あの日渡した贈り物の意図を私達はまだ知らない
今日は一段と朝が早く感じられた。エイミと一緒に過ごし始めてからも特に変わった事は無く、平穏だった。むしろ、彼女自身も作業の覚えが早くて助かる。
「おはようです」
「おはよう。もうご飯はできてるよ」
「いただきますです」
今朝の準備もささと終えて、すぐに食卓につく事ができた。まだ日差しも柔らかく、眩しいという程でも無かった。食事を始めてすぐに彼女は口を開いた。
「ハクメさん」
「どうしたの?エイミちゃん」
「パンも野菜も薄味なのに凄く美味しいです!」
「あぁ、この土地は自然豊かで大地も栄養を蓄えてるって私の親も言ってたっけ」
「家族.......いたんです?」
深刻そうな顔をした問いかけに少し胸が苦しくなった。私の親は既に病気にかかり、亡くなっているのだ。
「いたよ。とっても優しくて立派だった」
「ハクメさんのご両親さんだから当然です」
「でも最近不思議なんだ。顔や形まではしっかり覚えているのにそれ以外の事を覚えてなくて。私が小さい時に亡くなったから」
「そっかです」
彼女は私の心情を察したのかしゅんとした顔つきでパンを齧った。いつもより一口が小さい様にも感じた。
「でも気にしてないよ。私の為に父と母はこの広大な農場を遺してくれた。それに今はエイミちゃんがいるし」
「えへへ。私で良ければ光栄です」
お互いに照れ臭く笑った。こんなに笑顔が眩しい子に死神は憑いているのだろうか。正直言って私は全く信じる事ができなかった。
「そういえば、体調の方は大丈夫です?昨日もお疲れでしたです」
「うん、もう大丈夫だよ。今はまだ影響が出てないみたい」
むしろ、良くなったぐらいである。彼女は農作業以外にも色々な事をしてくれた。掃除や洗い物は勿論の事、近頃眠れなかった私の為にお手製の枕まで作ってくれたのである。
ここまで気遣いができる子だと、逆に彼女自身も無理していないか心配になる程でもあった。
「ここの生活は楽しい?」
私が聞くと、少し考えてから彼女は答えた。
「少し不便になった所もあるですけど、ハクメさんが優しく教えてくれるですから楽しいです!」
「素直でよろしい」
電気やガス、水道すら通ってない場所で都会っ子が生活するのは無理があるとは思っていた。それでも彼女なりに楽しく過ごせているのならそれで良かった。
「そろそろ今日の仕事に入りましょうか。お片付けしないとね」
「ですです!」
朝食を済ませ、私達は作物の収穫に出かけた。外は風が気持ちよく、日差しも暑いほどではない都合のいい天気だ。
「髪留めあるけど、いる?」
「大丈夫です」
エイミは髪が長いので少し風が吹くとそれはゆらゆらとなびく。私はそれもまた彼女の魅力だと思って密かに眺めるのが好きなのだった。
「ハクメさん、私の髪をジロジロ見てどうしたです?何か付いてるです?」
「い、いやぁ。別に.......エイミちゃんがいると本当に助かるなって」
「そうですか。私、ハクメさんの為ならどんなお仕事でもこなせちゃうです!」
彼女は軽快に農場を歩き回った。今年は収穫する作物の数も種類も多いので、1人作業より遥かに心強かった。
「エイミちゃん、これ」
「なんです?」
家に来てから色々してもらったお礼にと、私は花束を彼女に捧げた。
「赤いお花と白いお花。この世界だとこのお花の名前が分からなくて」
「凄く綺麗です!ありがとです!」
彼女はぴょんぴょんと跳ねて喜んでくれた。都会っ子にお花あげて喜ぶかなと不安だった私も何だか嬉しくなる。
「私、このお花の名前知ってるです」
「何て呼ぶの?」
「ツツジって言うです。何処かで読んだ事があるです」
「そうなんだ。私、あの家と農場しか無いからあまり知識も無くて。親が遺してくれた本棚にはお花関係の本が少なかったんだ」
私はふうとため息をついた。この土地でしか生きてこなかった弊害がここで出てしまったと思うと情けない。
「でも私の為に工夫して採ってきてくれたんですよね?ちゃんとその気持ちは伝わってるですよ!」
「エイミちゃん.......ありがとね」
「お礼を言うのはこちらの方です!」
彼女は元気ながら心優しい子で救われた。今まで孤独だった感情が一瞬で何処かへ消えてしまう様な感覚。私の知らない何かがそこにあった。
「私も正確にはこのお花について知らないですから、帰ったらまた調べてみるです」
「うん!丁度お仕事もいい頃合いだし、休もっか」
