終章 NEVER -2-
「お前は今までずっと私をそう呼んできたが」
先生はマジメな顔で俺を見て言った。
「正直に言って、私が本当の意味でお前の師だったことは一度もない。だが、今でもお前がそれを望むなら」
もう一度、髪の毛をかき上げる。
「あー。つまりお前を弟子にしないこともない」
え。
俺は自分の耳が信じられなかった。
それは、もうきっぱりと閉ざされたはずの。終わったはずの、夢だったのではないか。
「二度言うつもりはない。聞こえなかったのなら話はこれまでだ」
先生は照れくさそうに、不機嫌な表情で俺から顔をそらす。
「いえ! 聞こえてました。聞こえてました! 俺を弟子に? 本当ですか?」
自分の声が、笑えるほど浮かれている。
先生はさらに渋面になった。
「聞こえていなかったのなら」
「いえ! 聞こえてました! ありがとうございます!」
取り消されてはかなわない。俺はとっとと礼を言って頭を下げた。
「必ずや精進いたします!」
それにしても、いったい何が先生の心を変えたのか。俺はもう、完全に弟子入りのことは諦めていたのだ。
「礼なら和仁に言え」
先生はぶっきらぼうに言った。
「え?」
「あいつに言われて、な」
俺と目を合わせないまま、先生は呟くように言った。
『僕みたいな、ここにいる資格もない、出て行った方がマシなヤツに教えるくらいなんだから。アイツを断る理由なんてないよね?』
と。何やら、ものすごい笑顔で言われたそうである。
それで。
「反論する言葉がなくてな」
アイツ根に持っているな、と先生はため息をつく。
弟子にしてもらえるのはいいんだが。受け容れてもらえたというよりは断る理由がなかった、ということなんだろうか。
なんかマイナスな理由だな。ま、いいか? 結果オーライということで。
「まあそういうわけだが。お前はもう空手を身に着けて身ごなしは出来ているし、下天一統流の限界については前にも話した通りだ。どれだけ今の世に生きる者に益になるかは分からんし、お前に教えられることも限界がある。それでもいいなら」
「いいに決まってます」
俺は即答した。俺はずっとこの日を待ち望んできたのだから。
「ビシビシお願いしますよ、先生」
たとえ下天一統流が殺人術に過ぎなくても。今の世の中には不要なものであっても。
俺が憧れたあの背中はこの道にしかなく。この道を通って前に進むことを俺は選んだ。
一度は諦めそうになった道。だからこそ、その道に踏み出せる喜びを俺はしっかりとかみしめた。
「それでは早速、ひとつ頼まれてくれるかな」
先生は言った。俺はもちろん元気よくうなずく。
「何でしょう。何をすればいいですか?」
「和仁のことなんだが」
ああ。アイツ。そういえば、ふいっと出て行ったきりだな。
「アイツ、何をやってるんです?」
「ああ。私の指示でな。修行にかかっている」
早速、何かやっているのか。何をやっているんだろう。
俺は胸が高鳴るのを感じた。
「どんな修行をしているんです? 俺も同じことをするんですか?」
先生は首を横に振った。
そして、実に意地の悪い笑顔を浮かべた。まるでグリム童話に出てくる魔女である。そう言えば、この日の先生のお召し物は黒の魔女っ娘風ゴスロリワンピースだった。
「和仁は、自分のの部屋で人形を直している」
と先生は言った。
「は?」
俺はきょとんとする。
「人形……ですか?」
「ああ。アイツが壊した人形全て、余すところなく補修しろ。それが私がアイツに課した最初の課題だ」
ううむ。それは。
まあ、理にかなっているような気がしなくもないが。
「武術とは……何のかかわりもないですよね?」
「そんなことはない。精神修養だ」
先生は言うのだが。やはり、それは単なる壊れ物補修ではないのだろうか。
「まあ、それがヤツの第一課題なのだがな。アイツは実戦経験は十分積んでいるが、武術の基礎は全く知らん。動きはでたらめで基本がなっていない。康介にはそこのところをアイツに教え込んでもらおう。それを、お前に対する最初の課題とする」
「はあ?」
俺はもう一度、口をあんぐり開けた。
「しかし、先生。俺はやっと黒帯をもらったばっかりで、とても人に教えることを許されるような腕前では」
その言葉に、先生は俺をじろりとにらんだ。
「お前は空手道の門弟か、それとも私の門弟か? 空手道と下天一統流では、当然やり方が異なるのだが」
怖ぇ。目が怖ぇよ、先生。
それで俺は、
「はい。やります」
うなずくしかなかった。




