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トロイメライ  作者: 嘘吐き
4/20

4


「ッあ、ああああ!?」


 両腕を駆使し、這うように起き上がる。

 白いシーツの、寝台が目に入る。


「あ、あ……ああ……」


「フリードリヒ様、いかがなさいまして!?」


 悲鳴を聞き付けたエリッサが、天蓋布を勢いよく開く。


「……う、あ」


 何と説明したものか。悪夢というには、性質が悪すぎる。


「ああ、おいたわしや。ゆっくりとお休みなさいませ……」


 柔らかい布で、そっと涙を拭われる。泣いていたのか、とフリードリヒは呆然とした。

  

 まるで自身の両腕をもがれたような、生々しい夢であったが、きちんと腕は健在している。


 フリードリヒの内にいる神が見せたものか。見知らぬ光景であったが、心当たりはあった。



 手の平を見つめたまま動かない妃に、エリッサが刺激しないよう、そっと話かける。


「お疲れのようですね。お眠りなさいませ……神憑き様に仕事を与えるような国ではありませんから」


「……うん」


 なんとか声を搾り出し、頷く。

 今さらになって、身体の怠さ、いつにない頭の重さを感じ取った。


 エリッサに寝かしつけられ、フリードリヒはすぐさま深い眠りにつく。



「ご容態はどうですか?」


 エリッサの後ろに、男の影。

 眉間に皺を寄せ、宰相ダイケンは唸るように聞いた。


「医療記録をご覧になりまして?殴打による内出血、肛門は裂けて出血してますし、嘔吐もしたようなので、点滴をせねばなりませんでしたし」


「……陛下」


「医者の顔も青ざめておりました。特に酷いのは、これね」


 エリッサが寝ているフリードリヒの襟を少しめくる。

 そこには首を絞めた跡が、まざまざと残っていた。


「っ、これ、は」


 王の暴虐を長年、目の当たりにしてきたダイケンでさえ絶句し、目を逸らす。


「陛下は、神をも恐れぬのか……今度は何が気に入らぬというのでしょう?」


「……そういえば、フリードリヒ様が、お世継ぎはいるのか、と問うた際、陛下はお答えにならなかった……むしろ、余計なことを言うなと、暴力を振るいましたわ」

  

「なんと、それは真ですか」


 曖昧模糊を嫌うエンディミオにしては珍しい。

 世継ぎがいらない、というのは困る。


 アルヴァ王家は――六代前の王以降、ある理由から一子しか恵まれず、近い血は全て断絶した。


 現在残っている諸公は、他国の血が濃く、また実力主義が強いアルヴァでは、中流階級の大臣もいる。


 辺境伯の、しかも三男が妃にまでなれたのは、緊急性と、アルヴァの文化によるものだ。



「可哀相な方。知らぬ国に送りつけられ、このような目にあうなど……」


「……で、フリードリヒ様の荷を纏めている、と」


 エリッサはもう諦めていた。まだ若い彼が、耐えられるはずもない。

 泣きわめけるならばまだいい。自失してしまうようならば、自害する前に離婚をするべきだ。


「宰相として言わせていただくと、お世継ぎを残してからにしてほしいものです」


 あっさり残酷なことを口にするダイケンに、エリッサは嫌らしい笑みで応える。


「ダイケン殿も言うようになりましたな。喜ぶべきところかしら」


「そも、私は抑止力になるかと、無理に貴女を侍女頭にしましたのに、無駄でした」

  

 何故か議論から皮肉の言い合いに。侍女頭と宰相の間に、剣呑な空気がただよう。


 王妃の目の前で、二人はみっともなく口論をはじめた。


「もう軍を退いて何十年も経ってます。まだ三十半ばの、しかも陛下を止めるなんて、死んでも不可能ですわ」


「でしたら一度死んでも止めてください。まだ元気な元軍人が何をおっしゃるか」


「だいたい、私ぐらいしかいなかったの?人望が無いこと」


「厳正なる調査をして、貴女が適任と思ったからです。貴女とて、ふたつ返事で了承したではありませんか。そこまで言うのでしたら、辞めてもらって結構です」


「こんの、小僧――」


 さらに争いが発展しようという時、フリードリヒの咳込む声がした。


 彼は眠ったまま身体を痙攣させ、寝台に胃液を戻していた。


「ダイケン、医者を呼びなさい。早く!」


「は、はいっ」


 宰相に鋭く命じ、エリッサは窒息しないよう、フリードリヒを俯せにして口に指を突っ込み、全て吐き出させる。


 何も口にしていないフリードリヒは胃液しか出さないが、それでもまだ起きなかった。


「意識がない……?フリードリヒ様!聞こえますか!?フリードリヒ様!」


「医者です、通して下さいっ」


 駆け込んできたのは、神憑きたるフリードリヒを考慮して新しく入れられた医師。

  

