23話 山/山 2/4
僕は偉い。
僕は痛みに耐えているから偉い。
上を向きすぎて首が痛い。
無理やりに作った笑顔のせいで顔が痛い。
微妙に体全体を反らさないといけないから背中まで痛い。
偉いって言い聞かせても痛いものは痛いんだ。
もういやだ。
帰りたい。
けど帰るのもいやだ。
「まー! ひとりで写真を撮りに? えらいわねー」
「慣れてますから」
髪の毛の色で驚かれるのにも慣れてる。
「親御さん……お父さんかお母さんは一緒じゃないの? そう?」
「慣れてますから」
必ず近くにいるはずの親とかを探されるのも慣れてる。
「いつもなの? でも気をつけたほうがいいんじゃない? 近頃物騒よ?」
「慣れてますから」
最近物騒って僕が産まれる前からみんな言ってるらしいよ?
「時間あるし着いて行ってあげようかな。 私たちは時間あるし」
「慣れてますから」
せっかく早く来たのになぁ……お年寄りの方が行動早いもんなぁ。
何がお年寄りを労れだ、幼児を労れ。
「大丈夫じゃない? これだけしっかりしてるし……わたじまだ若いころもそうして遠くまでひとりで行ったものよ。 あらやだ」
「慣れてますから」
「あ、疲れたら甘いものよ? 低血糖は登山の敵なの。 あとで食べてね」
「慣れてま……あ、ありがとうございます」
おんなじ顔をしておんなじ対応を数え切れないほど繰り返す。
僕の両手に乗せた帽子の中にはごっそりとアメやら何やらがこんもりと。
足りない分はリュックにぎゅっと押し込められて積載重量オーバー気味。
でももちろん拒否権はない。
善意という名のただの余りものの投棄なんだ。
人って良かれと思って行動するとかなり強引だよね。
だからいつもネットの世界は荒れてるんだろうね。
ため息出るけど実際この見た目の子供に対する対応としては正解だからしょうがない。
僕以外の幼女は本物の幼女だからな。
「まぁ、きちんと敬語を使えてお上手ね! うちの子も4年生になったのに……あなたを見習ってほしいくらい」
「慣れてますから」
「しかし本当に綺麗じゃのー。 外人さんのハーフかい?」
「慣れて……そういうことになるかもしれません」
どういうことかは明言していないのがポイントだ。
「何かあったらすぐにブザーとか笛とかで音を出すのよ? 緊急の電話も登録しとくのよ? もちろんすぐに使えるようにして」
「慣れてますから」
都合6組目くらいのおじさん&おばさん&おばあさん&おじいさんの集団とのやりとり。
今回の人たちはたったの4人連れだったからそこまで話が長くならなくってよかった。
でも個人と集団は全然難易度が違うんだ。
「はぁ――……」
中学生たちとも違う距離感。
あの子たちの相手で慣れていたはずなのにたったの数分の会話でげっそりだ。
……大人の女性は僕の天敵だ。
これならまだ子供の相手のほうがまだずっと楽だったなぁ。
「はぁ――………………………………」
ため息と一緒に疲労を吐き出す気持ち。
おばちゃんたちとの視線が切れたのを確認してから、限界までがんばって作っていた笑顔を解いてぐにぐにとマッサージする。
特に目元と唇の端の筋肉が致命的に疲れている。
なんか痙攣してるし。
……もう小学生っぽい感じにしなくてもいいんじゃないかな……?
