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トロイメライ  作者: 嘘吐き
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/.Ruf 1

トロイメライ本編の後のお話

死の何が恐ろしいのか。我らは血肉に塗れて生まれるというのに



 止まない雪は、どんな痕跡も消してくれる。


「や、やめろ……やめてくれ」


「はぁあ?馬鹿言うない」


 許しを請うた喉は、一片の慈悲なくかっさばれた。


「か、ささ、ぎ伯、爵め……」


「俺は伯爵じゃあない。ただの猟師だ」


 殺人者は短剣の血を払い、死体を抱えて歩む。その姿は、降雪が掻き消した。







 アルヴァ国王妃、フリードリヒは猛烈に悩んでいた。


 “忌まれし森"の事件以来、彼の内にいた神は去った。


 呪いは解けた。それ自体は喜ばしいことなのだが、新たな問題が浮上した。


「王妃様は、十分に功績を残してらっしゃいます。気に止める者はおりません」


 事情を相談された宰相ダイケンが、安心させるように述べる。


「教会には、宗主のみに伝達いたします」


「うー……でもあんなに祭り上げておいて、もう預言できないなんて」


 そう、フリードリヒには、預言の力が失われていた。


 産後から一年間は、療養という事で謁見は無かったが、もうごまかせない。


 フリードリヒは神憑きという特殊性で、妃になれたのだ。預言は強力な外交手段でもあり、それがないとあっては、王妃への反発も出るだろう。


「あ、わたくしが直接、宗主様に……」


 教会最高指導者に会ったことはないが、散々教会には世話になっている。

 フリードリヒが直接交渉するならばわかってくれるはずだ。


 と思いきや、ダイケンは慌てて止める。


「それだけは絶対にお止めください!陛下のお怒りを買いますし、私も許可を出せません」


 温厚なダイケンが、いつにない勢いで制止する。

 理由はわからないが、フリードリヒは頷いた。

  

 教会には神の力を扱う神子という存在がいるが、彼らでさえ、預言はできない。


 教会よりも歴史のある魔女にも不可能。すなわちフリードリヒは、この世で唯一の預言者だった。


「この事実を存じているのは?」


「陛下と侍女の皆と、ダイケン殿だけです。ばれたら困るかなって、お外にも出てません」


 妃の賢明な判断に、宰相は頭を下げた。


 神に意識を奪われ、異常なまでに眠っていた頃は、誰もがフリードリヒは大人しく、感情の起伏も低い人だと思っていた。


 しかしそれは、ひどい眠気により、表情や感情表現が乏しいだけだ。


 本来は素直だが大胆で、好奇心旺盛な明るい性格だ。よく笑い、表情もころころ変わる。


 そんな人が長い期間、私室に閉じこもる事は、どれだけ苦痛だったろうか。フリードリヒは慣れているというが、ダイケンは首を横に振る。


「この問題は、早急に解決致します。

王妃様が快適に生活できるよう配慮するのも、王の忠臣の務めなれば」


「感謝します。よかったです、ダイケン殿がいてくれて」




 宰相が一礼して退室し、暇になったフリードリヒは、窓から外を見た。


 文字の読み書きは、生活に支障ないほどに上達した。


 今は王室礼儀や口上、外交のうえで必要な挨拶などを習っている。


「ここは鳥さん来ないなー」


 余暇はもっぱら、私室の窓から、廊下と外苑を眺めている。


 働く侍女や衛兵らの姿がよく見える。あちらがフリードリヒに気づくことはないが、本人はそれでもよかった。

  

