46.X6話 教訓:女性を怒らせてはならない その3
「ふふ……久しぶりに良い気分♪」
「あ〝あ〝……あ〝あ〝あ〝あ〝……」
目の前は地獄だ。
りさり……いや、りさの笑顔がこわい。
笑顔なのに。
それもとびきりの……いや、とびきりだからかもしれない。
ゆりかがテーブルに突っ伏して動けない以上、彼女の視線は僕に向きっぱなし。
大好きなデザートにも目もくれていない。
……気まずい。
「……ええと」
「なーに? 響さん♪」
「あ、うん……りさは、その。 そういうことを、秘密を勝手に話すような人じゃ無いって、思っていたんだけれども」
「ええ、そうです。 普通なら……ね? 私、これでも口が固いから相談とかよく持ちかけられるのよ?」
りさの話し方が……なんだか不自然だ。
「……なら、どうして」
ちらっとゆりかを見やる。
……まだ復帰できていないらしい。
よりにもよって僕の目の前で、僕に向けて……何回も何回も遮られようとするたびに頭をわしづかみにしたり店員さんを呼んだりして話し続けていたんだもんな。
ほんと、なんで。
「いいの。 だってコイツはね?」
怖い。
かつての僕に付いていたものがひゅんってする感覚。
「学校で私に、すっごく恥ずかしい思いさせたんだもの。 当然オカエシはしないとだもんね? それに今となってはほほえましいじゃない、ゆりかのこの、いつもはゲームとかしか頭にない帰宅部なこの子の、淡い気持ちっていうの」
目がどろんって……してはいないけど、でも限りなくそれに近い感じになっているりさ。
……これ、魔法さん関係ないよね?
だって、僕に関係……はあるけど、でも、メインはゆりかの……なんだから。
ないよね?
「……なら、ゆりか」
「……ぁぃ――……」
「苦しいところ悪いけれど。 君はりさにいったいなにをしたんだ……いや待って良いんだ話さないで、口を開けないで、それはりさが嫌だっただろう話題だから」
口にしかけて慌てて止める。
……危ないところだった。
僕までがりさの地雷っていうのを踏むところだった。
ゆりかたちが僕に対して……その、告白……恋心の、を僕にしてきたのは女子たるゆりか……ゆえに女子たちには、それも、いつも一緒にいる親友っていうものなりさにはとうに知られているはず。
それは分かっていたんだけど、というかかがり自身がそれを盛りに盛って触れ回っていて、彼女たちの学校のかなりの女子たちには既知のことらしいんだけども。
だけど、興味自体はある。
この、表情が……ゆりかほどではないにしてもころころと変わる、クラスの中心にいるような女子の代表みたいなりさりんっていう女の子が、どうしてここまで笑顔で怒るほどのことがあったのかっていうこと自体には。
だけどそれを聞いちゃいけないんだ。
僕は知っている。
女子は、女性は、女の子は。
……あるときまではとっても優しいけど、ある瞬間からいきなり怒り出すっていうその境界を持っていて、それを越えちゃならないんだって。
いくら僕だって、それくらいは知っているし……体験もしている。
だから僕はおとなしくしていよう。
「いやぁー、ちょっとねー」
と、思ったのに。
ゆりかがむくりと起き上がって、口を……開いちゃう。
「いや、だからゆりか、ちょっと待」
「……ゆりか、あんた、ちょっと待」
「ちょーっとさ? 体育のあとの休み時間でさー。 教室で、その、ね? なんか、みんなわいわい話してたのに一瞬だけ静かになるって瞬間ってあるじゃん? でしょ? んなときに私、言っちゃったのよ。 そんときまでのうるささに負けない程度に、だけどりさりんだけに聞こえるって声で……けど、静かになってたら教室の隅から隅まで届いちゃうよーな声で『りさりんのカップ、またひとつ大きくなったんだ! 順調に育ってるねぇ!』っての。 『うらやましいこんちくしょう揉ませろー』って!」
「…………………………………………」
黙りこくっているりさりんが、視界の隅を見るのが恐いから……静寂が舞い降りて「およ?」とか言っているゆりかだけに視線を当てながら、それでも僕は言わなきゃならない。
「……ゆりか」
「んぃ?」
「それを……女子にとってはデリケートこの上ないことを口走ったからこそ怒られて、だからこそつい今し方のように……君の秘密っていうものを僕に晒されてしまった君だけど」
「あは♥ 恥ずかしいよねぇ、けど告ったときに比べたらさ」
「その話を。 ……その話をもう一度、男子な僕に対して言ってしまってもよかったのかなって」
「え?」
「だよね?」
「え? ……あ」
「…………………………………………」
ファミレスっていう、僕たち以外にも人がいる空間。