いやいや、こんなところで不審に思われたり心配だって思われちゃったりしたら困るしなぁ。
人がぱっと僕を見て判断する年頃が小学生なんだからそれっぽい応対をしないと不審に思われるから厳しい。
いつもの眠そうななに考えているんだかわからないような顔でぼそぼそしているのところころ笑顔を作って活発なの、どっちが受けがよくって信じてもらいやすいかっていったら言うまでもないしな。
人は見た目、話し方なんだ。
ついてこられるだけならまだしも、家出とかなんとかでおまわりさんとか呼ばれちゃうかもだし。
まさかひとりで出かけるのがここまで大変だとはなぁ……。
「うにうに」
って顔のスジというスジをほぐしきって、僕は視線を落として首の後ろの緊張をほぐしはじめるついでに今日の服装を眺める。
都会だったら痒い思いをするだけで済む虫という奴らは、こういう自然のほうが多い空間になると途端に数を増やす。
数の暴力で、テリトリーから抜け出すまではずーっとつきまとわれて不快な思いをする。
だから山とか川に行くときにはかならず長袖長ズボンで靴下は長いの、できれば首もしっかり覆う感じの格好でツバのある帽子というのが鉄則だ。
植物たちも地味にちくちくざくざく来るしな。
この低身長ならさらに……だ。
旅行に行き始めの初心者のころにはこうした夏に、ズボンこそ長いものの靴下とかシャツとかが短いっていう装備で来ちゃってひどい目に遭ったんだ。
山を、自然を舐めてはならないんだ。
都会っ子だった僕にはそれを肌で実感して苦い思いをするしかなかったんだ。
まぁ慣れさえすれば平気なんだけど。
事前の準備というやつがすべてだ。
準備だけちゃんとしていたらなんとかなるもの。
あとはこれでもかってくらいのスプレーも吹きかけておけば完璧だね。
ともかくそういうわけで僕の格好は山でよく見る感じのだぼっとしたものだけど、それでも銀髪幼女な僕の姿は……とりわけ緑と茶色と黒がメインの山の中ではそれはまぁ目立つ目立つ。
ひとこと目に必ず「外人さん?」だもんな。
うん、確かに外人の人がこの国に来るとうんざりするのも分かる。
さらに言葉まで分かっちゃうんだったら大変だろうなぁ。
こんな見た目の僕でさえ外人って思うんだもんなぁ。
まぁしょうがないものはしょうがない。
見慣れないんだからな。
「ふぅ……」
そこそこ以上の運動量。
いくら多少涼しいからといってもそれなりに汗はかくもの。
登りはじめるまではいつものパーカーさんにお世話になっていたけどさっきからはリュックの底に詰めていて、だから帽子しか僕を隠すものがなくなって。
そんなもんだから帽子の下からは僕の顔がはっきりと見えちゃうし髪の毛はふぁっさりしている。
隠しようが無いんだ。
うなじのところって蒸れてけっこう汗かくしなぁ。
おかげで歩くたびに髪の毛がもぞもぞとしている。
でも前みたいに髪の毛をシャツの中へ入れたらびしょ濡れになるだろうから止めておいた。
目立たなくなるけど、たぶん不快感で結局汗だくになってから髪の毛出しちゃうだろうし。
それでもはじめは髪の毛を下のほうでくくっていたんだけど、それだとなおさら歩くのに合わせて髪の毛の房がびったんびったん体を回るから今は好きなようにさせている。
まるで生き物のようだったな。
……切られるのを大変イヤがることからあながちまちがいではないのかも。
生きてる髪の毛とか怖すぎるけどな。
そんな僕だから、遠くで視界に入った瞬間からロックオンされて、近くまで来たら声をかけられてひととおりの質問とかをされて、大丈夫だってどうにかわかってもらえたら甘いものとか飲み物とかそういうものを貢ぎ物みたいに渡されるのがパターン化している。
僕に構ってくる時間が長いのは女の人。
男の人はそこまで熱心じゃ無いから良い奴らだ。
あんまり心配しないのが心地いい。
男同士の距離感ってやつ。
今は女だけど。
おばちゃんって感じの人たちに絡まれる事故に遭うと最長でひと組20分くらい……立ち話という疲れる姿勢のまま拘束される。
「親とか付き添いとかとはぐれたんじゃないの?」って心配される。
そうじゃないってわかると「ひとりで大丈夫なの?」って何度も確認される。
高く見積もって小学生女子なんだからしょうがないんだけども。
まぁもっと上に見られたって、女の子がひとりでこうして人気のないところにいたら普通の人の普通の神経なら心配もするだろうけど僕にとってはうざったいだけなんだ。
「一緒に行こう」とか「目印になるところまで」とか「今登ってきたばかりだから案内してあげる」とか……下心がないぶん断るのがものすごくめんどくさい。
でもみんな現金だよなぁ。
僕が特徴の無い男だったときにこういう風に構われたことなんて1回も無いのにな。
やっぱり人ってそういうものだ。
「…………………………………………」
肩が凝ってる気がする。
こきこき言ってる。
……幼女の肩も凝るんだなぁ……。
上を向きながら話していると疲れるっていうのを学習した僕は、敵……じゃなくて人と遭遇しそうなところで座れる場所を確保するようにしている。
だから今もいい感じの、僕の脚の長さにフィットしている岩にお世話になっていた。
それでも首ががっちがちだ。
大変なストレスを感じている様子。
がいがいやいやいしながらおばさんたちが離れていく。
元気だよなぁ、特におばさんって生き物たちは。
話しがてら数分休んで軽くなった感じの体を起こして立ち上がり、すみっこのほうに置いておいた一眼レフをずっしりと持ち上げる。
