6 馬車
目が覚めた。
私は、ぼんやりとした視界の中で、立ち上がろうとして、ベッドから落ちた。
「ぐえっ」
何⁉︎何があったの⁉︎
自宅のフローリングとは全く違う、少し砂の感触すらある床にそのまま寝っ転がりながら、私は考える。
おかしな事態が発生している。私は、いつも布団で寝ていたはずだ。いつの間にベッドに変わっていたのだ。
すると、私のお腹がくぅと鳴った。途端に昨日のことを思い出す。森、ゴブリン、魔法、取り調べ。今の状況を考える限り、まだ私は異世界にいるらしい。
だんだんと、ぼやけていた視界が形を作る。一度目をこするとそこには、制服掛けも、箪笥も、机も無くなって、殺風景な木のベッドだけの部屋があった。
「あー。なんか、朝なのに疲れてる……」
体が上手く動かない。とっても重い感じ。胃が暴れて、食べ物を要求している。
そういえば、昨日は何も食べてなかったな……。
あの木の実でもいいから、食べておくのが正解だったように思う。食べれる時に食べれるだけ食べておいた方がいいという言葉を、身をもって体験するとは思わなかった。おじいちゃんは間違ってなかったよ。
そんなことを考えていると、かちゃっという音がして、扉の鍵穴が回った。どうやら私は、知らないうちに監禁されていたらしい。三対一でも、戦った方が良かったのだろうか?どうも彼らは、私の目から見ると蛮族に見える。
ドアノブが回って、ケモ耳の女の子が入ってきた。
「おはようございます、ネコべミケさん。音がしたので、朝ご飯を持ってきました。って、なんで床に寝っ転がってるんですか⁉︎毛布が良くなかったですか?やっぱり、やっぱりほんとのお嬢様でしたか⁉︎」
「あー、おはようございます。えっと、大丈夫です。良く眠れました」
ケモ耳の子は、ベッドの下から机を引っ張り出して、そこにスープとパンを並べた。食べていいと言われてもないのに、私は貪るように食べ始めた。
「あ、そんなにお腹空いてましたか?お口に合うか心配ですけど、大丈夫ですか?」
パンを口に突っ込みながら、激しく頷く。美味しい。パンとしてはあまり美味しくないかもしれないけれど、丸一日絶食した後だからか、とても美味しく感じる。
あっという間に食べ終わると、私は改めてケモ耳の子と向き合って座った。
「ご飯、ありがとうございました!美味しかったです。危うく死にかけてました」
「それなら良かったです。私も昨日、この子いつご飯食べたんだろうなーって不思議に思ってました」
ケモ耳の子は続けて話した。
「それで、我々で話し合った結果、ネコべミケさん、あなたは問題なさそうだ、という結論に至りました」
「あ、良かったです。ありがとうございます。えっと、できればネコべミケフルネームで呼ぶのをやめてもらえるとありがたいんですが……」
そう。
私が、なかなかゲームのキャラ名を名乗らなかった理由がそれである。
何がきっかけで、一年前の私はネコべミケなんて名前をつけたんだろうか。種族は選べなかったから、人にミケって名前はいいとして、私は別に猫を飼っているわけでも、特に大好きなわけでもないのだ。
せめて猫耳でも装備していればごまかせたのに、どこからどう見ても、普通の魔術師の装備。チャットする時は敬語。語尾ににゃとかつけない。水晶さえなければ、高村郁代で通せたのに。これから私、異世界にいる限りずっと、こんな名前で過ごさないといけないのだろうか。
「あれ、嫌でしたか?ひょっとして、名前間違えてましたか?」
ちょっと涙目になって、慌て出すケモ耳の子。可愛い。
「えっとね、名前は間違えてないんですけど、名前自体が間違ってるんです」
「え⁉︎え⁉︎貴族様には、そんな風習もあったんですか?初めて知りました!え⁉︎名前自体が間違いってどう意味ですか?わけがわかりません!」
うん。訳わかんないよね。でも、この名前はおそらく、私の一時の気の迷いであり、この世界に存在するべきでない名前だと思う。というか、これからずっとこのネタ系詐欺ネームで暮らしていける自信がない。嫌すぎる。
