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トロイメライ  作者: 嘘吐き
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8



「フリードリヒ様、旬の果物ですわ。以前、酸っぱいとおっしゃられていましたから、蜂蜜をかけましたの」


「こちらは、リウォインから取り寄せた砂糖菓子ですわ」


 お茶の席で、必死に王妃の機嫌をとる侍女たち。

 一方主は、彼女らの話なんぞどこ吹く風。

 いつも以上にぼんやりと、明後日の方向を見ている。


 ここ数日、フリードリヒはずっとこんな調子だ。


 ただ眠いだけかと思いきや、初めて見る菓子や、甘いおやつにも興味を示さない。


「……あ」


 ふいに、フリードリヒは手を滑らせ、紅茶の入った杯を傾けてしまった。


 侍女は慌てることなく、的確に対処する。


「あら、お怪我などございませんか?すぐに新しく入れますね」


「……ごめん」


「どうされましたの王妃様。どこか具合でも?」


 心配した侍女が声をかけれど、フリードリヒは卓の端を見て一言。


「……今、なんかしました?……そうですか」


「フリードリヒ様っ?」


 突飛な独り言に、周囲は動揺を隠しきれない。

 堪えかねた一人の侍女が、エリッサを呼びに部屋を出た。

  

 やけに慌てふためく侍女に呼ばれ、別室で王妃の体調について話し合っていたエリッサと医師は、急ぎ寝室に入る。


「熱がありますね」


 体温計を仕舞い、医師は簡潔に言った。


 寝台に引きずり込まれたフリードリヒは、いまだにぼうとしたまま。

 体の不調を訴えられぬほど怠いのか。あるいは不調に気付かないのか。


 脈拍を計った医師は、ふと気付き、再び体温計を取り出す。


「失礼します、こちらを……それから、触診をさせていただきます」


 フリードリヒが頷いたのを確認し、医師は服を脱がし、主に下腹部に触れる。


 医師はああ、と呟くなり、心底申し訳なさそうな顔で、再び失礼しますと言った。


 疑問を持つ間もなく、医師は敷布の中に手を入れ、ためらいなくフリードリヒの下半身を探る。


「え、えっ、ちょ、え?」


「少し我慢なさってください」


 敷布で見えぬように配慮はしているが、止めろと言われて止めるようでは、医者ではない。


 容赦ない手早さで下着を下ろし、肛門に器具を挿入する。


「ひぁ、いっ」


「すみません、すぐに終わりますから――はいわかりました」


 未知の痛みと恐怖にわななくフリードリヒを口早になだめ、医師は実に素早く診察を終えた。

  

 衣服を整え、不安で今にも泣きそうなフリードリヒに、医師は微笑しつ、診断結果を伝える。



「おめでとうございます。御懐妊です」


「……へ?」


 間抜けな声で聞き返す王妃に、医師は呆れることなく、再び言う。


「妊娠しております。この体温、胎内の感触も間違いありません。おめでとうございます」


「んと……どうも?」


 いまだ現実を受け止めきれていないフリードリヒに対して、侍女達は喜びに沸き立つ。


「おめでとうございます、王妃様!」


「ああ、本当にようございました……健やかな御子に恵まれますように」


 中には感動のあまり、涙を拭う者まで。


 エリッサ一人が冷静に、侍女らを寝台から追い払い、妃の傍にひざまずく。


「おめでとうございます。今までの王妃で、御懐妊されたのはフリードリヒ様のみ。皆が浮かれてしまうのも、無理はないかもしれません」


「そ、なの?」


 四人の元妃の誰もが、妊娠すらしなかった事実に驚く。


「ふうん……」


「フリードリヒ様?」


 再び一抹の不安がよぎる。


 このまま産んでよいものか。

 今までの妻たちは、呪われた血だから、伽すら拒んだのではないか。


 あるいは、王が。


  

「……ううん。んと、寝る」


「かしこまりました。お休みなさいませ」


 なんにせよ、王の真意はどうでもよいと決めたのだ。


 ただ次代のために、子を為すだけだ。


「……呪い、か」


 自身の腹を見ても、貧相にへこんでいるだけで、内にそんな大層なものが在るなどと、理解しかねる。


「……あ」


 ケツァルコアトルは、妊娠している事を知って、フリードリヒに真実を話したのかもしれない。


 呪いを解くことができるならば、それを選ぶべきだろうか。


「……も、やだな」


 頭の中が混乱しきっていた。

 妊娠なんかしなきゃよかったのに、とさえ思ってしまう。


 もっと考える時間が必要だ、という言い訳のもと、毎度お得意、結局は夢に逃げ込んだ。



――おう風よ、おう風よ、またお前の望みどうりか。憎らしや


――いいえ。これもまた、ひとつの結果です


 聞き慣れたケツァルコアトルの声が、何者かと言い争うていた。


 声のみで、姿は捕えられない。

 四つの声が重なり、ひとつの言葉を紡ぐ。

  

