25話 発覚と発覚 2/4
「響くん?」
聞き慣れたはずの声が聞き慣れた感じの世間話をしてきている。
「この春はぜんぜん見なくってみんな心配していたんだけどね。 でも夏休み前からかしら? あぁ、もう学生さん……じゃないから梅雨が明けたくらいって言ったほうがいいのかな? 暑くなってきたころからお出かけが多くなっていたものねっ」
「ええと……」
「あ、そうそう、みんなで話していたのよ。 響くん、昔から冬はよく見かけるけど夏はめったに見なかったのに今年は逆なんだ、珍しいねーって。 ——さんとか——さんなんかは響くんとご挨拶できなくて寂しいって言っていたわよ? 今どき珍しくあいさつをちゃんとできて硬派でまじめな好青年だから、なおさらに心配だって」
「…………、あの」
女性特有のお話しするスイッチがかちんと入りかけていたから強引に割り込む。
普段は遮ったりせずに話したいだけ話させて適当な相づちを打つフリをして満足するまでしゃべらせておくんだけど、今は……事情がちがう。
僕には……知りたくって知りたくなくって、でも……知らなきゃならないことがあるんだ。
「あら?」
「その。 「僕」が………………「響」だと――――――――分かるんですか……?」
さっきとはまた違う感じの汗がとっくに冷たくなってきた背筋をまたつつーっと流れ、ぱんつに吸い込まれる。
さっきは、今の僕が前の僕に、成人男性の家に幼女がひとりで来ていることをとがめられるかもってことしか頭になかったんだけど……彼女は、お隣さんは、奥さんは、僕のこと。
こんなに姿が変わっているのに僕のことを、……そういえば、はじめっから。
腰まで広がって狭まってそれからぶわっと広がって見えていたはずの、色の長い髪の毛を見てからずーっと「僕」のことを――「響くん」って、呼んできた。
身長も体重もぐっと小さくなっていてとっても苦労している、別人の顔になっているこのミニマムを。
「いやぁね、ボケにはまだ早いわよ! うちのおばあちゃんじゃないんだから!」
「あ、はい。 飛川さんは娘さんがいるようには見えないくらいにはお若いですけど」
久しぶりにお隣さんの名字を口にした気がする。
多分僕が今の僕になってからは初めてだもんな。
「あらやだ響くんったら!! いっつも上手なんだから!」
「いえ、本当ですから」
まだ40にもなっていないはずだしな、たしか。
僕のいなくなってしまった母さんの代わりをしなきゃって変な義務感があるらしく、事あるごとにお母さん風を吹かせてくるし母親のように接してくるけど……いや、僕としては近所のお姉さんって意識しか未だに持てない。
よそ行きの格好をすれば普通の大学生にしか見えないし。
お化粧控えめでこれだもんなぁ。
「……響くん? 私、夫も娘もいるんだからそういうこと言ったりしたらダメよー? 言っておくけど私と同じような他のお母さま方にもっ。 みんな言っていたのよ、響くんってば気を抜くとすぐそういうこと言うマダムキラーだって……あらやだ、内緒にしておこうって思ったのに」
女の人の会話では基本的に内緒なんてない。
あの子たちに揉まれて知った事実だ。
「………………ごめんね、忘れてちょうだい?」
「はぁ…………えっと、それで。 僕を「響」だと分かったのは」
「あぁ! そうだったわね」
お隣の飛川さんもまた買い物帰りだったらしく、ビニール袋をかさりと足元に置き直してから。
ジャガイモと牛乳が重そうだ。
……カレーかシチューか。
「そうそう、だって今年こそ私のほうも娘のPTAとかで忙しくって響くんと顔を合わせる機会がなかったけど、だって響くんがちっちゃいころからよく……そうね、中高生のときなんかは夫の見送りのときとかに毎朝のように会っていたじゃない? 夫と同じくらいの電車だったんだから。 見間違えたりなんてしないわ、たったの何ヶ月くらい会わなかっただけで。 『ちょっと変わっただけじゃない』」
「…………そう、ですか」
……こっそりと手をにぎにぎしてみる。
うん。
