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トロイメライ  作者: 嘘吐き
15/20

15


 急速な浮遊感を覚えつ、フリードリヒは目覚めた。


「っ、陛下!」


 ふらつく頭と吐き気を堪えて起き上がる。


 直感で、エンディミオに危険が迫っていると理解した。

 立つには邪魔な大腿部の点滴を、乱暴に抜く。ひどく痛いうえに血が止まらないが、構ってなどいられない。


 案の定、床に転ぶが、四つん這いで進む。


「王妃様っ!?何をしておられるのですか!」


 医師が駆け寄り、フリードリヒの肩を掴む。

 侍女らは珍しく皆、引き払っているらしい。


「……どいて、くだ、さい……陛下が、危ない……んですー」


 制止の手を、弱々しく振り払う。

 医師はそれでも止めるかと思われたが、無表情になり、冷たい声で問い掛けをしてきた。


「そこまでする理由が、あなたにありますか?」


「……え?」


「あなたに暴力を振るう夫を、あなたの父を殺した魔女を、あなたは助けるのか?」


 まるで安寧に誘惑するように、医師は尋ねる。


 しかし、フリードリヒは迷うことなく、きっぱりと言い放った。


「僕、は……僕のしたいよう、に……するだけ、です。たかだか、他人が……口を、挟まない、でくだ、さい」


 苛立たしげに睨むと、医師は立ち上がる。


 そして深く礼をし、手で扉を指し示す。


「選択は成された。もはやわたしの介入は無意味だろう」


「お、医者、さ、ま……?」


「行くがいい。人避けをしておいた。お前の行く道を阻む者はいない」

  

 訝しげに思いながらも、フリードリヒは扉を開けた。


 医師の方を振り向くが、彼は幻のように掻き消えていた。


 どころか、衛兵も侍女も、人っ子一人いやしない。


「……ケツァ、ルコア……トル、さま」


 苦しげに呼びかければ、翡翠は先行し、フリードリヒの行くべき道を示してくれた。


 壁を伝い、吐き気に苦しみながらも、フリードリヒは進んだ。ただひたすらに。







 蔦に右腕の肉をえぐられる。しかしかすり傷だと思い直し、剣を握り締める。


 蔦の動作は中々に早いが、それでも達人が槍を穿つ速度には、到底及ばない。


 “忌まれし森"自体は全く動けないらしく、それは幸運といえた。


 たしかにこの地が広大な森で、木々による死角があれば、勝ち目は薄い。


 しかし限定された空間で、おまけに開けた視界。たしかにヘルガの目論み通りだった。


 だがさらなる問題が、エンディミオを襲う。


「……っ」


 背後を見ず、勘だけで体を動かす。

 一瞬遅れて、短槍とヘルガの舌打ちがエンディミオのいた場所を突く。


 さらに嫌な予感がして、避けた動作でさらに床を転がる。

 銃声の後、今まで立っていた床が削れた。


「いやあすみません、手が滑りまして」


 バスティアンが最新鋭の銃を手に笑っていた。


 三者それぞれが、誰かを殺しにかかっていた。

 もちろんエンディミオも、ヘルガを背中から切り付けたり、バスティアンの頭を蹴り上げたりした。

  

 “忌まれし森"が可愛く見えるほど、王たちの悪意は深い。


(これでは、呪い云々より――)


 ヘルガの短槍を避け、足を掛ける。

 転ぶと見せかけた魔女は、短槍を捨て、器用にも床に手をつき、軽やかに転身。着地ついでに槍も拾う。


 埒外があかない。この調子では、体力の問題だ。恐らく、先に死ぬのはバスティアンの可能性が高いが。



 つと、応接間の扉が、がたりと鳴る。

 鍵は内側からかけており、開くことはない。そもそも、この部屋に三人が居ることを知る者は少ない。


 誰か、と声をかける前に、向こうから叫ぶような声がした。


「陛下!陛下ぁっ!……いる、ので、しょう?」


 息も絶え絶えなその声を、聞き間違うはずもない。

 王妃フリードリヒだった。


「なっ……なぜ出てきた!謹慎を言い渡したことを忘れたか!」


 扉越しに怒鳴りつける。しかし妃は、全く臆さない。どころか、反論さえしてきた。


「それ、は……あと、で謝罪、いたし、ますー……それ、より……開けて、ください」


「開けてはならないわ、黒獅子王」


 言われずとも、エンディミオは開けるつもりはなかった。

 さすがにこの状況で、軟弱王妃を連れて歩ける自信は無い。


 懇願の声が止んだ。

 戻ったか、とエンディミオが安堵の息をついた時、ふいにヘルガが焦りだす。

  

『風の流れ、調和の光、全ての心の臓を捧げるために生まれ、自らの火に焼かれて死ぬ者』


「ちっ、やめろ!小僧――」


『夢見る父の眷属――“翡翠の雪ぎ"を招致します!』


 あまりに理不尽な力に、エンディミオは扉ごと吹き飛ばされた。数秒遅れ、これは突風だと理解できた。


 応接間の両扉は蝶番ごと外れ、無惨にも床に転がる。


 バスティアンは銃を向ける気にもなれず、部屋に入るフリードリヒを見守る。


 ヘルガは確信した。今槍を向ければ殺されると。

 この王妃はやるだろう。一切の迷い無く、神を使って。


 フリードリヒの大腿から流血を認めたエンディミオは、妻を止めようとした。


 が、フリードリヒは愛しい人に微笑みかけ、尚も歩んだ。


 そして三人の王を圧倒した、ただ一人の青年は“忌まれし森"の前で座り込む。


「……血が血/いっぱ>い出__てる!るいたい=たそう死/:んじ-ゃう.よう」


「でも、それが……生きて、いる証、です」


 呼吸が乱れる。血の臭気に胃液を吐いたが、それでも続けた。


「聞い、て……ください。あなたに与え……るものが、ひと、つ、あります」


 フリードリヒは少し膨らんだ下腹部に手を当てる。そして慈悲深い笑みを浮かべた。


「僕は……あなた、に会うために、生まれ、て……きたの、かも、しれ、ない」


 思わずそう口走ってしまうほどに、それは偶然だった。

  

