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トロイメライ  作者: 嘘吐き
11/20

11


 またも王妃が、原因不明の長い眠りについたと、王宮は騒然としていた。


 神憑きは儚いもの。子を産まぬまま、命尽きてもおかしくはない。


 しかし、医師の恐ろしく冷静な判断により、点滴をしたまま安静にされていた。


 三日目の昼、侍女がせめてもと、王妃の身体を拭いてやっていると、なんと国王が顔を見せたではないか。


 暴虐なる王にも、一応は人の心があったのだろうか。そう思いつ、侍女たちは慌てて退がる。


 エンディミオは寝台の近くに座り、眠り続ける妻を見る。


 点滴を打ち続ける腕は、とうにぼろぼろだ。細く、生気のない白さも相まって、実にみすぼらしい。


 何事もないように眠る妃の頭に、エンディミオが手を伸ばす。


「夢を見るのはやめよと、言っても聞かぬ性分か……」


 頬を少しつねってみるが、何も変化はない。


 エンディミオは嘆息した。

 確かに呪いを解けるならば、そうするべきだ。


 だが曖昧な事柄に、王妃がそこまで苦心する必要は無い。


 産まれた時から隻腕の身であるから、不自由と思った事は一度もなかった。


 どころか、権力も頭脳も武力も、そこいらの人間を凌駕する。

 エンディミオにとって、国の存続と繁栄以外に、望むものはない。というに――


「……私は、そなたにどう報いれば良いのだろうか」

  

 王は、眠る妃の目が開くことを望んでいた。


 この王妃は、つくづく憐れな者だ。


 いずれは教会や、それに準ずる権力に喰われるだろう。

 宰相らが言わずとも、エンディミオは唯一の保護者として、伴侶の地位は全うするつもりだった。



 はてさて、このまま目覚めないのではないかという、王妃の銀髪を撫ぜていると、わずかに動きがあった。


「……へ、いか?」


 これは夢か現か、しばらく逡巡していたフリードリヒだが、点滴の針の痛みが、答えを打ち出す。


 慌てた妃は、いつになく素早い動作で起き上がる。


 だが、突然の動きに驚いたエンディミオが、反射的に王妃の頭をひっぱたく。


「あいたっ」


 額を摩り、恐る恐るエンディミオを見る。


 心底呆れたような王の表情に、フリードリヒはひどく安堵した。

 堪えていた恐怖がどっと溢れ出し、それは涙となって零れた。


「あ……も、申し訳、ございません……」


「みっともない。さっさと拭え」


 エンディミオは敷布をフリードリヒの顔に当て、やや乱暴に拭き取る。


「あ、の……も、大丈夫です」


 王の手を取り、洟を啜りつ礼を言う。

 エンディミオは興味をなくしたように、その場から去った。


 入れ代わりように、侍女や医師が戻ってくる。


 ぐずぐずと洟を鳴らすフリードリヒに、まさか王が泣かせたのではと悶着があったのは、言うまでもなく。

  

 夕食を済ませ、尚こんこんと眠りつづけるフリードリヒ。


 熟睡しているというに、つと、額に冷たい感触があった。


「……ん、ケツァル、コア、ふあああぁ」


『すみません。ですが起きてください』


 蛇がしぺろと舌を出し、フリードリヒを舐める。


 ケツァルコアトルがフリードリヒを起こすことは初めてで、何事かと起き上がる。


「この、蛇は……」


『これはわたしの身体の一部ですよ。あなたが怖がるかと思いまして、花に擬態させていましたが、杞憂でしたね』


 ケツァルコアトルが手を翻すと、枕元にある灯火が点火した。


『来ましたか』


 虚空から、灰に薄汚れた白鷺が現れた。


『それ以上近づかぬよう、夜の風がお前を裂きます。イツテラコリウキ』


 あのみすぼらしい鷺が、夢に見た石像の化身らしい。

 またもヘルガが何かを仕掛けるのかと、警戒するフリードリヒだが、イツテラコリウキは普通に話しかけてきた。


『我が魔女はああ言うが、やはり呪いを解くには貴様らの力が必要だ。我々は協力を惜しまない』


「……ちゃんと、お話、できるんで、すね」


『わたしが翻訳しています。ではイツテラコリウキ、わたしたちと盟約を交わしなさい』


 どこまでも能天気なフリードリヒはさておき、ケツァルコアトルが話を進める。

  

