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トロイメライ  作者: 嘘吐き
13/20

13

 

 アルヴァの城門前に、四頭立ての四輪大型馬車が止まる。

 その前後にも、大勢の軍隊や、二頭立て馬車がついていた。


 リウォインの国旗と王家の紋章の装飾を持つ大型馬車は、ただ一人の主のものだ。


 側近の一人が、恭しく腰を折り、手を差し出す。


 それを当然として取り、白鷺王ヘルガは馬車から降りた。



 最上級の賓客である。黒獅子王とその側近らも出迎える。


「ご機嫌よう、黒獅子王」


「息災か、白鷺王」


 表面上は和平を結んでいるため、作り笑いで握手を交わす。


 二人の王が顔を会わせることは滅多に無く、最後に会談を行ったのは二年も前の話だ。


「王妃様はお元気かしら?」


「しぶとく生きている」


 白々しく聞くヘルガに、エンディミオは素っ気なく返した。


 両王家の因縁は長い。その初まりを知る者はいないが、歴史の中で幾度となく衝突をしたことは事実。


 王にはべる兵士らも牽制し合う。いつここで争いが起こっても、おかしくはなかった。


 しかしあくまで会談に来たヘルガは、張り詰める空気を楽しむだけ。エンディミオが促すと、あっさり従いて、黒獅子王の領域に足を踏み入れた。







 目覚めると、医師がフリードリヒの大腿の付け根に、点滴の針を刺していた。


「いったっ」


「も、申し訳ございません!ああ、お目覚めになられましたか」


 医師の率いる看護師らが、急ぎ道具を片付ける。

 身体の弱い王妃が妊娠したとあってか、大勢の優れた医療従事者たちが王室に入ったのだ。

  

 たくさんの見知らぬ顔に戸惑うが、優しい医師は変わらず側に居た。


 その事に安堵し、フリードリヒは診察に体を預けた。


「私が思っていたよりも、良い塩梅です。眠っている間の拒否反応も減りましたし……このまま、何事もなければ良いのですが」


 フリードリヒの体調は、実の所変化が少ない。

 悪阻つわりも軽く、眠気のせいで怠さや痛みが軽減されていた。その辺りはとても運が良かった。


 ただし、睡眠時間は増えている。

 栄養失調を防ぐために、医師はあれこれと手を打っていた。


 フリードリヒの両腕は、点滴痕によりぼろぼろで、医師はさらに効率の良い大腿部の血管に切り替えた。

 この部分に針を刺すことは嫌がられる事が多く、今まではやらなかったのだ。



 診察を終えると、医師は話もせずに一礼して、すぐさま退がった。


 謹慎中の王妃に配慮してのものだ。

 フリードリヒは話したいことが沢山あったが、仕方ない。自分が引き起こした事態なのだから。


 外界との関わりを絶たれたとて、フリードリヒにとっては、ロメンラルにいた頃とたいして変わらなかった。


 会話をする侍女がいるだけ、こちらの方がよほど楽しい。


 謹慎を言い渡されてから、二週間が過ぎていた。

 その間は、体調を考慮して、神域に行くことはなかった。


 ただひたすらに、“忌まれし森"の事を考えていた。

  

「ケツァルコアトル様ー」


 密かな声で呼べば、蛇を纏う神はすぐさま顕れた。

 いつもなら慈悲深い微笑を向けてくれるが、今日は様子が違う。彼方を真剣な目で見ている。


『……魔女が来たようですね』


「ヘルガ様が?」


『探りますか?』


 願えば、ケツァルコアトルは確実に、どんな情報も与えてくれるだろう。


 しかしヘルガに気づかれることも、覚悟しなければならない。これ以上、エンディミオに迷惑はかけられない。


「いえ……いい、です。それより、神域に、行きたいの、です」


 その発言に、ケツァルコアトルは少し驚いた。

 あんな恐ろしい目にあっては、フリードリヒはもう神域に行くことはないだろうと、諦めていたのだ。


 凄まじい忍耐力にいたく感心した。それに応えようと、ケツァルコアトルは余計な事は言わず、神域に接続した。







 ほくそ笑む口元が見えぬよう、ヘルガは扇で巧妙に隠した。


 アルヴァの王妃を手にかけられなかったのは残念だが、イツテラコリウキでは、王妃に宿る神に敵わないことは分かっていた。


 謹慎になったというのは、ヘルガとしては成功だ。邪魔者がいなければ、黒獅子王をうまく動かすことができる。


「ねえ、王妃さまから聞いたのだけれど、あの方は、呪いを解くことができるようねえ」


「何かと思えば、そんな話をしに来たのか」


 食いついた。妃を出せば、こんなに単純に話に乗るとは。つまらぬ男になったものだと、ヘルガは喉の奥で笑った。

  

