4 取り調べ
薄暗い部屋の中。
光源は、天井から吊り下げられてるランプだけ。煤で汚れた天井が、ぼんやりと照らされている。
部屋の中には、椅子が二つ、机が一つ。二時間前に閉まったきり、動かない扉が一つ。
私は、少しがたがたする丸椅子に座って、木でできた机の上に突っ伏している。なんの処置も施されていないそれは、少しささくれ立っていてちくちくする。
疲れて動けない。足が痛い。多分、皮が擦れてしまったのだ。靴を脱いで確認したら、踵と指先のあたりは靴下にまで血がしみ込んでいた。眠ろうにも、椅子と机の高さが微妙に違うせいで眠りにくい。腕を重ねたり、ずらしたりして最適解を探すけど、なかなか安定しない。諦めて、今度は腕をだらりと前に伸ばして、頭を直に机に押し付けてみる。田舎のおじいちゃん家みたいな匂いがして、少し落ち着いた。
あれからしばらく、私は森の中を逃げ回った。恐ろしいことに、あの犬は狩人か何かの戦闘犬だったらしい。逃げ回るうち、追いかける人の数はどんどん増えていった。初めの人間が、仲間に連絡したのだ。私もサンダーで威嚇したりしたけれど、彼らはじわじわと距離を詰めてくる。走っても、走ってもいつのまにか囲まれているのはちょっとしたホラーだった。最後は、日が暮れたところで私が降参した。
一日中走り回って、体力が限界だった。のども渇いて頭がくらくらした。彼らは、私の魔法が届かない一定の距離を開けながらずっとついてきた。杖を地面に置いて、手を無理やり肩の上まであげて、降参しますって言った。
そこから先は、あまり覚えてない。腕を後ろに抑えられて、運ばれるようにしてこの建物まで連れてこられた。そこで、この部屋に押し込まれて今に至る。
私、何かしたかな?
いやしたけど。思いっきり誰かの飼い犬を雷で焼き殺したけど。
ちらっと椅子の脚に目をやると、机と縄で結ばれている。机は、足が床に完全につきささってる。ちょっとやそっとじゃ、動くことはないだろう。
私は同じような場所を知っている。
「どう考えても、取り調べ室だよねー」
独り言をつぶやいて、また眠れる体勢を模索する。眠りたいのになかなか眠れない。ひょっとしたら、そういう精神攻撃も兼ねてたりするのかな。私がやわなだけかもしれないけど、もうメンタルもぎりぎりだった。ベッドに寝かせてくれたらなんだってしていいくらいの気持ちにはなっている。
状況が動いたのは、私がこの部屋に入って体感二時間半が経過した頃だった。体感だからあんまり信用ならないけど。多分八時か九時ぐらいじゃないかな?
コンコン、というノックの音がして、小さな女の子が入ってきた。足には、小さな靴。丈の長いスカートの、緑色のワンピースを着ている。手には、お盆を持っていて、その上にはコップが乗っている。髪は、茶色で短め。頭にはなんだろう、何か動物の耳。小さく、先が尖っていて、両方とも私の方を向いている。
間違いなく警戒されてる。
まあ、向こうからしてみたら、気づかぬ間に森に入り込んでいたと思ったら攻撃を仕掛けてきた不審者である。こんな女の子をよこしていいのか不安になるくらい、最悪な形での出会いだった。
「すみません、起こしてしまいましたか?」
テーブルに器を置きながら、私の方を見て話しかけてくる。
「ううん。そんなことない、です」
試しに私からも話しかけてみたら、少し驚いた顔をされた。どうやら言葉は通じるみたい。危うく、あいむふぁいん、せんきゅーえんじゅ、だけで異世界生活をスタートする所だった。
「あ、話してくれた!大丈夫ですか?怪我とか、ありませんか?」
「えっと、足が痛いくらいです。特に大きな怪我はしてません」
ひょっとして、この子が質問役?こちらに笑いかけながら、話しかけてくる。時々耳がピクピク動いて可愛い。
「あ、喉渇いてませんか?お水です。安全なお水ですよ。お金はとらないので、安心してください」
その言葉を聞くと、私は素早く器を手に取って、中の水を勢いよく飲んだ。焼けるようにひりひりしていた喉に、ぬるい水が流れ込んでくる。私は、初めて水のありがたさが、分かった。熱くなってぼーっとしていた頭に、少し冷たさが戻ってきた。
「えっと。今から、いろいろ質問をします。大丈夫でしょうか?」
「あ、はい。大丈夫です」
ケモ耳の子は私の返事を聞くと、替わりますね、と言って部屋を出て行った。
すぐに、スキンヘッドのがっしりしたおじさんが入ってきた。右頬に、かなり大きな傷跡がある。身体は引き締まっていて、毛深く大きな手はまるで熊のよう。
おじさんは、私の前の椅子に座った。
私、これは詐欺で訴えていいと思う。可愛い子で相手を油断させ、安心したところで質問の許可を取って、怖いおじさんに変わる。信じらんない。
そんな私の内心なんて気にも留めず、おじさんが話し出す。
「お嬢ちゃん、名前は」
「えっと、高村郁代です」
「あ?イクヨ?変な名前だ。年は?」
おじさんは、おじさんからしてみればだいぶ小さいだろう机に腕を押し付けるように置いて、質問を続ける。
私の手は、おじさんが入ってきた時点で机の下に入っている。こっちを睨むように見つめられるだけで、足の震えが止まらない。
「十六です」
「職業」
「魔術師です」
「生まれは?」
「えっと……、記憶にありません」
おじさんの目が、ぎろりとこちらを睨みつける。だってさ、神奈川県ですって言ったって分かんないでしょ?多分。明らかにファンタジー系の人だから、ちょっと伝えたくなかった。
「魔術師と言ったな?使える魔法は?全部言ってみろ」
「とりあえず、今のところサンダーが使えます」
「それだけか?」
「もう何個かあった気もするけど……覚えてないです」
ここまで質問すると、おじさんは水晶を取り出した。
「さて、答え合わせだ。お嬢ちゃん、この水晶に手を当て、ステータスオープンと言ってみろ。お嬢ちゃんが今行ったことが本当かどうか、すぐに分かる」
な……なんと……!これが、今巷で話題と言われるステータスオープン……!なろう系主人公って、思ったより追い詰められるんだね。友達から聞いたくらいだけど、ステータスオープンについては何度も聞かされたから知っている。まさか、こんな緊迫した状況で行う行為だっただなんて。晶子のやつ、楽しそうにリハーサルとか言ってやってみせるものだから、もっと楽しいイベントかと思っちゃったじゃん。
テーブルの上の水晶に、手を出して当てようとした、その時。
私の中で、嫌な予感がした。
私は何かを見落としている。この場で、致命傷になりうる何か。
考えろ。
眠くてうまく働かない頭を、なんとか動かす。私の右手は、テーブルの上に出たところで止まっている。
ステータス。私だってみたことくらいある。名前とか、職業とか、レベルも出てくる画面だったはずだ。
名前?
