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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

イモートコントローラー

作者: ニコ

第一話「ただいま」

 その日、俺は学校に居残っていた。理由はもう忘れてしまったけれど、掃除だったか日直だったかそういう他愛のない理由だったと思う。

 成績も悪くない。人付き合いもほどほどに出来る。平均点の人間になれているはずの日常を壊すものは、黄昏の向こう側から現れた。

 教室に差し込んでいた陽が陰った時、初めは雲か何かが通りすがったと思ったんだ。だけれども、それはあまりにも近くて、大きくて、巨大で――とにかく、俺がそれに気付くのはすぐだった。窓の外を見るまでもなく、足元の揺れでその質量に気付いたんだ。


 巨大な、怪獣だった。

 俺の語彙では怪獣と言い表すしかないそれが、校舎の二倍は大きなそれが、すぐ間近に迫っていたんだ。いつからそこにいたのか、どこから来たのか、何も分からないまま脅威がグラウンドを踏み締めている。

 直立した爬虫類のような姿。岩肌のような表面が鼓動している。牙も瞳もあるようだけれど、その時の俺からは見上げても顎が見えるだけで……それだけ大きい生き物がそこにいたんだ。


 そしてもう一つ。巨大な怪獣に向かい合うそれこそが俺の日常を全て奪い去っていった。

 こちらも俺の語彙では単純な物言いしか出来ないけれど、巨大ロボットとしか言えないものだ。怪獣と同じ大きさで、鎧兜を着た人のようで……でも、人ではないあり得ない手足のバランス。人を模しているけれど、人より柔軟性を捨てて強さを求めた体型。

 二つの目の奥には、ただ感情なんて映さない光があった。怪獣となんら変わらないよく分からないもの。


『おにいちゃん』


 だけれども、それは俺の事を呼んだんだ。

 本当にその巨大ロボットからのものか分からない。そうしてそれは初めて聞く声だ。鉄の中で響いて反響した、よく知らない女の声だ。

 それでも分かったんだ。


「ちえ……」


 妹がそこにいた。

 十年前に死んだ妹がそこにいた。


 ***


「我々は『アレ』の事を虚空の使者と呼んでいる。本来、何もない場所に属するものだ。虚空より現われし者が我々人類へと攻撃している……信じがたい事だろうが、それが事実なのだ」


 地下500mだか600mだかに存在する……とか、あまりに現実感が無い説明を受けた部屋の中。

 刑事ドラマでよく見る取調室に似ているな、となんとなく思った。小さな箱の中、向かい合った男と自分が据わるパイプ椅子が軋む。

 窓があるべきはずの場所に、CG映像で造り上げた美しい自然の風景が投影されている。静かな空調が響く中、いっそそれは不気味に映った。


「奴らは虚空……学者共のいう『プラス存在である我々が本来知覚するはずの無かったマイナス存在の世界』から現れる。奴らはこの世界と向こう側の世界を自由自在に行き来し、通常兵器での対処は困難だ。故に我々『特殊状況対策機関四号室』が成立した」


 眉間に皺を寄せた男は四十代か。深く刻まれた苦悩の色、本来の年齢より幾分か上に見えているかもしれない。

 CG映像の中でイルカが優雅に横切った。目の前にはスーツを着た厳つい男が微動だにせずにいる。


「そんな事、俺に話すのは何でですか」


 あの日から一日経った。

 俺の日常であった親戚の家に黒いスーツの男が来たのは数時間前だった。彼らは物腰が丁寧で暴力的ではなかったし、何より警察数人を連れ立って「捜査」という名目で現れたのだ。何らかの権力が動いているのだろうと高校生の俺でも分かったし、嘘だとしたってあまりにも大袈裟だ。

 親戚はあまり俺に干渉しないし、俺もあまり干渉していない。少なくとも、俺はあまり彼らに迷惑をかけたくはない……ここに来た一番大きな理由はそれだった。

 あるいは真実から逃げたい気持ちを押さえつける言い訳だったのかもしれない。


「中野忠人君。君は、我々……特四が唯一保持する戦力の関係者だ」


 真正面から、一番聞きたくて一番聞きたくなかった言葉がぶつけられる。

 かっと頭に血が昇るのを自覚した。自覚なきまま、拳が安っぽいテーブルに叩き付けられる。


「……ちえは、生きてるんですか」


 自分の声ではないような気がした。こんな掠れた、絞り出したような声。

 ちえ、という名前を出すのもいつ振りだろう。親戚とも話さないし、友人もあの子の事を知らない。俺だけがあの子の事を覚えている。


「君の家族は一家でドライブ中、落石事故で死亡した。不幸な事故だった。父が亡くなり、母が亡くなり、娘が亡くなり、生き残ったのは息子であった君だけだ」


「ちえは生きてるんですか!」


 まどろっこしい。

 襟首に掴みかかっても男は動じない。静かな瞳に映る自分の姿が滑稽で頭が冷える。けれども、身体は激情を止めようとしない。

 目の前の彼をどうしたって仕方ない。仕方ない事に暴力を叩き付けてなんとかしようとする自分と、それを冷笑する自分が同時に存在している。


「――虚空の使者がプラス世界で活動するには依代を必要とする。大抵の人間は死体を依代として使われその意識は存在しない。彼女が中野千恵としての意識を持って行動している理由を、我々は解明していない」


