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トロイメライ  作者: 嘘吐き
16/20

16


 王宮の執務室では、いつものように仕事が行われていた。


 しかしエンディミオ一人がペンを動かすのみ。

 宰相は所在なげに珈琲を煽り、書類を確認する大臣や文官、秘書らは落ち着きのない手つきで仕事をし、時たま書類を落とす。


 つと、慌ただしい足音が聞こえてくる。


 足音の主は間もなく、乱暴に執務室の扉を開けた。伝令だった。


「陛下、朗報です!無事にご出産なされました!

ああそれから、御子は両の腕を備えております!」


 執務室が沸いた。

 大臣たちは何故か抱き合い喜び、奇跡だと叫ぶ。

 ダイケンが長い息をつく。腕を備えているかよりも、まず無事に生まれるかが懸念だった。


 密かにエンディミオは笑んだ。まさか本当に、呪いを解除するとは。



 喜びもつかの間、もう一人伝令がやって来た。


「た、たたたいへんです!」


「なんだ、腕が取れでもしたか」


 別にそれでも構わないが、と言おうとしたが、伝令の報告は、それ以上の衝撃を与える。


「御子は双子です!それも、男女の!」


 ダイケンが珈琲をぶふおと吹き出し、エンディミオはペンを取り落とした。

 インクや珈琲が書類にかかるが、誰も気にしてなどいられなかった。


 何世代にも渡り、王家は兄弟親戚の類が失われていたのだ。

 王妃は呪いを悉く打ち破り、次の世代への新しい扉を開いた。


 敬謙な信者でもないくせに、大臣や文官らは泣いて祈りはじめた。


「さすがにそれは――」


 都合が良すぎやしないか?とは、この空気では言えなかった。

  



 失われた意識の中、フリードリヒは最後の夢を見た。


 結局、普通に分娩は不可能らしく、医師はいい笑顔で切開しますと宣言した。


 いやいや心の準備が、という間もなく、麻酔をかけられた。



 久しく、フリードリヒは境界にいた。

 誰もいないが、ケツァルコアトルが出産に耐えうるよう、フリードリヒの体を守っていたのは理解していた。


「ケツァルコアトル様」


 呼びかければ、背後から白い腕と翠の蛇が、フリードリヒを抱きしめた。


「……?」


『よく頑張りましたね。わたしの使命を達成していただき、感謝します。

これで、世界は次の段階へ進みます』


 様子がおかしい。ケツァルコアトルは真面目であり、こういった悪戯めいた接触はしない。


『契約は終了。お別れです』


 無理矢理振り向き、フリードリヒは愕然とした。


 ケツァルコアトルの頭部にある三対六本の角、そのうち左二本が無残にも折れていた。


「な、な、なん、で」


『……あなた方に憑いたことにより、傷つけ、人生を狂わせた。その報いです』


「そんな……元は人がしたことなのに、どうしてケツァルコアトル様が報いを受けるの?」


『人を傷つけた場合、たとえどのような理由でも、角を折られて力を失います。

ただし、人がわたしたちを使った場合は、その限りではありません』

  

「でも、だからって……」


『これは最初から決まっていたのです。おぞましき力が人の脅威になると定まったあの時から。――あなたが命を賭すように、わたしも全存在を賭けた。それだけのことです』


 フリードリヒが神をいかように責め立てても、ケツァルコアトルはこの事実は決して明かさなかった。

 知ればフリードリヒに迷いが生じると、神はただ一個の道具として在りつづけた。


「嫌です。本当は、ずっと一緒にいてほしい」


 無二の親友であり、意志を共有する兄弟であり、導いてくれる父である存在。


 ぐずつくフリードリヒを優しく撫で、ケツァルコアトルは言い聞かせる。


『あなたには、愛しい伴侶がいる。大切な家族がいる。支えてくれる人々がいる。そしてあなた自身の意志がある。

人はわたしたちがいなくとも、歌いつづけます』


 大いなる調和の神は、青年の頬に口づける。

 フリードリヒも、親愛の情を持ってそれを返した。


『あなたに受け入れてもらえて嬉しかった。ありがとう』







 目を覚ますと、夜も更けていた。

 いかほど眠ったのか、聞く相手もいない。


「……」


 フリードリヒは呼びかけようとしたが、無駄だと理解し、やめた。


 異様な眠気はもう無い。産後の怠さと、覚めた頭が、ただ虚しい。


 フリードリヒはこの喪失感が埋まるまで、ひたすらに泣いていた。

  