『了承した。ケツァルコアトルの在る限りは、我々は契約者に危害を加えず、また神域に手を出さぬ』


「しん、いき?」


『わたしたちの存在する領域です』


 神々のおわす領域。人々が憧れ、夢想する地。


『そして全ての意思の在る所。“忌まれし森"と危険を避けて接触するならば、神域での接続を推奨する』


「要は、わたしはあなたを神域に送ります。あなたは神域で、森と対話をすることができます」


 イツテラコリウキの難しい言葉を、ケツァルコアトルは噛み砕いて伝えた。


 夢で見た、あの仮面。問答無用で腕を奪う化け物に、対話など可能なのか。


 消極的な考えに、フリードリヒは頭を振った。

 流されるままでは、何も成せない。

 ケツァルコアトルを見る。共存する神は、フリードリヒの心中を察して微笑む。


「神域て、どんなとこ、なんですかー?」


『現世の裏側、とでもいいましょうか。言葉では表しがたいですね……行けばわかりますよ』


 フリードリヒは素直に頷くが、ひとつ気掛かりなことがあった。

 神域にはやはり意識だけが行くのだろう。フリードリヒは一体、何日間眠るのか。


「あの……また長く、眠るのは……」


 侍女や医師に負担をかけたくはないし、またエンディミオを怒らせてしまうだろう。

  

 なんとかならないだろうかと問うフリードリヒに、ケツァルコアトルは少し迷った後、提案した。


『代役を立てましょう』


「だい、やく……?」


『あなたが眠る間、諸々の生活や公務を、わたしが用意する者にさせます』


 所謂、影武者というものだろうか。


 不安は残るが、ケツァルコアトルを信じることにした。


 フリードリヒの決心を確認したイツテラコリウキは、不穏な一言を残し、虚空に消えた。


『ケツァルコアトルは慈悲深いが、全き善良ではない。お前の眼は手遅れだ』




『全ての夢は繋がっています。世界の夢も、あなたの夢も』


 神域と思われる、暗闇の空間を、フリードリヒはただ歩いていた。

 彼の周りを翡翠が飛び、語る。


『自らの夢に、呑まれぬよう気をつけなさい。戻れなくなってしまいますからね』


「う……頑張ります」


 しかし、この殺風景な景色はいつまで続くのか。

 時折、鳥が飛んでは消えていく。


「神様は、寂しいところに住んでいるのですね」


『寂しい、ですか……』


 道中、妙に人懐こい鴨や夜鷹に擦り寄られた。

 それでも風景は変わらず、いつになったら“忌まれし森"に接触できるのか。


「ケツァルコアトル様、まだですか?」


『もう少し歩いてください。森は神域内を移動しています』


 体力と根性が欠けているフリードリヒは音を上げはじめた。

 仕方なしに、足を引きずるように歩く。

  

『見かねたぞ、“翡翠の雪ぎ"』


 フリードリヒの前に、ペリカンが舞い降りた。

 厳格な男声とは食い違う、滑稽な姿に、フリードリヒは遠慮のない感想を口にした。


「か、かわいいかも」


 その言葉は鵜の逆鱗に触れたらしく、巨大なくちばしでフリードリヒの腕を覆うようにくわえ込んだ。


「あわわわ、すみませんごめんなさいーっ」


『やめなさい』


 ケツァルコアトルが鵜を突き、フリードリヒは解放された。

 鵜は何事もなかったかのように、話を再開した。


『“忌まれし森"も学習している。二十秒毎に宛先変更をし、常に移動し続けている。“翡翠の雪ぎ"の情報収集能力では無差別にすぎる』


『やはり……。イツテラコリウキはどうやって接触しているのですか』


『“折れた灰刃"の検索選別能力はお前より高い。あとは奴の魔女の高い感性で、見事に捜し当ておる』


『わかりました。では、あなたは何の用件で?』


『お前は手際が悪い』


 鋭い指摘に、ケツァルコアトルは反論しない。


『幾多の契約を結び、その全てにいいように扱われ、失敗してきた』


『ええ、そうですね』


『甘やかすと優しくするのは、違うぞ』


『……わたしと争いたいのですか?』


 剣呑な雰囲気に、ぼけっとしていたフリードリヒも行動した。

 宙の翡翠を捕らえ、仲裁のため鵜に訴える。

  

「け、喧嘩はやめてください。それに、ケツァルコアトル様は優しいです!父より兄より、わたくしを慮ってくださいますっ」


 翡翠が苦しげに鳴いたため、フリードリヒは手を離す。

 ケツァルコアトルはフリードリヒの肩に止まり、得意げに鳴いた。


『ありがとうございます。わたしの愛しい子。あなたの人生を蔑ろにしたのはわたしなのに』


「でも、神憑きでなければ、陛下に会えませんでした」


 全てを受け入れようとする、迷いのない言葉。


 実のところ、人に興味がない鵜であったが、軟弱フリードリヒの妙な強さには、ほんの少し興味が沸いていた。


「ですからあの、ケツァルコアトル様を責めないでください」


『責めるつもりはない。いずれ罰が与えられる身だ』


『ではわたしたちは行きます。あと三時間で裁定者が目覚めるでしょうから』


 フリードリヒが促されるまま歩もうとすると、鵜が大きく鳴いて呼び止めた。


(や、やっぱりかわいいっ)


 笑わないように我慢をしているフリードリヒを尻目に、鵜は協力を申し出た。


『待て。我輩が裁定者の夢に接続し、“忌まれし森"の接続先を辿ってやろう。というかそのつもりで来たのだ』


『そういうことはっ、最初に言いなさいよこの、滑稽鳥!』

  