だから大声で怒ったりはしないだろうっては思うけども……怖い。
いくら大人だろうと男だろうと怖いものは怖いんだ。
だからりさりんを見ようとして断念して下を向く僕。
あ、なんだかトイレが近くなった気がする。
けどこの雰囲気で「ちょっとトイレ」とか言い出しづらいし。
困った。
どうしよう。
「あ、あのー。 りさりんや? これは、そのですね――……えーと……」
このエリアだけが、まるで急に外から遮られたかのような感覚。
誰も言葉を発しない。
いや、発せない。
見えない緊張が膨張していく。
だけど……かたかたと振動が響いてくる先だろうゆりかからは、震えの混じった感じの声が発せられる。
「そのー、ですね? りさりん……いや、りさ……じゃなくって、りさ様? これはつい、そのー、えと。 そ、うっかり! うっかりミスってゆー、りささまが試験でやらかすような、どうしようもない、避けようもない事態でですね? なのでどうか」
「――そ。 うっかり。 ねぇ?」
「はい、なのでどうかどうか」
「なるほど。 ……ね? 響さん?」
「……何、かな」
呼ばれた以上には顔を上げて反応しなければならない。
怒れる猛獣を前にしたら、しっかりと視線を合わせて背を向けちゃいけないんだって僕は知っているから。
そんな……今日は朝に運動でもしてきたのか、いつもと違って髪の毛の整え方が少しだけ甘い感じのりさは、さっきまでよりもずっとずっといい笑顔。
「それじゃあー、ゆりかが響さんのこともっともっと意識してきてー、私に相談してきたっていうとぉってもレアなときの話もー、わたしー、うっかりしちゃうわねー? ええ、だってしょうがないものねーうっかりならー。 うっかりだものねー? もちろん大丈夫なんでしょー、ねー? うっかりさんなゆりかちゃん?」
「ゑ? ……いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ああ。
これはもう、戻れないところまで行っているのか。
女の子が不穏な話をしていたのに笑顔しかしないときは絶対に危ないんだ。
「それじゃあー、そうねぇー? まずはー、あ、そうそう! 初めの頃ね、響さんの連絡先ムリヤリ聞き出して送りはじめたときのメッセージの数々のことからねっ? ゆりかったら、そのあとに毎晩みたく『こんなに送って嫌がられないかなぁ……だって返事あんまりくれないしそっけない感じなんだもん……』とか電話してきていてねー? それでー」
「やぁぁぁぁぁぁ!!! お願いだからりささん止めてぇぇぇぇ!?」
りさのとびっきりの笑顔と、席を立ち上がってりさのところまで行って肩を掴んでぶんぶんしているけれどまったくに動じていないから止められないゆりか。
……やはり女性とは、僕たち男とは異なる生きものだ。
それは特に、こういう怒り方っていうのに如実に表れるんだ。
だから同時に僕たち男はそれを熟知して触れないようにしないといけないんだ。
だって怖いもん。
ひとまわりも年下の女の子でさえこの怖さ。
これが同年代だったなら……この体にこの身長、なおさらに怖く感じてしょうがないはず。
女性は、女の子は恐ろしいんだ。
僕は改めて覚えておこうって誓う。
1度怒り出すと人の秘密をこうして暴露し合う……投げ合うなんてする、どう考えてもお互いが傷つくしかない泥仕合を、キャットファイトっていうものをし始めて応酬が止まらない悲劇。
うん。
僕は気をつけよう。
きっと他の同世代の男たちならとうに知っているはずのことだろうけれど、だから僕はずっとみんなからは遅れているんだろうけれど。
でも、今、こうして身に染みている最中なんだ。
これからは肝に銘じないといけない。
人生経験、社会経験……対人関係に特に乏しい僕は、少ない学習からなんとかして応用へと持っていかないとなんだから。
まずは沈黙は金っていうのを改めて座右の銘にしよう。
だからこそこうならないように、相手が知っているって確実に分かっていることにだけしか言及しないように……しっかりと覚えておこう。
「あとはそうねー、あ! ねぇねぇ、ゆりかったらね、響さんと上手く行ったらデートはどこにしようとか」
「やぁぁぁぁぁ! 悪かったの、私が悪かったのぉぉぉぉぉぉ!」
うん。
だって……僕はきっとこれから、そういう女性たちのあいだで生きていかなきゃならないんだろうから。
なにしろ女の子になっちゃったんだもん。
だから今からしっかりと将来のことを考えて……間違えてうっかり踏み抜かないようにしないとね。
じゃないとかなり本気で泣いてる、真っ赤でぐずぐずなゆりかみたいになっちゃうから。