 神憑きではなくなってから数日。

 フリードリヒは術後の経過を見るため、いまだ寝台の住人だった。


 腹を見ると縫い付けた痕があり、ぞっとしたものだ。

 しかしあの医師は、切開手術法そのものを生み出した人物らしく、医療の世界では聖人扱いだと、看護師が言った。


 そして散々世話になった医師本人は、出産までの契約だったようで、別の現場へ去ったとか。



 しかし、フリードリヒは体の痛みよりも深刻な悩みを抱えていた。


「寝れ~ん」


 昼寝しすぎて夜眠れないという、当たり前の事態に戸惑っていた。


 眠れば一日が終わった日常とは違う。

 今は退屈を紛らわす方法を考えねばなるまい。


 侍女が明かりを残してはくれたが、本を読めるほど文字を勉強しておらず、動けるほどに回復もしていない。


 点滴の管が許す範囲で、寝台の上を転がっていると、かちかちと鳴き声。鵲だ。


 そういえば、とフリードリヒは考えた。

 境界でヘルガと対峙した時に見た鵲は何だったのか。神には違いないのだろうが――


 鳴き声は、寝台近くの鏡台の方からだった。

 鏡の側で、鵲が鳴いている。


 いや待て、何かがおかしいと、フリードリヒはゆっくり起き上がる。


 鵲は飛んでいった。それで違和感の正体が判明した。

 鵲は鏡の向こうにいた。実物ではなかった。

  

(まあ神様だし)


 フリードリヒは、ちょっとやそっとでは驚かなくなっていた。感覚が麻痺している。


「なんだつまらん、もう少し驚いてみせろよ」


 聞き慣れない声がした。

 フリードリヒは今度こそ悲鳴を上げた。


 鏡に映ったフリードリヒが喋り、笑っている。


「な、な、な」


 鏡の中のそれは、ゆっくりと鏡から抜け出した。

 化粧品や装飾品を落とし、床に足をつく。


 何もかもがフリードリヒと同じであったが、鏡であるからか、婚約腕輪をつけている位置が逆であった。


「えっと……鵲さん?」


「そうだ、別に初対面というわけでもない」


 姿が歪む。とたんに、あの医師に変わった。


「お、医者様……て、まさか!」


「察しがいいのは好きだ。

わたしはテスカトリポカ。ケツァルコアトルの使命を阻害し、監視する使命を持つ。まあいわば、調整役だな」


「監視、て……いつから」


「いつからだと?最初からだ」


 テスカトリポカは再び姿を変えた。

 幼い頃から世話をしてくれた、ロメンラルの侍女だった。


「え、あ、うそぉ!?」


 もちろん、この侍女はエンディミオに初めて会う時にも一緒にいた。

 あれもこれも、神がしてくれたと考え直すと、恐れ多い。


「わたしは人を介さず、現世に顕現できる。そして鏡に映った者に成り代われるのだ」


 どうだすごいだろう、と侍女の姿をした神が踏ん反り返る。

  

