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トロイメライ  作者: 嘘吐き
10/20

10

 

 意識が霞んだまま、フリードリヒは目覚めた。


 大欠伸をかまし、寝返りをうとうとするが、点滴に気づく。


 なんとか起き上がり、目を擦りながら、のろのろと天蓋布を開いた。


「まあ、おはようございます、フリードリヒ様」


「おふぁああ……よう」


「医師をお呼びしますね」


 こくりと頷くと、侍女は一礼して去った。


 待つ間に、喉を潤そうと、寝台の近くに置いてある杯に手を伸ばす。


 が、うまく力が入らず、杯を落としてしまう。


「あらあら、大丈夫ですか?」


 入れ替わるように、エリッサが現れ、杯を片付けた。


「うー……ごめ、なさ」


「フリードリヒ様、どこか具合でも悪いのですか?」


 王妃はゆるゆると首を横に振るが、エリッサは安心しない。


 何せ、フリードリヒは二日も眠り続けて起きなかったのだ。


 それを伝えると、やけに薄い反応が返ってきた。


「……へぇ」


「やはり、本当にどこか悪いのでありませんの?痛い所は?」


「ん、とぉ……ねむ、い」


 埒が明かない。エリッサは、フリードリヒが眠らないよう、医師が来るまで話し相手になることにした。

  

 医師はいつものように微笑んではいたが、とてつもなく怒っているのがフリードリヒには解った。


 それも、自らの無力さに怒りを感じているのではなく、自分の思い通りにならない王妃に憤怒している。


 医師は微塵もそんなそぶりを見せないが、フリードリヒは自然と解ってしまった。


「……ごめ、んなさ……ふああ」


「何を謝るのです?貴方が選んだ事でしょう」


「だって……怒っててぇ」


「怒っている?私が?」


「……わか、るんです……入って、くる……ふああぁ」


 人々の考えている事や感情、風の流れ、果ては建物がどのような均衡を保って建っているのかまで、フリードリヒには解ってしまった。


 望む望まないに関わらず、あらゆる情報がフリードリヒになだれ込む。


 医師にわかってもらえるよう、周りの侍女が何を考えているかを二つ、三つ言い当てた。


「成る程、わかりました」


「……よか、たあ」


「全情報の取得が行われています。普通なら、溢れる情報に混乱しますが、王妃様はその殆どを見過ごしておられる」


 力の扱いを、自然と心得ているのだろうと言われ、フリードリヒは少し照れた。

 同時に、医師の博識ぶりに、いたく感心した。

  

 契約して以来、フリードリヒの眠気は、想像を絶するものとなっていた。


 今までは、頑張れば堪えうるものだった。

 だが、もはや歩くことすらままならない。


 せっかく体力もついて、たくさん外に出ることができるようになったというに。これでは意味が無い。


 寝台から食卓につくまでも、だらだらと時間がかかる。

 とはいえ、無理にでも栄養はつけなければならない。フリードリヒは懸命に食事を摂る。



 ロメンラルにいた頃のように、寝台で寝転び、夢現をさ迷うていた。


 フリードリヒはただ、先日送った手紙は、無事に目的の人物に辿り着けたかと心配していた。

 アレックスを信じるより他にない。普通に手紙を出せば、エリッサに咎められるに違いあるまいし、下手をすれば反逆者の疑惑を持たれるだろう。



 そういえば、とんとケツァルコアトルを見ない。


 用が無くとも、姿だけを見せることはあったのだ。


 フリードリヒは無駄と思いつ、呼びかける。


「……ケツァル、コアトルさまぁ」


『はい、なんでしょう』


 意外にも即答。しかも、本来の姿でフリードリヒの傍らに顕現した。


「な、なん……」


 いつもは、ケツァルコアトルの都合で顕れたではないか。

 フリードリヒの意を汲み取った神は、ゆっくりと説明する。


  

『契約をしたからには、あなたの呼びかけにいつでも参じましょう。それで、なにか?』


「……ねむ、い」


 ぞんざいな一言にも、神は機嫌を損ねず答える。


『すみません。あなたにはあまり負担をかけたくはないのですが、それが限界なのです』


「げ……んか?」


『これ以上の力を与えれば、眠気以上の障害が表れます。どうか我慢してください』


 よく理解できないが、考えることもままならず、頷いておいた。いずれわかるだろう。


「こ、なで……呪、い……なんか」


 回らない舌で必死に喋るフリードリヒに、口を閉ざすよう神は言う。


『無理に喋らずとも、表層意識を汲み取ります。まずはこの状況に慣れるべきです』


「む……」


 無理だ、と言いかけた王妃の意識は、眠りに堕ちた。







 耳元でばちん、と音がした時、フリードリヒは境界に立っていた。


 ケツァルコアトルが呼んだのだろうか。さっきまで会話したばかりではないか。


 蛇を纏う神の姿を探すが、一向に見当たらない。


 もし境界でも、眠気や疲労があれば、フリードリヒはすぐさま諦めていただろう。


 ふらふらと、変わらぬ風景を歩いていると前触れもなく、何かとぶつかった。


 一瞬、触れてはいけないと注意された、虹色の壁ではないかとぞっとした。


 慌てて顔を上に向ければ、異形がいた。

  

