


 彼女は表情を変えず、そう言った。

 俺はこの女を、俺の笑顔のために利用することに決めた。

 

***


 結論を言えば、この中里優姫という女と俺は、程なくして付き合うようになった。

 

 彼女は、俺にとって理想的な性質を備えた人間だった。

 彼女はとにかく『感情を揺さぶられること』に敏感であり、折に触れさまざまな種類の泣き顔を俺に見せてくれた。

 整った造形の顔立ちが悲しみの表情を浮かべている様は、大袈裟な言い方をすれば芸術的ですらあり、今までは泣き顔に『笑い』のみを求めていた俺に、新たな可能性を感じさせるものであった。

 

 また、彼女と付き合うようになって分かった『もう一つの性質』も、俺にとって好都合なものだった。

 いや、本当は最初に会った日から気付いていたのだが……

 

 彼女は―――笑わないのだ。

 

 本当に、一切、笑うという行為をしない。

 会話の切れ間のちょっとした相槌ですら、まったく。

 

 あれだけすぐ泣いてしまうほど感受性が豊かなのに、おかしな話だ。

 それについて、本人に聞いてみたことがある。

 あれはそう、初めて彼女の家を訪れた時のことだ。

 いや……それは家というよりも、邸宅と言った方がふさわしいような外観で、一目で裕福な家庭だと分かるものだった。

 しかしそれに反して優姫の部屋は物が少なく殺風景で、俺が今まで付き合ってきた女のものとは異なった印象を受けるレイアウトだった。

 

 そんな部屋の中、自室のベッドに腰掛けた彼女は、困ったように首を傾げて、俺の質問に答えてくれた。

 

 自分は泣くことに対しての敷居が低い代わりに、楽しいという感情に対して鈍いのだと。

 

 それでは俺と付き合うことも楽しんでいないのではないか、と言うと、彼女は焦って否定した。

 

 楽しいと感じる感情自体はきちんと存在している。

 けれど、それをダイレクトに表情に表すことが苦手なだけなのだ、と。

 

 その後は俺への後ろめたさゆえか、半泣きになってしまった。

 俺はどうしようもなく口元に笑いが登るのを堪えながら、歯の浮くような言葉で彼女を慰めた。

 

 ――まあ、はっきり言って、俺としては彼女が笑えようがそうでなかろうがどうでもいい。

 

 むしろ、泣き顔が見たいだけの俺にとっては、笑えない方がありがたいのだ。

 笑顔なんて面白味の無いもので顔が支配される時間は、一秒だって少ない方がいいに決まっている。

 今まで付き合ってきた女は、意味もなく笑い、価値もない表情を俺に向けるばかりで、俺はそのたびに、別れる瞬間の奴らの顔を眺めることを心待ちにしながら、適当な相槌を打つことを強いられてきた。

 

 その点、彼女は違う。

 返す返すも理想的な性質を持った女だと思った。

 

 そんなわけで、中里優姫との交流は、とても満足のいくものとなった。

 俺の心は事あるごとに流される彼女の涙によってみずみずしく潤い、かつてないほどに充実した日々を送ることができた。

 わざわざいったん付き合って別れるという手間をかけずに楽しめる、最高の女。

 

 俺はこれから先も、ずっとこの女を糧に生きていけると思っていた。

 

***


 ある休日、俺は優姫と共に街を歩いていた。

 彼女からの提案で、どうしても行きたいところがあるのだと言う。

 優姫のガイドに合わせて歩いて行くと、だんだんと人通りが少なくなっていく。

 俺は少し引っかかりを覚えながらも、円滑に付き合って行くため基本的には彼女の望みを聞くことにしていたので、それについては何も言わなかった。

 

 やがてたどり着いたのは、廃工場のような場所だった。

 

「……優姫?

