46.X2話 警戒心
しっぽがゆらゆら、ポニーテールがゆらゆら。
「そういえばさー」
「はい?」
僕はできることなら誰もいない空間でぼーっとしてたい。
その次ってことなら人と会っていても静かな時間が続く方が良い。
そういうわけでねこみみ病ペアと会っているあいだに起きた不意の静寂。
せっかくゆらゆらしてるのを見て楽しんでたのに岩本さんが話しかけてきた。
幸せな時間って続かないんだね。
「私たちが響くんとはじめて会ったときっていろいろと衝撃的でしたねぇ、ドラマチックでしたよねぇって思い出したの。 私たちがあっちこっちさまよった挙げ句の……何階でしたっけ?」
「6階ですね」
「あ、そうでしたか。 響さんはよく覚えていますにゃぁ」
……なんで僕、女物の服のフロアのこと、とっさに言えるんだろ……いや、良く行ってるからだ、きっと……。
「ともかくそこまで追い詰められるくらいには協定違反って感じの人たちから執拗に……もーストーカー以上にしっつこく追いかけ回されててねぇ」
「そうでしたにゃ。 もう逃げ場もなくなって体力も尽きてきて……にゃあ、私だけならどうとでもなったんですけどにゃ? 息は切れてきていましたけどまだまだ平気だったので。 でも、ひかりさんを見捨てるわけにはいかないからって、ひとりで逃げるなんてできなくって」
「ありがとねー、あのとき見捨てたりデコイにしないでくれて」
なんか物騒な単語。
「にゃっ。 で、観念するしかないなーって思ってところで出てきたのが……まさかのまさかですにゃ! ちっちゃい子が……あっ」
「………………」
じっと島子さんの黒い瞳を見つめると、その上の耳がへにゃってした。
うん、許す。
「……ごめんなさいですにゃ……あのときは初対面でしたし、そう思うしかなかったのでしょうがないんですにゃ」
「事実ですし、僕は気にしていませんよ」
そう、気にしてなんてない。
だって僕は島子さんよりは年上なんだから。
「で、逃げて逃げて逃げて逃げてーってして根負けして参っちゃいそうだったあのときに、ぱっと目が合ったと思ったら手招きしてくれて助けてくれようとしてた響さんの存在が。 ただただ、それだけで……すっごく心強かったんですにゃあ、って」
「そうねー、ずっと大変だったからこそ、ようやく匿ってくれそうな子が見えてね――……」
そう言いながら店員さんを呼んでおかわりのパフェを頼むふたり。
見ているだけで胃もたれしそう。
「いえ。 僕はあのとき、ただ……おふたりにもおはなししたこの体のこともあって、いろいろと……ただ面倒なことを避けたかったんです。 ただそれだけでした。 僕のためだったんです。 たくさんの人から追いかけられていると思われるあなたたちを僕が隠してしまえば大丈夫だろうっていう、僕自身のことだけを考えた行動で」
「それでも私たち、助かったんだよ? ねぇ?」
「ですにゃ。 むしろそうやって本音ってことでいいですにゃ、それ言ってくれるのがマジメな男の子っぽくてかっこいいですにゃあ」
……罪悪感。
あのとき本当「うるさい人たちがどっかに行ってくれればいいや」って、ただそれだけだったのにね。
「だって敵……って言ったら失礼? いや、あれだけのことをしでかしてきた人たちですからいいですよねぇ……追いかけてくるそういう人たちや、道すがらにスマホとかを向けてくる人たちばっかで心が折れそうっていう状態だった私たちだもん」
「下手に有名人ですとあんなに必死でも撮影かとか思われちゃうんですにゃあ」
「で、そんな私たちの前にたったひとり。 たったのひとりですよ? 頼めば助けてくれる人たちもいたんでしょうけど、頼む前から……走っていましたし、息も切れていたのでムリだったんだけど、そんな中でひとり、積極的に味方になってくれる子……あ、イヤそうな顔」
一応僕はあなたより2つ下程度なんですけど。
そう言いたいのを我慢してるのがバレたらしい。
「そういう人が、男の子が現れたのよ。 わかる? あのときのインパクトって普通に初対面で会うときのなのよりもずーっと強烈だったんですから」
まぁ確かに……僕からしても衝撃的だったから忘れないもん。
「そんなわけで、いまだに私たちのあいだで響くんって言ったらあのときの手招きしてくれているあのときの響くんなんだー。 だからかなぁ? 響くんの中身が……心が男の子だって言われたときも違和感があるどころか……えーと、しっくり来るって感じで。 ね?」
「あ――……そうですよね、わかりますに〝ゃ〝あ〝――――――――!?」
ねこみみとしっぽがぴんと上を向くついでの絶叫。
何?
