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トロイメライ  作者: 嘘吐き
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6


 執務室では、エンディミオが検査済みの手紙や書簡を読んでいた。


 膨大な紙の山を、最初の三行だけ読んでは机の端に捨てる。


 本当ならば文官の仕事だが、新婚とあり量が尋常ではないため、王にまでまわってきた。


 くだらない仕事だと思いつ、だが投げるわけにもいかない。エンディミオはひたすら作業を続けた。


 個人や団体、企業ならば文官が見るが、公爵や他国の王族からはエンディミオが担当する。

 マーガンエン公国からの祝いの手紙を投げ捨て、次の手紙の差出人を見た時、黒獅子王の手が止まった。

  

 封筒を閉じる蝋に押された紋章と、差出人を再度確認すれば、確かにロメンラルからであった。


 だが差出人の名はアレックス・ケーフィンとある。伯爵の名はフランツのはずだ。


 改めて手紙を読み、エンディミオは宰相を呼び付ける。


「陛下、どうなさいましたか」


「読め」


 手紙を押し付け、宰相が読み終えるまで待つ。


 手紙を返したダイケンは、沈痛な面持ち。


「陛下……どうなさいますか」


「どうするも何も、そのまま王妃に伝えろ」


「それはそうですが……とはいえあの方はまだお若い」


「それがどうした」


 それだけ言い、エンディミオは作業に戻る。


 ダイケンは一礼し、もう一度手紙を読み直す。


「私が直接、お届けしてもよろしいですか?」


「好きにしろ」


 許しを貰い、宰相が執務室を出る。


 足早に王妃の寝室に向かいながら、ダイケンは溜息をつく。


 手紙の内容は、ロメンラル伯フランツ・ケーフィンの訃報であった。



 寝台で、シーツに包まりながら手紙を読んだフリードリヒは、取り乱すこともなく、文をエリッサに預けた。


「……父様、今まで……病気な、んて、ひとつも、なかった、のに……」


「フリードリヒ様、どうかお気を確かに」


「だ、いじょうぶです……んと、僕はどーしたら、いいのでしょう」


 涙ひとつ浮かべないフリードリヒに疑問を覚えつつも、ダイケンはこれからの段取りを教えた。

  

「フリードリヒ様がお望みになるならば、ロメンラル伯の葬儀に参列することは可能です。どうされますか?」


「んと、でしたら、お願い……します」


「かしこまりました。手続きと準備をしておりますので、しばらくお待ちください」


「わかり、ましたぁ」


 ダイケンは一礼し、静々と出ていく。


 フリードリヒは心ここにあらずとばかりに、ぼんやり宙を見ていたが、心配した侍女に熱い紅茶を進められ、手に取る。


「おいたわしや、フリードリヒ様……どうか気を落とさずに。私もお伴しますからね」


 よしよし、と頭を撫でられ、フリードリヒはふと思い立つ。


「手紙、も、いちど見せて」


 エリッサが渡すと、フリードリヒは舐めるように便箋を見つめる。


「どうされまして?何か、気になることでも」


「アレク兄様はー、字が、お綺麗だなあ、て」


「え?あ、そう、ですわね。良い教師がついたのでしょう」


「いいなー……そ、いえばぁ、ロラン兄様はどーしてるかなあ」


 のんびりと二人の兄を思い出すフリードリヒに、まさか気が狂ったのではと、エリッサは慌てる。


「フリードリヒ様、大丈夫ですの?無理はなさらないでくださいまし」


「その、父様の印象……薄くてー」


 紅茶をちびちび飲みながら、恥ずかしげに言う王妃。


 ロメンラルにおいては軟禁状態にあったためか、自身の親にすらろくに会ったことがないと語る。


「正直、父様の印象ってー……髭?」


「そうですの……まあ、腐っても親は親ですわ。見送って差し上げましょう」


「うん」

  

 夜もふけた頃、エンディミオが宰相を連れて王妃の寝室へやって来た。


 あまりの突然の訪問に、侍女たちは慌てて姿勢を正す。


 黒獅子王とその妃が、長椅子に座り、向かい合う。


 最初に口を開いたのはエンディミオだった。


「伯爵の葬儀に参列するそうだな」


 侍女がいれた珈琲に目もくれず、厳格に言う王に、戸惑いながら頷くフリードリヒ。


「許可できぬ」


「……ぅえ?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまった王妃に構わず、エンディミオは理由を述べる。


「ロメンラルに行ったところで何をする。こちらから使いの者をやればよい」


「え……えー?」


「以上だ。戻るぞダイケン」


 組んでいた脚を戻し、エンディミオは問いも受け付けず去る。

 宰相は非常に申し訳なさそうに頭を下げ、王に着いて行く。


「な、んで……?」


「フリードリヒ様が行ったところで、陛下に損失はないはず……どういうことでしょう」


 エリッサもしきりに首を捻る。

 仕方ないと、フリードリヒは寝台に戻った。


「……兄様に、会いたかった、な……ふあぁあ」


「フリードリヒ様……」


 寝入った主の頭をいたわるように撫で、エリッサは離れた。

 明かりを消し、侍女たちは寝室から出る。

  

