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トロイメライ  作者: 嘘吐き
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『わたしに対する怒りは、いずれ解消されるでしょう。

それよりも、わたしの愛しい子。あなたはいつまで、自分を不幸だと思い込むつもりですか』


 思いがけない言葉に、フリードリヒは驚く。

 幸せの価値がわからずにいた昔とは違うのだ。本当の意味での生きるという実感を知ったからこそ、今までが不幸だと言える。


「ではケツァルコアトル様は、隔離されて、何も与えられなかった僕を、幸せ者とおっしゃいますか?」


『いいえ。ですがあなたは視野が狭い。

何も与えられないとは言いますが、あなたは父から夫から、その周囲から、どれほど与えられたかわかりますか?』


 厳しさの混じる声音に、フリードリヒは怯み、何も言い返すことができない。

 ケツァルコアトルは、続けてこう言った。


『考えたことはないのですか。何故あなたの父が、あなたを遠く離れた国にやったのか。

何故あなたの夫が、預言を強要せず、しかし見捨てもしないのか』


「そ、れは……ロメンラルは、困窮していたからで。陛下は、恐らく、僕が身篭っているからかと……」


 その推測は正しいと思っていた。

 しかし翡翠は、そうではないと言う。


『女王の手から逃がすためであったと、考えはしなかったのですか?』


「……それは、真実なの?」


 そのような考えを持つに至ることはなかった。

 フランツは言葉足らずに、息子に対し、強国アルヴァへ行けと命じただけだった。

  

 その命令の裏側にあるものが、息子を思う不器用な愛だとすれば、あまりに悲しい。


 “生きる"ことを知ったフリードリヒに再会できぬまま、フランツは死んでしまったのだ。


「どうしてそれを、早く教えてくれなかったのですか!」


『自分で気づかねば、意味がありません』


 厳しい一言と真実に、今度こそフリードリヒは打ちのめされた。


「あんまりです、ケツァルコアトル様」


 酷い勘違いを起こしていた。

 いわば、フリードリヒは不幸に酔っていたのだ。


 “忌まれし森"と同じだなどと、とんでもない。

 様々な人から与えられ生きてきたフリードリヒと、奪うことしか知らぬ森では、何もかもが違った。


 フランツもエンディミオもケツァルコアトルも、フリードリヒに与え続けていた。ただ、言葉が足りなかっただけで。


「父様……父様ぁ、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 気づくのが遅かった。

 父は死に、王の愛には気づかず拒否してしまった。


 フリードリヒはさめざめと泣き出す。

 自分はなんと傲慢なのか。呪いを解くなど、森を滅ぼすなど、おこがましい。


 解放された翡翠は元の姿を顕現し、フリードリヒの涙を拭うてやった。


『諦めないでください。まだ間に合います』


「……ぇぐっ、な、にが」


『少なくとも、あなたの王にはまだ愛を告げる機会はいくらでもあります』

  

 フランツは間に合わなかった。もう何も知らぬままに、失うわけにはいかない。


『大丈夫。あなたは一人ではありません』


 フリードリヒを孤独にし、不幸にしていたのは、何よりも自身だった。


 ロメンラルの侍女らと関係を築けなかったのも、フリードリヒが勝手に嫌がられている、と思い込んでいたからだ。

 本当に嫌悪していたら、近づきもしないだろうに。


『生きている限り、機会はいくらでも得られます。

わたしの愛しい子、どうか世界を諦めないで』







 エンディミオは読み終えた書状を握り潰し、その拳を机に打ち据えた。


 その剣幕に、衛兵は身動きが取れず、官僚らは冷や汗を垂らす。


 こういう時、唯一声をかけることができるのは宰相ダイケンのみ。


「陛下、何事ですか」


「金大猪王が、会談を望むそうだ」


 結婚式以来会っていない、サイーラの王。バスティアンの申し出。


 さしもの宰相も、口ごもる。意図がわからない。

 ヘルガがアルヴァに滞在を始め、四日が過ぎた。強国の女王が去るまでは、諸国は会談の申し込みは遠慮すべきである。


「私か魔女の近くに、あの豚の間者がいる」


 エンディミオが断言するには、理由がある。


 書状には、長い挨拶文の後にこう書かれていた。


『――ところで小耳に挟んだのですが、お二方は呪いを解く方法を話し合っているようで。

微力ながら、我が国もお力になりたい。

二つの大国が教会に下るそれを防ぎたいと思うのは、諸国としては当然のこと――』


 今回の会談は、あまりに内密だった。詳しい会話は、公式記録にすらしていない。

 一応、表向きには和平交渉の一種ということになっている。

  