「僕のなか、に……もうひとつ、ひとの、体がある……それを、あげます……だ、から、人の子として……生まれ、な、さい」


 その時“忌まれし森"に奔った感情は、親愛か、それとも感謝か。

 もし涙腺があったならば、化け物は滂沱と涙を流したろう。


「できます、よ、ね」


「あああ.!あ_うん>んうん→うん」


 何度も頷き、森は蔦を垂らした。

 王の両腕をフリードリヒの顔に伸ばし、優しく触れる。


 運命か因果か。最大の幸運は、ついにもたらされた。


「……ありがとう」



 “忌まれし森"は消えた。

 否、生まれ変わるのだ。フリードリヒは下腹部に触れ、安堵の息をもらした。


 と、同時に限界だった。目の前が真っ暗になり、眠るように意識が遠退く。



「フリードリヒ!」


 呼びかけたのは誰か、一瞬わからなかった。


 しかし自身を支える力強い腕に、フリードリヒはどきりとした。


「……陛下」


「無事、ではないな。ひやりとさせおって」


 まさかの言葉に、フリードリヒはこれは夢ではないかと疑った。


「陛下……へいか……どうか、許して、ください」


 仕方ないとはいえ、化け物を取り込んでしまったことは確かだ。

 次代が怪物の子など、弁明しようがない。


 首を切られても仕方ないか、と思った矢先、エンディミオはフリードリヒの頭に手を乗せて撫でた。


「いや、助かった」


 それだけで充分だった。

 フリードリヒは堰を切ったように泣き出し、エンディミオに縋る。



 が、問題は山積みだ。


「ヘルガ様!」


 バスティアンが焦りの声を上げる。

 密かに近づいた魔女が、槍を王妃に打ち下ろさんとしていた。

 エンディミオが剣を取るが、間に合いそうにない――

  

「ぐっ!」


 苦鳴をあげたのはヘルガだった。

 短槍が床を転がる。女王の左腕を、矢が貫いていた。


「フリードリヒ様がおられないと、血の痕を辿ってみれば、まあ大惨事」


 応接間の入口で弓を下ろしたのは、アルヴァの軍服を着た老齢の女だった。


 人参色の短髪をなびかせ、軍人は剣を抜きながら部屋に入る。


 その姿をよく知るヘルガは、珍しく眉根を寄せ、あからさまに嫌がった。


「暴れ牛エリン……!生きていたか」


「久しいな白鷺王。私はまだ、お前の首を諦めてはいないぞ」


 エンディミオは王妃の護衛に、エリッサ――エリン――を投入していた。


 暴れ牛エリンは、唯一その剣で白鷺王の首元を掠めた実績を持つ。


 そしてヘルガは、流れ矢に当たりながらも笑って剣を向けてくる暴れ牛を苦手としていた。


「ちっ、エリンがくたばってから出直すか」


「その前に殺すさ、必ず」


 白鷺王は短槍を拾う。魔女に矢はあまり通用しないらしい。


「……ふう、私も客間に戻りますよ」


「ああそうだ、金大猪王。貴様が次の戦争での力添えをすること、覚えておこう」


 エンディミオはわざと、皆に聞こえるよう大声で言い放つ。


 ヘルガは美しい微笑を見せ、冷や汗をかくバスティアンに近づく。恐らく、あれこれと詰問されるだろう。

  

「エリッサ……かっくいー」


 相変わらず空気の読めないフリードリヒが、侍女を褒める。


「お褒めにあずかり光栄です。それよりフリードリヒ様、そのはしたない格好は何です!」


 寝室にいたため、王妃は軽装どころか、寝巻のままだった。

 さらに大腿に点滴をしていたうえ、下の世話の都合もあって、実は穿いてない。


 今さらそれに気づいたフリードリヒは、耳まで真っ赤にして俯く。まさか見えちゃったりしてないだろうか。一歩間違えれば、ただの露出狂――


「そんなことと思いました。さあ、お部屋に戻りましょう」


 エリッサが敷布をかけ、フリードリヒを横抱きに運んだ。







 寝室に戻るなり、エンディミオの説教が始まった。


「謹慎を破り、あげく危険に身をさらすとは。自身の置かれている地位を考え直せ」


 頬を殴られた妃を、侍女らは陰から見守っていた。

 王妃さまお可哀相、泣いたらどうしましょ、とりあえずお菓子の用意を、と話し合う。


 だが意外にも、フリードリヒは反論した。


「謹、慎を……破ったこと、は……いかよう、にもー、お裁きを……けどぉ、陛下、こそ……わたくし、にぃ相談もー……なしに“忌まれし森"と、接触、して……」


「……それは、だな」


「わたくしにー、期待を、しても……よいか、と、おっしゃった……では、ないですかー。

それ、ともー、ヘルガ様を……信用……なさるの、です、か……?」


 畳かける言葉に、さしものエンディミオも、理不尽に暴力を振るうわけにもいかない。


「……すまなかった」


 ばつが悪そうに謝るエンディミオを見て、フリードリヒは満足げに頷く。


 一方侍女らは、あの暴虐王が謝った!と騒ぎ出した。


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