36話 準備 5/6
明晰夢、いや、白昼夢。
認識していなかった過去の時間。
いつぞやに見ていたはずの、けど、僕が見ていなかった『ことになっていた『場面。
栗色岩本さんと黒猫島子さんの記者会見……それも政府の、いつも政治家の人たちが話しているような場所でのそれ。
初めは「またあの明晰夢みたいなものか」って思ったけど、どうやら違うみたい。
だってあのときは違って僕は意思のままに動くこともできなくて、ときどきコーヒーをすすっている動きでさえ当時の……そのときのまま、ただ体が勝手に動くのに任せてテレビをぼんやり見ている。
そんな僕の中に入った僕が僕として存在する感覚。
今の僕はおとといの夢みたいに自由じゃなくて、ただ過去の忘れていた……いや、忘れさせられていた場面をただただ再現している中に入っているような、そんな感じなんだろう。
でもコーヒーの苦さや香りはそのときの僕の動きを通じてしっかりと今この瞬間の僕でも感じられている。
さっきまで飲んでいたドリンクバーのおいしくないお茶とは違う、家で挽いた豆の香りと味。
あの子たちの声も顔も知覚できない。
ふんぬっとお腹に力を入れるけど……たぶんまだ起きてる。
根拠は無いけどそんな感じがするんだ。
一方で画面の向こう、急に駆け寄ってきたスーツの人に耳打ち……ねこみみと人の耳のどっちか迷ったのが笑えるけど……された彼女はぴんと尻尾と耳を立てている。
『すみませんですにゃごめんなさいですにゃ! にゃとか言っちゃって……え、このまま続けていいですにゃ……? にゃって言ってもおっけーですにゃ? ……あ、はいですにゃ。 ……マジですかにゃ、天下の……ととと、これは失礼しましたにゃ』
なんかいろいろ漏れちゃってるけど、多分「にゃ」とかNGって思ってたのがOKなんだろうね。
ねこみみ病になると「にゃ」禁止って言うのも差別とかになるんだろうか。
『ちょっとみさきちゃん、早く原稿原稿!!』
『あ、はい! ……こほん、すみませんでしたにゃ。 けどこれもうガマンしきれないので言いますけどにゃ? この「にゃ」って言いたくなるのはケモノ化が強い時期に出る本能っぽいもののせいなので、今のはキャラ付けとはふだんの私のキャラクターとはなんの関係もないんです。 ふざけていたりキャラ守ったり、いえ、守らないといけないんですけどもとにかくですにゃ? ……あー、ほら、こんな感じですにゃ』
島子さんのねこみみとしっぽはこの前会ったときみたいに、いや、あのとき以上にくるくると忙しくしていて顔も真っ赤。
島子さん、どうやらくすぐったいとき以外でも焦ったりするとああなる様子。
『まじめな場なのでできるだけ、できるだけ抑えようとはしているんですけど難しいのですにゃ……』
……そうして恥ずかしがっている姿はカメラさんたちにとって格好の餌食となったらしい。
「ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ」ってシャッターの音とフラッシュの光がいっせいに瞬きはじめた。
まぁ現役アイドルだもんね……それを新聞の1面とかに載せても良い場面だもんね……。
『…………あぁぁ写真は! 写真はそんなに撮ったらダメですにゃああ! ……今は、今はダメですのにゃぁぁん!!! 生えている今は恥ずかしいですにゃんっ!!!』
あー、そんなこと言うから余計にフラッシュが……。
ねこみみとしっぽを片手ずつで隠そうとして、でもこの場がそれを見せる場面だって思い出したらしく、あいかわらずの真っ赤な顔のまましぶしぶと下を向いてガマンしている様子。
やっぱり恥ずかしがりなんだな、アイドルやってるのに。
……あ、ふたりの横で立っていたスーツの人たちがすすすっと姿を消したかと思うと、だんだんとその音も光も収まってきた。
まぁ物が物だしね。
それに生放送みたいだし、そもそも政府主催らしいし。
『相方が騒がしくなってごめんなさいねー?』
一方で……多分わざと止めなかっただろう貫禄の岩本さん。
これこそが年の功ってやつだね。
僕よりちょっと年上なだけなのに。
『さて、それでは会見の続きを。 カメラさん、こちらよろしいですか? ありがとうございますっ』
カメラさんとかが集中してきてわたわたしている島子さんをかばうように、すっとマイクを自分の前へ持ってきて何ごともなかったかのように落ちついて話し始める岩本さん。
年はさほど変わらない見た目になろうとも中身の貫禄を匂わせている。
……アイドル、中学からだって言っていたもんな。
10年近くキャリアがちがうんだ、そりゃ根性、肝も据わるというもの。
『もちろん今までの彼女の……ふだんのキャラ付けがたまたま猫だったのでよかったんですけど、とにかくそれで語尾をつけるクセもついちゃっているっていうのもあるんですけども。 急にこんな大舞台は私たちも予想外でしたので、どうか細かいところは大目に見ていただけるとありがたいです。 この子の話し方はケモノ化のせいでもありますし』