 フリードリヒは外に出ず、ぼんやりと物思いにふける日々を送っていた。


 今頃、故郷では父の葬儀をしているのかと思うと、どこかやるせない気分になる。

 医師はその様子を見て、眉をひそめた。


「王妃様、お気持ちは痛いほどわかりますが、少しは体を動かさねば、かえって精神にも悪うございます」


「……うん」


「痣も薄くなってきましたし、体もだいぶ軽くなってきましたでしょう?この調子で続ければ、元気な御子が――」


「……あ、そだ。アレク兄様に、手紙書こう」


 侍女から便箋とペンを受け取り、フリードリヒはうきうきといった感じで、文を綴り始めた。


「聞いておられなんだ……」


「すみません。フリードリヒ様が落ち着くまで、もう少しかかりそうですわ」


「それは致し方ありません。とはいえ、心配です。精神的に弱っていると、場合によってはもっていかれます」


 神の精神に負け、意思と自我を失う。それは生きる屍になることだ。


 医師は医療記録を書きながら、フリードリヒの行く末を案じて頭を抱える。


「しかし陛下は、何故許可をなさらなかったのかしら。我らの王とはいえ、少し神経を疑いましたわ」


 さりげに陰口を叩きながらの侍女頭の疑問に、医師は即答する。


「北部はヘルガ女王の力が非常に強い。特に、神憑きを忌み嫌うリウォイン王家は、それが高位聖職者だろうが貴族だろうが、構わず投獄したかと」


「はあ、さすがは白鷺王。アルヴァの妃といえど容赦はしないか」

  

「できたー」


 早くも手紙を書き終えたらしい。

 便箋を受け取った侍女が一礼し、届け出のために寝室から出る。


「どうされたのです?突然、手紙だなんて」


「葬儀に、行け、なくて、ごめんなさいと、書いておいた……兄様、今は忙しいだろうから」


 もう今日の分のやる気は使いきったのか、あくびをひとつ。そのまま寝台に倒れ込み、眠ってしまった。


 どこかすっきりした顔で寝息をたてるフリードリヒを見て、エリッサは納得した。


「これは……多分、大丈夫かもしれませんわね」


「と、いいますと?」


 侍女たちも気になるのか、仕事の手を止め上司の言葉を待つ。

 エリッサは肩をすくめ、もう知らないとばかりに言い捨てる。


「ふっ切れてますわ。完璧に」







 ぐうすか眠っているフリードリヒの頭に衝撃が走る。

 驚きと、遅れてやってきた痛みに目を開けば、エンディミオが呆れたように寝台に座っていた。


 フリードリヒは目を擦り、慌てて起き上がる。

 人払いをしたのか、侍女たちはいない。


「んと……伽、ですか?」


「それ以外の用が思いつくか?」


 さっぱり思い浮かばなかったので、フリードリヒは素直に首を横に振る。


「そうでした……陛下、ずっと考えてて、わかったので、すが……わたくしが帰ったら、兄様たちに、迷惑、です、よね」


 北部で隠し通してきた神憑きが露見すれば、ロメンラルは様々に叩かれるだろう。

 場合によっては、家が取り潰される可能性もある。

 

「だからー、その、ありがとう、ございました……」


「この数日、それだけを考えていたのか」


「あ、あええと、もひとつ……」


 搾り出したような礼も、当然とばかりに受けるエンディミオ。

 会話の機会が少ないフリードリヒは慌てて、とんでもない付け足しをした。




「あの、わたくしは……陛下のことあんまり……好きじゃない、です」


 黒獅子王の凍てつく視線を受けながらも、フリードリヒは言い切った。


「もう無理は、よします。尊敬は、してる、んですー……ですから……」


「だから何だ」


 この期に及んでもまだ迷うフリードリヒの言葉を、エンディミオが促す。

 覚悟よりも諦めに似た感情で、王妃は誓う。


「役割は、果たします……陛下の真意は、もういいです……わりきり、ます」


 フリードリヒは俯き、来るであろう暴行に備えて奥歯を噛み締める。

 しかし予想に反し、力強く顎を捕らえられ、王と視線がかちあう。


 顔を背けることさえ許さずか、とフリードリヒがいろいろ諦めた時、久々にエンディミオが微笑した。


「ようやく王族というものがわかったか。そうだ、愛や恋などの夢物語なぞ、私は、国には不要」


 エンディミオは顎から手を離し、フリードリヒの白い頬を撫でる。


「今までの妃共は下らぬ連中ばかりであったが、そなたは王妃として認めてやっても良い」

  

 厳格であり、責任感の強いエンディミオは、相手にも高い志や責任を求めるのだろう。


 フリードリヒは驚愕のあまり返事ができずにいた。


 一方エンディミオは、よい事を思いついたらしく、妃に顔を近づけた。


「では我が妃に秘密をひとつくれてやろう。ロメンラル伯……そなたの父親を殺したのはヘルガだ」


 さらなる衝撃に、フリードリヒは居住まいを正す。


 恐るべき白鷺王は、表立って裁けない者を、魔女の力で呪い殺すというのは北部の常識だ。


 ヘルガに反抗する者が、証拠もなく淡々と死んでいく様は恐怖でしかない。


 ロメンラル伯が殺された理由は明白だが、アルヴァとの繋がりを重く見たヘルガは、当主だけを殺すにとどめたのだ。

 今回は警告だとばかりに――



「ど、して……それをわたくしに……」


 証拠がなくては糾弾のしようがない。白鷺王は知らぬ存じぬを貫くであろうし、アルヴァも得の無い争いはいらない。


 エンディミオは微笑したまま、フリードリヒを寝台に押し倒す。


「黒獅子王の妃ならば、この情報を有用すると期待してのことだ」


「……はあ」


 王はフリードリヒの服を脱がしながら、自嘲ぎみに言い放つ。


「我らの間にあるのは利権のみ。さっさと呪われた王を孕め」


 その発言にフリードリヒが疑問を覚えた時、彼の耳元で翡翠の鳴き声がした。


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