「ああ、可哀相な王妃さま。何の報いもなく、死を選ぶなんて」


 書類をめくっていたエンディミオの手が、止まった。


「不確実なことを、あんな坊やに任せてしまうなんて、黒獅子王らしくないわあ」


「黙れ。不敬で裁くぞ」


「くはは。ねえ黒獅子王、私がこんな暑苦しい所に来たのは他でもない。

共に“忌まれし森"を殺しましょう」







「ケツァルコアトル様、あの大きな星は、何というのですか?」


 フリードリヒと神域を繋ぐ起点は、どうやらロメンラルの屋敷の自室らしい。


 窓から夜空を見上げ、青星が霞むほどの輝きを尋ねる。


『あれは月というものです。かつては、現世でも世界を照らしていました』


「月、ですか」


 あれほどの光があれば、夜は困らないだろうなあ、とフリードリヒは思った。

 いつまで見ていても、飽きない。ケツァルコアトルに促され、フリードリヒは自室を出た。


「あれ?」


 廊下に出た途端、アルヴァの宮殿に変わった。慌てて振り返ると、閉めた扉は、確かに自室のもの。


「な、なにこれ」


『ここは神域ではありますが、同時にあなたの意識内でもあります。適当に歩けば、“忌まれし森"に会えます』


 実家のことをあまり覚えていない、という事態が、この奇妙さを招いたらしい。


 人の心は常に変化する。フリードリヒにとっては、故郷よりもアルヴァの方が大事という表れだ。

  

 この道のりは覚えているぞ、とフリードリヒの胸は高鳴る。

 侍女らと何度も歩いた、庭園への廊下だ。


「うん?」


 つと、また妙なものを見つけた。

 本来は何もないはずの壁に、扉があった。

 蛇の意匠が施された、翠色の扉。


 フリードリヒの本来の好奇心旺盛さが頭をもたげる。取っ手に触れたが、ケツァルコアトルが制止した。


『そこから先はわたしの領域、わたしの意識です』


「んん?よくわかりません」


『わたしがあなたの意識に間借りしている状況でした。契約した今となっては、侵食してしまっています』


「開けたら、駄目ですかー?」


 ケツァルコアトルが自分の心を見ているならば、その逆をしていいようにも思える。

 何より、長年共にいた神が、どんなものなのか、気になる。


『見られるのは気にしませんが……。わたしたちの情報量に、人は耐え切れません。即死します』


 なんと恐ろしいものが、自らの内にあるのだ。全き善良ではない、というイツテラコリウキの言葉が、再び頭をかすめる。


『開かなければ、問題はありません。さあ、行きましょう』


 促され、フリードリヒは見なかったことにした。

 というのに、角を曲がるとまたも不可思議な扉が。


 鏡が取り付けられた、どす黒い扉だ。鏡は曇っており、何も写っていない。


 ぎぃ、と音を立て、ゆっくりと黒い扉が開いていく。

  

 石炭の乾留液かんりゅうえきを塗り立てたような黒い腕が見えた。


 “忌まれし森"ではないことは、フリードリヒでも解る。これは、森よりもずっと恐ろしいものだ。


 漂ってきた、むせ返る血の匂いに、フリードリヒは吐き気を催す。

 突然、ケツァルコアトルは扉を足蹴にして閉めた。ついで鏡を拳で割ってしまう。


「……お、おおぅ」


『すみません、先へ行ってください。わたしはこれをやっつけてますので』


 早口に言うなり、ケツァルコアトルは扉の向こうへ消えた。

 かの蛇神は無表情であった。きっと大変なことになっているに違いない。

 フリードリヒは全てを忘れることに努めた。







「化け物を殺す?馬鹿を言うな。やれるならば、とうにやっている」


 エンディミオはヘルガの言葉を一蹴した。

 歴代の王たちが、呪いを解かんと動かなかったわけではない。

 しかし、どんな兵法も、魔女のまじないも、教会の奇跡も、意味を成さなかった。


 兵を出せばむしろ被害は拡大し、化け物の不死身さを痛感するばかり。


 悔恨を残し、死んでいった先人らを思うならば、余計な犠牲は出さずに、国を豊かにすることを考えるべきだ。


「お馬鹿ねえ。今の技が、昔のものに劣るはずがないじゃない」


 ヘルガはやけに自信に満ちている。

 その理由を、エンディミオは聞いてみた。

  