「んと、テスカトリポカ様。僕に何かご用でしょうか?」


 まさか本当に、自慢だけをしに来たわけではあるまい。


 そう言うと、テスカトリポカはようやく、本来の姿を見せた。


 鍛え抜かれた体躯。黒耀石の鎗と鏡の盾を持ち、その肌は石炭の乾留液を塗ったようにどす黒い。

 左足は鏡の義足に置き換えられ、また顔の右半分は潰れていた。その代わり、肩に装備された鏡が右目を映す。


『単純なことだ』


『お前があまりに気に入った』


『この国は軍事国家だろう?』


『ならば争いを司るわたしと契約するがいい』


 みっつの鏡に映ったテスカトリポカと、本体が一斉に喋り出した。


 “忌まれし森"に勝るとも劣らぬ、化け物と呼ぶに相応しい様相。


 フリードリヒは後ずさるが、テスカトリポカはなおも迫る。

 四白眼の深紅の瞳に、目を離せない。


「いえ、結構です」


 震える声で断った。今ここで契約をすれば、ケツァルコアトルを裏切ってしまう気がしたのだ。


 テスカトリポカは青年から離れ、考えるそぶりを見せる。周囲の鏡が囁き合う。


『気が変わった』


『いずれ、必要とする時が来る』


『それまでわたしが待てるかは、疑問だがな』


『まあいいじゃあないか。これも世界の導き』


 どうやら見逃してくれるものらしい。

 テスカトリポカは鵲に変体し、喧しく鳴きちらして飛び立った。


 とはいえ、諦めたとは到底思えない。

 今後も断り続けなければならないと考え、フリードリヒは目眩を覚えた。

  



「何を寝ぼけている」


 夢を見ていたらしい。寝台から落ちていた。

 エンディミオに抱えられ、フリードリヒは目を覚ました。


「陛下、ど、どうされましたか?」


「様子を見に来ただけだ。これはそなたの物か?」


 エンディミオが床に落ちていた小さな鏡を渡す。


 黒耀石を磨いた鏡であるが、曇っており、何も映さない。


(あれ、夢じゃなかったのか)


 フリードリヒは鏡を受け取り、枕元に置いた。

 二人並んで、寝台に座る。


「陛下、御子が双子というのは、本当ですか?わたくしはまだ、ちゃんと見ていなくて」


「私も信じがたいが、事実だ。しかも男女のな」


 民衆からは、王の子ではないのでは、という声もあるが、それはフリードリヒの知る所ではない。


「お名前、決まりましたかー?」


「ああ、男はルートヴィヒ。女はエバ」


「わー、早くお目見えしたい」


「……そなた、異常なまでの眠気はどうした」


 痛い所を突かれたが、いずれはばれる。

 しかし、神を宿していないと知れれば、フリードリヒの価値は失墜する。


「んと……その」


「まあいい。面倒が減るだけだ」


 王の発言に、ひどく驚く。

 フリードリヒは神があればこそ、の存在なのだ。


「陛下、そのぉ……」


「何を勘違いしているか知らぬが、そなたは教会のものではなく、私の妻で、この国の王妃だ。それに文句を言う者はおるまい」

  

「え、はひっ」


 エンディミオの手が、フリードリヒの頭に伸びる。ただし叩くのではなく、乱暴に撫ぜた。


 ただ気恥ずかしいだけで、痛みは何もない。


「あの、陛下」


「何だ」


「あの時は、好きじゃないと言ったけど、本当は――」


 エンディミオは言わせまいと、容赦なく相手の口を手で塞ぐ。


 嘲笑うかのような笑みを浮かべ、黒獅子王は妃の耳元で囁いた。


「愛している、フリードリヒ。我が妻よ」


「え……あ、あ、うそ」


 フリードリヒは混乱した。かの暴虐王が、愛を囁くとは。

 今まさにこの瞬間が、夢ではないかと不安になるほど。


「嘘かと疑うはこの口か、え?」


「あぅぐ、いひゃいいひゃい、ふみまへん」


 唇が裂けるのではないかというほど、口の端を引っ張る。


 いたぶる事が楽しくて仕方ないらしい。我が儘な王は、満足げに笑う。


 ああ、これがこの人の愛情表現だと、フリードリヒは改めて感じた。


「ぅ……わ、わたくしも、愛しております。エンディミオ様」


 おずおずと、王の右腕に触れる。

 エンディミオは妻の白い顎を掴み、ごく自然にフリードリヒの唇に接吻した。




 こうして、乱暴な王様と、普通じゃない王妃様は、ふたりの子と末永くしあわせに暮らしましたとさ。


 これはひとつの神話として、ながく語られることでしょう。


 めでたし!

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