犬
何故かシリーズ化してしまった「月の恋人」の新作です。
今回は田舎が舞台です。
三万三千文字、二十話。
楽しんで戴けたら、倖せです。
坂本逢魏都は家の裏に広がる森林に覆われた山中を薪ストーブにくべる枯れ枝を拾いながら散策していた。
季節は木々の枝が芽吹く春。
空気はすっかり刺すような冷たさは失せて、ひんやりと頬を冷やす程度だった。
逢魏都は聞き慣れない音に反応して耳を澄ませた。
金属がぶつかり合う音だ。
増えすぎた鹿を捕まえるのに村の誰かが掛けた罠に鹿が掛かったのだろう。
逢魏都は音を辿って枝を避けながら進むと、どうやら罠に掛かったのは鹿では無いらしかった。
銀色の影がもがいていた。
近付くと逢魏都の気配に気付いた銀色の生き物はそのしなやかな身体を構えて、唸り始めた。
更に近付くと、それは毛並みが銀色の大型犬であることが解った。
逢魏都は頬の傍に拳を震わせ叫んだ。
「きゃっわいいーーーっ!! 」
黄色い声が山中に轟いた。
銀色の犬は驚いたのか唸るのを止めてしまった。
「お前、何処から来たのお?
莫迦だねえ、こんな単純な罠に掛かるなんて
今、取ってあげるから噛み付かないでよ」
逢魏都は地面に四つん這いになって、ゆっくりと犬に近付いて行った。
傍まで行くと逢魏都はそおっと手を伸ばした。
犬は噛み付く気は無いらしく、しきりに上を向いて鼻をひくひくさせている。
逢魏都が罠に触ると犬はまた唸りだした。
「何よ、罠を解いてあげようってしてるのに」
逢魏都が犬を振り返ると犬は逢魏都とは全く別の方向に向かって唸っていた。
犬の目線を辿るとそこには冬眠から目を覚まし、腹を空かした黒く大きなヒグマがこちらの様子を窺っていた。
逢魏都は息を呑んだ。
こんな大きなクマに襲われたら命があっても五体満足ではいられないだろう。
とにかく犬を逃がそうとクマの目から目を離さない様にして罠を外して態勢をクマに向けた。
目を離したら最後、クマはすぐさま襲いかかって来るだろう。
クマは威嚇するように立ち上がり逢魏都を見据えている。
『ちょっと最近、太りぎみだからかな
美味しそうに見えるのかも
ダイエット真剣に考えとけば良かった
今頃言っても遅いけど······』
逢魏都はクマを睨み付けながら、そんな事を考えていた。
唸っていた犬がクマに飛び掛かる。
だが犬は空中でクマの手に払い除けられ、キュウンと情けない声と共に地面に転がった。
思わず逢魏都は転がった犬に目を奪われ、クマから目を逸らせてしまった。
クマは逢魏都に襲いかかろうと四つ足で構えた。
その瞬間、犬がクマの背中に飛び乗って首を唸りながら噛み付いた。
逢魏都は指を、祈るように組んでその有り様を見守った。
クマが驚いて立ち上がると、犬は首に噛み付いたままクマの背中にぶら下がる。
クマは唸りながら身体を揺すって犬を振り落とそうとするが、犬も振り落とされまいと噛み付いたまま左右に振り回された。
クマと犬の唸り声が襲いかかる様に辺りに響いて、逢魏都は恐怖で足がすくむ。
クマは逃走した。
走り出したクマから離れて犬は地面に転げ落ちる。
逢魏都はクマが見えなくなると犬に駆け寄った。
「わんくん、大丈夫? 」
近くで見ると犬の腹は血塗れで何処に怪我をしているのか解らないほどだった。
「有り難う
助けてくれて有り難う」
逢魏都は犬の頬を指先で撫でた。
犬は閉じていた目を開くと逢魏都を一瞥して気を失ったようだった。
逢魏都は犬を抱えた。
大型犬を抱いて山中を歩くのは骨が折れた。
ふうふう言い、休みながら山を下り、家に連れ帰った。
