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11話 虎穴(車) 1/3

「…………………………………………………………………………」


ちらちらとでっかい肩を見上げたりしながら車の窓を覗き……込めなかった。


あの恐ろしい悪魔さんもとい女の人がいないのかどうか黒塗りのガラス越しに確かめようとしたけど、どうやらスモークの様子でまたしても真っ黒。


今から飛び出てきて脅かすのとか止めてよ……?

僕は怖いの苦手なんだから。


そう思うけど思わないフリをしてみる。


にしても悪魔さんがいないのはよかったんだけど、いまだにこの人の名前が出てこない。

他人の顔と名前を記憶する能力って使わないとレベル1になっちゃうもんだししょうがないか。


ああいうのは才能だって思うけどな。


どうせ持たざる者の気持ちは持つ者には分からないんだ。


「あぁ、今井ですか。 今日は一緒ではありません、今は私だけです。 頼まれてうちの所属の者を送っただけですからご心配なく。 ……あと、先日は本当に失礼しました」


ぺこりとしたらしいけど僕からしたら上空からでかい何かが降ってくる感じ。

1メートルくらい離れてくれてるから……あ、つむじ。


あの人のこと……今井って人のこと察されたけどいないらしくってほっとする。

ほんとによかった。


本当に。


あの強引さはもう勘弁だしできれば2度と会いたくないし。

僕の人生で遭遇してこなかったタイプの人は対処法が分からないんだよなぁ。


遭遇してきても大抵はエンカウントしないようにってしてきたから経験値なんてゼロだけどな。

ニートだし。


「私は今井とは違って響さんからご連絡をいただくまで勧誘は一切しません。 今日もただお見かけしたからごあいさつをしたまでで」


ふーん。


やっぱりこの人はいい人だな。


押しが強くないって言うだけで僕の好感度はまた上がる。

上がってもこの人の名前が思い出せないけど。


「こういうのはご本人の興味や意欲が一番大切だと思っていますから。 ですがこれもまたなにかの縁……と言うとうさんくさいですか。 ええと、運転していたらお知り合い……になった響さんと久しぶりに会いましたから駅までお送りしようかと思っただけです。  ここから……響さんの足ですと少しありますし、よろしければと」