 どころか会談内容まで筒抜けだった。これは国の情報網および防備の問題だ。すぐに当たれば、間者はそれほど時間もかけずに見つかるだろう。


 ヘルガの方に伝達を寄越し、エンディミオは舌打ちした。書状を投げ捨てる。


 つと、黒獅子王の脳裏をよぎったのは、妃の存在だった。


 周囲から、王妃の預言の精度の高さは聞いている。

 一月先の天候から、辺境の情勢。果ては大臣の妻の出産日時から、何故か夕餉の献立まで。

 世界の全てを把握しているのではないか、とまで言われていた。


 確かに王妃に聞けば、事の次第は判明するだろう。

 忌ま忌ましい魔女や猪の奸計も、看破すに違いない。


 しかしエンディミオの脚は、妻の寝室に向くことはなかった。


「……王妃の部屋の防備を強化しろ。それから、エリンを呼び出せ」


「仰せのままに」


 命令を受けた近衛兵が、伝令に耳打ちした。


 エンディミオは預言に頼ろうとは思わなかった。




 一方、白鷺王のいる客間では、優雅に凄惨な時間が過ぎていた。


「嫌いなのよねえ、真珠」


 大粒の白真珠が嵌めこまれた、百合を模造した金の髪留め。

 貴族でさえ滅多に手に入らないそれを、ヘルガは放り捨てた。


 髪留めは石床に落ちて跳ね返り、血まみれで伏している男の近くで止まる。


 男の歯は殆ど抜かれ、口から血と唾液、嗚咽を漏らしていた。

 全裸のうえ、両腕は後ろで拘束され、女王の近衛兵により、腹ばいに抑えつけられている。

  

 ヘルガの元にも、バスティアンの書状が届いていた。


 内容が内容だけに、ヘルガは間者がいると見抜き、すぐさま拘束、拷問にかけた。


 兵の一人が、間者の足の爪を剣の柄で潰す度、情けない悲鳴が上がる。失禁したものか、すえた臭いがあがる。


「うるさいわぁ」


 間者を捕らえた魔女の力は、確かに恐ろしい。

 しかしそれ以上に、拷問の様子を、甘い菓子を口にしながら眺めるその姿こそ、恐るべきものだった。


 ヘルガは書状を見直し、喉の奥で笑った。滞った嫌がらせの計画を、再び構築させる。


「面白い。うくく、大豚め、それならお望み通り、贄にしてやる」







 泣きつかれたフリードリヒは、目元が腫れることも気にせず、乱暴に涙を拭うた。


 そして、月光りに照らされる“忌まれし森"を見る。


「鼻_な水:出てぃ>る」


「ふぇあ……。んと、今まで、あなたを勘違いしてました。ごめんなさい」


「――<同?情/.」


 フリードリヒは首を横に振りかけたが、思い直して頷いた。

 勝手に自己を投影し、自分の思い違いが解決すれば、与えようとする。これを同情と呼ばずなんとするか。


「だ.だだっ=たら_肺を<をちょう+だい.」


「だめです。いくら繋ぎ合わせても、人にはなれません。ケツァルコアトル様も言っています」


「もうう→押し〉し〉問ん/答には飽きひ~た/_」

  

