2 出会い
寝て起きたら異世界にいた私。手元に鏡が無いからよく分からないけど、十中八九別人のガワを被ってるぽい。とりあえず、森から出ることを目標に歩いてみる。
適当に歩いてしばらく経った。正直言って、まっすぐ歩けてる自信すらない。いつかは森から出られるだろうと楽観的に出発したけど、そろそろお腹が空いてきた気がする。
歩いても、歩いても同じ景色。私の気力は、確実に消耗していた。
あー、どこかに人いないかなー。
まあこの場合、より面倒な事態に陥る可能性もある気もするけど。なんていったって私、記憶喪失と何も変わらない状態なのだ。パッと思いついただけでも、名前住所職業家族年齢出身国籍森に入った経緯、何を聞かれても答えられない。不審者まっしぐらである。
ひょっとして、会っても会わなくても詰んでたりする?
まあ、その場で臨機応変に対応すればいっか。思考放棄ともいうけれど、どちらにせよそんなこと考えてる場合じゃない。
私、だんだん喉が渇いてきました。
もはや最初に悲報ってつけた方がいいかもしれない。さっき変な木の実を見つけてからというもの、喉の渇きが抑えられない。茂みについていた、小さなオレンジ色の実。葉に毒々しい斑点がついていなければ、味見くらいはしてたかもしれない。それを見てからというもの、どうも食欲に思考が偏ってダメな感じがする。
やっぱり、取っておくのが正解だったかな?
まだ一日目が始まったばかりだし、そこまで切羽詰まってはいない、ことにする。実際あれから木の実を見てないから、結構貴重だったりしたのかな?
そんな事を考えながら、いつのまにか目的がすり替わり、水辺を探してぶらついていると、生物と遭遇した。多分相手も、こんな所で人間と出くわすとは思っていなかったのだろう。私が木を回り込むようにして進むと、その先でそいつは座り込んでいた。
人間でいうと、小学校中学年くらいの大きさだろうか。真っ赤な皮膚に、尖った鼻。鳥のように細い足。右手に手斧。木の枝に石か何かを紐で巻きつけただけの、簡単なもの。人のような、人でないような。頭の小ささからすればいささか大きすぎる気もするその目は、ぎょろりとこちらを見ていた。
えーと。
「あいむふぁいん、せんきゅーえんじゅ?」
「ギギッ!ギシャシャシャ、シャー!」
うん知ってた。
急いで向きを反転、今来た道を走って戻る。後ろからは、人ならざるものの叫び声。さっきまでのほのぼのとは大違いだ。
根に躓かないよう、足元を見ながら必死に走る。たまにコケに足を取られて滑りそうになるけど、スピードは緩めない。なんてったって、私は昨日三十分間のビルドアップ?走りを練習したのだ。準備運動前のアップも合わせれば、五キロ走ったかもしれない。こんな所で役に立つとは思わなかったけど、もし帰還したら体育は真面目に受けようと思った。
そうだよね、ここって異世界だもんね!いるよねモンスター!この前、日本の鬼の伝承の中には外国人が正体のものもあるとテレビで見たから、ひょっとしたら英語でなんとかなると思ってしまった自分がお馬鹿さんだった。何か見覚えのある姿だったから、いけるかなって思ったのだ。挨拶したら、奇声で返された。
このまま走っていても、森の中だと体格差が響く。小回りの効く赤いモンスターの方が、動きやすいのだ。いつかは追いつかれてしまう。
何か、何かこの状況をなんとかできる手段は?
危うく木の枝にぶつかりそうになって、上体を反らす。もうマントなんて、とっくの昔に放棄している。茂みに引っかかってしまったのだ。避けきれなかった頭に、ガツンと火花が散る。
その瞬間、私は閃いた。
モンスターがいるなら、魔法だってあるじゃん!