 これはどういう……」


 しかし、振り返ったところに、優姫はいなかった。 

 

 そこには、怪人がいた。

 

「な……」

 

 そう認識すると同時に、視界の端に現れた長柄の物体が、急速に俺に接近する。

 

「ギャッ!」


 避けようとしたが、失敗した。

 とてつもない衝撃。

 頭部に激しい痛み。

 たまらず工場の床に倒れ臥す俺に、怪人が迫ってくる。

 

「うわあああっ……むッ!」


 悲鳴を上げようとしたが、素早く口に猿ぐつわを噛まされてそれを封じられる。

 

「……! ……!」


「あなたが悪人だからこうなるんです」


 意味不明なことを言いながら、怪人が――いや、朝に放送されているヒーロー番組のヒーローのお面を被った優姫が、動けない俺の襟首を掴み上げ、廃工場の床を引きずって行く。

 そして階段を降り、地下にある小部屋に入ると、その中心に置かれていた椅子に、あらかじめ用意していたのであろうロープで俺を縛り付けた。

 

「これで良し」


 そう言いながら、朝から持っていたバッグの中から取り出したのは……ボクシングの、グローブだった。

 

「……! ……!」


 優姫が自分の手にバンテージを巻き、グローブを嵌める間、俺は必死に体を動かしたが、縛られているのでどうにもならなかった。

 

「準備完了。……はっ!」


「ぶぐぇっ!」


 強烈な勢いで繰り出されたストレートが、真正面から俺の顔面を襲う。

 その衝撃で猿ぐつわが外れるが、悲鳴をあげる前に拳が下から飛んできた。

 

「ぁがっ!」


「ぎえっ!」


「ぶべっ!」


「ぐぼっ!」


 優姫の細腕からは想像もできないほどの勢いで繰り出されるパンチは、全て俺の顔面に向けられていた。

 それを受けるたびに、視界が白く染まって行く。

 

「ぶぁぁ!」


 ラッシュの締めくくりに飛んできた一撃が俺の身体を椅子ごと倒し、俺は冷たい床に転がった。

 もはや顔面の感覚は激しい熱と痛み以外何もない。

 

「な……な、ん、で」


 それでも辛うじて呟くと、無機質な仮面の下で優姫の声が答えた。

 

「あなた、中川忍ちゃんのこと、覚えてます?」


 苦痛が思考を妨げる中、告げられた名前を必死に記憶から探り当てる。

 以前に付き合っていた女だ。

 笑ってばかりで面白味が無くすぐに別れたが、別れを告げた時に満面の絶望を浮かべて泣きじゃくる顔だけは、あまりに滑稽だったのでよく覚えている。

 それに、たしか、そう……。


 優姫と同じ、花園女子の生徒だった、ような……。


「その子、自殺しちゃったんですよ」


「!」


「遺書は無かったですけど、色々調べて行くうち、あなたに振られたことが原因だって分かりまして。

 よっぽどあなたのことが好きだったんでしょうね」

 

 そんな……。

 そんなことを言われても、俺に全く責任は無いじゃないか!

 誰かに好かれるかどうかが生きるか死ぬかに繋がるような人間は、どの道どうでもいいことで死ぬ運命なんだ!

 

 それをこの女は、つまり……

 

「と……も、だ、ち、の…………ふく、しゅう……?」


 声を絞り出す。

 優姫は答える代わり、倒れた俺の腹を足で蹴飛ばした。

 

「げばぁ!」


「あー、やっぱり、そう思いますよね。

 でも違うんです、私と中川さんはクラスメイトでしたけど、特に接点はありませんでした」

 

「じ……じゃあ……な、ん、で」


「決まってるじゃないですか……ふふっ」


 その時が……初めてだった。

 優姫の、笑い声を聞いたのは。

 彼女が、ヒーローのお面を外す。

 

 これ以上ないほどに、幸せに満ちた笑顔が、そこから現れた。

 そして俺は……その笑顔がどういう意味を持つものか、すぐに理解してしまった。

 

 だってそれは……俺が彼女の泣き顔を見て浮かべていた笑顔と、全く同じ性質のものだったから。

 

「あなたみたいな悪人を懲らしめるのが……楽しいからですよ」


***


「最初にそれを自覚したのは……小学生の時でしたね」


 執拗に俺の全身を蹴りながら、優姫は喜びに満ちた声で語る。

 

