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空気が凍りついた感覚を私は知らない。今回が初めてだった。17歳の女の子2人の家に黒服の大柄な男が訪れる事は。
「君がエイミ君かね」
私は危機を察知し、すぐさまエイミを家の奥に退避させた。
「誰だか分かりませんが、こんな夜更けに何の用ですか?今はお引き取りください」
「失礼。だが今は一刻を争う状況なので」
彼は玄関に立ったままでいた。背は一切曲がらず、ビシッとした振る舞いでそこにいるのだ。
「『爆裂草』!」
玄関が閃光に包まれた。非常事態の時の為に私はいつもそれを携帯している。やがて光は熱を持ち始め、彼の身体に直撃する。
「命中.......!」
「ハクメさん!誰かも知らない人にそんな酷い事──」
エイミは心配そうな表情をしてこちらへ目線を飛ばした。私は焦りを隠せなかった。
「あの人は怪しい。こんな夜遅くにここまで足を運ぶなんて、きっとあなた絡みの悪人しかいないはず」
「でも!」
爆裂草の効力が切れ、煙の中が段々と晴れてきた。しかし、男は依然としてそこにいる。
服は爆発により少し焦げていたが直立不動のまま微動だにしていない。
「嘘.......!?」
「驚かせてしまったのならすまない。確かにこんな夜中に来る方が悪いだろうからな。信じてもらえないとは思うが俺は君達に協力しに来ただけだ」
彼は見た目通りの低い声で淡々と述べた。苛立ちの様な表情にも見えたが、その奥底に誠実さを感じられるものだった。
「あなた.......お名前は」
恐る恐る私が尋ねると彼は帽子を取り、帽子掛けに投げつけながら答えた。
「俺の名はウジョウ。エイミ君を研究していたリンネ博士の元専属助手だ」
「専属助手.......」
私はハッとした。彼は私達に何か重要な用がありここまでやってきたのである。爆裂草で追い返そうとした自分を省みた。
「先程はすみません。女手二人で、私達しかいなくて」
「誰でも勘違いはするものだ。お構いなく」
エイミの方にちらと視線を向けた。彼女自身も何か覚えがあるのか、黙りこくっている。
「俺はリンネ博士とは違い、君達にどうこうするだとかの趣味は持ち合わせていない。だが君達に"伝えなければならない事"があるという体で伺った」
「その伝えなければならない事って」
彼はふっと息を荒らげた後、やがて落ち着けてから答えた。
「リンネ博士の研究資料だ。彼女が死に絶えた以上、私から君達にお伝えする事になっている。今回の件において我々の守秘義務はない。上の者からの命令だ」
彼の話を聞いて、私は確信した。実際に彼は私達の知りたい情報を持ち合わせている。エイミに取り憑いたそれに関する手がかりが掴めるかもしれないのだ。
「どうぞ上がってください。今お茶を淹れますので」
「ええ。失礼」
彼はどすどすと足音を鳴らし、リビングの方へ行ってしまった。余程緊急性が高いのだろうか、と勘ぐってしまうが今はそれどころではない。
「エイミちゃん」
「はいです」
「ウジョウさんからは離れておいてくれる?念の為に」
「言われなくともです」
彼女は彼とは離れた所に腰を下ろした。リンネ博士専属の助手であった彼に何か悪い事が起きたらそれこそ一大事だからだ。
「お茶、お持ちしました」
「どうも」
彼は出されたお茶も飲まずにテキパキと資料を整理していた。余程重要な事が分かったのだろうか。私も肝が冷えた。
「突然の来訪すまない。私も時間を意識してここに辿り着いたつもりだが」
「いえいえ、お気になさらず」
彼も急いでいるのか、終始早口だった。
「あまり長話は避けたいので本題に移ろう。先日市役所の方からエイミが雇い人としてこちらに来たと」
私は人と話すのも慣れていないので、半ばパニック状態のまま彼に答えた。
「はい。彼女には一週間の間だけここに泊めるという決まりになっています」
「なるほど。その後のお身体の調子は?」
「私自身何の影響も受けた様な感じがしません。むしろ彼女につられて元気になったぐらいです」
彼はおかしいなという風に顔を傾け、眉をひそめた。エイミにも絶対的に私の体調が悪くなるという風に聞いていた為、当然の反応だ。
「彼女に曝露すると死に至る可能性が上がるという事はご存知か」
「本人から聞いています」
「あなた自身に思いあたる節は?」
「全くありません。彼女と仲良く過ごせています」
彼は難解だという風に私を見た。やがてまた資料をガサガサと探し集めると、不可解な面持ちで述べた。