爪は薄いしちっこい、節くれがなくなっていてぷにぷにしているまんまるい幼女チックな今の僕の手だ。
はじめのころに考えていたような「僕の認識だけがおかしくなっていて周りは至って正常」だっていう仮定は成り立たないだろう。
だって体の感覚……五感のすべてがこの具合で、事実として時間あたりの移動可能距離とか体力とか食欲とか視線の低さとかその他もろもろ今の姿でしか有り得ない状態なんだ。
さんざんに苦労してきた幼女のデメリットを惜しげもなく体験してきたはずだ。
あと食費が半分とか「おつかい偉いねぇ」っておまけしてくれることがあるとか子ども料金とかの数少ないメリットも。
そのうえ半年近く付き合ってきたあの子たち……内のふたりはひと月だけだけど、でもそれだけずっと顔をつきあわせていたあの子たちの反応も、大人の男に対するものじゃなかった。
どう見たって小学生でしかない、否定したかった幼い子どもの見た目の……女の子を相手にするものだった。
じゃなきゃ家に上げたりなんてしないだろう。
いくらくるんさんだってさすがにそこまでは………………………………ないよね?
だからこそあの子たちをはじめとして出会った人たちのみんながみんな「幼女だって思い込んでいるおかしな男」を哀れんでいるからそういう対応をしているんだっていう可能性、お店の人ひとりひとりまでがそうしているんだっていう可能性と、僕がほんとうに魔法さんのせいで女の子になっているっていう可能性。
週に何回もおんなじファミレスとか中学生の女の子の家とかに……若く見られたりしたって大学生の男が加わっているなんて絶対にひと悶着起きるはずだ。
まぁ間違いなくおまわりさん、そうでなくても店員さんとかがひと言二言三言言ってくるはずだ。
だから僕の頭と体、どっちがおかしくなっているのかって言ったら……そりゃあ僕がマジックでトランスフォームしているって考えたほうがなにもかもの説明がつく。
だから……だから。
「?」
――この人は、何で不思議そうな顔をしてるんだ。
僕が本当に幼女になってるって思ったからこそ僕は僕の認識と意識と五感と……「僕自身」を信用することができて、魔法さんの機嫌を損ねないようにすることでなんとか平穏に過ごせていたのに。
見上げると口元の緩みきった飛川さんの顔。
………………………………なんだ、これは。
お隣さんは……姿の変わった今の僕を、前の……これまでの僕だって認識している?
性別が変わって人種が変わって色素が変わって年齢も顔も変わっているのに?
どこにでもいるぬぼっとした純国産な成人の男が一気に幼女になって洋物になって、なのに不審にも思わなくって「かわいらしくなった」っていうたったのひと言で、片づけている……?
おかしい。
おかしすぎる。
「……この夏はお洗濯をするのも早くにしていてねぇ。 だってみんな汗をかくからたくさん干さないとならないしすぐに暑くなるじゃない? だからだと思うんだけど響くんが朝早くからお出かけするのをよくベランダから見かけたのよ。 けど静かな時間帯に大声出すのもはしたないしって声はかけなかったんだけど」
そうか、上から見られていたのか……朝早くたってそもそも日の出の早い夏だ、みんなだって早く行動しているよな。
思いつけなかった。
いや、上方への警戒が足りなかった。
視点の低さがはっきり出ていた。
「今年は……見るたびに毎回暑そうな格好よね? 運動とか外でする趣味とか新しくはじめたりしたのかしら? 私たちみたいに体重が気になるから汗を余分にかこうとして……っていうわけじゃないわよね?」
「……まぁ、そんな感じ、です」
観察されていた。
たぶん飛川さんだけじゃなくって、もっとたくさんのご近所さんに、通勤通学の人たちに。
「まぁ! よかったわっ!」
ぽんと両手を合わせる奥さん。
「響くんって、いつも……もう何年も朝晩のジョギングとかサイクリングとかしていたし、よくお出かけとかもしていたじゃない? それなのにこの春からいきなり姿が見えなくなって」