 それは、何かの石像にも見える。

 直立したまま動かず、口を大きく開けて虚空を見据える。


 姿は痩衰えた初老の男性。石と黒耀石を散りばめた布を服としている。


 額から後頭部にかけて、矢が貫いていた。恐らく、これは作り物なのだろう。


 そう思い、怖々と離れるフリードリヒを、石像の深紅の眼が追う。


「ひぁっ」


 生きている。驚愕のあまり、腰が抜けたフリードリヒは、その場に尻餅をついてしまう。


『しんぞうのないめが腐っている』


「しゃべった!」


 よく耳をそばだてねば、聞き逃してしまうだろう。小さく低い声で、それは意味不明な言葉を紡ぐ。


『しんぞうのないめが腐っている。盲目を司る者だからわかる。だがこのこは、盲目の名をもたない』


 ようく見れば、異形の頭からは、二対四本の角が生えている。だが、うち二本は無残にも根本から折られていた。


 角を見たフリードリヒは、確信し、座り込んだまま尋ねた。


「あ、の……神様なのですか?」



『冷え切る星。かがやきを失った星。さいかのぞむ、お星さま』


「ケツァルコアトルさまー、助けてー」


 困り果て、いまだ姿を見せぬケツァルコアトルに呼びかける。


 しかしフリードリヒに返答したのは、神ではなかった。


 つと、背筋に冷たいものが奔る。

  

 かつかつと、靴の踵を踏み鳴らす音が響く。


 白く艶めかしい脚が、フリードリヒの視界に入る。


「喧しい人。上品さのかけらもない」


「……っ!」


 あまりに意外すぎる人の登場に、フリードリヒはしばし言葉を忘れた。


 白銀の髪、汚れなき白い肌。纏う風格もドレスも、全てが豪奢。


「ヘ、ルガ様……」


「お久しぶり、アルヴァの王妃」


 北方を統べる隻腕の女王が、そこにいた。

 かの美しいかんばせを、忘れることができようか。


フリードリヒは慌てて立ち上がり、深く頭を下げる。


「あ……お久しぶりでございます。あの、んと、な、何故こちらに?」


「うくく、境界だと、しかとした受け答えね。――何故かと。貴方が呼んだのよ……こんな文を寄越されてはね」


 ヘルガは、簡素な文章の書かれた紙をフリードリヒに見せた。


 実はフリードリヒは、兄への手紙に、ヘルガ宛てのものを忍ばせていた。


 次兄ローレンツはリウォインの軍部に所属している。自身の地位も利用し、兄を介して、白鷺王に文書を送ったのだ。


 確実に、そして周囲に知られないようにするには、これしかなかった。


「んはは、しかし汚い字だこと。誤字も酷くてよ」


「申し訳ございません。……でなくてあの、どうしてここに」

  

「うふふ、王妃様、なぜリウォインが神憑きを排除する文化か、知っていて?」


「え、あ……存じません」


 ヘルガは左手を伸ばし、不動の石像に触れた。

 石像が女王を見る。


「私もまた、神をこの身に宿すからに他ならない。長きに渡る魔女の権力を脅かす神憑きは、絶対に排除したいのよぉ」


「え」


 しかし、それならば説明がつく。


 教会を嫌うのは、魔女が神の力を存分に振るうためだ。

 もしそこに、同等の力を持つ者がいれば、魔女の支配は終わる。


「では、その方が……」


「そう。代々のリウォイン王が継ぐ神。名をイツテラコリウキ」


 名を呼ばれた石像は、変わらず動かない。

 神は神聖故に、ケツァルコアトルのように美しいものばかりかと思ったが、それは間違いのようだ。


「おほほ、では本題に入りましょう。この文によれば、貴方は“忌まれし森"の呪いを解けるのね」


「は、はい。それでその……どうすれば良いかを、ヘルガ様に伺いたく……」


「成る程、考えは悪くなくてよ。魔女はそういったことの専門家ですもの」


 それを聞いたフリードリヒが安堵した矢先、ヘルガはイツテラコリウキの体を叩いた。


「けれど間違いでもある。イツテラコリウキは、森の情報を一切私に与えないし、何より森は、被害者に興味がない」


「興味が、ない?」

  