今度は私の方が気分が良かった。鼻歌なんかするキャラでも無いのに、つい鳴らしてしまうのだった。
「ハクメさんもご機嫌ですね」
「エイミちゃんが来てから、いい事だらけだよ」
話を重ねていく内に私達は家に着いた。休憩がてら彼女は2階にある書斎の方に潜り、花に関する図鑑を持ってきたのだった。
「この本によれば、きっと書いてあるです」
「どこで見つけたの?それ」
「上の方に積まれてあったです。椅子を使って取ったので少し苦労はしたですが」
彼女がパラパラとページをめくると、私があげた花と同じ画像が載っているページが見つかった。
「やっぱりツツジです。赤色と白色がありましたですが、どちらも同じ種類ですね」
「同じ種類のお花だったの!?知らなかった」
綺麗だなと思ったものを無作為に取っていたので、被らないとは思っていた。
「ツツジ科の植物で、花言葉は.......」
私は顔を覆った。別にそんなつもりで渡した訳ではないのである。照れ屋なので赤い顔を隠しきれず、頭の上から湯気がぼっと出た。
「ハクメさん?」
「いや、あの.......別に『恋の喜び』とか『初恋』とかそういうつもりで渡した訳じゃないから!」
「なんだ、そうだったですか」
こんな偶然あってたまるか、と思うばかりだ。確かにエイミに対して私は最近好意的にはなってきた訳ではあるが──。
「別に隠さなくていいです。好きな気持ちは正直に言った方が気が楽です」
淡々と返してきた彼女を見てまた顔から火が出た。しかも弱みを握ったと言わんばかりにニヤニヤし始めている。既にバレバレであった。
「照れすぎて爆発しそうなんだけど」
「意地悪し過ぎたですか!?とりあえず落ち着くです!」
彼女も何か察したのか彼女は冷たいお水を汲んできてくれた。それを私はぐいっと飲んで気持ちを抑えた。
ここまで照れているとはいえ、別に私は秘密主義という訳ではないのだ。単に好意的な気持ちを隠しておくのは淑女において当たり前な事だと認識していただけである。多分。
「でも良かったです。私の好意が空回りしてたらと思うと心配でしたです」
「エイミちゃん.......」
一応、この子には死神が取り憑いているという話である。しかし、私は彼女を抱きしめていた。自分の中で何かが壊れて身体が言う事を聞かなかった。
「あの.......流石に真昼間からそういうのは、です」
「いいから。もう少しこのままでいさせて」
静かな部屋の外で小鳥がちゅんちゅんとさえずっていた。この後も微妙な空気が流れ続けたのは言うまでも無い。
時は過ぎ、午後の仕事も済ませた私達は疲れた身体を引き摺って家に戻った。エイミちゃんは体力がまだ残っているのか、余裕がある様にも見えたが、私の方はヘトヘトである。少しつついたらドミノの様に倒れていきそうだった。
「ハクメさん、農作業は慣れているんじゃないですか?」
「慣れてるけど.......この時期になるとどうもね」
私は椅子によっこいしょ、と掛け声を出して座った。同年代の女の子同士なのにさながらおばあちゃんと孫の様だ、と心の中で反芻すると何故か笑ってしまった。
「でも、何とか4日目も過ぎましたですね。後3日で正式にお世話になるです」
「もうそんなに経った?」
私は元々カレンダー類は見ない主義である。農場で自給自足をしている時点で社会的な暦に頼らずとも時間の流れで覚えてしまっているものだ。
「身体に不調はないです?」
「特には無いけど.......本当におかしいよね」
「おかしくなんかないです。私達はきっと本当に運命の巡り合わせだったのですよ」
「またまた」
そんな訳ない、という否定を込めて私は笑った。けれども相手は既に何人もの命を奪った死神である。私だけに何も起こらないというのは明らかに不自然だ。
「エイミちゃん、今度さ──」
言いかけた時、玄関の扉ががドンドンとノックされた。力強いノック音だった。
「はーい」
エイミはすぐに玄関口へ向かった。だが、私にはすぐに嫌な予感を感じ取っていた。怪しい。
こんな夜更けに今まで17年間誰も訪れなかった田舎の農場に誰かが来るはずがないのである。
「エイミちゃん!開けちゃ駄目!危な──!」
彼女が扉を開くと、そこに立っていたのは肩幅が広いスーツ姿の男性だった。二重顎で七三分けが光り、ネクタイをギュッと締めた跡がある。いかにも営業をしているといった風貌だ。
「君が、エイミ君かね」
私達は震え上がった。何かよからぬ事が起きてしまうのではないかという不安だけが脳裏を過ぎるのだった。