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トロイメライ  作者: 嘘吐き
18/20

/.Ruf 2


 死と不吉の預言は、少しずつ、だが確かにフリードリヒの精神を蝕んだ。


 流行り病や、国境での小競り合いを預言し、それは必ず成就した。

 しかしそれら不幸を止める術を、フリードリヒ自信は持たないのだ。


 ただ訪れる悲劇を、端から見ていくしかない。

 そのもどかしさの、なんと苦しいことか。


 混乱を招くとして、預言の記された紙片は、公のものにはされず、内密に保管された。


「王妃様、僭越ながら私が思うに、これらの預言を避ければ、死や災いは逃れられるのでは?」


「……え?」


 だが預言の閲覧を許されているセシルは、度々フリードリヒの元を訪れていた。

  

 預言の紙片は全て王室で管理しているが、恐らくセシルは内容を記憶し、宗主に伝えているだろう。


「そうは思いませんか?私は来月、リウォインに行けば確実に死にますが、行かなければ生き延びます」


「え、あ……そうなの?」


 逆転の発想だった。傍らの鵲を見ると、まるで死骸のようにひっくり返り、小匙をくわえて遊んでいる。


『知らんわ。勝手に解釈するがよい』


「んと、好きに考えなさい、だそうです」


 それを聞いたセシルは、先日成された預言の紙を広げる。


「ご覧ください。

過去なく、未来なく、恐れなき者とは、私を指します。私は教会に生涯を捧げていますからね。

そして、身代わりとなりて赴けど、とは宗主の代わりに行けど、と解釈できます」


「……はあ」


 セシルの言葉はどこか独善的ではあるが、あまりに容貌が美しいため、間違いないという錯覚をしてしまいがちになる。


「盲いた魔女とは、ヘルガ女王のことです。彼女は目が悪いと聞いています。

餓えた魔女とは、恐らくリウォイン国境沿いにある、メッシュード共同大墓地の、腐敗の魔女を指すかと」


 そこまで聞き、フリードリヒはあれ、と疑問が沸いた。


「魔女って、ヘルガ様だけじゃあ、ないのですかー?」


 てっきり、魔女はヘルガただ一人と思い込んでいた。

 しかし“忌まれし森"が魔女を犠牲に発生したならば、他にいてもおかしくはないわけで――

  

「ええ。存在しておりますよ。教会が確認している限りでは、七人です」


 隠すことでもないらしく、セシルはあっさりと答えた。


「お、おお……と、いうことは」


 ヘルガのようなおっかない人物が、あと六人もいるというのか――フリードリヒは目眩を覚えた。


 王妃の不安を察したセシルは、微笑を浮かべて諭した。


「ご安心ください。ヘルガ女王が特別に卑怯で嘘吐きなだけで、他の方は普通ですから」


「そ、うなの?」


 セシル曰く、ヘルガの言葉の九割は意味のない嘘だという。

 人付き合いに慣れず、なんでも真に受けてしまうフリードリヒは、恰好のカモだった。


「ヘルガ様……ひどいー」


「とはいえ、魔女らが教会を敵視しているのは事実です。どうかお気をつけて」


 ヘルガがフリードリヒを忌み嫌うのは、リウォイン王家の威光を守るためだ。


 だがそれとは別に、魔女と教会の根は深い。


 教会関係者と深く関わるフリードリヒは、何をせずとも、魔女に嫌われるだろう。


「――して王妃様。故に私は、御身に大恩を感じております」


「そんな……んと、お礼ならば、神様に」


「そういった謙虚さも、素晴らしい。どうか自信をお持ちくださいませ。

“忌まれし森"を昇華なさったことを、我らが宗主は大変に感謝しております」

  