 ちえは、そこにいる。

 鋼鉄の中に、ちえが生きている。


「君が彼女をどう見做すか、それは君が決める事だ。妹が生きていた、と考えるか……妹に似た何かが妹の振りをして生きている、と思うか。だが、君は私を殴る権利がある」


 よく分からない感情ばかりが溢れて。

 拳を振り被った。


「我々は、『中野千恵』を兵器として運用しているのだから」


 殴られても男の表情は変わらなかった。


 ***


「よう、忠人君。室長を殴ったんだって? やるねぇ」


 機関の中は好きに歩いていいと言われた。首から提げたカードはこの機関全てのセキュリティに通じるものだと説明されたが、でかでかと書かれた名前といつ撮られたのか分からない写真が妙に座りが悪い。

 その名前を見て話しかけてきたのは、自分より幾分か年上の男だった。明るく染めた髪に引き締まった体、活動的な印象を受ける。


「……はぁ、どーも」


「ま、そんな反応にもなるか。急にだもんなぁ」


 彼に促されてベンチと自動販売機の置かれた休憩スペースに移る。

 商品の搬入が難しいからか、三種類ほどしかラインナップがない自動販売機からコーヒーが選ばれる。手際よく、口を挟む暇もないほどに奢られてしまった。

 地上で見るものと同じ缶コーヒーのプルタブを開ける。まだ数時間しか離れていないのに懐かしい香りがした。


「俺はちえちゃんの整備を担当してる……って、言い方は不味いか? 受け入れらんない?」


「……よく、分かんないです」


 正直な感想だった。

 整備、といった瞬間に自分の心にざわめくものを感じた。けれど身体が動かなかったのは、室長……あの男を殴っても自分の心は何も変わらないと経験したからだろうか。

 怒りも嘆きも、形になっていないものはぶつける事すらできないのだ。空っぽの拳は心を置き忘れて、ただ痛みを他人に与えるだけなのだ。


「室長から聞いたよな? 怪獣共はこことは違う世界とこっちを自由に行き来してる……ま、自分で切り替え可能な透明人間ってトコだ。核ミサイルでもなんでもあいつらは透明になってやり過ごせばいいし、どんなスゲー壁を作ったって簡単に通り抜けられちまう」


 二人で並んで缶コーヒーを喉に流し込む。

 男の気楽な調子は嫌いではなかった。それに上手く答えられない自分は少し嫌いだ。誤魔化すようにほろ苦い甘さを嚥下する。


「逃げるあいつらを捕まえて、倒す事が出来るのはちえちゃんだけだ。怪獣共……マイナス存在を依代に持ってるちえちゃんにとってはあいつらは透明人間じゃない。俺達はちえちゃんに頼るしかないんだよ」


 妹以外にそのようになった人間はいないらしい。

 依代になった、という言葉。正確な意味はよく分からないが察する事は出来る。


「……ちえの整備、って言いましたよね」


「あぁ。今はあのデカい鉄の塊がちえちゃんの身体だ……比喩でも何でもない、あれの全部を動かすコンピュータっていうのかな、その部分にちえちゃんの意識がある。人間らしい感覚もない身体だ」


 ちえはもう人間じゃない、という事を受け入れるために深く息をする。


 室長はちえの事を「ちえを模倣している別の何か」かもしれないと言った。

 テセウスの船という哲学的問題がある、と学校の先生に聞いた事がある。どこまで同一ならば、それは同一と言えるのか……何が残っていればそれは同じなのか。船を修理し、腐った板を全て入れ替えたとしてもそれは同一の船と言えるのか。そう言う問題だ。