すっと話を切り、完全に静まってからまた話し始めるポニーさん。
『それにみさきちゃん……島子さんはまだ高校生ですから。 ……さて、見ていただいたとおり、ねこみみ病のうちのケモノ化の特徴として人にはない部位の出現……それも、ペットをお飼いになっている方ならおわかりでしょうがきちんと血の通った、神経も筋肉も意思も通った部位。 この子ならお耳と尻尾ですね、それが表れます』
声色を使い分けて声のトーンもテンポも落としていき、一気にアイドルからアナウンサーへと早変わりした岩本さん。
『……そのとおりです。 私の若返りと同じように、すでにご存じのように一部の地域では偏見や迫害に繋がる危険でしたっけ? ……はい、これまで公表が伸ばされていた理由だそうです。 もっとも今日ここに居る私も実は先ほど知らされたばかりなんですけどね。 いえ、そういう暗ーいところをです』
器用に記者の人たちの質問を振り分けているのがすごい、ポニーあざといさん。
今は若返る前のときの肝っ玉を発揮しているようだ。
『ちなみになんですけど、私の若返りは対象の幅が広いということ、ほんの数ヶ月……あるいは1、2年である場合には著しい見た目の変化がなくって、成長期のお子さんや赤ちゃん……あ、今のところこれで命の危険にさらされた方はいないそうなのでご安心を……はともかく大人であれば身体検査を受けないと当の本人ですら気がつかないこともとても多いということだそうですのでそこまで気にしなくとも良いのかもしれません。 だって大人が数ヶ月若返ったとして……ですから』
『にゃっ、にゃぁぁぁぁん! ひかりさんっ助けてですにゃっ! しっぽ! しっぽを接写されていますにゃぁぁぁ!!!』
『みさきちゃん』
『せんぱい!』
『がんばって』
『せんぱい!?』
『で、ですねー』
『見捨てられましたにゃああ!』
『まー今の説明はカンペ……こほん、この会見の直前で渡された紙……急いでいたみたいで走り書きみたいな感じなので、そんな感じで書いてあるままなんです。 なのでこれ以上のことはどこまで話して良いのかってのはこれから少しずつ』
『に〝ゃん!』
『……あはは、この子はまだ慣れていなくって。 ……というかなーんでテレビでしかお目にかかったことがないこんな場所でいきなり全国中継なんでしょ――……』
「あはは」って笑い声が上がっている。
……意外とカジュアルな雰囲気だな。
『それではご質問もどうぞ! 枠は充分にあるので、っていうか多分そのうちに各局スタジオの方に……あ、そこのカメラさん?』
彼女が指差した先にカメラが向く。
……何かあったんだろうか。
ちょっと会場の横の方から構えているけど……あ。
『尻尾はオッケー出てますけどー、それ以上アイドルのおしりを近くで盗り続けていたらー、あとで怒られちゃいますよ? 今は一応公式の場なのでー。 ……はい! ご協力感謝します♡ あとみさきちゃん? おしり』
『にゃ!?』
『私たちもさっきここに連れて来られていろいろ知らされて諦めたばかりなので詳しいことはそっちの政府の方に……まぁネットに出回っている情報の半分くらいは間違ってはいないっていう感じでしょうか。 残りの半分はデタラメとか誇張とか……私たちを気持ちよく思ってないそういう方たちに書かれたものって言うので』
『あんまりひどいことは言わないでほしいのですにゃ……』
『……あ、やーっぱり聞かれますよねぇ、これぇ……ふりふりの衣装。 ……あはは、恥ずかしいですけどしょうがないんですよ。 このハデなのはちょうど今の時間帯にするはずだったライブのリハーサルのためのものなんです。 けど急にお仕事ってこと着替える時間も余裕もなかったので……あのときはなにか恐ろしい勢力についに目をつけられたのかと。 もー終わりかと思いましたよーあはは』
『あ、これですかにゃ? これは相当集中していないと難しいのですにゃ。 ……やっぱりですにゃ? どーしても「にゃ」って言いたくなって。 むぅ――……やっぱりどうしても、なんでかは知らないですけど語尾だけに「にゃ」ってつけたくなってしまうのですにゃ。 これはもう本能としか言いようがないのですにゃ。 あ、いえ別に、話している最中のな行とかは特には。 不思議ですにゃあ』
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記者会見は続いている。
けど……そうか、あのときに見ていたはずのものはこんな感じで。
つまりはあのときに僕の意識がまともでさえあればあの時点でねこみみ病の、少なくとも公表されたっていうものと、ネットに転がっていたはずだし他の局とかも連日やっていただろうし新聞に書いてあっただろう情報で、僕はもっと早く知っていたはず。
つまりはあのときだけじゃなくって、いろいろな場面で気がつかないうちに「気がつかないようにされていた」んだ。
だけどどうしてそれが今になって?