こんなことになるんだったら、人名事典かなんかで適当なやつにしとくんだった。
……。どうしよう?語尾ににゃってつけた方がいいのかな?名前が先行するタイプのキャラ付けっていうのも、珍しい気がする。
わちゃわちゃしてると、部屋の扉がいきなり開いて、昨日のおじさんが姿を現した。
「おい、準備出来たか?さっさと行くぞ」
あれから数十分後。
私は、馬車に揺られていた。道がでこぼこしているのか、良く揺れる。バスって乗り心地良かったんだなって思った。
「それで、僕から聞きたいのは、どうしてあんな極端なスキル強化をしているのかということと、どうして召喚犬に気づかなかったのかということです。あんたが強い魔術師だというのは、まあ分かった。しかし、召喚獣はかなりメジャーで、魔術師ならあれが召喚獣だと分かって当然だったはずだ。どうして攻撃なんかしたんです?」
前に座るセオドルフさんが、さっきからしつこく質問してくる。どうも彼らは、どうして私が犬を焼き殺したのか、その一点が分からなくて困惑しているらしい。
ごめんね、セオドルフさん。私は単に知らなくて、それで強いだけなんだよ。なんて言っても信じてもらえないんだろうなー。
ほんと、どうやって見分けるんだろうね。セオドルフさんが言うには、魔力の質がどうのこうのだそうだけれど、馬車に揺られてそれどころでない私には全然入ってこなかった。
ちなみに、なんでマジカルレインだけ強化されてたかっていうと、あれが一番上にセットされてたからだ。上級職になった時、スキルポイント振り分けがリセットされたので、もう面倒だから極振りした。効果は分かってない。
馬車が大きな石でも踏んづけたのか、がたんと大きく揺れる。危うく前に投げ出されそうになる私を、隣に座ったリリーさんが抑えてくれた。
「だから、ミケさんはお嬢様なんですよ。きっとその高いレベルも、血筋かなんかです。きっと貴族の方なら、その程度簡単です。ほら、今だってぼろっちい馬車に乗り慣れてなさそうじゃないですか。きっと、白馬が引くもっと高級なやつに乗ってたんですよ。そうに決まってます」
「だから私お嬢様なんかじゃないです。何度も言ってるじゃありませんか……。私の住んでいた文化圏では、日常的に馬車に乗る習慣がなかったんです」
リリーさんは、どうも貴族が好きらしい。優雅さ?とかそういうのに惹かれたんだとか。セオドルフさんや、筋肉おじさんのドノヴァンさんとは、仕事仲間なんだそうで、話を聞いていると、年下とは思えない。
白馬の馬車を想像し始めたリリーさんを放っておいて、セオドルフさんがまた私に話しかける。
「それで、もう一度聞くけれど、あなたは昨日森で起きた大きな魔力反応について、なんの覚えも無いんですね?」
そう。この人たちが森に来た理由。とりあえず知らないって答えてはいるけれど、そもそも魔力反応がなんなのか私は知らない。知らないって言うと、また面倒なことになりそうだから、とりあえず放っておく。
でもあれかな?
元の世界に戻りたいなら、全部話した方がいいのかな?
ちょっと迷って、やっぱりやめる。高村郁代は、自分の行動を客観的に考えられる生き物だ。
実は私、異世界から来た女子高生なんです!元の世界に返していただけないでしょうか?
うん。頭がおかしいっていうかイタイ。イタイのは名前だけで十分だにゃ!
あー、だんだん気持ち悪くなってきた。混乱して訳の分からない事を考えてる。ふっふっふ、セオドルフさんは、目の前の人間が異世界人だとは思うまい。私、鉄の猪に乗ったことあるんだよ!この世界の人は、もし仮に見たとしてもそんな反応しないだろうけど。
乗り物酔いはあんまりしない方だったはずだけど、馬車の揺れは現代の乗り物とは比較にならないほど酷かった。結局、町に着く頃には、私は力尽きていた。