ふむ。


男のときの僕も旅行先で駅とかまで送ってもらったりしたことあったしな。

話しかけにくいようにしている僕だってバス停で座ってたり暗い中歩いて帰ろうとしたら、時間が余ってる親切なおじさんとかおじいさんが乗せてくれるんだ。


田舎って良いよね。

虫が苦手だから住めないけど。


けどまぁ、この人なら大丈夫だろう。

今井さんのような何が何でもって感じはないし、なによりあのあとに名刺に乗ってたのは調べたし。


でたらめしか書いていないんじゃなければ信用はできる人たちだろう。

僕はそう判断した。


人と話すと疲れるから本当はすぐにさよならしたいし、この前までの僕なら断固として拒否していたけど……今は事情が変わっているって言うのもある。


魔法っていう未知の力でちょっと困っているところだし、ここは少し情報が欲しい。

引きこもっているだけじゃなんにも分からないのは幼女歴1ヶ月半くらいで外出3回目な今が保証しているんだしな。


……準備もできているし、ちょっとだけ探ってみよう。


リスクを取らないと何も手に入らない。

RPGの基本だ。


「ではお願いしてもいいでしょうか。 今日は暑くて」

「もちろんです。 ではこちらへ」


そう言って大きい背中を屈めて黒塗りの後ろのドアを開けてくれるこの人。

元の僕と同い年くらいの彼。


……………………………………。


どうがんばっても名前が出てこなくてごめんね、多分同い年ぐらいの君。


けど、つるりとした黒塗りだしスーツだしがっしりしてるし。

端から見たら僕のお迎えに見えなくもないかもしれない……かれしれないな。


怖いけど、少しだけ……少しだけ勇気を出してみないとな。


なに、フライングシザーズに襲われるよりはずっとマシだ。

今井さんに襲われるよりはもっとマシだもんな。



◆◆◆



この体の肌は……薄いっていうこともあるんだけど、それにしたってすべっとしている。

陶磁器みたいなって表現のこと、どんだけ病的なんだって思ってたけど実際に目にしてみるとぴったりだなって思う。


いつもお風呂じゃ長湯する僕。


はじめはいろいろなことを考えたりして時間をつぶすけど、次第に頭がぼーっとしてきて汗でいっぱいになる。

こういうときはどうでもいいことをああでもないこうでもないって考える思考っていう暇つぶしができなくなるんだ。


髪の毛が濡れていなければ考える代わりに髪の毛とかを触っても楽しいんだけど、濡れているときにしてもたいしておもしろくもない。


だからその代わりのに代わりにつるっとしている肌を撫でるんだ。

このもち肌を。


特に脚に顕著なんだけど、この体になってから外でいちども肌をさらしていないから日焼けはもちろんのこと……ケガをしたあととかキズとか虫さされのあとの芯みたいなものさえない。


ていうかなくなっている。

完全にきれいさっぱり。


さらに言えば薄い産毛さえ、よーく目を近づけないと……体がものすごく柔らかくて余裕で膝の裏までのぞき込めるのがすごいんだ……見えないくらいにほとんど生えていなくてすべすべだし、細胞ひとつひとつ……肌のキメもものすごく細かい気がする。


中学生くらいまではなんとなくで手のひらの細胞とかを見た記憶があったっていうのを今さらながらに思い出す程度には懐かしい、四角形っぽいランダムな細胞のテクスチャ。


細胞分裂的な、テロメア的な感覚。


けど、本当に肌がきれい。

僕の小さいころもこうだったんだろうか。

あたりまえ過ぎると意識しないもんなぁ。


気がついたらすね毛とかも生えてきていたし、そもそも普段はズボンと靴下とで隠れているところだからな、運動をしていなければ気がつかないものだろうし。


僕みたいに外で遊ぶ楽しみを理解できなかった男には余計に。

女性なら身だしなみに気を遣うからまた違うんだろうけどなぁ。


いやしかし、とにかく毛がない。

つるっつるのつるっつるなんだ。


せっかくだからぐっと目を近づけて、しげしげと観察してみる。


……ふむ、毛というよりは毛穴自体がないのか。

毛穴ケアという言葉もあるくらいだしやっぱり毛以前の問題だったか。


おかげでつるっつるの肌に包まれている感じ。

脱ぐたびにきれいだって感じて性的じゃなくても見惚れるくらいだし。


僕の体なのにな。

さらに言えば、幼……子どもなのに。


いや、僕の体になっているからこそこうして悪いとか恥ずかしいとかそこまで感じずに、じっくりと観察できるんだけど。


ただきれいだからぼーっと見るのって女の人が綺麗な女の人を眺める感じなのかな?

男の僕でも筋肉がついてる男の人とかには見惚れるしな。


まぁこの体は痩せすぎていて骨張っているから、そんなのにはまだまだ。

もうちょっと肉付きがよくないと女性というものを感じない。


ただのもやしな子供だ。

いや、幼児なんだけど。


あと地味に変わったこととしては肌が敏感なこと。

皮膚感覚だ。


1ヶ月半前までの男な僕の体と違って体毛に邪魔されないからってつま先から太ももまでするすると撫でることができるんだけど……上から下はそこまででもないけど下から上へ撫で上げると、こう、背筋までぞくぞくする感じがして「ふぅぅぅぅ」ってなる。


映画とかで感情移入してとても感動したときのあのジーンとくる感じに近いのが撫で上げたところから首筋までぞわぞわするみたいなレアな感覚。


前はそもそもこんな風に体を撫で回すなんていうのは思いつきもしなかったから試していないし確かじゃないけど、多分この肌はそうとうにセンシティヴな様子。


超の着く敏感肌らしい。


体毛っていう摩擦軽減の機能がゼロになって肌の細胞が細かくてその上に皮膚そのものが薄いっていうのがセットになっているからか?