指をくるくるとしている奥さん。
「いつものようにご旅行とか思索の旅みたいなものとかに行っているのかとも思ったけど、お家にはいるようだし……だって電気とかゴミとかいつも通りなんですもの。 昔っから判を押したみたいに時間に正確なんだから。 だからいつも響くんを見かける人たちのみんなで『病気とかしているんじゃないか』って心配していたのよ? ひとり暮らしだしスーパーでも見かけなくなったから、きちんと食べているのかって。 でも通販は前よりたくさん来るようになって……あ、そうそう、宅配のこの箱便利そうよねぇ。 場所取るしなによりそこまで私の家では通販で食材とか買わないけど。 ……でも元気そうでなによりだわっ」
知りたい情報をまとめて聞けるのはありがたい。
……それにしてもそこまで大ごとになっていたとは、そしてそこまで話が広がっていたなんてびっくりだ。
田舎じゃないんだし、みんなそこまで他人に興味はないんだってずっと思っていたんだけどなぁ。
奥さんを見上げる。
いつものようなぽやんとした顔が、やっぱり女性らしい体つきのせいでお胸のすぐ上に乗っかっている。
この人、僕より頭いっこ以上背が低かったのになぁ。
もうそろそろ娘さんに追い抜かされているんだろうか?
でもそこまで話が伝わっているんだ、もしかしたら今の僕のことも誰かに見られていて知られていたかも……いやいや、現に飛川さんはほんとうに今の僕を見て「以前の僕」だって認識しているんだ。
………………………………それなら、だ。
「………………………………」
……ものすごく恥ずかしいし間違ってたら人生の汚点になるけど今はそんなこと言ってる場合じゃない。
実験のため、さっきのおねだりポージングをふたたび。
こびっこびな、だけどガワのおかげであざとさがかけらも感じられない、幼女チックなスマイルで、声も「女の子A」とかになれそうなくらいのに調節して。
「すみません飛川さん。 実は僕、見ての通りにこの春から……、その。 イメチェン、してみたんです。 こんな風にガラッと変えて。 ……似合っていますか?」
いちいち語尾を上げてみる。
喉が痛い。
ほっぺたの筋肉がひくひくする。
それにこれ、知り合いにするってやっぱりものすっごく恥ずかしい。
顔が熱くなってるのが分かるけどなりふり構ってる場合じゃないんだ。
前の僕は、いや今でもなんだけど愛想というものをする必要性は感じているけど、めんどくささと比べちゃってやっぱ適当でいいやってなってだるっとした話し方と表情しかしなかったはずだ。
少なくとも中学生とかあたりからは。
だから今のシニア層ならイチコロ(証明済)な演技なんて見たことがないはずだ。
奥さんは、僕をちっちゃいころから知っている飛川家の奥さんは――どう反応するんだろう。
「まぁかわいいいっ!? 響くん、とってもかわいらしいわっ!! もちろん似合っているわよ!」
「………………………………」
……どうやら本心から言ってるらしくって、かがりに引っ張られていった猫カフェにいる女の人みたいに顔がとろけきっている。
ということはつまり僕のことを、ほんとうに女の子って見えて?
いやでもお隣さんはずっと僕のことを男だって知ってたはずで。
「あの、でも飛川さん。 飛川さんは『僕が男』だっていうのはご存じ◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆◇◇◇――――――――っ!?」
僕が、その言葉を発した瞬間。
また、あのヘンな感覚。
それと同時に奥さんの、とろけて娘さんそっくりになっていたはずの顔からいきなり一切の表情がなくなって両腕もすとんと落ち、その勢いで肩にかけていた髪の毛もずり落ちて。
そしてさっきまで僕の髪の毛を、顔をしげしげと観察していた彼女の大きな瞳はさらに大きく見開いていて揺れていて――「僕」ではない「僕」を見ているかのようにどこか遠くを見ていて。
光を写さなくなった瞳は、がらんどうになっていた。