「兄様みたく、猫でも飼おうかしらん」


 王妃の余暇を邪魔してはいけないと、侍女らは呼ばない限り、控えてくれている。話し相手が欲しければ、彼女たちを呼べばいい。喜んで会話をしてくれる。



 つと、卓に置いた黒耀石の鏡から、かささぎが出てきた。


『だから言ったろう。わたしが必要な時が来ると』


「テスカトリポカ様」


 戦と混乱を司る神、テスカトリポカだった。


 調和や豊穣を司るケツァルコアトルと違い、こちらは危険極まりない存在らしい。

 司祭に少し尋ねれば、顔を青ざめさせたこともあった。


 しかしテスカトリポカもまた、フリードリヒが生まれた時から共に在った存在。個人的には、ぞんざいにしたくはなかった。


「んと、テスカトリポカ様は、預言はできますか?」


『預言――ああ、仮定演算か。わたしは鏡を通し世界を見ている。できるぞ』


「その、もし契約したら……」


 力を貸してくれるだろうか、と言えば、テスカトリポカは不満を漏らした。


『おう平和の君主よ、わたしは争いによる変化をもたらすのだ。

それをたかだか、預言ごときのために契約とは……。むう、久々に戦場に赴きたかったが』


「テスカトリポカ様。わたくしの柔い手で、剣を持てるとお思いですか?」


 白く、傷ひとつない手を広げ、笑いながら言えば、テスカトリポカは納得した。

  

『ふむ、契約は良いが、お前は契約代償を理解しているのか』


「代償?んと、眠たくなる、とかですか」


 鵲は首を振った。卓に置いた紅茶の杯に近づき、小さい匙を飲み込む。


『眠気はあやつが、お前の意識を取り込んだからだな。代償は右目だ。もうすぐ見えなくなるぞ』


 突然恐ろしい事を言われ、フリードリヒは右目に触れた。

 そういえば、契約の際にケツァルコアトルは、右目に口づけた。


『わたしはそうだな……右手をもらおうか』


「う……」


『まあ霊質を喰うのであって“忌まれし森"のように強奪するわけではない。

無論、肉は好きだがな』


 しかしこの時、フリードリヒの恐怖心は薄かった。


 むしろ預言の代償としては、安いものだと思った。


「そうだ、角が折られたりは、しないのですかー?」


 人を傷つけた神は、悉く角を折られる。


 契約代償は、その範疇からは外れるのだろうか。


『角を折られたくないから、こんなに懇切丁っ寧に、説明しとるんだが』


「あ、なるほど」


『だからこそ、教える必要がある。

あやつは疑いようのない、幸福な預言しかしなかった。

だがわたしは、戦と死、不吉な預言しかしない。お前が周囲から忌み嫌われようと、それは知らぬ』


 鵲は嘲笑うかのように、おやつの焼き林檎を啄む。が、口に合わないらしく吐き出した。

  

『そしてわたしは気まぐれな性質だ。預言が常に行われるとは限らない。

それを了承するならば、契約を』


 フリードリヒはしばし考えた。


 確かに戦神は恐ろしい。ケツァルコアトルの代わりになどならないし、してはいけない。


 しかし自分はこの国の王妃で、王の持つ外交手札においての最強の一手だ。


 その自覚を持つほどに。周囲の期待や尊敬を受けるほどに、フリードリヒは神の預言を渇望した。


「……契約、します」


『ならばよし。右手を出せ』


 テスカトリポカは本来の姿を顕現し、フリードリヒの右手を掴んだ。


『契約内容を提示する。わたしはお前に預言と争いを与える。

わたしが死ぬか、お前が死ぬ。もしくは裁定者の介入があった際は契約不履行となる。解除は不可能とす』


「わかりました。この体は神に」


 フリードリヒが頭を垂れ、名乗ると戦神は笑った。

 鏡の内のテスカトリポカが、一斉にフリードリヒを見る。


『平和の君主。籠から出られぬ身。

わたしは“漆黒による変革"

争い、変化、贄の推進を司る――たとえ大地に喰われても、わたしは肉を捧げることを止めない。風の帰還までは』


 テスカトリポカは白い右手を引き、甲に口づけた。




  

 燃え盛る炎が、大勢の人と馬を飲み込む。


 あらゆる抵抗は圧倒的な熱に伏され、武器も鎧も捨て逃げるしかない。


 しかし、撤退の流れに反するように、一人の男が馬を走らせ、火炎に突入した。


 濃紅の軍服の男は、右手に剣を掲げる。剣から伝う炎が腕を燃やすが、構わず突き進む。


 裂帛れっぱくの呼気と共に繰り出された刃は、炎の中心――赤い旗を立てる、乱れた銀髪の青年に向けられた。




 フリードリヒは大きく欠伸をかまし、目をこする。

 侍女が主人の目元を拭い、中止していた口の洗浄を再開した。


(どうにも、寝足りないなぁ)