 そう思うのならば、ヘルガをはじめとした魔女らに、エンディミオに――そして人生を潰された神憑き達と、角を折られた神に、心から謝辞を伝えるべきだ。


 あまりに犠牲が多過ぎた。

 エンディミオ達が宗主を嫌うわけを、フリードリヒは少し理解した。



 つと、鵲が喚いた。

 黒耀石の鏡に、数式が浮かぶ。


 嫌気がさしてきたフリードリヒだが、セシルが期待を込めてこちらを見る。


 しかもテスカトリポカの様子もおかしい。早くしろとばかりに、鳴いている。


 渋々と、フリードリヒは筆を取った。


 だがその内容に、二人は首を傾げた。

 全く、意図が掴めないのだ。



 血を背負う魔王が

 革命の旗を手に来る

 ただ終を導くために


 嘆きの歌は文明を焼き尽くし

 あまねく過ちを滅ぼす

 跡には悔恨が残る



「魔、王?」


 おどろおどろしい、謎めくその肩書き。


 一体それが何者を指すのか、それは誰にもわからなかった。


 テスカトリポカに聞こうと、鵲の方を見たフリードリヒは、絶句した。


 戦神は本来の姿をあらわに、預言を見ていた。


 いつもの張り付いた笑みは、無の表情となっている。


『……魔王』


 それだけを呟いたテスカトリポカは、鵲に変体し、羽ばたいては虚空に消えた。

  

 謎の預言の後、テスカトリポカは預言をしなくなった。セシルも、教会に戻ったまま音沙汰ない。


 だが悩む暇もなく、リウォイン和平特使を迎える日が来てしまった。


 侍女らに寝台から引っ張り出され、化粧だ着付けだと忙しい。


 この時点でフリードリヒは目が回りそうだったが、エリッサに半ば抱き抱えられるように移動を強要され、本当の意味で目が回る。



 和平などと甘ったれたことなど、アルヴァもリウォインも納得はしていない。


 いわば、ふたつの国は戦争を望んでいた。

 長い因縁は、もはやどちらかが滅ぶまで続く。



 だが、今はまだその時ではない。

 ヘルガは年を召し、だが継承者はいない。

 今にも侵攻に乗り出しそうなアルヴァを抑えるため、和平特使を、という次第だった。



 軍法会議に出る王の代理として、フリードリヒは和平特使を城門で出迎えた。


 和平とは程遠い暴虐王が迎えるよりは、リウォイン出身の穏やかな気質の妃が対応する方が、特使の印象も良い。


 特使として来たのは、リウォイン外務を取り締まる、ユーマイル公爵だった。


 魔女の統べる地においては、数少ない穏健派であり、悪辣なる女王の国が他国と交渉をできるのは、公爵の持つ信用に他ならない。


「ようこそアルヴァへ、公爵閣下」


「これはこれは王妃殿下。御目文字でき、光栄にございます」

  

 ユーマイル公は、その評判に違わず、穏やかに老いた男だった。

 なごやかさが服を着たような白髪の公爵が、なぜ悪い魔女に忠誠を誓うのか。それは永遠の謎だ。


 つと、公爵はフリードリヒの顔を見て、感心のため息をついた。


「ほんに、よく似ておいでですな……」


 何かと問う前に、ユーマイル公は護衛の兵士を呼んだ。


 紺の軍服を着た衛兵が、帽子を取る。

 その顔を見たフリードリヒは、喜びに表情が綻ぶ。


「お、ひ、さーん!愛しのフリッツー!」


「うぐあ!?」


 有無を言わさず抱き着く衛兵に、王妃付きの護衛が、険しい顔で取り囲む。


「ま、待ってください。この方は――」


「むふふ。いいよ、自分でやる」


 そのかんばせは王妃によく似通り、護衛らを戸惑わせた。


 銀髪に、抜けるような白い肌。悪戯を楽しむ藍の眼。

 精悍な顔立ちは、実際は軟弱なフリードリヒとは似ても似つかない。


「んーと、フリードリヒ様の兄にあたります。ローレンツ・ケーフィンと申します。

ユーマイル公の護衛任務に当たっております。皆様、お勤めご苦労様ですー」


 しかして物おじせぬ態度と、暢気な口調は、王妃のものと同じだった。

  