 この医師は、医療の他に、神学の知識も深く、神憑きの扱いをよく理解していた。


 呼びかけられたフリードリヒが、不快感と共に目を覚ます。


「……う、あ」


「ああ、ようございました。エリッサ殿の処置がよかったのです」


「それはどうも。それで、いかがしたのでしょう」


 フリードリヒの背中をさすりながら、エリッサは固い声で聞く。

 くだらない口論なぞしていなければ、もっと早くに気づけたかもしれないのに。


 侍女頭の心中など知らず、医師は腹や胸を触診したり、目を検診した。


 そしてきっぱりと、医師らしくないことを言い放つ。


「怖い夢でも見ましたね」


 フリードリヒは初対面の人間に話かけられ困惑したが、医師だということを認識すると、素直に頷いた。


「神が見せますから、現実のようでしょう。今のは拒否反応ですよ」


「……?」


 意味がわからず首を傾げると、医師は微笑みながら、ゆっくり解説。


「貴方の精神……心が、見ている夢に適応、呑まれないように、貴方の身体が本能的に貴方を守ったのです。何も怖いことはありませんよ」


 安心させるように、ゆっくりと語りかける。

 この人が神様だったら、眠りも楽しいだろうな、と考えていたフリードリヒは、あれ、と再び首を傾げる。

  

「お、医者様……ど、こか、で……会いまし、た?」


「いえ、初対面ですよ」


 夢で見たのだろう。フリードリヒはそう納得し、医師が医療記録を書いている様を眺める。


「不安そうですね。このような事は、初めてですか?」


「……はい」


「そうでしょう、神憑かみがかりは、一時、病として扱われた時代もありました」


 フリードリヒは猛烈な眠気が、恐ろしくなっていた。


 怖い夢ならば目覚めればいい。だが現実にまでおよぶものとなると――あのように苦しい思いをするなら、できればもう眠りたくない。


 それを察した医師は、妃の心の安寧のために言葉を重ねる。



「失礼ですが、王妃さまは、神と言葉を交わしたことは?」


「いえ……語りかけ、ては、きま……ふああぁ」


「……内なる神を、感じてください」


 医師は脈絡もなくそう言うと、フリードリヒの胸に手を当てた。



「目を閉じ、手を開いて……そう。好きな間隔で呼吸してください。そして呼吸と、胸の鼓動に意識を傾けて」


 言われた通りにすると、フリードリヒの意識は容易にとんだ。


――調和、風、均衡



 目を開くと、医師とエリッサに支えられていた。


「何か、聞きましたか?」

  

 今の単語をそのまま言えばいいのだろうか。

 フリードリヒは恥ずかしげに、おずおずと口にする。


「調和、風……均衡、と」


 それだけだと言うに、医師は口をぽかんと開き、顔を青ざめさせた。


「な……奇跡か……」


「早くおっしゃってくださいまし」


 呆れたエリッサが催促すると、医師は呼吸を整え、フリードリヒの耳に顔を近づけた。


「王妃さまの内におります神の名は――とされています」


 さっぱり聞き取れなかったが。しかし医師が離れていくと、遅れて理解ができた。


「け、つ」


「その名を決して口外しませぬよう」


「は、はい……」


 医師はぴしりと注意しつつ、医療記録に何かを書き足す。

 そして場をはばからず独り言を展開。


「神域の最古の一柱……ああもう、奇跡というより、もはや馬鹿馬鹿しいというか……まあ悪い方ではないが――」


「あのぉ……」


「はい、なんでしょう?診察はおしまいですよ」


 記録の写しをエリッサに渡し、医師は早くも、帰る準備をしていた。


「……あり、がとう、ございます」


「どういたしまして。お大事に」


  

 医師はフリードリヒが眠ったことを確認し、エリッサを手招いた。


「あのですね、子供のことなのですが」


「……無理そうですの?」


「一度ならいけるとは思います。ただ、男性の場合、鎮痛剤や促進剤などの薬を多く投与しますので、そちらが不安です」


「……わかりました。体力をつけさせておきます」


「少しずつでいいですから、体重を増やしてあげてください」


「努力いたします。ご苦労様でした」


「いつでもお呼びください。あ、伽は再来週まで禁止でお願いします」


 医師は一礼し、足早に去っていった。


 エリッサはため息をつき、部屋の隅で成り行きを見守っていたダイケンに近づく。


「宰相も暇ですのね」


「からかうのはよして下さい。フリードリヒ様は大丈夫なのですか」


「あなたが選んだ医者でしょう?それに私がつきっきりで見ています」


「……わかりました。陛下には心配なきよう、報告しておきます」


「あと、再来週までここにはこないで、ともね。もし来たら、暴れ牛が特攻いたしますわ」


 二人は妙な結束をし、笑い合った。

 王に忠誠を誓ってはいるが、正直、見ていられない部分もあったのだ。

 アルヴァの自由な気風は、こういったところで厄を生んだりもする。


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