特に太ももの裏がわとかわきをつうっと撫で上げるのが毎日のささやかな楽しみ。

この体になってもあんまり感覚の違いとかは意識しないけど、これだけは完全に未知の領域で新感覚だ。


これが女の子になったからなのか、それともこういう体質の男の体でも起きるのかは検証できないけど。

もし男に戻れたら試してみよう。


ともあれ撫ですぎるとなぜか息が上がってくるからほどほどにして、湯船の中で丸まるようにしていた体勢から一気に脱力。


なんか走った後みたいになるんだよな。

のぼせてるんだろうか。


体の力を抜くと体がおしりを起点に浮き上がろうとしてくるから両手でしっかりと湯船のふちをつかむ。


もう鼻に水が入る痛みもパニックも経験したくないもん。


「………………………………ふぅ……」


触覚に集中していた意識を現実に戻すと、どうしてもマスキングテープで雑に塞いだ穴が目に入る。

結構雑にやっちゃった跡が目を引く。


……そういえば、元の体じゃあこのくらいの歳から近視な乱視になってきていたから、こうしてお風呂場ではっきりとクリアな視界は長いことお目にかかっていないんだ。


コンタクトして入ると目に張り付くからなぁ……温泉とかだと足元が見えないと痛い目見るからしょうがなくだけど普段はぼんやりな裸眼だし。


毎日の長湯で見慣れていたはずの下半身の具合っていうか状態をよく覚えていないのって、このせいもあるんだろうな。


だからこうして腰を浮かせておへそから股から太ももからをじっくりと見る機会はなかったわけで。


「…………………………………………………………………………」


両手でバランスを取るのが意外と難しい。


「…………………………………………………………………………」


それにしても。


僕は遅めだったけど、それでも中学の後半から……もう10年くらいはずっと黒い毛で彩られていたから下半身のイメージが完全に固定されていたけど、今は完全に無毛で白なネイキッド。


成長するとしたらそのうちに生えてくるんだろうか?


確か体毛は男性ホルモンの量でかなり変わるはずだからまだ分からない。

毛が薄い感じの体質だったら生えたとしてもほんの少しかもしれないし。


女の人の毛がほんとうはどのくらい生えるかなんて普通の男が知るはずはないもんな。

姉か妹がいればあるいは……ってところか。


けど、生えたとしたって……髪の毛と同じで限りなく薄い色になるはずだから、生えてもビジュアルはたいして変わらないかもしれない。



◆◆◆



こんな感じに最後に車に乗ったのは相当に前のこと。

電車とかバスとかロープウェーとかなら結構乗るけど、こう小さい車内は久しぶり。


ニートを続けるためのけちっぷりが魂にまで染みついているからタクシーですらよっぽどのことがない限りは乗らないし、利便性のために免許だけは取ったけどペーパーだしな。


車なんていう税金やらなんやらでそこそこのお金を食べるものは家にはない。

父さんのこだわりだったらしい外車も相続のときにお金にしちゃったしな。


叔父さんにって言ったけどさすがに悪いってなって、結局はお金にして預けておこうってことで。

売り払ったお金はこれまでの生活で僕の血と肉に……なったけどどっか行っちゃったから虚空へ?


まぁこの体に少しは受け継がれているって信じよう。

せめて最低でも脳みそだけは維持したい。

いや、したいって言ってももうなってるけど。


頭の大きさ的にどう考えたって小さくなっているみたいだけど本当どうなっているんだろうな、今の僕の体って。


シナプスだけ良い感じにコピーされてるんだろうか。

魔法だしな。

仮称だけど。


「………………………………なので、最近は外に出ることが多くて」

「そうですか」


おっと。


無意識のスイッチを切り替える。

会話をオートでしていたら気がついたら何やらの話が終わったらしい。


とりあえず無難に返しておこう。

なんだったのかはさっぱりだけど。


……この癖、いつかは来るはずの社会復帰までには治しておかないとな。


僕と話をした相手にとってはちゃんと相づちとかの返事をしてそれなりの返事をしていると思っているのに、実はひとっつも頭には入っていないとかいうやっばいやつ。


あれだ、多分人にいちばん信用されないタイプのだよね、これって。

うんうん分かる分かるーって言った次の日になにひとつ覚えてないんだもん。


僕だったら静かに距離を置く。

間違いない。


…………………………………………………………………………。


必死に記憶を掘り出したら……確かダンスのレッスンがどうだとか?

