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49話 「あの日」と、彼が、「響」になった日/春 5/10

「ふぅ」


男だった前とは違って腕を上げなければ開け閉めすらできないドアを開け、ずっと住み続けた僕の家へ、最後の足を踏み入れる。


外の明るさから一転、暗い玄関からの廊下に目が慣れてくると……ほとんど物が何もなくなった寂しい光景が見えてくる。


少し前からどこかよそよそしさを感じさせるようになった、僕が生まれてからずっと住んできた家。

それなのに、今となってはどこかもう、他人の家のような感じさえ受ける。


ドアを閉めて鍵をかちゃりと回す。


僕が戸締まりをするのは……少なくとも内側からこうするのはきっと最後だろうってわかっているからか、なんだかこの音すらもいつもよりも大きく感じる。


不思議なものだよね、五感って。


僕自身の体調とか意識とか感傷とかで、こんなにも変わるんだから。


今までぜんぜん気にしていなかったけど、こういう……ひとりしかいない家に戻ってきて、玄関からしてもなんにもなくって。


よそよそしいを通り越してよそのお宅にうっかりお邪魔しちゃった、あるいは時間外の展示場、またはたまたま鍵を持っていた空き家に来ちゃったような……そんな感じがする。


知っているのに知らない、現実なのに非現実。


そんな感じ。


家の中に入って、しばらく佇んで、想う。


……前の僕にとっても少し。


今の僕にとってはものすごく広いこの家が、持て余すほどに広いここが、僕の……ニートとして生きて終わろうって考えていた空間なんだって。


紙袋とマフラーを玄関に置いたままにして、僕自身のとたとたって音、あるいは歩いてきて疲れているからかよたよたって感じの軽い足音を聞きながら廊下を過ぎてお風呂へ向かう。


だって今日はお風呂に入る暇も……許可も出ないかもしれないんだから。

まぁ考えすぎだろうけども気を落ちつけるためにも、ね。


最低限のものだけは残してあるお風呂に入るべく居間へ向かい、パネルの下のボタンを背伸びをしながら押して追い炊きの電子音声を聞く。


「……む」


あの子たちからの通知がすごいことになってる……まぁ当然か。


今どきの子たちは余韻よりも繋がりだもんね。


いろんな写真とかが送られてくるのを見つつ、あったまったっていう音が鳴るまでのあいだにふと、魔法さんのことも考えてみる。


魔法さん。


またはねこみみ病、それとも変異とか変質とかいうもの。


魔法さんは結局そのどれに該当するのか、それともまた別ななにかなのかっていうのはやっぱりわからない。


けど僕の感覚としては「どっちでもあってどっちでもないもの」、そんな気がする。


あくまで感覚だけど、こういうときの直感っていうのは早々外れていないってどこかで読んだことがある。


魔法さんで今の僕になっちゃってそれなりの時間と苦労をしてきた、今の僕。


僕にとってはもはや、今までみたいに大げさに悩んだりこわがったり落ち込んだりするものじゃなくなっている。


それなりに魔法さんについて知って、それで得た結論がこれだ。


それにねこみみ病……見た目がけっこうに変わるっていう魔法さんと似たものだって、まだ確認されていなかったり秘密にされていたりするケースだって。


僕のようになった人やその周りの人が秘密にしているだけで、ねこみみ病の一種として歳が……僕の場合には15くらいの若返りをして、別人に、別の人種っていうものの見た目になって、そしてなにより……性別まで変わるっていう、すごくましましにセットで現れるっていうケースだって。


世界中で僕ひとり、他には誰もいない。


なんてことはやっぱり多分無いんだ。

だって僕はそんなに特別な人間じゃないから。


もし仮にいなかったとしても――今後現れないっていう保証はどこにもないんだ。


だってねこみみ病だって、こうして世界で一斉に広められるくらいに増えてきたのだってつい最近だっていう。


それだって原因は一切に不明で、ただねこみみ病になるっていう結果があるだけだ。


今の科学だって何でもかんでも分かるってわけじゃない。

理由が分からないけど結果は分かってるってものもいっぱいある。


いや、多分そういうものの方が多いはずなんだ。


だから今後いつ現れるか……あるいは僕よりも前から現れているって分かるかなんて分からない。


まぁこんなにしっつこい魔法さんに年がら年中まとわりつかれるっていうのはないかもだけども。


ストーカー気質な魔法さんにね。



僕にとって運が悪かったのは、家族がいなくて……「叔父さんのところに来ないか」っていう提案も蹴ったからひとり暮らしで。


学生時代に……少ないながらも話の合う友人っていうものになっていたはずの人たちとも連絡を取らずに自然消滅させちゃっていて。


かといってお隣さんに頼るっていうことも……思い浮かんだのに、めんどくさいしなによりも迷惑をかけるって止めちゃって。


で、無職で。


大学は卒業したのに働きもしていない、いや、厳密にはときどきしか働いていない、けどなにかのスキルを手に入れるためにそうしているわけでもない、ただただめんどくさいからだらだらしていたいっていう怠惰な理由でニートをしていたっていうことで。


