49話 「あの日」と、彼が、「響」になった日/春 1/10
「かがりん? もうちょい運動したらー? 走ったの500メートルもないよー?」
「だ、だって大変なんだもの……髪の毛のセットとお胸が」
「……そこまで私を愚弄するのかがりん」
「違うわよ? ……ふーっ、ようやく……」
走ってきたゆりかとかがりの息が整ってくる。
なんとなく懐かしい雰囲気になって、それで、なんとなくでみんなで同時にため息をついて、少し笑って。
僕はふたりを見上げる。
……そんなに首が疲れない、僕よりも少し大きいだけのゆりか。
大人と同じようにって言うか多分岩本さんよりも背が高いかがり。
ふたりともおしゃれしているんだろう、かがりはともかくゆりかも初めて見る服装になっている。
走ってきて崩れちゃってるけどね。
でも、お別れ。
そうだよね、最後になるかもしれないんだし女の子だったらそういう発想になるよね。
いわゆるおめかしというやつで、だから彼女たちは僕とさよならするために精いっぱいの準備をしてきてくれたんだ。
そういうの、前の僕だったころには服装なんてどうでもいいものだったけど……今は違う。
今の僕になってこの子たちに会って……とっても大事なものなんだって知ったから。
知らされたとも言うけどね。
もっとも僕の格好はいつもどおりなんだけども……男としてはこれでいいのかもって思う。
「かがりん、もうだいじょぶ? ほれ、これで汗を拭くのだ」
「ありがとう、ゆりかちゃん。 私、今日に限ってハンカチを」
「いや、しょっちゅう忘れてるじゃん、ときどきお財布とかスマホとかまで」
普段から……いわゆる女子力っていうものが子供っぽいのに、それでも一見して高そうなかがりよりも実は高いゆりかがハンカチを差し出す。
「そうだね、勉強を見てあげるはずなのに手ぶらで来たこともあったな」
「え、それマジ? ……かがりんのことだ、ただ単に勉強したくなかっただけとか」
「うん、あのときはさすがに僕も驚いたよ。 ただ遊びに来たのかと。 いつものように」
「『宿題やったけど持ってきてないー』っていうのに通じるなにかがあるね。 いつものように」
「おや、かがりはそういうことをしたことがあるのかい?」
「いや、ただの想像だけど……それっぽくない?」
「うん」
「だからそれは違うんだってばっ!」
「違うの?」
「違うのか?」
「もちろんよ! あれはお家で、お外ではなくお家で勉強するものだとばかり思っていたからだって響ちゃんも、この話聞いたゆりかちゃんも知っているでしょう!? あと、私だってそんなこと……したこと、ない、わよ? 中学になってからは……」
「小学校ではしてたんだ……」
「冗談だったんだけどね……」
「もうっ、ふたりしてっ」
そうして、軽く話してから。
「……ふたりとも」
順に見上げて……さっきまでは外にいたせいで被りっぱなしで忘れていたフードを取って……あ、りさとさよ、ふたりと話したときにも取ったほうがよかったかな、せめて話している間だけでも……髪の毛がふぁさっと出て、風に流れるのを感じながら言う。
「最後のお別れ……もちろん、いつかまた戻ってくるつもりではあるけど。 ともかくこれを済ませられて良かったよ。 なにしろ君たちは僕が『この姿』でいちばん親しくした、いや、してくれた『友人』で、だから……こうして最後に顔を合わせることができて。 僕は、とても嬉しいよ」
いちばんに言いたかったことを、いちばん先に言っておく。
この後すぐにでも……いつでも運転手さんに声をかけられてもいいように。
何回も予想しない力に襲われてしたかったこと、キャンセルされてきたから。
「……響ってさ。 普段はテッキトーな話し方って言うか話聞いてないことも多いけどさ? よくちょうちょ追っかけてるし……視線で」
「いや、ゆりか。 それは誤解だ」
「そう? ねぇかがりん?」
「響ちゃんって純粋なのよ!」
「……それはフォローになっていないよ」
「あはは……なんか猫みたいになんもないとこをじーっと見てて私のほうがびびるときあるしさ。 だけどこーゆー、なんていうかバシッと決めなきゃいけないっていうの? こーゆーときにはいきなり劇場版って感じになって……かっこよくなるからさ。 ギャップすごいよねぇ」
「劇場……えぇ、まるで映画に出て来そうな雰囲気を出して素敵なことを言うのよね」
「ん、まぁそれも当たらずともなんとやらだねぇ」
くねくねといつものように体をよじりながら話すゆりかと、わからないことがあると適当に解釈して……けどそこまで外れていない返事をするかがり。
半分の確率で暴投するけども。
……この1年で、何十回も見てきたやりとりだ。
「ねー、響? そーゆーとこ。 響ならわかってると思うから念のため、念のためだけどさ? 気ぃつけとかないと、あっちでもそんな感じでタラシ―な言動ばっかしてたら、こう……同じ世代の女の子とかお姉さん方にぱくりっていただかれちゃいそうだから、なるべく控えるよーに。 いや、わりと本気で、マジでよ? ほら、海外ってそういうの積極的って言うしさ……そのさ、とりあえずでいただかれちゃう的な?」
そんなのは絶対ないって思う。
あるとしたらむしろ男からのを気をつけないとって感じなんだけどね。
「私たち、そーゆーのに耐性ないんだから……帰ってきたら『彼女できてましたー、食べられてましたー』ってのにはさ……お願いだからやめてね?」
「大丈夫だよ、安心してくれ」
「安心できぬ……余計に。 心配って言えばそれくらいしかないってくらいには響ってしっかりしてるしさ、だけどそーゆー方面には疎いし実力行使なんてされないよう、ほんっきで気をつけてね!? ほら、海外って女同士とかの抵抗とかも薄いって言うし! しかも中身は男の子だし! いやマジで! ……あ、ところでこれ、どぞどぞ。 些細なものなんだけど良かったら持ってって?」
ゆりかから渡されたものはずっしりと重い。
思わずよろけちゃったけど……ぎりぎり大丈夫な重さだ。
5分も持っていたら腕と指が痛くなるだろう。
「……だいじょぶ?」
「うん、平気……中身は新刊……?」
「そーそー、せっかくだからってテキトーによさそーなの詰めといたよ!」
本って重い。
袋自体も……紙袋自体も大きいし、20冊くらい、いや、それ以上は入っているだろう。
……これを買っていて遅くなったんだろうか?
