26話 検証 2/3
「買えた……」
スーパーの中は……こんな格好だからワンピースの内側まですーっと寒かったけど、自動ドアのちょっと外に出たとたんに熱気が顔にぶわっとかかってくる。
ちょっとだけの時間差で布1枚の内側の涼しさが失われていく。
こんな格好もちょっとだけ役に立つらしい。
ズボンだったらこうは行かないもんな。
でもそんな僕が持っているのは缶ビール。
重いもんだからもちろん両手でしっかりと。
「…………………………………………」
人のジャマにならないすみっこに移動してほんのりと冷たい缶ビールを眺める。
シールが貼られていて、お財布にはレシートも入っていて、つい1、2分前に間違いなく僕がお店の人の許可を得て対価を払って手に入れた、これ。
……幼女のはずの僕が出した免許証を見て、ほんの数十秒だけおかしくなって……でもごく普通に、年齢確認の必要な商品を僕が買えた。
買えちゃったんだ。
それを改めて自覚するにつれてへにゃりと力が抜ける感覚がする。
スーパーから出入りする人たちがちらちらさっきみたいに僕自身に注目して、さらに角度的に僕の持っているおかしなものが見えた人はそこで初めて変な顔をして……けれども僕に話しかけることもなくみんな素通りしていく。
都会だから話しかけられないのか、それともこんなところにまで魔法が掛かっているのか。
……いっそのこと誰かに話しかけられたらよかったのにな。
「子供がそんなもの持ってちゃ行けません」って。
でもそこで「大人なんですけど」って言ったらおんなじようになるんだろうな。
「…………………………………………」
――昨日お酒が入ってきてぼーっと空になった瓶を見ていて思いついたのはこれだった。
「男だ」って僕が言うだけで認識が変わって魔法さんが腰を上げるのなら、僕のことを知らない人に対しても元の僕じゃないとNGなこともできるんじゃないかって。
具体的にはお酒っていう今の僕じゃ絶対に対面では手に入れられないであろうモノ。
そういうモノを今の僕が面と向かって手に入れられるかっていう実験だ。
でもよく考えたらなんで僕ビールなんか買っちゃったんだろう……炭酸ダメなのに。
どうせならカップ酒とかにしておけばもっと持ちやすかったはずだし、それにここで飲めたのに。
僕はこういうときに限って変なことしちゃうんだよなぁ。
「しょうがない」
適当なところにビールさんを置いて歩き出すことにした。
どうせ持っていても飲めないしな。
ちょっともったいないけどしょうがないよな。
運がよければ誰かに飲んでもらえるだろう。
そう願う。
立派な不法投棄だけど新品だからきっと大丈夫っていう根拠の無い理屈を付けておく僕。
手のひらだけ冷たくなっていた僕は人混みに紛れようとしたけど、普段とは違って派手な格好になってる僕は少しだけ遠巻きにされる形になる。
人からは見られるけど今までみたいにみんなからぶつかられる心配は無いのか。
こうしてみないと分からないこともあるんだな。
……さっきのお酒を買うって言うのは、もし魔法さんが掛からなかったらアウトな行動。
でも、「それじゃ良いです」って言ってエア父さん宛てのエア電話でもしながら離れれば大丈夫だろうっていう目算で動いたんだ。
当てが外れて「ちょっと奥まで来てくれるかな?」とか言われたとき用に、今こそって感じでコネな萩村さんのところをセットしておいたけど無駄になって良かった。
身元引受人無しでお巡りさんのところに行くよりかはあの人たちにお世話になる方が良いって判断。
今確かめないと行けない気がしてたから、ちょっとだけ無茶なことをしてた気がする。
でも多分大丈夫だろうなって気持ちの方が大きかったからの賭けだった。
だから拍子抜けっていうよりは思った通りだったって感じ。
やっぱり僕には、見えないナニカ――魔法が掛かっているんだ。
さっき僕が成人してるって見せた途端、店員の人の目がやっぱり暗くなるっていうかどす黒くなって、どこ見てるのかわからない感じになって……ちょっとだけ硬直して、けど今回はおかしなことを話し出したりはしなくってすぐに僕を今の僕を前の僕だって――大人だって認識していた。