「腕を奪ったから、もうこれ以上は取るものもない、という所かしら。全く忌ま忌ましい……何度呼びかけても、さっぱり応えようとしないもの」


「呼びかけって……ヘルガ様は、森と対話できるのでございますか!?」


「森の意識を見つけるのは、そう難しくはないわ。ただし、森は奪った者に興味がない。けれど普通の人間に、森との対話なんて不可能……確かに、貴方が適任なのでしょうね」


 それを聞いて、フリードリヒの決心は固まった。

 早速、対話の方法を教えてもらおうとする。


 しかし、ヘルガはすっぱり否定した。


「私が貴方に託す理由がないわ。アルヴァが滅ぶのは、むしろ喜ばしいことだものぉ」


「っ、何故ですか?呪いが解けば、ヘルガ様の御子も――」


「くかか、貴方に頼まずとも、どうとでもなるわ」


 フリードリヒは口をつぐむ。ヘルガの発言に、迷いは無い。


「何十年もの間、何十人もの神憑きが失敗し続けたの。私が殺した数を除いても、精神崩壊、自害は多い」


 その中でも、契約に至り、森自体に近づけたものはフリードリヒだけだと言う。ヘルガはその点だけは褒めた。


「しかし神憑きに不確定要素が多すぎるわ。そんなものに頼る必要など無いのよ、ごめんなさいね」


 嘲るヘルガに対し、フリードリヒは怒ることもなく、ただ考えていた。


 この悪辣極まる女王に、正攻法など無意味なのだ。

  

 フリードリヒは仕方なく、脅しとも取れる発言をした。


「……陛下から、お聞きしました。わたくしの父、フランツを殺めたのはヘルガ様と」


「証拠はどこに?憶測で無礼な事を言うものではないわ」


 当然だ。憶測が通るならば、この世に法は無い。


 しかしフリードリヒは、ひるむことなく。


「そして、先のアルヴァ王妃を追い込まれた。きっかけは陛下ですが、自害するまでに至ったのは、貴女の嘘の予言です」


 婚約儀式の際に賜った予言に、フリードリヒは疑問を持っていた。


 予言は全く外れていた。しかし、婚約してしばらくは、フリードリヒの不安を煽っていた。


 ケツァルコアトルと契約し、あらゆる情報を取得できる身となった今ならば理解できる。

 ヘルガは否定的な言葉で、王妃の情緒を不安定にし、破滅に追いやる。


 前王妃だけではないだろう。一体幾人が、女王の言葉に操られただろうか。


 真に恐ろしいのは、魔女の呪いではない。

 わずかな言葉で人心を巧みに操作する、優れた頭脳と、妖しい魅力だ。


「――それが、どうしたというのかしら?」


 ヘルガは動じることなく、フリードリヒに近づく。


 そして左手で、王妃の首を優しく撫でた。


「それをここで言ってどうするというの?私は貴方を殺すこともできるというのに」

  

 女王の怒りに負けじと、フリードリヒは奮える足を叱咤し、必死に言い返す。


「へ、ヘルガ様こそ、わたくしの地位と、神憑き故の、教会の後ろ盾を……あ、侮らないでくださいっ」


 吃る声を嘲り、さてこの王妃をくびり殺してやろうか、とした時。


 今まで不動を貫いていた石像が、ヘルガの手を掴んだ。


「何だ?」


 零度の視線も、ものともせず、イツテラコリウキは呟いた。


『冷えた星では、風に敵わぬ。それに、もうきた』


 イツテラコリウキが言い終えないうちに、境界を凄まじい揺れが襲った。


 同時に、虹色の障壁を破って、何かが侵入する。


 かち、かち、と喧しく鳴き声を上げる、かささぎであった。


 鵲はイツテラコリウキの周囲を旋回し、ふいに布に散りばめられた黒耀石を啄む。


「わ、わ」


 フリードリヒがよろめくと、彼を背後から支える者が現れた。


『お待たせしました。大事ありませんか?』


「ケツァルコアトル様っ」


 フリードリヒの無事を確認したケツァルコアトルは、この揺れの中でも悠然と立つ魔女たちに呼びかけた。


『“折れた灰刃"よ、規定に背くことなきよう。これ以上は裁定者の介入も有り得ます』


『風よ、魔女のやることにどうか赦しを。……かの鏡に喰われる前に、たいさん』


 鵲が五つ目の黒耀石を啄む前に、ヘルガとイツテラコリウキは消えてしまった。


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