「死角の多い森林で戦うから不利なのよ。“忌まれし森"をこちらに召喚し、一網打尽にすればいい……そうでしょう?」


「随分と簡単に言うではないか」


「簡単ですもの。贄がひとつ、あればいい」


「なるほどその贄に、貴様がなると」


「つまらない冗談ね。アルヴァの王妃さまに決まっているじゃない」


 その言葉に、エンディミオは書類を卓に放り、ヘルガを睨む。


「貴様こそ、冗談は大概にしろ。あれに余計なことを吹き込むな」


「だから謹慎にしたのでしょう。本当につまらないわ。黒獅子王ならば、何の躊躇もなく伴侶を差し出してくれると思ったのに」


「教会を敵に回す気はない。ついでに、あれの腹には子もいる」


 ヘルガは鼻でわらい、問題発言を連発した。


「子なぞ、その辺の女に産ませればよいこと。価値を見出だしてあげなさいな」


「価値だと?」


「大した預言もしない神憑きに、何の価値があるというの。

どうせすぐに死ぬるのだから、死出の花道を用意してやるのが、慈悲というもの」


 エンディミオは、怒ることはなかった。ただヘルガを見据え、静かに言い放つ。


「貴様は、何を焦っているのだ」


「――なんですって」


「見目は若い女といえど、貴様は齢五十を過ぎた。呪いを疎ましく思っているのは、貴様の方ではないのか」


「あら、私は呪いごときで、民が反抗するような政治はしていなくてよ」

  

 余裕の笑みを見せるヘルガ。

しかしてエンディミオは知っていた。白鷺王は、自身よりも短気で我が儘であることを。


「では何故、子を生さぬ。やはり呪いは、魔女をも蝕むのか」


 くく、と笑えば、対してヘルガは無表情になった。

 凍てつくような視線を寄越し、だが女王は虚偽を重ねる。


「馬鹿なことを。長きに渡る我が一族が、あのような出来損ないの命に蝕まれると?」


「そこまでして、教会に勝ちたいか。他人の妻を犠牲にしてまで」


 反論はさせまいと、畳み掛ける。

 エンディミオは、呪いは解ければ重畳であるが、本来は無関係の妃を犠牲にしなければならぬほどに、追い詰められているわけではない。


 しかし王妃はただ一人のために、自らを省みなかった。







 何と無く、庭園へ行けば“忌まれし森"に会えることは分かった。


 ケツァルコアトルが力を与えたのは、一人でも神域内を動けるように、とのことなのだろう。


 無尽蔵に入ってくる情報をかわし、興味深げに月を見ながら歩く。


 石床の、こつこつとした感触を楽しみながら角を曲がり、歩みを止めた。


「父様」


 フランツが息子を見据えて立っていた。

 何故、父が出てくるのか。どうせなら、エンディミオがいいのに、とフリードリヒは思った。


 無視して歩もうとしたが、フランツが肩を掴む。

 フリードリヒはぎくりと身を固くし、父を見た。

  

「フリードリヒ、平和の君主」


「父様……」


 フランツの肩に、金糸雀が止まる。白い羽毛の、金糸雀が。


「もたらされたものに気づかねば、お前は何も救えない」


「何を、おっしゃっているのですか?」


「ついて来い」


 これは“忌まれし森"の罠ではなく、また別の何者かの干渉だと理解した。


 フリードリヒは不思議と恐怖もなく、父の背を追った。


 長い廊下から、角を曲がり、庭園に入ったところで、父の姿は無かった。

 代わりに庭園の中心には、黒耀石の刃に貫かれ、固定された“忌まれし森"の姿が。


「……あの、父様を、見ていませんか?」


「ささ.さあね→白い小/鳥ならば:いた/たよ」


 呑気に質問するフリードリヒに、森も呑気に答えた。


 フリードリヒはしばし周囲を巡りて父を探すが、見つかることはなかった。

 そうこうしているうちに、翡翠がフリードリヒの肩に止まる。


『わたしの愛しい子。どうかしましたか』


「んと、なんでもないです。

あ、そうだ。聞きたいことがあったんです」


『どうぞ』


「なぜ“忌まれし森"は、生まれたのですか?」


 むしろ、なぜ今までこの疑問を持たなかったのか。

 “忌まれし森"は何も言わず、フリードリヒを見ている。


『生まれた、という表現は正しくはありませんが、まあいいでしょう。情報を開示します』

  