どうしたの?
その辺でネズミでも見つけた?
「そのことでお礼ついでに言おうと思ってすっかり忘れていたことがあるんですにゃああ!!」
今の会話で叫ぶ要素あったっけ?
「響さんは多分気がついてないっていうか、だからこそ心配なので伝えておかなきゃっていうかなんですけどにゃ!」
「あ。 もしかして、あのこと?」
「はいですにゃ!」
「まー、心が男の子だったんだったらしょうがない……のかな?」
「?」
「わ、そうやって首かしげるの可愛……じゃなくって。 あれは響くんが女の子だけど男の子で、男の子だけど女の子だからこそなんだろうけど……だけどやっぱ、心配だしねぇ」
「……えっと。 すみません、お話が全く見えないんですけれど」
「あ、ごめんなさいですにゃ」
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
沈黙。
「………………………………」
「……ちょっとみさきちゃん!」
「え? ひかりさんが言うんじゃないんですにゃ?」
「なんか急に恥ずかしくなって来ちゃって……お願いっ!」
「もー、わかりましたにゃあ……響さん、おはなしと言うのはそのですにゃ」
「はい」
なんかあったかなぁ……こんな気まずそうな前フリされる話って。
何?
あ、もしかして毛糸ぱんつ被っちゃってた件?
「……いくら私たちを守ってくれようとしていたっていうのがあったってしても。 いくらそれらしくしようとしてたって言ってもですにゃ」
しっぽの毛が逆立っているのが興味深い。
「あぁやって人前で……男の人が来るかもしれないとこでわざと肌を晒すなんて何考えてるんですか響さん! にゃ!!」
「え?」
「え? じゃないですにゃ! いつもあんな感じだとそのうち犯罪に遭っても不思議じゃないっていうかほんっとに危なっかしいですにゃ! 響さんってあれですにゃ、普段はすっごく頭良い風ですけど実はいろいろ抜けてる感じですにゃ!?」
犯罪?
肌をさらして?
え、だってただあのときはそうすればびっくりするだろうって。
「………………………………………………あぁ」
「今のそんなに熟考要るの!?」
「危なっかしいですにゃあ……」
「いえ、あのとき僕は少しだけ胸元を出しただけですし……下も脱いでいましたけどシャツの裾で下着はきちんと隠れていましたし。 そもそもこの僕は子供ですし……だからそうおかしい服装ではないと思ったんです」
見たらびっくりはするだろうけど……その程度でしょ?
「……あのね、響くん」
「はい?」
島子さんたちが……甘味をほおばるのを止めてまで身を乗り出してくる。
あ、これ、怒ってるやつだ。
よーく、何回も何十回も経験した「おこ」の予兆。
僕はぴんと背を伸ばす。
「私たちが言うのもね? 響くんに言うのもアレだけどさ? ……人って見た目が全てなのよ? 特に若いうちは。 だからそんなに簡単に乙女の柔肌を」
「いえ、僕は」
「たとえ男の子だったとしても見せちゃいけないの! 肉体は女の子なんでしょ!」
「む」
確かに一理ある気がする。
「む、じゃないわよ……しかも、どこからどう見てもどこぞのお嬢さまって感じの雰囲気と見た目を持ってて、どんな格好をしていても女の人だってきっと」
「……せんぱいはショタコンの上にロリコンまで」
「事実なんだからいいでしょみさきちゃん!? とにかく! 女の人でさえ目を惹かれるその容姿なんだから気をつけた方がいいって言うわけ! 分かった!?」
一理あるけど……そこまで?