 鵜は金の眼を閉じ、ぺたぺたと水掻きのついた足で歩き始めた。

 その姿に、フリードリヒは口を塞ぎ顔を背け、腹に力を込めることで、なんとか笑いを抑える。だが肩が震える。

 いくらなんでも、見た目と性質に隔たりがありすぎた。


 知ってか知らずか、鵜はあくまで真面目に教えてくれる。


『年々、処理能力が上がっているな……。待て、近づいている。その人間に反応しているのか。“翡翠の雪ぎ"、切断しろ!』

『今すぐですか――っ』


 ケツァルコアトルの声が途切れた。


「え――」


 虚空から伸びた蔦が、翡翠の小さな体を貫いていた。


『回線切断を確認。貴様、我輩に捕まれ!』


 言われるがまま、鵜に手を伸ばすが、フリードリヒの身体は全く動かない。


 気配も感触もなかった。だが蔦はフリードリヒの体に絡み付いている。


「――ひっ、いや」


 鵜の本来の姿だろうか。三重の白い光輪を戴く、鋼鉄鎧の騎士が、フリードリヒを掴もうと手を伸ばした。







 今日は調子が良い、と言うと、途端に客人の相手をさせられた。


 その殆どが高位司祭で、王妃の預言を拝聴しようと、何週間も前から予約をしていたらしい。


 心底面倒だが、後々がさらに面倒なため、仕方なく会話をする。


「んとぉ……今月、末に、出せば、いいと、思います」


「おお。では、そのように致します。感謝致します、フリードリヒ様」

  

 眼前の初老の司祭は、教会宗主から依頼された、鉱物輸出の船出のために、天候の具合を尋ねた。なんでも、近頃は嵐が多く、海賊まで出るらしい。


「船出の、無事をー……お祈り、しますー」


「それはそれは、誠に恐縮です」


 深々と頭を下げる司祭。

 だがフリードリヒは、この司祭が本当は鉱物の一部を横流ししている事を看破していた。


「……子供、きっと、女の、子だと思い、ますー」


「……私の娘に子ができたとを教えては……。これが神の預言だというのか……」


 こちらは全てを見通している、という意味合いで伝えたが、司祭は畏れ敬うばかりで、無駄であった。


 司祭は笑顔でいそいそと退室した。自らの望む答えが得られ、満足したのだろう。


 フリードリヒは細い脚を抱え、溜息をついた。


「朝から三人も接待なさって、お疲れでしょう。お休みになられてはいかがでしょう。それとも、お茶になさいますか?」


 久々の公務に疲れたと見て、エリッサが配慮してくれる。

 しかしフリードリヒは空気を読まない一言。


「……悪い人、だった」


「それは……。そういったことは、王権ではなく、司法が裁くものです。フリードリヒ様のお手を煩わせる必要はありません」


「……うん」


 あの司祭には伝えなかったが、今までの横流しを、とうに宗主は知っている。


 近いうち、彼は内部で裁かれる。家は潰され、先ほど話に出た娘と孫は、宗主の愛人として惨めに生きながらえるだろう。

  

「ふわぁああ……。うん、寝る」


「畏まりました」


 礼装から寝間着に着替えさせられた。

 重い装飾品から解放され、フリードリヒは息をついた。


「あらフリードリヒ様、婚約腕輪を通す手が反対ですわ」


 いつもなら左手首につけるものを、寝ぼけていたものか、右手首に装着していた。

 エリッサが直しながら、注意する。


「王の左腕という意味合いで、妃は左手首に婚約腕輪を通すのです。お気をつけくださいませ」


「んと……気を、つける」



 疲労した王妃に配慮し、侍女は寝室から出ていった。


 フリードリヒは眼を開き、素早い動作で体を起こし、切り揃えた銀髪を掻き上げる。


「茶番だな」


 いつものすっとぼけからは、想像もできないような毒を吐く。


 彼が寝台の下を覗くと、そこには安らかに眠るフリードリヒがいた。


 毒づく方のフリードリヒは、眠る青年を苦労して寝台に戻す。


「糞っ。いくらなんでも軟弱にすぎるぞ、この男」


 息を乱しながらも、なんとか青年を寝台に転がすことに成功した。


 フリードリヒは筋肉の酷使で震える両腕を摩り、呆れた眼で王妃を見る。


「今日で三日目。さてこのまま戻らなければ……わたしが王妃になり、国を傾けるというのもありだな」


 もちろん、言うだけで実行はしない。

 ケツァルコアトルの庇護有る限り、フリードリヒの肉体が死ぬことはない。精神はその限りではないが。


 毒づくフリードリヒは、王妃の宝石箱を勝手に開け、黒曜石の指輪や髪留めを出した。


「これぐらいもらわねば、割りに合わぬ」


 嫌らしく笑い、指輪を、正確には黒曜石を呑み込んだ。


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