 フリードリヒの二人の兄がうち、次兄ローレンツはリウォインの軍に所属している。


 微妙な立場にある実家に配慮し、フリードリヒは兄弟とは会えないでいた。


「うにゃうにゃ~。フリッツ、元気してたかー?」


「兄様も、てか、くるしっ」


 抱き潰す勢いのローレンツを引き離し、相も変わらず陽気な兄を見る。


 かつて軟禁状態にあったフリードリヒに、唯一構っていたのはローレンツだった。


 ユーマイル公はその事情を知り、わざわざローレンツを護衛として組み入れた。


 外交に、相手方の身内や知己の者を動向させるのは基本である。

 とはいえ、微妙な立場のロメンラルだ。王の怒りを買わないかは、不安ではある。


 勇敢かつ、優しいユーマイル公に、フリードリヒはすぐさま心を許した。







 アルヴァの軍法会議は長引くようだ、と又聞き、ローレンツは欠伸を噛み殺す。


 卓を挟み、和やかに公爵と会話をする弟。今や大国の王妃。


 全く眠気を見せないフリードリヒに、疑問を持たないでもなかったが、まあ色々あったのだろうと割り切った。


「おい“ケーフィン様"よ。どうお近づきになるんだ?」


 隣に立つ同僚が嘲る。わざと姓を呼び、せせら笑う。


 ローレンツは同僚の方を見ずに、淡々と揶揄を返した。


「悔しけりゃ、身内に神憑きを出してみせろよ」

  

 凄まじい皮肉に、同僚は黙った。

 リウォインにおいて神憑きを輩出した家がどうなるかなど、火を見るより明らか。


 この程度で黙するならば話し掛けるな、とローレンツは毒づいた。猫に引っ掻かれたほどの痛みもない。







 テスカトリポカは痛みに呻き、這いつくばるようにして起き上がった。


『……クソっ』


 破壊された機能を探る。三つある疑似人格が、ひとつ失われていた。


 テスカトリポカは、無限ともいえる闇を見渡す。

 広大な神域の一層には、戦神以外にはただ一人の影があった。


『おう風よ、みすぼらしいわたしを見に来たか』


『なぜわたしがそのような真似を』


 白い身体に翠色の蛇を纏わせた男。金の眼はどこか軽蔑したように、テスカトリポカを見ている。


『裁定者はどこか』


『眠りに入りました。こちらから接続することはできません』


 テスカトリポカは解せないでいた。

 頭部に触れると、右側の角が一本、根本から折られていた。


 人を傷つけた者は、悉く角を折られ、力を失う。


 断罪の裁量は全て裁定者による。

 その真意なぞ、誰にもわからなかった。


 蛇神ケツァルコアトルは静かに糾弾した。


『無意義な契約を結び、結果的にあの子を傷つけた。その報いです』


『しかし選んだのは平和の君主だ。望むものは与えられるべきなのだよ』

  

 ケツァルコアトルは憤慨した。かの愚神は、事態をあまり理解していない。


『“魔王"の演算結果が出たのですよ。運命の環はあの子を巻き込み、もはや止まることを知りません』


『“魔王"は必ず生まれる。それは当然であるべきだ。

――それともなにか?お前が憑かねば、魔王は生まれなかったか?』


 この問答は無意味だ。ケツァルコアトルが憑かなければ、王家の呪いがなければ、忌まれし森がなければ。あの時――


『“翡翠の雪ぎ"よ、お前らしくもない。わたしたちの行いは間違いではなかった。

後悔でもしているのか?その乱れはなんだ』


 テスカトリポカはわざと、相手の怒りを煽る。

 しかしてその手には乗らず、ケツァルコアトルはただ伝えた。


『夜の風よ、あなたはこのまま、あの子の傍にいなさい』


『切り離すのではないのか』


『魔王の誕生を人に示唆し、あの子の助けになるのです。もしも魔王と敵対するならば、それに対抗するためにも』


 戦神はあからさまに嫌悪した。

 そも、魔王が誰かなど、今の時点では解らない。

 テスカトリポカが出来るのは、フリードリヒに預言をさせ、人々に魔王の存在を示すことのみ。


 まさかこのような事態になるとは。テスカトリポカはひどく後悔した。


『……風よ、お前はどうする』


 また共に行動するのか、と思っていたテスカトリポカに、調和の神は意外な答えを寄越す。


『――わたしは、休止状態に入ります』

  

『なんだと?』


 休止状態は、最低限の機能だけを残し、全ての行動を停止してしまう。完全に他者からの接触を断ち切り、本体と裁定者以外の再起動は許されない。


 それすなわち、ケツァルコアトルは人と関わることを止め、神域で眠りつづけるということ。


 人を愛し、苦心し続けた善き神の、あまりに意外な決定だった。


『おう風よ、お前を求める者が来た時はどうするのだ』


『その際はわたしの付随機能が。

“漆黒による変革"。あの子をお願いします』


 その言葉を最後に、蛇神は闇に消えた。


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