「クラスの女子の間でいじめがあったんですよ。

 四人ぐらいのグループで、一人の女の子を集中的にターゲットにして。

 靴を隠したり、教科書を破ったり。

 発端はよく知りませんけど、どうも、グループのリーダーの女の子が好きだった男の子と、いじめられていた女の子がちょっと親しげに話したとか、そんな程度のことだったみたいですね」

 

 優姫の蹴りに強さが増して行く。

 

「私、当事者じゃなかったんで、それを見てるだけだったんですけど……。

 やっぱり良くないじゃないですか、そういうの。

 だから止めようと思ったんですけど、担任の先生に言っても根本的に解決はしないと思ったんです。

 だからとりあえず……」

 

 優姫が俺に馬乗りになって、パンチを繰り出す。

 左目が潰れ、液体の飛び散る感触があった。

 

「———そのリーダーの女の子のことを裸に剥いて、写真をばらまいてみました。

 一瞬でいじめは無くなりましたね。

 主犯が学校に来なくなったので当たり前ですけど。

 ……まあとにかく、つまりこれは、『私の手で悪人が退治された』ってことじゃないですか」

 

 ふと、優姫が俺を殴る手を止めた。

 

「それを実感した時、何て言うんでしょうね……。

 爽快感とか達成感とか色々混じった、今まで感じたことのないくらい、強烈な喜びの感情が私の中に湧いてきて……。

 私は大声で、お腹が痛くなっても、呼吸が出来なくなっても、笑い続けました。

 それからですね。

 他のことで、全然楽しいと思えなくなってしまったのは」

 

 もはやほとんど見えない視界の中で、優姫が、満面の笑みで俺を見下ろす。

 

「あなたみたいな『悪人』を、私と言う『ヒーロー』がやっつける。

 ……そんな時だけ、私は笑えるんですよ。ふふふ」

 

 そして、俺に再び攻撃を加え始める。

 

「とはいえ、相手が本当に悪人かどうかは少し観察してみないと分かりません。

 だから、酷い方法で何人も女の子を振っているというあなたの噂を聞いて、しばらく一緒にいることで確かめてみたんです。

 あなたが本当に、人を一人自殺に追いやるほどの悪だったかどうか。

 ……結果は、その……期待通りでした。よかったです。ふふふ」

 

 右目が潰れた。

 鼻の骨はもう折れている。

 激しい痛みから逃れようと、意識が消え始める。

 

「ふふ。ふふふ。

 楽しい……。楽しい……。

 うふふふふふふふふふふ……」

 

 彼女の笑い声を聞きながら、俺の意識は永遠に閉ざされた。

 

***


「ふう」

 

 完全に動かなくなった恋人の死体を見下ろしつつ、彼女は深く息を吐いた。

 

 妙な性質を持った男であることは、調べるうちに分かっていた。

 だからこの男に好かれるよう、自らの性質を偽った。

 

「あなた、隠すの下手すぎなんですよ」


 本人は気づかれていないつもりだったのかもしれないが、振られた少女たちの話を統合し、最初に会った時に表情の変化を見逃さなければ、人の涙を見ることに幸せを感じる性質を持っていることはすぐに分かった。

 

「……正直なところ、羨ましいです、そんなに簡単な条件で笑えるなんて。

 コツを教えて欲しいのは、私の方でしたよ。

 こっちは準備も後始末も大変なんですよねえ。はあ……」

 

 彼女にとっての悪人を探し、近づき、退治する手間。

 そしてこの後の死体の処理のことなどを考えると、気持ちに水を差されるようだった。

 だから彼女は軽く首を振ってその思考を振り払い、未来のことだけを考え、微笑みを浮かべながら立ち上がる。


「……さて、次はどんな悪人を探しに行きましょうかね?」

 

 おわり


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かった。圧倒的に面白かった。 変な趣味嗜好を持った男の自己紹介が始まった時点で「あぁ、変な性質を持った女と付き合ってカップル成立メデタシって話なんだろうなぁ。どんな女が出てくるか期待」…
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