家に入ると逢魏都は一端食卓テーブルの上に犬を置くと窓の傍にシーツを丸めて置き、その上に犬を寝かせた。
動物病院に連れて行きたい処だが、この村に動物病院など無かった。
家畜が病気になると隣街にある家畜専用の動物病院から獣医が暇を見て診に来てくれるのだが、逢魏都はそこの獣医が嫌いだった。
救急箱に入っていたガーゼを切って濡らすと丁寧に血を拭きとって行き、キズを見つけるとキズ薬を塗って包帯を巻き付けた。
罠でキズ付いた脚にも薬を塗り包帯を巻いた。
一通りの事を済ませると逢魏都は出掛けた。
あたりは田んぼと畑ばかりの農村で、隣の家に着くまでには何百メートルも歩かなければならなかった。
逢魏都は景色を見ながら歩いた。
田んぼの畦道にはタンポポが緑に黄色いアクセントを添えている。
逢魏都は一軒の農家の広い庭に突っ立った。
黙って突っ立っていると大きなひさしが付いた帽子にモンペ姿の女が家の中から出て来て言った。
「逢魏都ちゃん悪いねえ
すぐ田んぼに行って田植え手伝って貰えるかい? 」
逢魏都はこくんと頷いて田んぼへ行った。
女は遠ざかる逢魏都の背中を目で追いながら、ボソリと言った。
「相変わらず愛想の無い娘だねえ」
逢魏都が田植えの手伝いを終え、家に帰って玄関から覗くと犬はまだ目が覚めないようだった。
陽がもう遠くの山の陰に沈みかけ雲を朱く染めている。
逢魏都は農家で貰った野菜を玄関先に置いて納屋に行った。
納屋にはメス牛が一頭と羊が一頭、雌鳥が一羽いた。
メス牛には舎利拂、羊には阿闍世王、鶏には目連尊者と、何とも大仰しい名前が付いている。
逢魏都は木箱に腰掛け、目を輝かせ、家畜たちに話し掛けた。
「舎利拂、阿闍世王、目連尊者、今日はお客さんが居るんだよ
クマから助けてくれたわんくん!
凄かったんだあ
今にもワタシに襲い掛りそうなクマに飛び掛かって行ったの
でも怪我をしちゃってね.......」
逢魏都は生き生きと成り行きを家畜たちに話して聞かせた。
それから畳四十畳分ほどある畑に行って、異常が無い事を確認すると母屋に戻った。
犬はまだ眠っていた。
逢魏都はシャワーを浴びてさっぱりすると貰った野菜を広げ、ソファーに座って犬を見詰めた。
犬は小さな寝息をたて腹を上下させている。
逢魏都は勢いを付けて立ち上がった。
「よしっ!
今夜はシチューに挑戦! 」
逢魏都は食卓にまな板を置くとジャガイモの皮を剥き始めた。
悪戦苦闘して作ったシチューは見事に失敗して、だまができてしまった。
逢魏都はガックリ肩を落とし、二つの皿にシチューを注ぎ、一つを犬の傍に持って行って鼻先に置いた。
「わんくーん、失敗したシチューだよーん
これ食べないとキズ良くならないよー」
逢魏都はシチューの湯気を犬の鼻先に煽った。
犬は耳をピンと立てて鼻をクンクンさせ、目を開けるとシチューを見てから頭を上げ、逢魏都を見詰めた。
「あっ、起きたねえ
キズ痛くない?
さっきは有り難うね」
犬は自分の腹に巻いてある包帯を見て言った。
「手当てを有り難う」
「え............?
いま.........しゃべった? 」
逢魏都は辺りをキョロキョロ見回した後、犬を穴が空きそうなほど見詰めた。
犬はじっと逢魏都の顔を見詰めて言った。
「ファニーフェイスだね」
逢魏都は驚いて後ろにひっくり返った。
「え..........!
ええええーーーーーっ!? 」
読んで下さり、有り難うございます。
やっと書き上がりました❗
何故か最近、やる気がでなくて困ってます。笑
コロナ、なかなか終息する気配無いですが、どちら様もお気をつけて。
今日から宜しくお願い致します。
m(_ _)m