序章 玄関先の攻防 -2-
俺が進路上に立ちはだかったのを見て、相手の足取りが早まった気がした。
色白の綺麗な顔が沈む。進むスピードを速めたまま、少し前かがみになってまっすぐ突っ込んでくる。
その行動に、ヒヤリとした。何かがヤバい。そう思ったのは、こっちを見るヤツの目つきがひどく冷たかったからか。とっさに俺は防御の構えを取る。
アイツのいる廊下は、俺が立っている土間より三十センチほど高い。この高さが、どう影響してくる? 俺なら、この状況でどうやって相手を攻める? 俺なら……。
考えが決まらないうちに。ヤツの姿が目の前で消えた。違う、寸前で飛び込んでくるスピードをさらに上げたんだ。理屈は簡単だが、実行は難しい。普通、対戦相手を前にしたら間合いを取りたくなる。
だからこそ、それなりに有効ときている。くそ。コイツ。喧嘩慣れしている。
俺はカンだけで次の攻撃を避けた。強烈な右の横蹴り。上体をそらしてよけたすぐ目の前に、ヤツの爪先がある。よけなかったら、もろに首筋に食らっていきなりダウンだったろう。寸止めとか、全く考慮しない、俺を叩きのめすための蹴りだった。
俺がよけたのを見て、ヤツは眉間にしわを寄せる。だが、それも一瞬。
高く上がった脚がスッと引っ込んだ、と思うと。その動きを反動にして、左の正拳突き!
とっさに俺も左腕をあげ、上段で受ける。三十センチの差があるから、向こうは普通に打ってるのにこっちは上段受け。やりにくい。こんな高低差での打ち合い、道場じゃ有り得ない。
でも、相手の方が絶対有利だ、この状況。その上、左で突きとか。左利きか、このヤロウ。
さっきは美少女と思ったけど、絶対男だ、コイツ。相手の拳を防ぎながら、俺は思う。細っこいくせに、馬鹿力だ。こんな女がいるか。痛ぇんだよ、ぐいぐい押してくんな!
数秒の間。攻防は膠着状態になったかに見えたが。
不意に、ヤツがニタリと笑った。
その意味をはかりかねて。俺はとまどう。
その隙を突かれた。
水月……みぞおちに、重い一撃を受け、俺は崩れ落ちる。至近距離からの膝蹴り。絶対くらっちゃいけない技なのに、くらってしまった。
道場だったら、きっと警戒してた。でも、こんなところで。先生の家の玄関で。そんな容赦ない攻撃が繰り出されるなんて、どこかで信じていなかった。結局、油断だ。
息が出来ない。内臓が破裂したんじゃないかと思うほど痛い。腹の中のものを全部戻しそうになる。
体を二つ折りにし、うずくまって腹を押さえる俺。ヤツはもう興味をなくしたように悠然と上がり框に腰を下ろして、置いてあったごついブーツに両足を突っ込んだ。
悔しい。段位を取って浮かれてた自分がバカみたいだ。こんなどこの誰とも知れないヤツに、簡単にやられるなんて。俺はそれだけの男か。
それが悔しくて。俺は目の前で垂れ下がるブーツの紐に手を伸ばして、握りしめた。
「ちょっと。何するんだよ」
ヤツの声が聞こえた。中性的な、甘い声だった。顔だけじゃなく、声もイケメンかよ、気に食わない野郎だな。
「離せよ。目障りなんだよ」
ブーツの底が目の前に迫ってくる。顔を蹴る気か。コイツ、鬼か。
その時。
「よくやった康介、そのまま動くなよ!」
先生の声がする。
少しだけ顔を上げると、廊下の奥にショッキングピンクの塊がぼんやり見えた。
十メートルほどある長い廊下を駆け抜けてきたその塊が、高く高く跳躍する。
ショッキングピンクのボンテージと、そこから突き出た網タイツの脚。ああ。先生、だ。
「ちぇすとお!」
先生は空中で片腕を大きく振り上げ。
かけ声と共に、持っていた棒状のものをヤツの首筋に直角に叩き込んだ。
神速の技。
予想外だったのか、ヤツはその攻撃をマトモに食らい。俺の前でばったりと倒れた。
「ふむ。不心得者が」
土間に着地した先生は手に持った武器をもてあそびながら、そう呟いた。
いや待て、武器って、あれ。靴ベラだろ。
「だから逃げろと言ったのに。康介、大丈夫か」
俺に向かって手を差し伸べてくれる先生。その雄姿は、俺を助けてくれた十年前と変わらないカッコ良さだ。
でも、先生。
「ちぇすとって……。先生のとこ、鹿児島出身じゃないですよね」
「何でも構わん。力が入ればいい」
うーん。大雑把だ。
そして。
「先生……。何で、そんな恰好なんですか」
そう呟いて、俺の意識は果てた。
最後に見たものは、俺の尊敬する師匠、山城真理子先生、御年五十ウン歳の。
ショッキングピンクのボンテージと、そこからのぞく、ガーターベルトで留めた網タイツのおみ足だった。残念ながら、色気ゼロ。
頼むよ、先生。
俺は健全な高校生男子です。熟女とか、特殊な趣味はないんです。だからもう少し、女性に夢を見させて……。




