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淹れたてのコーヒーが冷めるまで、  作者: 茶中 深也月(さなか みやつき)
3/3

下ーコーヒーが冷めた後は、

 「奴は駅の前で一服吸っていた。ほくろこそなかったが、その他は写真によく似ていたんだ」

 テーブルに置かれた殺人犯の顔を、男はにらむ。夜叉のように、慈悲なき瞳で。

「それからは真っ直ぐだ。俺は予め忍ばせていた出刃包丁で奴のふところを一刺しした。美世みよと同じ苦痛を味合わせなきゃ、俺の気は晴れない」

 

 呪いを呟くように語る男の眼は、濁りを増す。

「奴はうめきながら逃げようとした。俺は絶対に奴を殺すために、念入りに刺した。奴の背中を、ふくらはぎを、太ももを、胸を、右肩を、左腕の二の腕辺りを、左手の平を、右手の平を、首元を、顔を、脳を、胸を、腹を、首を、腹を、腹を、腹を、腹を、腹を、腹を、腹を、腹を、腹を、腹を、腹を、腹を、腹を、腹を――」

「もう充分です! 充分ですから!」

 何とか制止しようとなだめるが、男の憤懣ふんまんは止まらない。その後も僕は、朝の静かなカフェ内で、気分が悪くなりそうな恨み言を延々と聞かされた。


 数分後、何とか男は落ち着く。だが息を荒いまま、尚を内側に何か煮え切らぬものを残していた。

「……恨みは晴らした。だけど、俺はそこで冷静になっちまった。焦りを感じたんだ」

「それで、ここに来たと」

「逃げ込んできたんだよ。どうせ明日には牢屋だ。せめて最後に、妹がどんな場所で働いているかが知りたかった。こんな都会、滅多に来ることなんかないしな」


 ようやく平静を取り戻したらしい男は、僕の方へ顔を合わせて微笑む。

 その一瞬だけだ。僕は彼の中に、一介の優しい兄の姿を見た。


「あんたの隣に座ったのは、店に入った途端見えた、ただ一人だけいた客だったからだ。本当はカフェの店員さんにでも告白しようと考えていたんだが、まぁ、災難に巻き込まれたとでも思ってくれ」

 男は両の眉毛を八の字に動かし、力なく笑った。


   〇


 いつの間にか、店外には一台の警察車両が到着していた。早朝の駅前で起きた殺人だ。現場を目撃した多くの人間が通報したのだろう。

 モノクロの車両から、二名の警官が降り、すぐさま開扉かいひと共にドアベルが鳴る。

 隣の男は一切の抵抗もせずに、警官へと連れ去られる。


蠍原さそりはらさん」

 ドアの手前まで歩いたところで、男はこちらへ声をかけてきた。

 彼は惜しむようにぐるりとカフェを眺め、それから僕に目を合わせ、二言。

「ありがとうございました。ごめんなさい」

 彼は、曇り空が覆う外へと連れ出された。


 海老原えびはらですとは、言えないまま。






   〇






 携帯電話を開く。僕がカフェへ訪れてから、たったの三十分しか経過していない。

 しばらくの間、男が連れられた店外へと目を向けていた。

 その後、僕は何を意図するでもなく。

 一度だけ、指を組み合わせた。



 僕の身代わりとなった、見知らぬ大学生に向けて。



 容姿を変えて正解だった。髪は金色に染め、目はコンタクトに変え、ほくろは化粧で消したことで、親族ですら認識できなかった。

 美世には悪いことをしたと思っている。けれど仕方がない。一介の大学生に、養育費なんて払えないんだ。


 僕は微笑む。

 また一つ、この世界の悪が裁かれたことに。

 

 殺人は認められてはいけない。

 僕以外の殺人は。


   〇


 カップを手に取り恐る恐る口をつける。

 ひどく冷たい。男の話なんか聞かなければよかった。

 数分前に比べるとすっかりコーヒーは冷めきった。仕方がない、また新たに頼めばいいのだから。


 再びホットコーヒーを注文する。

 そして僕は、再び時間を持て余してしまった。

「どうしよっか」

 鼻歌交じりに、今日の予定を組み立てる。




 親友の訃報は、その直後に知らされた。

                                  〈了〉

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