殺意満載なモンスターがいるのに、魔法使いは衣装だけとかだったらギャグもいいとこだ。きっと私は、魔法が使えるに違いない。というか使えなかったら詰むからね。しょうがない。
というか使いたい。今まで何度、登下校をワープロでショートカットしたいと思った事だろう。異世界だろうがなんだろうが、道路を歩いたり電車に乗ったり、雨に降られたりが二度と無くなるのなら大いに結構。
とりあえずは、頭に浮かんだ呪文を適当に叫んでみる。
「ファイヤ!ウインド!えーと……アイス!ストーン!あとは……しろくま!」
駄目だ。アイスに引っ張られた。あと一歩で、ハーゲンダッツとか言い始めるところだった。
そして分かったこと。
私の呪文のポキャブラリー少なすぎ。ドラクエとかやったことあるはずなんだけど、全然思い出せない。まあ走りながらだし、しょうがない。別に私の記憶力が悪いわけではないはず。多分。
あとは……何があったっけ?炎、氷、風、土ときたら……。
「あ!サンダー!」
そう私が言った次の瞬間、私の手から青白い光がほとばしった。光から、白い大きな杖が姿を見せる。その杖の先にある、緑の宝石が輝いて、バリバリッと、凄い音がした。電光が木々の間を走り抜け、葉や幹を焼き焦がして前方の大木に炸裂する。
……。前方に。
「も、もう一回サンダー!」
今度はちゃんと後ろを向いて、杖をモンスターに合わせて、出来るだけ杖を私から離した上でサンダーを放つ。ああいうの、ゴブリンって言うんだっけ。どちらにせよ、既に彼は炭と化している。黒く焦げた地面から、しゅうしゅうと煙が立ち上って、ここまで熱気が伝わってくる。
うーん、やっぱどこかで見たエフェクトなんだよね。
全力疾走からいきなり立ち止まったので、心臓がどきどきしてる。耳元で爆音が響いたせいもあるのか、くらくらしてその場に座り込む。杖を膝に乗せて、じっと観察してみる。
まっすぐの白い木の棒の先に、緑色の宝石が埋めこまれている。杖の持ち手のところには、何か英語が彫られている。
えっと、ワールド、なんたら、ファ……フェ?とにかく、その後にオンライン。後で調べればいいや。
あれだね。
私、このゲームやったことある。頭の奥底に眠っていた記憶によると、多分一年ほど前。去年の夏休み。暑いのが好きではない私は、家でも出来るスマホのオンラインゲームを始めてみたのだ。漫画のアプリで、再生したら読めるやつの広告でよく見るものだから、ついつい誘惑されてしまった。ずっと広告のやつって呼んでたから、実名が分からない。まああるあるだよね?
お手軽!って言うのを全面に押し出したゲームで、スキル振りとか、そういうのはあんまり気にしないで適当に楽しめるゲームだった。基本個人プレーだけど、ギルドごとの対抗戦だったり、異性のプレイヤーとの結婚システムがあったりと、割となんでもできた感じだ。
私は、このゲームを魔術師で始めたのだ。ほとんど全ての移動や戦闘をオートで進められることもあり、ストレスフリーで楽しめた。漫画読んでる時とか、ご飯食べてる時とかに勝手に強くなってくれるのは、すごくありがたくて、頑張って上位職まではレベルも上げた。
状況が変わったのは、ギルドに入ってからだ。ある日、私にギルド勧誘のお知らせが来た。とりあえずオッケーすると、そこはたった三分前にできたばかりの、駆け出しギルドだった。十数人しかいなくて、五分もしないうちに、私は「翠玉の騎士」なる役職に任命された。
そこから恐ろしい毎日が始まった。我々は、ギルドメンバーのレベルやオンライン状況、ギルドへの貢献度まで、確認することができたのだ。
他のアプリの合間、暇な時にしていたオンラインゲームは、毎日の義務となった。広告をばんばん出しているだけあって、リリースされてすぐだったそのゲームで、みんなレベルにはあまり差がなかった。私たちは競い合うようにレベルを上げた。上限にたどり着いてからは、毎日二つずつ上がっていく上限にどれだけついていけるかの世界だった。
特に私のような肩書き持ちの人は、抜かされては大変とプレッシャーもあった。家でないと通信が切れてしまうので、友達の遊びのお誘いも全部断った。睡眠時間もだいぶ減った。デイリーミッションだけでなく、サブクエとかもかなり進めた。一人、また一人と脱落者が増えていく中で、私はかなり頑張った方だったと思う。
結局、そのゲームを始めて三週間、ギルドに加入して十日目の朝、私はそのゲームのアプリを消去して、二度と思い出さなかった。
そこまで思い出すと、私は立ち上がった。息もだいぶ整ってきたし、どんな世界にやってきたのかも大体分かった。一応一年前までは、私はレベルの上限に達していたのだ。何が出来るのか全然分かんないけど、少なくともサンダーは使える。オートでやれば、大抵のモンスターは倒せたはず。
恐れるものは、多分無い!
そう思ったところで、私の耳は、ぱちぱちと言う音を拾う。そういえば、さっきから背後に熱気を感じていた。
ゴブリンの成れの果てに背を向け、反対を向いてみると、そこにはボウボウと燃える大木と、飛び火したのか同じく真っ赤に燃える茂み。
生木は燃えにくいというのは迷信だったのか、炎は元気よく、真っ黒な煙を空に吐き出していた。