――白々しい。無垢なる子を騙し、荊の道へ引きずり込むとは


――騙しているのはどちらですか?これは世界の導きです。さっさとこの子の意識から出ていきなさいよ。このすちゃらかぽんたん


――喧しいわ!やるかこの間抜け鳥


――黙りなさい!この間抜け鳥



 なんだかもんのすんごく、子供じみた言い争いをしていた。


 どうでもいいけど、悪口の語彙少なくね?と思った矢先に、フリードリヒは目が覚めた。







「……むう」


「フリードリヒ様、今日は朝から機嫌が悪くて……」


「よくない夢でも見たのかしら……」


 事実、夢見はよくなかった。喧嘩なんぞ、気分のよいものではない。


 起床してからの診察を終え、軽食を摂る。


 フリードリヒの体力では、一度に多くの食事は不可能とされた。

 だから日に何度かに小分けにすることにより、なるべく多くの栄養を摂れるようにとの配慮だった。


 というのに、物があまり喉を通らない。


 普段なら、なるべく残さぬよう努力するのだが、フリードリヒはその気さえ起こさなかった。


「……」


 眉を寄せ、肉刺しを手慰みに扱う王妃の様に、何がここまで彼を不機嫌にしたのか。侍女たちは戦々恐々としている。

  

「フリードリヒ様、お下品です。足はぶらぶらしない。食事をなさらないのなら、肉刺しを置くこと」


 見かねたエリッサが、子を叱るように注意する。


 元来素直なフリードリヒは、そのとうりに正す。


「どうされました?口で言わねば、わかりかねる事もあります」


「……ううん。大丈夫」


 どう見ても大丈夫ではないが、本人にもよくわからないのだから、説明のしようがない。


 エリッサは仕方ないとばかりに頷くと、フリードリヒの手を取った。


「では気晴らしに、少し出歩きましょうか?」


 何が変わるというわけでもあるまいが、その提案にフリードリヒは乗った。







 風の流れを取り入れる構造の宮殿内とはいえ、やはり暑いものは暑い。


 はしたなくも、首元の釦を外し、侍女たちに風を送ってもらっているが、北の人間には地獄の窯の底だ。


 傍らのエリッサは、しっかり衿をつめ、おまけに手袋までしている。


「……暑くー、ないの?」


「慣れましたわ」


 にっこり笑顔で返され、納得する他ない。


 それにしても、アルヴァに来たばかりの時は、自力で歩くことさえ困難であったのに、今は誰かに少し寄り掛かる程度で、ほとんど自分で歩める。

  

 自身の気づかぬ所で、物事は着々と変わっていくのだ。


「……お医者様は?」


「フリードリヒ様のための、新しい医療班を組むとかで、宰相殿とお話しされています」


 どんどん大きくなっていく話。もはや他人事ではいられない。

 たとえフリードリヒや王が望まぬとも、周囲は期待している。


「……ふうん」


 間の抜けた返事に、さすがにエリッサも心配になったらしい。王妃の顔をまじまじと見る。


「夏ばてではないようですわね……戻られますか?」


「ううん、平気ー……」


 そのまま、エリッサの先導のもと歩き続けていた。


 フリードリヒは疲れた様子も見せず、興味の赴くまま、建物内の構造を見る。


 何度か通ったにも関わらず、飽きるということを知らないのか。


 しかしふいに、フリードリヒがエリッサの袖を引いた。


「え?――あら、運が良いやら」


 悪いやら、という言葉は飲み込み、王妃の乱れた衿を詰めてやる。

 というのも、エンディミオが執務室の扉を乱暴に開けて出てきたからだ。


 機嫌は良くないらしく、後に続く大臣たちは、恐る恐る王の顔色を窺う。

  

 普通なら、妃とそのお付きは道を開き、王に頭を下げるもの。


 だが何を思ったか、フリードリヒは過ぎ去るエンディミオのマントの端を掴んだ。


 足止めを食らった王は、憎らしい敵を見るかのごとく、フリードリヒを睨みつける。


「え、あ、あのぉ……」


 エンディミオの怒りによる圧力に、さっぱり言葉が出ない。

 王を煽るその行動に、大臣や侍女たちは今にも卒倒しそうだ。


 舌打ちをしたエンディミオは、意外にも周囲の者らを人払いした。

 エリッサのみ、最後まで残ったが、フリードリヒが頷いたのを見て、去っていく。



 怯える妃に向き合い、エンディミオは懐中時計片手に話しかける。


「割ける時間は一分だ」


 厳しすぎる宣告に、慌てふためくフリードリヒ。うっかりどうでもよい事を言ってしまう。


「ああの陛下、わたくしえーと子供をー……授かり、まして――」


「知っている」


 ばっさり切り捨て、そんな下らん事のために止めたのかと、さらに威圧をかける。


「そそうじゃなくて、んと……こちらに、来た時からー……考えて、いた、んです」


 ああ、どうせ殴られることは目に見えている。

 ならば言ってしまおうと、フリードリヒは手を握る。

  

