1 森の中
目がさめるとそこは、うっそうとした森の中だった。
小鳥のさえずりには思えない、鳥のギャアギャアという耳障りな鳴き声や、妙に湿気を含んだ風が通る度に、葉が擦れてたてるガサガサという音、何が音源なのかさっぱり分からない、機械音にも似た高い音などに包まれて、私は大の字で寝ていた。
私は高村郁代。高校二年生。特技は昼寝と三日坊主。趣味は、一応お菓子とかを作ること。三ヶ月に一度くらい気が向くので、ぎりぎり趣味に入るだろう。好きな食べ物はクリーム系、嫌いな食べ物はししゃもとわかさぎ。小学校の頃は、そろばんと習字を習っていた。そろばんは三ヶ月、習字は一ヶ月足らずでやめた。二週間後に定期テストを控えた、花の女子高生だ。
「うーん……」
どうも昨日は、寝ぼけていたらしい。手足をでたらめに動かしてかけ布団を探すも、見つからない。じっとりと湿った、硬い土の感触があるばかり。
昨日は大変な一日だった。体育科の竹内が、一時間ずっと私達を走らせたのだ。運動会が終わったから、次はマラソン大会の練習だと言っていた。こんな授業の次の日は、必ず筋肉痛と決まっている。体を九十度回転させると、足が木の幹にぶつかったので掛け布団探しを諦める。
えっと、今日は何があったっけ……。
枕元に置いたはずのスマホを、手探りで探す。昨日の夜は、遅くまで友達と話していた。きっとその辺に落ちてるはずだ。スマホが見つかれば、今の時間が分かる。今日の朝終わらせる予定だった、数学Aの問題集。提出範囲は、23ページの大問5番から28ページの応用問題前まで。解答を写すだけだから朝に回したけれど、時間によってはピンチかも。
確か、今日は木曜日だから部活があるはずだ。今日は行ってもいいかもしれない。どうせ部室でお菓子を食べながら漫画でも読んでる人達だ、一人くらい増えたって特に気にしないと思う。すっかり幽霊になってしまっていた今日この頃だけど、久しぶりにあの埃っぽい、淀んだ空気が吸いたくなった。
手についた黒い小さな羽虫を、じたばたして払いのける。蚊ではないようだけれど、やっぱり少し気持ち悪い。昨日は、窓を開けたまま寝てしまったみたい。道理で空気が湿っぽいわけだ。
スマホも無い、掛け布団も無いで土の上に寝っ転がっていると、お父さんが酔っ払って帰ってきた事を思い出す。確か、家の前の電柱に寄りかかって寝ていたのだ。まだ小学生だった私は、お母さんと一緒に大笑いした後、お父さんをなんとかして家に運び込もうとした。あの頃は、小学生にしては随分夜更かししてた。もう忘れたけど、きっと布団に入りたくないほど楽しい遊びをしていたのだろう。
「はー……」
ため息をついて、起き上がる。掛け布団はしょうがない、二度寝を諦めるとして、スマホが無くなったのは問題だ。今日は英語の単語小テストがあるのだ。スマホが無ければ、赤点を取って再テストになってしまう。きっとその辺の木の根元に隠れているだろう、そう思いながら、土を払って立ち上がる。
不思議と筋肉痛は無かったけれど、少しよろめく。足の歩幅が、昨日より短くなった気がする。この歳で背が低くなったら、大問題だ。やっぱり長時間の運動は体に良くないのだ。次竹内にあったら、文句をぶつけてやる。
ジーワ、ジーワという虫の声を聞きながら、しゃがみこんで木の根元を一つ一つ覗く。根っこが板のようになって地面から突き出しているせいで、なかなかスマホは見つからない。辺りはぼんやり薄暗く、木漏れ日がちらちらと地面を照らしている。スマホのライトを使おうとして、そのスマホを探していた事を思い出した。
電気の紐は、どこに行ったんだろう。少し不思議に思うけれど、それは夜考えればいい事だ。きっと、もうそろそろお母さんが朝ごはんの準備ができたよと私を呼びに来る。バターレーズンロール二つ、カットされた林檎に麦茶。最近果物枠が林檎に変わったのだ。夏の頃は、キウイやバナナが多かった気がする。
とりあえず、制服に着替えないと。今の高校の良いところは、制服が可愛いところだ。とりあえず近くて入れる所にしようと思って入ったけれど、制服が気に入って本当に良かった。年季が入った校舎で、水道の三つに一つはうまく水が出ないけれども、制服のデザインでお釣りが来るくらいだ。
えーっと、制服かけはどこにあるんだっけ……。
ていうか壁無いじゃん、危ない危ない、野外ストリップを始める所だった。
違う‼︎
ここどこ⁉︎
朝のぼんやりした頭が、だんだんはっきりしてきた。朝は脊髄とルーチンワークで動くから、こういう時すごく困る。
周りを見渡すけれど、何度見ても森の中。どこまでも木々が続いている。目を凝らすと、時々茂みが揺れるのが分かる。ひょっとしたら茂みじゃなくて獣かもしれない。なんにせよ、遠くてよく分からない。
「これ学校間に合うかな……。今日は休んじゃってもいいか」
数学の課題、こうなったらどうせ間に合わないし。結果オーライな感じはある。出口を求めて適当な方向に歩き始める。
九時までに、先生に休みの電話をしなくちゃだけど、なんて言ったらいいんだろう?
