1 拘束から始まる物語 -1-
腹が痛い。重苦しい。気持ちが悪くて、吐きそうだ。
前にもあった、こんなこと。
記憶の中で俺は、知らない大人に蹴り回されていた。
理由なんかなかったと思う。ただ俺が目に付いただけ。この近所で小学生を見付けては暴行を働いていた男だった。先生の家に遊びに来た俺は、たまたまそいつに見つかって。
痛かった。ただ、痛かった。逃げられなかった。逃げたら余計に蹴られた。死ぬと思った。
その時。俺を蹴り続ける男の片手に、細い女の腕が巻き付いた。
「何だ?」
男が振り返った先に、先生の顔があり。
直後、犯人はまるで魔法にかかったように宙を舞って、後ろ向けに倒れた。地響きがした。
「ふん。弱い者いじめしか能がないヤツが」
バカにしたように呟く先生の足元で。男は頭を打ったのか、動かなくなっていて。
「ホラ、康介。迎えに来たぞ」
先生は俺に、笑顔で手を差し伸べてくれた。
「いや、病院が先かな」
そう言って首をかしげた先生みたいな強い大人に、俺はなりたいって強く思ったんだ。
……目を開けると。俺を見下ろしているいくつもの目と目が合った。
無感覚に、無表情に。俺を見下ろす、いくつもの動かない不気味な目。
次の瞬間、頭がハッキリして、俺が見ているのが天井に貼られたポスターだということに気付いた。八十年代の某アイドルグループの等身大ポスターだ。
俺からすれば狂気の沙汰と思える派手な衣装に身を包んだ男たちが、天井からこっちを見下ろしている。
俺はがっくりした。そして、腹の痛みと共に全てを思い出した。
ここは先生の家だ。そして俺は、先生の家にいた変なヤツに膝蹴りをくらわされ、ダウンした。
アイツはいったい何なのか。ここで何事が起こっているのか。全くわからない。
分からないが、またも俺は先生に助けられた。それだけは確かだ。
少し首を上げて、辺りを見回す。見慣れた、先生の家のリビングだった。
そこら中に、アンティークドールというのか、西洋人形やら、おかっぱ頭の日本人形やらが飾ってある。その数、軽く数百。先生は人形のコレクターなのだ。ちなみに、人形があるのはこの部屋だけではない。家じゅうが人形で埋め尽くされている。
それだけでも俺としては理解しがたいのだが。さらに、壁一面にはいろいろなアイドルグループのポスターやらポストカードやらが飾り付けられている。年代は七十年代から最近の物まで幅広い。先生は、気合の入ったアイドルヲタでもある。とにかく、きらきらしいイケメンが大好物なのだ。さらに理解不能である。
人形とポスターの、数百対の目に見つめられて、この部屋にいるのは何とも居心地が悪かった。
先生自慢のソファーの上に横になっていた俺は、胃の辺りを押さえながら起き上った。まったく、あの野郎。メチャクチャしやがる。
「康介、もう起きたか」
部屋の中にいた先生が、振り返った。
「まだ無理しない方がいい。寝ていなさい」
「いえ、大丈夫です」
というのは多少、というか、かなり見栄だったが、俺はムリしてそう言った。
俺は先生に弟子入りを認めてもらうために来たのだ。あんなヤツにやられて、いつまでも寝そべっていられない。
……で、だ。
「先生。何してるんですか」
起きて気付くのは、同じ部屋の中に気を失ったままのアイツがいること。そして先生が、椅子に座らせたソイツの前で、何やらごそごそやっていること。先生の手には、麻のロープと針金という物騒なものがかけてあること。
その三つに同時に気付いた俺は、イヤな予感しかしなかった。
「何って」
先生はケロリと言った。
「これ以上暴れ出さないように縛りつけているだけだが」
やっぱり!! 俺の視界がぐらりと揺らいだのは、腹が痛むせいだけではない。
先生はお嬢育ちのせいか、なんというか浮世離れしたところがあるんだよなあ。
「先生。それはマズいです」
仕方ないので、俺は諫言することになる。
「縛ったりしたら、こっちが監禁罪になりますよ。傷害も付くかも。お腹立ちは分かりますが、速やかに司直の手に委ねるべきです」
「いや、ダメだ」
先生は言った。
「コイツには私自らの手で思い知らせてやらないと。康介、コイツが何をしたと思う」
「さあ」
俺は家にも上がらないうちに昏倒させられただけだから、知りようがない。
「後で客間を見てみろ」
先生の声が震える。
「コイツ、こともあろうに私の長年のお人形コレクションと、大切なレアものポスターを再起不能に……! それどころか、某国民的アイドルグループの、旧メンバー時代の激レアポスターまで」
唇をかんで、悔しげに顔を歪める先生。
あー。
それがどれほどの価値のものか俺には分からないが、少なくともお人形コレクションには数百万の金がつぎ込まれていると聞く。
玄関前で聞こえたあの物音は、やっぱりコイツが屋内で暴れていたからなのか。