「陛下は、子を望んでおられない」


「何を――」


「もう、限界だから……呪われた王家を……戦で奪った民が、支持、するはずが、ないです……それが、優れた王でも」


 民衆心理の愚かさと悲しさは、フリードリヒがロメンラルにいた頃から感じていたものだった。


 例えば不作の時も、生活基盤を整えるために税は取らねばならない。

 しかし自分たちのためであるにも関わらず、民衆は伯爵を穀潰しと叩いた。


 伯爵の政策が悪かったのもあろうが、それにしても無情な話である。



 一方アルヴァは、長い歴史の間に、様々な国を侵略、併合してきた。


 故郷を、文化を奪われた人々の憎しみはいかばかりか。


 殆どの場合は、アルヴァ王の政策に納得し、統治に従う。

 だがいつの時代も、反逆者はいるもの。


 故に民衆の精神的支柱である教会が、政に介入するジレンマも抱えていた。


 それでも尚、いや教会があればこそ、人々は呪われた王家を忌まわしく思う。


 狭い領土を独裁するサイーラや、力を振るう恐怖政治のリウォインとは違うのだ。


 呪われた王なぞ、様々な民族の混じり合う世論の許すところではない。そのうちに、革命や紛争が起こるだろう。


 さらにフリードリヒは、聞き取りにくい小さな声で付け足した。


「それに……僕も、生まれてくる子が、神憑きなのは、やだし」

  

 そこまで聞いたエンディミオは、呆れたように言い放つ。


「そなた、思考は異常に遅いが、思慮は深いな」


「え……」


「ではそこまで考えていながら、何故そなたは夢を見る?」


「はえ?」


 今は起きているではないか、という前に、エンディミオはフリードリヒの顎を捕らえ、目を合わせた。


「眠りに見る夢ではない。現実から目を逸らし、決定を他人に委ねることだ。今でさえ、私と目を合わせず、子供の事でさえ、私に選択を譲る」


 よくわからず、フリードリヒが首を傾げると、苛立ちをそのまま顎の骨にぶつけられた。


「いっ、い……」


「私の話をしたとて、そなたの役目は子を産むこと。何を恐れる必要がある?」


 それを聞いて、フリードリヒは、はたと目を見張った。


 確かに、政から隔離され、周囲からは歓迎され、苦しいことなど、何ひとつないのだ。


 ただひとつあるとすれば――


「もう、夢を見るのはやめろ」


 それだけ言い、エンディミオは手を離す。

 時間が推しているからか、時計を確認し、眉をひそめた。


 去ろうとする王に、フリードリヒは言うべきか迷った。


 ただひとつ、フリードリヒが恐れること。


 それはこの生活がなくなること。すぐ近くまで迫る永遠の眠り。すなわち、死を。



 半ば投げやりに、神憑きの青年は言い出した。


「もし、呪いを解く方法があるならば……?」

  

 ぼそりとした声にも関わらず、思いのほか地獄耳な王は、足を止めた。


「何……」


 獅子は食らいついた。フリードリヒはやけくそになり、打ち明けた。


「神様が、おっしゃってました……神憑きが、アルヴァとリウォインにしか生まれ、ないのは……呪いを解く、ためと」


「馬、鹿な……では今までの神憑き共は、何故それを成さないでいた」


「んと……多分、情勢とか、神憑きの、心情、とか?」


 かなり無茶な理由だが、そう答える他ない。


 先ほど宣告した一分を越えているにも関わらず、エンディミオは再び王妃に向き直る。


「詳しく話せ」


「えと……方法は、わたくしが考えなければ、ならないみたいでその……いたいいたい」


「要するに何も知らぬと」


 こめかみを締め付け、余計な期待を抱かせるなと咎める。


「ふあ……申し訳、ございません」


「もうよい。近い内に話す時間を作ってやる。それまでに要点をまとめておけ」


 溜め息をついて去ろうとする王に、フリードリヒは慌てて引き留めた。


「あ、お待ち下さい陛下ー……一人では、戻れない、です」


「……は?」


「というか、ここはどこでしょー?」


「え?」



 人払いをした故、誰もそこを通ろうとはしなかった。


 暴虐の黒獅子王に送らせる前代未聞の妃は、後に化け物を見る目で見られるとかないとか。


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