「……そういえば移動中やあちらでの暇つぶしのことをすっかり忘れていたよ。 今朝までずっと忙しかったから……ゆりか、ありがとう」
家にあった本は一部を除いてみんな捨てちゃったし、これからも忙しいだろうって思って何も用意していなかったんだけど……よく考えたら多分ネットは使えない、私物も制限される。
そんな中「こういう普通の本ならいいよ」って言ってくれるかもしれないんだし、本当にありがたい。
「友だちからの贈りものなんです」って言えばさすがに捨てられることはないだろうし。
「いいっていいって! 響が、聞いたことあるけど読んだことないって言ってたのとか、響が入院してから出たのとか、そーゆーのの中からよさげなものちょくちょく集めてたんだよねー、いつか渡そうって。 ま、私がなんとなくよさそうって思ったものだったなら響もそこそこ楽しめるはずだし? それに重くってごめんだけどさ、逆に言えば文字数はたんまりあるんだから……そーね、あっちに着いて落ちつくくらいまではいけるんじゃない? SFとかミステリーものって読むの時間かかるし、響、そういうの2回3回読んだりするじゃん?」
腕時計をちらちら見ながら、ものすごい早口でまくし立ててくるゆりか。
……そうだね、時間ってあっという間に過ぎるから。
「まっ、私のは昨日までに集め終わってて渡すだけにしておいたからさ? ほら、いつもみたくやることはさっさとやっちゃうポリシーだしさ? あ、いくつか私も読んだのとかあるし? ……だーけーどー、かがりがたいっへんでさぁ」
「あ、ちょっとゆりかちゃん、それは言わないでって!」
「やだねー、このせいで危うく渡せなかったんだから。 このくるくるさんったら今朝までまーだ決められなくって、ってか昨日ぎりっぎりで決めたんだけど、そこでまたやらかしたの。 『もう1回お店見て回って決めるわ!』って、そんで選ぶのにまた時間がかかったのよ……『もーいーじゃん、もう大体決めてるんだから早く選んでよ』って言ってもぜんっぜん聞いてくれなくてさー。 いやホント、かがりんがもう少し悩んでたらこうして渡す以前に会えなかったわけで。 つまりはメロンが悪い」
早い早い。
さっきよりもずっと早口だ。
……だけどそれを聞き取ることができるくらいには、僕も慣れたんだ。
「だ、だってっ! せっかく、せっかくなのよ!? せっかく響ちゃんにぴったりなものを……少し遠出した先でようやく見つけたって思って安心したら、あ、きちんとプレゼント自体は用意していたのよ私も!」
「かがりんって映画とかじゃ絶対足引っ張るブロンド女子なポジよね……」
「そうだね」
「? ブロンド……? あ、けれどね、けれども駅に着いたら昨日買ったのを忘れているって気がついて! 家に帰って取ってくるのとここで探すのとどちらが早いかって言ったら断然にこちらで、だけれども響ちゃんに似合いそうなの、なかなか見つけられなかったのよ!」
真っ赤な顔になって反論するかがり。
くるんくるんがくるんくるんくるんしているのを久しぶりに見た気がする。
「かがりんやかがりんや? そこで、お家に引き返すついでにお家の人とかに持ってきてもらうとか、あるいはそもそも時間がないんだから妥協して似合うんだったら一品モノとか高いの比べずにさ、素直に安い、フツーのお店で買っても響、喜んだと思うよ? 時間が大事だって知ってたでしょ? 私、なんっどもそー言ったよぅ?」
「ダメよダメ! 今日はお母さん出かけているし、バスは渋滞になったらおしまいで響ちゃんに会えないかもしれないのだし、それにせっかくだからやっぱり思い出の品にしたいと思うじゃない!?」
「その結果がこれだがね。 イヤ、マジでピンチだったのよ? 私たち」
「うぐ」
そうしてでも選んでくれていたのは嬉しい。
嬉しいんだけども……かがりの未来が、将来が、非常に不安になる。
やっぱり夏休みに鍛えたくらいじゃ足りなかったか。
けど、こうしてゆりかたちと一緒に成長していけば……いつかは大丈夫なはず。
……大丈夫な、はずだ。
大丈夫だって信じてる。
大丈夫かな?
ダメかもしれない。