もし誰か一緒に暮らしてたり週に何回か会うくらい仲がいい人がいれば、幼女になってから何日の内に誰かに知られて。


叔父さんや……家族のような人がいれば、絶対になんとかしてくれようとして。


そうでなくとも友だちとかに頼ったり……僕の場合でも連絡先さえ消していなければ、総当たりで「急で悪いけどどうしても相談したい、助けて」って頼めば誰かしらは応えてくれていたはずで。


悲しいことにその全員から「やだ、だるいし」って言われたとしても、お人好しの飛川さんに頼めばなんとかなったはずで。


なによりも魔法さんにかかってすぐに自分を疑ったりして無駄に考えすぎてこんがらがっちゃってこじらせちゃった僕の性格っていうものが悪かったんだ。


その証拠に……マリアさんたちは例外だろうけど、でも頼ればきっと10人に何人かくらいは助けてくれるだろうっていうのは……これまでの、今の僕としての生活でよくわかったから。


だから初めの頃こそ「なんで僕ばっかりこんな目に」とかいろいろ、本当にもういろいろ考えたりして、それでめんどくさくなって忘れようとしていたけども。


こうしてみると僕だけが、世界で僕ひとりだけがこんな特別な目に遭っているなんてありえないし、そもそもとして悲劇のヒロイ……じゃない、ヒーローみたいな感傷もあったんだろう。


だから僕は特別なんかじゃない、ただの普通の人間。

元男、現幼女っていうただの人間。


……なんだかおふろがやけに遅いなって思ってパネルを見上げてみたら、とっくにあっため終わっていた。


「……入ろ」


がらんとしている洗面所で服を脱ぎはじめる。


……この服ともここでお別れ。


フード付きの大きめのパーカー。


その下の無地のシャツ。

特徴のないズボン。


この1年、外に出るときのほとんどでお世話になったこの格好。


もちろん着替えは数着用意してはあるけども、でもそれはかがりに選んでもらったものにするわけで、僕が選んだ……ずっと着ていたおかげでそろそろくたびれ色あせてきたこれは、ここに置いていく。


せっかく家を出るんだ、どうせなら洗ってあるのを……友達に選んでもらったものを身につけていきたいから。


ちなみにぱんつはワゴンで買った安物のお気に入り。


「………………」


そうして服を脱ぎ捨てた僕。


凹凸のない平べったくて細い体。


長い銀色の髪の毛を体の前に、手のひらに収まるくらいの量を抱えて後ろから持ってきて……ぐいっとおまたの前に持って来ちゃえば胸も隠せて男か女か分からなくできて、けど明らかに北国の生まれの幼い子供っていうのだけはわかる。


裸なのに色気がないどころかちゃんと食べているのかって本気で不安になっちゃうような幼子。


もっと成長して女の子らしい体つきになっていたら、お風呂のたびに罪悪感があったり、あるいはずっと不安だった生理っていう元・男としては絶対に関わりになりたくない現象に悩まされることのない、銀髪幼女。


そんな僕が鏡に映っている。


「……これが、僕」


首から下にはうぶ毛しかない、そのうぶ毛すらもほとんど透明で見えないつるつるな僕。


男だった要素なんかどっか行っちゃった僕。


これが、僕なんだ。


今の僕の頭から重ーく垂れている髪の毛。


蛍光灯の下で見ると間違いなく銀色に見える……けどお日様の光の下だと虹色っぽくなる、そんな不思議なもの。


色素がなくって細すぎるっていうのがあるんだろうね。


そんな髪の毛が前髪は乾いていれば目にかからない程度、横と後ろに流れる分はおしりに乗るくらいまで伸びている。


当然にこれは手入れをしようとしまいとそこまで伸びもしないし、逆に切ることもできない。


もっとも、気がついたら10センチ近く……冬眠から半年近くだもんなぁ……伸びているんだから切れないわけじゃないんだけども、魔法さんが「その長さまでなら良いけど?」って見守っていて、どこらへんから「あ、それより短いのはダメ」って怒りだすのか分からないからなかなか切れないだけなんだけども。


だって怖いし。


一定以上よりも短く切れないのは初めの頃にハサミが飛んではっきりしたし、明らかに邪魔なくらいまで伸びることも多分ないっていうのは1年間ほったらかしでもそこまで長くなってないから分かるんだ。


だって後ろとか横はともかく、前髪は長くなれば気になるはずだもん。


うろ覚えだけど人の髪の毛って1ヶ月で1センチだから1年だと12センチ。

後ろはまだ良いとして前がそれだけ伸びたら前が見えなくなっちゃうはずだし。


よく分からないけど魔法さんなりのこだわりなんだろう。


僕にとってはどうでもいい……あ、いや、さよみたいに両目が隠れるくらいだといちいち顔を傾けたり髪の毛を払ったりしなきゃいけないから大変そう。


ヘアピンっていうのを使えばなんとかなるけど、そんなますます女の子っぽくなるものは避けたいし?


だからつまりは床屋……いや、さすがに今は女の子だし美容院に行ったほうがいいっていうのはわかっているけど……散髪に行く必要は、少なくとも魔法さんが前の僕に戻してくれるまではなくなったっていうことで。


まぁ自分で切るのには慣れているから別に人に頼まなくてもいいんだけど……いや、女の子はダメなのかな。


そんなどうでもいいことを考えながら僕はお風呂に入る。


まるで……覚悟をして戦いに行く前にしてたっていう「禊」ってやつみたいに。

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