 異常な眠気に襲われている、というわけではない。単に睡眠が浅かったのだろう。


 夢見が悪かったのか。しかして昨晩の夢は、あいにく覚えてはいない。

 テスカトリポカに聞いてみるかと、フリードリヒは暢気に考えていた。


「テスカトリポカ様ー」


 名を囁いても、戦神はいっこうに顕れない。


 催促の意を込めて、黒耀石の鏡を指で弾く。

 と、鏡面に数列が浮かび上がる。


 ただの数字の列挙にも見えるが、フリードリヒは自然と、それを読み取ることができた。


(やる気がない――)


 気まぐれ、と自称するだけのことはある。


 フリードリヒは諦めて、侍女に促されるままに着替えを始めた。

  

「フリードリヒ様、再来週にリウォインの和平特使が来られます。

お迎えと会食に出席するようにと、陛下からの御達しです」


「んあ、はあい」


 エリッサが予定を通達する。

 ここしばらく公務は無く、むしろ申し訳ない気分になっていた。


 久しぶりの仕事に、存在を認められた気分になり、フリードリヒは気を引き締めた。







 昼過ぎになり、ダイケンが客人を連れて部屋に来た。


 性差を超えた、やたら美しい容貌に、フリードリヒは見とれてしまった。


 白髪に白い肌は、アルヴァ北東部に古くから住む、葦弥騨あしやだという民の特徴だ。


「フリードリヒ様、こちらは教会審問局局長です。内密に、宗主代理として来られました」


 ダイケンに紹介され、白い法衣を来た人物は、一分の隙のない挨拶をしてみせた。


「お初にお目にかかります。偉大なる王妃様。

セシル・クレーエと申します。

私ごとき一介の司祭が、神の預言と奇跡の体言者にお目見えができるとは、恐悦至極にございます」


 声を聞き、ようやく男だと判明した。

 靴に接吻しそうな勢いのセシルを座らせ、話を始めた。


「局長閣下は、フリードリヒ様の預言に関する問題を、打ち消して下さいます」


 すなわち、世間的にフリードリヒは預言をし続けていることにしよう、ということだ。

  

「あ、のぉ……そのことなのですが」


 フリードリヒは、預言ができるやもしれないことを伝えた。

 確実なものではないが、神は預言を与えるはずと。


 それを聞いたセシルは、少し考え、宗主の言付けをした。


「私は確かに、王妃様は預言はなさらないと、宗主から聞きました。――なれば、証拠を見せていただきたい」


 虚偽とされても仕様のないことだ。

 フリードリヒは焦った。教会と国の関係を、悪くするわけにはいかない。


 黒耀石の鏡を引っかくと、鵲の鳴き声がした。


『気が変わった。手始めに、この憐れな男を預言してみよう』


 テスカトリポカは、紙と筆記具を用意せよと言った。


 突然の王妃の行動に、ダイケンは疑問を持つが、セシルは傍観していた。


『わたしの預言は遠回しなそれだ。せいぜい頑張って読み取れ』


 鏡に数列が浮かび上がる。それを人の言葉に変換し、フリードリヒは紙に書いていく。


 まるで詩のような単語の羅列。

 詩と呼ぶには単純で、むしろ暗号に近い。


「……っ!」


 しかしフリードリヒは、その内容に耐え切れず、紙を握り潰した。


「王妃様、どうかされましたかっ?」


 癇癪など起こしたことのない王妃を、ダイケンはひどく心配した。


 フリードリヒは無言で首を振り、こんなものは捨ててしまおうと決心した。

  

「――お見せください」


 許可する間もなく、セシルは王妃から紙を取り上げ、読んだ。


 そこには、戦乱の神の名に相応しい、不吉なる言葉があった。



 過去はなく

 未来はない

 恐れなき者よ

 身代わりとなりて赴けど

 盲いた魔女に命を奪われる

 餓えた魔女に肉を奪われる



 セシルはうんうんと頷き、結論を出した。


「成る程これは、私の死の預言ですね」


 フリードリヒは、やってしまったと痛感した。


 人に死を突き付けるなど、絶対にしてはいけないことだ。


 ケツァルコアトルとは正反対だ。フリードリヒは安易な契約を、それこそ死ぬほどに後悔した。


 しかしセシルは、狼狽もせずに語る。


「確かに私は、来月に宗主の代わりにリウォインに赴く予定です。いやはや、殺されるところでした」


 すなわち、これを避ければ、死を回避できるとセシルは言う。

 やたら前向きな発言に、フリードリヒは戸惑う。


 セシルは尚も王妃を元気づけた。


「歴史書によれば、神憑きの幾人かが、精神に異常をきたして自殺したそうです。

恐らくは、この死の預言を何度も繰り返したせいでしょう」


 ケツァルコアトルと契約するはずが、テスカトリポカと契約してしまった者たち。


 自殺という単語に、フリードリヒの顔は青ざめる。


 ダイケンはセシルに黙るよう言い付け、とにかく王妃を安心させようと言葉を尽くした。

  