 フリードリヒが両の手を出すと、翡翠はそこに乗る。


『これは教会が設立されて間もない頃の話です。

教会開祖は擬似生物を造る術を持っていました。それを複製しようとした人々が、創成そうせい派という一派を組織します。

創成派は一人の魔女を犠牲に、自らの手で生命を生み出そうとしました』


「魔女を……」


『魔女の『死にたくない』という思いと、世界の『死を呑んで新しい生命を生み出す』という機能が矛盾し、ただ莫大なる力が発生しました。それが、あれです』


 ああ、哀れな存在よ。

 憐憫の情をもって、フリードリヒは森を見る。


『“忌まれし森"は封印され、創成派は解体。

しかし我々の不手際で封印は解除され、イツテラコリウキの魔女は“忌まれし森"を殺そうと、アルヴァの王をたきつけました。が、失敗し、腕を取られました』


 ヘルガの一族は、なんと業が深いのだろう。

 フリードリヒは、生まれて初めて、心から他人を憎く思った。


「リウォイン王家は、なぜ教会ではなく、森を屠ろうとするのですか?」


『我らがそうするように、森を死にやることは、魔女にとっても重要なこと。

教会は、現在でも魔女らと対立していますよ』


 フリードリヒは迷った。

 “忌まれし森"はただの被害者で、あるいは死した魔女の魂の叫びだ。


 ならば、ヘルガはずっと呪われていればいい。永遠に、教会と争い続ければいい。

  

 フリードリヒは涙声で、森を指して言った。


「あれは僕と同じです!なぜ産んだと、父母を恨み、世界を諦めた僕と同じです」


 飛び立とうとする翡翠を捕らえ、本音と主張をぶちまける。


「神憑きだからと、何も与えられず、父を呪い殺されて。陛下の愛は望みなく、お客様は預言にしか興味がない!

それでも幸せと思い込んできたけれど、果ては、あの哀れな存在を殺せとおっしゃいますか?

残酷なる神よ!」


 こんなに沢山喋ったのは初めてだ。

 フリードリヒは息を切らせ、翡翠を解放した。


 その場に座り込み、いじけるフリードリヒに、ケツァルコアトルはごく冷静に諭した。







 会談を切り上げたヘルガは、客室の椅子に座り、いらいらと愚痴を重ねていた。


 気まぐれに殺されはしないかと、侍従らは青ざめた顔で、かいがいしく女王を世話する。


「まさか黒獅子王が、あんなに王妃に入れ込んでいるなんて……面倒ったら」


 葡萄酒を煽り、ヘルガは傍らの鷺に話す。

 もちろん、鷺は侍従らには見えない。しかし魔女という、人知を超えた存在に、疑問を挟む者はいない。


 鷺は慰めもせず、当然のことを語る。

 イツテラコリウキは、石のように頑なな性質だ。


『風との盟約で、かの契約者とは接触できなし。ざんねんむねん』


「せめてお前が、“忌まれし森"の定式を持っていれば、解析してくれたものを……。なぜケツァルコアトルから奪わない?」

  

『たとえ保有していても、風の使命はじゃまできない。森を殺しもできない。星の恋しいひとよ』


 現世が“体"だとすれば、神域は“魂"だ。

 “体"に個性があるように、“魂"にもまた個性がある。

 定式とは“魂"を構成する霊質の、いわば設計図で、全ての生物に例外なくこれは存在する。


 その設計図をもがれたが故に、歴代の王は腕の無い状態で、生まれる。


 ただの力の塊にすぎない“忌まれし森"は、他者から奪った単純な式をつぎはぎし、存在している。


 ケツァルコアトルはこれを解析し、森を探索したり、攻撃をしているのだ。


 一方、イツテラコリウキは“忌まれし森"に関する使命を持っていないため、ヘルガの我が儘で、仕方なく森を捜し当てていた。


 これは規定違反であり、ケツァルコアトルに攻撃をされても、しようのない事だった。


「いいのよ別に、殺せなくとも。召喚した森が、黒獅子王とその妃を、うまいこと殺してくれさえすれば」


『さすがきたない。わざわいだわざわいだ。恋しいひとよ』


 ヘルガは“忌まれし森"に接触する度に、さる銀髪のみすぼらしい青年が、肺をくれてやるそうだぞと、吹き込んでいたのだ。

 神域での損害は、現世に影響する。

 肺を片方無くせば、生きてはいれない。ヘルガはフリードリヒに協力するつもりなど、毛頭なかった。


 しかし黒獅子王は、妃を犠牲にする案を断った。

 このまま呪いが解除され、めでたしなぞ、あまりにつまらない。


 別の嫌がらせはないかと、考えていたヘルガに、思わぬ報が届いた。

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