そうだ、私はおじさんに、実名を伝えてしまった。もしステータスっていうのがゲーム通りだとしたら。私の名前は。
「あ?何だもたもたしやがって。早く手を乗せろって言ってんだよ」
おじさんが、私の手を無理やり引っ張って水晶に当てる。
「きゃっ!あ、ちょっ、待ってください!」
「ほら、ステータスオープンだ」
どうも、ステータスオープンの声出しは本人でなくても良かったらしい。水晶の上の空間に、薄い板のようなウインドウが表示される。割とすごい技術の気がする。
名前:ネコべ ミケ
年齢:14
職業:魔術師
レベル:76
所持スキル:サンダー
マジカルレイン+30
ファイヤボール
アイスエッジ
ストーンウォール
おじさんは、黙ってステータスをチェックしている様子。おじさんの目が下に移るにつれ、おじさんの顔は険しくなっていく。
やっちった……。
「ドノヴァンさん?何したんですか?」
手を掴まれた時の、私の悲鳴が外に聞こえたのか、ケモ耳の女の子が入ってくる。心配してきてくれたんだろうか。
「悲鳴が聞こえましたよ。いったいどんな手荒なことをしたんですか?この子はまだ子供です。怖がらせたりはしないって約束、しましたよね?」
「いや、ステータスを見せたがらないので手を引っ張っただけだ。とりあえず、こいつがとてつもない大嘘つきだってことと、とてつもなく厄介なやつだということは分かった」
少し咎めるように話しかけるケモ耳の子に対して、ドノヴァンと呼ばれたおじさんは呻くように答える。手で、私のステータスを見るようにケモ耳の子に対して指示した。
私のステータスを見て、固まるケモ耳の子。
「え。ドノヴァンさん、これ、故障とかじゃないですよね?」
「ああ。俺もそれを疑ったが、確かにこれならサンダーのあの馬鹿みたいな火力にも納得だ。だが、俺が言いたいのはそっちじゃない」
そう言って、ドノヴァンさんはこちらに向き直った。目がすごく怖い。
「おう、よくもまあごまかせると思ったもんだな。名前に年齢、使える魔法。何もかも間違ってんじゃねぇか。あ?どういうことだ?機械の故障か?あいにく水晶が間違ったステータスを示したなんて事例は聞いたことがない。お前なめてんだろ?え?ネコべミケさん?きっちり説明してもらおうか?」
「ひっ」
怖い。
ドノヴァンさんは、小さい机の上に身を乗り出すようにして、俯いている私の顔を覗き込んでくる。低い、大きな声で、でもはっきりと。ドノヴァンさんは、私の頭に向かって話しかけるように、こちらを睨みながら続けた。
「俺は、嘘つきは嫌いだ。平気で嘘をつく奴らは、大抵性根が捻じ曲がってるんだ。そして、自分の楽しみで悪いことをして、平然としてるんだ。お前みたいな奴らは、人の信頼に、良心につけ込むんだ!親切を踏みにじって、何も感じないんだ!最低の屑共だ、殺人鬼よりもタチが悪い!いつのまにか内側に入り込んで、人々に紛れて、仲間ヅラしてるんだ!ええ⁉︎ネコべミケ⁉︎おめえもその一員だな‼︎ああ⁉︎」
途中からはもう、怒鳴っていた。
なんで。なんで私が怒鳴られなきゃならないの?いや、悪いのは全会一致で私だけど。でも、ちょっと間違えただけじゃん。なんでそう、大きな声で。
「ふ、ふえぇ、うわぁぁぁん。ひっくひく、ぐす、うわぁぁぁ」
止めなきゃって思うのに、涙が止まらない。ひたすら逃げ回って、怒鳴られて、抑えてきたものが崩壊した。嫌だ。嫌だ。消えてしまいたい。何が悲しくて、ファンタジー世界で嘘つきは良くないなんて怒られないといけないんだ。もういい。帰して。一瞬でもラッキーなんて思った自分を、呪いたい。
「う、ゔぁぁん、えぐっ」
「ほら、泣いちゃったじゃないですか!何やってるんですか、もう。出てってください。ほら、ネコべミケさん?大丈夫ですよー。この人、怒鳴ると怖いけど優しい人ですから。ちゃんと話せば、分かってくれますよ。ね?」
慰めてくれるケモ耳の子は優しいなぁ。その日は、それっきり泣き疲れて私は眠った。