 セシルは美しい微笑をたたえ、フリードリヒに感謝を述べた。


「私は王妃様に命を救われました。どうかそれを自覚なさってください」


「でも……」


「無理に預言を行う必要はありません。

神に関する資料が必要ならば、いくらでも言い付けてください。教会は全面的に、王妃様の後援をいたします」


「んと、ありがとうございます……」


 いまだへこむフリードリヒに配慮し、セシルは預言の書かれた紙を持ち、退室した。


 王妃の部屋の外で、宰相と審問局局長は話し合う。


「おめでとうございます。これで国は安泰ですね」


「皮肉ですか?あの方への愚弄は許しませんよ」


 アルヴァの中枢を担う者達は、悉く教会に良い意識を持ってはいない。


 それらと交渉をするのも、審問局の役目。セシルはさらに祝福を重ねる。


「あの預言、間違いなく戦を司る神のもの。なればこの国は、軍神の加護を得たも同然です」


「……今回の事は、陛下に全て報告します。貴方の言動を含めて」


 宰相の冷徹なる視線を受けても、セシルはせせら笑い、ぎりぎりの悪態をつく。


「かつて神憑きの預言を戦争に利用し、わずか二ヶ月で使い潰した国に言われたくはありません」


 ダイケンは思わず、舌打ちをしたくなった。

 王家の呪いにより、教会の政治介入を許して以降、アルヴァは侮られ続けている。


 だが呪いは打破された。いつまでも、理想主義者どもの言いなりになる気はない。

  




 王妃の預言復活を知らされたエンディミオは、烈火の如く怒り、フリードリヒを罵倒した。


「このッ、大馬鹿者が!!」


「……申し訳、ありません。わたくしの考えの至らぬばかりに」


 反論の余地を潰され、フリードリヒはただただ頭を下げた。

 嵐が過ぎ去るのを待つように、王の怒りが落ち着くまで、謝罪する他ない。


「私の許可なく、動くような真似は、今後一切許さぬ。そなたは私の命に従えば良い」


「陛下……それは、あんまりです」


 神憑きを厳重に保護するための、王の容赦のなさは理解している。


 しかし手に入れたわずかな自由を見送ることは、若いフリードリヒには難しかった。


 黒い猫のぬいぐるみを強く抱き、フリードリヒは懇願した。


「この命は陛下のものです。ならば、預言も神の力も、陛下に全て捧げます。

ですからどうか、お許しになってください」


「……私に、そなたを使い潰せと。そう申すのか」


 黒獅子王は妻の首を掴み、じわりじわりと絞めつけた。


「ぐっ……へぇ、かっ」


「そなたはいつまでも、愚かしいままだ。

神の預言を必要とせねばならぬほどに、我が国は脆くはない」


 苦しみ喘ぐフリードリヒの首を解放し、頬を強く叩いた。


 胸倉を掴み、再び言い聞かす。拍子に、脆いぬいぐるみの布地が破ける。

  

「預言の乱用は止めよ。面倒なものを呼び込むだけだ」


 返答も聞かず、エンディミオは部屋を去る。


 咳込み、唾液を拭いながらも、フリードリヒは何とも思わなかった。


 手厳しさばかりが見られがちだが、一応はフリードリヒの身を心配をしているのだ。


『おい、何ともないか。平和の君主』


 ぞんざいにではあるが、鵲が声をかけてくる。

 フリードリヒはひとつ頷き、呼び鈴を鳴らした。


『命の危機がない限り、勝手に人同士の争いには干渉できない。悪く思うな』


「構いません。陛下は、殺す気はありませんものー」


 鵲は首を傾げ、かちかちと鳴いた。

 いまだに二人の関係性が、掴めていないらしい。


『気が変わった。預言を』


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