 フリードリヒはひとつ、気づいたことがあった。

 ケツァルコアトルは『殺せ』ではなく『死を与えよ』と繰り返していた。


 確かに言葉のままに取れば、それは『殺せ』と同義である。


 しかし神はこうも言った。『生まれてもいないから、死ぬことができない』と。


 すなわち“忌まれし森"を生物としてこの世に生み出せばいい。


 そしてこれは運命か。フリードリヒはその方法を、ひとつだけ持っていた。


「……けど、やっぱり少し怖い」


 全てが上手くいく、という保証はないのだ。

 フリードリヒは自分の思いついてしまった残酷な提案を、ケツァルコアトルに言った。


『それは……成る程。その発想は、全くありませんでした』


 ケツァルコアトルは同意した。

 だが、フリードリヒはいまだ不安だった。故に、神に願い上げた。


「んと、駄目だったら、殺してください。僕ごと」


 その言葉に、ケツァルコアトルは痛ましい表情を見せた。何も、自身が死ぬ必要はないと諭す。


「でも、失敗したら、今度こそ陛下に合わせる顔がないです」


『あなたの伴侶は、悲しみますよ』


「大丈夫です。陛下は」


 譲らないフリードリヒに、ケツァルコアトルは頷いた。彼の覚悟を汲み取り、約束をした。


 フリードリヒをこの手で殺せば、ケツァルコアトルも大いなる定めにより、消滅する。だが道連れにされるのも、悪くはない。


 ケツァルコアトルが手をかざし“忌まれし森"を拘束する、黒耀石の刃を消した。


 蔦と肉が地面にどたりと落ちる。わけがわからない、という風に、森が仮面の顔を傾げた。

  

「死を→死―は怖く.くないいいい_の:か」


 死に怯える生物から、肉体を奪ってきた“忌まれし森"にとって、死はどこか身近であった。


 あんなに怯えてばかりいた青年が、今は立ち向かおうという意思を見せている。彼を動かすものを、森は知りたかった。


 フリードリヒはしばし沈黙した後、立ち上がりて“忌まれし森"に近づく。

 森に攻撃の意思は見られなかった。


「『死の何が恐ろしいのか。我らは血肉にまみれて生まれるというのに』……父様が唯一、教えてくれた言葉です」


「……よ→くくわ・から_/な-なあ:い」


「僕もまだ、理解できていません。けれども、僕はあなたにひとつだけ、与えられるものがあります」


「_はは肺>で~は=なくて―て?」


「そう。僕の――」


 フリードリヒが話す最中、ひどい揺れがあたりを襲った。


 よろめくフリードリヒを、ケツァルコアトルが受け止める。


「な、な、なに?」


『イツテラコリウキ!三度の干渉、たとえ魔女の意思といえど、許しませんよ』


 上空より、薄汚れた鷺が舞い降りる。

 鷺は“忌まれし森"の蔦の上に立ち、言い放った。


「大いなる力よ、我が子が呼んでいる。急く我が下へ召喚されたし」


「.ワ→タ←シ-はこののひと/とお〉はなな=しし:てい<るの_」


 “忌まれし森"は拒否したが、次の言葉に歓喜した。してしまった。


『お前の望む肉をひとつ、与えてやろう。それを条件に、こちらにこい』


 それを聞いた“忌まれし森"は、喜んでと言い残し、フリードリヒの領域から消え去った。

  



 サイーラの王、バスティアンは、相変わらず人当たりのいい笑顔で挨拶をした。


 エンディミオはそれを不服とした態度で受ける。

 ヘルガと協議した結果、一度呼び出して問い質すという論に至った。


 大きな行事でもなければ、三人の王が同時に集まることはない。


「私がお二人の下に馳せ参じたのは言うまでもありません。お二方にご協力したいのです」


 脂肪の詰まった顎を揺らし、バスティアンは快活に笑った。


 サイーラは歴史浅く、領土も狭い。

 しかし列強の王らと相対できるのは、高い工業、化学技術にある。


 いまだ小国や国境での小競り合い、内戦は続いており、サイーラの品質の良い武器や馬車は、高い需要を誇る。


 その凄まじい経済成長と軍需は、アルヴァやリウォインですら無視できないものとなっていた。



 応接間には、三人の王が卓を囲んで座っている。


「書状は読んでいただけましたか?特にヘルガ様」


 エンディミオの無言の牽制をかわし、バスティアンは一人チェスで遊ぶヘルガの方を向く。


「書状は燃やして、ついで間者は鳥の餌にしてやったわ」


「読んで頂けたなら結構。ひとつ、試してみたいことがありまして」


「……金大猪王、お前を贄にして“忌まれし森"を召喚できるか、でしょう?」


 エンディミオは驚きに顔を上げる。てっきり王妃の預言を求めていると思っていたのだ。


「言ってしまうなら、できるわ。本当はアルヴァの王妃さまがいいのだけれど、甘ったれな夫がいるもので」

  