写真や生年月日から何までどう見ても今の僕と合わないのにね。
そういえば……後ろに並んでいた人とか周りにいたはずの人たち、あのときは気に留める余裕がなかったけどなんにも言われたりしなかったあたり、やっぱりおんなじようにになっていたんだろうか。
それとも僕たちの会話とか僕が買おうと奮闘していたモノとかが気にならないっていう認識だったんだろうか。
ちょっと時間が経ってくるといろいろと浮かんでくるけど、これはまぁたいしたことじゃないし後回しでいいだろうし。
……ということで本題だ。
◇
「……ではもう一度ご確認いただけますか?」
「はい」
何度か来たことのある大きめの銀行の応接室のひとつ。
今の僕にとってはおしりをぎりぎりまで浅くしてもまだ不安定な居心地の悪いソファから身を乗り出して、もらった書類を見つつ言う。
なんでお役所とかこういうところってやたらといっぱい書類があっていちいち日付とか名前とか判子押すんだろうね。
実印とか銀行印とか分かんないからまとめて持って来た判子が手元に転がってる。
社会に出てないからそういうのが分かんないんだ。
「今回は……定期預金のうちの一部のご解約でよろしいでしょうか? 前回と前々回にお引き出しがなかったので手数料などは……」
「はい。 少し入り用なので。 残りはそのまま継続で結構です」
こうして引き出すのが大学の学費とか以来だからちょっと聞かれたけど「生活費に使うから」ってだけでオッケーだったみたい。
まぁ大人って認識されたらそうなるよね。
そこまでの金額でも無いしな。
「そうですか。 もう成人されているわけですし、当初のスケジュールよりも引き出す金額がだいぶ低いのでこれ以上の手続きは必要ありません。 ただ、以前にもお話しさせたいただいた通りに残額に関しましてもオンラインや郵送だけでは……」
「ここに来て今みたいな手続きをすればいいんですよね。 大丈夫です」
僕の定期預金に関してはいずれにしたってここに来なきゃならないらしい。
なんでもちょっと特殊な状況で得たお金が混じっているからだとかなんとか。
そんなわけでめんどくさい法律に従ってこれまでに1、2回聞いたことのある文言をぼーっと聞きながらしばらく。
「承知しました。 それではただいま書類のほうを」
「あの。 このとおりカバンなどを持ってきていないので家に届けていただいても?」
試しに両腕で袖のリボンをひらひらさせてみる。
「……もちろんです」
その反応は……生暖かい……ほほえましい感じで見られただけだった。
目の前に座っていたレンズが分厚くって色がかすかについている……この部屋に入ってからしばらくの雑談で老眼がきついって言っていたっけ、そんなメガネをしている初老の銀行員のおじいさんに近いおじさん。
相続とかのときからの付き合いだからかれこれ10年以上の顔見知りの人。
顔を合わせたのは数回くらいでしかないけどいろいろと衝撃的だったからなんとなく覚えている感じのおじさん。
僕がちゃんと覚えてる数少ない人のうちのひとりだ。
……父さんが生きていたら……そろそろとこういう雰囲気になってくる年ごろだったんだろうか。
「………………………………あの」
「はい? なにか疑問点など」
「いえ、ずいぶんご無沙汰していましたので。 20になるまでは叔父と来て毎年のように顔を合わせていましたから。 …………以前は、父と母のときからお世話になって」
「とんでもございません! 響様のお父様やお母様からも、……あのとき以前からずっと、私どもこそお家のことなどでお世話になっておりまして」
……この人も前の僕を知っているひとりで。
「……僕。 前……10年前のときと比べて、どう…………ですか?」
「はい」