「元々我々の分野において霊的なものは説明がつかないものだ。その点においてリンネ博士は探究心が強かったのだが」
「何の話ですか?」
私が尋ねると彼は難しい表情を変えずに続けた。
「我々の研究を知ってもらうためには事前の知識が必要だと思われる。少し説明しよう」
「お願いします」
「恐らくエイミ君における周りへの致死症状というのが霊魂によるものだとするならば、現在の我々にはどうする事もできない。今の科学では霊魂の存在を証明できず、原因が分からなければ特効薬も作れないからだ」
「そうですか.......」
私は愕然とした。彼女がこのまま死神に取り憑かれたままであるならば誰を頼ればいいのだろうか。
教会に行って何らかの祝福を受けようにも門前払いされるだけである。お祓い等もさほど効果が出るように思えない。
「しかしリンネ博士だけは違った。彼女は科学の限界に挑戦しようと試みた」
「リンネさんが」
「彼女は興味があれば解き明かすまで研究を辞めない人だ。ある意味執念深いとも言える」
「それで、リンネさんは何か掴めたんですか」
「リンネ博士はまず色々な種類の生物を彼女に曝露させ死に至るまでの時間計測を試みた」
「どうなりましたか」
「死ぬまでの平均時間はそれぞれあるものの、全て原因不明の吐血により死亡した」
致死率100%。この4日間密接に関わってきた分、恐ろしさは痛感していた。
「それでも他に手がかりはあるんですか?」
「色々彼女なりに研究は重ねたのだろう。データベースにも大量の研究資料がある。ただ──」
彼は言いどもり、不甲斐なさそうな顔で下を向いた。
「有効な対策が立てられる程の研究資料は残っていない。あったとしても確実性のない情報ばかりだ」
「じゃあ、どうすれば.......」
「もっとも、リンネ博士は研究の中で無駄死にした訳ではない。彼女はこの機械を遺していた」
彼が取り出したのはメガネ型の装置だった。生き物を認識すると情報を文字としてグラスに写し出す高性能なものである。
「今、俺はエイミ君の方を眺めている。彼女には真っ黒な死のオーラが渦巻いているのを確認した」
「なんでそんな事が分かるんですか?」
「分かるも何もこの装置が確かな情報を提示してくる訳ではない。霊魂を証明出来る材料がない以上、試験的に利用しているだけだ。リンネ博士自身も『この機械はあまり信用するな』とだけ書き遺していた」
その後、彼は私の方へと目線を移した。冷静であった彼の顔が一瞬にして歪んだ。
「何だと.......!?このような表示は仕様書にも解析データ上にも存在しない」
「何が書いてあったんですか!?」
私は尋ねたが彼は答えようとはしなかった。髪をぐしゃぐしゃとかき乱し、耐え難いような苦悶を表現した。やがて何かを悟ったかのように私達に言うのだった。
「俺も科学者ではあるが、世の中には理屈だけでは証明できない事がある。装置の一時的なバグの可能性もあり信じたくはないが、思い知らされたよ」
「どういう事ですか。説明してください」
「少なからず君達はここにさえいれば安全だ。誰かが死ぬ事もない。俺が保証する」
彼は手早い動作で装置と資料を片付け席を後にした。あまりの非常事態にここまでぽかんとした顔で見ていたエイミも反応した。
「なんて書いてあったです!?ウジョウさん!」
「"捨てる神あれば拾う神あり"という故事があるだろう。それと似ている。死ぬ神があるならば生きる神もあるという事だ」
彼は吹っ切れた様に早歩きで玄関先へ向かい家を後にした。嵐が去ったような感覚だけがこの部屋に残った。
「ハクメさん。どういう事です?生きる神って」
偶然というものを私は信じていなかったのだが、科学主義者の彼ですら一時的にでも認めざるを得なかった事だ。私には彼が何を言っていたのかを理解できた。
「エイミちゃん。あまり信じたくないけど」
「ハクメさん!」
「私、生神様が取り憑いて──」
帰りの車の中、ウジョウ氏は高笑いをしていた。今まで続けていた研究を全て無駄にされた時の狂気的な笑い方だ。やがて我を取り戻したのか落ち着いて言い放った。
「まさかこの出鱈目な装置が全ての辻褄を合わせるとは思わなかった。これには記録映像が残っている」
彼は運転しながら装置で録画した映像を車内モニターに転送し、映し出す。
「やっぱりだ」
その映像で彼がハクメに目線を移した時、真っ白いオーラが観測できた。エイミとは真逆の色を醸し出すものだ。そこに紐付けされた情報欄には『live』の4文字だけが浮かび上がっていた。