事務所にいる人たち……子たちの話題で。


歌って踊って話して笑って。

アイドルって肉体労働も甚だしいお仕事って話題だったはず。


たぶんそんな感じ。


僕の周りは革張りのシートで、斜め前には運転席の……えっと、あ、思い出した、萩村さん。

彼とバックミラーごしに会話をしているところだった。


それにしても乗り心地がいいなこの車。

サイズがあれだけど。


……シートベルトが首に掛かってるのはどうしてくれよう。


「彼女たちはうちで……もう3年ほどがんばっています。 来月あたりから忙しくなりそうなので、その前に時間のかかるトレーニングなどはまとめて今のうちにと。 人手が足りないのもあって私も送り迎えをするために良くこうして運転していますね」

「そうだったんですか」


ここにも人手不足の波か。

世知辛いな。


「でも送り迎えとか本当にするんですね。 こういうのは初めて見ました」


体験もしてるな。

こんな黒塗りってのも。


幼女になったから人生初めてばっかりだ。


そういえば乗ったときから気になっていたけど、至る所に小さなマスコット的なぬいぐるみが置いてあったり充電ケーブルとかペットボトルとかとにかく高級車に見合わないものが散見している。


荘厳な雰囲気が台なしだけど安心する。


おまけに僕の使っているのとは違う匂いのシャンプーとか香水とか……つまりは女の子の香りが充満している気もする。


考えて変態っぽく思ったけど、なんだか匂いがやけに鼻に残るんだからしょうがないよね。

今の僕は男じゃないからセーフだろう。


……シャンプー。


男のときから適当に買ってあるいつものじゃなくて、同じくらいの値段でもいいから女性用のにしたらこんな匂いになるんだろうか。


今度試してみよう。


香水の方は個人的に好きじゃないからしないけど。

そもそも必要がないんだし。

汗をかいてもまったく臭いがしないのもそれはそれでまた気になるものだけど。


それにしても冷房が涼しい。

顔にかかるとしばしばするからちょっとだけずれよう。


……ずれてもだめだった。

どうやら風の設定が子供向けじゃないらしい。


当たり前か。


と、また頭の中にいるうちに信号で止まったのかなにやらを差し出される。


「それで、これがこの先のスケジュールです。 ご覧のとおりいろいろと重なってぎっしりと入ってしまって、こうして手分けをしないと間に合わないものまであるんです」

「……僕がそれ、見てもいいんでしょうか」

「大丈夫です。 略称だらけですし見ただけでは詳しくは分かりませんから」

「そうですか」


この人も随分脇が甘いなって思いながらそれを受け取る。

今どきはちょっとしたことですーぐ燃えるってのにな。


…………うわぁ。


ノートくらいの大きさのホワイトボードみたいなものには、いろんな筆跡と色で埋め尽くされた来週の日付の下の空欄だった空間が。


ここなんて分単位に小さい字でびっしり書かれているし……大変そうだなぁこういう業界で働くって、としか思えない。


改めて実感するけど、あのまま押されて見学したりしなくてほんっとうによかった。

あの剣幕と押しでずるずるといって「そのままお試しで」とかいって入らされたりでもしていたら、おっそろしいことになっていた。


ニート失格になってたな。

世間一般的には社会復帰だけど僕からしたらデスマーチ突入だ。


ちょっと離して眺めると、なにかのすかし文字があると言われても納得できそうな密度。

ホワイトなのにブラックになっている板を見ながらそんな未来を見そうになった。


まぁそうなったらなったで忙しくなって僕がイヤな思いをする代わりに、僕のこの魔法についてぜんぶぶちまけて丸投げにするだろうけど。


ある意味楽かも知れない。


誘ってきたのは向こうだし、貴重な僕のニート生活を邪魔するんだからそれくらいは押しつけないと気が済まないだろうし。


ついでに戸籍とか権利とかなにからなにまでお世話になると。


「…………………………………………………………………………」


そんな都合の良い妄想が広がりかけたのを消す。


やっぱ無理だしな。


こんなの、身内でもなければ信じちゃくれないだろう。

とっくに成人したはずの男がこんな格好になっているなんて僕だって信じないもんな。


寝る前のご都合主義なら良いけど、ここは現実。

もしかしたら……なーんて調子の良いこと考えると痛い目を見る。


僕はそれを知っているから誰も頼ってこなかったんだから。


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