受け付けの、背伸びをしないと差し出せなかったからいらっとしたカウンターで用件を伝えて免許や通帳を見せたときも、待合室で別の人に案内されたときにまた見せたときも、このおじさんに会ったときに僕の名前と父さんたちの件とそしてもう1回通帳とかを見せたときも、店員さんとおんなじ反応。
「あのときも好青年だと……突然のことに見舞われた中学生の方にしてはとても落ちついた話し方をされてご立派だと思っておりましたが。 今も変わらずに……いえ、ずいぶんと『かわいらしく成長されていて』! えぇ、きっと亡くなられたお父様がたも喜んでいらっしゃると思いますよ」
「…………そう、ですか」
男がかわいらしく成長。
立派じゃなくて、かわいらしく。
それを、両親が喜ぶ。
どう見ても小学生に遡っていて性別が変わっていて、脱色していてふりふりなワンピをきた僕に対してごく自然な感じで言っていて、それがおかしいって思わないらしい。
ひとつの会話で矛盾したことを言っているのはやっぱり昨日と同じだ。
いちいちねちねち指摘したらきっと昨日のお隣さんみたいになるんだろう。
前と今について立ち入った質問を投げかけなければ、こういった矛盾しつつも違和感を持たずに接してくれるっていうのがもうわかっているから、あえて今そうする必要もない。
◇◇
セミの声がうるさい。
じーじーとうるさい。
ふてくされた僕の耳にはそういったどうでもいいことばっかりが響いてくる。
閉まったばかりの自動ドアを振り返ると、微妙に眉間にしわの寄っているロリータが映っていた。
なるほど……これくらいいらっとしていてもこのくらいしか表情が変わっていないのか。
どおりで着せ替え人形のときのアピールが伝わらなかったわけだ。
よーく見て見ないとわからないほどのわずかな変化しか現れていない。
「…………………………………………」
ドアを見ながら眉間をもみもみしていたら通りがかった大人に笑われてしょげる。
男がお店のガラスとかで髪の毛直していても見られるだけだけど、見た目の通りの子供だと途端に好意的すぎる反応。
人って見た目だよなぁ……。
その他大勢って言うとっても楽なポジションで生きてきた僕にとってはめんどくさいことこの上ないけど、その見返りにいろいろお得があるって思うと満更でもない気がしてくる。
でも着替えるたんびに店員の人と話し込んでいたかがりを思い出しているうちに「あのときに比べればいくらかはマシかな……」なんて思い直して機嫌も戻ってきた。
あの子たちと過ごした、どうでもいいけどほのかに楽しかった夏休みを振り返りながらとぼとぼと残暑の中を歩く。
持って来た通帳……そこにはしっかりと、贅沢しなければ次の次の期限まで何もしなくても生きていけるだけのお金が数字でばっちりと記録されていた。
それは、当初どうしようかって悩んでいたお金の問題が解決しちゃったってことで。
……ここまでのお金がちゃんと動いたんだ、どう考えてみたって否定できる要素がなくなった。
魔法さんの効力は確かで、僕が幻聴とかそういうわけじゃないんだ。
僕の姿だけを初めて見た場合、見た目通りの……もうロリでいいや、今はそういう格好だし……だって認識する。
で、こうなる前からの僕を知っている場合には「雰囲気が変わった」程度の認識止まり。
見た目の齟齬についてはなにひとつおかしいって思わないんだ。
……帰り道にもいくつか実験をしてみた。
別のスーパーとか服屋とか、本屋とか駅員さんとか、そういうばらばらな人たち相手に試してみた……けど、知らない人でも結果は変わらなかったんだ。
反応が人によってばらばらだったのは要検証かも。
性別と年齢のどっちかだけが今の僕のままって人のほうが多かった感じだったし。
男だっていう認識をしつつ、けど女だとも思っているみたいだっていう、整理しようとすると僕のほうがこんがらがりそうなことになるくらい相手によるとしか言えない様子だったし。
「なんだかなぁ……」
この半年間の苦労は何だったんだろう。
なんか気が抜けた感じの僕は気だるげな銀髪の少女っていう形になって、ガラスの向こう側から見つめ返してきていた。