「……私たちは教えてもらったからこそ響さんが男の子だって知ってはいますけどにゃ? でも一般的に考えて響さんのような子でもですにゃ? その……あられもない姿というものをしているのって普通の人はもちろん『その筋の人』っていうのにでも見られたりしたら大変ですにゃ。 ヤバいんですにゃ」
あー。
なるほど……ロリコンさん。
なるほどなるほど、確かに僕にはそういうのは無かったけどそうじゃない男もいるもんね、世の中には。
「ともかくそういうわけですにゃ。 私たちの経験則で言うのなら……そうですにゃ、ちょーっと露出の多い衣装でテレビとかに出たりしたあとに湧いて、もとい出ていらっしゃるような少しヤバーい方向性のファンの方とかみたいなのが出て来ちゃったりするかも、なのですにゃ。 ご理解はいただけましたにゃ?」
芸能界って大変だね。
「特に駆け出しのころとかってこちらも素人、お相手も素人っていう場面が……距離感間違えちゃって思い込んだ人とかっていうのは、その。 ……えっと、とにかく怖いので気をつけてくださいにゃ。 はい」
「分かりました……けど良いですか?」
とりあえずは納得したけども、やっぱり思い浮かび続ける感想を投げかけてみる。
「僕みたいな子供に、少女以上の女性に向けるような感情を抱く男性なんていないんじゃないですか? だって子供過ぎるでしょう、今の僕の見た目って」
実際僕も幼女になったからこそちょっとどきどきする程度で済んだんだもんね。
これがもっと……小学校高学年とか中学に入るくらいの発育だったらこれどころじゃなかったかもだし。
「………………」
「………………」
「……ねぇ」
「にゃ」
「どうする?」
「どうするって……やっぱ言わなきゃダメっぽいですにゃ」
何がダメなんだろ?
「……あのね、響くん……?」
「はい」
「男の子な響くんに女の子な私たちから伝えるのもなんだけどね?」
「にじゅうななさいが女の子って」
「今は良いでしょ! ……とにかくですね、すこーしだけ情操教育っていうのをしてあげますね……? ていうかしないとヤバそうだから、本気で。 ご家庭の方針でもさすがに危なさ過ぎるって思うし……」
「いや、僕は大丈夫ですから」
「私たちを助けると思って聞いてくださいにゃ! じゃないと、中身が男の子だからこその警戒心ゼロっていうその無防備さでどんなヤカラを吸い寄せたもんじゃわかったもんじゃないのですにゃ! ほんっとに心配なんですにゃあ!」
「うん……犯罪に遭ってからじゃ遅いもん、お願い響くん……」
「……わかりました」
しぶしぶと納得した振りをしておくかしないみたい。
だってこうしてヒートアップした女性は、とにかく話を聞いてあげて満足させてあげるしかないんだって知ってるから。
良く分からないけど2人にとってはダメな答え方しちゃったらしいから。
だからしおらしく素直な姿勢が大事なんだ。
「こほん。 はい響くん、この資料」
岩本さんがクリアファイルを渡してきた。
え?
「えっと……これは?」
「うち……の事務所に限らなくて、知り合いの子たちや先輩方が遭いそうになったり実際に遭った、セクハラから……その、ギリギリのところで助かった際どいケースまでまとめてきました。 たぶん響くんはこうでもしないと分からないかもーって思ったから……実際にそうだったけど」
目の前にはクリアファイルから出てきた、レポート風の……几帳面な資料というものと、その先にある2人の視線。
……諦めよう。
2人は僕を心配してくれているんだ。
それに女としての先輩だもん、僕に足りない何かをここまで言うんだ、きっと大切なことなんだろうし。
「いーい? 女の子は男の子より……肉体的な意味でね、肉体的で! 気をつけなきゃいけないの」
「良いですかにゃ? 基本的に男はオオカミさんなのですにゃ。 女の子をぱくりと食べちゃいたいって言う……」
☆☆☆
「じぃ――」
喫茶店の一角。
通りがかった人が聞いたらぎょっとするに違いないような話をしだした3人から、少し離れた席に座る2人。
そのうちのひとり……今日はオンのために髪を結っている彼女、ごく普通の会社員の格好をしている今井ちおりは、わざとらしい声を出す。
「じぃ――……」
その対面に座る彼、筋肉質で強面な癖に目の前の女性に強く言えない萩村茂紀はため息をつきながら言う。
「……口に出して言っても駄目ですからね、今井さん。 響さんに愛想を尽かされますからね?」
「わかってますって。 だからこうして見ているだけですよ? ねー?」
その目つきは――まるで肉食獣のよう。
こんこんと説教をされはじめた銀髪幼女へ向いていたその目つきは……ちょうど「彼」が両手に持つ書類に書かれている「危険人物」たちの特徴に少し似ていた。