もしもし、出席番号25番の高村です。今森の中にいるので、今日はお休みします。
……。
限りなく正直に言ってるんだけど、多分怒られる気がする。それより信じてもらえるかが怪しいかな?私はあんまりうるさい方では無いけど、そこまで優等生ってほどでも無いのだ。
普通に熱があるので休みます、でいいか。もう二、三日休んでも怪しまれないから便利だと思う。まだ今学期に入ってから二回しか使ってないから、全然大丈夫なはず。
とりあえず、こんな森の中に入ったのは初めての経験だ。地面も、半分くらいコケで覆われてたりして、地理の資料集に写真載ってそうな気がする。温帯気候には、なんとか林が大きな面積を占めます、みたいな。一応高校受験の時に覚えたはずなんだけど、もう忘れた。
写真を撮ろうと思ってポケットを探ったところで、スマホを無くしたことを思い出す。
ちぇっ。
舌打ちして、その辺の葉っぱをむしる。
何をどう寝ぼけたら、森の中で眼が覚めるんだろう。私の住んでいた街には、ここまで大きな森は無かったはずだ。小さい頃に行った、キャンプ場以来だろうか。妙に野菜の比率の高いバーベキューをした記憶があるけど、私の家から最寄りと思われるそこでさえ、車で二時間はかかる。
まさか、ここまで自由に動き回っているのに、拐われたなんてことも無いだろうし、どうなってるんだろ。
ぶつぶつ呟きながら歩いていたら、ふと目の前を、小さな動物が横切った。四足歩行に、大きめのしっぽ。短い手足で、茶色い毛並み。何か口にくわえて、私の前を駆け抜けていった。
でも、私が驚いたのはそこじゃない。
その動物の小さな背中には、大きな緑色の宝石が埋め込まれていたのだ。動物が通ったのは一瞬だけど、キラキラしている、水晶のような形の緑色の宝石は私の目にしっかり焼き付いた。
どこをどうしても、地球上の生物とは思えない。私は小さい頃、どうぶつ図鑑を何度も読んだ。私がどうぶつ図鑑を二冊持っていたからだ。本屋に行った時、時々おばあちゃんが図鑑シリーズを買ってくれたのだけれど、一度、間違えて同じものを買ってしまった。それで、二冊になったのだ。そのどこにも、背中に宝石を背負う動物の話は無かった。
えーとね、つまり。
ようやくエンジンがあったまってきた私の頭を使い、状況を総合的に、多角的な視野から分析すると、たとえば私のパジャマには付いてなかったはずのポケットが、今来てる魔法使いみたいなマントにワンピースの服には付いてる事とか、一度も履いたことがないデザインのブーツを履いているのにぴったりな事とか、この間切ったはずの私の髪が肩にかかっている事とか、さっきの動物とか、あれだね。
「もしかしなくても異世界だー!」
私が叫ぶと、色とりどりの鳥達が驚いて飛び立った。
作者です。
多分、数日おきの投稿になると思います。
完結まで読んでくれたら嬉しいです。