「白鷺王、何度も言ってやるが、我が妃を危険に晒すことは絶対に許さん」


「おほほ、もう言わなくて結構よ。私が何もしなくとも、アルヴァは神憑きを使い潰すでしょうし」


 睨み合う二人を、バスティアンが呑気に諌める。年長者の余裕というものか。


「まあまあ、お二人とも落ち着いて。ヘルガ様、召喚の儀式には時間がかかりますか?」


「場合によりけりね。今すぐ、やりたいのかしら……あん、負けた」


「できれば。こうして三人、集まることは滅多にありませんから」


 応接間には三人以外は誰もいない。

 内密な話ゆえに、衛兵もいないうえ、今ここに三人はいないことになっていた。


 確かに、このような状況はそうそう用意できない。


「待て、バスティアン。貴様は何を望む」


「簡単ですよ。“忌まれし森"を研究したいのです」


 ヘルガはほくそ笑んだ。巨大な力でしかない“忌まれし森"は、物質ではないのだ。活動を停止すれば、蔦と肉しか残らないだろう。


 バスティアンに促され、ヘルガはチェスを片付けた。一体、誰と勝負していたのだろうか。


「椅子と机を退かして頂戴。――そう、危うくなったら、即座にあの化け物は別の場所に飛ばすから。死ぬ覚悟はしなくてよくてよ」


 ヘルガが応接間の壁に立てかけていた、短槍を手にする。

 尖端の刃は黒耀石であり、ヘルガはそれで床を突いた。

  

 そして声なき声で詠唱する。


『我は裁きの刃の子にして母なり。我が求めるは、父にも母にも属さぬ力。来たれ、ムシュフシュ!』


 槍を起点に、白い光が部屋を包む。


 まばゆい光に手をかざすエンディミオに、バスティアンがひそやかに話しかけた。


「……もし、上手く事が運びましたら、見返りに我が国への教会の介入を止めていただきたい」


「やはりそんなものか」


「主要な鉄と銀の鉱山を買い取られました。

教会宗主は……あの男は、本気で全ての戦争を止めるつもりです」


「鉱山など、買い戻せ」


 サイーラは領土が狭い分、地下資源も少ない。殆どの原材料は輸入に頼っている。


「吹っかけられました。学校を増やせば、値下げないでもないと、嘗めた事を言われましたよ」


 バスティアンは苦々しく吐き捨てる。

 サイーラの識字率は異様に低く、民は殆どが武器を造る工場に従事している。


 それらが招く破滅を、エンディミオは知らないことはないが、わざわざ言うことでもない。

 愚かしい王と民の国は、間もなく歴史に屠られるだろう。


「次のあなた方の衝突の際には、陛下に着きますゆえ」


 魔女は呪いを解除したらば、すぐにも戦争を仕掛けてくるだろう。


 しかし、それはエンディミオも望むところであった。

 それまでは、王妃が呪い殺されぬよう、配慮せねばなるまいが――

  

 光の奔流が止むと、応接間は瞬く間に蔦に侵食された。


 自身に向かってくる蔦を、エンディミオは剣を振り抜き、切り落とす。


「お久しぶり“忌まれし森"」


 短槍を抜き、ヘルガは微笑む。

 バスティアンはゆっくりと森に近づき、交渉を始める。


 汚れて傷ついた、我らの腕。

 そして何の皮肉か、喜劇の仮面が装飾されている。


 まさに化け物と呼ぶに相応しい。これは人間には荷が重すぎる、とエンディミオは思った。


「さて、どうもはじめまして」


「にににくに.くに_くをう:つわ-をに/くを!を!」


 なんと浅ましいのだろうか。

 犬でさえ、足るを知るというのに。


 “忌まれし森"に圧倒されていたバスティアンだが、すぐに冷静さを取り戻し、とんでもない発言をした。


「ひとつ、遊戯をしましょう。私たちがあなたから腕を切り離したら、腕を返していただきたい。

あなたが私たちのうち誰か一人を殺せば――私の心臓を差し上げましょう」


 しばしの沈黙。ヘルガの笑う声。

 そして、怪物の歓喜の鳴き声!


「いひっ/いひ=いいい.いよよ、喜ん・でうけ*る受〉けけよ←う」


 エンディミオは舌打ちし、剣を構えた。

 分の悪い殺し合いに巻き込まれたことに、今更気づいたのだ。

 向かってくる蔦を切り落としながら、黒獅子王は踏み込んだ。


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