「おもい」
僕の……もう10年ものになるカメラ。
「なんにも趣味がないのもアレだし……」って感じで昔に買ったこのカメラは今の僕にとってはいささか重量オーバー。
片手で持とうとすると手首を痛めるから必ず両手で持つ必要があるし、首にかけるだけだと首がまた痛くなるからたすき掛けにするような感じでかけている。
ところどころ落としたりしてハゲたり欠けたりしているカメラ。
使用感はばっちりだ。
これだけぼろぼろになると逆に愛着が湧くものだよね。
持って来たばっかりの時は不相応な荷物にはなっていて重いから後悔しかしていなかったんだけど、今となってはいい判断だったと思える。
ぜんぜん思いついても見なかった「写真クラブとかに入っていて今日も山からの風景を撮るために来ている」んだっていうもっともらしい言い訳が素直に通るんだもんな。
やっぱり形から入るのが良いらしい。
特に今はがんばってミラーレスで普通はスマホで済むもんなぁ。
時代って残酷。
写真を撮るために親からの許可をもらってもう何回もひとりでこうしているんだっていう信憑性のある言い訳が成立するのはありがたい。
使い込まれているから「家族の愛用のをもらったの……」とかそれらしく言えるし、さらに言えばレンズをふたつ持って歩くのもいちいち変えるのも大変だからって遠近両用のごついレンズにもしているから、カメラ愛好家さんがいればすんなり話が通って楽だった。
なんだか細かい話をされはじめたら「お下がりで使ってるだけだからそこまでわかりません」で引き下がってくれるしな。
芸は身を助くって言うけど今日のところはほんとうに助かっている。
重いけど。
もう肩が凝っているけど。
でもカメラの話になるまで明らかに怪しまれてた感じの雰囲気も何回かあったしな。
でもでも重いんだ。
写真を撮るっていう用途以外にもぞんぶんに活躍しているカメラさんをゆっくりと体にかけて、ヒモの下敷きになっていた髪の毛をきちんと出して、それからまたゆるゆると丸太の階段を登っていく。
たすき掛けにしてヒモが胸に食い込んでもさして支障ないのが悲しい。
女の子はこうすると恥ずかしいって聞いてたんだけどなぁ。
10分に1回は立ち止まったり座ったりしているから疲れはほとんど出ていなくって良い感じ。
見た目を変えることはできない以上かなりの確率で絡まれもとい声をかけられちゃうのは避けられないとして、らしくて納得しやすい言い訳。
服装とアイテムと演技とで完璧にカムフラージュできている。
擬態できているんだ。
こういうのも本当に慣れだな。
とにかく場数をこなして自然と出るようになるまでがんばれば後が楽だ。
◆◆◆ ◆◆ ◆◆◆
◇ ◆
◇◇◇◇◇◇ ◆◆
◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◇◇◇
◇合目の展望台とやらに着いたらしい。
背の高い木でできた回廊が途切れたと思ったら途端に出現した景色。
まだ頂上じゃないはずなのに遠くの山々が見渡せて端っこには麓の町も見える。
「ぱしゃ」
シャッターが降りた音。
画面で確認してみれば、遠くの方の景色は目で見ているよりもずっと水色掛かっている。
……このレンズ、安物だからなぁ。
10万に届かない万単位の金額が初心者用っていうずぶずぶと浸かりそうな世界。
あんまり興味がなくって良かった。
数万でもいいやつの半額くらいだったっていうのが恐ろしい。
便利だからつけっぱなしなんだけど、どうしても隅っこのほうはぼやけるし真っ青になる。
こういうのは最初に思い切って高いのを買っちゃったほうが◇◇◇だろうか?
でも、レンズだけで◇◇万超えるのはちょっとな。
「………………………………ん?」
なんか変な気がする。
なんだろ?
「………………………………」
何でもないらしい。
柵があると安心できるけど、今の僕にとってはちょうど視線のあたりが手すりで遮られちゃって不便なことこの上ない。
まぁ棒のすきまからしっかり見られるんだけど、でも前の体だったらこういうの、一切気にしなくてもよかったって考えると……やっぱりこの◇、不便だよなぁ。
あ、ここは◇合目なのか。
今まで気がつかなかったところにある、半分草に飲まれつつある石碑。
途中から◇と会わなくなったからじゃまものがいなくなって、夢中で上がってきたからなぁ。
「………………ふぅ………………………………」
いつのまにか、息も切れていたみたいだし。
ちょっと休んで、それから◇◇まで行こう。
そうすれば、………………………………◇ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◆◆ ◇ ◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇◇◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇◇◇ ◇◇ ◆◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆ ◇◇◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇◇ ◇ ◆◆◆
「……んー?」
そこまで疲れてるはずはないんだけど……変な感じ。
ちょっと前からこういうのあるよなぁ……ほんと、なんだろ。