『…………びき!! ひびき!!!』
『響ちゃん、ほんとうに大丈夫!?』
ざーっとしたかと思うと、どアップでゆりかとかがりの顔が、いつものようにちょっと上……じゃなくて目の前にあった。
すっごくびっくりしたけど、びっくりしすぎて変な声も出なかった。
だっていきなりに目の前が夏から冬に戻って来て……おまけにどアップだし。
苦手だからって普段は顔はあまり近づけないでもらっているのに、それが僕のすぐ目の前に迫っていたんだ、そりゃあびっくりもする。
おかげで一気に現実に戻ってこられたけど。
……そうか、戻って来たんだ。
どうしてか分からないけども。
ちらっと周りも見てみる。
りさとさよも、ひざ立ちになって覗いてきていて……店員さんまで何人か来ている。
……うん、魔法さんの影響は今は消えているみたい。
もう少しでなにかが見えそうな気配もしたんだけど……あれ。
すごい汗かいてる。
体じゅうが生暖かくじめっとしていて。
「ひびき! よかった、気がついたんだよね? さっきまでぐったりしてて聞こえてなくって、目、開かなくなって息も荒くってっ。 ……そうだ病院! 病院は行かなくていいの!?」
……そっか、今の僕はあのときのお隣さんみたいになってたのか。
「本当に良かったわ……だってさっきの響ちゃん、いきなり下を向いて。 つらいんだったらそろそろおしまいにしましょうって聞こうとも思ったらお返事がなくて。 だんだんと顔も赤くなってくるし息も苦しそうになってきてすごい汗で」
「……気がついたみたいなので、大丈夫です。 はい、救急車は……ご家族と連絡取れますから」
「ご心配おかけしました! もう大丈夫そうなので! ありがとうございます!」
少し離れたところでさよとりさが店員さんに謝ってくれてる声がする。
……後で2人へも店員さんへも、僕が謝らないとな。
「……とりあえずはもう大丈夫だと思う。 心配かけてすまない」
でも、今まで……それこそ昨日はそんなこと起きていなかったのにな。
こんなにびちゃびちゃになるほどの汗だなんて。
おかげですっかり体がだるいし……気持ち悪い。
「本当に大丈夫なのね?」
「うん、安心……できないだろうけども」
「響さん、いつもの調子みたいね……はー、よかったわー。 私たち響さんのお家も知らないし困っていたのよ」
「……私と同じで、恐らくスマホに……担当のお医者さんへの番号……あるだろうから、響さんには悪いけど……と」
「ええ。 勝手に使って連絡するか、もう救急車呼ぶかしかないって話していたところだったのよね。 あー、よかったわー、肝が冷えたわー」
そうか……でも。
ねこみみ病。
それが、キーワード。
そうして今度はどうしてか僕自身が変な感じになって……あの2人と会っていたときにはこうはなっていなかったのに。
同じもの……じゃあない。
けど、これもきっと手がかりのひとつで。
「…………ふーっ」
……走った後みたいに荒い息。
落ちつけるまでにはちょっとだけかかりそうだ。