 ちえと同じ考えをする巨大ロボットがいる。ちえの身体を持たず、ちえの脳を持たず、ちえとまったく同一の心を持っているのかもわからない。


 でも、あの時。必死なはずの戦いの中で、それでも俺を見つけたあの巨大ロボットはお兄ちゃんと呼んだのだ。


「ちえは……そんな身体でも、俺の妹です。そうだと思います」


「俺もそうである事を願ってるよ」


 はっとして彼の顔を見た。放り投げられた缶コーヒーが音を立ててゴミ箱へと消えていく。

 どうだ、とばかりに笑って見せる彼は何の気負いもなくここに居るように見える。俺とは正反対に。


「ちえちゃんの身体が傷ついて直すのは俺の仕事だ。だけれども、14歳の女の子の心を何とかできるのは俺じゃない。……室長が君をここに呼んだのもそう言う事だろ?」


 彼の笑顔の本意は分からない。本当にこんな状況で笑っていられる精神性を持っているのか、俺を気遣ってのものなのか。

 ただ、彼の言葉で。ちえが普通に生きていれば中学生だったことを、俺は思い出した。


***


 特四で一通り資料に目を通した俺は日常の世界へと帰る事になった。

 親戚とかわした「ただいま」と「おかえり」に温度の変化はなかった。だけれども、その言葉を受けて返す俺という器に変化があったのか……どこか、空々しい響きが自分の中に反響しているようだった。


 ちえが人間以外のものとなって生きている。そして人間以外のものと戦わなければ、人類には他に対抗手段がない。


 怪獣、虚空の使者は近頃活性化している。理由は分からないけれど、この十年間備えてきた事態に、ちえと特四は動かなければならない。


 俺が呼ばれた理由は……ちえの家族として、室長が自らの権限により許可したとだけしか説明されていない。今後立ち入りは自由であるが何も強制はしないと。


 訳が分からない。せめて誰かが俺に何か恐ろしい運命を投げかけてくれれば良かったのに、隣で口を開けた暗闇は結局隣人として佇んでいるだけだ。

 無味無臭を漂わせたいいやな臭いばかりが鼻につく。俺はちえとまだきちんと話もしていないのだ。


 二日前の虚空の使者の出現は怪奇事件として処理されていた。グラウンドに残された足形だけがその証拠だったからだ。

 怪獣を倒すのは特四の仕事だが、後始末は他の部署が行う。俺の手の届かない場所で大規模な災害が小さな噂話に貶められていくのは奇妙な感覚だった。


 日常と、非日常。どちらも自分から剥離していくのを感じる。

 間に立っているんじゃない、どちらに行くか自分で決めないといけないんだ。俺を引っ張ろうとする善意も、また悪意も存在しなかった。

 目を瞑っているだけではどこにも行けず、蹲っても危機は去らない。自分がそのどちらにも居合わせる事が出来ないだけだ。


 答えは決まっているはずだった。

 成績も悪くない。人付き合いもほどほどに出来る。そんな日常を守る為にも、非日常に身を置くのが一番だ。そもそも戦えるのはちえだけなのだから自分に危険はない。むしろ地下500mだかにある特四本部にいる方が地上よりもよほど安全だろう。


 ただ、俺がちえの傍にいる事になるだけだ。

 それはちえを、俺の意思で戦わせる事だ。それは人間ではないなにかになってしまった妹と共に生きるという事だ。

 それはちえを、俺の意思で支える事だ。世界の為には戦うしかない妹の苦痛を少しでも和らげてやる事だ。


 迷いは、二つの選択肢の間にあるんじゃない。たった一つの選択肢を選ぶ事を躊躇っているだけの弱さだ。

 結局、最後に背を押したのは妹の事ではなく……友人とか、コンビニが無くなったら嫌だとか、明日見たいテレビだとか、そういう雑多なものをない交ぜにした動機だった。

 日常を、どうしたってしがみつきたいものと自分の中で定義する。努めて自分を追いつめる。


 瞳を開き、立ち上がる。

 覚悟なんてものは出来ていないが、背を押されて坂道を転げ落ちる準備だけは整った。

 

***


 虚空の使者が出現したと聞き、特四本部へと急ぐ。

 なんてことはない、市役所の地下に本部はあった。いつもは用の無い建物の地下へと、ポケットから例の恥ずかしいカードを首に提げる。非日常を首輪にして自分自身を引っ張っていく。

 荒い息を押さえる。心を殺す。言葉は何度も練習して決めていた。


「ちえ、ごめん……戦ってくれ。お前が痛いのも、苦しいのも、辛いのも、全部俺のせいでいい。だから、……だから、俺達を守ってくれ」


『……そんな言い方、やだ』


「ごめん……ちえ、頑張れ。頑張って、敵を倒せ!」


『うん、いってきます』


 俺はあの子に何も背負わせない。あの子に何かをやらせているのは全部俺だ。

 そうだ、例えあの怪獣が人の死体を使っていても……それが、人殺しだと言われても。たとえいつか、ちえが両親の身体を使った怪獣を倒して、親殺しになっても。それを命じるのは、これからは全部俺なんだ。

 俺が妹のコントローラーだ。

午後だからエイプリルフールではない

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